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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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三十一話・生命審判『追憶と決戦』

 


 ノインは状況を理解できずにいた。

 もう話せないのだと諦めたのに。

 それなのに、アッシュとアリスが勝手に話を決めてしまったのだ。


「おい、アリス。話すとは言ってもどうするつもりだ」


 召喚獣により耳元でアッシュの声がする。

 そしてそれに、アリスが答えた。


「感応魔術ですよ。私がツヴァイさんの心をこじ開けます」

「なるほど。じゃあ、どうすればいい」

「? 変に従順というか……どうしたんですか?」

「気まぐれだ」


 アッシュはあっさりと納得して、従う姿勢を見せていた。

 けれどノインの方は納得できてはいなかった。


「もう話せるわけ、ないじゃないですか」


 だってさっき、確かに殺そうとしてきた。

 ノインの知るツヴァイなら絶対にそんなことをしない。

 だから、もう駄目だと思うしかなかった。


 しかしアリスが言う。


「大丈夫です、信じてください」


 その力強い声にノインが黙り込むと、彼女はそのまま指示を出し始める。


「では始めましょう。召喚獣を操る時と同じように、ツヴァイさんの心にも入り込みます」

「分かった。それで俺たちは何を?」


 アッシュの問いに、アリスは少し考え込む。

 それから答えた。


「……そう、ですね。空っぽの召喚獣と違って遠隔からは入り込めそうにはないので。まずは私の方で直接の接触を試みてみます。隙を作ってください」

「隙を作る? まぁ、了解した」


 何も言わず黙り込んで俯いていると、いつの間にかそばに来ていたアッシュから声をかけられる。


「君も聞いていただろう。俺についてきてくれ」


 焼け焦げた魔人の姿が、ノインの脇を歩き去る。

 そして少し進んでこちらへと振り向いた。


「どうした?」

「……どうせ無理です」


 もう遅いと思った。

 ツヴァイがノインに鎌を振りかざしたあの瞬間、ノインはすでに絶望したのだ。

 もう分かり合えることはないのだと悟ったのだ。


 だから無理だと言うと、アッシュは常と変わらない静かな視線を向けてくる。

 そしてあくまで短くノインに答えた。


「ならそこで待っていろ。……俺は、先に行く」


 それから一瞬で、彼はその場を立ち去る。


「…………」


 俯いていた顔を上げると、すでにアッシュはツヴァイの前に立っていた。


「アリス、お前は空にいろ。一撃でも貰えば死ぬ」

「分かりました」

「ただ、ツヴァイを飛ばせないでくれ。それだけでいい」


 会話が終わるかどうかと言う時、ツヴァイが咆哮する。

 猛々しく、おぞましい獣の叫びだった。


「ガァァァァァァァッ!!」


 そして鎌を振りかざしノインの元へ来ようとする。

 だがアッシュはそれを遮り、鎌を持つ右腕に鎖を巻き付けた。


「お前の相手は俺だ」


 ツヴァイは鎖を荒々しく引き、アッシュを振り回そうとする。

 しかし次の瞬間に鎖が燃え上がり、力が緩んだ。


「穿て」


 それから杭が三発放たれる。

 ツヴァイをよろめかせた。

 そしてその隙をついて、闇から這い出してきた影の兵士がツヴァイへと刃を突き立てようとする、が。


「…………?」


 突如、周囲の空気が冷え切る。

 元々秋の夜で、決して暖かいわけではなかった。

 しかし肌寒いという次元を超越した、凍りつくような冷たさが辺りを支配する。


 アッシュの叫び声が聞こえた。


「おい、下だ!」

「!」


 咄嗟に身をよじる。

 だが遅かった。


「っ……」


 痛みはないものの、やはりそれは心地の良い感触ではない。

 深々と腹を、腕を、体のあちこちを貫いたそれは、氷の柱だ。

 ツヴァイを中心に半径百メートルほどの地面が……完全に氷結していた。

 さらに突き出た氷は、退避したらしいアッシュの腕をも貫いていた。


 そして影の兵士は、当然その全てが消滅している。


「う……っ」


 ノインは杭から体を抜こうとする。

 すると、その前に氷が砕け散って急速に形を失う。

 だからノインは流れる血を『穢す者』の力で制御する。

 さらにロザリオから引き出した血で薄く鎧を形作り、わずかに地に残る氷を踏み砕いた。

 走り始める。


「ノインちゃん、大丈夫ですかっ!」


 アリスの言葉には答えない。


 そうだ。

 アッシュもアリスも関係ない。

 やるべきことをやらなければ。

 やりたくなくてもやるのだ。

 何も感じてはいけない。

 終わらせてやるのだ。


 そう決めて走り出した。

 かつての家族の名を、叫ぶ。


「……ツヴァイ!!」


 刃に血を纏わせて斬りかかる。

 だがそれは鎌の一撃であっさりと振り払われた。

 ノインはたたらを踏む。

