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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
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五章エピローグ・痛みの旅のアリス

 



 旅立った日のことを思い出す。


 あの日、アッシュは一人で街を歩いていた。

 雪が降る街を進んでいた。

 それはきっと、どの勇者よりも無様な旅立ちだっただろう。


 ふらついて、涙を必死にこらえながら。

 ほとんど何も見えずに歩いていた。

 何とか進んで、後ろに深く頭を下げる。

 滲む視界で。何も見えないまま。

 育ててくれた人に感謝を示す。


 あの時、先生は来ていたのだろうか?


 分からないが、それからどうにか背を伸ばせた。

 まっすぐに歩いていった。

 けれど、アッシュは思えてはいなかったはずだ。


 まさか、こんな日が来るなどとは。


 自分が、魔王を倒せるような日が来るなんて。

 少しも想像できなかった。

 ただ絶望に、責任に、今にも押し潰されそうだった。

 何もできないことを分かっていたくせに、先に進むと決めた。


 そんな、どうしようもない痛みの中で、あの日のアッシュは旅立っていったのだ。



 ―――



「ありがとう」


 おもむろにアッシュが言った。

 アリスは目を瞬かせる。

 立食パーティーをたらふく楽しんで、会場の最上階……屋上のベンチに腰掛けていたところだった。


 空を見ながらぽつりぽつりと話していた時。

 彼は唐突に感謝を述べた。


「え? なにがですか?」


 アリスは戸惑いながら聞いた。

 すると、アッシュは前を見たまま淡々と語る。


「お前たちのおかげで、魔王を倒せた」


 はっきりと言われて、アリスは込み上げるものがあった。


「…………」


 一つ深呼吸をして、笑って彼の言葉に答える。


「いいですよ。別に。こうしてちゃんと、遊びに連れて行ってくれましたし」


 感謝していると言うのならだ。

 今日来てくれたのは、やはり報酬・・だったのだろう。

 最初の疑問がようやく溶ける。

 いかにも彼らしい、律儀な理由である。


「…………」


 小さくため息を吐いた。

 やはり着飾らなかったのは正解だったか。

 そんなことを考えながら、アリスは別の話を切り出す。


「そういえば、いま……あの手紙を持ってるんです」


 彼はそれに目を瞬かせた。

 なんの話か分からないというように。

 アリスは、罪悪感を押し殺しながら言葉を重ねる。


「あなたに届いた手紙です。私が、燃やそうとした」


 つい視線を逸らしてしまった。

 あの日から、アリスはずっと手紙を持っていた。

 また読めとは言い出せずにいたが、今なら言える気がした。

 礼にかこつけてしまえば、読んでもらえると思って。


「あの時の私、やり過ぎましたよね。ごめんなさい」

「別に、気にしてない。どうせ捨てるつもりだったしな」


 そんなことを言う。

 顔色一つ変えずに。

 アリスは彼に向き直って、空間魔術を使った。

 続いてゆっくりと手紙を差し出す。


「私は気にしてます。この手紙を持ってると、なんだかいつも思い出しちゃって」

「…………」

「もし私に感謝してるなら。……どうかここで、読んではくれませんか?」


 大きく息を吸って、ようやく言葉にする。

 彼は答えず、視線を落として長い間黙っていた。

 なにか葛藤があったのかもしれない。


 でもやがて、小さな声で言葉を返す。


「…………先に、お前が読んでくれ」

「はっ?」


 理解できずに素っ頓狂な声が出た。

 アッシュは地面を見つめたまま、やはり小さな声で続けた。


「読んで、内容を教えてほしい。それから、読むかどうかを決める」


 アリスは数秒間、あっけにとられて何も言えなかった。

 でもなんだかおかしくなって笑った。

 なんだかずいぶん、かわいらしい答えだと感じる。


「…………」


 何がおかしいんだ、というような不満げな顔でアッシュが見てくる。

 アリスは丁寧な手つきで便箋を開き、中に手を入れる。


「では、読みますからね?」


 こくりと頷いた。

 アッシュは下を向いて、手を組んで座っている。


「……なるほど」


 アリスは声を漏らす。

 手紙は、ずいぶんときれいな文字で書かれている。

 シーナという女性のようだ。

