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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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五話・禁忌領域

 


 セレネア地方、と。


 そう呼ばれていた地域は、今は半分しかない。

 何故なら、主門の出現によりセレネアの約半分が禁忌領域に指定されたからだ。


 主門の出現が伝わると同時に、禁忌指定された地域では速やかに退避が実行される。

 セレネアも例外ではなく、今は無人の廃墟と成り果てている。

 そしてアッシュたちは、この領域に含まれる街の一つにいた。


 まだ領域の中心からは遠いこの街では、多くの住民が脱出できたようだった。

 従って人がいなかったため、魔獣もそう荒らしはしなかった。

 比較的原型を留めて残っている。


 秋の、少し光の薄い正午の太陽の下。

 空っぽになった街の光景は、見る者に言いしれぬ虚しさを感じさせる。


「で、主門の場所は分かってるのに、なんで我々は歩いているんですか?」


 アリスが不満げに言った。

 今は休憩の時間で、彼女は街の広間のベンチに腰掛けている。

 アッシュは一人で座っていたが、彼女は半ば無理にノインと一緒に座っている。


 そのアリスが、さらに言葉を重ねた。


「手っ取り早く行って潰しましょうよ、ねぇ」


 先ほどの言葉のとおり、主門の位置は特定できていた。

 とある街のすぐ近くに出現したため、わずかな生存者たちによってすでに証言されているのだ。

 そして彼女は、早いところ仕事を済ませて人里に戻りたい。

 だから今、馬車で走ってさっさと門を壊しに行けと言っている。


 同じく瓦礫に座ってぼんやりしていたアッシュは、彼女の言葉に答えた。


「御者台で、お前は無防備だ。俺やノインならともかく、お前を的にして禁忌領域を馬車で行くなんて不用心が過ぎるだろう」


 禁忌領域にはかなりの確率で上位魔獣が徘徊している。

 相手に先に見つかり、不意打ちを食らえば終わりだ。

 彼女は脆く、そして生き返りもしないので最大限注意を払う。


「心配してるんですか?」


 どこかいたずらっぽい様子でそんなことを口走ってきた。

 だがアッシュは無関心に頷いた。


「そうだ。死なれては困るからな。馬車を壊されるのを避けたいのもあるが」


 その時、前方に魔獣の群れが姿を現す。

 街に入り込んでいたようだ。

 群れは二の魔王の魔獣、【狂兵たち】によって構成されている。

 この地域の主門はニの魔王のものなので、当然領域内はこいつらで満たされている。


 アリスも気づいたのか、さっさと腰を上げる。


「三人で戦闘というのは初めてですね。頑張っていきましょう。……常人の私は魔力を温存する必要があるので、飛行なんかは使いませんが」


 飛行は制御の手間が桁違いに跳ね上がり、故に消費も相応のものになる、らしい。

 飛んで一方的に殲滅するようなことは、本来なら中々やらないのだそうだ。


「それでいい」


 敵は見えたがまだアッシュはその場から動かない。

 彼女からあまり離れると危険だからだ。


 飛べないとなれば、ほんの一撃当たればアリスは魔獣に殺される。

 それにこの街は建物が残っていて、かなり物陰や起伏が多い。

 いかにも不意打ちが飛んできそうな場所だ。

 一人にはできない。


 だから彼女の近くで戦うために、もう少し敵を引きつけて、あまり離れずに戦う。


「…………」


 やがて見えてきたのは、三種の魔獣、すなわち『狂兵たち』全種の混合構成の群れだった。


 まず他で言えばオークに相当する、一番数が多い種類は【デュラハン】だ。

 それらは錆びついた鎧を纏い、双剣を手にした騎士のような姿をしている。

 しかし本来首があるべき場所には、びっしりと黒く角ばった昆虫の触角しょっかくが無数に生えて蠢いていた。


 また、これも『咎人たち』と同じく、残りの二種はそれぞれデュラハンの半分ほどの数だった。


 その片方は【サイクロプス】。

