二十五話・生命侵犯『亡者の軍勢(2)』
アッシュはゼクスに向けて勢いよく踏み込む。
魔術の雨が降らされるが、オベロンがアリスに抑えられていたため、かわすのは容易かった。
氷の嵐をくぐりぬけて、剣で一撃。
だがゼクスは、アッシュの予測を軽く上回る速度で刃をかわしてみせた。
「…………?」
ゼクスはノインのような身体能力特化型ではないはず。
何故、アッシュの刃を……?
「……ああ、なるほど」
目を凝らせば、ゼクスはその表皮に肉の膜のようなものを纏っていた。
つまりはアハトだ。
アハトは本来、ああして身体に纏わりつくことで回復と強化を同時に行うような運用を想定されていたのだろう。
腕を治された時の経験から、そんな答えを導き出した。
だが身体能力が高かろうが相手は魔術師だ。
密着し、近接戦を強いる方針になんら変わりはない。
だからアッシュはなおも前進し、氷の迎撃をかわして距離を詰める。
「…………」
そこでゼクスの右肩が盛り上がり、ローブを突き破って巨大な肉の腕が形成された。
アッシュに向けて振り下ろされる。
驚きつつも、なんとかかわすと地が抉れた。
大した力だった。
飛び退ったアッシュを前に、さらに距離を取ると思われたゼクスが……接近してくる。
間髪入れずに氷の杭が放たれた。
「『偽証』」
アッシュは分厚い壁を作り、それを防ぐ。
するとゼクスはその壁を飛び越えてきた。
さらに杖を放り投げる。
空中で杖を、肉の腕が捕まえる。
代わりに、ゼクスの手は自らの腰の木刀に伸ばされる。
鈍い光が閃いた。
抜刀。
「…………っ!」
木刀、と見せかけた仕込み刀。
そして抜刀から神速の居合抜きを放った。
鋭い、あまりに鋭いその一撃。
反射的にかわしながらも、それでもなお焼け尽きた表皮を薄く切断した。
ノインの言葉を思い返す。
「暗殺者、か」
確かに、凄まじい手練のようだった。
納刀。
ゼクスが今度は刀を放り捨てて、肉の腕から杖を受け取る。
そして、再び乱れ撃たれる氷の魔術。
それはかすりもせずかわしてみせる。
すると埒が明かないと諦めたのかゼクスは再び接近してきた。
アッシュも地を蹴って迎え撃つ。
初撃は、やはり居合抜きが放たれる。
神速にして必殺の一閃を、アッシュは。
「『偽証』」
偽証により柱を設けて初動から潰す。
振り抜こうとした腕を、障害物で振れないようにする。
「…………!」
ゼクスは敏感に反応し、抜いた刃の軌道を変えてみせる。
腕を畳み、柱に邪魔されないような斬撃に帰る。
しかし、そこで明らかに遅れが出た。
致命的な隙を突くように、アッシュは剣で刺突を放つ。
「……クソが」
悪態をつく。
胸を突かれ、また燃やされても無意味だった。
ゼクスは、その傷をアハトによる回復で塞ぐ。
追撃を仕掛けようとした瞬間、彼女は目の前から消えた。
「……上か」
そう考えて上に視線をやる。
するとやはりゼクスは肉の腕を木に伸ばして立体機動を行ったようだった。
斜め上。落ちながら抜刀してくる。
『偽証』は間に合わない。
だから、なんとか下がって距離を取った。
同時に、着地したゼクスに鎖を投げる。
着地の硬直を狩るように投げる。
だが、居合により斬り裂かれ鎖は機能を失う。
ご丁寧に、二度も斬られていた。
アッシュは、分銅をなくした鎖を放り捨てる。
「…………」
アッシュがゼクスの出方を伺っていると、彼女は今度は杖に持ち替えた。
「――――――」
なにやらぼそぼそと詠唱を唱えているようで、次の瞬間には魔術が放たれる。
また魔術の乱打をかわしながら思考する。
ゼクスは魔術の扱いに長けている。
だがむしろ彼女の本来の間合いは近接戦だ。
近接において、不死を殺す決定打となる一撃を叩き込むのは難しいだろう。
