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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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1000UA記念短編・海



本編開始前の話。

 


「……君。生きてるか?」


 そんな声をかけられて、俺は目を覚ます。


「……っ、あ……」


 瞬間、思い出すのは戦いのこと。

 魔獣の群れ。倒れる仲間。ちぎれた腕。捨てられた剣。


 それから、俺に斬りかかってきた蟲の魔獣だ。


「落ち着いてくれ」


 そんな声とともに軽く頬を張られる。

 その衝撃で自分を取り戻し、痛みを自覚する。


「うっ……」

「落ち着いて、俺の肩に腕を回せ。背負って運ぶ」


 そんな言葉と共に軽く背中を叩かれ、血の塊を吐く。

 痛みが酷い。

 なのに、腰から下の感覚がない。

 軽く持ち上げられ、背負われて、しかしそんなことどうでもいいくらいの痛みが……。


「―――――」


 その時。

 何かを呟く声が聞こえて、それで痛みが少しずつ和らいでいく。


「……楽になったか?」


 そんな問いが投げられる。

 答えることもできずにただ頷いた。

 でも実際痛みは引いていたので、俺はようやく現在の状況に目を向ける。


「…………」


 人と魔獣の死体。

 数え切れないほどそれらが転がる死屍累々。

 血と、なんとも言えない悪臭。

 骸に群がる烏の声。

 死が満ちた地獄を傾きかけた夕日が照らし、救いようがないその光景を紅く色づけている。


 そして、俺を背負う誰かの背中はいっそ意外なほどに小さなものだった。

 歳としては、十五かいくらだろうか。

 はだけたフードから覗く黒髪、白い外套。

 足取りは力強く、また迷いがない。


 死体の海を歩む彼は、一体どこに向かっているのだろうか。


「あんた……どこに……」


 息も絶え絶えにそう問いかけると、平坦な声で答えが返る。

 そしてそれは、意外なものだった。


「いや、決めていない。どこか、行きたい場所はあるか?」

「本隊に、帰らないと……」

「ああ、そうだな」


 調査が甘かった。

 だから魔獣の大軍が乱入してきた。


 それが不運の始まりだった。

 陣のどてっぱらに噛み付かれた。

 それから魔獣は、散々に仲間を殺し、恐慌に陥った聖教国軍(こちら側)の一部は瞬く間に敗走した。

 残った戦力で魔獣の掃討を続けたが、劣勢は明白だった。

 魔獣どもが全て……いや、それは違うのだったか。

 骸の勇者というやつが、殿しんがりを務めて、味方は逃げられたのだったか。


 なにもかもが死にもの狂いの中で、よく覚えていなかった。


「――――――」


 俺を背負う少年は、絶えず何かを呟いている。

 聞いているとなんだか気が安らいで、もう戦わなくてもいい気がしてきた。


「なぁ、あんた」

「……すまないが、俺は忙しい。できるだけ話しかけないでほしい。それともなにか、行きたい場所でも決まったのか?」


 静かな声が尋ねてきた。

 俺は少し考えて答える。


「……ああ」


 思い返すのは、仲間とした馬鹿話だった。

 このあたりの海は澄んでいて、きれいな女がいつも遊んでいるのだとか。


 ……まぁ、戦役中にそんなことがあるとも思えなかったが、それでもなんだか楽しい話だったし。

 あとは、俺は海を見たことがない。


「海を、見たい」

「海か。骨が折れそうだな」


 話していると痛みが戻ってきた。

 すまないと、そう言おうとした口が苦痛に塞がれる。


「うっ……」


 呻いた俺になにも言わず、少年はただ何かを呟き始める。

 そうすると、俺の傷の痛みはまた和らぎ始めた。


「―――――」


 ほとんど絶え間なく何かを呟きつつ、少年は足を早めたようだった。

 俺の傷を気遣ってか、走り出すことはなかったが。


「もう、駄目なのかな?」


 死が溢れる光景をどこまでも歩き続ける。

 それを見ているとどうしようもなく弱気が込み上げてきて、俺は思わずそんなことを口にする。


「なにが?」

「全部だよ。勇者もいないし、こんなの、どうしようもないよ」


 この地域には、禁忌領域から大量に獣共が流れ込む。

 だから守備隊が大規模な防衛戦を常に展開していて、俺たちは守備隊への増援だった。

 だが、その加勢がこのザマだ。


 これでは、もう人間にはどうしようもないのではないだろうか。


「そうかもしれない」


 小さくそう答えて、また少年は呟きに戻る。

 彼の声は早くて、おまけに潜められていて、今の俺には聞き取れない。


「あんた、どこから来たんだよ。俺は……東の方でさ。水とパンのリンダムと言えば……少しは有名だろ」

「ああ」


 短く答えて、彼はまた呟きに戻る。

 全く不思議なことだった。


 ……いや、俺にも本当は、よく分かっている。


 ただ怖かった。

 恐ろしくて、動かない口を無理に動かす。


「いい水があって、だから、パンが、美味いんだ。ローランの賛美節には、あたりのパン職人が全員集まってきて、腕を競い合う。俺も、ほんとは、パン屋に、なりたくて…………なぁ、あんた、聞いてるのか?」

「聞いてる」


 涙が頬を伝う。

 それに構わず俺は言葉を続ける。


「親父が……作る……パンが……好き……で……俺も……いつ……か」


 口が上手く回らなくなってきた。

 視界もぼやけてきて、その代わりのようにして恐怖が膨れ上がる。

 少年の肩に爪を立てて、けれどそんなささやかな力もすぐに抜ける。


 ……ほんの少し、少年の足が早まった気がした。


「そろそろだな」


 俺がほとんど喋れなくなって、しばらく経った。

 死の原野を抜けて、丈の高い草が生える場所に行き着いた。

 視界の隅が黒く染まってきて、けれども草を揺らす風の音は心地よく耳に届く。

 そこは死体の山よりはよほど気の利いた場所だった。


「…………」


 何も言えないまま小さく頷いて、俺は……泣くのをやめた。


 やがて草原も抜けて、坂道に差しかかる。

 それを少年の足は迷いなく登っていき、やがて夕日を受けて輝く海がぼんやりと、目に入った。


 少年が俺を下ろし、背を支えてくれる。

 座り込んだ俺は、海を見ながら意識が遠のくのを感じた。


「……俺、もう駄目なんだろ?」

「――――」


 少年はやはり何かを――いや、治癒魔術の詠唱を呟きながら、視線だけを俺に向けたようだった。


「ありがとな。もう駄目なのに、ここまで連れてきてくれて」


 呟きを止めて、少年がその瞳に初めて感情の色を宿す。

 刹那走ったそれは、悔恨だろうか。


 少年の手を探ると、やはりメダルのようなものがあった。

 少年の手から外し、俺はもういいのだと首を横に振る。

 すると彼は、目を伏せたままぽつりと言葉を漏らす。


「痛みを取っただけだ。治癒魔術は下手だが、魔力はいくらでもある。気にしなくていい」

「そっ……か」


 不意に、意識する間すらなくまぶたが落ちる。

 そして、急速に思考がどこかに漏れていく。

 まるで穴の空いたコップから水がこぼれるように。


「ありがとな、勇者さん」


 俺はかろうじて残った自我でそれだけを言い残した。

 目に焼き付けた海の光景を抱いて闇の中に沈んでいく。

 少年は何かを答えたようだったが、俺はそれを……聞き取ることはできなかった。


 それだけが、ほんの少し心残りだった。



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