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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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十六話・ヴァルキュリア

 


 夜になり、アッシュたちは行動を開始していた。


 崩れかけた城壁の上から作戦は始まる。

 アッシュはすでに魔人化し、槍を片手に佇んでいた。

 そして、隣には杖を抱き、壁にもたれて座るアリスもいる。


「…………」


 彼女は、座り込んで目を閉じていた。

 何も言わずにじっとしていた。

 しかし、やがて目を開いてアッシュへと語りかける。


「……分かりました」


 アリスは、先ほどまで感知能力の高い鳥の召喚獣に深く感応していた。

 つまり視界を共有し、偵察を行っていたのだ。

 そして、その偵察がどうやら終わったようだった。


「敵の数は?」


 アッシュが問いかける。

 しかし答えは返ってこない。

 代わりに、立ち上がったアリスが杖先をアッシュの手に触れさせた。


「…………」


 するとアッシュの脳裏に、魔獣に埋め尽くされた光景が映し出された。

 感応能力の一端、思考の共有により先ほどアリスが見た光景を見ているのだ。


 ――月に照らされた平野。

 ――ひしめく数百の……いや、五百を超える魔獣の軍勢。

 ――巨大な真紅の主門

 ――そして、圧倒的な存在感を放つ眷属獣。


「……伝わりました?」

「……ああ」


 ここに本当に主門が存在していて、そして門を守る魔獣が予想通りとても多いということがわかった。

 そこで何を思ったか、アリスは呆れたように笑う。


「こっちには殺したい殺したいって伝わってきましたよ」


 しかしアッシュは平坦な声で答えた。

 心を読まれるのは気持ちのいいものではない。


はやるつもりはないから安心しろ」


 早く殺すより、確実に殺すことの方が大事だった。

 すると彼女は小さく鼻を鳴らす。

 そして再びアッシュに杖を向けてきた。


「ならいいんですが。……じゃあもう一度感応します」


 アリスが今度はアッシュの背に杖で触れる。

 感応の程度を下げたのか、視界の裏には薄く魔獣たちの姿が映り込む。


「やるか」


 言って、アッシュは『偽証』で金属弦の大弓を作り出した。

 アンカーを城壁に突き立てて固定する。

 さらに手に持つ槍を弓につがえた。


 この弓は、魔人化したアッシュでさえ渾身の力で引かなければ扱えない強弓だった。

 弓というよりはもはや弩砲に近い、いやそれすら超える代物しろものだった。


「…………」


 月明かりの下、夜目の利くアッシュにすら豆粒のようにしか見えない魔獣たちの群れを見つめる。

 それから敵に向けて槍を放つ。

 飛んだ槍の行方は目で追えるものではなかったが、アリスの召喚獣の目を頼りに着弾地点を確認する。


「左か」


 矢は眷属獣からは大きく、恐らくは百メートルほど右の場所に逸れて数匹のデュラハンを吹き飛ばした。

 その光景を踏まえて、アッシュは次に番えた槍の穂先をかすかに左に動かす。

 しかし再び外れて、何度も修正を繰り返すことになった。


「まーだ当たらないんですか? いつ当たるんです? こんなに外して恥ずかしくないんですか?」


 十八発目を外した後、からかうような問いが投げられた。

 しかし答えなかった。

 恐らくは杖から伝わっているだろうと思ったから。

 次は確実に当てにいくという意志が。


「『風剣ウインドアーツ』」


 アッシュは穂先に『風』の基礎ルーンを刻み込んだ槍を作り、手首を裂いて血に浸し、触媒として機能させた上で風を纏わせる。


「累なれ、『暴走剣オーバーフローアーツ』」


 続けて『偽証』で風の槍を増殖し、『暴走剣』を発動する。


「うわ、ちょっ……」


 荒れ狂う風に目をつむるアリスを意識の外に追い出した。

 アッシュは、渾身の力で弓を引く。

 そして風の槍を撃ち出した。


「…………」


 風を纏い、空気抵抗を一切無視した槍は、直線的な軌道で突き進む。

 やがて魔獣の群れの中に突き立つ。

 とはいえ狙い違わず……とまではいかなかった。

 だが急所――とはいえ人間と構造が違いすぎるので推測でしかないが――は外したものの、確かにヴァルキュリアの毒虫の背中の端あたりに命中し、貫通した。


「…………」


 しかし唐突に、眷属獣が悶絶する姿が視界の裏から消えた。

 それでアリスが杖を離したことに気がつく。

 彼女が声をかけてくる。


「さすが、いい腕です」

「お前も手はず通りに頼む」


