十九話・星の鎖
ノインを返せと口にした、アッシュと同い年ほどの少年。
ツヴァイと……呼ばれていた彼に答える。
「どういうことだ?」
ヴァルキュリアが、押し寄せる魔獣どもを挽肉にしていた。
それを横目に問い返す。
「…………」
すると、彼もヴァルキュリアを見るアッシュの視線に気がついたようだった。
ツヴァイは頷いてみせる。
「まぁ、いいさ。とりあえずここは手を貸してやる。……ノイン、お前は下がってろよ」
「ツヴァイ、どうしてここに……!」
彼女のそんな声に、ツヴァイは一度だけ振り向いた。
それから、他の二人と共に歩き去る。
目を見開いて彼の背中を見つめるノインに、アッシュは確認を取った。
「あれが君の言っていた?」
「……ええ。そのとおりです」
「なるほど」
そんな言葉を交わしていると、いつの間にか空から降りてきたらしいアリスが近寄ってくる。
「今のは?」
「ノインの友人らしい。ヴァルキュリアを殺すのに協力してくれるそうだ」
「はぁ……」
いまだ分かっていなさそうなアリスから視線を離す。
そしてノインに話しかける。
「ノイン」
答えはない。
どうやらアッシュの声すら聞こえないほどに気が動転しているらしい。
「……ノイン」
「……あ。すみません。……なんでしょう?」
その様子を見て、アッシュは彼女はまだ戦線に復帰するべきではないと判断した。
「君はそこで待っていろ。俺とアリスで、彼らと共にヴァルキュリアを倒す」
「でも……」
返された言葉には答えず、アリスに呼びかける。
「行くぞ」
「はいはい」
ノインがアッシュの背に手を伸ばすのが目の端に映った。
だが、そこはやはり彼女が一番分かっているのだろう。
何故自分が置いていかれるのかについては。
「降りてきてもらったところ悪いが……また飛んでくれ」
「でしょうね。知ってます」
「頼んだ」
言葉を交わしたあと、前に視線を向ける。
中位個体を含む数多の魔獣がヴァルキュリアを攻撃していた。
わらわらと毒虫の体に群がり、刃を突き立てている。
群れはヴァルキュリアの、周囲を薙ぎ払う魔法によりまとめて肉塊になる。
だがその仲間の骸を超えて、ひたすらに襲いかかる姿には空寒いものすら感じる。
そして壊れて、動かし操ることすらできなくなった個体の魂は……ツヴァイの元へと帰っているようだった。
魂を見ることができるアッシュには、それが分かる。
「『偽証』」
とりあえず剣を作り出し左手に持つ。
先程の傷のせいで右手は上手く動かせないのだ。
「『炎剣』」
指にメダルを挟み魔術を使い、走り出す。
すると、肉塊と並んで立っていたツヴァイが声を漏らす。
「……来たか」
ヴァルキュリアから離れた場所に彼らはいた。
肉塊は沈黙したままだが、ツヴァイが声をかけてくる。
「おいあんた!」
呼びかけられて、アッシュは足を止めた。
視線を返して答える。
「なんだ?」
「何ができる?」
アッシュは、その問いに答えあぐねる。
ツヴァイと敵対しないとも限らなかったからだ。
そんなアッシュの心に気がついたのか、彼はフードの奥で目を細めて近づいてくる。
それで彼が、思ったより穏やかそうな顔立ちをしていることに気がつく。
するとまた、改めて問いを投げかけて来た。
「要はあのデカブツを殺しきれる火力はあるかって聞きたいんだよ」
「……ある」
『崩壊剣』を使えばあるいは、と言ったところか。
だから答えると、ツヴァイは頷いてヴァルキュリアの方を指し示す。
「ならいい、行ってくれ。俺が動きを止める。あいつの障壁をなんとかしてくれたら……すぐに終わらせてやる」
「感謝する」
「あんたのためじゃねぇ。来い、オベロン」
そんな言葉に導かれるようにして空から現れたのは、蝶の羽に……ヴァルキュリアにも似た鎧を纏う騎士の魔獣だった。
しかしその四肢は半ばで断たれ、腕や足の代わりのようにして血管の束が蠢いている。
どこか美しくも禍々しい魔獣だった。
「上位魔獣?」
聞くと、ツヴァイは誇るように鼻を鳴らす。
「そうだ。……いいネーミングだろうが?」
「……そうだな」
