二十三話・生命侵犯『亡者の軍勢(1)』
ツヴァイが戦争を始めた。
黒ローブたちが武器を手に取り、迎撃に出ているようだった。
まず仕掛けてきたのは、どうも魔獣の群れらしい。
だが恐らくは、いや、確実にただの群れではないだろうが。
「こんなことをするやつに心当たりはあるか?」
アッシュは修道院の建物の入り口の前にいた。
黒ローブが忙しく戦闘を行う門の遥か後方だ。
ともかくそう問いかけると、マクシミリアは顔面蒼白で頷いた。
反応を確認して、特に感慨なく頷いた。
「……なら当然、目的も分かっているだろう。俺とアリスが出る。あんたはノインに守られていてくれ」
言い置いて、アッシュはそのノインに視線を向けた。
「ここは頼んだ」
「……は、はい」
気が動転しているのだろう。
困惑を露わにしたまま、ノインは頷いた。
それに一抹の不安を残しつつも出ていくことにする。
頭をかいて、アリスに声をかけた。
「行こうか、アリス」
彼女はそれに何も答えず、ただ意味ありげな視線を寄越してきた。
―――
魔物化したアッシュは、魔獣たちの群れの中を血みどろで駆け回る。
そしてその群れの数は……まず八百は下らないだろうとアッシュは判断する。
一応、禁忌領域で大半は集めたのだろうが……しかし、これほどまで手駒を増やしたのなら、修道院の周りの魔獣も減る訳だ。
「『大炎流』」
魔獣の群れの奥の奥。
黒ローブも当然おらず、巻き添えの危険がない場所で魔術を放つ。
すると炎を受けた幾多の魔獣が、その身を焼かれて沈黙する。
一応、杖無しでアッシュに扱える最も範囲が広い魔術はこれだった。
しかし流石にこの数では焼け石に水だった。
「キリがないな」
呟いたアッシュの耳元で、アリスの声がする。
「ねぇ、さっきのノインちゃんのあれ、あなたがなにかしたんですか?」
「……こんな時になんの話だ」
「意外と優しいじゃないかって話ですよう。かわいいところあるんですね〜」
「下らないことを言う暇があったら、魔獣でも殺せよ」
飛びかかってきたデュラハンを燃える剣で軽く薙ぎ払った。
続けて、襲ってきたワーウルフを叩き壊す。
いずれもある程度は不死性を得たのかまだ蠢いている。
だが、行動不能に追い込めればそれでいい。
今はゆっくり魂まで始末する余裕などない。
それに、行動不能になった魔獣の魂をツヴァイが戻そうとすれば……途中でアッシュに取り込まれることとなる。
だから別の死体、たとえば殉教者隊の死体に入れ替えるなどの行動も封じることができているはずだった。
行動不能に追い込んだ時点で、きっちり殺してわざわざ魂を奪うような必要はなくなっている。
これは恐らく、『貪る者』が『侵す者』に対して魂を扱う力が優越しているからなのだろう。
だからアッシュがわざわざ動いてまで仕留める必要はなかった。
「アリス、ここは殉教者隊に任せよう」
目の端、空の上から容赦なく魔獣を削り取る光の柱を見ながら言う。
すると、すぐに答えが返ってきた。
「じゃあどうするつもりですか?」
「大元を殺しに行く」
「場所、分かるんです?」
その問いに、アッシュは糸の煙が漂う空を見上げる。
恐らく殉教者隊の応戦の戦果によるものだろう。
この魂の行方を追えば、彼らを見つけるのは難しいことでもなさそうだった。
「多分な」
移動の片手間に殺せるだけの魔獣を殺しつつ、アッシュはやがて森の中に入る。
「しかし魔獣は森が好きだったりするんですかねぇ」
「どうだろう」
木々の上を飛んでいるらしいアリスが軽口を叩いた。
走るアッシュはそれに適当な返事を返す。