 しかし体勢を崩しながらも左手に血を集めて射出した。

 流体の刃でツヴァイを抉り、なんとか追撃は逃れる。


 そこで、アッシュが何かを言う。


「おい。先行するな。聞こえていないのか?」


 しかし聞かない。

 機械的に腕を振り上げ、幾度も剣を交わした。

 ツヴァイを殺さなければならない。


「ノ、イ………ン……アァァァァァァ!」


 突然、耳に届いたのは呻くような叫びだった。

 それから、ツヴァイの動きが格段に加速する。


「!」


 見えない速さの斬撃だ。

 身を凍らせるような殺意を受けて、かろうじて剣を盾にできた。

 しかしそんなものは気休めにもならない。

 無様に吹き飛ばされ、気がつけば剣を手放していた。

 剣を通じて電撃が流れたのかもしれない。

 右腕の、肘から先は完全に焦げついている。

 肉の焼けた匂いがかすかに漂う。

 骨も砕けてしばらくは動かせそうになかった。


 だがそれでも、追撃を逃れるために走ろうとした……その時。

 すでにツヴァイが目の前に来て、刃を振り下ろそうとしていた。


「…………っ」


 再生するとは言え、急所を完膚なきまでに破壊されたならばどうしようもない。

 不死性を持たないノインにとっては、その雷光の刃は死を与えるのに不足のないものだった。


 だから死を予感して目を瞑るが、それはいつまでも訪れない。

 目を開く。


「お前の相手は俺がすると言っただろう」


 血飛沫が飛んだのを感じた。

 目の前には白銀の騎士が立っている。

 いつの間にかツヴァイの首が飛ばされていた。

 同時に、振り下ろそうとしていた右腕も斬り落とされていた。


「ガァァァァッ!!!」


 しかし肩口から、凄まじい速さで肉が盛り上がる。

 首が再生される。

 さらに腕の断面から触手が伸びて、落ちた腕を捕まえて元通りに接続した。


 瞬く間に戦闘能力を取り戻したツヴァイは、狂乱に任せてアッシュに斬りかかる。


「っ! この……!」


 今のアッシュにとってもツヴァイの相手は荷が重いようだった。

 さらに再生の途中で、まだ動けないノインを庇っていては回避することもできない。


 炎の刃と雷光の鎌は何度もぶつかり合う。

 しかし徐々に剣が押されて、ノインの目にも劣勢が明らかになった時。


「もういいですよ、アッシュさん」


 アッシュとの斬り合いに意識を集中していたツヴァイの、その背中に影の兵士が刃を突き立てていた。


「……了解」


 呟くように答えたアッシュの前に、鋼の壁がいくつもいくつも現れる。

 そしてツヴァイを少しだけ押し留めた。

 続けて、こちらへ来てアッシュはノインを抱き上げる。

 すぐに離脱する。


「…………」


 脇目も振らずに走り、ツヴァイからかなり距離を取った所でようやくノインを下ろす。

 そして、なんとか立ち上がったノインは謝った。


「……すみません」

「気にしなくていい」


 そう答える彼の視線はこちらには向けられていない。

 影の兵士に刃を突き立てられた瞬間、滅烈な暴れ方をし始めたツヴァイをじっと見つめている。


「…………」


 遠く見える今のツヴァイには、まるで何も見えてはいないかのようだった。

 ただ鎌を振り回し、奇跡を撒き散らす。

 周囲が凍りつき、光が振り回され、風が荒れ狂う。

 そんな暴走の果て、突如壊れたようにツヴァイが動きを止めた。


「成功したのか?」


 アッシュが誰ともなく……いや、恐らくはアリスに向けてそう問いかける。

 すると耳元で、少し疲れたような彼女の声が聞こえた。


「ええ、なんとか」

「そうか」


 短く答えたアッシュ。

 そこで二人の会話は終わり、アリスがノインへと語りかけてくる。


「あなたのそばに、人影を送りました。その手に触れれば、あなたは仲間に会うことができます」


 果たして目の前には、ツヴァイを刺したものにも似た人影が一体立っていた。

 おそるおそる、手を差し伸べる影に目を向けた。

 けれど悩むのは一瞬だった。


 ノインは人影の手に、自らの手を添えた。

 すると目の前の景色が歪み、次の瞬間には真っ白に漂白される。


 ―――



 ロクな人生ではなかった。

 でも、そんなでも少しは楽しいことだってあるもの。


 例えばそう、私は目の前のこの女の子を結構気に入っていた。


『何をしてるの?』


 送るのは、そんな簡潔なハンドサイン。

 そして私達がいるのは修道院のある一室。

 まぁまぁ広いそこには九人の実験体がまとめて押し込められていた。

 おまけにいつも部屋の外に監視がいて、声を出すのも許されなくて……まぁ、そんな感じだった。


 それはともかく私の目の前、膝を抱いて座るノインは私へ向けてハンドサインを返す。


『外のことについて考えてたんです』


 その浮かない顔に、私は昨日の一幕を思い出す。

 見張りが交代で抜けている間にツヴァイが話した、化け物ネズミの話についてだ。

 そしてそれを聞いたノインは、夜あまり眠れないほどに怖がったのだ。

 あんな話なんかより、ずっと過酷な実験を乗り越えてきたのに、変な話だとは思うものの。