 こちらはいくらか軽装だが、デュラハンと同じく錆びついた鎧を纏っている。

 しかし体格は大きく人間離れしていて、かなりの巨躯に大槍と木の大盾を持っている。

 さらに、青ざめて毛が抜け落ちた死体の顔には、巨大な複眼が一つだけねじ込まれていた。


 最後の一種は【アラクネ】で、こちらも薄い金属の鎧と兜を身につけた、長い金髪の女のような姿をしている。

 長弓を持っていて、いかにも女の騎士に近い風貌ではあるが、人に近い上半身とは対象的に下半身は毒々しい蜘蛛の姿をしていた。


 この中で最も多いデュラハンは、触角を頼りに目に頼らず敵を見つけるし、足が早い。

 サイクロプスは単眼の視力がかなり良く、また見た目や装備に違わずかなりの怪力を誇る。

 アラクネは、その蜘蛛の体でどんなところにも登り狙撃してくる。

 また、蜘蛛の体は腹部の膨らみから糸も吐く。


 こいつらに共通している特徴として、代表的なのはやはり軍隊のような集団行動を取ることがあることだろう。

 そして『咎人たち』とは違い、手にしている武器や装備が統一されていることもそうだった。


「そろそろ行ってくださいよ」


 アリスが言った。

 面倒だから一人で殺してこい、とでも言い始めそうな態度だった。

 だが別にそれならそれでも構わなかったので、アッシュは適当に頷いておく。


「……ああ」


 しかしノインは真面目な顔で会釈をした。

 そして、前衛の二人で同時に走り出す。


「…………」


 とっくの昔にこちらの位置を察知していた魔獣たちは、デュラハンを筆頭にばらばらとこちらに迫ってきている。

 『狂兵たち』は歩いて移動する時はきれいに隊列を組む習性がある。

 が、知能は低くてそこまで連携が上手い訳でもないのだ。

 戦いが始まればばらばらにかかってくる。


「『魔物化オルタナティブ』」


 魔物化し、剣に炎を纏わせる。

 そして、魔物化した途端に動くようになった左手に鎖を巻いて走る。


 機敏に踏み込み、斬りつけてきたデュラハンを一刀の下に斬り捨てた。

 同じように後続の数体も殺害する。

 それからアッシュが虚空に剣を振り下ろすと、甲高い音を立ててアラクネの矢を砕いた。

 これは、どうやら廃屋の屋根の上に登って狙撃しているようだった。


「厄介だな」


 アラクネの巨大な蜘蛛の体には、色の薄い、見えにくい矢が毛の代わりに大量に突き立っている。

 それはどういう訳か生きている内に限りいくら引き抜いても無尽蔵なので、矢切れも期待できない。


 この矢は透明で、気づきにくいためアリスが狙撃される可能性があった。

 だから殺される前に、彼女自身に仕留めてもらおうと考える。


「おい、アリス」


 周囲を人影に守らせながらぼんやりと立っていたアリスに声をかける。

 剣の切っ先でアラクネを指し示すと、彼女は笑って親指を立てた。

 分かったのか分かっていないのか微妙な反応だが、ここは任せて一気に敵のただ中に進むことにする。


 四方からデュラハンが押し寄せるが、すぐに処理して次に移る。

 次に、前から来たサイクロプスに『炎杭』をぶつけ焼き殺した。

 それから手近にいたデュラハンを鎖で引き寄せようとするも……目の前で、その敵が潰れた。

 鉄塊が、ノインの剣が叩き潰したのだ。


「…………」


 どういうわけかノインは大剣の刃に血を纏わせ、白い装束も血の鎧のようなものが覆っていた。

 そして動きも、アッシュと戦ったときよりさらに鋭い。

 次々に魔獣を薙ぎ倒している。

 大ぶりの一撃で、大盾ごとサイクロプスを斬り倒した。

 そこで彼女の背後からデュラハンが襲いかかる。

 だが、ノインが血を纏わせた左手を振ると刃の血が飛ぶ。

 デュラハンの腹部は無惨に引き裂かれた。

 すると溢れ出た魔獣の血液は彼女の身に、正確には首にかけたロザリオの中に取り込まれていく。


 先日の、ロザリオに伸ばした手を思い出してアッシュは小さくつぶやいた。


「……なるほど」


 絶え間なく敵を薙ぎ倒すノインから目を離す。

 するとアッシュの背後から閃光が迸るのが分かった。

 別に、また背中を撃たれると感じた訳ではないが一応目を向ける。

