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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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二十四話・届かない手

 


 『彼』は……ツヴァイは、気がついていた。


 時折、自らの中におぞましい衝動が混ざり込む。

 腹の中、頭の中、体のあらゆる肉の中で胎動のように何かが蠢く。


 自らが、なにか自分ではない存在になりかけていることには、気がついていた。

 それが禁術により動かされた死体の末路なのか……あるいは、魔獣の魂を取り込み続けた代償なのか。


 だがそんなことはどうでも良かった。

 ツヴァイにとって大事なのは、ノインのことだけだった。

 死んでも、化物になっても救いたかった。

 負い目があった。

 あの日のことを、謝らなければと。


 ツヴァイは地を駆ける。


「光集いし場所にて、我は加護を受けん」


 ゼクスとアハトに骸の勇者を押し付けて、それから修道院に向かった。

 しかし魔獣たちだって、完全に殉教者隊を抑え込めている訳ではない。

 道中で、ツヴァイは何度も殉教者隊と交戦していた。


 そしてその結果、頭や胸にも酷く傷を負った。

 もう左腕は消し飛んでいた。


「世界は闇に沈み、されど我が瞳は信仰の火を灯す」


 今も、目の前に立ち塞がるのは殉教者隊の三人だった。

 黒ローブはみな同じ奇跡を詠唱し、ツヴァイへと放とうとしている。


「神と出会いし日、魔術のはじまり、法を立て、我が人を導かん」


 黒ローブの体が、指先から灰になってゆく。

 来る日も来る日も奇跡の文言を唱え続けたことで、彼らは完全にその内容、音程、省略可能な箇所、全てを記憶している。

 それは『侵す者』の性質上……例外的に奇跡の扱いの手ほどきを受けたツヴァイも同じだったが。

 しかしともかく、それ故に殉教者隊による奇跡は限りなく迅速に発動した。

 彼らの、灰と散る手の先に光が収束する。


「奪うことも、穢すことも、偉大なる名において許しはしない」


 そしてツヴァイへと、奇跡は解き放たれる。


「神の光よ、どうか背く者に裁きを……『断罪のグレゴリウス』」


 教会の基礎を築き、最も神に愛されたという勇者。

 初代勇者、グレゴリウス=アトス。

 放たれるのはその彼に与えられた神聖魔術。

 暗黒の時代を裂いた文字通り伝説の一撃、その模倣だ。


 爆発的に膨れ上がった三筋の光がツヴァイへと殺到する。

 が、ツヴァイも奇跡をもって対抗する。


「無駄死にだぞ、お前ら。……『神守かみもりのアナスタシア』」


 ツヴァイが使用したのはかつて魔王を相手に三日三晩街を守り抜いたという伝承を持つ『治癒師』の奇跡だ。

 出現した金色の壁を前に、三発の『断罪』は容易く防がれてしまう。


 すると信じられないというような顔をして、殉教者隊の三人は死んでいく。


「…………!」


 しかしそれは、当然と言えば当然だった。

 一つしか命を持たない彼らと違って、ツヴァイは二つでも三つでも奇跡に魂をつぎ込めるのだから。


 だが。

 腕が消し飛んだくらいから気がついてはいたが、詠唱をほぼ必要としなくなったのは……どう考えても、自分でも、おかしいと思った。


 ……行かなければ。


 もうあまり時間がない。

 それだけは馬鹿な自分にも分かる。


「ノイン……! 待ってろ……!」


 焦燥に身を焦がされ、戦火をしるべに夜の道を駆けた。

 奇跡の詠唱をする前に黒ローブの首を鎌で刈り取る。

 門を破壊して突破する。

 殉教者隊が追いすがるが、周囲の魔獣に滅茶苦茶な突撃を命じて束の間だけ追跡を逃れる。

 そして修道院の中に押し入り、また走った。


「クソ……クソッ……」


 知らず、悪態が漏れる。

 ここは半生を過ごした忌まわしい修道院だった。

 だが懐かしさなどはなく、今さら眺めることはしない。

 ただ向かうは修道院長の部屋。石塔の頂上だった。


 刃のように研ぎ澄まされた思考の中、出会う殉教者隊を次々に仕留める。

 彼らだって死兵として訓練を受けているのに、誰も彼もツヴァイには勝てなかった。

 不思議なほど、そう、不思議なほどに、今のツヴァイは強い。


 そして螺旋階段を抜けて、ついにその場所にたどり着いた。

 ドアを蹴り開けると、信じて疑わなかった通り……そこにはノインとマクシミリア、それからいくらかの黒ローブがいた。


「……ノインを渡せ」


 ツヴァイは、血塗れの鎌を突きつけてそう言う。

 しかし、怯えた目を向けてくるマクシミリアを守るようにしてノインが進み出た。


「……マクシミリア様、下がっていてください」

「ノイン……?」


 剣を構えたその顔は、敵を見る目だった。

 なぜだ?


