表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
301/304

幕間・幸せな毎日

 



 大火からひと月が経った頃。

 よく晴れた日のことだ。


 シーナはひとりで馬車に揺られていた。

 御者の他には護衛も乗客もいない。

 金を払って貸し切った車両だ。

 そうまでしたのは、子どもたちの遺灰を運びたかったからだ。

 馬車の積み荷として、六つの小壺が大切に乗せられている。


 それは遺体が残っていた五人と、街外れに埋められていたウォルターの遺灰だ。

 カイゼルが抑えた教会で灰にしたものである。

 その灰を積んだ馬車で、シーナはじっと座り込んでいる。


「……ごめんなさい」


 リュートのことを思いながら呟く。

 彼が埋めたウォルターのことを、勝手に掘り起こして灰にしたからだ。

 本当はそんな気ではなくて、手紙の内容を頼りにお墓参りをしようと思った。

 でも、彼もきっと傷ついていたから……上手く埋められていなかったのだ。

 だから、実験体の亡骸を狙う輩に渡らぬように、シーナが供養をすることにした。


「…………」


 黙って、リュートの最後の手紙を読み返す。

 何度も何度も繰り返して。

 やがて手紙を畳み、膝を抱いて俯く。


「…………ごめんね」


 小さな声でもう一度呟く。

 それからシーナは、もう何も言わずに馬車に揺られている。

 どこか遠く、誰の手も届かない場所で子どもたちを埋葬するつもりだった。

 それが済んだら、シーナは自殺するつもりでいた。


「…………」


 旅立ったリュートの背中を思い出す。

 次に、子どもたちが微笑みかけてくれた幻も思い出した。

 みんな笑って、肩を寄せ合って、楽しそうに歩いていく。


 その幻で、心が血を流すのを感じながら、シーナはか細い声で虚空に語りかける。


「…………先生も、一緒に行っていい?」


 返事はない。

 シーナは涙を拭った。

 何度も何度も涙を拭って、じっと馬車の中で俯いている。



 ―

 ――

 ―――



 ある日、子どもが子猫を拾ってきた。

 虎毛の猫だった。

 夕頃、庭先の畑に水をやっていた時である。

 シーナは抱かれた猫をまじまじと見つめて、困り顔で咎める。


「だめよ、戻してこないと。この子の家族も探しているわ」


 そう言ったシーナの前には子供が三人。

 いずれも八歳ほどだ。

 真ん中に猫を抱えた男の子。

 左の後ろに大人しそうな女の子。

 そして、猫を抱えた子の右手に、悲しそうな顔をしている少年がいる。


「家族はいないんだ」


 その、悲しそうな顔の子どもが言う。

 シーナは首を傾げた。


「え?」


 子猫に家族がいない、なんてことがあるだろうか。

 まさかはぐれていたのかと考えていると、三人はさめざめと泣き始める。

 驚いていると、女の子が憤るように口を開いた。


「殺されてたの」


 シーナは、あまりのことに目を見開く。

 三人は口々に猫について語り始める。

 心配そうに、悲しそうに。

 目を涙ぐませて。


「みんな言ってた。最近このあたりに来た、冒険者の奴らがやったんだって」

「いじめて、殺したんだって」

「あたしも聞いた。ひどい殺し方してるの、見たって。あそこにいたら、きっとこの子も殺されちゃう……」


 シーナはため息を吐く。

 一瞬、頭の中には家計の心配がよぎった。

 今、シーナのもとには十一人の子どもたちがいる。

 彼らを養いながら、猫も育てなければならない。

 前にわがままを聞いて、犬を二匹も飼っているのに。


「……わかったわ」


 しかし、結局シーナはそう言った。

 子どもたちの涙ぐんだ目を見て決めた。

 彼女にとってはこの涙は辛い。

 泣かないでいてくれるなら、猫の一匹くらいは迎え入れていい。

