閑話・SS集
『SS・悪い噂がすごい』
「ねぇ、アッシュさん。聞いたことあります?」
「なにがだ?」
いつもの夕の封印中。
杖を背中に押し当てて、詠唱はどうやら品切れらしい。
またべらべらと口を開くアリスに、アッシュは答える。
「大抵のことは聞いてないと思うが」
「なら話しますよ?」
「ああ」
話していいと、そうアッシュが許可を出す。
するといかにも楽しそうな声でなにやら話し始める。
「道に迷った小さな女の子が声をかけると何故かキレて怪我をさせた上に泣かせた。その上証拠隠滅に治癒魔術までかけた悪を悪とも思わない悪魔」
「なんの話だ?」
覚えがあるような、ないような話にアッシュが戸惑う。
すると断罪するようにして杖が強く押し付けられる。
「あなたのことですよ、この悪魔。こういうことするために『光』のメダル持ち歩いてたんですね」
「勘弁してくれ」
その噂の元になったであろう出来事は……やはりあまり覚えてはいないが、うっすらと記憶の中にあった。
「お兄ちゃんと呼ばれたから振り向いて、人違いだと言ったら怯えて逃げようとした。それで転んだから治癒魔術で手当したら泣かれただけだ」
「いやいやいや、普通あなたをお兄ちゃんと見間違える訳がないです。どんなお兄ちゃんですか。どんな育て方したらこうなるんですか」
「目が悪かったんだろう」
確かに不思議だが、生憎と事実なのだから仕方がない。
だからアッシュがそう言うと、アリスは一つ唸ってそれからまた杖を押し当ててくる。
「まだありますよ」
「そうか」
「お小遣いを貯めて大きなパンを買ったいたいけな少年を脅してパンを強奪しパン粥にして食べた挙げ句、その後口止め料として銅貨を渡した人の心を金と恐怖で縛ろうとする最低の鬼畜」
すぅっと息を吸って一息に言い切ったアリス。
それになんとも言えない気持ちになりつつも、アッシュはまた弁解する。
「大きなパンを頬張りながら走ってくる少年に後ろからぶつかられて、彼がパンを落とした。だから拾ってやると無視して走り去った。落ちたのは、要らないのかと思ってもったいないから食べた。でも一応かわいそうだから後で見かけた時にパンの補償をした」
「はい嘘。そんな嘘信じるとでも?」
まぁ、大陸に聞こえるアッシュの悪評の中には嘘の話も多いがそれでもそう言って信じる者はいない。
アリスが信じないのも仕方がないのかもしれないし、それに悪評が付きまとうことには慣れている。
だから信じたくないのなら構わないと、そう言おうとしたところでアリスが口を開いた。
「あと、あの……ちなみに、パン粥にして?」
「……ああ。何故知っている?」
「兵舎で鍋に向かってるのを見たって、兵士さんたちが。噂になってますよ」
「そうか」
その程度のことを何故噂するのは分からないが、興味もなかったので軽く流す。
するとアリスがさらに言葉を重ねる。
「パン粥、好きなんですか?」
「あまり噛まなくていいからな」
そう答えると、彼女は少し笑ったようだった。
「ブレませんよね、あなた」
―――
『SS・グレンデルが壊れた!』
飲み比べ、とは言うものの。
どうなったら負けと判断できるのか、アッシュはその基準を知らない。
「俺さ、鳥になりたいんだよね。あんな風に飛べたら足なんかいらないじゃん?」
「……ああ」
「はっ……ははは……!」
夜も深く、人もまばらな『犬のしっぽ亭』の中。
ハイライトが消えた、完全に据わった目でよく分からない話をしては突発的に笑うことを繰り返すグレンデル。
彼は二十杯木のジョッキを空にしたあたりから、少しずつ、けれど確実にこうなっていったのだった。
「魚でもいいよ。あんな風に泳げたら、足なんかいらないし」
「そうか」
アッシュがそう答えると、おもむろに杯を空けてグレンデルは机を叩く。
「貴族だ英雄だって…………俺さぁ!!」
「…………」
「平民が良かったよ!!」
魚なのか鳥なのか平民なのかよく分からないが、グレンデルにも色々と溜め込んでいるものはあるらしい。