「……ツヴァイ、そんな姿になって」


 そんな姿?

 俺はどうなっている?

 分からない。分からないが……俺に、剣を向けるのか?


「やめろ、ノイン」


 身体能力では、ツヴァイはノインに到底及ばない。

 そのはずなのに、何故か一撃目は辛くもかわすことができた。

 次が来る。


「やめろっ!!!」


 二撃目を振り下ろそうとするノインに叫ぶ。

 すると彼女の腕が止まって、哀れむような視線を向けてくる。


「ツヴァイ……あなたは……」


 声が聞きたかった。

 もう一度会いたかった。


 けれど悲しい声をかけられたかった訳ではない。

 剣を向けられたかった訳ではない。


 ただノインに、償いたかったのだ。


「ごめん、遅くなって。ごめん、あの時、あんなこと言って。ごめん、ごめん、俺のせいだ……」


 いつしかツヴァイは涙を流していた。

 たとえどうなったってノインを救おうと思って来たのに、ツヴァイの方が泣いてしまうなんて情けないと思った。

 けれどノインを前にして謝ると、どうしても止められなかった。


「一緒に行こう。もうそんなに長くは一緒にいられないけど、それでもお前を大切にする。一緒に暮らそう。また昔みたいに、いや、四人だけなら……昔よりずっと楽しく……」


 鎌を取り落として、手を伸ばす。

 ノインが後ずさった。


「来ないでください、あなたはもう、死んだんです……!」

「そうだよ。死んだけど、死にきれないから、俺は……」

「ツヴァイ……」


 ノインが泣きそうな顔になる。

 泣かせたかった訳ではない。

 何も上手くいかない。いつもそうだ。


 だがそれでも、必死に語りかける。


「ノイン、頼む。こんなところに……いちゃいけない。一緒に暮らすんだ。またお話をしよう。それで、幸せに……」

「あたしは……あなた、は、本当に、ツヴァイ……なんですか?」


 ノインの瞳が揺れる。

 ツヴァイは彼女の問いに頷いた。


「そうだよ。お前の家族だ。贖罪も何もかももういらない。必要ない。……だからノイン……俺と、一緒に……」


 ノインが剣を取り落とす。

 そして躊躇いながらも伸ばした手を取ろうとした、その時。


「ノイン、その男はお前の家族などではない。お前の家族は生きている」


 マクシミリアだった。

 ノインを背後から抱き留めるようにして、自らの方に引き寄せた。


「王都の六番街、いわゆる貧民街だな。細々と糸紡ぎで生計を立てているようだが……お前がいなくなれば、彼ら彼女らは当然贖罪のために火刑をたまわることになる」


 ノインの瞳が凍りつき、伸ばした手が……下ろされた。

 その光景に湧き上がる憤怒に身を任せ、鎌を拾いツヴァイは叫んだ。


「マ……ク、シミリアァァ!!! お前ぇぇぇっ!!!」


 だが怨敵は不敵に笑い、抱き留めていたノインの首に短刀を突きつける。


「…………ッ!」


 ノインはそれくらいでは死なない。

 それを分かっていてもなお、ツヴァイの動きは一瞬止まった。


「『聖縛のフリッツ』」


 刹那、二方から放たれた星の輝きを秘めた鎖。

 知覚すら封じる最強の封印の中で、ツヴァイは遠く、かすかにその声を聞いた。


「……やれ」


 奇跡の詠唱の文言が、熱に浮かされた夢の中の言葉のようにして聞こえてくる。

 何もかもを上手く認識できない。

 それから数秒後、ツヴァイの身体をいくつもの奇跡が撃ち抜いた。


 吹き飛ばされ、部屋の外に叩きつけられる。

 登ってきた螺旋階段が見える。

 すぐそばの壁に大穴が空いて、あの日のようにきれいな月が、かすかに。


「……ヴァイ……ツ……イ……っ!!」


 誰かが名前を呼ぶ声がする。

 ノインが、名前を……俺は……。

 あんな声を、出させて………。


 ああ。


 腕は鎌を。まだ。

 マクシミリア。這い寄る。

 殺す。あいつだけは。


 ぐちゃぐちゃの身体だった。

 『侵す者』による不死性を総動員して肉をかき集める。

 立たなければ。

 またここに、ノインを置いていく訳には。


「終わりだ」


 妙にはっきりと、仇の声がした。

 奇跡によって空けられた大穴から、ツヴァイは蹴り落とされた。


 浮遊感が身体を包む。

 死ねない、まだ。


 そう思って鎌を手放した手を伸ばしたけれど、何も掴めはしなかった。



 …………ああ。










 いやだ。



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