十八話・乱入者
騎士の姿になったアッシュは剣に炎を纏わた。
さらに、格段に加速した踏み込みでヴァルキュリアに迫る。
しかし、今の状態でも巨体による突進を受けてはひとたまりもない。
だから側面に回り込んで魔術を撃ち込んだ。
「『強炎杭』」
大きな炎の杭は、確かにヴァルキュリアに命中する。
直撃してなお、かすかな痛手にもなりえなかった。
でも気を引くことができれば十分だ。
まだ経験が浅い、ノインを前に立たせるわけにはいかなかった。
「俺がヴァルキュリアとやり合う。君は俺に随行して、隙を見てアイツの腕を落としてくれ」
「ず、ずいこ……」
反応から、この言葉を知らないと理解する。
閉じた修道院にいたせいか、彼女は知識が妙に偏っていた。
すぐに補足をする。
「ついてきてくれという意味だ」
「わかりました」
召喚獣を通じて指示を出して、それからノインの方に一瞥をやる。
アッシュの後から、確かについてきてくれているようだった。
それから戦いが始まる。
今ならヴァルキュリアの攻撃から、余裕を持って身をかわすことができた。
避けつつ、時折武器を振るう手に反撃を入れていく。
が、やはり鎧は固く、傷は刻めたものの手首の切断には至らない。
ヴァルキュリアが転移して、大剣を叩きつける攻撃を放ってきた。
「これが……転移」
呆けたような声で呟くノインに、転移についての情報を補足した。
「ヴァルキュリアの転移の間隔は三秒。半径百メートルが有効範囲だ」
叩きつけを放った大剣の女が、地響きと共に剣を引き抜く。
それから横薙ぎを放つ。
アッシュはそれを転がって回避し、さらに周囲に炎の剣を作り出す。
「『暴走剣』」
「やたら必死ですね」
召喚獣を通じてアリスがそんなことを言う。
それにアッシュは短く答えた。
「この姿は長くは持たない」
前回の、アリスによる精神防壁があった時とは違う。
押し寄せる狂気はアッシュの自我を軋ませていた。
だから長くこの姿で戦闘することは避けたかった。
とはいえ群れを殺し主門も破壊したので、日を改めることももちろん視野には入れている。
だが、回復の可能性を考えればここで殺しておきたかった。
やがて転移。
そして、騎士の一体により斧が振り下ろされる。
「流石に重い」
一撃を真っ向から受けて立った感想だった。
次の瞬間、大きく踏み込んだノインが真紅の刃を振るう。
転移再使用可能前の突撃で、いいタイミングだった。
斧の女の片腕が落ちた。
しかしそこで、槌の女が叫んで周囲の大気が震える。
「アッシュ様……!」
ノインが焦ったように声を上げる。
しかしアッシュは気にせず、片腕を落とされた斧の女に肉薄した。
もう片方の腕も落とす。
そして薙ぎ払う衝撃波が放たれる前に、アッシュはアリスに呼びかけていた。
「アリス、撃ってくれ」
「了解です」
黒の奔流により、叫んでいた女の首が消し飛んだ。
魔法は不発に終わった。
毒虫の体が苦しんでいる。
アッシュはこの隙に体を駆け登り、斧の隣の太刀の女の腕も斬り落とそうとする。
だが、思いの外素早い反応を見せた女が太刀を振り下ろす。
その一撃の鋭さに、悪寒を感じる。
これは受けられない。
避けて、虫の体から降り、さらに走る。
すると追撃の太刀が来る。
アッシュはなんとか回避して、ノインへと呼びかける。
「ノイン、頼んだ」
「わかりました」
随行の指示をきっちりと守っていた彼女は、アッシュのすぐそばに待機していた。
だから太刀を叩きつけた女の腕を、大剣で見事に切り落としてくれた。
しかし、刃が鎧に通った瞬間……転移によって辛くも切断を逃がす。
「すみません、逃げられました。……左です」
「了解。助かる」
ノインが、いち早く転移先に気づいて教えてくれた。
小さく指さした左後方に向き直ると、すでにヴァルキュリアは槌を振り上げていた。
不意打ちを狙ったのだろうが上手くはいかない。
ノインと二人で、死角を補い合うことで奇襲を受けないようにしていた。
アッシュは槌を回避する。
さらに肉薄した。
腕を足場に、飛ぶ。
転移はもう使えない。
