二話・無口な少女
「尊い御心により生を受け、繁栄を謳歌する我らが感謝を申し上げます。踏みしめる地を、見上げる空を、清める水を、今日の糧を。お恵みくださったことを讃えます。そして我らが神よ、どうか糧となったものに魔力の導きをお与えください」
アッシュ以外の三人は目を閉じ、マクシミリアの口上に合わせて祈っている。
しかしアッシュだけは、他が目を閉じているのをいいことに目を開けていた。
……が、そこでアリスも目を開いてこちらを向く。
大きく大きく、まるで今私は神様に逆らっていますよ……と、誇示するように開いて、意味ありげに微笑んでまた目を瞑った。
「…………」
どうやらささやかな冒涜を楽しんでいるらしい。
結構なことだった。
祈りが済むと、ノイン以外は食事に手を伸ばし始める。
ノインは食べていいものか戸惑っていたようだが、マクシミリアの視線を受けて細い指をパンに伸ばす。
アッシュも小さくいただきます、といつもの挨拶をした。
それから食べようとするが、やはり憂鬱だった。
少し前から食事は苦手になったのだ。
「手袋は、お外しにならないのですか?」
上品にスープを口に運ぶマクシミリア。
彼がそう問いかけてくる。
「ああ。俺の手は見苦しい」
ただの手袋ならまだしも、アッシュが両手につけた白の長手袋はあちこち血まみれである。
だからマクシミリアも外すように言ったのだろう。
しかし化物の手を見せられては食欲も失せるだろうと遠慮をする。
横で、アリスが小さく鼻を鳴らした。
「その手袋も中々…………いえ、勇者様の御心のままに」
なにか皮肉を言おうとしたらしいが、マクシミリアの方を見て言葉を引っ込める。
ノインはそんな様子に目もくれず、皿に口をつけてスープを飲んでいた。
存外に食い意地が張っているのかもしれない。
「ノイン、はしたないですよ」
「…………!」
マクシミリアに鋭く指摘され、器を置いたノインは無表情のまま、しかしわずかに瞳を揺らがせる。
それを横目に、アッシュも食事に手をつけようと思い立つ。
献立は平皿に入れられた色の薄いスープに、白の丸パンが二つ。
それに小さな器にチーズが添えられた、修道院らしく淡白なものだった。
「…………」
左腕が上手く動かないので、器を持つ時などは注意して食事をする必要があった。
だが、この献立なら零したりする危険はないだろう。
少し気が楽になったアッシュは、ゆっくりと左手でパンを持ち、右手でちぎる。
そしてそのまま少しスープに浸して口に入れる。
こうなってから食事の速度は落ちたが、こうすればスープとパンを同時に片付けられるので時間の節約になる。
「いかがでしょうか? 修道院の食事は、口に合いますか?」
マクシミリアの問いにアッシュは頷いた。
「ああ。感謝する」
事実、パンもスープも味は悪くない。
むしろ柔らかく焼き上げられたパンに塩で上品に味付けされたスープは、そのあたりの料理屋で出されるよりずっといいものだった。
「チーズの方もどうぞ。この修道院で飼っている家畜の乳で作りました」
あの黒ローブが甲斐甲斐しく牛馬の世話をしているのは想像しがたかった。
しかし、それでも苦心しながらスプーンでチーズを割る。
そのままパンにのせて口に運ぶ。
美味かった。
だが別にごちそうになりに来たわけでもないので、アッシュは話をすることにする。
「ノイン、君は戦えるのか?」
おもむろに問いを投げかけられて困ったのか、彼女はパンを食べる手を止めた。
じっとこちらを見つめてくる。
「強いのか? どれくらい魔獣を殺せる?」
「…………」
「俺たちは明日、【禁忌領域】へ向けて出発する。だから君が足手まといにならないか知りたい」
禁忌領域とは、主門が出現した地域の呼称である。
主門が出現した地域はほぼ例外なく即座に放棄され、無人となるのでそう呼ばれている。
そしてアッシュは、そんな場所に果たしてこの子どもを連れて行ってもいいのか図りかねていた。
「ノイン」
口を閉ざすノインに、呆れたような顔でマクシミリアが声をかける。
すると彼女は何かを言おうとしたのか口を開くが、また閉じて俯く。
