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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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二十二話・襲撃

 


 結局、その日はロクに魔獣を狩ることはできなかった。

 以前より魔獣が減ったような気がして釈然としなかったが、封印と食事のために修道院に帰還した。


 そして傾きかけた夕陽が照らす、錆の浮いた鉄柵の門を通って建物へと進んでいく。

 門番の黒ローブに会釈をして、アッシュはゆっくりと歩いていく。


 ―――


 修道院の廊下を歩いていると、ノインと出会った。

 ここ数日言葉を交わしていなかったから、そんな資格はないと知りつつも声をかけてみる。


「君か」


 とは言ったものの、続ける言葉は見つからない。

 アッシュと彼女の共通の話題と言えば手習いくらいのものだし、それすら今は話題にはできない。

 今日の夜には忘れてしまうのだから。


「……こんばんは、アッシュ様」


 深く頭を下げて、ノインが答える。

 修道院の中であるからか、声を出すのを少し戸惑ったような気配があった。


「…………」


 ノインの方も特に話すことはないようで、ただ暗く沈んだ瞳が見つめ返してくる。

 それだけだった。


「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が流れて、目礼をしたノインは通り過ぎようとする。

 しかしアッシュは、遠ざかる背中に声をかけた。


「頼みがある」

「……はい」


 沈んだ瞳のまま、彼女は振り向いた。

 アッシュは、自分でも思いがけないことを口にしていた。


「少し……手合わせをしないか?」


 ―――


 砂の地面の調練場からは、黒ローブがあらかた引き払った後だった。

 そこで、アッシュはノインと向かい合う。


「君の武器はそれでいい」


 背に吊った大剣を指さして言う。

 それから、腰に下げた剣を抜いて続けた。


「次に、俺の武器はこれだ。手加減はしない」

「……こんなことに意味が」


 俯いたノインは小さな声で、知る限り初めて不平を漏らした。

 しかし、それも当然だろう。

 ノインは今から夜までに起こるどんな出来事も、覚えてはいられないのだから。


 だがアッシュは首を横に振る。


「俺のためにするんだ。ここは魔獣が少ない。腕が鈍る」

「……そうですか」


 すると、ようやく彼女は背の大剣を構えた。


「では、お付き合いします」


 恐らく彼女自身ですら気がついてはいないだろう。

 でもその瞳にはどこか溜め込んだ鬱憤をぶつけるような、腹立たしげな色が見え隠れしていた。


「『魔物化オルタナティブ』」


 魔物化し、左腕が自由になる。

 動くようになった左手に素早く鎖を巻き付け、地を蹴った。

 どこか驚きを滲ませたノインの、隙を突いて一瞬で肉薄した。


「本気でやると言ったはずだ」


 とは言いつつも、まず繰り出すのは太刀合わせの軽い横薙ぎだった。

 刃を合わせられることを前提で放って、ノインが禁術の出力をアッシュに合わせるのを待つ。


「…………」


 膨大な魔力がノインに吸い寄せられる気配がした。

 二撃目を防いだ彼女の動きは、今のアッシュについてきていた。

 しかし、この間合いは直剣の方が有利だった。

 初手で接近を許したノインは、こちらの絶え間ない攻撃に後手に回らざるを得ない。

 だから当然距離を取ろうとするのだが、もちろんそれは織り込み済みだった。

 飛び退すさるノインに鎖を投げて、着地すると同時に足を捕らえる。


「…………っ!」


 鎖で引かれ、体勢を崩した。

 受け身すら叶わず地に叩きつけられる。

 痛みはなくとも頭は揺れるのか、起き上がれずにいるようだった。

