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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
一章・偽りの英雄
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四話・淀み

 


 アッシュが城壁の近くに到着した頃には、すでに兵士たちが応戦していた。

 門は閉じられ、城壁の上では魔術兵や弓兵が攻撃を浴びせかけている。


 そして壁の外からは、怒号と剣戟の音が聞こえてきた。


 ハーピィやらが城壁を越えた場合に備えてか、市民たちはあらかた避難を終えたらしい。

 周囲には人が一人とて見当たらない。

 しかし反対に、増援の兵士はあちこちから向かって来ているようだ。

 背後から武装した人の群れが迫る気配もする。


 その兵士たちに見つかれば避難しろと言われたり……面倒ごとになる可能性がありそうだった。

 ならさっさと前線まで出てしまった方がいいだろう。

 すぐに判断したアッシュは、城壁の上に繋がる塔へと足を向ける。

 門は閉ざされているので、一度城壁に登って飛び降りるつもりだった。

 そしてまだ戦闘が始まって間もないからだろうか。

 負傷者を担ぎ出す衛生兵などとかち合うこともなく、すんなりと塔を登ることができた。


 やがて塔を抜けて、城壁の上にたどり着く。

 するとそこは蜂の巣をつついたような騒ぎだった。


 絶え間なく怒号が響き、時には誰かが悲鳴のような声を上げる。

 兵士たちは飛びかかるハーピィを撃ち落とすため、あるいは歩兵を援護するべく矢や魔術を撃ち込んでいる。

 余所見をする余裕などあるはずもなく、誰もアッシュには気が付かない。


「行くか」


 誰に向けるでもなく小さく呟き、腰に下げた剣に軽く触れる。

 そして城壁のふちへと向かい、胸壁のくぼみに足をかけて跳躍した。


「おい! お前なにやってんだ!!」


 流石に気がついたらしく、幾人かの兵士が叫びを上げる。

 必死に飛び降りたアッシュに声をかけるが、それで落下が止まるものでもない。


 風に煽られフードがめくられる。

 外套がはためき体は浮遊感に囚われる。

 アッシュは落下しつつ抜剣し、状況を見極める。


「…………」


 地上にはオークとヒュドラが合わせて五十半ばほどひしめいていた。

 先ほど見た限りでは、空にもハーピィが三十はいた。

 また、地上の部隊も明らかに押されている。

 数では魔獣たちに勝っているのだが、勢いに押されて陣形が崩れ、乱戦におちいりかけている。

 これでは増援を待つ前に被害が拡大してしまうだろう。


 しかしこの場にはアッシュがいる。

 人助けは苦手だが、魔獣を殺すのは素早いと自負していた。

 この程度の群れなら、被害を出さないように戦えるとアッシュは思った。

 司教への挨拶も兼ねて綺麗に片付けてしまおう。


「……『魔物化オルタナティブ』」


 低く、呟いたのは鎖を緩めるための言葉だ。

 アッシュの中の人間ではない部分…………魔物・・のごく一部を解き放つまじないだ。


 すると直後、アッシュの体からまるで黒い花が散るように漆黒の魔力が溢れ出す。

 そして黒かった瞳は赤い輝きを宿し、んだ雰囲気は血に飢えた殺戮者のものに成り代わった。


 接地と同時に足元にいたオークを両断する。

 それから、アッシュはゆらりと立ち上がる。


「…………」


 心が蝕まれていた。

 殺意と苛立ちが湧き起こりごちゃごちゃになって心を侵す。

 しかしそれを押し留める方法は知っている。

 殺せばいいのだ。

 敵を。魔獣を。


 アッシュは左足に付けておいたポーチから銀のメダルを取り出した。

 それには今の人の世が始まる前、アトスの神が人に与えた魔力を操るための形……【ルーン】の一つである『炎』が刻まれていた。


 その『炎』はルーンの中でもとりわけ基礎ルーンと呼ばれるものだ。

