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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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九話・雨宿り

 


 その日の夜には雨が降った。

 馬車を見つけたあたりから曇ってはいたが、野営の準備をしようとしたところで丁度雨が降り出した。


 そして今は馬車の中でなんとなく雨宿りをしている。

 中には封印用の魔石を砕いたものを原動力にしたカンテラが吊るされていた。

 なのでそこそこ明るい。


「さて、これどうしましょうか。とりあえず私はこんな寒い夜に冷たい雨に打たれるなんて御免ですよ」


 そんなことを言うアリスは、いつもの御者台ではなく板張りの床の上に無駄に上品な座り方で腰を下ろしている。


 ノインはもちろん、アリスと野営した中でも雨が降ったのは初めての経験だった。

 彼女と仕事をしていた時は、いつも街か軍の基地を拠点にできていた。

 だから雨が降っても屋根の下にいられて、移動の際も運良く雨に降られることはなかったのだ。


「…………」


 アリスと組む前はどうしていたかを思い出してみる。

 その頃はまだ生きた馬が馬車をいていた。

 そして寝泊まりは雨を避けてその馬車の中でしていたものだ。

 とはいえこれは寝る必要のある封印官などの話で、アッシュは外で見張りに立っていた。

 当時の封印官が、満載した物資の中で窮屈そうにしていたのを覚えている。

 共に乾パンをかじったり、水筒に水を貯めたりもした。

 しかしそれでも別に、仲は良くはなかったが……。


 と、そこまで考えて思う。

 本当に便利になったものだと。

 わずかに感慨深い気持ちになりつつも、アッシュは口を開く。


「テントも浸水するだろうから、今夜は馬車で夜を明かすしかない。隙間風は我慢してくれ」


 言いつつアッシュの隣で三角座りしているノインに目をやると、風車をぼんやりと眺めていた。

 外にいた昼と違って回らないのが不思議なのか、時々揺らしたりもしている。


「見張りはどうするんです?」


 思い出したように問いかけてくるアリスに、目をこすりながら答えた。


「……俺は濡れても大してこたえない。あとは、焚き火もできないが夜目も利くからな。見張りにそう不都合もないだろう」


 自分が立つという前提で話す。

 雨だからといって何も変わらない。

 なんなら雨は痕跡を消してくれるので、平穏に進むなら助けになるものでさえある。


 しかし何故か、アリスが眉をひそめる。


「え、いや、でも、それは果たしていいんでしょうか……?」

「構わない」


 何年も戦争が続くと、雨などは本当にどうでも良くなってしまう。

 それは、病と縁がないアッシュならなおさらだった。

 だから頷いて話を続ける。


「しかし先に食事を摂っておきたい。パンなにかを持っていたらくれないか?」

「食べたら出る気ですか? この雨の中?」


 馬車の幌に打ちつける雨の音は、それこそうるさいくらいだった。

 雨足が強いのは容易に想像できた。


「いや、外で食うよ。腹に入れば同じだからな。それより早く見張りをした方がいい」


 そろそろ面倒になって強引に結論に話題を運ぶ。

 すると、唐突にノインが口を開く。


「……あたしが行きましょうか?」


 その言葉にアッシュとアリスが振り向く。

 すると彼女はさらに続けた。


「アッシュ様にばかり見張りをさせているので。今日はあたしがやります」

「君は風邪をひくだろう。気持ちには感謝するが、やはり俺が行くべきだ」


 そのやりとりにアリスは黙り込む。

 そして、少し考えた後で閃いたように手を打った。


「いえ、その必要はありませんよ」

「何故?」

「召喚獣に見張りをさせます」


 何かと思えばそんなことを言うアリスに、アッシュは反対する。

 休むために止まっているのにそんなことをされては困る。


「無意味に消耗すべきだとは思わない」

「無意味ではありませんよ。流石の私もあなたをこの雨の中放り出すのは気分が悪いんです。ノインちゃんだって気にせずにすみますからね」


