十四話・束の間の平穏
「二人で出歩くというのは久し振りですね」
「そうだな」
朝の街を、アッシュとアリスは二人で歩く。
ノインも連れて行きたかったのだが、この前の反応を見るに恐らくノインは死体への耐性が低い。
そんな彼女に死屍累々の街を見せるのも酷だと思ったので、勉強をさせながら教会で待たせている。
「どうしてノインちゃんを置いていったんですか?」
アリスの質問に答えた。
「死体に慣れていない」
「なるほど」
アッシュたちが歩いているのは貧民街だった。
粗末な木造の小屋が立ち並ぶ……いや、無惨な残骸を晒しているだけだ。
そんな日当たりの悪い通りを歩いていた。
「そういえばこんな所で何を?」
「油があるだろう、たっぷりと」
「楽しそうなこと考えてそうですね」
『偽証』は液体や気体を作るのには向かない。
油も、気体ほど難しくはないので少しなら作れるだろう。
でも大規模な仕掛けには心もとないのだ。
「で、肝心の油はどこですかね」
「魔獣の死体から油を絞るのは賤民の仕事だ。しかし稼ぎは悪くない。あるとすれば、それなりにまともな家だろうな」
魔獣の死体は忌まわしいものだが、ただ捨てられる訳ではない。
何しろ腐るほどあるのだから。
主に街灯のための油にしたり、金のない冒険者などがその武器を再利用したりする。
物好きは甲殻やらなんやらを、防具やその他の品物に誂えたりもするらしい。
やかて、アリスが何かを見つけて指さして知らせてくる。
「あの家なんかどうですかね?」
「探してみるか」
彼女が指さしたのは、がらんとした離れの場所にある一軒の大きな家だった。
家が密集する傾向がある貧民街において、離れにある家は珍しい。
そしてその上造りもレンガだ。
ただの賤民の家ではないだろう。
「なんであんな離れにあるんでしょうね」
嫌になるほど転がっている干からびた死体をまたぎながら、アリスが不思議そうな口ぶりで言う。
「油を作るならそれなりの場所が必要だし、魔獣の死体は煮詰めると臭いからな。近寄りたがらないんだ」
知っていることを話した。
するとアリスがじっと見つめてくる。
「煮詰めたことがあるような口ぶりですね」
「そうだな」
「美味しかったですか?」
「……馬鹿」
そんな風に話していると、すぐに家の前へとたどり着いた。
壁が破られていて、そこから魔獣が入り込んだらしい。
魔獣に倣う訳ではないが、その穴を通って家の中に入る。
家の扉は、まず間違いなく固く閉ざされているだろうから。
「お邪魔しまーす。うわ酷い」
家の中の荒らされ具合は酷いもので、鍋やらなんやらが床に散乱している。
だが死体はなかった。
アッシュはつぶやく。
「良くないな」
「何がですか?」
「地下室に逃げ込んだかもしれない」
「地下室?」
アッシュは頷く。
「油は地下室に保存する。劣化を避けられるし、臭いもあるからな。それで、どうやら家主はその地下室に隠れた」
するとアリスが不思議そうな顔をした。
「それはなにか悪いんですか?」
「油の、ツボが割れるだろう」
「冷血……」
アッシュは家の中を探る。
しかし居間には地下の入り口はなかった。
なので他の部屋を探してみることにした。
やがてベッドがある部屋にたどり着く。
「寝室のようですね」
「……ほぼ荒らされていない。なら、外れだろうな」
そこそこに上等な寝台が置かれた、その部屋はきれいなものだった。
そして荒らされていないということは魔獣が通らなかったということだ。
踵を返して、今度は違う部屋へと入る。
中々、この家は広かった。
そしてある一室に足を踏み入れると、アリスが声を漏らす。
「あ、見るからに当たりですね」
「ああ」
ごく狭いその部屋には、下へと続く階段がある。
そして階段の他には、カンテラが置かれた小さな机があるだけだった。