と、なると。
ゼクスがアハトを専有していることにより、回復ができなくなっているであろうオベロンに手を出せばいい。
そうすれば、戦いが一息に終わるはずだった。
「…………」
アリスの方に目をやる。
三体の竜はつかず離れずオベロンを取り囲み、絶え間なく閃光を浴びせかけていた。
致命打こそ入れられていないが、見る限りではやはり優勢のようだった。
しかし今すぐ援護に行けば、自由にゼクスが魔術を撃ち続けることになってしまう。
だからまずは魔術を封じるべく、ゼクスに接近する。
すると、彼女の方も刀に持ち替えようと杖を投げた。
そして杖を握った肉の腕を、アッシュは魔術で吹き飛ばす。
「『炎杭』」
ゼクス本体は下がってかわしたが、肉の腕は杖を掴もうとしたために魔術の直撃を受ける。
その損傷自体は再生し、すぐさま無意味なものになる。
だが、杖の方は遥か遠くへ吹き飛ばされた。
そしてそこからの行動は、予期していたアッシュの方が速い。
地を蹴って転がった杖を拾う。
鎖を捨てて、空いていた左手にそれを握る。
いい杖だ、とアッシュは独りごちてゼクスに相対する。
もはや、触媒を失った敵は刀を使って仕掛けるしか手がない。
予想に違わず肉薄しようと駆けてきた彼女から、アッシュは逃げて距離を取る。
「…………」
居合こそ神速ではあるが、単純な身体能力ならアッシュが上なので追いつけはしない。
追いかけっこを演じつつも、アッシュはオベロンに魔術を放った。
杖による魔力の制御は、簡単な魔術程度なら無詠唱での発動を可能にする。
『炎』と『杭』の形を描き、正確にオベロンを撃ち抜いた。
三発命中する。
上位魔獣を殺す威力はないが、認識外からの攻撃はオベロンの意識を乱した。
そして次の瞬間、アリスの閃光が殺到してオベロンの腹を大きく抉った。
しかし、腹なのでまだ致命的なダメージではない。
上位魔獣に、半分不死の性質までついているのだから。
「狙いが甘い」
頭を飛ばすべきだった。
だから、低く息を漏らしそんなことを言う。
すると、虫を通してアリスが軽口を返す。
「お間違えなく。私は狙ってません。命令してるだけですから」
「……そうなのか?」
だが、この前狙いを褒められた時は偉そうにしていた気がするが。
まぁそれはどうでもいい。
追いすがるゼクスが、刀を振りかざしてきていた。
迫る一撃は、至極平凡な斬り下ろしだ。
避ける必要を感じなかったからアッシュは剣で受ける。
「……っ!」
だが炎の剣とまとも打ち合うには、ただの刀では分が悪い。
刃を交わす度にゼクスの腕は焼かれる。
それに彼女も気がついたらしく、今度は突きを放ってきた。
なるべく、もう刃を合わせたくないのだろう。
対してアッシュは、ノルトにしたように背後に金属の壁……よりは柔らかい土壁を作る。
それで、突いてきた敵の刃を絡め取る。
「!」
すぐに刀を引き戻そうとするが、あっさりと手を離してすぐに下がる。
抜こうとしている内に首を落とされると踏んだのだろう。
彼女を横目に土壁を消す。
そして地に落ちた刀へと剣を振りかざし、根本から完全に叩き折った。
「無手だな。どうする?」
その問いにも、やはり無言。
ならばと、もはや脅威ではない、素早くてしぶといだけの敵を放置することにした。
そして、オベロンへと杭の雨を降らせる。
敵は加速してかわしたが、動いた先で加速後の硬直を狙われてしまう。
竜の閃光による集中攻撃を受けた。
「――――ッ!」
オベロンが叫びを上げた。
やがて頭が撃ち壊され、右胸が消し飛ぶ。
そして羽に大穴を開けられ、地に堕ちた魔獣は沈黙した。
「……まだやるか」
そこで、拳を構え肉薄していたゼクスに気がつく。
