十七話・陽動作戦
瓦礫の街で、隙を見て矢をばら撒きながらアッシュは逃げる。
「『偽証』」
『偽証』でヴァルキュリアの前に高い壁を作り出す。
容易に踏み潰せるであろうそれを、しかしヴァルキュリアは転移により避けて通るを選んだ。
壁のすぐ前にヴァルキュリアが現れる。
そしてこれを見越していたアッシュは、炎を纏う矢をまとめて三本番えて放つ。
少なくとも、転移を封じられた三秒の間……アレは的だ。
転移の警戒をせず、立ち止まって狙った矢は全てが騎士鎧の隙間に突き立った。
大した手傷ではないだろうが、怒ってくれれば十分だろう。
命中を確認し、さっさと背を向けて逃げる。
すると、左の前あたりから生えているレイピアを持った女が叫ぶ。
暗記した情報を思い返した。
確かレイピアの女の魔法は、地中から黒い杭を広範囲に生やす攻撃だった。
あらかじめ決めていたように地面を注視する。
そしてあちこちで影が盛り上がるの見極め、凄まじい勢いで地を貫いた杭を回避した。
結果かすることもなく避けきれた。
が、安易な反撃は避けて距離を取る。
そして再び壁を作る。
出方を見ていると、今度は転移をせずに強引な突破を選択したようだった。
流石に学習してしまったようだ。
とはいえ足の速さなら負けるつもりもない。
そのまま走って逃げ続ける。
だが相手も間抜けではない。
追いつけないと分かったのならば、なにか仕掛けてくるはずだ。
果たして十秒後、ヴァルキュリアの姿はかき消える。
「…………?」
が、ヴァルキュリアの姿はどこにも見えない。
走り続けてはいるが、これは……一体……。
「……っ!」
上か。
気がついたアッシュは左に飛び退く。
しかし反応が遅れていた。
幅六メートルのヴァルキュリアの体なら、横飛びの方がかわしやすい。
祈るように飛ぶと、なんとか避けられた。
瓦礫の山の上に転がるようにして倒れ込む。
次の瞬間、先程までいた場所は巨体によって踏み潰された。
「…………」
ヴァルキュリアの落下で粉砕されたした地面を見る。
改めて正面から勝てる相手ではないと認識し直す。
今のもかなり危なかった。
小さく鼻を鳴らし、怒り狂う敵へと語りかける。
「残念だったな」
夜の闇のせいで影が見えなかった。
だから上に転移したことに気が付かなかっただけだ。
しかしそれが通じるのも最初だけ。
もう二度と食らうことはないだろう。
矢を作り、放ちながら逃げる。
また踏みつけを仕掛けてきた。
軽く交わし、逆に着地地点へと『偽証』で杭を作る。
すると、刺さったのかヴァルキュリアは悲鳴を上げた。
だが、やはり大したダメージではない。
敵の体は本当に強靭だ。
油断せずに逃げ続けて、次にたどり着いたのは十字路だった。
アッシュは左に曲がる。
ヴァルキュリアは廃屋を薙ぎ倒しながら追いすがってきたが、そこで仕掛けを起動する。
次の瞬間、廃墟の壁に隠れていた破城槌が毒虫の体を貫いた。
「――――――――ッ!!」
これは、街の武器庫で埃をかぶっていた攻城兵器の一つだった。
魔獣との戦闘に向かないため、もしかするとどこかの街から押し付けられたものだったのかもしれない。
しかし城門を砕く威力なら、たとえヴァルキュリアが相手でも痛みを与えることが出来るはずだ。
とはいえやはり、やはり有効な攻撃ではないのだが……敵が痛みに気を取られた一瞬でアッシュは既に身を隠している。
次に落とす首は、後部右、大剣の女だ。
「『暴走剣』」
敵の姿を探し、暴れ回るヴァルキュリアを見ていた。。
遠く、広場添いにある家の屋根から見つめていた。
このまま隠れていられれば楽なのだが、主門の危機から気を逸らさせるためには、戦わなければどうしようもない。
「……三つ」
狙い違わず首を落とした。
アッシュはそのままヴァルキュリアの接近を待つ。
この広場にも、仕掛けはあるのだ。
猛然と接近してくるヴァルキュリアを前に、屋根から降りて家の隙間にまた身を隠す。
とはいえ今回は位置が割れている。
転移をフルに活用したヴァルキュリアの機動性ならすぐに見つけ出せる。
だから、またすぐに狙撃をしようというのではなかった。
広場に踏み込んだヴァルキュリアに、一本の矢が突き立つ。
しかしそれはアッシュが放ったものではない。
狩人が使う仕掛けの中に、道に糸を張り、引っかかった獲物に自動で矢を放つようなものがある。
これはその応用で、仕掛けに触れたヴァルキュリアに矢が飛んだのだった。
「…………」
なんの痛痒も与えられないが、今は気を引くだけでいい。
そんな訳で、クロスボウを改造した罠に思惑通りヴァルキュリアは惑わされる。
矢が放たれたと思しき付近を槍の女の魔法が串刺しにした。
しかしアッシュはもちろんそこにはいない。
アッシュは暴れまわる姿を横目に、転移を封じるために動いていた。
「……あのあたりか」
『偽証』により作り出した、長大な糸を結びつけた矢。
アッシュは糸の一方を適当な場所に結わえつけて、矢を放つ。
すると向こう側の壁に刺さって、糸がまっすぐに張り巡らされる。
そして、ヴァルキュリアを糸の結界で囲むようにして放ち続ける。
「…………」
