二章おまけ・禁字の効果と起源まとめ
『剋する者』
原初の禁字にして、全ての禁字の源流。
この形を深く分析することにより多くの禁字が見出された。
その由来はとある一人の魔術師。
教会の異端であり、ついには袂を分かつこととなる一派の一人の手になる物だった。
罪の始まりを担う者として教会から忌み嫌われるその名はカイネ=ルクサスという。
彼女は四十と少しを数える歳で、すでに最高の魔術師としての名をほしいがままにしていた。
夫と、それから聡明な二人の息子と共に暮らして教会の魔術師として人々を導いていた。
カイネは良き母であり妻であり導き手であり、すべての人が彼女を慕っていた。
だがそんな幸せな日々は、上位魔獣の襲撃により成す術もなく砕かれることとなる。
そして夫と子供を失いながらも生き残った彼女は、不可能にも近い復讐を誓う。
それからいくらかの後。
誰もが認める聖典の魔術師だった彼女は、力を求めて異端の道に自らを沈めることとなる。
だがそれにも満足できず、やがてはさらなる外道を歩み始めた。
全ては使徒にしか倒せない怪物、上位魔獣を人の手で倒すため。
そのためだけに、彼女は異端では飽き足らず禁忌に触れることとなったのだ。
理由は、決して通じないからだ。
人の魔術は、どうしようもないほどに上位魔獣に意味を成さない。
優秀な魔術師だった夫の、上位魔獣に薙ぎ払われた最後の姿がそれを示している。
だからさらなる力を得るため、カイネは人を捕らえては人体実験を繰り返した。
しかしやがて彼女は異端からも追放され、孤独になりながらも研究は続ける。
そして探究の果てに知った上位魔獣に魔術が通じない理由は、人の体に備わる限界だった。
人は、自らが生が危うくなるほどに魔力を放出することはできない。
ある量以上の魔力を込めようとすれば、それは生存本能により遮られてしまう。
その限界は人により様々で、彼女のそれは常人よりも遥かに高い位置にあった。
だが彼女の力でさえ上位魔獣を殺すには全く足りなかった。
故に、より高みを目指すために彼女は限界を覆す必要があった。
だから限界を超えるためにまた人をさらい、非道を成し、追手に怯え、孤独に耐える。
そのような病んだ日々が続いた。
だが日々の苦しみは、彼女の狂った復讐への決意をさらに固くした。
やがてどれだけの年月が経っただろう。
髪の白い老婆に成り果てた彼女は、とある戦場へと杖を握り忍び込んでいた。
勇者が訪れているというこの戦場には上位魔獣がいる。
戦役も終わりかけで、もう最後の機会になるのかもしれなかった。
だから完成した術を頼りに、この機を逃さじと彼女は足を運んだのだ。
深い隈に囲まれ、脂の浮いた目を凝らし彼女はその時を待つ。
激戦の最中だが、すでに魔術の頂に至って久しい彼女を殺せるような下位魔獣など存在しない。
無人の野に立つようにして、阻む者だけを焼き払い彼女は上位魔獣を探した。
そして、ついに彼女は悲願の時を迎えることとなる。
前方から来た。
圧倒的な力を振りまく獣は、奇しくも故郷を滅ぼした上位魔獣と同じ個体だった。
逃げ惑う兵士を押しのけるようにして敵に歩み寄り、魔術を練る。
そして限界を超え、遥かに超え、死を賭して放った巨大な炎の槍は……上位魔獣の身体を僅かに削った。
失望の中、全ての魔力を失い倒れた彼女に魔獣が群がる。
突き殺される紅い視界の中、カイネは勇者の一撃がいとも容易く上位魔獣を仕留める情景を見た。
人の身では神話には辿り着けない。
限界を超えたとはいえ、結局ぶつけられる魔力は本人のもの、そしてそれは所詮人のものなのだから。
後悔と屈辱にまみれたその物語は、皮肉にも救いを求めて神に祈ることの大切さを教える、何にも変えがたい教訓だ。
この禁字により発動する魔術は、存在しない。
それは原初だが、例外的にこれ単体では用いることはできないのだ。
『天』の上位ルーンと同じく魔術の威力を高めるために組み込まれるものであり、あるいは彼女が目指したのはその先だったのだろう。