『ん? ツヴァイの化けネズミがまだ気になるのかな?』


 私がそう言うと、ノインは手を動かそうとして、結局やめた。


『…………』


 私達に与えられたこのハンドサインは、全くお堅くて仕方がなかった。

 だから『バカ』とか『化けネズミ』とかそんな下らない言葉は言い表すことができなかった。

 が、ドライがこっそり改造して仲間にだけ教えていた。


 それによる会話は私達にとっての数少ない楽しみの一つになったのだが、今はそれよりノインのことだろう。


『どうかした?』

『いえ、昨日沢山考えて、化けネズミはいないんじゃないかって思ったんです。だからそれは違うんです』

「っ……」

「?」


 噴き出しそうになった私に咎めるような、それでいて不思議そうな視線をノインが向けてくる。


『ごめんね』


 この子はこういうところがかわいい。

 真面目だから、傍から見てどんなにくだらないことにでも神妙に向き合うし、色んなことを真に受けてしまう。


 そしてそれは、周りの人間……特に私やツヴァイにとってはしばしば滑稽だった。


『それで? 外の何が気になるのかな?』

『……あたしがもし罪人でなかったら、どんなことをしていたんだろうと』


 そう言って私を見つめる赤い瞳に、胸の奥でくすぶっていた笑いの熱が冷めていく。


『…………』


 ノインはまだ、十三歳ほどだろうか。

 そうか、彼女くらいの歳なら……蝶よ花よと育てられていてもおかしくはないのだ。

 邪教の暗殺者として育てられた私は、俗世についてそう多くのことを知っている訳ではない。

 だがそれでも、外の世界を少しも知らないノインやアハトよりは……考えようによっては幸せなのかもしれなかった。


『そうだね。外の世界の女の子は毎日きれいな服を着て、美味しいご飯を食べているよ』


 両親に愛されているなどとは流石に言えず、だから私がそう伝える。

 すると……特にご飯のところでノインは目を輝かせる。

 けれど自分にはそのどちらも望みようがないと気がついたのか、彼女は瞳をかげらせて俯いた。


 でもまぁ。


 私だって、いたずらに落ち込ませたくてそんなことを言ったのではない。

 ちゃんと考えはあるのだ。


 黒ローブのすそに手を伸ばしたくし上げた。

 そしてそれを、力を込めて慎重に引き裂きながら私はノインへと微笑みかける。


『…………?』


 微笑みを咎めることも忘れて、ノインは食い入るように私の手元を見つめている。


 ああ、私には母の愛も美味しいご飯もきれいな洋服も、そのどれもが持ち合わせがない。


 けれど親愛なる小さな友人のために、これくらいはしてやれるのだ。


 ……さて、できた。


『……キミにリボンをあげよう。世界一かわいい、素敵なリボンだよ』


 まぁ少しだけ、嘘はつくけどね。


 ―――


 誰かの記憶をくぐり抜け、気がつけばノインは真っ白な空間に立ち尽くしていた。

 遠近感のない、どこまでも続きそうなひたすらに白に染まった空間。

 そこで右を向き、左を向き、すると背後から声をかけられる。


「えっと、ノインか。どうもツヴァイのバカが迷惑をかけているようだな」


 凛とした声。

 振り向くと、烏の濡れ羽のように美しい黒髪を伸ばした黒ローブの若い女性――――ゼクスがこちらを見て微笑んでいた。


 ゼクス?


「ああ、そうだよ。久し振り。……しかし、全く。馬鹿は死んでも治らんとは本当だったらしい。アインたちにもいい土産話になりそうだよ。笑えるね」


 あたしは、どうすればいい?


「ん? 決まってるだろう。あの、人の体を好き勝手してる無様な肉塊をブッ飛ばすんだ。なに、キミなら大丈夫。私も……少しは手を貸すから、ね?」


 そう言ってゼクスは親指を立てる。

 その仕草にノインは混乱して、また問いかけた。


 そのハンドサインはなんですか?


「んっと……君のそういうとこが大好きだった。……じゃあね、頑張るんだよ」


 最後に楽しげに瞳を細くして、ゼクスの姿は少しずつ薄れ始める。

 いや、ゼクスの姿ではなく、ノインの意識が…………。
















 『剋する者』、機能低下。



 ―――


「…………っ」


 次に目を開いた時、そこは元通りの夜の森だった。

 あちこち焼けて崩れて、相も変わらず酷い有様だった。


「目が覚めたようだな」

「……すみません」


 どうやら意識を失っている間、体を支えてくれていたらしいアッシュが背中から手を離す。

 それに小さく謝罪して、ノインは頭を振った。


 今、確かに。


「話せましたか?」

「…………」


 アリスの問いに黙り込む。

 あれは……自らの罪悪感が見せた都合のいい幻覚ではないのか?


 そんな疑念がノインの意識に滑り込む。

 けれど。


『……キミにリボンをあげよう。世界一かわいい、素敵なリボンだよ』


 そう言われた、記憶の中のノインは自分でも驚くほどに嬉しそうにしていた。

 もしあれが自分で作った幻覚だというのなら、果たしてノインはあんな風に笑うことを自分に許しただろうか?

