四話・人造使徒
翌朝、アッシュは狩りから戻ってきた。
それからすぐに敷地内の井戸で水浴びをし、朝食をとったあとで出立しようとしていた。
ノインを連れて門の前に出る。
だがそこで、旅立つ前に小さな声でアリスがぼやく。
「……しかし、禁忌領域ですか。今度の仕事は退屈になりそうですね」
遊びに行けそうもないのが不満なのか、つまらなさそうな様子だった。
特に相手せず無視して、出迎えに来たマクシミリアに挨拶をする。
「世話になった。もう俺たちは行く」
「ええ、お気をつけて。……それと、約束は覚えていますか?」
マクシミリアの問いにアッシュは答える。
「覚えている。主門を破壊したらここに戻ってくるんだろう?」
「その通りです。では、行ってらっしゃいませ。勇者様に魔力の加護のあらんことを」
主門を破壊した後、彼らは『転生』という儀式を受けさせるつもりらしかった。
そのためにノインを一度ここに連れてきてほしいということだ。
「…………」
お決まりの祈りを唱えるマクシミリアに背を向け、門をくぐって外を出る。
―――
馬車の中、御者台のアリスは後ろを向いてノインに語りかける。
「しかし、ノインちゃん強いですよねぇ。なんであんなに強いんですか?」
本来ならば物資でごみごみとしてしまう車内だが、アリスの空間魔法のお陰でむしろ寒いほどにがらんとしている。
彼女はそんな板張りの床の隅で三角座りをしていた。
アリスに視線を向けるが何も言わない。
「とりあえず前を見てくれるか」
アッシュはうつ伏せに寝そべって身体を休ませていた。
寝たままアリスへとそう言うと、一応前を向いた彼女が言い返す。
「いやでも気にならないんですか、アッシュさん」
「……気にならないし、そう簡単につついていいものでもないだろう」
ただの人間が、人間を超えた力を手に入れる。
その理由など、どうせロクな物ではない。
アッシュがそうであるように後ろ暗いものがあってもおかしくはない。
だからこれは、気軽に聞いてもいい話ではない。
「いや、でも気になりますよ私。気になりすぎて事故起こしますよ」
そう言って巧妙に馬車を揺らしてみせるアリスに、寝ていたから顎をぶつけたアッシュは舌打ちする。
「お前……」
体を起こそうとしたその時、ノインが声を漏らす。
「あたしたちは、人造使徒、です」
「……あたし、たち?」
アッシュの問いに、ノインは頷く。
「アインからノインまで、あたしたちは九人いました。そして全員がいくつも【禁字】を刻まれた穢らわしい存在で、人の形をした魔術の触媒でした」
それは、奇しくも『貪る者』を左肩に刻まれたアッシュと同じだった。
『貪る者』を含む二十三の禁字。
それは『器』の基礎ルーンで発動し、他の魔術の追随を許さない絶大な効果を発揮するルーンだ。
だが禁字は、読んで字のごとく使用を禁止されたルーンだ。
理由は深刻な魔力消費か、その効果に対する倫理的忌避感、重篤な副作用……またはそれら全てによって禁術として使用は禁止されている。
奇跡なども似たようなものだと個人的には思うが、『ギフト』の再現であることからむしろ神聖視されている節がある。
ともかく、禁術の効果による恩恵を受けているというのなら……一応あの強さにも納得は行く。
使用するための魔力消費など、依然分からない点もあるが。
「何故、話してくれたんだ?」
頑なに口を開かなかった彼女が、こんなにも長く話したのは不思議だった。
だが、それにノインは首を傾げる。
「事故を起こされると、困ります」
その答えにアリスが噴き出す。
とても楽しそうだった。
「ああ、あなたとは上手くやれそうですよ」
「…………?」
笑うアリスを不思議そうに見て、ノインはまた目を伏せる。
そして、そんな姿にアッシュは聞けなかった問いを飲み込んだ。
他の人造使徒は、どうなったのかと。
―――
『彼』は、自らの体に突き刺さった剣を抜いた。
