四話・淀み
アッシュが城壁に到着した頃には、すでに兵士たちが応戦していた。
門は閉じられ、壁の上では魔術兵や弓兵が攻撃をしている。
そして壁の外からは、怒号と剣戟の音が聞こえてきた。
「…………」
周囲を見ると、人が一人とて見当たらない。
市民たちはあらかた避難を終えたらしい。
しかし反対に、増援の兵士はあちこちから向かって来ているようだ。
背後から武装した人の群れが迫る気配もする。
その兵士たちに見つかれば、面倒ごとになる可能性があった。
さっさと前線に出るべきと判断し、アッシュは壁の上に繋がる塔へと足を向ける。
門は閉ざされているので、一度城壁に登って、飛び降りるつもりだった。
誰かとかち合うこともなく、すんなりと塔を登ることができた。
やがて塔を抜けて、城壁の上にたどり着く。
すると蜂の巣をつついたような騒ぎが目に入る。
絶え間なく怒号が響き、時には誰かが悲鳴のような声を上げる。
兵士たちは矢や魔術を撃ち込んでいる。
余所見をする余裕などあるはずもなく、誰もアッシュには気が付かない。
「行くか」
誰に向けるでもなく小さく呟く。
腰に下げた剣に軽く触れた。
そして城壁の縁へと向かい、胸壁のくぼみに足をかけ跳躍した。
「おい! お前なにやってんだ!!」
流石に気がついたらしく、幾人かの兵士が叫びを上げる。
必死に飛び降りたアッシュに声をかける。
だが、それで落下が止まるものでもない。
風に煽られフードがめくられる。
外套がはためき体は浮遊感に囚われる。
アッシュは落下しつつ抜剣し、状況を見極めた。
「…………」
地上には、オークとヒュドラが合わせて五十半ば。
空にもハーピィが三十はいた。
また、地上の部隊もやや押されている。
数では魔獣たちに勝っているが、勢いに押されてしまっていた。
陣形が崩れ、乱戦に陥りかけている。
増援を待つ前に被害が拡大してしまうだろう。
しかし、この場にはアッシュがいる。
魔獣を殺すのは素早いと自負していた。
この程度の群れなら、被害を出さずに戦えるはずだ。
司教への挨拶も兼ねて、綺麗に片付けてしまおう。
「……『魔物化』」
低く、呟いたのは鎖を緩めるための言葉だ。
アッシュの中の人間ではない部分…………魔物のごく一部を解き放つ呪いだ。
すると直後、まるで黒い花が散るように漆黒の魔力が溢れ出す。
そして黒の瞳は赤い輝きを宿し、倦んだ雰囲気は血に飢えた殺戮者のものに成り代わった。
接地と同時に、足元にいたオークを両断する。
それから、アッシュはゆらりと立ち上がる。
「…………」
心が蝕まれていた。
殺意と苛立ちが湧き起こり、ごちゃごちゃになって心を侵す。
しかしそれを押し留める方法は知っている。
殺せばいいのだ。
敵を。魔獣を。
腰のポーチから銀のメダルを取り出した。
メダルには月の瞳が人に与えた、魔力を操るための形……【ルーン】の一つである『炎』が刻まれていた。
その『炎』は、ルーンの中でもとりわけ基礎ルーンと呼ばれる。
上位ルーンと呼ばれる形と組み合わせれば、火を操る魔術を行使できる。
そして『炎』にさらなる意味を持たせるべく、アッシュは詠唱を紡いだ。
「力よ、刃となれ」
詠唱とはルーンを表音したものだ。
通常の言語と同様に、一つのルーンはいくつもの詠唱で言い表すことができる。
そして詠唱にも体系があり、大別すると神を礼賛する教会の【聖典詠唱】や、実用に特化した【偽典詠唱】の二つになる。
アッシュのものは杖を用いぬことも相まって完全な偽典の魔術であると言えるだろう。
「『炎剣』」