 いや、許さない。

 たからあれは、本当のことだ。


「……話せ、ました。ゼクスがいました」


 答えると、自分でも意識せず涙を零してしまう。

 それはきっと、もう会えないと思っていた人に会えたからなのだろう。

 しかしノインはその涙を拭う。


 まだ泣くべき時ではない。

 だってまだ話さなければならない人はいるのだから。


「お願いします、あたしに力を貸してください。……もっと、あたしは話してみたいのです」


 嗚咽を噛み殺して言うと、アリスは弾んだ声で答えた。


「ええ、お任せください!」


 そこで、ノインは肩を叩かれて振り向く。

 すると大剣を左手に持ったアッシュがいた。


「行けるか?」

「……はい」

「そうか。それは……助かるな」


 やはり短く答えると彼はこちらに剣を渡す。

 再生した手で受け取って、両手で構えた。


 アリスの声が聞こえる。


「また隙を作ってください。もう一度感応します」

「了解」

「……分かりました」


 それぞれ答えて、ノインとアッシュは走り出す。

 行く先には、苦しみつつ手で頭を押さえるツヴァイがいる。


「ぐ……あ、がぁぁ!!!」


 まるで何かを振り切るように鎌を振るう。

 しかし、そこで一つ気がつく。


「アッシュ様」

「……ああ、分かってる」


 ツヴァイの鎌が纏う雷が、炎の翼が、その輝きをわずかに潜めていた。


「奇跡の出力が落ちている。『剋する者』が、機能不全になったか」

「…………」


『なに、キミなら大丈夫。私も……少しは手を貸すから、な?』


 まさか、とノインは思う。


「…………ゼクス」

「どうした?」

「……いえ」


 答えて、ノインはまた走る。

 アッシュと共にツヴァイの前に立つ。


「俺が前に出る。君は回り込んでくれ。……背中に目はないから、攻撃しやすい」


 簡潔な指示を残して、アッシュが踏み込む。

 そして身体能力も落としていたツヴァイと、対等に斬り結び始めた。


 彼の斬り下ろしを鎌が弾く。

 しかし反撃の閃光を、霞むほどの速さでアッシュがかわした。


 今の自分では到底ついてはいけない、レベルの違う攻防だった。

 けれどノインにも、やれることはあるはずだった。

 少なくともアッシュは、できることはあるといつか言ってくれた。


 だから素早く背後に回り込む。

 その背に、地を削る軌道で渾身の斬り上げを放つ。


「…………!」


 防御に、触手の束が出てきた。

 だから瀬戸際で勢いを削がれるが、隙を作り出すことはできた。

 閃光を避け、離れていたアッシュが一瞬でツヴァイに肉薄する。

 さらに、勢いをそのままにツヴァイの脇を通り抜ける。


「助かった」


 虫を通じてそんな声が聞こえた。

 そして次の瞬間、赤色の軌跡が数え切れないほど夜に刻まれる。

 すれ違いざまに斬っていたのだと、ノインは理解する。

 おびただしい数の斬撃を叩き込まれたツヴァイが、ぐらりと地に倒れた。


「アリス、やれ」


 アッシュが言った。

 立ち上がったツヴァイは空に飛び立とうとする。


 しかし。

 それを読んでいたアッシュの指示で、幾筋もの漆黒の閃光が降り注ぐ。

 空に至ったツヴァイを容赦なく失墜させる。


「っ……!」


 今度こそ即座には復帰できないダメージを受けて、ツヴァイは倒れ込む。

 そしてそのツヴァイに、人影が一体刃を刺した。


「……ノイン」


 また側に来ていたアッシュが、ノインのすぐ横を剣で指し示した。

 その仕草に導かれて視線を動かすと、そこには人影が一体手を差し出して立っていた。


 深呼吸して、言葉を告げる。


「……少し、行ってきます」

「ああ」


 そんなやり取りの後、人影の手に触れると意識が暗転する。


 ―――



 新しく来たあの女の子、僕より歳上のくせに毎日泣いてる。


 それをこっそり馬鹿にすると、ゼクスなんかは『キミだって最初は泣いてただろう』と笑う。

 あれは泣きマネだっていつも言ってるのに。

 泣いてたら聖職者たちも少しくらい優しくしてくれるって、そう思っただけだ。


 でもまぁ、その子は僕と違ってホントに泣いてる。

 ほら、今も固くてぼろぼろのベットの上。

 薄っぺらな毛布を抱いて、声を殺して、めそめそやってる。


 なんとなく寝つけなくなった僕は、自分のベットを這い出して、彼女のベッドのへりに腰かける。

 そして、嗚咽を押し殺すその肩を叩いた。


『また泣いてるの?』


 ハンドサインを送った。

 しかし返事はない。


「…………?」


 すすり泣きながら浮かべた、その不思議そうな表情に悟る。

 この子まだ、ハンドサインあんまり覚えてないんだと。


「……また泣いてるの?」


 今は夜中、見張りだってうとうとしてる。

 だから声を潜めて聞くと、ノインは身を起こした。

 それから、涙を一杯に貯めた目を見開く。


『…………』


 どうにか手を動かそうとして、けれど上手くできないのか結局は諦めた。

 口を開く。


「……声を出してはいけません」

「君が早く覚えないのが悪いんだ」


 この子なんだっけ? 十歳だった? 