 孤児院を営んでいるらしく、騒がしい毎日のことが記されている。

 そして、手紙の中には悪い話が書かれていない。

 ただ明るくて、楽しいだけの手紙だった。


「よかった。これなら、アッシュさんも読めますね」


 くすりと笑ってそう告げた。

 アッシュは無表情でアリスを見て、問いかけてくる。


「……悪いことは、書いてあったか?」

「いいえ。少しも」


 胸を張って答える。

 するとアッシュは、物憂げに視線を落とした。

 瞳に一瞬だけ、鮮血のように痛みがちらつく。


「そうか。少しも、か」


 しばらくアッシュは黙り込んでいた。

 けれど、意を決したようにアリスの方に手を伸ばす。

 手紙を取り、彼は黙々と読み始める。


「…………」


 静かに、花を扱うような手つきで一枚一枚を読んでいく。

 視線がゆっくりと手紙をなぞる。

 全ての文字を噛み締めるように、彼は手紙と向き合っている。


「……先生は、立派な人だな」


 やがて、読み終えたアッシュはそんなことを語った。

 目を瞬かせていると、彼はさらに続けた。

 まるで自分を恥じるように瞑目めいもくしている。


「俺は、あの人のようにはやれなかった。合わせる顔もない」


 シーナという女性は、確かに立派なのだろう。

 こんな時代にわざわざ孤児を育てているのだから。

 しかしアッシュの何がダメで、何がシーナ先生に劣るのかが分からない。


 なのでアリスはそのように伝える。


「あなただって、立派なものじゃないですか。魔王を倒したくらいですから」


 アッシュは小さく鼻を鳴らした。

 それから、やや間をあけて頷く。


「そうだな」


 横顔を見る。

 感情は読み取れないが、いつもより少しだけ、気が緩んでいるように思えた。

 もし彼が少しでも、自分を許せたのならいいことだ。


「すまないが、そろそろ行く」


 しばらくしてアッシュが言った。

 ベンチから腰を上げる。

 手紙を畳んで、便箋に戻して、当然のようにアリスに渡した。

 それを受け取りながら、行き先について聞いてみる。


「どこへ行くんですか?」

「魔獣を殺しに」


 予想通りの答えである。

 彼はどんな時でもできることを続ける。

 しなかったせいで人が死んだら、彼は自分を許せない。


 だからアリスは、引き留めることはできなかった。


「分かりました。がんばってくださいね」


 笑って見送る。

 頷いたアッシュは歩き始めた。

 その背中を、アリスは一度だけ呼び止める。


「アッシュさん」


 無言で振り向いた。

 その目をじっと見つめながら、アリスは慎重に言葉を選ぶ。

 言いたいことはたくさんあったが、一つだけ選んで口を開いた。


「また遊びましょうね?」

「ああ」


 短く答えて、彼はまっすぐに歩き始める。

 時間が惜しいのか、テラスから飛び降りてしまった。

 魔獣を放置して遊んでいたから、心の中は焦りでいっぱいなのだろう。

 くすりと笑って、アリスは彼が飛び降りたテラスに歩み寄る。


「…………」


 柵に体を預け、じっと下をのぞき込む。

 飛び降りのせいで、やはり軽い騒ぎが起きていた。

 本当に、彼は極端な行動ばかりだ。

 周りにぺこぺこと頭を下げながら、それでもすさまじい早歩きで、外へ向けてずんずんと進んでいく。

 すぐに姿は闇の中に溶けて、消えてしまう。


「あーあ……」


 やがて、ひとりになったアリスはそう言った。

 何かお土産を持って、ノインの病室に入りびたろうかと考える。

 あまり居ついてしまうと治療の邪魔だと追い払われるが、今日くらいは許してもらえるかもしれない。

 そんなことをぐるぐると考えながら、アリスはテラスから夜景を見つめている。

 ずっと長い間、ひとりでそうしていた。


「……あら、どうしたのよ、あなた。そんなところで……一人で」


 ふと、声が聞こえた。

 背後にはサティアと、三人ほどの帝国兵が立っている。

 彼女は会談か何かをしていたのかもしれない。

 美しい、白いドレスを着ていた。

 ただ、左手になにかの紙袋を持っていて、そこだけ妙に庶民的でちぐはぐだ。


「あなたこそどうしたんですか?」

「五分だけ、外の空気を吸いに来た。まったく、忙しいったら、ないわ」


 それから、彼女はアリスの横に立つ。

 紙袋の中を探り、サンドイッチを取り出した。

 小さな口で、やたらとお上品に食べ始める。

 でもなぜか手を止めて、アリスの方を見て、大口でパンにかぶりついた。

 アリスに気を遣う必要がないことを思い出したのかもしれない。