今まで、敵の挙動を見ていて気がついたことがあった。
それは、アレは元々物質がある場所には転移ができないということだった。
ヴァルキュリアが現れるのは、いつも開けた道の中央だ。
家々の瓦礫が不規則な高さで積み上がったような場所には決して現れることはなかった。
さらに、下水道の中にも転移してこなかった。
だからアッシュは、ヴァルキュリアは物質の存在によって転移を阻害されるという推測を立てていた。
もともと物体がある場所には転移できないのだ。
適度に移動しつつ、アッシュはまた矢を放つ。
糸同士の間隔は目測十五メートルおきで、最低でも三メートルの高さに糸が張られるように矢を放つ。
それが体長二十メートル、そして体高六メートルのヴァルキュリアの動きを阻害するために必要な糸の位置だった。
暴れ回るヴァルキュリアの周囲には糸を張れないが、それでもできる限り糸の結界を張り巡らせる。
そうして、ヴァルキュリアの周囲を封じ込めた頃。
アッシュは、とある家の屋根の上に立っていた。
糸の結界が多い場所を通らなければ、近づいてこれないような方向にある家の屋根だった。
敵が暴れているから糸を張り巡らせることができなかった場所もあるが、もし敵がこちらに来るなら、間違いなく糸の存在は機能してくれるだろう。
などと考えながら、大弓を引く。
「四つ」
また頭が落ちた。
悲鳴を上げ、ヴァルキュリアは弾かれるようにしてこちらに振り返った。
そして恐らくは転移をしようとしたのだろうが、不発に終わる。
糸など見えていないだろうから、ヴァルキュリアは原因すら分かってはいないだろう。
「五つ」
未だに混乱の中にいるであろうヴァルキュリアの、左後方……太刀の女の頭を落とす。
それでようやく転移の無駄を悟ったか、ヴァルキュリアはこちらに向けて這いずって襲い来る。
糸が引き千切れていくのが分かる。
「六つ」
正面の双曲剣の女の首も落とした。
それで、アッシュはさっさと屋根を降りる。
もう距離を詰められたし、これ以上の追撃は危険だった。
頭を落とされたからと言って、魔法を使えなくなるだけだ。
女が動かなくなる訳ではない。
大半の頭を潰した今でも、接近戦は分が悪かった。
「…………」
ヴァルキュリアに残された魔法は今や三つだ。
レイピアの杭と槍の光線と、一番後ろの槌の女の薙ぎ払い。
かなりやりやすくなった。
我ながらいい仕事をしたと言っても構わないだろう。
容易く打ち壊される槍衾の仕掛けを尻目に、逃げるアッシュはそんなことを思う。
「――――――――ッ!!」
ヴァルキュリアが叫ぶ。
どうやらかなり頭に来ているらしく、以前のように仕掛けが上手く決まらないようになってきた。
正確には決まるのだが、止まらなくなった。
破城槌に刺されても、構わず踏み潰しながら負いすがってくる。
果ては燃やされながらも滅茶苦茶な前進を強行する。
もうこうなっては手に負えない始末だった。
そして、アッシュが多くの仕掛けを無為に消費してしまった頃。
極大の黒い閃光が槍の女の頭部を吹き飛ばす。
これはいい判断だった。
落とす頭の優先順位として理に適っている。
どうやら、彼女なりにあの資料の内容は頭に入れておいてくれていたらしい。
「遅かったな」
そう語りかける。
そしてアッシュの側に舞い降りた竜の身体には、無数の『目』が生えていた。
おびただしい数の赤い瞳に覆われた、召喚獣の竜だった。
力も強まっているようであったので、もしかすると能力開放の術をかけられているのかもしれない。
「遅い? 来ただけでもありがたく思うべきでは?」
にやりと笑ってそんなことを言うアリスに向き直る。
すると、後ろで竜に乗っていたノインが頭を下げる。
「遅れてすみません」
「……私が悪者みたいじゃないですか」
鉄塊を手にしたノインが竜から降り立った。
アッシュの横に並び立つ。
また、アリスは黙って怒り狂うヴァルキュリアを観察していたが、やがて小さく感嘆めいた声を漏らす。
「しかし、かなり頭落としましたねぇ。あれなら勝てそうですよ」
「頭が落ちても体は動く。警戒は怠らないでくれ。……それと、話してる暇はないらしい」
こちらに向けて、ヴァルキュリアが迫っているのが見えた。
恐らくアッシュたちが勝つだろうが、被害が出ないとも限らない。
気を引き締めるべきだろう。
「ノイン、君は俺と来てくれ」
「分かりました」
アッシュの言葉に答えると、彼女は血を纏う剣を構える。
次にアリスにも声をかける。
「お前は……」
「分かってますよ」
言葉を遮られるのと同時に、アッシュの肩に小さな影の芋虫が這い寄った。
そしてこの虫から言葉が聞こえた。
「召喚獣を通じてお声を中継します」
「ありがとう。お前はそのまま声の中継に専念しろ。言った時だけ射撃してくれればいい」
もはや空の彼女を脅かすような魔法はない。
安全な場所から、必要な時だけ攻撃してくれればいい。
だからそう言うと、アリスは笑って飛び立った。
「まぁ、魔力も心もとないので程々にやります」
聞き届けたアッシュは弓を捨てて剣を抜いた。
そして、火刑の魔人からさらにもう一段階、魔物の力を引き出した。
「……『魔人化』」