表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
68/250

幕間・ロスタリアの魔術師


いつも通り読まなくても本編は理解できます。

しかし幕間の中には他の幕間読んでないと理解できないネタを入れることもあると思います。


 


 当代の『魔術師』シド=テンペスト。

 使徒の一角たる彼が守る、その国の名はロスタリア。


 四の魔王と相対する、人と魔獣の決戦の地の一つである。



 ―――



 後から後から雪が降る、一面白の雪景色。

 仄暗い雲に覆われた空は日も薄く、雪原にはただ足跡と、二百を超える魔獣の姿だけがあった。


「……………」


 そして一体の魔獣。

 オークと呼ばれる怪物は、城壁の上から降り注ぐ魔術の光を見つめる。

 しかしその猛威を微塵も恐れることなく、ただ先へと足を向ける。


 群れの仲間は次々に撃ち抜かれて命を落としていく。

 しかしオークは意に介することもない。

 ひたすらに城門をこじ開けようと愚直に走る。

 走り、傷つき、やがては左半身を焼き焦がされる。

 それでも機械的に足を動かす。


 だがある時。

 唐突に魔術の雨が止んだ。

 オークはそれを訝しむこともない。

 雄叫びを上げ城門へと走る。


 しかし奇妙な痺れを感じ立ち止まったオークは、見上げた天が崩れて落ちるのを見た。



 ―――



 ロスタリア同盟と。

 そう呼ばれていた国はかつて、小国が乱立する戦が絶えない地であった。

 けれどある小国が戦乱に終止符を打ち、国をまとめ上げ一つの同盟へと変えたのだ。

 同盟は盟主たる小国の名から、ロスタリア同盟と呼ばれることになった。


 そして、かの国が覇権を握った理由は異端の魔術師たちの力だった。

 世界中で迫害されていた彼らが、ロスタリアに身を寄せたのだ。

 魔術の圧倒的な力は、剣と弓で行われていた戦争をたやすく終わらせてしまった。


 とはいえ、統一されても元はいがみ合っていた国々である。

 建国当初は領地間でのいさかいや、内戦一歩手前の小競り合いも珍しくはなかった。

 だが、その確執もまた魔術師たちの手……つまりは魔術による繁栄が解決してしまった。


 いがみ合い争っていたのは、つまり欠乏の証である。

 けれど魔術は国土を整え、他の国では作れぬ品物を作り出す。

 こうして少しずつ国は豊かになり、ロスタリア公の善政により飢えた民は満たされていった。

 そして忘れがたい栄華を味わった民は、やがて亡国の誇りを忘れていく。

 ゆっくりとゆっくりと一つの国の中に組み込まれていくこととなった。



 ……だがいつしか王の血は途絶えてしまい、ロスタリア同盟は自然とこの世から消え去った。

 王位を継ぐ者を失ったロスタリアは、やがて魔術師たちが治めるようになった。

 よってその名を【ロスタリア魔術同盟】と改めたのだ。



 ―――



 両脇を本棚に挟まれたその部屋は書庫だった。

 人間二人分程度の幅しかない縦長で手狭なその部屋の中だ。


 具合のいい安楽椅子に腰掛けて、シドは……シド=テンペストは一人くつろいでいた。


 窓の外には、しんしんと音もなく降り積もる雪が見える。

 差し込むのは冬のせいかどこか弱い日の光で、部屋には埃の匂いがする空気が満ちていた。

 それでも、個人的には居心地のいい場所だった。


 街に攻めてきた魔獣の群れを軽く薙ぎ払って、シドは束の間休息のためにここを訪れていた。

 杖は手近な本棚に立てかけて、体は深く安楽椅子にもたせかけてある。

 静かに何も考えず時間を過ごす。


「」


 しかし戯れに外を見た時。

 窓ガラスに映る鏡像に、痩せさばらえた老人が映り込んだような気がした。

 それでわずかに息を詰まらせ、目を見開く。


「…………」


 深く呼吸し、息を落ち着けた。

 改めて窓に映った自分の姿を確認する。

 するとそこに映っていたのは、まだ小さな、多分標準的な十二歳の子供の姿だった。


 男にしては長い、目にかかる赤い髪。