「ホットケーキ……食べたかったよ……」
「…………?」
机に突っ伏してグレンデルが謎の呟きを漏らす。
それに困り切ったアッシュは頭をかいて、彼に声をかけた。
「もうそろそろ酒はよしたらどうだ?」
「まだ飲めるし」
「そういう問題じゃない……」
ため息を吐いてあたりを見回す。
すると、嘘つきの女の子がかわいそうな生き物を見るような目でグレンデルを見ていた。
「君、このことは」
「いえ、言いませんよ。てかあたしが言っても誰も信じませんし……」
「そうか、ありがとう」
「お礼なんて……。勇者様って、結構優しいんですね」
貴族のグレンデルに慣れているせいか。
……いや、そうではなくアッシュがグレンデルの連れだから、なのだろう。
ともかく彼女はあまり立場に物怖じせずアッシュと言葉を交わす。
それからグレンデルの横に腰掛けた。
「おーい、起きてくださーい。グレンデルさーーん」
「…………っ」
「ああ、だめだこりゃ」
いつの間にか眠っているグレンデルを揺すり、けれど反応がないと見て彼女は笑った。
「あの、勇者様。そろそろ店じまいなんでこの人連れて帰ってもらえますか?」
「……ああ」
連れとしての、それは最低限の義務だろう。
だから腰を上げると、同じく腰を上げた少女が楽しげに呟いた。
「しかし、ホットケーキね……」
「あれはどういうことなんだ?」
アッシュがそう尋ねると、少女は微笑む。
「ああ、いえ。ここはむさ苦しいでしょう? だから女性客獲得のために女の子向け! って銘打ってあまーいホットケーキ売ってたんですよ、一時期」
「ああ」
「まぁそれは無駄だったんですが……女の子向けって書いたばっかりにグレンデルさん、頼めなかったみたいですね」
「なるほど」
頷いて、それからアッシュはグレンデルの体を背負う。
そしてカウンターで不自由ながら会計を済ませると、少女が唐突に名乗った。
「あたしミーネって言います」
「……そうか」
「良かったら今度また来てください。ホットケーキ、ごちそうしますから」
アッシュがまたここに来るかどうかは分からなかったが、きっとグレンデルはホットケーキにありつけるだろう。
だからそういう意味で礼を言っておく。
「ありがとう。いらないと言っても食わせてやってくれ」
「はいもちろん。じゃあ……ありがとうございましたー!」
少女……ミーネは快活に手を振って、店を出るアッシュとグレンデルを見送った。
―――
『SS・封印官の一日』
ロデーヌを出て、今は辺境のとある戦場へ向けての旅路。
眠い目を朝日の光に細め、街道を行く馬車の御者台でアリスは少し後ろを振り向いて見る。
「…………」
まるで死んだように馬車の床に突っ伏しているアッシュだが、あれで本当に寝ていないのだろうか?
「起きてます?」
「ああ」
寝転んだまま、アッシュがそれに答える。
「寝ないってあなた、大丈夫なんですか?」
「今のところはな」
「そうですか」
それで会話はおしまい。
特に仲良しという訳でもないので、アリスもそれ以上話しかけない。
――
昼過ぎ、道の途中。
行商人の隊列を襲っていた魔獣の群れをアッシュが殺している。
「まぁ飽きないもんですよね、ほんと」
一応人影を一体側に立たせて、それでアリスは殺戮に興じるアッシュをぼんやりと見る。
行商人たちもとっくに逃げて、守るべきものは誰もいない。
なのに、そんなことには気が付きもせず魔獣へと刃を向けている。
彼は左手が上手く動かないため、鎖も魔術も使うことはできない。
が、それでも恐ろしく速やかに剣一本のみで敵を撃破していた。
それは美しさや鮮やかさのない、無駄を削ぎ落とした暴力といった様子の太刀筋だった。
「……生きてて楽しいんですかね」
アリスと違って彼は自由なのに。
わざわざあんな事ばかりして。
首輪が外れたらやりたいことはいくらでもあるのだ。
なのに首輪を外した先輩があれでは、なんだか自分の人生まで不安になってくる。
そんなことを思いつつ、もしゃもしゃと途中の街で仕入れた菓子パンをかじる。