「サティア。フラれちゃいましたよ、私」


 夜景を見ながらアリスが言う。

 眼下の庭では男女がフォークダンスを踊っていた。

 なんだか見せつけられているようで、うんざりするような気分だ。


 だというのに、サティアはずけずけと痛いところを刺してくる。


「そりゃフラれるわよ。喪服でパーティに来る女なんて、好かれるわけ、ないじゃない」


 なんてひどいやつだと、アリスは震えるような思いだった。

 しかしクローゼットにあんだけ入れてやったのに、とボヤく姿を見て考えを改めた。

 道理でどの服もサイズが合うわけだ。

 気遣いを生かせなかったことが申し訳なくなり、素直に謝ることにする。


「ごめんなさい」

「ごめんなさい? 別にいいわ、私……損してないもん」


 本気で言っている顔だった。

 なんだかおかしくなって、アリスはもう少し話すことにする。

 だが、先に口火を切ったのはサティアの方だった。


「それで、なんて言って告白したの?」

「え、してませんよ。そんなこと」

「……フラれたんじゃないの?」


 ごもっともな疑問だ。

 アリスは気まずい思いで説明をする。

 ただ魔獣を狩りに行ってしまったのを、フラれたと称したのだと。


「はぁ…………」


 サティアがまたため息を吐いた。

 アリスはなんだかバツが悪くて何も言えない。


「なんで黙って、見送ったの?」

「なんでって。それは、引き留めたりして……邪魔なんかできませんから」

「馬鹿ね。邪魔しろなんて、言ってないわよ」


 呆れ果てたような顔になって、サティアが指でこめかみを押さえる。

 また一つ、取り出していたサンドイッチを紙袋に戻した。

 そしてそのまま、アリスに袋を差し出してくる。


「これ、皇女陛下が食べていた、最高級の食事よ。……だから、今すぐアッシュに届けてあげなさい。きっと、喜ぶから」


 そんな言葉をアリスは鼻で笑う。

 アッシュがこんなものを喜ぶはずがないから。


「どうしたんです、急に。おかしいですよ、あなた」

「分からないの? 会いに行けって、言ってるのよ、私」


 アリスは黙り込む。

 素直に感謝が言えず、口をひん曲げていると、サティアは無理やり紙袋を握らせてくる。

 そしてテラスにもたれかかって、どこか遠くを見ながら語り始めた。


「あのね、待ったり、祈ったりすることに、意味はないわ」


 この世界はそういう場所だ。

 みんな、明日どうなるかさえ分からない。

 どんなに固い約束を結んでも、理不尽はお構いなしに蹴散らしてくる。

 戦っても、抗っても、どうしようもない時はある。

 何気なく魔獣狩りに送り出したら、もう二度と帰れないかもしれない。


 アリスが選んだのは、そんな痛みに満ちた旅路なのだ。


「…………」


 だから、と。

 サティアは続ける。


「……できることは一つだけ。いま、一緒にいることだけ。そうでしょ、アリス?」


 まっすぐに眼を見て、サティアはそう言った。

 アリスは深く頷いて、杖を握る。

 しっかりと紙袋を抱いて走り始めた。


 その後ろで、サティアがぼやく声が聞こえる。

 ああ、おなか減った……と。


「ありがとうございます、サティア!」


 いつか素晴らしいご馳走をすると誓い、振り向いて感謝を伝えた。

 紙袋を抱え直して、屋上の階段に駆け込む。

 もう立ち止まることはない。

 勢いよくパーティ会場を飛び出した。

 彼の行き先を考えながら、口元をほころばせて。

 アリスはひとりで進んでいく。


 弾む足音だけを残して。

 星が見守る下で。

 誰に導かれることもなく。


 真っ黒の闇が敷き詰められた夜へと。

 ただ思いのままに、足を急がせて。



 ―――

 ――

 ―



 夜のどこか。


 待ち人を求め、一人の少女が街を飛び出す。

 待つことをやめて、面影を頼りに、夜闇の中で姿を探す。

 息を上げ、影の馬に乗り、頼りなさげに視線をさまよわせて。


 やがて、いつしか雲は晴れ、月の光が差し込んだ。

 血だまりにたたずむ誰かを見つけ、少女は瞳を輝かせる。


 影の馬を降りた。

 血まみれの手に紙袋を差し出す。

 すげなく押し返され、小さく肩をすくめた。


 それから少女は影の馬に乗って、ずっと少年についていく。

 応援したり、パンをほおばったり、からかったりしながら。

 決して離れることはなく。



 そして、いつまでも変わらず、少女は笑顔のままで。



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