八話・拾い物
曇った昼下がり、街道の外れで、アッシュたちは魔獣の群れと対峙していた。
遭遇したのは中位魔獣が三匹が率いる、二百半ばを超えた数の群れだった。
かなりの規模だ。
禁忌領域のかなり奥にまで到達したとはいえ、これほどの群れは珍しい。
まだ敵に見つかっていなかったから、先制攻撃を仕掛けようと考えた。
だから、アッシュはノインに声をかける。
「敵がいる、行こう」
ノインは相変わらず自分から話すことはなく、話しかけられた際にぽつりぽつりと答えるだけだった。
けれど必要な場面で口を閉ざそうとするようなことは、少しずつ減っている。
完璧にはまだ遠かったが、少なくとも変化していた。
そして今も、声をかけられたノインは確かに頷いた。
「……はい」
聞き届けて魔物化する。
剣に炎を纏わせた。
見たところ中位魔獣は、氷のディティスと雷のフュリアナだ。
ディティスはサイクロプスに、そしてフュリアナは二体のデュラハンに寄生しているようだった。
今回は平地なので意識外の狙撃の危険性は少ないものの、それでもいかんせん数が多い。
アリスの安全を確保する必要があるだろう。
だから、そのあたりを考えて指示を出す。
「ノインはいつもより前に出てくれ。アリスは援護が減っても構わないからとにかく自分の周りを固めろ」
それから、返事も聞かずにアッシュは走り出す。
他人に声を出せなどと言う割には酷いものだが、視界を埋め尽くす魔獣が目障りで、我慢の限界だった。
「穿て」
『炎杭』を二発打ち込んで道を開き、アッシュは群れの中へと強引に体をねじ込む。
そして回転斬りで数体を処理した。
どこを見ても敵がいるので、目につくそばから斬殺していく。
しかしサイクロプスに剣を刺したところで、刀身を掴まれて一瞬だけ止まってしまう。
当然手が燃えてすぐに離れるのだが、その一瞬でデュラハンがわらわらと群がってきた。
アッシュはその、敵へと手を向けて魔術を発動する。
「『火撃』」
ほぼ詠唱を省いた魔術により、アッシュの手の先から炎の爆発が発生する。
爆ぜた炎に消し飛ばされ、デュラハンがまとめて残骸になってあたりに散らばる。
それから、さらに近くの雑兵を始末し続ける。
すると、大量の矢が放たれたような音が聞こえた。
だからアッシュは手近なデュラハンの触角を掴み上げて盾にする。
矢が来る方向は……上だった。
雨のように、半透明のアラクネの矢が大量に降り注いでくる。
今のは数の多い群れだと稀に見られる行動だった。
大量にアラクネがいると、奴らは斉射による範囲殲滅を用いることがある。
これは『狂兵たち』が取る、軍隊ごっこのような行動の中では割に危険度が高いものだ。
盾にされ、全身に矢が突き立ったデュラハンを捨てる。
まだ動いていたので剣で止めを刺す。
さらに周囲を見れば、魔獣たちも今の矢に巻き込まれて倒れている。
まぁ軍隊ごっこならばこんなものだろう。
と、考えていると、戦闘の気配に誘われて周囲の魔獣がちらほらと集まってきていることに気がつく。
殺し放題は悪くないが、それでも移動の予定が多少遅れるのはまずい。
「………」
丁度目が合ったノインに頷き、少し急ごうと目配せをする。
そして蹴散らす手を忙しくしたところ、やがて中位魔獣――――雷を纏うデュラハン、フュリアナの鋭兵が二体アッシュの前に現れる。
サイクロプスの中位魔獣、ディティスの重兵は見当たらないのでそちらはノインの方に向かったか。
「…………」
鋭兵は一目見る限りではそうデュラハンとは変わりない。
だが錆びついた鎧に雷を纏い、頭一つ抜けた速さで機動してくる。
動きが明らかに雑魚とは異なった。
鋭兵の片割れが剣を振ると、地を削る魔法の刃が放たれる。
アッシュはそれを軽くかわした。
回り込むようにしてもう片方も斬り込んでくる。
アッシュは、近付いてきた方の胸を蹴り飛ばして距離を取った。
そして、もう一体の腕に鎖を巻き付けて引きずり回す。
敵も当然に抵抗はするのだが、今のアッシュにとっては些細なものだった。
侵食が進んだせいか、力がかつてよりも増していた。