ともかく詠唱により『炎』に『剣』のルーンが組み込まれた。
よって魔術が発動し、アッシュの剣にはどこか昏い色合いの炎がまとわりつく。
大剣の射程と、魔術の破壊力を備える炎は、並の杖持ちでは及ばぬ完成度を誇っている。
「お、お前……」
確かめるように剣を振ったアッシュの横で、へたり込んだ兵士が怯えた声を漏らす。
彼にすれば、突然隣に化物が降ってきたのだ。
腰を抜かすのも仕方がない。
とはいえ、ここはあいにく戦場だった。
座り込み、動きを止めた兵士へと、死角からオークの一撃が迫る。
「ひっ……」
敵に気が付き、兵士はとっさに目をつむる。
しかし刃が届く前に、アッシュが飛びかかるオークの首を吹き飛ばした。
「え……?」
兵士が声を漏らす。
目に入ったのは、斬られると同時に焼かれ、ちろちろと血を垂れ流す首の断面。
舞う火の粉。
瞬く間にオークを殺したアッシュ。
「えぇ……?」
兵士は、理解しがたいものの間に視線を彷徨わせた。
なおも呆然としている。
アッシュはため息を吐いて、一つだけ尋ねた。
「立てるか?」
「は……はぁ? お前……なんなんだよぉ……」
アッシュはすぐに対応を決めた。
泣きべその兵士の襟首を掴み、城壁の際まで投げ転がした。
死なれても寝覚めが悪い。
落ち着くまでは、後ろに引っ込んでもらおうと考えて。
「…………」
もそりと動いた兵士の無事を確かめ、アッシュは正面に向き直る。
何か感じ取ったのか、すでに複数のオークがそばまで押し寄せていた。
「クソどもが」
小さく悪態を吐き、腰につけた鎖の束を左手に巻く。
同時に、先頭のオークが襲いかかってきた。
木槌を振りかざして、頭を狙って振り抜こうとする。
だが近寄らせることもない。
簡単に喉を焼き斬る。
続けざまに、後続の一匹を袈裟がけに斬殺する。
「――――ッ!」
魔獣の咆哮が耳を刺す。
三体のオークが同時に斬りかかった。
が、剣を振り下ろす前に一体が死んだ。
心臓を貫かれて。
さらに、もう一体も無力化される。
アッシュが投げた鎖に、得物たる斧を絡め取られた。
そのまま、オークは武器ごと引きずり寄せられる。
醜悪な頭部が焼き斬られた。
アッシュは最後の一体も続けざまに斬ろうとした。
……が、悪寒を感じて身を翻す。
「…………」
直感は正しかった。
一瞬の後に、真っ赤な液体が鼻先を通り抜ける。
アッシュが避けたことで、液体は別のオークにかかる。
それは酸だ。
オークの強靭な肉体を溶かし始める。
アッシュは溶けて苦しむ敵へと、鎖で取った斧を投げて殺す。
そうして背後に向き直ると、目の前にはヒュドラが這っている。
オークのような数とパワーこそないが、素早く這い、血色の酸を使う危険な魔獣だ。
駆除に動いたアッシュの前に、またオークが立ち塞がる。
首に剣を投げて殺し、鎖を柄に引っ掛けて一瞬で手に戻す。
前進した。
肉薄したアッシュに、ヒュドラは喰らいつこうとする。
いくつもの首を駆使して噛みつきを放つ。
だが初撃をかわし、続く噛みつきもかわした。
噛みつくために伸び切った首を、横からの一閃で刎ね飛ばす。
さらに、別の頭を唐竹割に潰し、反撃に出た一つは横一文字に裂く。
と、そこで再びオークが襲いかかってきた。
背後から突き出された剣をかわす。
すれ違いざまに首を落とす。
冷静に敵の数を確認すると、今のを除いて六体は来ていると分かる。
一瞬でバラバラの惨殺死体に変えた。
そして、その後も簡単なものである。
ひとかたまりの群れを殲滅したのを皮切りに、アッシュは殺戮を開始する。
斬り、燃やして蹂躙する。ひたすらに。