 少し黙る。

 彼女なら笑って送り出して、その上追加で雨乞いでも始めておかしくないと思っていたからだ。


 しかしその沈黙を肯定と受け取ったか、アリスはさてと……なんて声を漏らし、立ち上がって外に人影を配置する。


「ま、大した消耗でもありませんからお気になさらず」


 また腰を下ろしながら、アリスがそう言った。

 アッシュはふと気になって問いを投げる。


「……お前が寝ている間はどうするんだ?」

「雨が止んでいることを祈りましょう」

「…………」

「か、傘くらい渡しますって……」


 結局外に出すのかと思いはしたものの、アッシュとしては別段責めるつもりもなかった。

 だがアリスの方はそう思わなかったらしい。

 取り繕う様に言って、話を逸らすように別の話題を切り出してくる。


「そうだ。話も済みましたしとりあえずご飯にしましょうよ」

「!」


 アリスがそう言うと、ノインが無言でアリスへと振り向く。

 小さく音を立てて風車が落ちた。


「焚き火ができませんからね。我慢してパンでもかじりますか」

「そうだな」


 ざぁざぁと鳴る雨音を聞きながら答える。

 すると目の前に柔らかそうな白パンが突き出される。

 しかし我慢とは言うが、こんなパンが食べられることはありえないのだ。

 彼女といると通常の感覚が麻痺しそうだった。

 なぜこのパンは腐りすらしないのだろう。


「…………」


 そんなふうに考えて、受け取りもせずまじまじとパンを見つめる。

 するとアリスが眉をひそめる。


「なにか文句でも?」

「そういえば、腐らないんだなと」

「何を今さら。変な人ですね」


 空間魔術で保存した食べ物は腐らない……らしい。

 だから、目の前の明らかに保存には適さないパンでも何日経とうが食べられる。

 これは今までには考えられなかったことだ。

 アリスが来る前には、小麦粉やら乾パンやら雌鶏めんどりやらを持ち歩いて細々と食いつないでいたものだ。


 これを軍の兵糧などに応用できれば大いに士気が上がると思う。

 だが実際、アッシュなどが考える前に、その試みは始まっているのだとも聞く。


「早く受け取ってくださいよ。それと、足りなかったら言ってください」

「ああ」


 答えてから長パンを受け取ると、同時に小さなチーズの包みも渡される。


「かじりながらどうぞ」

「助かる」


 同じようにノインも食料を受け取り、じっと祈りを捧げ始める。


 祈りの言葉を唱えるのはその場で最もふさわしい者、たとえば家長であったりとか聖職者であったりする。

 しかしノインは自らをふさわしい者だとは思っていないようだった。

 だから、食事の折にはいつもこうして唱えず一人で黙々と祈るのが恒例になっていた。


「いただきます」


 アッシュはいつもの挨拶をする。

 アリスの方はというと彼女は普段特に祈ったりはしない。


「…………」


 それからなんとなくノインの祈りが終わるのを待って食べ始める。


「そういえばノインちゃんってボール知らないんですってね」

「……はい。知りません」

「私、小さい頃は男の子たちに混ざって球蹴りをしてたんですよ。持ってきたので今度一緒に遊びましょう」


 その言葉に、ノインは困ったような顔をする。

 ボールで何をするのか彼女は知らないのだ。


 察しのいいアリスはそれに気がついたのか、今度はアッシュに話を振ってくる。


「えっと……そう、あなた何か面白い遊び知らないんですか?」


 アッシュはその言葉に、記憶の中をさらってみる。


 まだ故郷にいた頃はボールで遊んだ記憶はない。

 というより、あまりその頃の記憶がない。

 毎日毎日指先が冷たくて痛くて、腹が減ったと思っていたような気がするばかりだ。


 となると、孤児院にいた頃の話になるのだろうか。


「面白いかは保証できないが」


 そう前置きして口を開く。

 実際、アッシュはこの遊びがあまり好きではなかった。


「丈夫で重いボールを十人かいくらに分かれて奪い合う遊びをしていた。ボールを陣地の奥の決まった線まで持って行ったら一点がもらえて、互いに殴るのも蹴るのも投げるのも好きにしてよかった」