 そしてその上に被せられているのはつばの広い黒の三角帽子。

 また身にまとっているのは、袖が余るマント付きの黒ローブだった。

 立場上装飾過多ではあるものの、服にも特におかしなところはない。

 袖を通す体も、老人のものではなく子供の体だ。

 さらに顔つきにもまだ幼さが残っている。

 わりに大きな紫の瞳は、眠たげに目尻を下げていた。


 それを見て、シドは少し安心した。

 すると声がする。


「そんなとこにいたんですか」


 子供っぽさのある快活な少女の声だ。

 十七歳の少女とは思えない、また魔術師とも思えない落ち着きのない声。

 その声に、シドは椅子から腰を上げた。

 続けてゆっくり振り向く。


「…………」


 するとそこには彼の従者がいた。

 黒い長ローブを身に着け、癖のついた金髪を背中にかかる程度伸ばしている。

 まぁ伸ばしているとは言っても無造作なもので、手入れした様子はない。

 洒落っ気のない細身の少女が立っている。

 優しげな翡翠の瞳でこちらを見つめる、彼女の名はミスティア=ワンド=サウスローネだった。


「君か」


 よく見つけるものだと思いながら、シドはそう言った。


 ちなみにミスティアとシドの服装が違うのは、魔術師としての序列が下だからだった。

 彼女には帽子とマントがなく、ローブの装飾も少ない。

 ロスタリアでは魔術に通じる者こそ貴いとされている。

 魔術師の間での、些細な服飾の違いはその象徴だ。


 などという知識が、植え付けられた知識が……勝手に脳裏をよぎる。

 それを振り払うようにため息を吐いて、シドはさらに言葉を続ける。


「こんなとこにいる人間をよく見つけたな」

「そりゃ五年も面倒見てたら分かりますって!」


 彼女はやはり、快活な声で答えた。

 それから楽しげに小さく跳ねる。

 するとガシャガシャと金属の音がする。

 音の正体は彼女の武装だ。

 両手につけた分厚い白金しろがねのガントレットとブーツだ。


 これは、杖に代わる彼女の武器だった。

 ミスティアの姓の『サウスローネ』は、魔術師でありながら近接戦に特化した奇妙な一門が冠するものである。

 そして彼女の手足に装備された装甲には『剣』のルーンが刻まれている。

 だがシドは一番偉くて、他には誰もいない『テンペスト』なので正直彼らのことはよく知らない。


「面倒を見る? 面倒をかけるの間違いじゃないのか?」


 ともかく、やかましい金属の音にうんざりしつつ皮肉を口にした。

 すると彼女は、また明るく笑って言葉を返す。


「何を言いますか! このミスティア、サウスローネの名にかけてあなたをお守りしておりますよ」


 大袈裟に、ない胸を張って偉そうにする。

 そんな彼女を鼻を鳴らしてせせら笑う。


「守るなぁ。でもそれにしたって君、従者のお茶もいれられないじゃないか」

「ガントレットのせいです……。ずっとはめてるから……」

「外せばいいと思うよ、僕は」


 だが外したくはないらしくしょげ返っていた。

 そこで、シドはふと気になったことを口にしてみた。


「そう言えばそのガントレット。飯と寝る時以外で外してるの見たことないけど、臭かったりするのか?」

「いいえ、フローラルです。においますか?」


 親指を立てて否定してくる。

 シドは立てかけてあった杖を手に取ってガントレットに向けた。


「それはいいけど、その前に焼いていいか?」

「なんでですかっ!」


 臭いものは焼け、ロスタリアのことわざである。


 しかし、それはともかくだ。

 シドは身の丈を超える長さの杖を握り直す。

 そして歩き出す。

 ミスティアの脇を通り抜け、振り向いて彼女に一瞥をくれる。


「呼びに来たってことはなんかあるんだろ? 行こうか」


 最近決まった、四の魔王討伐計画についての呼び出しかなにかだろう。

 そうあたりをつけてシドは言う。

 だが、対してミスティアはきょとんとした顔で首をかしげた。


「えっ? なんもないですけど?」

「……じゃあなんで呼びに来た?」


 眉をひそめたシドに、ミスティアはてへへと笑う。