 それに子猫がいじめ殺されるのを想像すれば、哀れみだって湧いてくる。


「ありがとう、先生!」

「ありがとう!」

「大好き!」


 子どもたちが喜んだ。

 その笑顔を見て、幸せだと思う。

 でも自分には微笑みかけてもらう資格などないことを知っている。

 膨れ上がる罪悪感を隠すように、シーナは子どもたちを抱き寄せた。


「いいから、ちゃんとお世話してあげてね」


 腕の中で、子どもたちがぎゅっとシーナにしがみついてきた。

 小さな手。温かい手だ。

 シーナはなぜか泣きそうになって、それも隠してしまうために、子どもたちを離せずにいた。


「……先生、猫が苦しいかも」


 慌てたような声が聞こえた。

 抱きしめていたせいで息が詰まったかもしれない。

 シーナはようやく離れて、子猫の顔をのぞき込む。

 猫は眠そうに目を細めていた。

 そこまで苦しんではいなかったようだ。

 たどたどしい手つきで、子どもが大事そうに猫を抱え直す。


「かわいい」


 そう言って嬉しそうに笑った。

 かわいい、かわいいと口々に言って子どもたちがはしゃぐ。

 シーナも少し笑って語りかけた。


「かわいいけど、ノラ猫は病気があるかもしれないわ。先生が見てあげるから、みんなでお風呂に入ってきなさい」

「はーい!」


 素直に答えて、猫を渡してくれた。

 三人は家の中に走っていく。

 お風呂に入るためだ。

 この家には浴室などというものはないが、シーナが魔道具を作った。

 なのでお湯張りから排水まで、簡単にできるようになっている。

 年長の子は少しだけ魔術を使えるので、自分で魔道具を起動できる。


「……小さい子たちにも、魔術を教える時間を取らないと」


 走り去る子どもを見ながら呟く。

 なぜなら、魔術さえ使えれば身を立てられるからだ。

 それはシーナ自身、足が不自由になったことで強く実感した事実だ。

 だから生活に使うような魔術は教えている。

 いつかなにかに失敗したり、挫折したりしても、生きる術だけは持っていられるように。


 ただ子供には戦ってほしくないので、戦闘用の魔術は教えていない。


「はぁ……」


 ため息を吐く。

 先ほどの冒険者のような話を聞くとどうしても不安になる。

 護身用の何かを教えるべきではないかと。

 悪い考えを押さえつけながら、見るともなしに自分の家をじっと見つめた。


「…………」


 ここは空き家を買い取ったもので、前の住処とは比べ物にもならないくらいに質素な建物だ。

 しかし造りはしっかりしていて、凍えずに済むし、子供が遊べる広い庭もある。

 貯めていた給金で買ったものだった。

 そんな家を見つめながら、シーナはもう一度ひとりごとを口にする。


「私がいつも、ついていればいいだけよ」


 だから、子どもが戦う必要なんてない。


 そう決めて歩き出した。

 猫を撫でてやりながら、子どもたちについていくことにする。

 気が変わったのだ。

 風呂の間に猫を病院に連れて行く気だったが、家から離れるのが不安になった。


 街に猫を殺すような冒険者がいるのに、子どもたちだけ残しては行けない。



 ―――



 風呂に入ったあと、みんなを連れて街に出た。

 湯冷めするので入浴後の外出はよくないが、すぐ近くなので連れ立って行くことにした。

 夕暮れの街をぞろぞろと固まって歩く。


「あたしにも猫触らせて!」

「ねぇ、ネコってイヌと喧嘩しない?」

「もしかして、ネコがいいならニワトリも飼っていい……?」


 周囲に張り付いた子どもたちが口々に呼びかけてくる。

 中には猫に手を伸ばそうとする子もいるので、シーナは猫を抱えて遠ざけた。

 それから年長の子……十一歳の男の子と女の子が一人ずつ、はしゃぐ子どもたちを呆れ顔でなだめてくれている。


 そして、こうしていると町の顔なじみが時折声をかけてくる。