 案外そんなものなのかな。

 来たときは七歳だった僕は、一週間で覚えたのに。

 アインは嘘だって言うけどね。


「…………」


 すると正論だと思ったのか黙り込むノインに、僕は少しだけ気を良くした。

 素直にするなら、ちょっとくらい面倒を見てやってもいいかもしれない。


「ねぇ、辛い?」


 僕がそう問いかけると、ノインはまた涙を零して頷いた。

 まぁ、痛くなくなるまではほんとに地獄だからね……。


「じゃあね、いいこと教えてあげる」

「…………?」


 その言葉であの子はほんの一瞬きらりと目を輝かせる。

 僕はそれににっこりと微笑んで見せた。


「ただし。明日の実験、ちゃんと我慢できたらね」

「…………!」


 僕の言葉に、ノインはあんぐりと口を開ける。

 よほどショックだったのだろうけど、一つくらい気になって仕方がないことがあれば、我慢するモチベーションってやつになるのだ。

 僕もツヴァイにやられたから、それはよく知ってる。

 あいつはいいこと用意してなかったけど。


「…………」


 彼女は口を真一文字に引き結んで、心なしか悲しそうに見える。

 その肩を小突いて、僕は自分の寝床に戻ることにした。


「じゃあね、おやすみ。また明日」


 それから、ベッドの中で思う。

 僕はツヴァイとは違うから。

 だから、なんとかして『いいこと』を考えとかないとって。


 ―――


 また立っていたのは白い空間だ。

 呼びかけられる前に振り向くと、そこには一人の少年がいた。


「やぁ、ノイン。久し振り」


 柔らかな緑の髪、利発そうな金の瞳。

 それは、まだ彼が完全に人の形をとどめていた頃の姿だ。

 十二歳のアハトが、こちらを見ていた。


「あんまり時間ないからさ、要点だけ話そうと思う」


 ……要点?


「そう。転生の話。アレ、僕反対だから。……僕ね、気がついたんだよ。あの修道院の奴らは、神様の名前を使って僕らを都合よく使ってただけだ。そんなやつらに、従ってやるいわれはないんだって」


 怒りに満ちた声と顔で、アハトがそう口にする。


 …………。


 けれどアハトはすぐに表情を和らげ、息を吐いた。


「でもまぁ、僕はツヴァイとは違うからね。無理強いはしないよ。しないけどさ。……その代わり僕らのこと、ずっと忘れないって約束して、ね?」


 そう言って、アハトは今度は寂しげに笑う。

 けれど。


 ……忘れないと約束すれば、転生を受ける選択肢はありませんよね?


「あ? バレた?」


 儚げな表情はどこへやら。

 てへへと笑うアハトに、ノインはいささか呆れる。


 やっぱり小賢しいです、アハト。

 あたしの方がお姉さんなんですよ。


「いやいや。……相変わらず、冴えてるでしょ?」


 そう言ってくすりと笑うと、アハトは手を振った。

 そしてまるで全ての決断をノインに委ねるとでも言うように、優しく別れを告げた。


「ばいばい、ノイン」
















 『癒やす者』、機能低下。



 ―――


「ノイン」

「……大丈夫です、すみません」


 意識が覚醒する。

 アッシュの手から離れ、自らの足で立つ。


 アハトの声を聞いた。

 ……ならば最後は。


「ぐ……が、ぁぁ……がぁぁ……!!」


 視線の先。

 ぼろぼろの体で、ツヴァイが立ち上がる。


 ぼろぼろの体……?

