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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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十一話・棄てられた街

 


 昼の高い日差しが照らす中、辿り着いたのは大きな街だった。


 最近立ち寄ったものを例に出すなら、ロデーヌにも近しいほどの規模の街だった。

 また、同じ水準の防備も備えていたことが読み取れた。

 しかしここは、城壁が崩れてしまって完全に陥落している。


 本当に、禁忌領域も奥になれば酷いものだった。


「ここだったか?」

「ええ、そうですね」


 問いに、アリスが答える。


「絶望的ですが、探してみる価値はあるでしょう」

「ああ」


 主門がセレネア地方に現れたのは、約五ヶ月前だという。

 比較的主門出現地点に近く、また人が多かったこの街では、致命的に避難のタイミングを間違えてしまった。

 結果、多くの人が取り残された。


 そして今となっては絶望的だが。

 地方の中心であったここになら、いくらか生存者がいるかもしれない。


 そういう風にアッシュには伝えられていた。

 打ち壊された城門を踏み越え、三人で街の中に入る。


「なにか金目のものでもありませんかね」

「……馬鹿が」


 ふざけたことを言うアリスに、ただでさえ悪い気分だったのもあるが思わず吐き捨てる。


 魔獣が街を打ち壊し、人を殺して喰らう。

 必要もないのに殺す。

 それを見て腹が立たない訳がない。

 ここでこいつのような口を利ける者の気持ちは理解できなかった。


 完膚なきまでに崩れた街だ。

 干からびた人の死体が転がっている。

 戦った者も逃げようとした者も。守ろうとした者も、守られていた者も。

 全て全て殺されたのだろう。


「…………」


 やはり魔獣は悪だ。

 最後の一匹まで狩り出して、殺し尽くさねばならない。


 そして悪態をつかれたからか、わずかにすねたような声でアリスが口を開く。


「まぁ別に廃墟探訪って訳でもありませんし。探しましょうか? こういう時って、どこに隠れると思います?」


 アッシュは答えた。


「軍の施設があるならそちらか……。ノイン、君はどう思う?」


 アッシュはノインに意見を求める。

 けれど、彼女は上の空に頷いただけだった。

 もう進むことにした。

 行き先は軍の施設だ。


「じゃあ行こう」


 中枢都市であるここには、セレネアの盾である騎士団の本部があった。

 そして団長であり、領主であった男は……この街が陥落する前に、誰よりも先に逃げ出したのだという。

 頭を失った兵士たちが、それでも基地を拠点にしたのかは分からない。

 しかし少なくとも、アッシュならそうするだろう。


「…………」


 進む街路の上には嫌になるほど死体がある。

 恐らくは家の中に隠れていただろうに、魔獣が引きずり出して引き裂いたのか。

 多くの死体は鳥に啄まれて崩れていて、それが惨劇から経過した時を感じさせる。


 見ているだけで胸が悪くなる光景は、目を逸らしても逸してもあちこちにあった。

 そんな街を見ていると、思考が重くなって体から気力が消え失せるような気がする。

 アッシュは無力で、本当にちっぽけな魔物で、世界を救うことなどできなかった。


「…………」


 そしてノインも街を見ていた。

 静かな目だったが、いつもの無感情とは違う気がした。


「ああ、これは。賛美節でしょうか」


 街路を抜けて大広間に出ると、アリスが声を漏らした。

 そこには大きな祭壇があり、様々な飾り付けの残骸が散らばっていた。


 アリスが一人で言葉を重ねる。


「五ヶ月前というとちょうどロウエンでしたね。なるほど、この街でも祝ってたんですか」


 でも、と言うように地域によって賛美節の祝い方には差がある。

 ロウエンの賛美節に祭りをやらずに、しかしフリッツの賛美節には祭りをやったりもする。

 もちろんその逆もあって、勇者と地域の縁の強さが主に関係している。

 しかしロウエンは聖教国出身の勇者なので、この国では大体どこでも祝う。


 アッシュはそんなことを考えながら、答えた。


「そうらしいな」