そして、冷めない興奮を逃がすように大きく息を吐いた。
「おい、出てこい。そこでガタガタ震えてるテメェだ」
声をかけると同時に、目の前の死体に突き立てたままだった短剣を引き抜く。
血が滴る刃を持って気配の元へと歩き出す。
月が綺麗な夜だった。
本来なら、安らかに眠るはずだった。
ここは寂しい平原で、彼と仲間、失敗作の最終処分場だった。
死ねるはずだった。
苦しいばかりのクソのような人生が、終わるはずだった。
目の前にはいくつもの馬車がある。
彼を連れてきた聖職者と、その護衛が乗りつけたものだ。
これに乗って来た者は全て殺したが、あと一人だけ残っているはずだった。
生き汚く、他の者の死に隠れて潜んでいるはずだ。
「出て来い……! クソが……!」
彼は馬車の幌を引き裂き、一台の馬車に侵入する。
すると積まれた木箱の影に上手く体を押し込み、一人の中年の男が震えているのがわかった。
木箱を蹴り倒し、その男の髪を掴み上げる。
「よぉ、クソ野郎。こっち来いよ」
「お、お前、死んだんじゃ……!」
「そうだよ、死んだんだよ」
馬車から引きずり出し、地面に叩きつける。
男は、醜く命乞いをしてきた。
「こ、殺さないでくれ!」
「今さら何言ってんだ、カルニス副修道院長さんよ」
「頼む、なんでもする、私にできることなら……!」
そんなことを女のような声音で叫ぶ顔を蹴りつけた。
さらに倒れたところで短剣を突きつける。
「黙れ……! 聞かれたことにだけ答えろ、死にたくないならな」
息を呑む男……カルニスを、射殺さんばかりの視線で睨みつける。
「ノインはどこだ? 転生とやらはいつだ? 答えろ。嘘はつくなよ、絶対に」
「…………」
「早く言え!!」
足に短剣を突き刺すと無様に叫び声を上げた。
そして、彼はそれに怒りを覚えた。
実験体が、この何倍の痛みに耐えてきたと思っているのだ。
痛覚が潰れるまで痛めつけたことを、忘れたとでも言うのか。
半分我を忘れて、その足に何度も何度もナイフを叩きつける。
しかしやがて聞こえた絶え絶えの声でナイフを止める。
「主門……だ。セレネア地方の、禁忌領域……! そして、その攻略が終わったら、修道院で……やる。……ころさないでくれ……たのむ……ころさないでくれ……」
ようやく彼は冷静を取り戻した。
なぜなら目の前の男を痛めつけるより、重要な目的を持っていたからだ。
「同行者は?」
「骸の勇者と、封印官が、一緒に……いるはずだ」
「……分かった。じゃあ死ね」
彼の言葉にカルニスは暴れようとするが、その暇も与えず喉をかき切る。
しかし先程までの戦闘に加え、足を何度も刺したからか刃の切れ味が落ちていた。
中途半端に肉を抉るに留まった。
カルニスは痙攣して、口から壊れた笛のような音を立てていた。
その喉を突き刺そうとして、彼はやめる。
どうせ死ぬのだ。
ならば苦しんで死んでもらった方がこちらとしても気が晴れる。
「ま………………て……くれ……」
カルニスはもがき苦しんでいた。
とめどなく続く出血を止めようとしているのだろうか。
必死に喉を押さえ、またあふれる血をすくいあげようとする。
もがき苦しみ、弱々しく呻くカルニスに唾を吐き、彼は歩く。
そして駄目になった短剣を捨て、護衛の一人が使っていた大鎌を拾い上げる。
短剣も、何人目かに殺した敵から奪い取ったものだ。
特に愛着はなかった。
鎌を選んだ理由も特にはない。
その鎌を持っていた敵が強かったので、これは強い武器なのだろうと思って選んだ。
大鎌を引きずり、彼は進む。
「すまない」
そしてたどり着いた先、目の前に転がる二人の死体を見る。
月に照らされた遺体は、どちらも彼と同じ黒いローブを着ていた。
片方は老婆のように萎びた女だ。
しかしもう片方は、ローブの下に埋もれた形なき肉の塊だった。
「……今、生き返らせてやる」
どちらも斬り刻まれ、冷たくなっている遺体に手をかざし、彼はそう言った。