 まさか。


「再生が遅くなったようだな」


 アッシュがぽつりとそう言う。

 そして彼も、どこか事情を飲み込めているようではあった。


「まぁ、それはいい。次だ。……行くぞ」

「……はい」


 そう言ってまたツヴァイの方へと向かおうとすると、輝きを失っていた翼が紅蓮の光を爆発させた。


「っ!」


 止める間もなく、ツヴァイが飛翔する。

 狙撃を警戒してかあまり上空には上がらない。

 しかしそれでも上を取られた。


「奇跡が……」


 ノインがそう呟くと、アッシュが答える。


「ああ、戻ったが。だがあれは無理矢理だ」

「無理矢理?」

「さっきよりずっと沢山の魂を使って、術を暴走させてる。あれではいずれ枯渇するだろう」


 感情を感じさせない声でそう分析して、彼はアリスに話しかける。


「アリス。お前、少し降りてきてツヴァイと戦ってくれ」


 そう言ったのは多分、ツヴァイが上空に上がらなくなったからだろう。

 しかしアリスは、それに息を呑んで小さな声で答える。


「……死んじゃうかも」

「最初にこれをやると言い出したのは君だろう」

「こんな時ばっかり()ですか。クソのインゴットみたいな男ですね」


 アリスはアッシュの言葉を鼻で笑った。

 けれど、渋々といった様子で了承する。


「でもまぁ、仕方ありません。やりましょう、ええ」


 次の瞬間。

 赤の瞳に覆われた黒竜が、ノインたちの側に降りてきた。

 アリスがどこかやけくそのような調子で言葉を投げる。


「これより私は固定兵器です。ちゃーんと守ってくださいね」

「お任せを」


 ノインがそう言うと、彼女はくすりと笑った。


「ああ、頼もしいです。嬉しいなぁ」


 そこで、アッシュが警戒した様子で口を開く。


「……おい、来るぞ」

「はいはい」


 ツヴァイが上空から急降下し、アッシュへと斬りかかる。


「っ!」


 鎌の雷も身体能力も、その全てがかつて以上に高まっている。

 だから押されたが、アッシュはその勢いに逆らわなかった。

 飛び退いて距離を取った。

 そして叫ぶ。


「アリス!」

「はいはい!」


 黒の閃光が放たれ、ツヴァイの追撃を阻害する。

 しかし、追撃を防ぐものの、どれだけ撃っても一向に命中することはなかった。

 空中でかわし、或いは金色の壁にその身を守らせることで、ツヴァイは容易く閃光を捌き切る。


 だがそこは低空だ。

 ノインにも手が届く場所だ。


「ツヴァイ……!」


 飛び上がり、体をひねった勢いを加えて大剣を横薙ぐ。

 血を纏わせ、飛躍的に刃渡りを伸ばした。

 だから当たればきっと、ツヴァイの体を両断することができただろう。

 しかし、振り向いて鎌を合わせてきた。


「くっ……!」


 一瞬、刃と刃が触れ合った。

 それだけで血の刃は凄まじい速度で蒸発させられた。

 さらに、血を失ったただの鉄塊では、間もなく刃を折られてしまうだろう。


 しかし、そこで、落下しながら思い立つ。


「……そうだ」


 ノインを追って地に降りてきたツヴァイを見る。

 彼の目の前で、ノインは血の鎧を消す。

 それから、浮いた血液を剣に纏わせる。

 纏わせる血が足りないのなら、増やせばいいのだ。

 たとえ鎧を失ったとしても、喰らえば死ぬのは変わらないのだから。


 血がうねり、膨らむ。

 全ての血が剣に注ぎ込まれる。

 それからツヴァイは爆ぜる雷光の一撃を放ってくる。

 きっと受けられないであろう、防げるはずのない一撃だった。


 だがそれでも、絶対に動きを止めてみせる。


 決意したノインは、地面に深々と大剣を突き刺す。

 柄を強く握り、両手で押さえた。

 衝撃が来る。


「うっ……!!」


 突き刺した刃に纏わせた血を、返しのようにして地面から抜けないようにする。

 痺れる腕を、それでも渾身の力で押さえつけた。

 大剣を盾にする。


 そしてこれにより、ノインは本来耐えられないはずの一撃を一瞬だけ耐えた。

 アリスの声が聞こえる。


「ナイスファイトです。ほこりみたいに吹き飛ばされた誰かとは大違いで」


 援護が来た。

 動きを止めたから、黒の閃光が直撃する。

 肉を焼かれて吹き飛んだ。

 しかし、倒れたツヴァイはすぐに空に戻ろうとする……が。


「埃で悪かったな」


 一体、どうしたのかは分からない。

 しかし唐突に落ちてきたアッシュが、落下の勢いを乗せて長槍を突き刺した。

 深く深く、ツヴァイを地面に縫い止めた。


「今ので漬物石に出世しましたよ。ナイス重り」

「早くやったらどうだ?」


 間髪入れず、ツヴァイの側に現れた人影がその体に刃を突き立てる。

 そしてそれからは、もう流石にノインにも分かっている。


 アリスの、優しい声が送り出してくれた。


「行ってらっしゃい、ノインちゃん」

「……はい」


 そう答えて、突き立てた大剣から手を離す。

 人影の手を握る。

 するとまた、先程までと同じようにして意識が遠のいた。


 ―――



 昔々、と。

 看守の耳に怯えながら、色んな話をしたのはいつのことだっただろうか。


 誰と、話したのだったか。


 俺は、何という名前だったか。


 思い出せない。

 思い出せない。

 けれど、俺は知っている。


 全ての『ノイン』を、殺さなければならない。

 あちこちにノインはいるから、その全てを取り込んでしまわなければ。

 取り込んで混ざり合って、そうして肉の中で皆幸せに暮らすのだ。


「あの。そのお話は本当なのですか?」


 幼い少女の声。

 知らない。知らない。知らない。

 こんなの知らない。


 取り込む必要がある。

 殺して、殺して、それで。


「ああ、本当だよ」


 誰かが答えた。


 それも知らない。

 俺にはもう何もない。


 取り込まなければ。それが幸せなのだから。


 殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺して……。


 それから、取り込んで。


 また殺して、殺して………………。


「……いいえ。嘘ですよ、ツヴァイ」


 唐突に、他人の回想のようだった声が指向性を持つ。

 確かに自分へとぶつけられた声に、俺はどうしようもなく混乱する。


 ツヴァイ?