ベルムの森のことを思い返しているのだろうが、仮に大真面目に答えるなら答えは否だった。
魔獣は、森よりも人里を好む。
「勝てると思いますか?」
アリスの問いに答えた。
別に絶対に勝てるとは思わないが、勝ち目は十分にあるはずだった。
「ヴァルキュリアよりはマシだ」
「上位魔獣もいたような気がしますが」
ツヴァイに上位魔獣とゼクスという女……数にしてみれば三人だが、その心配はいらないとアッシュは考えていた。
だから答える。
「……恐らく俺たちが相手するのは上位魔獣と、それからゼクスとかいう女だけだ」
肉塊のアハトがどう動くかは不明だった。
しかし、ツヴァイと交戦することがないであろうことはなんとなく理解できていた。
「何故分かるんです?」
「彼らの目的はノインだ。なら一番強いツヴァイがその確保に向かうのは当然だ」
そして、自らが『侵す者』の術者であるためか、死体になりつつもいまだ感情を残すツヴァイならばだ。
ノインを利用して、マクシミリアが上手く殺してくれるだろう。
その点に関してはアッシュはあの男を本当に信じていた。
だからそのために、ノインとマクシミリアを同じ場所に配置したのだ。
「ああ……。ままなりませんね、彼らも」
それを理解したのかアリスはどこか冷たい声を漏らした。
そしてアッシュががそれを聞き届けた、瞬間。
木々を抜け、広場に入ったアッシュの前方に、三つの影が現れる。
「…………」
無言で杖を向けてくる老婆。
蠢く肉塊、蝶の魔獣。
魂を見るアッシュの異能を知るツヴァイは、管理している魂を……仲間の誰か、たとえばゼクスの中に戻るようにしたのだろう。
それによって、アッシュたちを引きつけた。
恐らくはここに引きつけ、自らがノインの元に行くつもりだったのだ。
「アリス、敵が来た。降りてこい」
「了解」
その数秒後、地を揺らして竜が降り立つ。
彼女は竜から降りて、アッシュの後ろに隠れるようにして立った。
「じゃあやりますか。ちゃんと守ってくださいね」
そんな声が、影の虫を通さず直接耳に届く。
アッシュは答えた。
「お前こそ、後ろから撃つなよ」
「ははっ」
返るのは軽やかな笑い声だった。
特に冗談で言ったつもりもなかったから、なんと言えばいいのか分からなくて頭をかく。
それからアリスに指示を出す。
「あの上位魔獣とゼクスは耐久性がない。だから強化なしの召喚獣を使って、とにかく数を揃えてくれ」
攻撃力より、とにかく攻撃を当てることが重要だということだ。
彼女は正しく理解しただろう。
アッシュがこれからどうするかを聞いてきた。
「了解です。どちらから狙います?」
「上位魔獣を先にやろう」
短く答えて、アッシュは手に持つ剣を地に突き立てる。
そして心臓に爪を立て、己の内の魔物を縛る鎖を緩めた。
「『魔人化』」
焼死体のごとき姿を得て、アッシュはオベロンへと足を向ける。
火刑の魔人でも上位魔獣程度には負けないが、それでも油断はならない。
しかし。
「やはり来たか」
現れたのは雑魚の群れ、群れ、群れ。
一瞬で五十を超え、すぐに百にも近しい数になる。
アリスが語りかけてきた。
「どうします?」
「援護は後回しでいいから雑魚を始末してくれ。お前、脆いからな」
雑魚が大量にいる状況では、脆い彼女はほんのささいなミスで死にかねない。
だから、アッシュが一人でゼクスとオベロンを受け持つことにする。
彼女には、雑魚の殲滅を頼む。
「お気遣いどうも」
皮肉なのか、そうではないのかよく分からない返事を聞き流した。
それからアッシュはオベロンに肉薄する。
触手のようにうねる血管が雷光を纏う。
そして、自在に伸縮しながら鞭のように振るわれる。