だから『暴走剣』の炎を解き放って、槌の女の胸から上をまとめて消し飛ばした。
「次からは本体への攻撃に切り替える。なるべく腕を落とされた女の側を狙って、毒虫の体を引き裂いてくれ」
もう十分に敵の戦力を削いだと判断した。
だから仕留めにかかる。
腕を落とされた、あるいは損傷した女騎士はもう攻撃ができない。
これからはこういった、無防備な場所を狙って毒虫の方を削っていく。
「わかりました」
ノインが答えた。
だから今度はアリスに語りかける。
彼女はもう飛んでいなくて、近場の屋根から狙撃だけしているようだった。
しかしその判断は正しい。
もう今残っている頭に、遠距離の魔法はないからだ。
言う手間が省けたと思いながら口を開く。
「アリス。お前は引き続き魔法潰しと援護を頼む」
「はいはい」
雑な返事を聞き届けて、アッシュは『暴走剣』をまたかけ直した。
「『暴走剣』。……来るぞ」
ヴァルキュリアが転移し、大剣の女がノインを標的に攻撃を仕掛けようとする。
ノインはそれをかわし、反撃を行おうとする。
だが、巨体の圧力に怯んで攻撃の機会を見出だせないようだった。
改めて指示を出す。
「まともに攻撃を受けて立つ必要はない。武器を使えない女の場所に行って、斬り刻めばそれでいい」
「……! はいっ」
言いつつアッシュは、素早くヴァルキュリアの側面……腕を失った斧の女の前に立つ。
それから幾度ともなく剣を振り下ろした。
すると、無防備な毒虫の腹はアッシュの剣に容易く焼き斬られてしまう。
転移。
「とにかく徹底的に無防備な場所を狙おう。肉の内部に攻撃を入れてみたい」
そんなことを言うと、またアリスが緊張感のないことを言う。
「……あの虫、変な汁とか飛びませんよね?」
無視して、アッシュは近くに転移してきたヴァルキュリアに応戦する。
大剣が何度も振られる。
しかし相手にせず、また武器が来ない場所へと回り込む。
三秒以内にやると決め、虫の体に素早く肉薄した。
斬撃で肉を切り開き、傷口に剣を深く刺す。
そして、転移する間も与えずに刀身の炎を解き放った。
「よく味わえ」
上位魔獣を一撃で殺す炎だ。
いかに巨大な眷属とはいえ、決して温くはないだろう。
収まりきれず、傷口から吹きこぼれた炎がアッシュの周囲をも焼き焦がす。
また当然ヴァルキュリアの体内も滅茶苦茶に焼き払う。
攻撃の途中で逃げるように転移したヴァルキュリアを目で追い、アッシュは再び剣に炎を纏わせた。
「…………」
ヴァルキュリアは、転移の有効範囲の端まで逃げて痛みに悶えていた。
騎士の体は苦し気にうなだれ、毒虫の体が弱々しくうねる。
そして、まだ残っていたレイピアの騎士の頭部も黒の閃光により吹き飛ばされた。
「やれそうだったので」
アリスがいる屋根の方に視線をやると、そんな声が聞こえてきた。
「助かる」
それからヴァルキュリアに視線を戻す。
だが、何故か転移はおろかその場から動こうとさえしていない様子だった。
「アッシュ様……?」
伺うようにしてノインが声をかけてくる。
だが、アッシュも判断しかねていたのでなんとも言えない。
しばらく様子を見て、あっちが来ないのなら仕掛けようと考えた時。
太刀を持っていた女が、武器を取り落とした。
「…………?」
ここに来て起こったイレギュラーに困惑する。
そんなアッシュの目の前で、刀の女は祈るように指を組む。
すると次の瞬間には干からび始めた。
「……アリス」
「分かってますよ」
アリスが何度も何度も光線を浴びせかける。
それは騎士鎧の胴や肩口を撃ち抜いて、確かに損傷を与えた。
でも、そもそも朽ちていく相手にどれだけ効果があったのかは分からない。
「もういい」
太刀の騎士が朽ち果てていた。
鏡のようだった鎧も今やくすみ、自重によってなすすべもなく体が崩れ落ちていく。
地に落ちた刀も同様に、その形を無惨に綻ばせていった。
だから、これ以上の攻撃は無意味だと判断したアッシュはアリスを止める。
成り行きを見守った。
「…………」
それからしばらくすると、一つの変化が始まった。