 誰だそれは。

 その名前で呼ぶな、呼ばないでくれ。


 俺にはもうこれしかないんだ。

 こうすることでしか彼女を救えないんだ。


 殺して……殺して……殺して……違う。

 違う違う違う違う違う。


 守りたかったんだ。

 俺は、どんなになったって彼女を……『殺したかった』。


 ………………。




 …………ああ、誰か。

 俺を。



 ―――


 白い……いや、その空間は少しずつ黒に侵食されつつあった。

 黒白こくびゃくの情景から目を逸らし、振り返るとそこにはツヴァイがいた。

 灰色の髪、赤い瞳、黒ローブと………それから、全身を蝕もうと絡みつく腐肉の群れ。


「……ノインか」


 触手に覆われた左腕を抑え、うなだれた彼は、確かにノインを見つけたようだった。

 そして何かを言おうとしては口を閉じて、何度もそれを繰り返し、最後に泣きそうな声で一言だけ呟いた。




「………………ごめんな」
















 『侵す者』、機能低下。



 ―――


「ツヴァイっ……!」


 目を覚ます。

 眼前のツヴァイは、槍に貫かれたまま死んだように動いていない。


「きちんと……話はできましたか?」


 どうやら支えてくれていたらしいアリスが、心配そうにそう言う。

 その手から離れて、ノインは頷いた。


「……はい」


 いや、本当はできてはいなかった。

 ツヴァイにはもう、自我がほとんど残されてはいなかった。


 けれど、それでもツヴァイの言葉をノインは聞いてしまった。

 自らを殺せと懇願する声を確かに聞いたのだ。


 ならばその願いを叶えなければ。

 だってノインは、ツヴァイにたった一人残された家族なのだから。


 決意を固める。


「ツヴァイを、倒します。どうか、もう少しだけ力を貸してください」


 その言葉に、アリスはかすかに瞳を揺らがせた。

 だが結局はうなずく。


「……分かりました。あなたが決めたというのなら、手を貸しましょう」


 するとアッシュも。

 燃える剣をだらりと下げて、ノインたちの方へと歩み寄りながら同意する。


「俺はそもそもそのつもりだったからな。異論はない」


 それから歩みを止めると、ツヴァイを鋭く見据えつつおもむろに口を開いた。


「……ツヴァイの不死は、『侵す者』の不死性と『癒やす者』の再生力、この二つに担保されている」

「急にどうしたんですか?」


 冷めた目で見つめるアリスを一瞥した。

 それから、アッシュは言葉を継いだ。


「今、ツヴァイの魂を引き寄せる力……とでも言うようなものが弱くなった。恐らくは『侵す者』が機能不全になった。今なら魂をほとんど削り切れる、つまり不死性を奪えるはずだ」

「えっと……で、確か『癒やす者』もさっき……」


 何かに思い当たったように声を漏らすアリスに、アッシュは大きく頷く。


「そういうことだ。今のツヴァイなら殺し切れる。……いや、今を逃せばもうあいつを殺すことはできない」


 アッシュが言ったその時。

 何か……巨大な悪意のようなものが膨れ上がるのを感じて、ノインは弾かれたように振り返る。


「ア、ァァァァ……!! ガァァァァァァァッッッ!!!!」


 触手がうねり、槍を引き抜く。

 そしてかつてない輝きを宿した翼をはためかせ、ツヴァイが飛翔した。


「時間もなさそうだから手短に伝える。アリス、お前は援護しろ。俺はあいつから魂を絞り尽くす。それから……ノイン」


 名前を呼ばれたノインは、ある種の確信を持って答える。


「……はい」

「君が、止めを刺せ」

「…………分かりました」


 承諾し詠唱を始める。

 それは魔術を使えぬノインが、唯一使える詠唱だった。


 体に刻まれたルーンの効果を暴走させる効果を持つ、つまり最大限に高めるノインだけの『禁術』だ。


「獄の火よ、諸共を焼け、呪いよ、我が身に返れ、祈りを捨てし巡礼よ、渇望を示す者よ、その一切を代償とせよ」


 詠唱を唱え終わった瞬間。

 ノインの肌は激しくひび割れ、けれど全身にかつてない力が宿る。

 ロザリオから溢れた血が、洪水のようにうねる。


「『破限式リミットブレイク』」


 その禁術に、加減などというものはなかった。

 到達点はただ一つ、それは再生と破壊の極限だった。

 すなわち『厭わぬ者』の力を『朽ちぬ者』の治癒能力でカバーできる限界まで引き出すことで、再生能力を失う代わりに極大の力を得るものだ。


「それは?」


 様子が変わったのに気がついたのか、アッシュが問いかけてくる。

 ノインは、熱にうなされるような感覚の中で答える。

 急がなければと思う。

 ……痛みはなくとも、繰り返される破壊と再生の負荷にそう長くは耐えられないことは分かっていたから。


「最大まで、身体能力を強化しました。……しかし、今のあたしは、もう傷を塞ぐことは出来ません」


 それに、なんとなく理解したように彼は頷いた。


「分かった。なら必ず、君をツヴァイの下まで送り届ける」


 今のノインをして速いと、そう思う速度でアッシュが先行する。

 そしてノインも続くが、当然ツヴァイとて黙ってはいない。


 いつの間にか逃げて、離れていたツヴァイが空中で絶大な魔力を収束させる。

 それは、次の瞬間の奇跡の掃射を思わせる。


「累なれ、『暴走剣オーバーフローアーツ』」


 だが放たれた光を、氷を、風を、その全てを巨大な炎の剣で捻じ伏せつつ、アッシュが道を斬り拓く。

 そして、足りない分はアリスの援護射撃が補った。


 だが。


「消、え……お、あ、あ、あ、がぁ、あぉぉおぉがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 ツヴァイの手に、どんな星よりも明るい光が収束した。