「そろそろご飯の時間じゃないですか」

「あーなるほど。分かった行こう」


 いつもは従者の彼女とは二人でいるので、自然と連れ立って食事に行くことになる。

 しかし今はこうして雲隠れしたから、彼女は探して呼びに来てくれたのだろう。

 手間をかけさせたのだから、ここは素直に従うことにしようと思った。


「君、いろいろ気にかけてくれるな」


 シドはぽつりとそう言った。

 狭い書庫を出て、紅い絨毯が敷かれた廊下を歩んでいるところだった。

 がしゃりがしゃりと隣で足音を立てなが、彼女はやや大袈裟に驚いてみせる。


「今さらなにを!」

「別に、なんとなくだ。深い意味はない」

「感謝などありませんか?」


 そう言ってにこりと笑う。

 何も答えず、シドはまた鼻を鳴らした。



 ―――



 時報の鐘が鳴った。


 それは、シドたちが住む『魔導塔』と呼ばれる建物の頂点に据え付けられたものだ。

 日の出から一時間ごとに鳴らされる。

 時間が分かりやすいよう、偶数時には二回、奇数の時には一回鳴らされるのがお決まりだった。


 だが同じ塔とはいえ今は下層にいるからか、聞こえる音はわりに小さなものだった。


「なに食べましょうか、シド様」


 人気の多い食堂で、ミスティアがそんなことを聞いてくる。

 シドは特に何も考えず答える。


「君に任せる」


 歩いている場所は、魔導塔にいる学生たちで溢れていた。

 非常にごみごみとしている。

 魔導塔は学び舎でもあるため、学院が占有する下層に行けばこうした学生たちの姿はよく見かける。

 今シドがいるのは、塔の四階にある学生たちの憩いの場である食堂だった。

 昼時の今は、赤やら青のローブを着た学生が、数えきれないほどかじりついている。


 ともかくミスティアは任せると、そう言われたミスティアは自信ありげに頷く。


「はい、了解です!」

「激辛はやめろよ。絶対だぞ」


 任せると言いつつも釘を刺した。

 サウスローネの連中はどういうわけか、どいつもこいつも辛いものが好きなのだ。

 同じ姓を名乗る一門であっても、血の繋がりなどどこにもない。

 ただ魔術でのみで繋がる存在だ。

 なのに、それは彼女も例に漏れない。

 だから押し切られて、時たまシドは辛いものを流し込むことになる。


「かしこまりました」


 本当に分かっているのかどうか。

 元気よく言い置いて、ミスティアはがしゃがしゃと音をさせて駆け去る。

 一抹の不安を感じつつ彼女の背中を見送った。

 それから、近くに空いていた円卓に腰掛ける。


「…………」


 そうしてシドが一人で座って食事を待っていると、周りにいる学生たちもシドの存在に気が付き始めた。

 ひそひそと遠巻きな会話が聞こえ始める。

 内容は天才とか神童とか、ルシス=テンペストの再来とかそんなものだ。


「……くだらない」


 思わず、小さな声でつぶやいた。


 確かにシドはよわい十にしてロスタリアに存在する魔術、とりわけ戦闘に用いる物は大半を扱うことができる。

 しかしそれは彼自身の才覚ではない。

 さらに、『魔術師』の使徒としての力でさえないのだ。


 だからなにも知らない呑気な連中の声には、いつもうんざりさせられていた。


「シド様?! どこに?!!」


 ミスティアの声が聞こえた。

 ガントレットを装備した手で、器用に……いや、大した握力でがっしりと片手につき一つずつ木の盆を握っている。

 ……大声でシドを探しながら歩いていた。

 何も言わず席についたから、姿を見失ってしまったのだろう。


「なぁ、おい。帰ってもいいか?」


 椅子を蹴って立ち上がり、早足で近寄る。

 皮肉の棘を込めてそんな言葉をぶつけると、彼女は照れくさそうに笑った。


「迷子になってないか心配で」

「バカ言え。僕はこの塔のことを五十年以上前から知っている」


 そう言うと彼女はハッとしたように表情を固くした。


「……それもそうでしたねぇ」


 しかしすぐに明るい表情を取り戻す。

 少しだけ優しく微笑んで、席に連れて行ってくれるように頼んできた。