「あら、こんにちは。今日もみんな元気だね、シーナさん」


 笑って声をかけてきたのは、年配の女性だった。

 数人の主婦とおしゃべりに興じていたらしい。

 彼女にはいつも世話になっていて、この前もシーナに用事がある時、子どもの面倒を頼まれてくれた。

 だから、お礼がてらに笑って挨拶を返す。


「はい、こんにちは。この前はどうも……いつも助けていただいて……」


 シーナが頭を下げる横で、子どもたちも口々にあいさつをした。

 少しだけ世間話をしたあと、みんなで手を振って通り過ぎる。

 それからもう少し歩いて、シーナたちはようやく病院にたどり着く。



 ―――



 病院で薬草をもらい、シーナたちは帰路についた。

 ついでに軽い診察をしてもらったところ、特に問題もないと言われた。

 もらった薬草でダニやらをくだしてやればそれでいいそうだ。


「先生、まだ触っちゃダメなの?」

「ダメよ。洗ってからね」


 そんなやりとりをしながら、シーナたちはのんびりと歩いている。

 しかしある時、一人の男の子が大声を出した。


「あっ! あいつらだよ!」


 シーナは眉をひそめる。

 嫌な予感がした。

 止める間もなく、さらに別の子が言葉を続ける。


「あいつら! 猫を殺した!」


 そのまま、三人が口々に指をさして憤る。

 指の先には二人の男がいた。

 キルトアーマーとジャケットで揃えた、粗暴そうな三十半ばの男たちだ。

 にやにや笑いを浮かべていて、薄気味悪く見える。

 しかも悪いことに武器まで持っていた。


 子供に指をさされると、二人は目を見合わせて笑い声を上げる。


「おいおい、なんだこの、きたねぇガキどもは」

「失礼じゃねぇかよ。ぶん殴られて躾けられてぇかい?」


 シーナは、血の気が引くような思いである。

 無用な争いになるし、子どもたちは実際に猫を殺したところを見たわけでもないのだ。

 何か言おうとするのを遮り、深く頭を下げる。

 慌てて何度も謝罪をした。


「すみません。本当に……失礼なことを……!」


 それから、三人の頭も押さえて謝らせようとする。

 厳しい口調で怒鳴りつけた。


「あなたたちも、謝りなさいっ!」


 だが子どもたちは頭を下げなかった。

 シーナの手を振り払って、きつく男たちを睨んでいる。


「やだ!」

「先生だっていつも、正しいことしろって言ってた!」


 三人はそんな風に、一歩も譲ることはなかった。

 しかし、本当は正しさなんてどうでもいいことだ。

 シーナはただ、子どもたちに無事でいてほしいだけだ。

 あの冒険者と争って、なにかあってからでは取り返しがつかない。

 ぞっとして震えんばかりの思いでいると、片方の男がにやにや笑って剣の柄をいじっているのが見えた。


「…………!」


 それにシーナは頭が真っ白になって、ほとんど恐慌状態に陥る。

 衝動的に何かを言おうとしたが、言葉が頭の中で詰まって何も言えない。

 喉が引きつるような恐怖で塗りつぶされていく。

 気がついた時にはもう手が出ていた。

 乾いた音がする。

 猫を拾ってきた男の子の頬を、シーナの手が打っていた。


「いいから! 謝りなさい!」


 叫んだ声は自分自身のものだった。

 叩かれた子どもが怯んでいる。

 シーナは今まで甘やかすばかりで、子供を叩いたことがなかったからだ。

 目を涙でいっぱいにしている。

 そしてシーナも、自分のしたことに動揺していた。

 混乱のままに後ずさりをしてしまう。


「っ……ご、ごめんなさい」


 反射的に謝罪をした。

 その間に、叩かれた子どもがまた口を開く。

 男たちを燃えるような目で睨んで。


「お前たちなんか……怖くないからな……!」


 シーナはまだ立ち直れていなくて、何も言えなかった。

 守るべき子どもをに手を上げたという事実に罪悪感を覚える。