 歩み寄って、倒れた彼女の横に立った。


「まず一勝だな」


 ノインは手を伸ばして剣を拾おうとする。

 しかし、大剣の柄を蹴って遠ざけて、武器を握らせない。

 話を続けた。


「接近を許したのが悪い。先手を取るように心がけるといいだろう。それから、懐に入られた時のために剣を持つのも悪くない。……考えてみるのはどうだ?」


 すると彼女は目を伏せる。

 そして、どこか投げやりな調子で口を開いた。


「……考えても」


 無駄、ということだ。


 仰向けのまま、どこか消え入りそうな声でそんなことを言いかけた。

 何も答えず、アッシュは並べてある武器の中から直剣を一つ手に取った。

 そして自分の鞘に入れてノインの側に置いた。


「今の君が持つようにすれば、儀式の後の君も持っていると思う。……とにかく、次は近づかれるな。直剣はあくまで保険だ」


 立ち上がったノインは、渡された剣を鞘ごと腰に下げる。

 そして彼女が大剣を構えたのを見届けて、また踏み出した。


「…………」


 接近しようとするアッシュの、その出鼻を挫くようにして振り下ろしの一撃が来る。

 だがその振りには、かつての夜よりもどこか甘さがあった。

 これはあの短い旅を通じて芽生えた、ほんの少しの情を示しているのかもしれなかった。


 しかしそんなものは今ここでは必要がない。

 アッシュはあくまで手加減はせずに仕掛ける。


 大剣の振り下ろしを軸をずらしてかわす。

 続く斜め上へ振り抜く軌道のかち上げも、バックステップで回避する。

 距離こそ詰められなかったが、大振りな攻撃を連発したノインには隙が見えた。

 だからメダルを取り出して、それを彼女の顔目がけて投擲とうてきする。


「っ!」


 反射的に目をつむった、その致命的な瞬間に肉薄した。

 続けて、剣を手放し組打ちを仕掛ける。

 まず顎に掌底を入れて脳を揺らした。

 すると、直剣に持ち替えようとしたらしい彼女は剣を抜くこともできずに無手になる。

 だからそのまま腹に膝蹴りを入れた。

 痛みとは関係なく息が詰まって、下がった首の奥襟を握る。

 足をかけて投げ飛ばす。


 また地面に叩きつけられたノインは、しばらくして呻くように声を漏らした。


「こんなの、卑怯です」


 その言葉に、落ちたメダルを拾いながら答えた。


「もうしない。君が本気でやらないのが悪い。それから、君は一撃が大振りだから……ああいう小技に対応できないんだ」


 まだ頭が揺れているのか、彼女はよろめきながらも剣を構える。

 アッシュは、ふらつきが収まるまで待って、彼女に伝えた。


「行くぞ。次で最後だ」


 短く告げて、アッシュは鎖を捨てて剣を両手で持つ。

 正真正銘、小細工なしの意思表示だった。

 それをノインが汲んだのかは分からない。

 しかし、相対する構えもどこか鋭く研ぎ澄まされた気がした。


「……はい」


 答えを聞いて、地を蹴る。


 まず、先制はリーチの差からしてノインだ。

 横薙ぎが来るが、先程よりコンパクトな振りだった。

 振り終えた後は油断なく引き戻される。


 手を出そうにも、すぐに追撃が来ることが分かったので後退を余儀なくされる。


「……君は素直だな」


 素直で努力する。

 だから少しずつ良くなっていく。


 言葉が届いたのかは分からないが、下がったアッシュをノインが追いかけてくる。

 さらに攻撃が来た。


 叩きつけが来て、アッシュは後退する。

 さらに斬り上げが繰り出されて、後退する。


 ふらりふらりとかわしてばかりのアッシュに、しびれを切らしたように突っ込んできた。

 しかし突っ込むとはいえ、決して大剣の間合いより近くには来ないようにしているのが分かる。


「…………」


 見事……と言えるほどではまだなかった。

 しかし少なくとも改善した動きだった。

 アッシュは真正面からその剣を弾きながら接近する。

 彼女はコンパクトに剣を振り続けている。

 しかし逆に大振りの攻撃を行わなくなったため、剣の威力はかなり減っていたのだ。