いつもと同じ作業だ。
「…………」
その間、アッシュの瞳には、死体から立ち上る無数の糸の煙が見えていた。
魔獣たちの魂であるそれは、身体に刻まれた禁忌のルーンに取り込まれる。
そのルーン……『貪る者』と呼ばれる魔術は、際限なく魂を取り込んで力に変える。
通常の魔術とは違い、これは身体を巡る魔力により常に作動していた。
だから特に拒むよう意識しない限りは、付近の死を喰らい続けるのだ。
とはいえ、魔獣ではないアッシュには魔獣の命は消化が悪い。
喰える部分が少ない。
なので、まとまった数を喰らっても急激に強くなるということはない。
……いまだ、人であるアッシュには、やはり。
と、そこで兵士たちの悲鳴のような声が耳に届いた。
「中位魔獣だ!」
「引け! 人を集めろ! こんなの……うわぁぁぁぁぁ!!!!」
燃え盛る、頭二つ抜けた巨躯を誇るオークが、炎を纏った斧で兵士をまとめて吹き飛ばす。
戦場の端へと、どこからともなくやってきたらしい。
放置するとまずいのですぐに走る。
誰かの声がまた聞こえた。
「メダクだ! まともにやり合うな!!」
中位魔獣とは、オークやらヒュドラやらの下位魔獣をもとに生まれる。
要は雑兵に【中位寄生体】が寄生したものだ。
その強さはかなりのもので、人の英雄にも匹敵する。
炎のメダク、氷のディティスと言うように、中位寄生体はそれぞれ異なる属性を操る力を持つ。
さらに宿主の身体をいくらか作り変える。
今日、ここに来た個体も例に漏れない。
改造の結果か、目測三メートルは堅そうな巨躯は、まさに『メダクの巨人』とでも呼ぶべきだろう。
「――――ッッ!!」
中位魔獣が吠えた。
全身を燃え盛らせ、肉の綻びからは紅い触手が見え隠れする。
生理的嫌悪を催すような姿である。
「来い、殺してやる」
前に立ち、剣を向ける。
挑発と受け取ったか、すぐに巨人は距離を詰めてくる。
「…………」
戦いの前に、一瞬だけ後方に目を向けた。
先ほど吹き飛ばされた兵士が倒れている。
正確には分からないが、まだ助かりそうに思えた。
すぐに戦闘に戻る。
敵の、炎を纏う斧を受け流した。
隙を見つけては攻撃を浴びせる。
しかし燃える敵に炎の剣は相性が悪い。
大したダメージは与えられない。
メダクは、何度も斬られながらも傷を塞ぐ。
炎を纏った大斧を振り回し、波のようにあふれる炎を撒き散らした。
怯むことなく前進してくる。
「おい。お前、図に乗るなよ」
淡々と、じっと敵を見つめながら言う。
大振りが過ぎる攻撃をかわす。
そして、その首に鎖を投げた。
首尾よく巻きつけて、軽く力を込めて引きずり倒す。
メダクはつんのめるように前に倒れた。
もちろん暴れ狂って抵抗しようとするが、無駄だ。
そのまま鎖を足で踏みつける。
きつく引くことで、低く低く頭を垂れさせる。
アッシュの方がずっと力が強かった。
暴れても意味がない。
魔物は、目の前の魔獣よりは強い生き物なのだ。
「…………」
見下ろしながら魔術を解除する。
剣の炎を消した。
アッシュは、剣の刃で自らの左手首を小さく切った。
そして用が済んだ剣も捨てる。
滴る血を右手の指で取り、ポーチから縦長の紙を取り出す。
鎖から手を離したのを好機と見たか、メダクが叫んで暴れ始めた。
「――――――――ッッ!!」
しかし、鎖を踏んだ足が拘束を維持している。
アッシュは取り出した紙に、血で線を引いて『氷』の基礎ルーンを書きつける。
魔力に満ちた半魔の血により、即席の触媒を作成したのだ。
メダルをいくつも持っていく気にはなれないが。