 他の上位ルーンというものと組み合わせれば、火を操る魔術を行使できる。

 そして『炎』にさらなる意味を持たせるべく、アッシュは詠唱を唱えた。


「力よ、刃となれ」


 詠唱とはルーンを表音したものである。

 通常の言語と同様に、一つのルーンはいくつもの詠唱で言い表すことができる。

 とはいえ詠唱にも体系があり、大別すれば神を礼賛する教会の【聖典詠唱】と、一切の祭祀色のない実用に特化した【偽典詠唱】の二つになる。

 アッシュのものは杖を用いぬことも相まって完全な偽典形式の魔術であると言えるだろう。


「『炎剣フレイムアーツ』」


 ともかく詠唱により『炎』に『つるぎ』のルーンが組み込まれた。

 よって魔術が発動し、アッシュの剣にはどこか昏い色合いの炎がまとわりつく。

 大剣の射程と魔術の破壊力を備えるそれは、並の杖持ちにはとても体現できない完成度を誇っている。


「お、お前……」


 確かめるように剣を振ったアッシュの横で、へたり込んだ兵士が怯えた声を漏らす。

 彼にすれば突然隣に化物が降ってきたのだ。

 腰を抜かすのも仕方がないが、ここはあいにく戦場だった。


 座り込み、動きを止めた兵士へと死角からオークの一撃が迫る。


「ひっ……」


 錆びた剣を振りかざす敵に気が付き、兵士はとっさに目をつむる。

 しかし刃が届く前に、アッシュが飛びかかるオークの首を吹き飛ばした。


「え……?」


 斬られると同時に焼かれ、ちろちろと血を垂れ流す首の断面。

 舞う火の粉。

 瞬く間にオークを殺したアッシュ。


 兵士は理解しがたいものの間に視線を彷徨わせ、なおも呆然とする。

 そんな様子を見て、死なれても目覚めが悪いのでアッシュは一つだけ尋ねた。


「立てるか?」

「は……はぁ? お前……なんなんだよぉ……」


 泣きべそのような顔になった兵士の襟首を掴み、答えを待つことなく城壁の際まで投げ転がした。

 落ち着くまでは、前線の後ろにいた方が危険も少なかろうと判断してのことだった。


 もそりと動いた兵士の無事を確かめ、アッシュは正面に向き直る。

 すると何を感じ取ったのか、すでに複数のオークがそばまで押し寄せていた。


 クソどもが、と小さく悪態を吐き、腰につけた鎖の束を手早く左手に巻く。

 すると先頭のオークが木槌を振りかざして襲いかかってきた。

 近寄らせることなく喉を焼き斬る。

 続けて剣を引き、後続の一匹を袈裟がけに斬り殺す。


 次に三体のオークが同時に斬りかかってくる。

 が、剣が振り下ろされる前に一体の心臓を貫いた。

 さらにもう一体の斧を投げた鎖で絡め取る。

 そのまま武器ごとオークを引きずり寄せ、醜悪な頭部を粉砕した。

 とどめに最後の一体も続けざまに斬り捨てようと、動きかけた……が、悪寒を感じ身を翻す。


「…………」


 直感は正しかった。

 一瞬だけ後に、先程までいた場所を真っ赤な液体が通り過ぎていた。

 アッシュが避けたことで、液体は別のオークにかかる。

 液体はオークの強靭な肉体を溶かし始めた。

 無惨な光景に一瞥をくれた。

 溶けて苦しむ敵へ、鎖に絡みついていたさっきの斧を投げてとどめを刺す。


 そうして背後に向き直ると、目の前には予想通りヒュドラが這っている。

 ヒュドラにはオークのような数とパワーこそない。

 だがそこそこに素早く這い、また中距離の敵には血の色をした酸を浴びせかけるのだ。


 接近しようとするアッシュの前に、またオークが立ち塞がってきた。

 だから首をめがけて剣を投げると、突き立った刃は瞬く間に敵を炎上させた。

 それから突き立った剣に鎖を投げ、巻きつけた鎖を引いてすぐに回収する。

 そのまま、ヒュドラを仕留めにかかろうとする。


 肉薄したアッシュに、ヒュドラはいくつもの首を駆使して喰らいつこうとした。

 だが初撃をかわし、続く噛みつきもかわし、噛みつくために伸び切った首を横からね飛ばす。

 さらに別の頭を……苦しげにうねる一つを唐竹割に叩き潰し、反撃に出た一つも横一文字に斬り裂く。


 と、そこで再びオークが襲いかかってきた。