「えぇ……。その投げるってもしかしなくてもボールじゃなくて人間ですか?」


 アリスは困惑した顔で尋ねてくる。

 だから、咀嚼していたパンを飲み込んで答えた。


「そうだな」

「私にそれを人外共(あなたたち)と一緒にやれと?」

「別に、誘ってない」


 左手で包みを抑えて、チーズの紙を剥く。

 そしてそれを口元に持っていってかじっていた。

 塩気で喉が渇いたから、腰に下げた水筒の水を口に含む。


「ちなみにそれ、なんていう遊びなんです?」


 変わった生き物でも見るような目で見てくる。

 ノインはパンをかじっていた。

 答える。


「サッカー」

「騙されてますよーそれ」


 続けてため息をついた、どうやら調子が狂ったらしいアリスに手を伸ばす。

 そして追加の食料を要求した。


「すまない、もう一つもらっていいか?」

「どうぞ」


 パンを受け取る。

 するといつの間にか食べ終えたらしいノインも、なにかもじもじと心細そうにこちらを見ていた。


「よかったら、ノインにも一つ渡してほしい」

「!」


 目を見開く彼女にアリスは微笑んだ。

 そっと、優しい手付きでパンを渡した。

 ノインは少しだけ躊躇ったが、やがて頭を下げて受け取る。


「……ありがとうございます」

「いいえ、お気になさらず」


 パンを受け取ると、ノインは中々のスピードで食べ進める。

 アッシュのように意図的に急いで食べているということもないのだろうが、それでもみるみるうちにパンは喉の奥へと消えていく。


 そしてアッシュがもう一つおかわりをもらおうとアリスに声をかけると、小さな声で彼女もおかわりを頼む。


「あの、あたしにもください」

「ええ、どうぞ」


 アッシュが三つ目のパンも食べ終えてしまうと、同じく食べ終えたノインがちらちらとこちらを見てくる。

 もしかすると、まだ食べたいのかもしれない。


「…………?」


 どうなんだと問いを込めてアッシュが視線を返すと、彼女はすっと視線を逸らした。

 よく分からないが、とにかくアッシュはもう満足だったので、食後の挨拶をして食事を終えることにする。


「……ごちそうさまでした」

「…………」


 するとノインはこころなしか少し肩を落として、黙って食後の祈りを始める。

 そんな様子を見て声をかける前に、先ほどからノインを見つめていたアリスが口を開いた。


「もしかしてノインちゃん足りないんですか?」

「……いえ、そんなことは」

「…………?」


 そのやり取りのあと、アリスはおもむろにノインの手を握る。

 そしてへらへらと笑ってみせた。


「やっぱり足りないんじゃないですか」

「!」


 なぜ分かった、と言わんばかりに唖然とするノインに、アリスがパンを渡す。


「今までも我慢してたんですかね。気が付かなくて申し訳ないです」

「………ごめんなさい」

「謝ることはありませんよ」


 それからもノインが食べ終わる度に、アリスはノインの手を握る。

 そしてパンを渡す。


 六個目のパンをかじり終える頃には、ノインの顔は真っ赤になっていた。

 また手を取ろうとするアリスを、顔をそむけながらやんわりと振り払った。


「あの、も、もうやめてください。お願いします……」

「ふふ」


 思えばアリスはこの間のトランプでも異常なまでの強さを発揮していた。

 本当に、彼女は不思議なほど勘がいい。

 嘘つきのアッシュは特に、彼女の目に気を付けたほうがいいだろう。


 

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