振り返り、刃を繰り出す。
低く身を屈めてかわしてきた。
さらに右のストレートをアッシュに放った。
だが、居合抜きですらない、そんな一撃を今さら喰らうほど鈍くはない。
首を傾けて軽く回避する。
そして、身を翻して伸び切った腕を切り落とす。
間髪入れず追撃を仕掛けるが、剣は肉の腕に受け止められ……そのまま、アッシュは握られた武器ごと投げ飛ばされた。
「………っ」
空中で体勢を整え、勢いを殺し切れないながらも着地した。
体勢を整え、改めて正面を向く。
ゼクスは折れた刀の刀身を拾っていた。
さらに、根本を切断された右腕の断面にあてがっている。
すると身を覆う肉の膜が刀身を取り込み、あたかも腕から刃が生えているような、そんな様子になる。
そこで、どこか哀れむようなアリスの声が聞こえた。
「……どうします?」
「殺す」
アッシュは答えた。
彼らは家族を取り戻したいだけ。
それは分かっている。
だが、それでも殉教者隊を何人も殺した。
もう生かしてはおけない。
「…………!」
無言。
しかし、猛々しい息を吐きゼクスが地を蹴る。
武器を取り戻したとはいえ、それだけだ。
既に攻守は入れ替わっている。
竜の閃光が何発も放たれる。
アッシュは、持っていたゼクスの杖を踏み砕いて破壊した。
代わりに鎖を作って腕に巻きつける。
「アリス、前に俺を裏切った時の」
「その言い方やめません?」
食い気味で口を挟まれるが、生憎と事実なのだから仕方がない。
構わず続ける。
「人影の雑兵がいただろう。あれを出せるだけ出してくれ」
「……了解です」
不服そうな了承と共に、夜の闇より暗い色をした人影が数十体這い出てくる。
「!」
ゼクスはそれにわずかに動揺を見せた。
だが、強い相手ではないと分かると次々に斬り伏せ始める。
それは大した大立ち回りだが、アッシュにとっても、もちろんアリスにとっても予想の範疇だ。
「汚いですねアッシュさん」
「同じことを俺にしただろう」
「根に持つ男は駄目だって私のパパが言ってました」
影の兵団はそこまで脅威ではない。
ただ、これは他に強敵が存在しない場合に限る。
例えばそう、正面からアッシュが斬りかかってきたのなら、ゼクスは影の兵士の攻撃を捌ききれるかどうか。
そして人間程度の耐久しかない彼女に耐えることができるのか。
地を蹴って距離を詰めた。
相手は焼けるのも構わず打ち合ってくるが、その背中に影の剣が突き立つ。
「…………っ」
しかしそれは呼び水に過ぎない。
鈍ったゼクスの腹に、胸に、足に、四方八方から影の刃が突き立てられる。
なんとか、刀を振り回し周囲の影を吹き飛ばした。
だがそれは、目の前のアッシュに隙を晒すのと同義だ。
剣を振りかざし、渾身の一薙ぎを放つ。
ゼクスの上半身を一息に吹き飛ばした。
「…………」
地に落ちたゼクスの胴体に、影の兵士が群がり何度も何度も刃を突き立てる。
そうして、そんな凄惨な光景が十数秒続いた時。
突如、肉の腕が膨れ上がり影の兵士を粉砕した。
思わず声を漏らす。
「まだ、生きているのか」
肥大化した肉が、ゼクスの下半身を引きずり寄せる。
内部へと取り込む。
どうも無理矢理にゼクスの上半身に継ぎ合わせ、即席の再生を行ったようだった。
そしてゆらりと立ち上がったそれは、がたがたと身体を震わせ……肥大した肉に覆われた頭を抑える。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ……!」
耳を打ったのは声だった。
今まで一言として口にしなかった彼女が声を漏らした。
いや……最早あれはゼクスではない。
「……なんです、あれ」
