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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
二章・腐肉の天使
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一話・罪の集う場所

 


 秋の夜は流石に少し空気が冷たい。

 夕暮れを過ぎて夜が始まる頃、アッシュとアリスは暗い森の中を歩いていた。


「寒いです。私は野営しようって言ったのに、あなたが聞かないからこんなことに」

「このあたりはそこそこ魔獣が少ないからな。さっさと用事を済ませて出ていきたい」

「今日だってめちゃくちゃ殺してたくせになにを……」


 暑さには負けませんが、寒さには参りますよ……と、弱った顔でアリスはぼやく。

 そして手にぶら下げたカンテラの形をした魔道具を揺らす。

 すると振れる光につられて影もゆらゆらと蠢いた。


「…………」


 これはそのあたりのカンテラとは比べ物にならないほどの強い光を出すもので、彼女の手製だった。


 数ヶ月前のあの祭り以来、アリスはがらくたを作るのに凝っている。

 趣味ができたと言っていた。

 茶番とはいえ、売れたことが成功体験になったのかもしれない。

 度々血を搾り取られるアッシュからすれば迷惑なのだが、時にはこうして単純に役に立つ道具も作る。

 それに、彼女の人類への貢献に比べればささいなことだった。

 なので文句は言わないことにしていた。


 しばらく歩くと、森の終わりが見えてくる。


「ああ、森を抜けますね……。ぜひとも温かいスープなどごちそうになりたいものです」



 わくわくと手を擦り合わせ、アリスはそんなことを口にする。

 そして、木々の向こうに薄く漏れる灯りと共に見えてきたのは巨大な建物だった。


 広い敷地をまるで牢獄のような鉄柵が囲っている。

 錆びついて無骨さを感じさせる門は、どこか地獄の入口のように重苦しい気配を纏っていた。

 そびえ立つ建物の白い壁は、闇の中、僅かな月光を受けて青ざめたような色をしている。

 天をくいくつもの尖塔の木窓は、外界からの介入を拒むように全て閉ざされていた。


 その建物は四方を森に囲まれ、人里離れた場所に位置している。

 だかそれにも関わらず、聖教国でも二番目の規模を持つ修道院として知られていた。

 名を聖ルージア修道院、別名【贖罪しょくざい修道院】とも呼ばれる場所だ。


 そしてここにいるのは基本的に『神への反逆の罪』に相当する禁忌を犯した罪人の縁者である。

 故にこの場所は、贖罪修道院と呼ばれている。


「祈りが聞こえてきます」

「そうだな」


 森を背に、さらに修道院に近づくと確かに祈りの声が聞こえてくる。

 無数の声が完璧に重なり、一定の音程を保ち続けるそれはどこか不気味ですらあった。


「しかし贖罪修道院、ね……」


 アリスはどこか皮肉げに呟き、修道院を見やる。


「聖職者っていうのは、本当によくもまぁロクでもないことばかり考えつくものですよ」


 世間の人間はここを、罪人の縁者が俗世から離れて身内の魂を救う祈りを捧げる場所だとでも思っているのだろう。

 だが、それは違った。


 ここは、教会の汚点とも言うべき忌まわしい場所だ。


「……こんなの、生贄の祭壇みたいなものじゃありませんか」


 小さく零されたそんな呟きは風に流される。

 やがてアッシュたちはその場所に辿り着き、鉄の門は重苦しい音を立てて開かれた。



 ―――



 ひとりでに開いた門には多少驚いた。

 が、すぐに門の影から二人の人影が現れて、彼らが開いたのだと理解する。

 その案内人たちは、アッシュを祈りの声が木霊こだまする修道院の敷地へと招き入れた。


「…………」


 彼らは不思議なことに、いや理由は多少想像はつくが……それでも全く言葉を発さずに、ただ深々と頭を下げた。

 奇妙な姿だった。

 仕草に誘われるままに歩き、修道院の建物の中へと入る。

 だがエントランスについたところで、彼らは足を止めた。

 何も言わずに礼をして動かなくなる。


