三十話・生命侵犯『腐肉の天使(2)』
降り注ぐ閃光を避け、アッシュは横に進路を取って走る。
地を抉り、抉り、抉って抉り続ける。
絶え間なく破壊を振りまく光は、かつてと比べても大幅に威力を増している。
いかに魔物のアッシュとはいえ、当たればきっとひとたまりもない。
「ゼクス、か……」
恐らくはゼクスの『剋する者』が影響している。
するとあれはゼクスとアハト、それにツヴァイの集合体なのか。
体が肉塊に溶かされる様を想像し、その光景の悪趣味に思わず舌を打った。
「ガアァァァァァァッ!!」
空のツヴァイが咆哮し、閃光を止める。
そして地に降りて斬りかかってきた。
アッシュはグレンデルにそうしたように、障壁を作り出してその機動を妨げようとする。
しかしほとんど直角にすら見える動きでそれをかわし、こちらへと迫る。
「死……ねぇぇぇっ!!」
叫びながら放たれた一撃。
それは、大きく下がってかわすしかなかった。
ほとんど見えない速さで振るわれた鎌の軌道に、付き従うように雷光が迸る。
蒼の一閃を闇に刻み、ツヴァイはなおも前進した。
大気を震わせるような重圧を纏い、獣じみた連撃で畳み掛けてくる。
「…………ッ!」
林立する木を、障害として生み出した柱を。
その全てを容易く叩き斬り、何度も鎌を叩きつける。
一撃一撃が即死の威力を秘めた連撃が余波を撒き散らす。
斬撃の直後に奔る蒼雷で地を焦がしていく。
そこには、手を出せば一瞬で潰されると確信できるような気迫が漲っていた。
「穿て」
勢いを削ごうと炎の杭を放つ。
だがそれは鎌の一振りで打ち消さた。
さらにそれだけではなく、ツヴァイは触角の束、左腕に取って代わった奇怪な触手を蠢かせた。
すると、爆発的に伸長した触手がアッシュへと殺到する。
「っ……!」
鎖を投げられる敵の、気持ちが少しだけ分かった気がした。
一、二、三……もはや数えるのも馬鹿らしい。
ほどけた束の触手が、逃げるアッシュの体を捕らえようと迫る。
「クソッ!」
まず体に触れようとした何本かを斬り飛ばした。
けれど後続の十数の触手の物量の前に、剣による迎撃は不可能と判断した。
「『偽証』」
壁を作って触手の進路を妨害し、その隙に距離を稼ぐ。
それからツヴァイの周囲を囲むようにして壁を作り視界を奪う。
そのまま、木々を利用して夜闇の中に身を隠す。
「…………」
完全な逃げの一手だった。
だがアッシュが勝つためには、不意をついてまずツヴァイに一撃を加えなければならない。
今の状態の敵には到底勝つことは叶わないのだから。
しかしひたすらに距離を取るアッシュに焦れたようだった。
殺意が吹きこぼれるような音で喉を鳴らし、ツヴァイが再び飛翔する。
そして上空で鎌が掲げられ、鎌を起点に天を覆うような規模の雷が放たれる。
「……!」
それは恐らくロウエンの聖剣術式、『広域聖剣』だろう。
途方もない熱量を秘めた刃は、一度解放されれば四方万里を焼き尽くしたと言われている。
そして当然、この一撃の前に逃げ場などはない。
放たれた雷光は一瞬で周囲一帯を焼き尽くし、アッシュの身にも容赦なく雷光が叩きつけられた。
「がっ……!」
気がつけば吹き飛ばされ、地に倒れ伏していた。
視界が黒く焦げ付き、木の焼けた匂いが鼻を刺す。
顔を上げると、炭化した倒木の群れと化した森が見える。
それから空中でアッシュを見下ろすツヴァイも。
どうしようもなく手足が痺れるが、地面に拳を叩きつけて痛みでその感覚を押さえつけた。
荒い息を一つ吐く。
「はぁっ……」
電撃による影響の名残りに膝を震わせながらも立ち上がった。
しかし状況は悪い。
木々は焼けて、身を隠す場所を失ってしまっていた。