特に左腕の力は、力加減を間違えてしまいそうになるほど強くなっていた。
「『炎剣』」
鎖に炎を纏わせる。
すると引きずられていた鋭兵が炎上して苦しみ始める。
弱りきったところで地面に叩きつけると、鎧がひしゃげた敵はわずかな間を置いて沈黙した。
寄生体による回復も不可能なほどに破壊されたらしい。
するとそこで、もう一体が仲間の死が生んだ一瞬の隙を逃さずに攻めてきた。
双剣を振りかざし、斬りつけようと迫っている。
「穿て、『炎杭』」
だがアッシュは一瞬で鎖からメダルに持ち替えて魔術を放った。
直撃を貰った鋭兵は、盾にした片腕を失いながらもアッシュの前に立つ。
そして、魔力を膨らませて巨大な雷を纏う斬撃を放ってきた。
「…………」
アッシュは炎の剣で真っ向から受けて立つ。
すぐにあっさりと押し返して、返す刃で深手を負わせた。
吹き飛ばされた鋭兵は、よろめきながらも立ち上がろうとする。
しかし次の瞬間には塵も残さず消し飛ばされていた。
アリスが閃光を放って焼き払ったのだ。
「…………」
見るからに瀕死なのは分かっていたはずだから、恐らくはちょっとしたちょっかいのつもりだったのだろう。
余裕のある戦闘だとはいえ、真面目に戦わない者には苛立ちを感じる。
後方で、笑顔で手を振るアリスを一瞬だけ睨みつけた。
そしてすぐに戦闘に戻るが、群れのリーダーが仕留められたこともあり、もう魔獣に抵抗する力はなかった。
淡々と殲滅を続けると、あまり時を置かずに群れは全滅する。
―――
戦闘を終えて古びた街道を歩いていく。
横並びの隊列は脆いアリスを中央にしてある。
そして進むのは、かなり広い道だった。
基本的に、こういった街道は馬車二台と通行者四人が同時にすれ違えるような広さで作られる。
だから人間が三人で歩いていると広くて少し落ち着かない。
見渡す限り、馬車も人もいないからなおさらだ。
しかしそうして歩いていると、アリスがため息を吐いて口を開いた。
小馬鹿にするような口調だった。
「なぁんか最近くるくる回りすぎじゃありません? 笑いこらえるのも楽じゃないんですけど」
右端に位置どるアッシュのことだ。
警戒のために、時々後ろを見たり横を見たりする。
今もちょうどそうしていた。
だから馬鹿にしてきたのだろう。
「…………」
しかし馬鹿にされてもやめない。
禁忌領域の奥に近づいてきた今は、魔獣も多くて油断ならない。
それに一度会敵すると、先程のように周囲から際限なく寄ってくる。
なるべく避けるか先手を取ってすみやかに排除するようにしたかったので、絶え間なく見回す必要があるのだ。
「……お、アッシュさんがくるくるしてる間に私はいいもの見つけましたよ。やっぱ人間前見て歩かなきゃですねー」
アリスがなにか見つけたようだった。
周囲を見回すのは続ける。
きっちり全方位を確認して、それから彼女が指さす方に目をやる。
同じように、左にいるノインも見ているようだった。
「…………」
「…………」
アリスが見つけたのは放置された馬車だった。
街道の外に退けてあるその馬車の向きから見るに、持ち主は避難しようとしていたのだろう。
だが途中で車輪が壊れてしまったらしい。
それを直す暇も惜しかったのか、馬を切り離して身一つで乗って逃げたようだ。
だから馬車は放棄されてそこにあった。
見ればそこそこに小ぎれいな作りなので、商人のものだったのかもしれない。
アリスが鼻歌交じりに足を早める。
「冒険といえば宝箱ですよねー。さて、開けちゃいましょうか」
馬車を宝箱に例えたのだろうか。
しかし、嬉々として足を踏み出す彼女の袖を掴んで止める。
「お前は脆いんだから先行するな」
「……あ、はい」
どうせ持ち主はいない。
もしいたとしても、持ち主に返すこともできないだろう。
荷物の容量の心配もないのならば、少し持ち出したいというのを止める気はなかった。
なにせここは禁忌領域だ。
アッシュのように魔獣さえいれば満足だという人間でもなければ、何日もいるのはストレスになる。
それを紛らわせるのならば意味はある。
