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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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閑話・捨てたもの、拾うもの

 

 聖教国の首都ローラン。

 ここは六十万を超える人々が暮らす、大陸でも最大規模の街である。


 そしてその街のほぼ中心、大聖堂と王城が隣り合って、半ば組み合わさったような巨大な城……の寂しい外庭。

 美しく整備されてはいるが、流石に色々と枯れかけなその場所のベンチにアッシュとアリスは二人で腰掛けていた。


 とは言っても、腰掛けているのは別々なのだが。


「あまり嬉しそうじゃないな。街に行かないのか?」


 今は昼過ぎで、街も賑わっている。

 彼女なら喜び勇んで遊びに行くものだと思っていたが、なにを血迷ったのかこうしてずっとアッシュのそばにいる。

 それを怪訝に思って問いかけると、アリスは吐き捨てるようにして言葉を投げる。


「この街は、好きじゃないんですよ」

「そうか」


 理由までは聞かず、またそれ以上言葉を交わすこともしない。

 暇を持て余したアッシュは腰に吊った剣を外して膝の上に乗せる。

 そして少し抜いて刃についた小さな汚れを外套の裾でぬぐったりしていた。


「それ逆効果じゃないです?」


 アリスが、あからさまに馬鹿にしたような顔で口にする。

 まともな答えを求めているのかは怪しかったが、首を横に振って真面目に答えてみる。


「汚れてはいるが、湿っていないからな。別段何かつくようなこともないだろう」

「そうですか。それにしてもその服の汚れ、気にならないんですか?」

「鎧に血がつかないようにするための血よけだからな。むしろ汚れてくれなくては困る」

「……そういうことを言ってるのでは。いえ、なんでもありません」


 アッシュの鎧は革鎧だが、関節部などには鎖帷子くさりかたびらも用いられている。

 こういった部分に大量の血がつくと手入れが非常に面倒なことになる。

 だからそんな状況をできる限り防ぐために、アッシュはこの薄汚い外套をわざわざ着込んでいるのだ。


「しかしノインちゃん、今頃どうしてますかね」

「騎士宣誓の儀式だろうな」

「そりゃあ、それくらい私にもわかってますよ」


 分かっていると言って、眉を下げるアリスは少しだけ心配そうだった。

 彼女はどうも、似た境遇からかノインに肩入れをしているところがある。


「大丈夫だろう、多分」


 アッシュが言うと、彼女の表情から心配の色が消えた。

 代わりになにかからかうような気配が宿る。


「お義父上に、よく頼んでおいたんですか?」

「…………」


 ノインは還俗し、修道院から除籍された。

 だが教会の手を完全に逃れられるように、彼女には軍の方の役職……従騎士の位が与えられることになった。

 これは『剣騎士』や『卓越騎士』と言った二つ名としての騎士ではなく、れっきとした聖教国軍における士官の名である。

 そして従騎士とは、将、騎士、兵により編成される聖教国軍における下級の騎士に相当するものだ。

 貴族以外の人間に対して、例外的に騎士の任が与えられる際に用いられる役職だ。


 これを受けるということはある意味軍の庇護下に入るということであり、その軍にはアッシュの……形式上の義父がいる。

 だから、彼がいる分にはきっとノインは大丈夫だ。


 と、考えているとアリスがさらに言葉を続ける。


「で、お義父上には会いに行かないんです?」

「俺が嫌がるのを分かってて言ってるだろう」


 不機嫌に返すが、彼女は何も答えない。

 ただ楽しそうな顔でベンチの上で足をばたつかせる。

 不愉快だった。


「父と子は基本仲良し、これ常識では?」

「義理だからな。政治上必要だったとか、そういう事情だ」

「なんですかそれ。愛が足りませんね愛が」


 不愉快だが、彼女はそれを分かっている。

 さらにどれだけ機嫌を損ねようと、アッシュが強硬な対応をしないことも見切られている。

 だから不機嫌な態度を表に出すのは無駄だ。

 ため息を吐いて、彼女の減らず口を適当に受け流すことにする。


 そうして時間を潰しつつ、アッシュたちは式典の終わりを待ち続けていた。



 ―――



 聖教国の騎士任命の儀式を執り行うのは聖職者だ。


 他の国では王の手指となる軍属も、この国ではあくまで神の従僕として扱われる。

 一応、神の名のもとに国を治める王の騎士だということではあるのだが、大本を辿ればやはり神に行き着く。