頭を吹き飛ばされた騎士たちの……首の断面が、まるで別の生き物のように蠢く。
さらに、一斉に修復され始めたのだ。
「『暴走剣』」
アッシュは再生を妨害しようと駆け出すが、ヴァルキュリアは転移して逃げ去る。
なおも追おうと迫るが、すでに復活したらしい大弓の女が声を上げたので足を止める。
そして指示を出した。
「…………弓の女は狙撃の魔法を使う。狙いを見極めて警戒しつつ、アリスは可能なら弓の頭を潰してくれ」
弦を引き絞られた大弓には、放つべき矢が番えられていない。
しかし代わりに、弦を引く手に膨大な魔力が収束し始める。
弓が最大まで引かれた瞬間。
アリスの竜のものと比べても比較にならない、とてつもない太さの黒の奔流が解き放たれる。
「くっ……」
思わず呻く。
狙いはどうやらアッシュだ。
進路上の瓦礫を消し飛ばして粉塵に変えながら、弓の光線はゆっくりと狙いを変える。
まるで逃げるアッシュを追いかけるかのように、地を削りながら魔法の着弾地点が動き続ける。
しかしその間に、無防備な弓の女をアリスが狙い撃った。
だが。
「…………っ」
魔法が判明していなかった盾の女が叫ぶ。
次の瞬間、周囲に漆黒の障壁が発生した。
いとも容易く竜による攻撃を防いでみせる。
次の瞬間、ヴァルキュリアは転移する。
「アッシュ様! 腕も……」
ノインが叫んだ。
切り落とした腕が戻ってきたということだ。
「分かってる」
短く答え、アッシュは駆け出す。
落とした腕は時を戻したかのように再生していた。
ご丁寧に、取り落としたはずの武器も含めて。
「できるだけ削って撤退する。群れは倒した、焦る必要はない。また作戦を立てて改めて狩る。だから、さしあたっての目標は可能な限り騎士を殺すことだ」
そう、通達したアッシュの前で双曲剣の女が叫ぶ。
すると騎士たちの八振りの武器が闇を纏う。
これは恐らくもう『暴走剣』でも対抗できないだろう。
双剣の乱撃をかわしていると、斧の女が叫ぶ。
すると身体能力が強化され、ヴァルキュリアの武器の振りが大幅に早くなった。
「……っ!」
アリスが援護する。
が、やはり盾の魔法によりあっさりと無効化される。
なんとか逃げようとしたところでヴァルキュリアが転移した。
アッシュへと、死角から斧の叩きつけを放つ。
「クソッ……!」
身体能力の上昇により攻撃が速くなっていた。
だから避けられなかった。
『暴走剣』の炎を解放し、なんとか勢いを相殺しようとする。
だがどうしようもなく押され、すり潰されそうになった時。
「アッシュ……様……!」
「……ノイン」
横に来て、斧に大剣を叩きつけて押し返そうとしてくれていた。
彼女の肌は、禁術の反動なのか細かくひび割れていた。
おそらく、『朽ちぬ者』の禁術の治癒効果を上回るほどに強く力を引き出しているのだろう。
「っあぁぁぁぁぁ!!」
獣のような声を上げてノインが斧を押す。
アッシュも全力で炎を燃やして、闇の魔法を相殺する。
そうして斧が跳ね返されて生まれた少しの隙でなんとか退避する。
ノインの手も引き、二人で転がるようにして回避する。
「はぁ…………っ」
剣すら取り落とし、腰を抜かしたノインは立つことができないようだった。
天が落ちてくるような斬撃を受けて、恐れに染まってしまったのか。
がたがたと震えている。
「ノイン!」
呼びかけるが、返事はない。
ただ恐怖を刻まれた眼差しでヴァルキュリアを見つめていた。
「クソ!」
アッシュは悪態を吐いて、左手でノインを抱え上げる。
彼女に、ではなく状況にだ。
追撃を喰らう前に逃げなければならなかった。
「援護します」
アリスの声が聞こえて、同時にヴァルキュリアに対して射撃を開始する。
盾の魔法が防ぐが、足止めにはなっている。
アッシュは逃げながらまた呼びかけた。
「ノイン!」
「あ、あたしは……」
言い訳のようなことをぼそぼそと言いながら、彼女はアッシュに背負われるままになっている。
「す、すみませ……」
「君も俺の命を助けた。それは気にしなくていい」
ヴァルキュリアが転移した。