手持ちにないルーンも、必要ならこうして使えるようにしてある。
「……ちょうどよかったな」
自分が来たあとに、メダクが現れたことが。
そういう意味で小さくつぶやく。
鎖から足をどける。
左手で、今度は首を上に引いた。
倒れていたメダクが、膝立ちの、あるいは首つりのような姿勢で顔を上げる。
燃え盛るグロテスクな顔面に、『氷』の符を持った右手を叩きつけた。
続けて、無感情に一言だけ言葉を告げる。
「穿て」
発せられた詠唱は、半節以下の大幅な省略詠唱だ。
しかしそれでも『杭』の形が描かれる。
「『氷杭』」
メダクが纏う火で、即席の符が燃えて千々に散っていく。
同時に、アッシュの手からは氷の杭が放たれた。
ゼロ距離でメダクの脳天に突き刺さり、次の一瞬で脳漿を撒き散らしながら貫通する。
「…………」
魔術による破壊から一拍遅れてメダクは倒れた。
巨体が音を立てて崩れ落ちる。
その顔の、穿たれた虚ろで無数の触手が蠢いていた。
しかしそれもやがて動きを止める。
敵を仕留めたところで、鎖を回収してあたりを見回す。
残党を探していたのだが、ハーピィも含めてあらかた片付いた様子だった。
「終わりか」
小さく呟いて、アッシュはこの場を去ると決める。
しかし、しばらくは第二波が来ないかを監視する必要があった。
剣を鞘に収めて『魔物化』を解く。
纏わりつく影のような魔力が徐々に霧散していった。
それを見届けて、暇潰しをすると決めた。
喰い残しが無いように、まだ生きている魔獣にとどめを刺す。
歩いて、三つほど息の根を止めた所で、背後から誰かが話しかけてきた。
「お、おい。……お前は、なんだ?」
振り向くとそこには、何人かの兵士がいた。
どうも魔獣の死体を片付けているらしい。
散らかしっぱなしのアッシュとはえらく違う。
そんなことを考えていて、少しだけ返答が遅れる。
「……骸の勇者だ。俺は、あなたがたの味方だよ」
兵士の怯えきった表情と、『誰だ』ではなく、『なんだ』という問いかけ。
アッシュを恐れているということは、知ろうとしなくても当然察せられた。
だからこそ味方だと伝えた。
たとえ彼らの思うような化物だとしても、敵ではないのだと理解してもらうために。
「む、骸の……! あ、えっと……」
急に慌てだした兵士に、アッシュは軽く手を振る。
別に取り繕ったり、何かを訂正する必要はないのだ。
「俺のことは気にしなくていい。もう魔獣が来ないと思ったら、勝手にどこかに行く」
「あ。……は、はい!」
兵士は敬礼をして、慌ただしく駆けて行く。
去る背中を眼で追うともなく追いながら、内心で自嘲をする。
アッシュは、紛れもない化物だ。
勇者が現れなかった結果、魔王へと抗う術をなくした人類は、人の手で勇者を造ろうと試みた。
そしてこれにより生まれたのが人造勇者だ。
魂を喰らい続ける業は、勇者の【レベルアップ】を模したもの。
この身を侵す魔物は勇者の特殊能力……【ギフト】を真似るためのものだ。
アッシュは、数え切れぬ禁忌と人体実験の果てに生まれた、真似事の怪物でしかない。
勇者などと、自分で思ったことは一度もない。
そしてそんなアッシュに教会が与えた二つ名は『骸の勇者』だ。
こんな忌み名が、真っ当な勇者に与えられるはずもない。
「…………」
そろそろ頃合いだろうと思索を断ち切る。
もうしばらくは魔獣も来ないはずだ。
もし来たとしたら、それはアリスの仕事になる。
アッシュは自分の仕事を果たすべく、街に背を向けた。
迷いない足取りで、ベルムの森へと進み始める。