被験体ゼクスに刻まれた禁字。
彼女は禁字こそ完全に制御することができたが、魔力の補給機構の異常により老いた姿となり廃棄された。
立つことすら叶わないほどに衰弱していた彼女だが、被験体ツヴァイによる蘇生後は、彼の側から魔力の管理をすることで虚弱から脱することができた。
―――
『貪る者』
六番目の禁字。
使用は禁術の中では比較的容易く、発動により魂を喰らう機能を持つ。
最も厳重に封印された禁字の一つ。
強い者が正義だというのならば、強くなるための手段はその尽くが正当化されるだろう。
そして彼女が生まれた場所では、これは正しく事実だった。
大陸の辺境、ろくでもない積み荷だけが届くとある隠れた港町。
人喰らいアネットは暗殺者たちの若き長によって育てられた。
その資質を見込まれ拾われた彼女は、長によりあらゆる技術を叩き込まれることとなる。
武器も魔術も修めた少女は、やがて暗殺者として成熟の域に至った。
非人道的なまでの訓練の中で、一度も褒められることはなかったけれど。
そんなある日のこと。
彼女は度胸だめしにと一人、親代わりだった長により人を殺すことを強要される。
標的はそのあたりで酒を飲んでいたごく善良な男だったが、彼女は顔色一つ変えることなく命を奪った。
血に染まった手をぼんやりと見つめて、それでも長に褒められることはなかった。
それからは殺しの日々だった。
来る日も来る日も人を殺し、長のためにどんな汚れた依頼も果たした。
やはり褒められることは、なかったが。
少女はやがて女性となり、ただ長の剣で在り続ける。
一度も褒めてはもらえなかったが、それでも長を愛して、慕っていた。
それこそが彼女に残された、唯一の人間らしい感情だった。
そして彼女はある日、意を決して長に問いかける。
自分を愛してはくれないかと、あなたのためならなんでもするからと。
しかしそれでも、長は首を縦には振らなかった。
俺より弱いお前を、愛することはできないと。
長に言わせれば愛とは媚びだった。
弱い者が徒党を組むために、あるいは庇護を得るために。
他者にすり寄るそれの小ぎれいなお題目でしかないのだ。
俺に愛を乞うのなら、せめて俺より強くなれと。
そう言われた彼女は、力を渇望した。
愛してほしかったから。
そして禁術と呼ばれるものをその手段に選んだのは、どんな代償でも払う覚悟があったから。
ある時は大金を積んだ、ある時は神官に抱かれた。
あらゆる手を尽くして禁術について知見を深め、しかし探求の果てにこれでは駄目だと彼女は悟った。
途方もない代償、それはいい。
しかし禁術が与えるのは一時の強さだ。
こんなものでは、あの人に振り向いてはもらえない。
だから彼女は生み出すことにした。
そしてそれは、新たな禁術として数えられることとなる。
『貪る者』。
それを生み出した彼女は、貪り貪りその果てに愛を得ることはできたのだろうか。
記録によれば人喰らいアネットはとある暗殺集団の長をも喰らった。
それは悲劇だったのか、あるいは力に取り憑かれた彼女の食事でしかなかったのか。
褒めてもらうことは、果たしてできたのだろうか。
この禁字により発動する魔術は『六式』。
最大詠唱時には紅い光により命を奪う致命の魔術となる。
それは強力な魂を持つ相手には格段に効果が落ちるが、その本質はむしろ喰らい続けることによる成長である。
その歩みは遅いが、確かでありまた無限である。
どこまでも続く成長の物語は、あるいはカイネが目指した境地へと至ることもできるものかもしれない。
――――
『侵す者』
十番目の禁字。
死体を操る、『貪る者』と並んで最も忌まわしい禁術。
使用者はいかなる事情があっても処刑される。
死を弄んだ罪は、その死によっても贖われはしないのだ。
その青年は奇妙に死と縁深かった。
不幸にして両親を幼い内に失い、遠縁の男に引き取られた。
彼の親の財産を食い潰すその男は、屋敷の階段で転んである日突然死んだ。
そうして彼は、一人になった。
他にも挙げればキリがないほどに青年は死に立ち会った。