 この後、彼女は先に主門近くで待機しているノインと合流する。

 それで群れを叩くことになっている。


「お任せください。そしてどうぞあなたもお気をつけて。……しかし、うえは寒いでしょうねぇ」


 愚痴ともつかない言葉の後、アリスはため息を吐いた。

 すぐに竜に乗って消える。

 遠ざかる姿を確認したアッシュは、周囲に突き立った槍を消した。

 また、大弓ではなく使いやすい複合弓を作り直して持ち替える。


「……来るか?」


 誰へ向けてでもなく呟き、アッシュは城壁の上で敵を待つ。

 それからしばらくすると、規格外の巨体が凄まじい勢いで、というよりも()()()()()()()()()()()接近してくる。


 恐らく転移を繰り返すことで高速で移動しているのだろうが、それはアッシュの思う壺だった。


 城壁の上で、アッシュは口を歪める。

 資料に載っていなかった情報が補完された。

 一度の転移で移動できる最大距離は……直線距離、それに目測で半径百メートルだ。

 それから、転移して次の転移のために必要とするクールタイムは三秒といったところか。


 今の全力の転移の繰り返しで、ヴァルキュリアの能力がおおむね想定の範囲内だと分かった。


「あっさり手札を明かしてくれたな、愚図が」


 そうして目前にまで来た眷属は、話には聞いていたがやはり巨大だった。

 資料の作成者たちはよほど必死になって情報を集めてくれたのだろう。

 事前情報と実物の間に、見る限りではズレはない。


 資料によれば推定体長二十メートル、それに毒虫の部分の体高が七メートルで、幅は六メートル半。

 もちろん定規を当てたわけでもないだろうから正確とはいかないはずだ。

 でもおおむねこのあたりで合っていると感じる。

 また、毒虫の体からは三メートルほどの女騎士の上半身が九つ生えているのだが、そいつらが持っている武器も情報通りだった。

 たとえばアッシュの目の前に見える、虫の体の正面から生えた個体は長大な双曲剣を手にしている。


 とても、巨大な魔獣だった。

 特に栄えていたというわけでもないこの街の城壁は、そこまで高くもない。

 六メートルほどしかないので、ただの体当たりでも耐えられなかっただろう。

 ましてもっと強烈な一撃を浴びせられたならなおさらだ。

 今立っている壁の上は、全く安全ではない。


「…………」


 だからアッシュはさっさと城壁の上から飛び降りる。

 しかし着地した瞬間、目の前にはすでに音もなくヴァルキュリアが回り込んでいた。

 転移だ。


「なるほど」


 アッシュが呟いた時、女の騎士が突然甲高い声で叫んだ。

 槍を持った女だった。

 するとすぐに残りの八人も叫び始めて、生理的嫌悪を引き起こす高音が連鎖する。


 さらにヴァルキュリアの周囲に、夜より暗い闇を固めた小さな球体が大量に出現した。


「…………!」


 数は百近くありそうだった。

 球体を確認したアッシュは、すぐにヴァルキュリアから見て左へと逃げだす。

 まともにやって勝てると思うほど、思い上がってはいない。


 アッシュが先ほどまで立っていた場所に、数え切れないほどの闇の閃光が殺到する。

 石畳が大きく陥没した。

 後少し逃げるのが、遅ければ手痛い傷を負っていただろう。

 でももう、資料で魔法の効果や特徴は特定できていた。

 だから迷わず回避できた。

 改めて、アッシュは情報を残してくれた誰かへと感謝する。


「……活用しないとな」


 ヴァルキュリアの闇魔法の、確認された攻撃パターンは七つ。

 今見たのもこれらの内の一つ、球体発生からの光線の掃射だ。

 そしてこれは、今見た限り球体生成から発生までにいくらかの猶予がある。

 さらに狙いは早い内に固定されるようだった。


 が、情報があるからとはいっても油断はできない。

 ヴァルキュリアの闇魔法は、発動する魔法によって最初に叫ぶ女が異なるらしい。

 そして女は九体いるため、七個だと数が足りていない。

 だから、確認されていない魔法が少なくとも二つはあると考えるべきだった。

 アッシュはその、未知の二つへの警戒を怠る気はなかった。


 そして、アッシュは瓦礫の街を走って逃げる。

 ヴァルキュリアは追いかけてきていた。

 だが巨体ゆえか動きは鈍重に感じる。

 逃げるのに専念さえすれば、こちらにはとても追いつけないだろう。


 普通ならば。


 転移、目の前。

 毒虫の正面についた、女騎士の双曲剣が振り下ろされる。

 剣速は遅いものの、喰らえばアッシュなど一撃で挽肉ひきにくにしてしまうはずだ。


「っ……!」


 避けると、地震かなにかのような衝撃が瓦礫を一息になぎ払う。

 暴力的なまでの余波が吹き付けた。

 続く二撃目が振り下ろされる前に、アッシュは踵を返して逃げる。

