魔王の記憶【三】
アリスが読み取った記憶。
意図して読み取ったがために、ほぼ完全に取り出すことができた。
三の魔王。
スカーレット=リデル。
その女は、名家に仕える使用人の娘だった。
正確には、仕える主人に手籠めにされた使用人の娘である。
彼女の人生には、その生まれから獣欲の影が落ちていた。
そして、スカーレットは決して祝福された子供ではなかった。
彼女を産んだことで、母の人生は狂った。
幼馴染との婚約は破談になり、屋敷での居場所をなくし、娘を捨てていずこかへと去った。
さらに、夫人の怒りを理由にスカーレット自身も幼くして家を追われた。
血縁と美貌を見込まれ、ただ政略の道具として存在を許され、とある貴族の屋敷に預けられることとなる。
結果として、彼女は預け先でも居場所を見つけることはなかった。
後ろ暗い出生が人の好奇を誘い、端女の血は周囲からの侮蔑を呼んだ。
常に孤独であったスカーレットは、書庫に隠れて時を過ごす。
けれどそこで、一人の少年……屋敷の嫡男と出会ってしまう。
それこそが、彼女の恋と地獄の始まりであった。
愛を育んだ二人は、やがて密かな夢を抱く。
勇者のように、輝かしい冒険に旅立つという夢を。
そして不幸にも、彼らは貴族であった。
ありふれた幼い夢を、何不自由ない生活が育ててしまった。
二人は決して衣食に困らず、望めば剣に打ち込むことも、魔術書を取り寄せることもできた。
故に、夢は美しさを失わず、秘め事の熱は冷めず、いつか無謀な旅に漕ぎ出した。
わずかばかりの金を持ち出し、頼みとするのは少年の剣とスカーレットの魔術。
されど、そんな二人に対し、外の世界はあまりにも酷薄であった。
幾度も騙され、奪われ、弱さを知り。
打ちのめされて底に落ちた。
数年後、少年の家の使者が二人を見つけた時。
彼らはマフィアに囚われ、見る影もなく落ちぶれていた。
少年は手足の腱を裂かれ、薬物と拷問で気が狂い、去勢された道化として転がっている。
スカーレットは首領の情婦となることを拒み、さんざ嬲られたあと、最下層の娼婦に身を落とした。
骨と皮のように擦り切れ、目を潰されてしまっていた。
愚かな夢の代償が、果てしない重みで人生を壊したのだ。
やがて、少年の生家が交渉し、二人は保護されることとなる。
しかし彼らは引き離され、二度と出会うことはなかった。
気が触れた少年は、領地の片隅に連れ去られ、死ぬまで幽閉されると決まった。
一方で、『預かり物』であったスカーレットは事情が異なる。
両家の恥を隠すため、引き取り手もなく、ただ屋敷に残されることとなった。
そして別れ際、スカーレットは少年に待っていると伝えた。
ずっとこの書庫であなたを待つと。
そんな一方的な約束だけを頼りに、いつまでも少年の帰りを待ち続けた。
やがて、数十年の時が経った。
いつしか屋敷の貴族は代替わりをし、スカーレットの存在は忘れられていく。
最初はひどく虐待を受けていたが、十年も経てば誰もが興味を失った。
さらに街で鉱脈が見つかったことで、鉱毒を嫌った貴族たちが居を移してしまった。
一人残されたスカーレットは、それでも書庫にしがみついていた。
そして、いつからか放棄された屋敷に盗人が入るようになる。
無論、家財はほぼ貴族たちに持ち去られていた。
だがどういうわけか書庫は手つかずで、絶好の稼ぎ場となった。
盗人たちは高価な書物や調度品を盗み続ける。
老婆となったスカーレットは、眠らずに書庫を護り続けようとした。
しかし鉱山街の貧民は絶えず盗みに入り、盲目の彼女をあざ笑った。
一人が音を立て、もう一人が密かにかすめとる。
まるで児戯のような策に簡単に騙され、翻弄される。
盗られては狂ったように嘆く、痩せ細った老女を、盗人たちは浅ましく陰で笑った。
数日でごっそりと物が消えた。
さらに二週間ほどで書庫は空になった。
その上、盗り尽くした盗人たちはスカーレットを嘲り、大切な書庫に火をかけた。
彼女は魔術で鎮火しようとしたが、触媒の杖さえ盗られてしまっている。
何もできず、運よく降った雨で鎮火する頃には、書庫は無惨に焼け落ちていた。
すでに狂っていたスカーレットは、それでも……いや故にこそ激しい怒りを抱く。
獣のような、人のものを奪うことをなんとも思わない、クズどもが。
人を騙し、裏切り、利を貪る害獣たちが。
なにもかも奪ってしまった。
約束の場所を、彼が帰る場所を。
どうすればいいのか分からない。
待つと誓ったはずなのに。
護ることさえできなかった。
泣きながら頭をかきむしる。
だが、自分もそうだと、ふと気がつく。
自分も獣から生まれた獣なのだ。
女を犯す獣と、子を捨てる獣から生まれ、人を蔑む獣に育てられた、獣の人形なのだ。
それなのに人のフリなどして、一体いつから忘れていたのだろう。
最初から少年だけだったではないか。
獣でないのは彼だけだった。
誰もが獣だ。
光がある時だけ人間のフリをしている。
闇の中なら正体を隠すこともない。
誰もが人のフリなどやめてしまう。
獣になる。
当然のことだ。
自分だってそうだ。
最早、大切な光は消えてしまったのだから。
雨が頬を叩く。
闇の中にずくずくと、火傷の痛みが広がり始めた。
『光を絶たれた女。降り積もる痛みに狂い、闇の底にて獣となる』
痛みの、そして獣の魔王。
獣が溶けた人形たちを統べる。
魔境にて、愛する人を擬した傀儡と終わりなき語らいを続ける。
待ち人望みて幾星霜。
面影薄れて痛みが募る。
空になり、焼けた書庫で女は魔王となった。
とある事情につき、彼女に深く感応せざるを得なかったアリスは、その記憶を通して魔王になる方法を知った。