「物陰に魔獣がいるかもしれない。奴らに待ち伏せするような知能はないが、警戒するに越したことはない」
アリスは若干むすりとした様子で黙り込むが、正論だと分かっているのか従った。
ノインの方はというと、少しだけ不思議そうにしているように感じられた。
こういった馬車を見るのは初めてなのかもしれない。
相変わらず表情に乏しいので確信は持てなかったが。
「……俺が見てこよう。ノイン、アリスを頼んだ」
「分かりました」
馬車の前までつくと、アッシュはまず、目に入る限りの四方を確認する。
そして、這いつくばって馬車の下を覗く。
下に隠れているかだけではなく、馬車の陰に隠れていても足を見つけられる。
だからそれで一応の安全を確認し、次に馬車の周りを一周した。
あたりに敵がいないことはもう分かった。
だが次は車内を確認する必要があった。
魔獣もそうだが、中に腐乱死体でも入っていれば彼女たちには諦めてもらわなければならない。
「心配性ですねぇ」
呆れたような顔のアリスを無視して、剣に手をかけつつ馬車に乗り込む。
見立て通り商人の馬車だったようだ。
諸々の物資でごみごみとしたその中に魔獣はいなかった。
もちろん、腐乱死体もない。
だから二人に声をかける。
「少しの間なら、好きにするといい」
「ありがとうございまーす。……さ、ノインちゃんもおいでなさい」
そんな言葉とともに、ごきげんなアリスはノインの袖を掴む。
当の本人は困惑しながらも、そう抵抗することもなく車内に連れ込まれた。
「あ、あたしもですか……」
入れ替わるようにして馬車の外に出たアッシュは、馬車に右手をかけてよじ登る。
視界が遮られない上から周りを見張ることにする。
立ち止まるのなら周囲を警戒しなければならない。
が、そうしていると図らずとも会話はよく聞こえた。
「ノインちゃん、ボールがありますよ」
「ボールを知りません」
「ボール、知らないんですか? なら風車なんてどうですか?」
「…………」
「おっと、ごめんなさい。では……」
そんな一方的に華やいでいる会話を聞き流しながら、アッシュは黙々と見張りを続ける。
そして十五分ほど経った頃、少し急かすか迷い始めた頃に。
ようやくアリスたちが出てきた。
「もういいのか?」
「はい」
満足げなアリスに、その隣でまだ少し困惑が尾を引いているノイン。
しかし困惑した彼女の右手には、なんだかんだで風車が握られている。
青い厚紙の羽は、弱い風を受けて緩やかに回転していた。
アッシュは馬車の上から降りて言う。
「なら先を急ごう」
「はーい」
それからアッシュは歩きだすが、しばらくしてノインが遅れているのに気がつく。
「どうかしたのか? なるべく離れないでくれ」
どうやら彼女は風車を見ていたようだ。
立ち止まってじっと見ている。
もしかすると、こういったものを手に取るのは初めてなのかもしれない。
「それも、今はしまってくれると助かる」
とはいえ今は戦場だ。
だからアッシュは風車を手放すように言う。
でも、少しだけ早めに休憩をとってもいいかもしれないと思った。
さっきの戦闘はかなり骨が折れただろうから。
「……すみません」
するとノインは小さく頭を下げて、風車を自らの服のベルトに挿した。
そんなノインに、アリスが声をかける。
「まぁそう気を落とすことはありませんよ。あの人がその内風車みたいに回りだすのでよく見ておきましょう」
「……っ」
そんな下らないアリスの言葉に、ノインがほんの少し、一瞬だけくすりと笑みの気配のような息を漏らす。
アッシュはそれに信じられない気持ちになった。
が、笑いかけたことを指摘されるのは、ノインとしてもあまり快くはないだろうと思った。
なので適当に声をかけておく。
「君た……。お前と君、ふざけるのも大概にしておいてくれ」
「ずいぶん無理やり分けましたね?」
「あたしは、何もしていません……」
それから少し進んだ頃。
アッシュがまた索敵を始めると、アリスがおどけて声をかけてきた。
「やーい風車。もう風は吹いてないぞぅ」
「…………」
当分これで馬鹿にされるのだろうなと、アッシュは他人事のように思った。