 そうしていると、今度は別の子どもが言葉を続けた。


「先生が言ってた。なにかあったら、勇者様が助けてくれるって。みんなのヒーローなんだって」


 それは、リュートのことだ。

 骸の勇者を悪者だと思っていた子どもたちに、シーナがそっと語りかけたお話なのだ。

 本当に助けてもらえるというよりは、どうかヒーローだと思ってほしくて、悪く言わないでくれるように語った話だった。


「だから、お前たちなんか怖くないっ!」

「あァ? 勇者ってあれか、プラノってやつか?」


 冒険者の片割れが小馬鹿にしたように聞く。

 少し前に現れた神の勇者の名前を出して。


「違う! アッシュさんだよ! アッシュさんは先生の家族なんだ! お前たちなんかすぐやっつけるからな!」


 それを聞いて、男たちは大笑いを始めた。

 特上の冗談を聞いたように、まるで息が詰まるような勢いで笑う。


「はっはははははっ!! おい、よりによってそっちかよ!? 頭おかしいのかお前!」

「おもしれぇなぁ。魔王に負けたバケモンがヒイキかよ、ハハハ……」


 それを聞いて、シーナは拳を握りしめる。

 つい先日、骸の勇者……リュートは、四の魔王に負けて重い傷を負ったと聞いていた。

 目の前の男たちは、それを馬鹿にして笑っている。


 不安でいっぱいだったシーナの頭の中に、赤く煮えるような怒りが湧き上がる。


「……失礼は謝ります。でも、その人はこんな風に馬鹿にしていい人じゃないわ」


 まっすぐに見据えて言った。

 すると、シーナの顔を見て二人はさらに笑う。

 下種じみた声で骸の勇者を罵り始めた。


「そうかい? でも、骸の勇者は魔獣を食ってるって噂だぜ。俺にはバケモンにしか見えねぇけどなぁ?」

「メシ食うついでに戦ってるだけじゃないか? もしかして、戦争終わったら俺たちが狙われたりしてな……ひひひっ……」


 さらに、男たちはありもしないことをあげつらう。

 人を殺したとか、女を犯したとか、物を盗んだとか。

 そんな話をまるで本当のことのように並べ立てる。

 骸の勇者が憎いと言うより、それに怒るシーナの反応を楽しんでいるかのような様子だった。


「…………」


 シーナは深く息をする。

 なんとか、怒りをこらえようとする。

 握りしめた拳から、どうにかして力を抜こうとした。


 それを知ってか知らずか、男たちは舐めきった表情で近寄ってくる。

 シーナが女で、足が不自由なことに気づいているからだ。


「なぁ、おばさんよ。実は俺たちも見たんだよ。骸の勇者が頭から人間食ってるとこ」

「おう、そうさ。ガキどももよく聞け? あいつはただのバケモンだ。死体を食い漁ってゲラゲラ笑ってやがったぜ?」


 完全な嘘である。

 でも、シーナや子どもたちを傷つけるために言い張っているのだ。

 そして、それで限界だった。

 考えるより先に身体が動いていた。

 すり足で、シーナは一瞬で距離を詰める。

 不用意に近寄ってきていたので、不自由な足でもそれくらいはできた。


 ただ、速い動きに足がついていかない。

 かすかにふらつくものの、気合で体勢を整える。

 そのまま……猫を抱えたままだ。

 空いた手で一発ずつ、シーナは強い拳を叩き込んだ。


「げぼっ……?!」


 片方は腹の中身を戻したか、水っぽい声を上げて倒れ込む。

 もう一人は顎を打たれ、何も言わずに気絶した。


「…………」


 シーナは冷たく見下ろし、黙って歩き出す。

 早足で。

 男たちが立ち直る前にと。


「早く。来なさい」


 子どもに声をかけた。

 不安そうにしている子がいる一方で、大立ち回りに目を輝かせる子もいる。

 シーナはひたすらに焦っていた。

 家とは別の方向に歩き出す。

 住所を知られないようにという、精一杯の小細工である。


「先生……! すごい……かっこいい……!」


 誰かが言った。

 そんな言葉に答える余裕はない。