 しかし今は神官たちの権勢も衰え、儀式の主役の一人であるはずの司祭はどこか肩身が狭そうに見えた。

 そして剣と杖にかけて誓いを交わしたのちに儀式は終わりを迎える。

 帰路についたノインは、待ち合わせの外庭へと足を急がせる。


「えっと……」


 だが、道が分からない。

 それこそ布団かなにかのように柔らかな赤い絨毯が一面に敷かれ、磨き抜かれた白の壁は様々な装飾を伴って長い長い廊下を彩る。

 だが、いかんせん広すぎる。

 儀式を行う祭祀所は城の奥にあったこともあり、どうも上手く外庭に戻れない。


 そんなこんなで困り果てて、立ち止まったノインはふと壁にかけられた一枚の絵に目を奪われる。


「…………」


 修道院では勇者の偉業は徹底的に教えこまれたので、ノインにはすぐにそれが何かは分かった。

 比類なく鋭い、貫く光を操る『天命の勇者』。

 聖教国の祖でもあるローラン=フレドリクスを題材にした宗教画だ。


 そしてそれをぼんやりと見ていると、ノインの背に聞き慣れない声がかけられた。


「先程から同じ場所をぐるぐるしてるけれど、なにかお困りかな?」

「!」


 振り向くと、そこには一番上のボタンを開けて、着崩した軍服を纏う初老の男がいた。

 その年季が入った軍服には勲章の一つもなく、しかし城内で帯剣しているところを見ると相応の身分があるような……気がしないでもなかった。


 少し焼けた肌、中肉中背。

 整えられた名残のある乱れた白髪混じりの黒髪に、暗い青色をした瞳。

 顔立ちと身体付き自体はありふれた人の良さそうなものだったが、どうも顔のあちこちに刻まれたしわと疲れ切った色を宿す瞳が印象的でノインは目を離せなくなる。


 本当に、今にも倒れそうなくらいに、疲れているのではないだろうか?


「……大丈夫ですか?」


 だからついそう問いかけると、初老の彼はくしゃりと人懐こく笑う。


「逆に心配されるとは。面白いな」

「あっ……」


 そうだ。

 彼は道に迷ったノインを気遣って声をかけてくれたのだ。


「どうも、気を遣わせてすみません」


 慌てて返すと、彼はまた笑って腰に手を当てる。


「いや、気にしないでくれ。それで? どこに行きたい?」

「外庭に」

「了解したよ、従騎士殿」


 その口ぶりからするに彼はノインのことを知っているらしかった。

 だが従騎士だと、改めて言われるとどうも照れくさい。

 ノイン自体、騎士だなんて役割にはどうも実感が沸かないのだ。


「その……騎士というのは、やめてください。あたし、そんな大した人間じゃないんです」


 さっさと歩き出した男についてノインは歩く。

 そして騎士はやめてくれと伝えれば、男は楽しげな声で答えた。


「大した人間じゃない、か。だが騎士の大半は大したことのない人間だ。最近また、大いに見込みのある騎士が辺境で死んだことだしね。大した騎士は減る一方だ」

「……そういうことではないんです」


 男の歩みには迷いがなく、また隙もない。

 そして言葉にも迷いも隙間もなく、気を抜けばすぐに丸め込まれてしまいそうだった。


「いや、そういうことだ。実際騎士なんて大したものじゃあない。美味い飯屋とまずい飯屋があるように、ほまれある騎士と、それから私のような間抜けがいるだけさ」


 困って黙り込んだノインに、男は少し眉を下げる。

 そして若干気まずそうにして謝罪した。


「……まぁ、すまない。そうだね、なにか別の話でもしようか。うん。新任の騎士が同輩に会うと必ずするやつをやろう」

「必ずするやつ?」

「そう。お前、何を誓ったんだ? ってね」


 新任の騎士は司祭の前で剣に一つ、杖に一つ、合計二つの誓いを立てる。

 ノインもそれはやったのだが、どうも実感をもって答えることができない。


「言えないかい?」

「騎士になれというのも、突然だったので」


 ノインがそう言うと、男は数度頷いた後頭をかく。

 それはどこか見覚えのあるような仕草で、ノインは少し引っかかりを感じた。


 けれど言葉にする間もなく、男は口を開く。


「そうだね。私たち貴族は、生まれつき騎士になるさだめがある。だから小さな頃から考えて考えて、大概結論は出せているものだからね。……それを急に誓えと言うのも酷なものだな」

「あなたはなにを誓ったのですか?」

「私かい?」

「そうです」


 いっそ意外だと言うように疲れの滲む目を丸くするが、だが話の流れとしてはそうおかしくもないだろう。

 だからノインがまた言葉を重ねると、彼は笑った。


「そうだなぁ。杖にかけて『神のもたらす秩序と栄光を守る』ことを、剣にかけて『全ての魔獣を討ち滅ぼす』ことを誓った。私は君とは違って、答えは出ていたからね。本当に、心から真剣に誓ったんだ」