 するとやがて、一人のまだ若い男がアッシュたちの方へと歩いてきた。

 背が高く、また高位の聖職者のような身なりをしていた。

 慇懃いんぎんに礼をして、こちらへと微笑みかけてくる。


「ようこそいらっしゃいました、お二方。わたくしはマクシミリア=フィルネスと申します。この聖ルージアの修道院長を務めさせていただいている者です」


 穏やかな口調で彼が名乗ると、案内人の二人が歩き始める。

 そしてマクシミリアの背に付き従うように立った。


「…………」


 案内人たちは何も言わない。

 対してマクシミリアとやらはにこやかで、少なくとも表面上はアッシュを歓迎しているようだった。

 今も長身を優雅に跪かせ、微笑みに細められた灰色の目をこちらに向けている。


「……どうなさいました?」


 黙り込んだアッシュに、マクシミリアが首を傾げた。

 その彼をまじまじと見つめる。


 彼は神官にしては珍しく髪も短く、その黒髪は清潔に切りそろえられていた。

 そして服は、銀の糸による装飾が添えられた白いローブだ。

 同じく白色の長マントを足したローブを身に着けている。

 さらに服の胸には交差する杖のシンボル、十字の刺繍が施されていた。

 つまり、高位神官だ。

 優雅で温厚で友好的な高位神官。


 しかし何故だか信用できないような、そんな雰囲気を持った人物だと感じた。

 だが何も言わないのもどうかと思ったので挨拶を交わすことにする。


「アッシュだ。世話になる」


 あまり自分の姓を好かないアッシュは、すでに名前を知っているであろう彼には名だけを告げる。

 すると、マクシミリアは腰を上げ歓迎の意を伝えてきた。


「勇者様、よくぞいらっしゃいました。我々はただあなたを心待ちにしておりました」

「そうか」


 演技は上手いがどうせ嘘なので軽く流す。

 しかし、その横でアリスが跪いて礼をした。

 全く思いがけないことだったので少しだけ意外に思った。


「私はアリス=シグルムと申します。教皇様より封印官の任を賜り、勇者様の従者としてこの地へと参らせていただきました」

「ああ、そうですか。……よく務めを果たしているようで、きっと神もお喜びでしょう」


 会話を横目に、アッシュはマクシミリアの背に控える二人に声をかけた。

 彼らは質素な黒いローブを着て、顔を覆うほどに深くフードを被っている。

 男とも女とも知れない様子だが、恐らくアッシュとそう変わらない歳だろう。


「君たちは、何故俺が来るのが分かった?」

「…………」


 話しかけても何も答えない。

 だが代わりにゆっくりと跪いた。

 そのやり取りを見て、マクシミリアが声を漏らす。


「あぁ……」


 まるで嘆くような声のあと、彼はなにやら語り始めた。


「彼らは罪人です。言葉を交わされては、勇者様の御霊みたまが汚れます。それに、沈黙は彼らの贖罪にも繋がるのです。どうぞご理解のほどを」


 冷たい声で言い切って、マクシミリアはさらに言葉を続ける。


「それから、これは昨日の晩からあの場所で待たせておいたのです。あなた様がいついらっしゃってもよろしいように」

「…………それは」


 交代もなしに? と、口を開きかけてやめる。

 ここはそういう場所なのだ。


 という風に考えていると、マクシミリアが冷ややかに二人へと声を投げる。


「……もう行け」


 そう言うと黒いローブの二人は立ち上がる。

 続けて廊下の奥へと消えた。

 背を見送ると、マクシミリアの冷たい声が温和な調子を取り戻した。


「では勇者様。粗末ながら食事を用意しましたので、どうぞこちらへ。例の彼女(・・)とも会っていただきます」

「……よろしく頼む」


 こちらの返事にもう一度礼をして、無数の燭台が照らす廊下をマクシミリアが歩き始める。

 それにアッシュが続くと、アリスも腰を上げて歩き始めた。


 そして移動している間もずっと、祈りの声は響き続けていた。


 ―――



 アッシュたちは、大広間の食事用と思しき長机に腰を掛けていた。

 一応は勇者であるアッシュの席は、何十席もある長机の右側の最も手前、上座に用意されていた。

 アリスはその隣だ。