 そして、視界を覆い尽くすような極光が放たれる。


「アッシュ様!!」


 これはまずいと思った。

 だから思わず声を上げると、冷静な声でアリスが語りかけてくる。


「……心配はいりませんよ」


 ノインの背後から、三筋の黒い閃光が放たれた。

 反射的に振り向けば、アリスが三体の瞳を刻んだ竜を呼び出していた。

 重い負荷を負ったのか、彼女は小さく声を漏らす。


「っ……!」


 それから、三つの閃光とツヴァイの奇跡が衝突する。

 数秒の激しい拮抗の後、それはどちらも消え去った。


「…………」


 ノインがまた振り向くと、魔力不足にか膝をついたアリスが前方を指さしていた。

 振り向くな、ということだろう。


 前を向き、足を早める。


「ガァァァッッッ!!!!!!」


 極光を突破したノインたちの前方で、ツヴァイが咆哮する。

 そしてその鎌に纏わせた雷光を爆発的に膨張させ、天を覆うような雷を生み出す。


「…………っ」


 こうして走っているだけで痺れるような気がした。

 それほどに苛烈な雷の下を、けれど恐れずにノインは走った。

 アッシュは言った。送り届けると。


 そして自分は、それを信じたのだ。


「累なれ……『崩壊剣デストラクトアーツ』」


 アッシュの剣の炎がまた膨れ上がった。

 そして放たれた雷光と衝突する。

 すると夜の中天で鮮烈な紅と蒼がせめぎ合い……紅が競り勝った。


 わずかに足をよろめかせながらも、アッシュは止まらない。

 焼かれ、地に堕ちたツヴァイへと肉薄する。


「泥を積み、いびつの塔を築け、残滓ざんしを喰らい、渦高く重ねろ、罪の手よ、捻じ曲げる毒よ、万象を貪り糧とせよ」


 そして剣を捨て、素早く詠唱を終わらせる。

 間髪入れずツヴァイの前に飛び込んだ彼に、炎の翼が叩きつけられる。

 アッシュはそれを正面から受け、爆炎の中に消える。


 が。


「……灰を炎が焼くものか」


 不敵な笑みの気配。

 そして。


「『六式ドレイン』」


 真紅の光を纏った掌が、強く強くツヴァイへと押し付けられる。

 その一撃は恐らく……ツヴァイの魂を削り切った。


「っ!」


 だがその刹那。

 反撃の、金色の鎖がアッシュを絡め取る。

 そして遠くの大地に縛り付ける。


「ノイン! やれ!!」


 分かっている。

 ここまで送り届けて貰ったのだ。

 絶対に倒してみせる。


「ツヴァイ!!」


 鎌に纏う雷も、炎の翼も、最早見る影もなかった。

 雷は弱々しく明滅し、翼は既に片翼は消えた。


 だがツヴァイは、迫るノインを目に入れた瞬間……雷と翼を再び輝かせた。


「ノ、イン……!」


 鎌の一撃。

 重いが、返せないほどではない。

 受け止めた後、返す刃で斬り裂く。

 かわされた。

 詰め切れない。


 ツヴァイが距離を取り、再び斬りかかってくる。


『とりあえずは必ず先手を取るように心がけるといいだろう』


 どこかで、聞いた言葉だった。

 思い出す余裕はなかったが、このタイミングで言葉は反射的に蘇った。


 接近しようとするツヴァイの、出鼻を挫くようにして一撃。

 すると鎌を振ろうとしていたツヴァイの体は、血を纏った刃の長大なリーチにより深く抉られる。


 そうだ、無闇に近寄るのではない。

 冷静になって、自分にとって最適な間合いを探るのだ。

 近寄るのみではなく、時に退き、時に前進する。

 そうして自らの有利な間合いをツヴァイに押し付ける。


 それから隙を晒したツヴァイへと、全力の一撃を叩き込もうとして……また、思い出した。


 確か、そう。

 一撃が大振りだと、小技に対応できないと。


 思い留まり、必要最低限の動作で斬りつける。

 するとその一撃はツヴァイの肉を浅くしか削がなかったが、代わりにノインは放たれた閃光をかわすことができた。


 ……きっと、かつてのノインならここに立ち続けていることはできなかった。

 ノインは少しだけ成長したのだろう。

 かつてのアッシュの言葉を今はそんな風に受け止められた。


「ノインッッ!!」


 鎌を振りかざし、ツヴァイが突進を仕掛けてくる。

 叩きつけで迎え撃つが、触手の束で逸らされた。

 懐に潜り込んでくる。


「ッ!!」


 至近での、斬り合い。

 数合渡り合うが、激しく刃をぶつけたその瞬間に均衡が崩れた。

 雷による手の痺れのせいで、思わず衝撃により刃を手放してしまったのだ。


 勝利を確信したようにツヴァイが大きく鎌を振りかぶる。

 だがそんなツヴァイを前に、ノインはただ虚空に手を伸ばした。


 だってもう、それを信じていたから。


「…………」


 教えてもらった構えを取る。

 するとノインの手に、灰が収束する。

 そして次の瞬間、その手には新たな刃が握られていた。


「!」


 状況を理解しきれないツヴァイに、盾のように持った大剣を叩きつける。

 衝撃に仰け反ったツヴァイの前で、ノインは剣に血を纏わせた。

 ……さらに、そのまま血を纏う刃で斬り上げを放った。


「っ!!」


 完全に上半身を斬り離したと思ったが、体内から飛び出た触手が肉を繋ぎ止める。

 だが、それならば何度だって斬り裂いてみせる。


「ツヴァイ!」


 呼びかけつつ連撃を放った。

 触手が繋ぎ止める度に体を斬り離す。

 そして。


「これで最後ですっ!!」


 血によって天をく程に大きく、そして鉄板のように分厚い刃を作り出す。

 その重い刃を振りかざし、渾身の力で振り薙いだ。


 あまりに長い刃は、遠心力による絶大な運動エネルギーを乗せていた。

 ツヴァイの身体を横に両断する。

 さらにその刃の質量が生み出す破壊力が、衝撃が、触手の介入を許さずに完全に肉を叩き壊す。


 そして軌道上のあらゆるものを斬り捨てた一撃が放たれた後。



 …………吹き飛ばされたツヴァイの体は、倒木に背を預けてその動きを止めた。



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