 大振りな一撃どこかで混ぜなければならないのだが……しかし、それはいいだろう。


 直剣の間合いに入り、アッシュはノインの大剣を叩き落とした。

 すると、彼女も剣を抜いて攻撃してくる。

 鋭い気合の息と共に斬撃を放つ。


「……っ」


 直剣の軽さに勢い余ったか、初撃は勢い余った犂だらけの攻撃だった。

 しかしそれはあえて見逃す。

 慣れるまで待って、勝負をつける。

 続く一撃もいなして、次に放たれた突きは側面から刀身をぶつけて流してしまう。

 突きを受け流され、前のめりになった彼女に足を引っ掛ける。

 倒れるが、彼女は受け身を取り、素早く体勢を整える。


 それからどうするのかと見ていると、膝をついたノインはそのまま左手を……取り落とした大剣に伸ばす。

 さらに、それを投げた。


「……!」


 ノインの反応としては予想外だった。

 アッシュは、数瞬対応が遅れるも問題なくそれをかわす。

 しかしノインは既に距離を詰めていて、息もつかせぬがむしゃらな連撃を繰り出してくる。


「…………」


 ……思えば。

 先ほど素直だと言った裏で、教えたことしかできないとも思っていたのだろう。

 だからこそ今の大剣への対処も遅れたのだ。


 だが、それは違った。

 やはり彼女は自分で考えて成長することのできる人間だと思った。


「っ!!!」


 ノインが鋭い息を吐いて剣を振りかざす。

 恐らくは、勝負を決めるつもりで放った斬り下ろしを受け止めた。

 そして受け流しつつ、刃の位置を入れ替え、上から押さえつけるようにして彼女の剣を地に捻じ伏せる。


 すると刃が手から離れた。

 つまり。


「俺の勝ちだ」


 ノインは何も言わなかった。

 だがアッシュが剣を引くと、俯いたまま小さな声で呟いた。


「……やはりあたしは、弱いですね」


 ノインの手を取って立たせる。

 それからその腰から鞘を返してもらい、自分の剣を収めた。

 彼女は、悲しそうな声で続ける。


「背を押してくださるつもりだったんですか?」


 アッシュは魔物化を解いて、地面に落ちていた訓練場の剣を拾う。

 曲がっていないことを確認し、少しだけほっとした。

 振り返って答える。


「そんなつもりはない。ただ訓練の相手をしてほしかっただけだ」

「でも、」


 俯いたまま、まだなにかを言いかける彼女の声を遮った。


「だが、それでもいくつか気がついたことはある」


 あくまで、ただの事実として口にする。

 特に感情を込めたつもりはない。

 訓練の相手をしてもらって、その結果本当に思ったから口にするだけだ。


「君は成長できる人間だ。だがもし転生とやらを受ければもう二度と成長することはない。ただ恐れないだけの人形になる」


 顔を上げたノインの瞳を見つめる。


「もっと強くなれる。聖書を読んで、祈ることもできるようになる。それに、他にも何かできるようになるかもしれない」


 そう言うと、何故かノインは泣きそうな顔になった気がした。

 ほんの一瞬だけだ。

 気のせいかもしれないが、また俯いたあと、彼女はこちらを見返してきた。


 アッシュは言葉を続ける。


「ただ怖がらないだけの人形になることと、どちらが神様のためになるのか。君はもう少し考えてみるべきだ」


 最後まで伝えて、ふと思う。


 もしかするとアッシュは、下らない罪悪感から目をそらしたくてこんな言葉をかけたのかもしれないと。

 それはやはり浅ましいことだった。

 醜い自己満足でしかない、下らない感傷だ。


「…………」


 これは妥協だ。

 正しくなれもしないくせに、一人の人間の正気を擦り潰すことも容認しきれない。

 そんな半端者がこねた屁理屈に過ぎない。


 しかしそれを分かってながらも、アッシュは動いた。

 そしてノインの大剣を拾った。


「なにを……」


 訝しむように声をかけてきた彼女を前に、アッシュは何も言わずに大剣を盾のように構える。