道を歩いていると、突然暴漢が現れて周囲にいた人間を何人も殺した。
家の窓から外を眺めていると、暴走した馬車が人々を轢き潰した。
届け物を頼むと、運び屋が旅先で死んだ。
文通していた友人が病に倒れた。
そんな青年の人生に目立った幸運があったとすれば、それは親が富豪だったこと。
美しい顔立ちをしていたこと。
自らの体は病など知らないほどに丈夫だったこと。
これだけだった。
なんとなく自分は「そういう人間」なのだと悟った青年は、遠い山奥でひっそりと自給自足をしつつ暮らしていくことに決めた。
知り合いもほとんどいないし、特に躊躇いはしなかった。
小さな小屋で、ひっそりと暮らす。
有り余る財産の殆どを人手に渡し、手に入れたのは自給自足できるだけの設備だった。
それから大量の魔術の書も。
まだ若い、少年の気配が残るその青年は、長い人生の暇を魔術に費やすことに決めたのだった。
かねてより読書を好んだその青年は、農作業を含むあらゆることについて知識だけは誰よりも多く持ち合わせていた。
だから二、三年経てば生活は並の農民よりずっと安定し、暇つぶしだった魔術は本業のようになり始めた。
それが幸いなのかは分からない。
しかし天才と呼べる程度には才能も備わっていて、だから彼はまたたく間に一端の魔術師へと成長した。
魔術を駆使すれば日々の農作業はさらに簡単に終わった。
するとさらに魔術に費やす時間は増える。
すると魔術が上達し、またさらに作業は捗るようになる。
この好循環にも当然限界はある。
だが魔術の入り口に立つ青年にとって、いずれ来る限界はまだまだ先のことだ。
彼が魔術に費やす時間は少しずつ少しずつ増え続けた。
そして、それはとある日の朝のことだった。
みすぼらしい姿で、傷だらけの少女が一人、青年の家を訪ねてきた。
血の滲む、重りの鉄球がついた足枷を見れば、彼女がどのような身分なのかは当然察せられた。
青年の国には近頃絶えつつある奴隷制度が残っている。
だから彼女は法により定められた奴隷だ。
民草が王の統治に疑問を持たないように、法としてある以上は青年も奴隷が特に間違っているとは思わない。
ことさらに虐待したりしないつもりならば、奴隷の扱いには文句もない。
しかし目の前の少女は、その虐待を受けて逃げ出してきたように見えた。
「死ぬのは嫌か?」
と、それだけを青年は問いかけた。
すると奴隷だった少女は、
「いやじゃありませんが、あそこで死ぬのは……嫌です」
と、そう答えた。
それならば、死んでもいいなら、側に置いてもいいか。
そう思った青年と、少女の奇妙な共同生活が始まった。
親子でもなく兄妹でもなく恋人でもなく友人でもなく、ただ共に暮らし言葉を交わす。
それは、孤独に倦んでいた青年にとってはちょうどよい「おままごと」だった。
少なくとも、青年にとっては。
一年経ち、少女が青年の名前を呼ぶようになった。
二年経ち、少女が青年の前で笑うようになった。
三年経ち、少女が青年にやたらとそばに居座るようになった。
そして少女は、いつまで経っても青年の前からいなくならなかった。
こうして続いた日々のある日。
青年は趣味で作った薬を街に売りに行った。
彼の薬は質が高いのでよく売れる。
なのですぐに帰ってこられるだろうと思っていた。
だがその日に限って中々売れず、売り切れる頃には日が暮れかけていた。
そして家に帰ろうと歩いていた時。
とある金持ちが逃げた奴隷の居場所を知り、捕まえに行ったのだという噂を偶然耳に入れた。
青年は、少女を思い出した。
そして、ままごとだと思っていた日々の大切さを知った。
青年は走った。
邪魔な荷物もなにもかも捨てて、ただ二人の家へと走った。
誰かがいる暖かさを知らなかったから、気づけなかったのだ。
幸せな日々の重みを理解できなかった、いや……失うのが怖くて、見えないフリをしていたのだ。
家につき、乱暴にドアを開ける。
すると愛しい彼女はテーブルをきれいに拭いていて、青年の帰宅に気がつくとにこりと微笑んで口を開いた。