「なんかやりたいことでもないんですか?」
パンを食べ終わった頃、魔獣を倒し終えたようなので近づいてそんなことを聞く。
すると、いつも通り魔獣にとどめを刺しつつ答えた。
「特にない」
「それ生きてて楽しいですか?」
先程呟いた問いを直接ぶつけると、剣を止め振り返る。
そしてフードの奥の無感情な瞳でアリスを見つめて、何も言わずにまた殺戮に戻る。
「…………」
少し前に見た彼の記憶。
それが何故かふと思い出されて、柄にもなくアリスは申し訳のない気持ちになる。
まぁ、楽しい訳がない。
それなのに嫌味のような事を口にしたことだけは、謝るべきなのかもしれなかった。
でも素直に謝る気になれなかった。
だから代わりにパンを一つ取り出して、杖で血に汚れた背を叩く。
「今度はなんだ?」
わずかにうんざりしたような色を伺わせている。
その目の前に、アリスはパンを突き出した。
「これあげます。美味しいものでも食べれば、少しは楽しくなるかもしれませんよ」
アッシュの手は血塗れだが、彼ならそんなことは気にしないだろう。
そんなことを無責任に考えてパンをまた突き出す。
すると苦笑して、彼は血を払い剣を収める。
それから、血塗れの手でパンを受け取った。
「お嫌いですか?」
何も言わず、相変わらずの無表情。
到底美味しそうには見えない様子のアッシュにそう聞く。
ほんの少し、出会った頃であればそれこそ気が付かなかったであろうほどにわずかに角が取れた声が返ってきた。
「これは、噛まないといけないからな」
そんなことを言って、アッシュはそそくさと平らげて馬車へと歩き始める。
「早く行こう」
「あ、はい」
そう答えて、それからアリスは思い当たる。
今のはアッシュなりの冗談だったのかもしれない、と。
―――
アリスにとって、アッシュは意味不明な生物だった。
もちろん心を読めばある程度の思考は読み取れるが、わざわざそれをしたいとは思わない。
と、そこで鍋をかき混ぜていたアリスに、アッシュが声をかけてきた。
「……すまない」
「いえ、別に」
街道を馬車で行き、けれど夜になったので近くにあった川のそばで野営をすることにした。
そして今はアリスが食事を作っているのだが、どうも彼はそれを任せ切りにしていることが申し訳ないようだった。
実際、以前は彼が担当する時もあった。
「まぁ、私のせいでもありますからねー」
ロデーヌの一件以来、アッシュは左腕を上手く動かせなくなった。
よって様々な雑事をアリスに頼ることになったが、正直夜の見張りを一手に引き受けてくれているだけお釣りが来ると思っている。
安眠の価値は、何にも替えがたい。
「…………」
それから特に言葉を交わすこともなく食事を済ませる。
アリスは身支度を済ませ、さっさとテントの中に潜り込んだ。
なにしろ明日も早い。
あの殺戮狂はひどくせっかちなのだ。
「……寝よう」
小さくつぶやいて眠る。
しかしなかなか寝付けない。
今日は満月で、夜も明るい。
詩人なら詩でも詠みそうなくらいの夜だが、それでも寝苦しさを感じて寝返りを打つ。
アッシュは眠れないが、アリスにも時々眠りにくい日はある。
夜は恐ろしい。
特に、月の明るい夜は。
「…………」
意味もなく不安が膨れ上がって、けれどどうしようもないとアリスは知っている。
不安の原因は現在にはない、過去にこそあるのだから。
「…………はぁ」
耐えかねてため息を吐いて、アリスは少し散歩でもしようとテントの外に出てみる。
すると遠く、焚き火の前に微動だにせず座っているアッシュの背中が見えた。
「…………」
それを見ているとアリスの中の不安がほんの少し和らいだような気がした。
だってなにしろアッシュは動かないのだから。
それこそ岩のように。
身じろぎ一つせず夜を守っている。
あれなら少し、安心かもしれない。
そんなことを思って寝床に帰ることにした。
すると、いつの間にかアリスはまどろみの中に意識を手放していた。