 作り出した矢を放ちながら、横に走って逃げる。


「…………」


 あの巨体で、しかも足のない芋虫が、直角に近い進路変更にはそうやすやすと対応できないだろう。

 だから、こうして逃げればすぐに転移を使ってくると予想していた。


「………」


 前か後ろか右か左か。


 一、二、三。


「右か」


 ヴァルキュリアはこちらから見て右前に現れた。

 周囲を見て、どうやらアッシュを城壁のきわに追い込もうとしていることに気がつく。

 左側面から伸びた、大斧を持った女が横薙ぎで圧力をかけてきた。

 致命の破壊力を誇る一撃を避けて逃げる。

 目的地は近かった。

 確か先には、下水があったはずだ。


「……あった」


 つぶやいて、下水道の入り口に身を滑り込ませた。

 あらかじめ蓋を外してあるため、とてもスムーズに入ることができた。

 そして腰に下げていた、魔道具のカンテラを持って走り出す。


「…………」


 下水道の道筋は目をつむっても辿れるほどに暗記していた。

 アッシュが出るのは街の中央あたりだ。

 教会の脇、そしてヴァルキュリアがそこに来た時が本当の始まりだ。


「……すぐに相手してやる」


 アッシュを探してか、敵はどうも無茶な暴れ方をしているらしい。

 それは地下からでも分かるほどで、これではいくつかの仕掛けは死んでしまうだろう。

 それに、遠からぬ内に下水が崩落すると分かった。

 長くはいられない。

 だからアッシュは足を早める。

 そして目的のはしごを見つけて、すぐに手をかけ外に出た。


「…………」


 ヴァルキュリアは、アッシュから遠く離れた場所で暴れまわっていた。

 毒虫の後部から生えた女が叫ぶと、ヴァルキュリアを中心に黒い衝撃波が同心円状に広がる。

 天を貫くような闇の柱が突き上げて、周囲の瓦礫を粉微塵に粉砕した。


 破壊を撒き散らし、こちらをあぶり出そうというのだろうが……これでまた情報が補完された。


「後ろの頭は、薙ぎ払う魔法か」


 言いつつアッシュはまた大弓を作る。

 そして、石畳の上にアンカーを突き立てた。

 この距離なら外さない。


「……『暴走剣オーバーフローアーツ』」


 再びの狙撃に、毒虫の背の中心の、大弓の女騎士の頭部が吹き飛ばされた。


 これは事前情報によると大規模かつ強力な遠距離攻撃の引き金になる個体だった。

 仕掛けを活かすためにも、優先して潰しておきたかった。

 頭は残り八つ。

 次潰すのは、まだ魔法が確認できていない個体でいいだろう。

 厄介な魔法を使う個体も残っていたが、未確定の要素を消すにこしたことはない。


「…………」


 残り八体の人形ひとがたが、一斉にアッシュへと向き直った。

 直後に敵の姿が消える。

 そして五回の転移、都合十五秒でアッシュの前に現れる。


 こうなると逃げなければならない。

 また小ぶりな弓に持ち替えて走る。

 それから仕掛けに誘導し、矢を放って起動させた。

 すると次の瞬間、瓦礫の隘路あいろに迷い込んだヴァルキュリアに油壺が叩きつけられる。 


 これは矢でロープを切られ、屋根の上に配置されていた投石機が油壷をまとめて投げつけたのだ。

 投石機の狙いは固定だが、タイミングさえ合えばあれだけの巨体を外すこともない。

 一つ、二つ、続けて三つ起動させる。

 いくつもの方向から油壷が飛んで、ヴァルキュリアの銀の鎧を汚していく。


「燃えてみるか、魔獣」


 敵は突然のことに動揺していた。

 その隙を見逃さない。

 矢を作り出し、メダルを沿えて、魔術名のみで火矢を放つ。


「『炎射フレイムショット』」


 小さな矢に、ヴァルキュリアは対応できない。

 いやそもそも本来対応する意味もない攻撃だ。


 しかし、油に濡れた今なら確かに意味を成す。


「…………!!!」


 瞬く間にヴァルキュリアの体に炎が燃え広がる。

 巨体を火が包み込む。

 無論、大したダメージでもない。

 これで倒せるなどとも思っていない。


 だがそれでも、油(まみ)れの体はしばらく燃え続ける。

 いかに眷属とはいえ、炎に包まれた状態では行動に支障があるはずだった。

 言うなれば目くらましのようなもので、これによりアッシュは再び狙撃の機会を得る。


「『暴走剣オーバーフローアーツ』」


 絶叫を上げて暴れまわるヴァルキュリアの、魔法を確認できていなかった個体の頭を吹き飛ばす。

 盾と直剣の女だった。


「……二つ目」


 そこで最後尾の女が叫び、衝撃波の魔法によって火が吹き散らされる。

 潮時だと思ったアッシュは、弓を持ち替えてまた逃げだした。


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