撤退するアッシュの前方に回り込み、槍の女が叫ぶ。
その魔法は容易にかわしてみせる。
しかし問題はこの後だった。
直剣の女が追撃を仕掛けてきたのだ。
だが今は槍の魔法から逃げていて、ノインを背負ってもいる。
とてもではないが捌ききれない。
何度かかわしたところで剣を捨てた。
そして、作った大盾に持ち変える。
アッシュは『土』ルーンを刻んだ盾を構え、ヴァルキュリアの攻撃を敢えて受けた。
「不屈なる盾、揺らがぬ壁面『構造強化』」
『盾』と『城壁』を付与した土魔術が発動し、ただの金属の大盾は、束の間要塞を超える。
とはいえヴァルキュリアの攻撃を防ぎ切れるものではない。
盾はまたたく間にひび割れるが、衝撃に身を任せてアッシュは吹き飛ぶ。
それにより、明らかに腕が折れたが……なんとか離脱することができた。
それから盾を捨て、腕の痛みを無視して走る。
ヴァルキュリアは追いすがってくる。
捕まりそうになるも、敵の前に体高四メートル程度の影の巨人が現れた。
召喚獣だろう。
奇妙な声で吠えながら掴みかかる。
そちらは瞬く間に斬り裂かれたが、お陰でヴァルキュリアの転移の範囲から逃げ出すことができた。
小さく息を吐いて、アリスへと呼びかける。
緊急時なので援護への感謝は省略した。
「アリス、お前の召喚獣で離脱する。こちらまで来てくれ」
「……了解です」
竜に乗ったアリスがアッシュの元に向かう。
だが、察知した大弓の女が極大の闇の束を撃ち出す。
彼女は辛くも空中で回避するも、アッシュを拾うことができなかった。
空中を虚しく旋回している。
「クソ……!」
もうこの姿も持たない。
半ば賭けになるが、一か八かで攻勢に出ようかと考える。
が、そこで、純白の閃光がヴァルキュリアを撃ち抜いた。
「…………」
召喚獣のものではなさそうだった。
唐突に飛来した輝かしい光が、複数の騎士の体をまとめて貫通した。
盾の魔法の障壁によりやがては防がれてしまうものの、確かに痛手を与えてみせた。
「……これは」
アッシュは息を呑む。
あの光は……まさか。
実際に見るのは初めてだったが、奇跡だろうか?
閃光は、大剣と斧の女を穿っていた。
だが盾に阻まれるとやがて消える。
状況を飲み込めずにいると、周囲に何の前触れもなく魔獣の群れが現れる。
だが、その魔獣の群れは普通ではなかった。
あろうことか、魔獣を統率する力を持つはずのヴァルキュリアを攻撃し始めたのだ。
アリスが驚いたような声を漏らす。
「アッシュさん、これ、この妙な魔獣は敵ですか……?」
「分からない。が、こいつら……もう死んでる」
魂を喰らうアッシュにだから分かることだ。
周囲に満ちた魔物の群れにはもはや命はない。
はめ込まれた魂に残った力をすり減らし、無理に動いているだけに過ぎない。
アリスが混乱したような声で答える。
「なおさら意味が分かりませんよ……」
珍しく動転したような様子の彼女をよそに、アッシュにはなんとなく事情が理解でき始めていた。
すると、しばらく後に推測を裏付ける声が聞こえた。
「……久しぶりだな、ノイン」
死体を動かすなど、禁術の代表格だ。
それをここまでの規模で行使するというのならば……ノインと同じ施術を施された、実験体以外にはありえないと考えていた。
ノインが、目を見開いて声を漏らす。
「……ツヴァイ?」
抱き上げられ、放心していた彼女が誰かの名を呟く。
アッシュは彼女を地に下ろしてやった。
そして、声の方向に視線を向ける。
すると彼は、こちらへと呼びかけてきた。
「おい、あんた」
かろうじて残った建物の屋根に、三つの影があった。
声を上げた少年、月を背に大鎌を持つ彼は、贖罪修道院の黒いぼろを身に着けている。
さらに、灰色の髪にフードを深く被っていた。
そして次は、彼の横に立つ腰に木剣を挿した小柄な人影だ。
また、もう人影とも呼べないかもしれない、這いずる肉塊も同じようにぼろを身に着けている。
「悪いが……俺たちにノインを返しちゃくれないか?」
そう言って屋根から降りてきた少年の瞳は、ノインと同じ真紅の色をしていた。