かわして懐に潜り込むと、オベロンが加速して目の前から消えた。
目で追いきれない程の速さだった。
逃げられたと思ったが、肩のあたりに鈍い痛みが走ったことから……どうやら反撃も貰ったらしい。
「…………!」
次いでなにやら呪文を呟いたゼクスの杖の先に冷気が吹き荒れた。
アッシュの頭上から、氷の矢の雨が降り注ぐ。
「……これは」
少し迷って、アッシュは回避を選択した。
人の魔術など本当はかわすまでもない。
しかし、ヴァルキュリアへのゼクスの魔術の効き方を見るに……恐らく彼女には『剋する者』が刻まれている。
『剋する者』は代償、つまり消費する魔力を天井知らずに高める代わりに、人の域を超える威力にまで魔術を高めることができる効果がある。
とはいっても、ただの人間の魔術師程度の魔力では結局上位魔獣にかすり傷すら与えられない。
だが無限の魔力を持つゼクスに関しては事情が変わる。
凶悪な威力になっていることは想像に難くなかった。
軽々しく受ける選択は取れない。
転がるように回避した先で、オベロンがアッシュへと雷撃を放つ。
「『偽証』」
だがオベロンとの間に鉄壁を作り出した。
それで電撃を防ぐ。
同時に走り出し、今作った壁に飛び乗り、踏み台にして、浮遊するオベロンへと反撃を加える。
初撃を放つ。
飛びかかるようにして放った斬り下ろしは距離を取られてかわされてしまった。
接地する。そして鎖を投げた。
鎖は確かにオベロンに絡みつくも、逆に鎖を通じて電流を流されてしまう。
だが防御力に任せて耐えて、力任せにオベロンを引きずり下ろそうとした。
だが鎖をゼクスの氷が破壊する。
続けざまに、巨大な氷杭がアッシュへと迫る。
「……峻厳なる形よ『強炎杭』」
アッシュも炎の杭を放って氷を破壊した。
すると、見事に炎が氷を粉砕する。
だが。
「……流石に、杖を使っているだけはあるな」
氷の杭は一つではない。
矢継ぎ早だ。
角度を変え、発射位置を変え、杭はアッシュを撃ち抜こうと降り注ぎ続ける。
アッシュは動き続けることで狙いにくいようにした。
だが、同時に狙いがアリスに向いていないかも注意深く観察し続けた。
と、杭から逃げているとオベロンが接近してくる。
同時に、雷を纏う血管の束を素早く繰り出してきた。
剣の先で斬り払い、血管を防ぐ。
そのまた戦闘を続けるが、オベロンをいくら傷つけてもアハトが回復してしまうことに気がつく。
ゼクスにはまだ攻撃を当てられていなかったが、多分こちらも同様だろう。
少し、厄介なことになってきたとアッシュは考える。
すると、そこで一筋の閃光がオベロンへと放たれた。
オベロンは加速してそれを避ける。
続いてアハトへも閃光は放たれるが、そちらゼクスが氷の壁で防いでしまう。
アリスの声が聞こえた。
「こっちはあらかた片付きました。そちらを援護します」
「助かる」
言いつつアリスの方を振り向いてみると、竜が三体召喚されていた。
少し考えて言う。
「お前、オベロンと相性が良さそうだな」
オベロンはふらふらと飛び回り、触手に雷を纏わせて攻撃するが、積極的に遠距離攻撃をしてこない。
不意討ちで死ぬようなこともないだろう。
加速で近寄ってくることだけは怖いが、仮に接近に加速を使えば竜三体の掃射を捌き切れなくなるはずだった。
だからそう言ったのだが、対するアリスはどこか気の抜けた返事を返した。
「はぁ」
「俺がゼクスは抑え込む。だからそっちはオベロンを殺してくれ」
「了解です」
アリスの返事を聞き届けて剣を構え直す。
そして、アハトに寄り添うようにして立つゼクスのもとへと走り始めた。