「おかえりなさい」
どうも早とちりをしていたらしい青年は、それでも何よりも大切なものに気がつくことができた。
少女を抱きしめて声を上げて泣いて、なんだかもらい泣きしてしまった少女も一緒に泣いた。
けれど雨空が晴れるように、二人はやがて泣き止んでは笑った。
そんな小さな事件の後、二人はいつまでもいつまでも仲良く幸せに暮らした。
そしていつしか時が経ち誰もいなくなった小屋には、この禁術がひっそりと、ただそれだけで遺されていた。
この禁字により発動する魔術は『十式』。
それは最低最悪の禁術である。
魂を弄び死体を動かすその術は、生命に対するこれ以上ないほどの冒涜とされる。
しかしそれを生んだ物語は幸福なものであり、これは幸福の影に潜む恐怖に気がついた青年が、ひとりで密かに作り上げたものだった。
作り出した禁術をついに使うことのなかった、名すら伝わらない青年はきっと幸せな生を送ったのだろう。
被験体ツヴァイに刻まれた禁字。
しかし当初この禁字は機能不全に陥っており、加えて彼自身による魔術の使用が不可能になった。
それ故にツヴァイは処分されることとなる。
だが死の間際、彼は許されない言葉を聞いた。
この声に対する怒りこそが、ツヴァイに機能不全の禁字を使う力を与えたのかもしれない。
甚だ非論理的な話ではあるが、一方で刻印されたルーンとは感覚的に扱うことができるものだ。
つまり、使用者の意思の影響を受けるものだ。
だからこそ激しい怒り、強い意思を受けて何かが起こった可能性はあった。
事実、ツヴァイとの決戦時の禁字の機能低下は、取り込まれた実験体たちの意思が機能を抑制したことによるものだった。
殉教者隊とは、家族に見捨てられた子供たちの集いである。
ゼクスという例外はいるものの、人造使徒もそれには変わりはない。
家族を知らない彼らは、それ故に新たにできた家族を愛し、死してなお立ち上がるほどの決意を持つことができた。
―――
『穢す者』
十三番目の禁字。
血を操る力をもたらし、また目立った副作用もないがそれはアトス教の下においては許されぬ魔術である。
水魔術、というものがある。
水を操り濁流に変え敵を押し流し、刃に変え敵を切り裂くことを理想とする魔術である。
だが、それは余りに弱かった。
水の魔術のためには空気中の水分を凝縮する必要があるが、まずそれが難しい。
氷ならば冷やすと決めればどこまでも冷やすことができる。
火ならばどこまでも熱しても良い。
しかし水とは、摂氏一度から九十九度までに少なくとも収めなければならない。
この制御が複雑であり、また首尾よく水を生成したとしても今度は流体を完璧に掌握するという問題が立ちはだかる。
それにそもそも水の刃で敵を切り裂くくらいなら、氷や風の刃をぶつけた方がよほど簡単で手っ取り早い。
いたずらに難しく消費の多い水魔術など誰が使うものか。
いや、誰も使いはしなかった。
しかし、そんなものをこよなく愛する愚か者が一人いた。
当代最強の水魔術師を自称するニゾル=ハドリアだ。
とはいえ、彼は弱かった。
相対的に当代最強の水魔術師ではあるが、ひたすらに弱かった。
そしてそれは当然だった。
水魔術など、実用に値するレベルで扱えるのはそれこそ『魔術師』くらいだし、『魔術師』なら他の魔術を使えば遥かに大きな戦果を挙げることは間違いなかった。
水魔術には、これっぽっちも存在意義がなかった。
飲み水に困らないくらいか。
だが、ニゾルはある日重大な発見をする。
川の近くでその水を利用して水魔術を使えば、結構強いぞと。
それに気がついたニゾルは早速川沿いに引っ越して、連日大魔術師気分を味わうことにした。
しかしそれだって一年もすれば飽きてしまう。
探究心が顔を出して、ニゾルは新たな研究に取り組む。
液体を利用すれば水魔術の使い勝手が上がるなら、血を使ってみてはどうかと。
結果から言うのならば、それは大成功だった。
血はそれ自体が魔力を含んでいるので、消費魔力の軽減すら成し遂げた。