目を紅く輝かせ、腐肉に覆われた体を壊れた玩具のようにがくがくと痙攣させる。
そして、ゼクスだったものは半狂乱の声で咆哮した。
成れの果てを見ながら答える。
「魔獣だ」
恐らくゼクスとアハトは蘇生に際して大量の魂をツヴァイから入れられている。
それこそが『侵す者』により蘇生された死体の不死性の源なので間違いない。
だが、彼らには恐らく魔獣の魂も入れられている。
人の物ではなく、魔獣の魂。
それを身体に入れてしまえば、魂という存在の核が魔獣に近づいてしまう。
そんな状態で何度も損傷と再生を繰り返せば……魂に肉体が引きずられていくのは必然だ。
「魔獣の魂を取り込めば魔獣に成り果てる。そういうことだ」
聡いアリスはそれで悟ったらしい。
が、同時に一つ疑問も生まれたようで問いを投げかけてくる。
「で、でもあなただって……」
それはそうだ。
アッシュは魔獣の魂を取り込んでいる。
しかし、一つだけ大きな違いがある。
「ああ。俺も魔獣の魂は奪うが、あくまで喰らっている。それでも多少引きずられてしまう所はあるが……人間の魂も多く取り込んだ魔物だ。そう簡単に魔獣に傾きはしない」
アッシュの『貪る者』は魂を喰らうもの。
魂を砕き、消化して己の魂の一部に変えるものだ。
対して、『侵す者』はあくまで魂をそのまま利用して死体を操るもの。
魂自体の性質の影響からは逃れられない。
完全な上位互換の術などなく、術にはそれぞれ向き不向きがある。
それを弁えずに濫用し、魂を取り込んだ結果がこれだ。
「どうします?」
再び問われた言葉に、やはりアッシュは同じ温度で答える。
「殺すよ」
距離を詰め、終わらせてやろうとする。
だがゼクスは身を翻して逃げ出した。
「……逃がすか」
遠ざかる背中を追跡する。
しかし、そこで唐突にオベロンが立ち塞がった。
弱々しく雷を纏い、今にも落ちそうな羽ばたきで空を舞う。
だが、その雷光は最後の力を振り絞るように膨れ上がり、不意をつかれたアッシュを……。
「……っ!」
「避けてください!」
とっさに伏せる。
そして声と共に放たれたのは幾筋もの閃光だった。
アッシュへと雷撃が放たれる前に、オベロンを見事に撃ち落とした。
しかし。
「逃げられたか」
さっさと立ち上がったアッシュが呟く。
すると、背後に歩いてきていたアリスがため息を吐く。
「どうします?」
「一旦修道院に戻ろう」
いくらゼクスが魔獣に成り果てたとは言っても、あんな風に暴走するのはおかしい。
何故なら、魔獣の身体に魔獣の魂を入れた……正真正銘の魔獣の死体すら、ツヴァイは操ってみせたのだから。
だというのにゼクスが暴走したということは、ツヴァイの方に何かが起こり、結果として制御が甘くなったのだと考えざるを得なかった。
であればその顛末を確認するために、一度戻ってみるべきだろう。
「そうですか。……ところでアッシュさん」
妙に弾んだアリスの呼びかけに、魔人化を解いたアッシュは答える。
「なんだ」
「さっきは危なかったですね」
「ああ」
どうやら彼女はアッシュに礼を言わせたいらしい。
変にへそを曲げられて援護しなくなるのも困るし、どうでもいいから特に抵抗もなかった。
素直に従うことにする。
「助かったよ。礼を言う」
「はい」
言って、歩き出した。
するとにこりと微笑んで、アリスは後ろについてくる。
「…………」
「…………」
それからしばらく黙って歩いていると、彼女が唐突に声を上げた。
「それで、いつお礼言うんですか?」
「は?」
流石に冗談だと思いたかったが、面倒になったので改めて礼を口にした。
難癖をつけられたくなかったので、一応立ち止まって頭も下げておく。
「……ありがとうございます」
「はい、よくできましたっ」