 顔を青くして、これから何事もないことを祈りながら、シーナは早歩きでその場を去る。



 ―――



 それから数日、シーナは本当に憂鬱な気分だった。

 何をしていても、子どもたちが例の二人から報復を受けるような気がしてならなかった。

 なにしろ、先に暴力という手段に訴えたのはシーナの方なのだ。

 向こうだってなにかしてきてもおかしくない。


 そして、悪いことは重なるもので。

 女の子が一人、熱を出して寝込んでしまった。

 その看病に追われながら、シーナは激しい自己嫌悪に襲われていた。


「……私、本当にバカだわ」


 枕元で看病をしながら、シーナは自分を罵る。

 子どもたちが寝静まった夜のことである。

 苦しげに息をしながら、子どもが語りかけてくる。


「先生はバカじゃないよ」


 視線を向ける。

 ランプの優しい光のそばで、ぼんやりした目でシーナを見ている。

 まだ七歳の子どもが、熱で苦しい中元気づけようとしてくれていた。


 その事実に、シーナはふっと笑みを漏らす。


「ありがとうね」

「うん」


 それからしばらく、その子は鼻をすすったりしながら黙り込んでいた。

 でもシーナの手をそっと握って、楽しげに笑って語りかけてくる。


「私、うれしいよ。先生のことひとりじめできるから」

「ええ。でも、早く治してね」


 言いながらゆっくりと手をほどいて、額の汗を拭いてやる。

 すると女の子は、にこにこと笑って頷く。


「うん。はやく治して、みんなでサッカーするんだ!」


 サッカー、という言葉に手を止める。

 シーナは目を伏せる。

 だがすぐにまた、何事もなかったかのように手を動かし始めた。


 会話を続ける。


「ねぇ、先生もサッカーしよう?」

「ダメよ。先生は足が悪いの」


 ボールを蹴るどころか、走ることも無理だ。

 だからこの家の子どもたちともサッカーなんてしたことがない。


「ゴールキーパーをすればいいでしょ?」


 シーナは黙り込む。

 少し躊躇ったあと、笑って首を横に振った。


「ううん。先生、サッカー……やったことないから、きっと分からないわ」

「そうなの!?」


 驚いたように、少女が目を丸くする。

 その髪を撫でてやりながら、シーナは微笑んだ。

 何かを思い出すように、遠くを見ながら言葉を重ねる。


「先生、いつも……ひとりぼっちだったから。友だちもいなくて、サッカーなんて……したことなかったの」


 シーナの家は歴史はあるが貧乏で、同年代の貴族からは馬鹿にされていた。

 でも見栄を張ろうとするから、平民の子供たちにも敬遠されていた。

 誰にも遊んでもらえなくて、それが悔しくて剣術に打ち込んだ。


 だからサッカーなんてしたことがない。

 ただ名前だけは聞いたことがあった。

 みんなが楽しそうに興じていたのも知っていた。


 シーナはそれで、サッカーという名前で嘘の遊びを作ったりしたのかもしれない。


「先生、かわいそう」


 女の子が言った。

 そして、もう一度ぎゅっと手を握って笑う。


「だけど、先生はもうひとりじゃないよ」


 その言葉にシーナも微笑む。

 少女を引き寄せて、腕の中に抱いて感謝を伝えた。


「ありがとう」


 ぽつりぽつりと二人で話しながら夜を過ごす。

 たまにお湯を飲ませてやったりしながら。

 しかし、これでは寝付けないと気づいて、シーナは部屋をあとにすることに決める。


「また見に来るけど、寝ていないとダメよ」

「うん。早く治さないといけないもん」


 小さく手を振る姿を見て、シーナも手を振り返した。

 そっと部屋のドアを閉めて、暗い廊下に出る。


「……朝ごはんの準備をしないと」


 呟いて、ランプを片手に歩き始める。

 時間がある内に、台所で薬草でも刻むことにした。

 まな板のそばに明かりを置いて、束ねた草をゆっくりとぶつ切りにしていく。