それを見たマクシミリアはため息を吐き、アッシュの方を向く。
「まぁ、このように愚鈍なものですから……」
額に手を当てた彼のその言葉に、アッシュは違和感を覚える。
お前たちがそう教え込んだのではないのかと。
口を開けば魂が穢れるだの贖罪の妨げになるなるだのと、ご丁寧に刷り込んだのではないのかと思う。
それなのに彼女の沈黙を愚かの一言で切り捨てるのは、あまり褒められたことではないと思った。
だがそれを口には出さない。
次の言葉を待つ。
「……そうですね、では後で手合わせをしてみるというのはいかがですか?」
彼が口にしたのはそんな言葉だった。
「手合わせ?」
聞き返すアッシュに、マクシミリアは微笑みつつ頷いた。
「そうです。まさか勇者様に勝てるとは思いませんが……いかがですか? 力はよく分かるでしょう」
顔に、隠しきれない挑発が滲んでいた。
軍に造られたアッシュに対抗心でも抱いているのか。
だが、提案自体は悪くないと思った。
「そうだな。よろしく頼む」
「ええ、では後ほどご案内します」
「分かった」
そんなやり取りの後、ノインの方を見てみる。
すると、彼女もアッシュの方を見ていた。
全く感情の籠もらない瞳だった。
―――
マクシミリアがアッシュたちを連れてきたのは、月明かりが照らす広場だった。
いつの間にか月は高く上がっていた。
土が敷かれたそこには鉄の十字棒に鎧を着せたものや、矢の刺さった的が放置されている。
恐らくここは戦闘訓練のための場所なのだろう。
そして予想を裏付けるように、訓練用のものと、それから真剣も含む武器が立てかけられているのも目に入った。
「ここは調練場か?」
「その通りです」
「そうか」
いかに奇跡を扱うための部隊とはいえ、彼らは狂信者だ。
こうして訓練をすれば、さぞ立派な死兵として機能するのだろう。
「では、お手合わせ願えますか?」
「まさか、マクシミリア様がやるんですか?」
堪えきれず、といった様子で茶々を入れたアリスを、マクシミリアが睨みつける。
アリスはそっとアッシュの背後に隠れた。
しまった、という顔をしていた。
彼女はなんだかんだで甘い人間で、偉い立場の人間も嫌いなので、もしかするとマクシミリアのことを腹に据えかねていたのかもしれない。
ともかく、小さく咳払いをしてマクシミリアは口を開く。
「ノインは少し準備をするのでお待ちを。勇者様はその間武器でも選んでおいてください。できるなら、真剣……そうですね、その腰に下げたものでお願いします」
そう言って、ノインを連れて調練場から出た。
二人になると、アリスは深々とため息を吐いた。
「どう思います?」
「何が?」
聞き返すアッシュに、アリスは焦れたように言った。
「真剣って死ぬじゃないですか」
「ああ。……でも、死なないから言ったんだろ」
「おめでたい人ですよ、全く」
馬鹿にするような声を背に受けながら、アッシュは歩きだす。
そして、立てかけられた武器の中から恐らくは鉄の、刃が引かれたものを選ぶ。
「おお、流石アッシュさん。紳士ですね」
アリスが後ろから手元を覗き込んで言う。
具合を確かめるように剣を振って答えた。
「だが、当たりどころが悪いと死ぬ」
「あなたの腕なら大丈夫ですよ。後はノインちゃんが淑女であることを願いましょう」
「そうだな」
少し待つと、ノインたちが調練場に現れる。
マクシミリアの方には特に変わりなかったが、ノインの方はかなり変わっていた。
いや、変わった点はぱっと見て一つなのだが、その印象があまりにも鮮烈だったと言うべきか。
「では、始めましょうか。勇者様」
にこりと微笑むマクシミリアの背後。
表情を動かすことなく立つノインは、その背に巨大な、あまりにも巨大な、鉄塊と形容すべき剣を背負っていた。
身の丈を軽く超える刃を抜き、軽く片手に持ってみせる。
その力には好感を持てると思った。
しかし隣に立つアリスが、剣を見て生唾を飲んだのが分かった。
淑女じゃなかった……などと、考えていそうだとアッシュは予想する。
彼女は引きつった顔で口を開いた。
「……健闘を祈ります」
「ああ」