感涙モノだった。
逆さ吊りの羊の首を切り飛ばして、血の雨に濡れながらニゾルは雄叫びを上げる。
そして血を操り、大木を真っ二つに切り裂いた。
だがある日教会から呼び出されたニゾルは、愛する愛する『穢す者』の使用を禁止される。
背けば最悪火刑と、そんなことまで匂わされてはどうしようもなかった。
魔力を巡らせる血とは、アトス教において神聖なシンボルの一つである。
みだりに絞り出して、魔力を巡らせるという働きを奪うなど許されはしない。
そして失意の底に沈んだニゾルは、生涯を川を眺めて過ごしたと言う。
この禁字は被験体ノインに刻印されている。
同被験体の攻撃性能の向上もそうだが、主には失血死を防ぐ目的で刻印されたようだ。
この禁字により発動する魔術は存在しない。
『穢す者』は広義で言うならば基礎ルーンの一つであり、それにより行使される魔術は【血魔術】とでも呼ぶべきだろう。
故にノインには他にいくつかのルーンが重ねて刻まれており、それによって血を操る力を得ている。
この禁字には隠された活用法が存在するが、それに誰かが気が付くようなことは恐らく永遠にないだろう。
―――
『癒やす者』
十七番目の禁字。
傷を塞ぐ。ただそれだけのもの。
莫大な魔術消費と、「ある欠陥」により禁術となった。
戦場に立ち続けるというのは、それだけ多くの死を見つめるということだ。
『光』のルーンの扱いに長け、治癒術を特によくこなしたその男の名はアーロン=オルフェリアという。
彼は前線にあって多くの兵を癒やし、救い続けた。
しかし、彼は『治癒師』ではない。
使徒ではない彼には救えない者もまた多くいた。
けれど人としては破格の能力を持つが故に、常に前線に送られ続けた。
だから死に触れ続けて、彼の心はいつしか壊れることとなった。
人を治す、それは最早彼にとっては光栄ある使命ではなかった。
暗く淀んだ死者の恨み言から逃れるための手段だった。
治さなければ、治さなければ責められる。
今も視界に映るあの亡者たちが何故救ってくれなかったと呻いている。
治さなければならない。
そうでなければ、自分が死ぬしか逃げる方法はないのだ。
取り憑かれたように治癒術を研究した。
終戦の後、王都の救護院の要職に収まってもそれは変わらなかった。
そしてその研究の中、彼は偶然一つの間違いを犯した。
だがその間違いは治癒魔術とは違う方向に研究を進ませ、『癒やす者』が見出されるきっかけとなった。
『癒やす者』の欠陥は欠落だ。
その禁術はあらゆる傷を癒やすが、必ず元通りに癒やすとは限らない。
つまりは「元に戻す力が弱い」のだ。
腹を刺されれば、あるいは足が折られれば『癒やす者』は的確に傷を塞ぎ、骨を繋ぐだろう。
だが足をまるごと失ってしまえば、最早足を取り戻させることはできない。
同じだけの骨片と肉塊を足があった場所に繋ぐだけだ。
『癒やす者』とは、言うなれば肉を生む魔術である。
肉で満たされた体という容器。
その中の肉がこぼれれば満たすことはできるが、決して容器そのものを修復することはできない。
故にそれは、ある程度形が残っているものにしか使用するべきではないだろう。
被験体アハトの体は、念入りで丁寧で考え抜かれた破壊により、脳などの重要器官を除いて『癒やす者』の肉に置き換えられた。
彼はその状態でも生命を保つことはできたが、最早まともな自我は失っていた。
だから合わせて刻まれていた『厭わぬ者』と『癒やす者』による自律的支援は望めなくなり、廃棄が決定された。
だが被験体ツヴァイによる蘇生後は、彼の命令かアハトの意思かは不明だが、被験体ゼクスの支援を行うことが可能になった。
この禁字により発動する魔術は『十七式』。
それは危うい治癒の魔術。
おぞましい肉の塊に囲まれたアーロンは、それでも笑っていたという。
―――
『朽ちぬ者』
十九番目の禁字。
『癒やす者』よりはずっと上等な治癒の禁字である。
しかし魔力の消費はそれよりも激しく、故に禁字とされた。