 背後から突き出された剣をかわす。

 さらにすれ違いざまに首を落とす。

 冷静に敵の数を確認すると、今のを除いて六体はこちらに来ていると分かる。


 一瞬で片付けた。

 その間に体勢を整えたヒュドラがまた攻撃してくる。

 が、噛みつこうとする頭を近づくそばから切断し、歩いて近寄って長い胴体の心臓を潰した。

 頭をすべて落とすか、こうして心臓を潰さなければヒュドラは中々殺せない。


 そして、その後も簡単なものだった。

 ひとかたまりの群れを殲滅したのを皮切りに、アッシュは殺戮を開始する。

 斬り、燃やして蹂躙する。ひたすらに。

 いつもすることだった。


「…………」


 アッシュの瞳には、死体から立ち上る無数の糸の煙が見えていた。

 魔獣たちの魂であるそれは、アッシュの身体に直接刻まれた禁忌のルーンに取り込まれる。

 そのルーン……『貪る者(ソウルイーター)』と呼ばれるルーンは、際限なく魂を取り込んで力に変える。

 通常の魔術とは違い、このルーンは身体を巡る魔力により常に作動していた。

 だから特に拒むよう意識しない限りは付近の死を喰らい続けるのだ。


 とはいえ魔獣ではないアッシュにはその魂は消化が悪い。

 喰える部分が少ない。

 だからまとまった数を喰らっても急激に強くなるということはない。


 いまだ人であるアッシュには、やはり。



 と、そこで兵士たちの悲鳴のような声が耳に届いた。


「中位魔獣だ!」

「引け! 人を集めろ! こんなの……うわぁぁぁぁぁ!!!!」


 燃え盛る、頭二つ抜けた巨躯を誇るオークが、炎を纏った斧で数人の兵士をまとめて吹き飛ばす。

 戦場の端へとどこからともなくやってきたらしい。

 放置するとまずいのですぐに走り出す。

 誰かの声がまた聞こえた。


「メダクだ! まともにやり合うな!!」


 中位魔獣とはオークやらヒュドラやらの雑兵、下位魔獣に【中位寄生体】が寄生したものだ。

 その強さは人の英雄に匹敵する。


 炎のメダク、氷のディティスと言うように中位寄生体はそれぞれ異なる属性を操る力を持ち、さらに宿主の身体をいくらか作り変える。

 改造の結果か目測三メートルは堅そうな目の前の元オークは、さしずめメダクの巨人とでも呼ぶべきだろうか。


 メダクの巨人は全身を燃え盛らせ、その肉の綻びからは紅い触手が見え隠れする。

 生理的嫌悪を催すような姿だった。


 剣を向けると、挑発と受け取ったか巨人は距離を詰めてくる。

 戦いの前に、アッシュは少しだけ先ほど吹き飛ばされた兵士に視線を向けた。

 正確には分からないが、まだ助かりそうに思えた。


「…………」


 炎を纏う斧の叩きつけの攻撃を受け流す。

 隙を見つけては攻撃を浴びせる。

 しかし燃える敵に炎の剣は相性が悪いようだった。

 大したダメージは与えられない。 


 メダクは何度も斬られながらも傷を塞ぐ。

 炎を纏った大斧を振り回し、波のようにあふれる炎を撒き散らしながら前進してくる。


 アッシュは、大振りが過ぎるメダクの攻撃をかわす。

 そしてその首に鎖を投げ、巻きつけて、軽く力を込めて引きずり倒す。

 メダクはつんのめるように前に倒れた。

 もちろん暴れ狂って抵抗しようとした。

 だがそのまま鎖を足で踏みつけ、きつく引くことで低く低く頭を垂れさせる。

 アッシュの方がずっと力が強かった。

 だから暴れても無駄だった。


 魔物は、目の前の魔獣より強い生き物なのだ。


「…………」


 見下ろしながら魔術を解除し、剣の炎を消す。

 そしてアッシュは、剣の刃で自らの左手首を小さく切った。

 用が済んだ剣も捨て、滴る血を右手の指で取る。

 それから左手を鎖から離してポーチから縦長の紙を取り出す。

 好機と見たかメダクが叫んで暴れ始めた。


「――――――――ッッ!!」


 しかし、強く鎖を踏みしめたままの足が拘束を維持している。

 アッシュは取り出した紙に、血で線を引いて素早く『氷』の基礎ルーンを書きつける。