 言いながら、広場の中央近くに突き立てられた旗を見る。

 傾いた旗には文字が刻まれている。


『勇壮なる雷鳴、全ての魔王を討ち倒せり。我らこれを永遠に語り継がん。朽ちぬその名は【ロウエン】。偉大なる月の瞳の勇者』


 恐らくは賛美節の準備中か、終わった後かに主門が現れて、片付けどころではなくなったのだろう。

 だから旗や、他にも色々と残っている。

 たとえば広場の中央には祭壇があった。

 その祭壇は壊れていた。

 さらに、神を讃える言葉が刺繍されたタペストリーは、人の手か魔獣の手か……それは分からないが、とにかくずたずたにされていた。

 なぜか、妙に物悲しかった。


 流石に肩を落としていると、アリスがノインに語りかける。


「ノインちゃん賛美節知ってますか?」

「……知ってはいます、一応、ですが」


 ノインは頷くが、あの修道院だ。

 まともな祝い方はしなかったであろうことは容易に察せられた。


 広場を出てしばらく歩く。

 すると街の中央あたりの、一際荒れ果てた場所にたどり着く。

 なにがあったのか焦げ付いている見張り塔や、壊れた跳ね橋があった。


「この様子では……」


 アリスが言うが、構わず進む。

 だが、心のどこかでは無理だろうと思っていた。

 『狂兵たち』、とりわけデュラハンは探知能力が高い。

 守りを突破されたのなら、隠れることは難しい。


 そう思いながらつぶやく。


「跳ね橋が壊れているな」


 橋はどれも壊れて、あるいは上げられて、木の槍が立てられた堀が道を遮っている。


「召喚獣を出しても構いませんが、あちらに橋が残っているので迂回しましょうか」


 アリスが指さした方を見ると、確かに橋がある。

 その周囲は遠目に見ても露骨に死体が多かったので、最後に人々が脱出路にしようとしたのだろう。

 周囲には激しい戦闘の痕跡があり、橋も損傷していた。


「…………」


 迂回して橋の前に立つ。

 しかしこの橋が壊れてアリスが落ちると死ぬ恐れがあった。

 なので、まずアッシュが先行して渡った。


「通れそうですか?」

「ああ」


 そんな受け答えの後、アリスも若干怯みながら橋を渡る。

 ノインはどうしたかと彼女の方を見ると、またじっと死体を見つめていた。

 この街に入ってから、彼女は少し放心しているように見えた。


 しかしそれも当然だろうか。

 彼女はアッシュのように惨劇を見慣れてるわけでもない。

 恐らくは、アリスのように醒めている訳でもない。

 だからこれは普通の反応なのかもしれない。

 となると、吐かないだけ気丈なものか。


「大丈夫か?」

「……はい」


 我に返るような間の後小さく答えて、ノインは橋を渡る。

 背に吊った大剣の重みのせいか、壊れかけの橋はかすかに軋む音を立てた。


 渡ったあと、アッシュは思わず声を漏らす。


「ああ……酷いな」


 基地の中でも大規模な戦闘があったらしい。

 おびただしい人間の死体と、それから魔獣の死体も多くある。

 そして兵士たちの死体は、橋に背を向けるような形で息絶えたものが多かった。

 恐らくは、匿っていた人々を逃がそうとしたのだろう。


「…………」


 一体のサイクロプスの死体に覆いかぶさるようにして、何人もの兵士が剣や槍を突き立てたまま死んでいる。

 アラクネの矢をいくつも受け、それでも武器を手放さなかった死体がある。

 本当に、誇りある兵士たちだと思った。


 なにか響くものがあったのか、アリスもわずかに目を伏せていた。

 さらに静かな声でつぶやく。


「腐敗が酷いですね。……街の死体も、ここの死体も、時期としては二ヶ月ほど前でしょうか」

「そうだな」

「よく頑張ったとは思いますが……駄目じゃないですかねこれ」

「……ああ」


 逃げようとしたということは、もはや基地の中は安全ではなくなったということだ。

 その中で生き残っているはずもないし、まして二ヶ月近く時が経つのならばなおさらだ。


「引き返しましょう」

「そうだな」

「あとは……教会でしょうか」


 戦役の際、教会はしばしぱ避難所になる。

 歴史の中に戦争を組み込んだこの世界では、教会はそうなりうるように作られている。


 地下室、食料、水、武器。

 気休めではあるが、それらの備えはしてある所が多い。


 この分では教会に隠れた人の生存も難しそうだったが、二ヶ月前だというなら可能性もないわけではない。