「気のせいかもしれませんが、臭いですよ」
「油のツボが割れているんだろう」
「帰っていいですか?」
彼女はそう言って顔を引きつらせる。
確かに魔獣の油など反吐が出る……のはよく分かる。
しかしアッシュは、先に行きながら言葉を返す。
「君がいなかったら誰が持ち帰るんだ」
「こんな時だけ君とか言ってもねぇ、私はなびきませんよ」
無視して階段を下る。
「ああ、これをどうぞ」
「助かる」
追いついてきたアリスが、魔道具のカンテラを渡してくれた。
左手で握る。
握りを通して魔力を流すと、それは光を放つ。
片手が塞がる形になるが、左手はそもそも上手く動かない。
なのでせめてカンテラをぶら下げているくらいがちょうどいい。
だから右手で、ツボのフチを掴んで運ぶしかないだろう。
「やっぱ無理です。上に、ツボだけ持ってきてください」
そう長くない階段の半ばでアリスは引き返して行った。
アッシュは一人で地下室に降りる。
すると、広い地下室には大量の油壷が放置されていた。
けれど半分近くが割れていた。
そしてその中には、割れたツボの破片と油にまみれて死んだ人の死体があった。
「…………」
死体から目をそらして、部屋の奥の割れていないツボに目を向ける。
しかし、それにしてもここは不愉快だった。
臭いもそうだが、割れたツボの油のためか、歩くと水音がする。
足の裏の感触も悪い。
さっさと済ませてしまおうと歩きだすが、そこで横をいくつかの影が横切った。
「お前か?」
階段の下からそう声をかけると、声が返ってくる。
「召喚獣にやらせましょう。私は魔獣臭い人と歩くなんてごめんですよ」
「そうか」
「血なまぐさいだけならまだしも油まで加わってはたまったものではありませんからね」
ありがたい申し出だったので素直に地下室から出た。
しかし、暗い中でも作業できるのかと考えるが、召喚獣にはそもそも目がないことを思い出す。
まったく不思議な生物だと考える。
ほどなくして召喚獣がツボを持ってきて、油は無事手に入った。
「さぁ、まだ何か集めますか?」
ツボを持ってきたそばから虚空に消して、アリスが聞いてくる。
アッシュは少し考えてから答える。
「そうだな。まだいくつか家を回って、それが終わったら城壁に残っている弩と、それから武器庫も覗きたい」
「なるほど。……なんだか私はわくわくして来ましたよ。いたずらの準備みたいでいいですね」
何故か楽しそうなアリスを一瞥して、アッシュは歩きだす。
「そうだな」
―――
何度かはぐれの魔獣を始末したりしながら街を回った。
しかし必要なものは大方昼過ぎまでには集まった。
そして今は、昼食のために教会に戻っていた。
三脚の上にフライパンを乗せてアリスが何かを焼いている。
アッシュの方はというと、例の長机でノインの手習いを見ていた。
「……あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」
彼女はとても熱心で、時々フライパンの方を横目で見る他にはさぼりもしない。
チョークで石版に文字を書きつけている。
アッシュは時折文字に間違いがないか見たりしながら、件の紙の眷属獣の情報を読み返す。
大きさ、体の高さ、形、確認された攻撃行動、それから移動は速かったかどうか、放たれた矢が刺さったのか。
アッシュはそんなことを全て頭に叩き込んでしまおうとしていた。
「……『の』まで覚えました」
布で石板の文字を消すノインの、そんな言葉にアッシュは振り向く。
「……そうか。なら、もうすぐ名前を書けるな」
「…………!」
どこか、ほんのわずかに喜びを滲ませた様子で口元を緩ませ、彼女は石板に向き直る。
そして声を出しながら丁寧な手つきで文字を書く彼女は、もうフライパンを盗み見ることさえしなかった。