アッシュは姿をさらけ出してしまっている。
だから当然攻撃が来る。
今度は、おびただしい数の輝かしい……金色の剣のようなものが現れた。
それらは空中に現れて、しばし浮かんだあと掃射される。
光の剣が雨のように降り注ぐ。
全ての切っ先がアッシュへと向けられていた。
防ぐために『偽証』で壁を作るも、数秒でボロクズにされてしまう。
だから、半ば転ぶように壁の裏から走り出た。
そして横に軸をずらして走りつつ、かわしきれない分だけ『偽証』の壁で防ぐ。
こうしてなんとか掃射を耐え続ける。
だが必死で逃げている間にツヴァイが飛翔し、回り込んで肉薄してきた。
「っ、穿て」
即座にメダルを手に取り、ツヴァイへと魔術を放つ。
しかしそれは避けられる。
連発した杭もあっさりと回避された。
「グ、ァ、ガァァァァァァァァッッッ……!!!」
それから獣の声で一つ吠え、ツヴァイはまた鎌に雷を纏わせる。
すると夜に蒼が弾け、触れずとも痺れるような威圧が溢れ出した。
「あああ!! が、あ、がああぁっ……!!」
意味をなさない音の連なりを叫び、斬りかかってくる。
柱も壁も、何の妨げにもならない。
純粋な暴力の体現……まさにそうとしか言えない連撃をひたすらにかわし続けていた。
しかしその時。
突如、土中から現れた一本の触手。
それに足を取られ、アッシュは動きを鈍らせる。
「!」
すぐに振りほどくが間に合わない。
ツヴァイの横薙ぎを剣で受けざるを得なかった。
「ク、ソッ……!」
重い、あまりに重いその一撃。
受けた腕が軋み、奔る雷光に身を焼かれる。
痛みを承知で刀身に左手を添えるが、それでも勢いは殺せそうにない。
振り抜かれた一撃で、アッシュは無様に弾き飛ばされる。
「っ……!」
焼けた倒木に叩きつけられ、痛みに息を呑む。
だがここでまごついている暇はなかった。
頭上から、叩きつけ。
その一撃を転ぶように避けた。
背を寄せていた倒木が粉砕される。
それから、アッシュは隙だらけのツヴァイの腹に剣を刺した。
背に回り込む。
流石にもう覚悟を決めた。
ここからは攻めに転じるつもりだった。
「図に乗るなよ」
ツヴァイは振り向きつつ鎌を横に薙ぐ。
が、そんなことは当然分かり切っていた。
先んじて跳躍しておく。
それで、背後に振りむこうとするツヴァイのさらに背後に回り込む。
すると幾度か斬り刻めそうではあったが、まだ攻撃はしない。
アッシュは詠唱を唱え始めた。
「泥を積み、歪の塔を築け、残滓を喰らい、渦高く重ねろ、罪の手よ、捻じ曲げる毒よ、万象を貪り糧とせよ」
ツヴァイから逃げ続ける。
かわし、すかし、壁を使って視線を遮る。
一つ間違えればそのまま死に至る駆け引きだった。
しかしアッシュは詠唱を唱え切り、燃える剣をツヴァイの体に深々と刺した。
「『六式』」
それは六番目の禁術であり、『貪る者』により発動する魔術だった。
禁字を体に刻まれたアッシュは常に魂を引き寄せることができる。
さらに、『貪る者』を意識して使えばより強く魂を引き寄せることもできる。
まるで体の機能の一部のように。
だがさらに追加詠唱を重ねることで、このルーンの真の力を引き出すことができるのだ。
「貰うぞ、魔獣」
燃える剣を突き刺され、流石のツヴァイも一瞬揺らぐ。
そして、目の前に立つアッシュは無手だが……その掌は毒々しい真紅の光に包まれていた。
渾身の掌底を叩き込む。
するとツヴァイの内からごっそりと魂を引きずり出せた。
『貪る者』は、『侵す者』に対して、魂を引き寄せる力においては優越している。
流石にただ立っているのみで奪い去れるほどではない。