『朽ちぬ者』はその成立からして罪である。
何故なら『朽ちぬ者』とは治癒魔術に最適化された『剋する者』と、治癒魔術の要素を組み合わせた禁字であるからだ。
禁字が組み込まれたルーンなどが、到底認められるはずもない。
加えて、最適化というのも消費魔力の軽減ではない。
さらなる消費を招いた上で、とてつもない回復効果を発揮する方向に進化している。
よって人の限界を超えた治癒魔術は、並の術者の命などあっさりと奪い去る。
これでは術者も回復対象も、奇跡でも使われた方が互いに幸せなはずだ。
だから、やむをえずこれを使う際はよく考えるべきだろう。
……と、この禁字の作り手たるミア=ハートレスは死の間際に呟いたと言う。
重症を負い、昏睡状態のまま目覚めなくなった恋人のために彼女はこの術を作り出した。
けれど魔力が足りぬ故に恋人は目を覚まさず、ミア自身は極大の魔力消費による負担で衰弱死することとなった。
この禁字により発動する魔術は『十九式』。
あらゆる意味で出来損ないの術である。
しかし仮に魔力を無限に蓄えているというのならば、これ以上ないほどの素晴らしい魔術となるはずだ。
―――
『厭わぬ者』
二十番目の禁字。
絶大な身体負荷と魔力消費を代償に、人の限界を遥かに超越した刹那の剛力を得る。
この術を使えば、使用者の身体は瞬く間に崩壊を始める。
最高の身体能力を望むならば、たとえそれがどれほど頑健な肉体でも、三十秒にも満たない時間で脆くも崩れ去るだろう。
『厭わぬ者』の由来は今に至るまで明らかになってはいない。
多くの学説がある中、最も有力だとされるのはある一人の英雄が使った魔術であったというものだ。
その説によると、大剣を振るい無敗を誇る傭兵、流浪騎士クロードであるという。
彼のその強さの秘訣こそが、この魔術だったそうだ。
とはいえ最初は禁術と呼ばれるようなものではなかった。
ごく普通の身体強化魔術より少し効率が悪い程度の……彼自身の手になる固有魔術だった。
まだ新兵だった頃、少しかじった魔術でクロードは身体強化の魔術を生み出す。
だがそれは、多くの潜りの魔術師が生み出す物と同じく、消費と効果が釣り合わない無駄の多い駄作だった。
それからある程度戦いの経験を積んだ頃。
改良を重ねられたルーンは、燃費の悪さこそ相変わらずだが、消費に見合うだけの効果を持つ術に生まれ変わっていた。
そして傭兵として名を馳せ始めた頃。
燃費の悪さにはさらに拍車がかかっていた。
けれど他の追随を許さない爆発力によって、その魔術は幾度となくクロードを助けた。
最後に、クロードが自らの傭兵団を抱えるまでになった頃。
燃費の悪さに加え、重大な肉体への負荷を伴うようなルーンに変貌を遂げていた。
だがそれは、一度使えば中位魔獣すら退けるほどの力を与える、最強の魔術となった。
この魔術がその後、どの時期に『厭わぬ者』に成り果てたのかは誰も知らない。
けれど、確かなことが一つ。
老いた流浪騎士の英雄譚の最後は、上位魔獣を十数秒食い止める、常人には余りに長く、そして短い決戦で締めくくられている。
今際の際、部下に囲まれたクロードは幸せを噛み締めた。
そして一人の愛弟子に何かを託したという。
それこそが『厭わぬ者』であるとされる。
しかしやがて、秘伝の術は傭兵団の外に漏れて禁字とされてしまった。
と、いうのがその説の概要だが、教会はこれを否定している。
教会が認める英雄である流浪騎士を、禁術の担い手などにできないという事情があったからだ。
しかしその反面、この禁術には唯一使用による罰則が設けられてはいない。
とはいえこれもやはり禁術であり、己の身を大切に思うのならば安易に用いるべきではないだろう。
この禁字により発動する魔術は『二十式』
被験体ノインは『朽ちぬ者』との併用により死に至ることなくこの魔術を扱う。
しかしそんなことで、果たして本当にすべての代償を打ち消すことができるのだろうか。
少女は代償の意味を未だ知らず、けれど勇気の意味はすでに知っている。