 右手で柄を握り、切っ先は左斜め下を向くように。

 それから左手も剣の腹に添えた。

 こうすると盾として安定する。


 アッシュは口を開いた。


「大剣は盾にもなる。こうして構えたまま、剣の腹を叩きつけて、相手の攻撃を潰せる。そして、さらに押して相手の体勢を崩して……」


 ここまで言って、アッシュは実演してみせた。


 まず剣の腹を虚空に押し出す。

 盾にした大剣でシールドバッシュを繰り出す。

 次に、勢いをそのままにして、流れるように斬り上げを繰り出した。


「……大剣は専門外だが、古い知り合いに上手い奴がいた。これは、そいつが時々使っていた技だ。君も……もしそのつもりがあるならだが、使ってみるといい」


 そう言ってアッシュは、ノインに大剣を返す。

 すぐに彼女に背を向けて歩きだした。


「今日は付き合ってくれて助かった。……ありがとう」


 それから歩き去るアッシュの言葉に、ノインが答えることはなかった。



 ―――


 それから、食事の時間。


 いつもの席に座ったアッシュたちは、食前の祈りを終えて食事に手を伸ばす。

 どうやら今日のメニューはパン、豆のスープ、あとはにしんの塩漬けを野菜にえたもののようだった。


「…………」


 特に誰も何も話すこともなく、静かに食事の時間が過ぎていく。

 みな黙々と自分の食事を口に運んでいた。


 そんな時、ノインがフォークを置いて声を上げた。


「あの……。マクシミリア様」


 その声に、マクシミリアは自らの食器から顔を上げた。

 続けて、ノインへと視線を移す。

 音すら立てずにフォークを置いて、にこやかに微笑んでみせた。


「なんでしょうか、ノイン?」


 問い返したマクシミリア。

 ノインは、気持ちを整理するように何度か息を吐いて、慎重に言葉を選びつつ口を開いた。


「もう少し、時間をいただけませんか?」

「………なんの、ですか」


 柔和から一転。

 凍りついたような調子に変じた声が、ノインを詰問する。

 それに怯みつつも、彼女は言葉を返す。


「転生の、です。あたしは……もう少し、考えてみたいのです」

「考える? 馬鹿な。そんなことに意味はありません。あなたは……」

「でも、マクシミリア様」

「でも、ではありません!」


 怒声と共にテーブルを叩いた彼に、ノインはびくりと身体を震わせる。

 そして、憤懣ふんまんやるかたなし、と言った様子で息を吐いたマクシミリアは…………と、そこで。


 アッシュの背後のドアが開いて、一人の黒ローブが近づいてくる。


「……あなたは? 何をしに来たのですか」


 黒ローブに視線をやり、訝しむマクシミリア。

 だが答えはない。

 声も出さず、黒ローブはハンドサインすらせず、ふらふらとマクシミリアへと足を進める。


「…………っ」


 アッシュは彼、あるいは彼女が目の前を横切った瞬間に席を立つ。

 そして剣を抜きその首を落とした。

 返す刃で、ローブの中に短剣を忍ばせていた右腕も切断する。

 すると首をなくした黒ローブから勢いよく血が噴き出す。

 その、殺害を目の当たりにしたマクシミリアが吠えた。


「貴方は何をっ!!!」


 席を立ち、強く拳をテーブルに叩きつけた。

 アッシュは彼に一瞥だけくれて、剣の血を払う。


「こいつはもう死んでる」


 言った直後、どこか遠く、門のあたりから轟音が響いた。

 そして落としたはずの黒ローブの首が……けたたましく笑い始める。


「残念だよ。殺せると思ったんだが」

「ひっ……」


 瞳を凍りつかせ、腰を抜かしたマクシミリア。

 それにまた笑って、死体の首が続ける。


「戦争だ。兵隊は山ほど用意した。殺されたくなきゃ、かかって……」


 そこまでだった。

 頭を剣で両断した。

 すると死体から糸の煙が這い出て、アッシュにまとわりついて溶けるように消える。



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