適当に答えると、彼は短く笑ってヴァルキュリアへと鎌を向ける。
「よし。オベロン、ゼクスと協力してあいつをぶち殺してこい。ああ……それからあんた」
前半は魔獣への指示。
次はアッシュへの言葉だ。
まだなにかあるのかと考えながら視線を向ける。
「なんだ?」
「その腕、治していけ」
そんな言葉と同時、アッシュの腕が肉塊に呑まれる。
反射的に抜こうとするが、笑うツヴァイの手で止められる。
「ま、体に悪いもんじゃねぇよ」
肉塊の中で、みるみる内に右手の骨折は癒えてゆく。
その奇妙な感覚に身を浸しながら、ツヴァイに礼を言った。
「……すまない」
「おう、行ってこい」
肉塊……本当に目も腕も口も鼻もなく蠢く肉塊に一瞥をやり、走り出す。
右腕はもう動くようになっていた。
「アッシュさん、貴重な体験でしたね」
召喚獣を通して見ていたらしいアリスが言う。
特に相手にせず答える。
「ああ、そうだな。お前はどうする?」
「ちまちまブレスで応戦します。嫌がらせくらいにはなるのでは?」
どこか投げやりな口調でそう言った。
なにか、自信をなくしているのかもしれない。
少し考えて、アッシュは助言をしておく。
「……障壁を展開させずに撃てれば、きっと頭の一つくらいは持っていけるだろう」
『励ましですか? らしくもないですね』
別にそんなつもりはなかったし、これ以上言葉を交わしても無駄なので会話を打ち切る。
そして、ヴァルキュリアの周囲を注視した。
まず、魔獣の軍団。
これらはほぼ壊滅しかけている。
そして健闘しているのはオベロンと言われた上位魔獣と、フードから長い白髪としわがれた肌を覗かせる老婆だった。
オベロンは雷を操り、かなりの機動力をもって空を飛んで上手く注意を引いている。
老婆はというと、その手に持った短杖により、人にはありえない規模の魔術を練っていた。
そして恐らく、この力も禁術の加護によるものだろう。
どうすべきか考えて、アリスへと呼びかけた。
「アリス、俺が障壁を破壊する。お前は壁が消えた瞬間を狙って、盾の頭を始末しろ」
「できますか?」
障壁の破壊が可能なのか、彼女は疑っているようだった。
アッシュも正直不安はあるが、やれなければどうしようもないのでそこを議論しても仕方がなかった。
「やるしかないだろう。それに、やるのは俺じゃなくてもいい。他の誰かが砕くかもしれない。……とにかく、あいつの障壁が消える瞬間に撃ち抜いてくれ」
方針も固まったところで、早速動き出す。
まずアッシュがすべきことは囮だろうか。
「『偽証』」
作り出した弓で、ヴァルキュリアへと矢を放つ。
すると、毒虫の体に突き立った後に矢は灰となって消える。
敵の意識がこちらに向くのが分かった。
「来い。遊んでやる」
独り言のように呟いた瞬間、転移してアッシュの眼前に現れた。
そして槍の女の魔法によって、夜の中に大量の球体が発生する。
放たれた光線は全てかわした。
すると、アッシュに気を取られて無防備になったところで、オベロンの雷がヴァルキュリアを焼く。
「――――ッ!」
くぐもった声で雷を受けた女騎士たちが呻く。
それから、即座に転移してオベロンを仕留めようと動く。
だが接近された瞬間、オベロンの体が今のアッシュの目をしてブレるほどの速さで動く。
まるで消えるような速度で離れていた。
あるいはそれが、この魔獣の死骸の上位魔獣としての能力なのだろうか。
しかし、離れた程度で追撃は終わらない。
まだ追われ続けるオベロンに援護につこうと考えて……やめた。
死体の、それも魔獣の死体の援護など必要がないと思った。
だから、その間に魔術を仕込むことにする。
「『暴走剣』」
槍で風の『暴走剣』を発動した。
大弓に番えて弦を引き絞るが、まだ飛ばさない。
オベロンを追いかけて……転移した瞬間を狙って、放つ。
狙いは盾の女だ。
しかし。
「!」
何度も狙撃され、流石に学習したのかもしれない。
ヴァルキュリアは障壁で槍を防ぐ。
だがその、槍がぶつかった場所に老婆が回り込んでいた。
さらに滑り込んで低い姿勢から、巨大な氷の杭を放った。
狙いはアッシュの槍だ。