 これほどの規模の街の教会だ。

 一人か二人か、あるいは五人程度なら。


 二ヶ月を生き抜くことも不可能ではないかもしれない。


「生きてたらどうしますか?」

「お前の召喚獣に、飛べるものがあるだろう。あれで一日に二人ずつ運ぶ」


 生き残っている者がいたのなら、それはこの街の全員が生かした命だ。

 どうあっても助けるべきだろうとアッシュは思った。

 だがアリスは困ったように唸る。


「いや、魔力の消費えげつないですよそれ。殺す気ですか」

「だからもし見つかったら、しばらくは足を止める」


 ここなら狩る獣には不自由はしないから、足を止めるのも悪くはないだろう。

 退屈はしないはずだ。


 すると、アリスがぼそりと言った。


「……らしくもない」


 そうは言うが、アッシュだって助けられるものなら助ける。

 助けることが、より多くを見捨てることに繋がるような場合なら躊躇うことはしない。

 しかし、それでも人は生きていた方がいい。


 やがて鐘が吊られた塔を目印に、教会まで行きつく。


「駄目か」


 入り口は破られ、中の礼拝堂も死屍累々だ。

 一応中に入ってみるが、地下室に行くまでもないように思われた。


 奥の祭壇の前。

 割れたステンドグラスから差し込む光の下、一際立派な祭祀服を着た聖職者がいくつもの矢を受けて倒れている。


 恐らくは彼がこの教会の主だろう。

 この規模の教会なら彼は教区長……つまりは司教以上の腕のいい魔術師であるはずだ。

 だから最後まで応戦することができたのだろう。


 彼の周りに焼け焦げて転がる、無数のデュラハンと二体のサイクロプスを見て思う。

 そして、アッシュは祭壇を蹴り飛ばした。


「何をするんですか」


 おもむろに蹴ったアッシュに、後ろのアリスが咎めるような声を漏らす。

 しかし振り向きもせずにアッシュは答えた。


「地下室だ」

「なるほど」


 祭壇の下の、隠し階段に通じる木の蓋を取り外す。

 魔術によって、気配や匂いを断つ処理が厳重に施されているのかもしれない。

 デュラハンにも見つからなかったらしい。

 薄暗い地下へと足を踏み入れる前に、アッシュは短く黙祷して、足元の聖職者の杖を手に取る。


「暗き夜に、我ら主の影を仰ぎます。どうか闇を歩む我らに月の光の導きを。先の見えぬ道を照らす加護を」


 詠唱を唱えて、魔術を発動する。

 隠し階段の闇が和らぐ。


「『灯光トーチ』」


 アッシュは『光』に類する魔術の素養が薄い。

 それでも上等な杖を使って、詠唱を唱えればこの程度の魔術なら簡単に扱える。


 杖の先の光に目を細めながら、アリスが問いかけてくる。


「……生きてますかね、果たして」

「さぁな」


 杖の光で月の下、というよりも太陽に照らされたかのように明るくなった通路を下る。

 地下室に出た。

 するとそこには十人ほどの子供の死体があった。

 少し周囲を見ると、二人のシスターの腐乱死体も見つかる。

 すえた臭いを放っていた。

 死因は、恐らくは餓死だろう。


「誰か生きているか?」


 どこかひんやりとした部屋の中で問いかける。

 もしかすると誰かが隠れているかもしれないと思ったのだが、人の気配はやはり感じない。


「…………」


 返事はないと諦めて、引き返そうかと思った時。

 またノインがじっと死体を見つめていることに気がつく。

 だからアッシュは声をかけた。


「大丈夫か?」


 その問いに、ノインはやはり死体を見つめたまま答える。


「……神様は、何故」


 と、すでに上にいたらしいアリスが声をかけてくる。


「さっさと行きましょうよ。これ以上いたって無駄ですよ」

「今行く」


 そう答えて、アッシュはまたノインの方を見る。

 すると、彼女は首を横に振って歩き始めた。


「なんでもありません」


 アッシュは彼女の背を追って階段を登る。

 そして腐れ落ちた司教の死体の前に跪く。


 彼は逃げられる立場で、実際に騎士団長は逃げたというのに、残って戦った勇敢な聖職者だった。

 だから彼の手に杖を戻し、そっとまぶたに手を伸ばした。

 死体を崩さないように注意しながら、慎重な手付きで濁った瞳を閉ざす。



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