「では席にエスコートしていただけますか?」

「ああ」


 それから二人で円卓に座る。

 食事のトレイをを受け取った。

 ミスティアはガントレットを外し、その手を軽く振ってみせる。


「はーーーー。手が軽いです」


 腹の底に溜まった悪いものを吐き出すような、そんなため息だった。

 大げさではなく、あんなものをずっとつけていたら本当に疲れると思う。

 だからシドは問いかけてみた。


「普段は外したらどうだろう?」


 だが彼女はきっぱりと首を横に振る。


「いいえ、わたしはあなたの盾であり刃です。いついかなる時も気は抜きません」


 その言葉に、シドは彼女が護衛についたばかりの頃のことを思い出す。


 まだミスティアが十二歳の頃だったか。

 彼女はすでに学院を卒業し、魔導塔入りを認められていた才女だった。

 そしてサウスローネに名を連ね、中位魔術師を意味するミドルネームの『短い杖(ワンド)』を与えられた。

 こう見えてかなりの天才だ。


 そして、彼女はその実力からシドの護衛の任を受けた。

 以来、五年間尽くしてくれている。

 たとえ護衛が、使徒である自分には必要のないものであったとしても。


「精霊様ありがとう! いただきます!」


 ミスティアがそう言って手を合わせ、さじを握った。

 シドも何も言わずに手を合わせ、スプーンを手に取った。


 アトスの教えを捨てたロスタリアでは古く、また途絶えかけていた土着の信仰である精霊信仰が幅を利かせている。

 そしてそれはすなわち火や水、土に留まらず豊作などの曖昧な概念にさえそれを司る存在がいるのだと仮定し、交信を試みる教えのことだ。

 しかし信仰とはいえ大して敬っているわけでもない。


 ロスタリアの人々にとって、精霊とは崇めるべき神と言うよりは、いるかもしれない不可視の隣人だった。


「なぁ」


 スープをすくい一口飲み下して、シドはミスティアに声をかける。


「なんでしょう?」


 彼女は嬉しそうな様子で真っ赤な液体にさじを伸ばしていた。

 シドは一つため息を吐く。


「これ辛いよ」

「えっ……そんなはずは……! ちゃんと『辛くないこともない程度で』って言ったんですが……」


 おろおろとそんなことを言う。

 だからいっそ頭を抱えたくなった。


「……それ辛いんだよ。考えれば分かるだろ凍らせていいか?」


 バカは凍らせろ、これもまたロスタリアのことわざだ。


「ご、ごめんなさい……。私のと交換しますか?」

「飲むわけないだろそんな劇薬」


 ひりつく口で言い返して、シドはため息を吐く。


「はちみつ持ってきてくれ」

「甘いものでも食べましょう。あとで。気を確かに」


 またため息を吐いた。

 任せると言った手前あまりきつく文句を言うわけにもいかなかったから。

 だからもう文句はやめて感触するつもりだった。


「はぁ……」


 辛いものは苦手……嫌いだ。

 しかし食べ物を、かつて命あったはずのものを粗末にするのはもっと嫌いだった。

 だから我慢しつつ、今度はスープ皿の横に置かれたパンに手を伸ばした。


 そしてそれも、どういう訳か辛かった。



 ―――



 命は大事だ。

 尊いものだ。

 何故ならそれは、自我を持っているからだ。

 自我を奪うということは、世界を一つ塗りつぶすということだ。


 シドはそれを、誰よりも身にしみて知っている。


 今二人がいるのは、シドとミスティアの部屋だった。

 夜闇に覆われ、薄暗い部屋では、あかあかと燃える暖炉だけが唯一の光源だった。


 だがそこはまぁ、勝手知ったる自らの部屋だ。

 ろくに見えなくても、様子は手に取るように分かる。


 たとえば、入り口から見て左の壁には大きな大きな本棚がいくつも並んでいる。

 そして床にはそこら中に物が置き散らかされていることだろう。

 あとは部屋の隅のクローゼットからは服がはみ出ている。

 天幕付きのベッドのそばの絨毯じゅうたんには、厚手の長靴下がいくつも落ちているはず。