 子どもたちの健康のため、明日のおかゆに入れるために。


「…………」


 静かな時間だった。

 一定の間隔で刃物の音がする。

 無心で作業を続けていたシーナは、はたと手を止めた。


「……どうしよう」


 心細い声が漏れた。

 もし、他の子どもにも病気がうつったらどうしよう。

 誰かが風邪をこじらせて死んだらどうしよう。

 看病している間、例の冒険者が子どもを傷つけたらどうしよう。


 そんな不安が、一瞬で頭の中を埋め尽くす。


「私のせいだ」


 やがて、シーナはそう言った。

 静かに涙を流す。

 あの男たちとの話がこじれたのも、風邪を引かせたのもシーナのせいだ。

 挑発に乗って手を出さなければよかったし、子どもを外に連れ出して湯冷めをさせるべきではなかった。


 自分を責めて、シーナは頭を抱える。


「私のせいだ。わ、私のせいで……()()()()()は……!」


 過去が、鮮明な痛みとして蘇る。

 小さな背、去っていく背。

 雪の日。

 家族をなくして、ひとりぼっちで旅立っていく。


『殺されてたの』


 ふと、猫を連れた子どもたちの言葉が蘇る。


『いじめて、殺したんだって』


 子どもたちが。

 かわいい子どもたちが。

 苦しんで苦しんで、人ではないものに改造された。

 遺体すら見つからなかった子ばかりで。

 きっと助けを呼んだだろう。


『先生、助けて……』


 シーナは、衝動的に自分の頬を殴りつけた。

 何度も何度も殴りつける。

 そして、頭をかきむしって謝り続けた。


「ごめんね……ごめん、ね…………」


 やがて、シーナは嗚咽を漏らした。

 激しい息でむせび泣いて、それを押し殺そうとして、窒息のような音を立てる。


「私のせいだ。私のせいだ。私のせい……ど、どうしよう。どうしよう。どうしよう」


 ふらふらと歩き始める。

 包丁を台所に捨てた。

 カタカタと震える手で、床下の貯蔵庫に隠した剣を取り出す。

 足を引きずりながら、剣を持ってシーナは外へと出た。


「どうしよう、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 泣いて謝りながら歩く。

 とめどなく罪悪感があふれる。

 分かっているのだ。

 自分に、孤児院なんて開く資格がないことを。

 いや、それだけではない。

 シーナは死ぬべき人間だ。

 生きていて許される人間ではない。


「私が、死んだら、あの子たちが……」


 いま、養っている子どもたちを思い浮かべる。

 シーナが死んだら彼らは路頭に迷う。

 だが、そんなことは言い訳だ、と……自分の頭の中で声がする。

 生き汚いクズが、何も知らぬ子どもを死なない理由に使っている。


「違う。違う、違う……そうじゃない……」


 強く剣を抱いて、絞り出すような声で言った。

 頭の中で、今度は別の声が聞こえた。


 あるいは、あの子たちの代わりにしているのかと。

 だから抱きしめたり、甘やかしたりしているのだ。

 だってシーナは、リュートたちにはそんなことをしなかった。

 戦いの駒にするために育てた。

 もっと褒めてやったり、抱きしめてやったりすべきだったのに。

 まさか、この家の子どもたちをその罪悪感の受け皿にでもしているのか。

 罪滅ぼしのつもりなのか。


「私には、人を愛する資格なんてない。私はクズだ。私はダメだった。本当なら、私は今すぐ死なないといけないんだ」


 口早に、自分に真実を突きつける。

 自分の声が、意思に反して本当のことを言う。

 シーナは庭を歩いて、やがて家の門の前にたどり着いた。

 そして、剣を抜いて門に張り付く。

 隙間からじっと外を見る。

 あの、二人組の冒険者が来ると思った。

 今にも子どもたちをさらう気がして、不安なのだ。


「…………」