氷の杭が勢いを足し、暴風の槍を押し込む。
「アリス」
呼びかける。
障壁が破れた。
次の瞬間、アリスの光線が盾の女の頭を落とす。
返事は頭を落とした後だった。
「分かってます!」
さらに、早撃ちと言わんばかりの勢いで続けて槍、レイピア、双曲剣の頭が落ちた。
正確な狙いにわずかに感嘆する。
絶叫するヴァルキュリアを見届けつつ、アリスに称賛を送った。
「流石だな」
その後、何の魔法も籠もらない絶叫を上げてヴァルキュリアが逃げるように転移した。
しかしその先には――――鎌を持つ死神のようなシルエットが待ち受けている。
「神の加護を受け、我は救世の旅へと出向かん、幾百の敵、幾千の旅路を乗り越え進まん」
夜を引き裂くように明朗な声で詠唱が紡がれる。
ツヴァイの周囲に、見るも眩い金色の鎖が顕現する。
「いかなる困難にも我が剣は折れず、我が瞳は曇らず」
ツヴァイを取り巻くように蠢いていた鎖が、狙いを定めたように静止した。
「どうか神よ、我が旅路を助けたまえ。無辜たる者を守らせたまえ」
ツヴァイがヴァルキュリアへと手の平を向けた瞬間。
天を覆うほどに満ち溢れていた鎖が、一斉にヴァルキュリアへと殺到する。
「そして出でよ、天淵たる星の鎖――――『聖縛のフリッツ』」
それは、かつて金糸と呼ばれた勇者のギフト。
あらゆるものを封じ込める無敵にして絶対の封印だった。
勇者の鎖はヴァルキュリアを縛り、恐らくはその転移をすら封じた。
「やれっ!」
言われるまでもない。
ツヴァイが叫ぶよりも前、アッシュはあの鎖を目に入れた瞬間にすでに準備を開始していた。
「……『崩壊剣』」
束ねた剣は百本だ。
果たして耐えられるのかどうか。
天を焦がす炎が、容赦なく瓦礫を塵にする。
剣をを水平に構えて、アッシュは走り出した。
まず一撃、ヴァルキュリアの毒虫の先端が丸ごと焼き消える。
二撃、右半身を大きく焦がす。
三撃、炭化し、崩れた体が爆散する。
四、五、六……すでに数えるのも忘れて剣を振り、最後の一撃と共に炎を解放する。
「くたばれ」
気まぐれで漏らした小さな呟きと同時、前方が炎で覆い尽くされる。
するとその後には焼け尽きたヴァルキュリアの、やけに小さくなった死骸だけが残されていた。
めまいがして、アッシュは倒れる。
「……クソ」
『偽証』を酷使する『崩壊剣』は、身体への負担が大きい。
だから先程の、太刀の女に回復される前の優勢時にも、転移による回避を警戒して使えなかった。
もし使えば、なすすべもなく倒れて魔人化も解除されてしまう。
この分ではしばらく戦えそうにない。
「これじゃ死体は使えそうにねぇな。……って、あんた喰いやがったな?」
うずくまっていたアッシュに、近づいてきたツヴァイが言う。
喰ったとはもちろん、魂のことだろう。
「すまない」
「いいよ、ちょっと驚いただけだ。美味かったか?」
「別に」
立ち上がったアッシュの謝罪に、フードを外したツヴァイは笑ってみせる。
意外にもその笑顔は朗らかだった。
敵ではないのかもしれないと思う。
「…………」
しかし今の会話で確定した。
魂が見えているのなら、ツヴァイに刻まれた禁字は恐らく『侵す者』だろう。
その力を利用して、自らの身体にも魂を入れている。
だからそちらの魂を代償にすることで、倒れることなく奇跡を使っているのだろう。
あくまで自らの魂の一部に消化する、アッシュにはできない芸当だったが。
「アッシュさーん、やりましたね!」
一仕事終えたような顔で笑って、アリスが歩いてくる。
珍しく素直に喜んでいるように見える。
彼女には魔力的にかなり無理をさせただろうから、こちらも素直に労った。
「ああ、お前のお陰だ」
またその後ろにいる、俯いたままのノインにも声をかける。
「君は俺の命を救ってくれた。……取り乱したことは、気にしなくていい」
常勝の殲滅戦しか経験していない人間が、アッシュを助けるために割り込めたことを考えればむしろ驚きだった。
感謝しかなかった。
アッシュが新兵だった頃に同じことができたかというと、甚だ疑問だ。
「…………」