 すると、竜の光はアラクネの群れをいくつかの家の屋根ごと吹き飛ばした。


 凄まじい勢いで敵が死んでいく。

 従ってアッシュのもとへは大量の魂が集まる。

 かつてない勢いで煙が飛び交うのを眺めながら、獲物が残されている内にできるだけ手にかけたいと考えた。


 ―――



 まさに瞬殺だった。

 それなりの規模、数十体の群れが、二分足らずで全滅した。


 アッシュのみの時はもちろん、アリスが加わっても禁忌領域には出向いたことはなかった。

 だが、このタイミングで要請が出たこと。

 つまり三人でなら十分に禁忌領域を攻略できると判断されたことの意味が分かる気がした。


 連携には不安が残るとはいえ、それでもこのパーティなら【眷属獣】……つまりは魔王から直接力を授かり、主門を防衛する魔獣にも勝てるのかもしれない。


 最初の街から三つほど先の人里へと進んだ。

 今は名もない村の跡地で夜を迎え、アッシュたちは野営の準備をしている。


「ああ……暖かくてすごくいいですね」


 焚き火に三脚を設置して小さな鍋を乗せ、スープをかき混ぜながらアリスがぼやく。

 その横では、ノインが慎重な手付きでアリスが切った肉を鉄串に通していた。

 彼女には、血を操るからか返り血が一切ついていない。


 それから、アッシュは調理に参加していなかった。

 左手が不自由であること、なんとなく汚いということが理由だ。

 もうずいぶんと調理からは遠ざかっている気がする。

 だから何もせずに、焚き火の周りに置いた椅子の代わりの丸太に腰掛けている。

 一応、アリスいわく椅子もあるそうだが、雰囲気を重視するタイプなので出さないとのことだった。


「ノインちゃんはこういうの初めてですか?」


 アリスはノインとの会話を試みているようだった。


「…………」


 彼女の問いに、ノインは小さく頷く。

 声は出なかったが答えを返した。

 それから、アリスの指示に従って鉄串を焚き火のそばに突き立てた。


 すると、どこか遠くで狼が吠える声がした。

 アリスがふと空を見る。


「狼の声ですね」

「そうだな」


 彼女の言葉に同意する。


 ちなみに、狼は禁忌領域でも生きていける。

 何故なら、魔獣は基本は人間以外を襲わないからだ。

 ロデーヌを襲った寄生能力を持つ門衛など、例外は当然あるが……一応これは原則だった。


「人間なんて、そんなに美味いものですか。豚さんの方が美味しいと思うんですけど」


 焚き火に突き刺した串を眺めながら、アリスがそんなことを言う。

 串に刺されているのが豚の肉の燻製だったからこんなことを口にしたのかもしれない。

 それに、アッシュは知っていることをただ答えた。


「……食事は必要ではないと、聞いたことがある。やつらは魔物よりずっと便利で、大気中の魔力だけを糧にして生きることもできると」


 大気中にはいくらでも魔力がある。

 だが魔物は生きるために、他の生物の血から直接魔力を取り込む必要がある。

 これは魔力への依存を強めるにつれ、そして強くなるにつれ、吸収に消費が追いつかなくなるからだと言われている。

 だが魔獣は一般に、大気の魔力だけで生きていけるのだそうだ。


 理由は知らない。

 そしてそれに、アリスがまた答える。


「なら好き好んで人間なんて食べてるんですかね」

「そうなるだろうな。やつらは人間が憎いらしいから」


 魔獣と魔王は人間を憎んでいる、というのが教会の教えだ。

 そして憎むのは、やつらが人間に嫉妬しているからだという。


 神話の昔。

 膨大な魔力が荒れ狂い、人も獣も魔物に成り果てていた時代。

 月の瞳……神は魔力の氾濫を収めて、秩序をもたらした。

 だが、一部の人間はその魔力を司る力を奪おうとした。

 そのために神を裏切り、だから神は月に隠れてしまったのだという。


 奪おうとした人間たちは天罰により滅びたそうだが、彼らの邪悪な魂は今も残っていて、魔王や魔獣を生み出しているそうだ。

 だから、そんな存在に創られた魔獣は、神の法に従い正しく生きる人間が……憎くて妬ましいのだという。


 そんなことを考えていると、アリスはいつの間にか会話をやめていた。

 食事を始めようとしている。