 薄明るい広間には暖炉に薪がべられていて、外よりはずっと暖かい。

 時期的には少し早いが夜の冷え込みもある。

 人間にとっては素晴らしいもてなしになるだろう。

 実際アリスも人心地ひとごこちついたようだ。

 硬い木の椅子の上でのんびりくつろいでいるように見える。


 しかし高位の神官が側にいるからか、普段のだらけ方に比べれば大して崩しているわけでもないが。


「食事はまだ用意できてないので、少々お待ちください」


 マクシミリアが言った。

 彼はアッシュの対面の、自身の席の前で立ったままだ。

 それに軽く頷いた。


「…………」


 テーブルの上には清潔なクロスが敷かれ、銀の燭台がぼんやりと輝いている。

 そしてアッシュたちの前には同じく銀でできていると思しき食器のセットがある。

 内訳はフォークとスプーン、それから空のグラスだ。


 ふとアリスが口を開く。


「ところで、マクシミリア修道院長」

「なんでしょう?」

「失礼ながら、この祈りはなんでしょうか? 私、このような祈りは聞いたことがありません」


 石の壁の向こう、遠く聞こえる祈りの声に言及する。

 マクシミリアは何度か目を瞬かせた後、疑問に答えた。


「これは単なる祈りではありませんからね。【奇跡】の詠唱の文言です」


 するとアリスはにこりと微笑む。


「ああ。これが、奇跡なのですね……。すみません、私の信仰の至らぬせいで、無用な説明をさせてしまいました」


 彼女のしおらしい言葉に、マクシミリアはそっと微笑みを返す。


「いかに勇者様の封印官とはいえ、奇跡を知らないのはどうしようもありません。あれは本来高位の神官にのみ授けられる詠唱なのですから」


 そこで、少し言葉を選ぶような沈黙が挟まれた。

 一瞬だけ声が途切れたあと、また彼は語り始める。


「この修道院で奇跡が唱えられているのは…………そう、一重ひとえに彼らの贖罪には、最も高貴な祈りこそが相応しいためなのです」


 慈悲深げな笑顔と共にそんなことを続けた。

 だがそれはとんでもない欺瞞ぎまんだった。


 奇跡とは勇者や使徒の異能、『ギフト』を魔術で再現したものだ。

 一部の特別なルーンと同じく、これも聖典詠唱でしか扱うことはできない。

 そしてその行使に触媒は不要で、なおかつ一度使えば人智を超えた絶大な効果を発揮する。

 まさに破格の大魔術だ。


 だが、当然そんな強力な力には代償がつきまとう。

 奇跡を使った者は、必ず死に至るのだ。

 それは己の魂に直接ルーンを刻み、発動で魂の力を使い果たしてしまうからだと言われている。

 しかし真相は定かではない。

 正体も何も知らないものを、躊躇いなく力として振るう。

 人間とはそういう生き物だった。


「【殉教者隊】、だったか?」


 アッシュがそう聞くと、マクシミリアは首を傾げる。

 何を言わんとしているかを探っているのだろう。

 その表情をじっと見ながら言葉を重ねた。


「俺は有用な戦力がここにいると聞いて来た。……だが、投げ槍(ジャベリン)は必要ない」


 投げれば壊れ、もう使えない投げ槍。

 そして、この修道院の収容者で編成される殉教者隊は同じようなものだ。


 ただ奇跡を使わせるためだけに、幼い内に罪人の縁者として家族から引き離す。

 贖罪のためと言って徹底的な洗脳を施す。

 そして最後は命を燃やして果てさせる。


 今のご時世では考えなしに否定することもできない。

 実際に、殉教者隊は数々の重要な戦闘で目をみはる戦果を挙げてきた。

 だが、アッシュとしてはそんな者を連れて行く気はなかった。


「勇者様は、お優しいのですね」


 笑い声を上げるマクシミリア。

 だがアッシュは怪訝に思う。

 別に善人ぶって哀れみをくれたわけではなく、使えないものは寄越すなと言っているだけなのだ。


 なのでじっと目を見て問い返す。


「何がおかしい?」

「いえ、ご安心ください。あなたに力をお貸しするのは、殉教者隊ではありません。それどころか最も死とは縁遠い者ですよ」


 にこやかに答えたあと、不意に声を低くしてマクシミリアは続ける。


「……それと、殉教者隊は全員が志願です。哀れまれることなどありませんように」