 そうこともなげに言う男の口元は笑っていて、目元も優しげな弧を描いている。

 だがその瞳だけは、どこか燃え尽きたような空虚を宿していた。

 あるいは、隠しきれない悔恨の情をも。


「…………」


 けれどそれも一瞬。

 すぐに元のくたびれた雰囲気を取り戻した男は、なにかに気がついたかのように足を止める。


「……このまままっすぐ行けば、君の目的はまぁ……叶うだろうな。それじゃあ。また、縁があれば」

「?」


 唐突に踵を返して、男はノインを置いていそいそとどこかに去る。

 まだ外庭に着いてはいないし、目的が叶うという言葉の意味もよく分からない。


 しかし、もしそうならば礼を言うべきだろう。


「あの、ありがとうございました」


 背後から投げられた声に、男は軽く手を振って応える。

 そしてそのまま城の廊下の曲がり角に消え、そこで彼の名前を聞いていなかったことを今さらのように思う。


 すると、その時だった。


「……迷っている訳ではなかったのか」


 また前を向いたノインを見ていたのは、いつも通りの倦んだ瞳。

 つまりアッシュだ。


「少し遅かったから、迎えに来た。このまますぐに()とうと思う」


 次の目的地はロスタリア魔術同盟、つまりは魔王の地だと聞いている。

 早く向かうに越したことはないだろう。


 だからノインは頷いた。

 が、そこでアッシュの視線が宙を……正確にはノインの背後、廊下の先を見つめていることに気がつく。


「どうかしたのですか?」


 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、ノインの背後を見るアッシュの瞳に険しい色が混じった気がした。


 しかしすぐにそれは消えて、小さく息を吐いた後アッシュは無造作に髪をかく。


「……いや、別に。行こうか」

「はい」


 心なしかいつもより早足のアッシュの背を追いながら、ノインはふとマクシミリアの言葉を思い出す。


『ノイン、お前の家族は生きている』


 そういえば番地もわかっている。

 だからもしかすると、この王都で探せば会えるのかもしれない。


「どうかしたのか?」

「……いえ」


 知らず、足を止めてしまっていたらしい。

 ノインはほんの一瞬だけ思考を支配した考えを振り払い、また歩き出す。


 ……そうだ。

 いらないから捨てたのだ。

 ならばいまさら会いに行っても、きっと辛い思いをするだけだろう。


 考え直して、ノインはそのことは忘れてしまおうと決めた。



 ―――


「どうかしたのか?」


 ロスタリアに向かう旅の始まり。

 王都を出て少しした頃。


 馬車に揺られつつ、アッシュは馬車の隅で三角座りをするノインに声をかける。


「……いえ」


 否定しつつも、ノインの様子は明らかに常とは違った。

 もしかするとまた体調でも悪くしたのかもしれないと思ってアッシュは言葉を重ねる。


「具合でも悪いのか?」

「……そういう訳では」

「そうか」


 答えた言葉の歯切れの悪さに、流石にアッシュも言いたくないのだと察する。

 だからこれ以上問いかけることもなく、ただ馬車の揺れに身を預けていた。


 すると、それからしばらくした頃。

 なにか緊張に張り詰めた様子でノインが声をかけてきた。


「……あの」

「なんだ」

「ものを手放す時は、いらないから捨てるんですよね」


 それは、よく分からない質問だった。

 だが、なんとなく彼女にとっては重要なものなのだと悟ったので少し頭を悩ませる。


「基本はそうだろう」

「捨てたものが返ってきたら、迷惑ですか?」

「そうかもしれない」


 アッシュが答えると、ノインは肩を落として小さく頷く。


「やっぱり、そうですよね」

「ただ」


 ただ、と。

 そう言葉を切ったアッシュに、俯いていたノインが顔を上げる。


「気が付かず落としたり、渡せと言われたのを断れなかったりして手放したものもあるだろう。そうして思いがけず失ったものが返ってきたら、俺は嬉しいと思う」


 口を開けて言葉も出ない様子のノインを前に、アッシュはさらに言葉を足す。


「拾いに行きたいものの一つくらい、君にもあるんじゃないのか? それなら、分かるだろう」


 アッシュの言葉に、ノインはまた何度か頷く。

 けれど今度は背筋を伸ばして、彼女はアッシュをまっすぐに見つめた。


「今度この街に来たら」


 長い沈黙の後、語られたのはそんな言葉だった。

 アッシュは頷く。


「ああ」

「拾いに行きたいものがあるんです。……よかったら、ついてきてくれませんか?」

「君には世話になる。その程度でいいのなら、いつでも付き合おう」


 そう答えると、彼女は少しだけ笑った。


「……ありがとうございます」



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