「さて、そろそろですかね。お腹が減ったでしょう」


 彼女は人数分のコッペパンを取り出して、ナイフで切れ目を入れていく。

 さらにそのパンに串の肉を挟んで、スープと共にトレイに置いてそれぞれに配ってくれた。


 ノインはそれを会釈して受け取る。

 続けて、食前の祈りを始める。

 彼女を横目に、アッシュも礼を言って右手で受け取った。


「ありがとう」


 いただきます、と。

 それだけ言って、木の盆を膝の上に乗せてパンを食べる。

 左手も添えるくらいならできるので、気をつけていればなんということもない。


 するとアリスが笑った。


「魔物化して食べればいいのに」


 近頃彼女は食事の度にこれを言う。


「勘弁してくれ」


 そう返してさっさとパンを片付けて、スープに手を伸ばす。

 こうなってからは三角食べをやるような余裕はない。

 一品一品片付けていくような食べ方ばかりをしていた。


 と、そこでノインが食事に余り手を付けず、なにやら不安げにしているのに気がついた。


「……どうしたんだ?」


 ノインは何も言わずに首を横に振る。

 だが正直、アッシュもそろそろはっきりさせなければと思っていた。

 なので、いい機会だと口を開く。


「君が話すことを禁じられていたのは分かるが、必要なら答えてもらえないか?」


 ノインは俯いて、それから少し逡巡しゅんじゅんした後に口を開く。


「祈りの時間が、その、分からなくて。鐘がないので」


 祈りの時間は日に四度あるが、今日はずっと戦闘と移動に始終していたから言い出せなかったのだろう。

 しかし今は夜で、月を信奉するアトス教において夜の祈りは最も重要だ。

 だから、口には出せないが気になって仕方がなかったのだろう。


 アリスが声をかける。


「使命を帯びた旅先では、神官は心が安らいだ時に月に向かって祈るのが通例ですよ。きっと神もお許しになるでしょう」


 そんなことを言う声が優しくて、アッシュは少しだけ驚く。

 彼女にこんな声が出せたのかと。


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げるノインに、アリスは微笑んだ。


「お気になさらず」


 そして食事と、その片付けも済んだ頃。

 ノインは焚き火から離れた場所で祈り始める。

 小さく聞こえるその声を聞きながら、アリスはぽつりと言葉をこぼした。


「あの子が喋らないのは、あれですかね。やっぱり」

「ルージアか?」

「ええ」


『沈黙のルージア』という聖人は、信仰に目覚めて以来『詠唱を紡ぐ糸』たる言葉を詠唱と祈りの他には使わなかった。

 そして多くの罪人を自らの修道院に引き受けて、静謐せいひつな暮らしを送ったという。


 あの修道院自体、その逸話を下敷きにしているのだろうが……アッシュには少し事情が違うように思われた。


「多分、違うだろうな」


 声という人間にとって最も重要な活動の内の一つを封じることで、彼女たちは常に自らを罪人だと意識せざるをえなくなる。

 それは、洗脳にはおあつらえ向きの手段だろう。

 また、声を奪えば結託しての反乱も非常に難しくなる。


 だから聖人の逸話は利用されたにすぎず、管理側に様々な思惑があったことが理由だろう。


「……まぁなんにせよ、哀れなことですね」


 彼女の言葉にまた頷く。

 しかしそれはそれとして、口を利かないことは問題でもあった。


「だが、こうも黙り込まれては連携に関わる」

「どうにかするつもりですか?」


 その問いには少し考えて、頭をかく。

 ろくでもない手段だが、一応考えつくことはあった。

 だが自分でも少しうんざりする。

 アッシュも結局、あの修道院のマクシミリアたちと本質は変わらないのかもしれない。


「多少荒い手だが、やってみる」

「あまり妙なことはしないでくださいよね」


 アリスは同じく教会に囚われた者として何か思うところがあるのかもしれない。

 祈り続けるノインの背に、複雑な感情を孕んだ視線を向け続けていた。


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