だがノインは何も言わずに俯いたままだ。
さらに何か言うべきだろうかと考えたところで、少しぎこちない声でツヴァイがノインに話しかける。
「……その、久しぶり」
そんな言葉に、ノインは初めて出会った時にしていたハンドサインで応じた。
「なんだよ。ここは修道院じゃ……」
「…………」
「全く。相変わらず真面目だな、ノインは」
呆れたように笑ってから、ツヴァイは自分の後ろにいるゼクスと……それと、肉塊を紹介するように手を広げる。
「なぁ、ノイン。ゼクスもアハトもいる。だから俺たちで一緒に暮らさないか? 修道院なんて出て行ってさ」
その言葉を、アリスは頷きながら聞いている。
どうやら彼女は賛成のようで……アッシュは反対だが、成り行きを見守ることにする。
「…………」
ノインがハンドサインを返すと、微笑んでいたツヴァイは表情を曇らせる。
「……なんで?」
「…………!」
拒絶され、信じられないという表情をしたツヴァイに、ノインはさらにまくしたてるようにハンドサインをしてみせる。
「でも……だからってあんな所にいたら、お前は……!」
「…………!」
なおも反対している様子のノインに、ツヴァイが耐えかねたように声を上げる。
「ノインっ!!」
叫んだツヴァイは、顔を覆ってうなだれた。
そして何かを噛み潰すような声で語りかける。
「なんで分からないんだ……! お前、記憶を消されるんだぞ……!! 人格も、なにもかも、全部消されて人形に……されるんだぞ……!!!」
「えっ……」
その言葉に、ノインは思わずといった様子で声を漏らす。
ツヴァイはそれに、必死の形相で続けた。
「転生ってのは、お前を消すことなんだ。お前を消して、人形にするのが転生なんだ」
それを聞いて、アッシュはさもありなんと納得する。
ノインが従順だったから主門討伐を優先させたのであって、本来なら何をおいてもその処置を行っていてもおかしくはなかった。
彼女は禁術の反動に耐えるために苦痛を感じない体になっていて、だからアリスのような首輪も意味をなさないのだから。
「…………」
ノインはその言葉に息を震わせる。
明らかに恐ろしいと思っている声で、それでもツヴァイを拒絶した。
「……あたしは……それでも、構いません」
「ノイン……!」
「あたしは……弱いあたしは、いりません。……罪を償うためには、弱いあたしは……消えるべきです」
「ノインッ!!!」
鎌を振り、ツヴァイが吠える。
「俺は認めないぞ!! だって俺は……俺は……もう……」
何かを言いかけたツヴァイに、ノインが静かな声をかける。
「ツヴァイ」
「…………」
「あたし……あたしは、いいんです。だって、あたしは、怯えてしまうんです。できることが、ない。だから……いらないんです、こんな、弱い、あたしは……」
その言葉に、ツヴァイは鎌を取り落としうずくまる。
顔を覆って嗚咽する。
「違う……! 俺は、そんなの……聞きたくないっ……!」
「あなたたちは、どうか自由に生きてください。あたしが……あなたたちの罪も償います。……あなたがそう言ってくれたように」
「違う! 俺は……そんなつもりで言ったんじゃ……!」
やがて、長いような短いような沈黙の後。
荒い息を吐いてツヴァイは立ち上がり、別人のような、まるで狂人のような視線を向けてくる。
「ノイン……俺は諦めないぞ」
「…………」
ノインはそれにゆっくりとかぶりを振る。
「見てろ……俺は……絶対に……」
よろめくように鎌を拾い、ツヴァイはおぼつかない足取りで立ち去って行く。
その背に、生き残ったわずかな魔獣とゼクスと肉塊――アハトが続く。
「アッシュさん、どうしますか?」
小さな声で問いかけてきたアリスに、短く答える。
「どうしようもない」
確かにツヴァイは不穏な雰囲気を纏ってはいた。
だが実際、ここで殺すにしてもノインは絶対に彼らに剣を向けられない。
なら今のアッシュと魔力が切れかけているであろうアリスだけで勝てるかというと……それは無理だ。
だから何もせずに、よろよろと立ち去って行くツヴァイたちの背中をただ見つめていた。