だがこうしてルーンのスペックを完全に引き出したのなら、魂を盗むのは造作もないことだった。
「…………!」
理性を失いながらも、異変には気がついたらしい。
かすかに動揺の様を見せるツヴァイに、さらに畳み掛ける。
懐に潜り込み、鎌が振り上げられた所で身を屈めて側面に回り込む。
そして肘打ちからの蹴り上げで体勢を崩した。
たたらを踏んだツヴァイに手刀を数発叩き込む。
触手がアッシュを捕らえようとしてくるも、そこでツヴァイに突き刺していた剣を引き抜く。
動きだす前に根本からばっさりと切断してしまう。
それからまた攻勢に出た。
右手の紅蓮の光がツヴァイをかすめる度、その身の内から魂を奪い去っていった。
しかしそこで、ようやくツヴァイは飛び立ち、アッシュの間合いから逃れようとする。
「逃がすか」
鎖を投げ、浮き上がったその右腕を捕らえた。
力負けするアッシュは当然、ツヴァイにじりじりと引きずられる、が。
剣を捨て、右手で鎖を抑える。
そして素早く左手でメダルを持って魔術を行使した。
「形よ、力を高めろ、穿て『強炎杭』」
奇跡により一騎当千の力を得たとはいえ、ツヴァイは生身だ。
だから強化された炎の杭により、その体を大きく抉られて地に落ちる。
しかしそれで生まれる隙もあくまで一瞬のことだろう。
アッシュは素早く鎖を引き戻した。
さらに、落下したツヴァイに追撃を加えるために肉薄しようとして……悪寒がした。
彼が落下したあたりが突然眩いほどの光を放ったのだ。
そして、次の瞬間視界が漂白された。
「……っ!」
とっさに伏せたアッシュの頭上を、炎など遥かに凌ぐ絶大な熱量が通り過ぎる。
その原因……ツヴァイが放った極大の光の奔流は、無軌道に振り回されて地平の果てまでをも薙ぎ払った。
まるで洪水のような音と共に、大地を抉りとって消滅させていく。
「がぁぁぁぁっ!!! がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
咆哮が聞こえた。
やがて閃光を放ち終え、周囲一帯を更地にしたツヴァイは再び羽ばたく。
そして、紫電を纏う鎌を握り直して飛翔した。
「まだ、か……」
アッシュはつぶやく。
あれだけ魂を奪われておいて、まだここまでの規模で奇跡を扱えるとは。
剣を拾い、立ち上がる。
それから小さく歯ぎしりをしたアッシュへと、ツヴァイが触手の腕を向けてくる。
すると大気が収束し、避けようのないほどに巨大な竜巻が発生してアッシュを斬り刻んだ。
「……っ!」
ただの人間ならば細切れにされていたであろう一撃だった。
アッシュはたまらず吹き飛ばされる。
だが、もちろん攻撃はまだ終わりではない。
全身のいたる所を深々と斬り裂かれていたが、素早く立ち上がって逃げる。
矢継ぎ早に放たれる奇跡を回避する。
そして、生存に全力を注ぎつつ思考する。
もうこうなった以上はそう簡単に距離を詰めさせてはくれないだろう。
そして上空から奇跡を乱射するような戦いをされては、恐らくアッシュに勝ち目はないと言えた。
だが、かと言って撤退するのも悪手だ。
ここで逃げれば確実にツヴァイは修道院に行く。
それに、もし修道院に向かわず魔獣や人を狩り始めたら世界が終わる可能性すらあった。
万が一今のツヴァイが、手を付けられないほどに魂を手に入れたとしたら……それこそ絶望的になる。
『六式』の光を消し、殺意に荒れ狂うツヴァイの様子を伺っていた。
そしてどうするかと考えていた……その時。
聞こえるはずのない、羽音が聞こえた。
「ツヴァイ!」
次いで耳に届いたのは、ノインの声だった。
肉塊に成り果てたその姿を、それでもツヴァイだと分かったのか。
竜が、アッシュとツヴァイの間ほどに着地する。