 血走った目で寝静まった街を睨む。

 必死で耳を澄ます。

 シーナは涙をあふれさせた。

 足から力が抜けて、座り込んでしまう。


「……だめよ……私、まだ……死ぬわけにはいかない」


 だってもう、子どもを拾ってしまったからだ。

 孤児を見過ごせなくて、引き取った日から、シーナの命は自分一人のものではなくなった。

 たとえ生き汚い言い訳だとしても、死ぬわけにはいかないのだ。

 子どもたちの命を背負っている以上、どんなに辛くても生きなければならない。


「わ、私は……クズよ。クズ。救いようのない……だけど、それでも……それでも…………!」


 言いながら、リュートのことを思い出す。

 誇らしく伸びた背で、雪の中旅立った背中を。

 絶えず聞こえてくる戦いの知らせを。

 彼は負けても、罵られても、みんなを守るために戦い続けている。

 そうだ。

 きっと、今でもあの日のまま。

 強い瞳で、理想を失わず、まっすぐに歩いて、立派に戦い抜いているはずだった。


「あの子は、あの子は……! 立派にやってる! わっ、わたし、も……これ以上、あの子に……恥じるような、生き方は……できない……!」


 みな汚れ果てたこの世界で。

 誰も彼もが汚濁の中に沈む世界で。

 あの子だけは、人間としての誇りを持って生きている。

 だから軽蔑しているだろう。

 浅ましく孤児院を開いたシーナの手紙に、唾棄するような思いを抱いていておかしくない。


 だが……それでも、背負った命さえ投げ出すようなクズになれない。

 なってはいけない。


 たとえ何をしてでも、どんなことに手を染めてでも。

 今度こそ、子どもたちを守らなければならないのだ。


「……お、お願い……お願い、だから……」


 剣を握りしめた。

 外を見張りながらしゃくりあげる。

 とめどなく泣きながら、シーナは懇願するように言葉を続けた。


「どうか、来ないで……ここに、来ないで……わたしから、あの子たちを……奪わないで……お願い…………お願いよ……」


 シーナは、そう言って倒れ込んだ。

 剣を握りしめたまま。

 声を殺して泣きながら、何度も何度も繰り返す。


「来ないで……奪わないで、もう……殺さないで……お願い……お願いだから……どうか……どうか…………」


 シーナはずっと、誰へともなく懇願を続ける。

 やがて空が白むまで、片時も動かずに外を見張り続けていた。



 ―――



 翌日、子どもたちが目覚めて寝床から起き出してくる。

 粥を作っていたシーナのもとに、顔も洗わずにみんなが集まった。


「おはよう、おはよう!」

「ねぇ、先生。ネコはどこ」

「俺変な夢見たよ。聞きたい?」


 そんな子どもたちの顔を、シーナはじっと見つめる。

 穏やかに笑って、四人ばかりをまとめて抱き寄せる。


「おはよう、みんな。……今日もいい子ね」


 子どもたちは嬉しそうにはしゃぎながら答えた。

 後ろから、シーナの背に女の子がもう一人抱きついてくる。

 人間が集まっているのを見て、イヌが一匹、興奮して後ろ足で立つ。

 なんとか間に挟まろうとしてくる。


「だめだよ、先生は私たちの先生なんだから!」


 背中に抱きついた女の子がイヌにあっかんべぇをした。

 それを見てくすりと笑い、シーナは子どもたちから離れた。

 鍋に向き直る。


 こうしてまた一日、騒がしく、幸せな日が始まりを迎えた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ここまで読んで大満足でした。また少し世界観が見えてきて、厳しい世界だけどそこで輝く人達の物語がとても素晴らしいです。 この世界のヒロインはアリス以外考えられませんね。 また落ち着いて気が向いたときに投…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