 魔力に満ちた半魔の血により、即席の触媒を作成したのだ。

 メダルをいくつも持っていく気にはなれないが、手持ちにないルーンも必要ならこうして使えるようにしてある。


「……ちょうどよかったな」


 自分が来たあとに、メダクが現れたことが。


 そういう意味で小さくつぶやく。

 鎖から足をどける。

 左手で、今度は首を上に引いた。

 倒れていたメダクが、膝立ちの、あるいは首つりのような姿勢で顔を上げる。


 燃え盛るグロテスクな顔面に、『氷』の符を持った右手を叩きつけた。

 続けて無感情に一言だけ言葉を告げる。


「穿て」


 発せられた詠唱は、半節にも満たない大幅な省略詠唱だった。

 しかしそれでも『杭』の形が描かれる。


「『氷杭フロストステーク』」


 メダクが纏う火で即席の符が燃えて千々(ちぢ)に散っていく。

 同時に、アッシュの手からは氷の杭が放たれた。

 ゼロ距離でメダクの脳天に突き刺さり、次の一瞬で脳漿のうしょうを撒き散らしながら貫通する。


 魔術による破壊から一拍遅れてメダクは倒れた。

 巨体が音を立てて崩れ落ちる。

 その顔の、穿たれた虚ろで無数の触手が蠢いていた。

 しかしそれもやがて動きを止める。

 敵を仕留めたアッシュは、鎖を回収してあたりを見回す。

 残党を探していたのだが、ハーピィも含めてあらかた片付いた様子だった。


「終わりか」


 小さく呟いて、アッシュはこの場を後にすることにする。

 しかしその前に、しばらく第二波が来ないかどうかを監視することにした。


 剣を鞘に収めて魔物化を解く。

 すると纏わりつく影のような魔力が徐々に霧散していった。

 それを見届けて、喰い残しが無いようにまだ生きている魔獣にとどめを刺すことにした。


 歩いて、三つほど息の根を止めた所で、背後から誰かが話しかけてきた。


「お、おい。……お前は、なんだ?」


 振り向くとそこには、何人かの兵士がいた。

 彼らの背負った死体を見るに、どうやら、戦死者の死体を運びに来たようだ。

 いや、彼らの後ろの兵士たちの様子では、魔獣の死体も片付けているのか。

 散らかしぱなしのアッシュとはえらく違う。

 そんなことを考えていて、問いには少しだけ返答が遅れる。


「……骸の勇者。俺は、あなたがたの味方だ」


 兵士の怯えきった表情と、『誰だ』ではなく、『なんだ』という問いかけ。

 アッシュを恐れているということは、知ろうとしなくても当然察せられた。


 だからこそ味方だと伝えた。

 たとえ彼らの思うような化物だとしても、敵ではないのだと理解してもらうために。


「む、骸の……! あ、えっと……」


 急に慌てだした兵士に、アッシュは軽く手を振る。


「俺のことは気にする必要はない。もう魔獣が来ないと思ったら、勝手にどこかに行く」

「あ。……は、はい!」


 兵士は敬礼をして、慌ただしく駆けて行く。

 去る背中を眼で追うともなく追いつつ、内心で自嘲する。


 アッシュは化物だ。


 勇者が現れなかった結果、魔王へと抗う術をなくした人類は、人の手で勇者を造ろうと試みた。

 そしてそれにより生まれたのがアッシュだった。


 魂を喰らい続ける業は勇者の【レベルアップ】を模したもので、この身を侵す魔物は勇者の特殊能力……【ギフト】を真似るためのものだ。


 そのように、数え切れぬほどの禁忌と人体実験の果てに生まれた存在がアッシュであり、その本質は怪物である。


 勇者などと、自分で自分のことをそう思ったことは一度もない。

 そして事実、そんな自分に教会が与えた二つ名は『骸の勇者』だ。

 こんな忌み名が真っ当な勇者に与えられるはずもない。


「…………」


 そろそろ頃合いだろうと思索を断ち切る。

 もうしばらくは魔獣も来ないだろうし、もし来たとしたらそれはアリスの仕事だ。


 アッシュは自分の仕事を果たすべく、街に背を向けベルムの森へと足を向けた。



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