 それから、あえて言う気はしないが他にも物は沢山沢山散らばっているに違いない。


 シドは使用人をあまり近づけず、その上ミスティアもシドもだらしがないからこうなってしまう。

 なんてことを、暖炉のそばの椅子に腰掛けながら考えていた。


「おい、ミスティア」


 従者を呼んだ。

 彼女はベッドにいた。

 部屋の片隅に置かれた、シドのものより小さなベッドだ。

 ブーツを脱いで休んでいた彼女は、もそりと身を起こしたようだった。


 だからそのまま言葉を続ける。


「お祖父様のところに行ってくる」


 振り向きもせずに口にする。

 すると少しだけ息を呑んで、彼女が答える。


「……わたしも」

「いい。一人で行く」


 言い置いて、シドは椅子から腰を上げる。

 そして杖を手に取って自室を後にした。


「…………」


 廊下に出た。

 夜を満たす闇に目を凝らす。

 シドは広い道を歩き続ける。

 夜だが、記憶にあるどこぞの王城のようにわざわざ明かりはついていない。

 何故なら資源に乏しい同盟は節約を是としているからだ。

 また、この塔に自力で明かりをつけられないような雑魚は一人としていないからだ。


 そして当然シドも無詠唱で『光』と『燭台』のルーンを描き、杖の先に光を灯す。

 魔術の灯りを頼りに歩き続けて塔を登る。

 やがてシドはある部屋の前で足を止めた。


「入ってもいいか?」


 見張りの魔術師に声をかけた。

 すると突然の来訪に驚いたか、こくりと船を漕いでいた彼は怯えるようにして道を開ける。


「…………ん? こ、これは……! どうぞお入りください……」


 返事を聞いて、部屋に入ることにした。

 自分の体よりも大きな扉を、杖の一振り……『力場』の基礎ルーンを用いた魔術で開く。

 そうして足を踏み入れたのは広いが何もない部屋だ。

 広いからこそ殺風景に感じる。

 部屋の中央には、ベッドが一つぽつんと置かれている。


 そのベッドへとつかつかと歩を進めた。


「やぁ。お祖父様、あんたのせいで僕はえらく苦労してるんだぞ」


 ベッドには、マント付きの黒いローブを纏う痩せさばらえた老人が縛り付けられていた。

 比喩でも何でもなくベッドに胴を固定されている。

 シドの杖の光に照らされた彼の虚ろな顔は、書庫の窓に見えた虚像の顔に酷似していた。


「ぁ……あ……」

「まぁでも、あんたも哀れな人だからな。手打ちにしてやるよ」


 本当に、哀れとしか言えなかった。

 なにせこの老人は自我を破壊されてしまっているのだ。


 ……とは言っても、それは誰かがそうしたわけではない。

 とある魔術を使い、失敗し、勝手にこうなったのだ。

 結果として彼は人格を崩壊させ、シドは彼が蓄えた記憶を全て継承した。


 よって、そのお陰でシドは『魔術師』としての力を十全に振るうことができる。

 けれど時々自らの存在が、自我があやふやに感じることがある。

 迷惑しているのだ。


 手打ちにするとは言いつつも、腹立たしさを隠せずに言葉を続けた。


「……一週間後、ここに骸の勇者が来る。奴にはなんの期待もしてないが、それでも僕は魔王を殺す。今日はその報告をしに来た」

「あー、あーー……」


 何を言っても意味不明なことを口走るだけの老人だ。

 だからもう見切りをつけて、シドは部屋に帰ることに決めた。


「あんたの夢は僕が叶えてやる。伝説に名を残してやるさ。あくまでシド=テンペストとして、だが」


 それだけ言って、シドは老人に背を向ける。

 自らの杖の光に目を細め、小さく吐き捨てた。


「……どうせやるなら失敗なんざしてくれなかったら、僕も楽だったのにな」


 その呟きに答える者はない。

 やがてシドは夜の廊下を歩き始めた。

 けれど一度だけ足を止め、窓から外を見つめる。


 するとまた一瞬厳格な老人の顔が鏡像に重なった。

 だがそれを振り払ったシドは、地平の向こうにそびえているであろう魔王の領域を強く睨んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