二十一話・獣の人形
禁忌領域から出たアッシュたちは、転生の儀式のために修道院に帰還した。
毎日妙な祈りが聞こえることと、魔獣が少ないこと以外は特に不自由もなく暮らしていた。
「アッシュさん、暇してるんですか?」
とある昼下がり、アリスに声をかけられる。
今いるのは殉教者隊のための調練場だった。
そこでは異様なほど静かに戦闘訓練が行われている。
アッシュは、それをぼんやりと見つめていたのだ。
「そうだな」
やはり上の空で答える。
修道院に来て数日、修道院の周りは以前にも増して、それこそ馬鹿らしいほどに魔獣が少なくなった。
だから、魔獣探しに疲れたアッシュはこうして時々調練場に足を運ぶ。
特に参加する訳ではないのだが、ここが一番落ち着くから。
またアリスが話しかけてくる。
「魔獣狩りに行かないんですか?」
「行ってる。だが、なんにせよ数が少なすぎる。腹が立つから時々ここに来て落ち着かせる」
「あなたでも怒ったりするんですね」
アリスは本当に意外だ、という顔をした。
その顔に一瞥をくれる。
「俺はいつも魔獣に怒っているよ」
「ははっ」
「……お前も暇なようだな」
なにがおかしいのか笑う彼女の、そのお喋りに今は付き合ってもいい気がした。
だから特に立ち去ることもなく調練場の木の手すりにもたれかかっていた。
忙しく動き回る黒ローブを見つめる。
「でも、どう思います?」
「どう?」
アリスは微妙に距離をとって、てすりの、左隣のあたりに同じくもたれかかる。
「そりゃ、転生ですよ」
「……ああ。いいんじゃないのか、別に」
アッシュが何気なく答えると、信じられないという顔をして見つめてくる。
「あなた畜生ですか?」
「魔獣じゃなきゃなんでもいいが」
「じゃあ魔獣ですか?」
「違う、絶対に」
その反応が気に食わなかったようだ。
アリスはため息を吐いて睨みつけてくる。
「いやそういう話じゃなくて。あんまりだと思わないんですか?」
「思わない」
実際は多少思うところはある。
が、他ならぬノインがそれを望む以上、アッシュには何も言えない。
そもそも転生を止めるために何か言うとしたら、どう転んでも贖罪など必要ないのだと言わなければならない。
マクシミリアに従うのをやめろと、そういう話になってしまう。
仮に彼女が納得したとして、魔獣を殺すのをやめられてはアッシュが困ることになる。
考えればわかる話だった。
転生は駄目だ、でも君は自由に生きてはいけない。明日死ぬかもしれない魔獣狩りはこれからも続けてもらう。
……なんて、どの口で言えばいいのか。
そんな馬鹿は最初から黙っておくべきだ。
矛盾を分かっていて熱くなれるほど青くはなかった。
しかしアリスは、何故か呆れ果てたように天を仰ぐ。
「あなたって人は……」
「なんだ、俺に止めてほしいのか?」
鼻を鳴らして言うと、彼女は困ったような顔をする。
「そうですね。私には、何もできないので」
じっと見つめてくる視線を、正面から見返す。
そして少し考えたあとに答えた。
「止めてどうする? 彼女が魔獣を殺さなくなったら俺は困る。何も言う気はない」
すると、アリスは肩を落として俯いた。
なにかやりきれない様子だった。
「……そうですか」
「ああ」
短く答える。
彼女は、隣で落胆したようにため息を吐いた。
「まったく。反吐が出ますね」
「そうか」
それから、手すりにもたれかかったまま、小さな声で続ける。
「まぁ、結局何もしない私も……同じ穴の貉なんですがね」
自らの自由すらおぼつかないアリスはともかく。
それを見過ごすアッシュも、実行する教会も、そのどちらも度し難いクズだ。
だが、だからといって今さらやることは変わらない。
変えるつもりもない。
「俺はもう行く。魔獣を殺してくるよ」
それだけ言い残して、訓練場を後にした。
―――
外に出るため、アッシュは修道院の廊下を歩いて行く。
時折すれ違う黒ローブは、アッシュに深々と頭を下げる。
しかし、それに特に挨拶を返すことはしなかった。
「アッシュ様、どちらへ行かれるのですか?」
声をかけてきたのはマクシミリアだった。
正面から歩いてきていた。
足を止め、目を向けて答える。
「外で魔獣を狩る」
「変わらず熱心であられますね。頭が下がる思いです」