そしてその背からノインが飛び降り、彼女の家族へと視線を向けた。
「あたしは……あなたと話をしに来ました。今更ですが、それでもあなたと話をしたいんです」
「ノ、イン……?」
気がついたツヴァイが、ゆっくりと地に降りる。
そしてよろよろと、触手の腕をノインに伸ばす。
「俺、は……」
「ツヴァイ……?」
触手が彼女の肩に触れる。
それに、ノインが訝しむような声をあげた、その瞬間、アッシュは走り出していた。
「逃げろ!!」
「え……?」
瞬間、長さを増した触手の腕がノインの体を縛っていた。
さらにその右手の鎌を振り上げる。
アッシュは魔術を使った。
「穿て」
鎌を持った腕の肉を魔術で削いた。
さらに接近し、ノインに絡みつく触手を斬り飛ばす。
そして彼女を抱き寄せ、転ぶようにして逃げた。
少し離れて地面に下ろす。
すると小さく、つぶやく声が聞こえた。
「ツヴァイ」
痛みは恐らく感じていないはずだ。
だがどうしようもなくひび割れた表情で、座り込んだ彼女が呟く。
「あなたは……」
ノインの視線の先。
みしりみしりと音を立て、肉の腕を再生させながらツヴァイが口を開く。
「ゼくスも……アハと……も、いる……から……」
「…………」
「一つ、に……みん、な、で……ぁぁ、ぐ、が」
「……ああ」
全てを悟ったようにノインが息を呑み、立ち上がる。
アッシュはそんな彼女に声をかけた。
「一人で殺せる。君は修道院に帰れ」
「いえ、帰りません」
静かな声だった。
なにか押し殺したような、それでもなにかを決意したような、そんな声だった。
「あたしのせいなんです」
言いながら大剣を手にする。
「ツヴァイは、あたしのせいで死んでも死に切れなかったんです。そのせいでああなったんです。……だったらせめてあたしが……この手で、ちゃんと終わりにしてあげないと」
感情を殺した、凍りついた瞳でノインが言った。
それから剣を構えた。
と、そこで。
「私は協力しませんよ」
「……アリスか」
「他に誰がいると言うのですか」
呆れたように口にした。
そして、竜の背に横座りに腰掛けていたアリスが降りてくる。
「ノインちゃん、私はあなたに彼と話しに行かせると約束しました」
なにか、そういうやり取りがあったらしい。
しかし瞳を揺らし、ノインが消え入りそうな声を漏らす。
「……でも」
だがアリスは無造作に声を遮った。
「でももだってもありません。……約束は守ります。私に任せてください」
それからアリスが杖を振ると、アッシュとノインの肩を例の虫が這う。
「これからはきっちり私の指示どおりに動いてもらいます。アッシュさんも、いいですね?」
いつになく強引な口調で言ってくる。
なんと返すか迷って頭をかいた。
「…………」
話す、か。
何もかもが上手く行かなかった自分の人生を思い返して、なんとも言えない気持ちに囚われる。
話せるのなら、まぁ、それもいいだろう。
「…………」
らしくないということはアッシュが一番よく分かっている。
『アッシュ』ならば、ノインを囮にして魂を削り尽くすくらいのことをやって見せなければ。
けれどアッシュは、その小さな望みにどうしようもない己の過去を重ねてしまった。
あり得たかもしれない運命を覗き込んだような気持ちになってしまった。
魔獣も喰わないような愚劣な感傷だが、そうと知りつつも短く答える。
「……好きにするといい」
三人に増えた敵の、出方を伺うようにツヴァイは立ちつくしていた。
しかしこちらの戦意を悟ったか、鎌を握り直し、すでに再生した触手を蠢かせる。
圧倒的な脅威を匂わせる敵に視線をやって、アッシュは小さく息を漏らした。