 もう話すこともなく黙っていると、大広間のドアがノックされた。


「入れ」


 マクシミリアの声で入ってきたのは、食事の盆を持った四人のシスターと、それから一人の小柄な少女だった。


 その少女は見たところ十五歳ほどだった。

 腕も足も細く、どこか儚げな印象を受ける。

 聖職者なのだろうか。

 華奢な体に、白ローブと白いマント……マクシミリアのものに似た雰囲気の服を身にまとっていた。

 しかしよく見れば違いも随所にある。

 たとえば、本来は長いローブの裾が膝下で切り詰められていることだ。

 動きやすくするためだろう。

 代わりにローブの下にはズボンが覗いていた。

 そしてそれらには装飾がなく、胸の部分も無地であったため、下級の聖職者であるように見えた。


「…………」


 それから、その顔を見る。

 色の薄い、白磁はくじのような肌だった。

 また長く伸ばされた髪も白い。

 しかしその髪はほとんど手入れをされていないようだった。

 前髪も伸びて目にかかっている。

 ばらばらに、無造作に伸びた髪の向こうから、幼さを残しながらもどこか空虚な赤い瞳がじっとこちらを見返していた。


 それから、少し不思議なのだが。

 その少女の髪の右側には、黒いぼろ布を細く引き裂いたようなものが、まるでリボンのようにして結び付けられていた。

 髪は手入れをしていないことから、少しだけ馴染まないように感じる。

 不思議に思って見るともなくリボンを見ている内に、シスターたちは四人分の配膳を済ませたようだった。


 すみやかに退出していく。

 マクシミリアのそばに、どこか茫洋ぼうようとした様子で立ち尽くす少女を残して。


「ノイン、ご挨拶をしなさい」


 その言葉に、少女はその虚ろな視線を揺らがせた。


「…………」


 そして、ゆっくりと手を胸の前まで持ってきて、なにかのハンドサインをする。

 マクシミリアがため息を吐く。


「それは通じない」


 少女……どうやらノインと言うらしい彼女は、困ったように眉を下げる。

 すると、彼は苛立たしげに言葉を重ねた。


「口を使え。言葉を話せ」

「…………!」


 なおも少女は無表情にハンドサインで抗議する。

 堪えかねたように、マクシミリアが机を叩いた。


「話せと言っているだろう」


 どうやら了承したらしいノインはうなだれて、それからようやく口を開く。


「…………ぁ」


 小さな声を漏らして、それから軽く咳き込む。

 こうして話すのには慣れていないのだろうか。


「あたし……は、ノインと、言いいます。勇者様と共に、神さまの栄光のために戦います。どうか、おそばにおいてくださいませ」

「跪け。誰の前だ」


 最初こそ引っかかったものの、滞りなく挨拶を済ませた。

 練習をしていたのかもしれない。

 そのノインに、マクシミリアが厳しい声をかける。

 彼女はそれに体をびくりとさせ、跪いた。


 呆れたような顔でマクシミリアがこちらへ語りかけてくる。


「この通り至らぬながら、これには力だけはあります。また、そう簡単には死ぬことはないので、心置きなく使い潰してくださいませ。……それが彼女の贖罪にも繋がるのですから」


 大罪人の縁者は教会によって破門され、少なくともこの聖教国の中ではほとんどの人権を失う。

 破門を回復させる方法はいくつかあるが、聖ルージアに血の繋がった子供を入れるのは…………言いようによっては最も簡単な手段であり、故に用いる者も少なくはないという。


 そして恐らくはノインもそのような身の上だろう。

 物心つく前から贖罪を強要され、罪人の烙印を押されて生きてきたはずだ。


 マクシミリアは、彼女にまた指示を出す。


「さて、ノイン。立って私の横に座りなさい。そして、勇者様と同じ食卓に就くことのできる僥倖ぎょうこうに感謝しましょう」

「…………?」

「……ハンドサイン(それ)は使うな。三度は言わせるなよ」

「…………」


 マクシミリアの低い声に、ノインが深々と頭を下げた。

 しかし何も言わず、無表情のまま席についた。



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