「そうか」
下らない世辞を聞き流したあと、すれ違って足を進める。
でも、去ろうとするアッシュの背に彼が言葉をかけてきた。
「アッシュ様」
「なんだ?」
振り向いて答える。
すると、彼は端正な顔に微笑みを浮かべていた。
「転生の儀は今夜執り行います」
それに関しては言うべきこともないので、特に相槌は打たない。
「長らくこの場にお引き止めしたこと、平にお詫びいたします」
「……ああ」
続く薄っぺらな謝辞に短く言葉を返した。
アッシュは今度こそマクシミリアに背を向ける。
すると、またお決まりの祈りの言葉が聞こえてきた。
「行ってらっしゃいませ勇者様。どうかあなたに魔力の加護のあらんことを」
―――
いつにも増して少ない魔獣を、それでも探しては殺す。
このあたりには二の魔王の魔獣と三の魔王の魔獣が混交して存在しているはずだった。
だが、そのどちらもあまり見かけない。
修道院の周りの森の中を、剣を片手に走り続けた。
すると、やがて五体ほどの小さな群れを見かける。
魔獣は同じ魔王から生まれた魔獣同士で固まりやすいという習性がある。
だから、アッシュの前にいる魔獣はいずれも三の魔王の魔獣だ。
まず五体の内三体を占めるのが、一番数が多い【ワーウルフ】だ。
こいつを一言で言い表すなら狼人形……と言ったところだろう。
細身にして無機質な、中背の身長の人形の胴に、同じく白い人形の平坦な頭がついている。
しかし体から伸びる四肢は、細い胴とは不釣り合いな獣人の手足だった。
その太い腕と脚は黒い狼の毛に覆われ、異常に筋肉が発達しているのがよくわかる。
また、手も特徴的で、まるで人と狼の中間のような……鋭い爪と五本の指を兼ね備えた大きな手がよく目を引く。
もちろんこれは、鎧をも引き裂く力を持つ凶器である。
次に、残り二体の内の一体は【リザードマン】だった。
この魔獣の下半身は巨大な赤色のトカゲになっている。
そして、上半身は柄の長い大斧を持つ道化師の人形である。
道化の人形は軽々と大斧を振り回す怪力を持つが、実はそれ以上に下半身の再生能力が高いことが厄介だった。
倒し方を知らず、トカゲの部分ばかり攻撃していると、多くの兵士でかかってもたった一体に負けることすらあるほどだった。
だから、道化の部分の首か心臓を潰すのが推奨されている。
そして最後に残る一体が【メロウ】と呼ばれる魔獣である。
こちらはどこか優雅でさえある、コルセット付きの黒いドレスを纏う女を模した人形だ。
しかしそれも大まかな印象でしかない。
実際はこの魔獣も醜い異形だ。
腕や足などいたるところが魚の鱗に覆われていて、またあちこちに淀んだ魚の目が埋め込まれている。
そして、最も異様なのは頭部だろう。
巨大な、魚の口の部分だけを取り出して球体にしたような……そんな、えもいわれぬ奇怪な物が頭部に据えられているのだ。
これらは【人形たち】と総称される魔物の一群である。
ワーウルフは数が多く、鋭い爪と獣の敏捷性が危険だぅた。
そしてリザードマンは大斧の一撃と、案外小回りが利く点、また尻尾によるしなやかな攻撃に気をつける必要がある。
メロウは、頭部の魚の口からどういう仕組みか大振りな黒の杭を飛ばしてくるが、それ以外には特に攻撃手段を持たない。
だがその杭は非常に速度が早く、予備動作を見落せば並の戦士に避けることは難しい。
乱戦では山ほどの人間がこの杭に殺されている。
だからこの『人形たち』もかなり危険な存在ではあるのだが、今その前に立っているのは魔物だった。
中途半端な半魔とはいえ、この魔獣たちよりはずっと強い生き物だ。
だから特に苦戦はしない。
敵の数が少ないので『魔物化』すらしていないが、それでも五体の群れを手早く片付ける。
血溜まりの上で、アッシュはため息を吐いた。
「……もっと仲間を連れてきてくれるといいんだが」
叩き壊した人形の内側から、痙攣する肉塊があふれてどろどろと血が流れていた。
魔獣の血の感触と色は魔物よりは人間に近い。
しかしそれは、鉄の匂いの中に生理的嫌悪を催すような悪臭をかすかに含んでいる。
「…………」
服に付着した血液に一瞥をくれて、まだ蠢いていたリザードマンにとどめを刺す。
それから、アッシュはまた走りだした。




