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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
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四十話・逆さ吊りの悪魔

 


 前に、ミケリセンは自殺をしたことがある。


 理由は一つ。

 自分がやったことに耐えられなくなったからだ。

 そして、死ぬのは簡単だった。

 適当なナイフを拾って、こめかみに突き刺した。


 すぐに意識が薄れてほっとした。

 やっと死ねると思って、安心した。


 ……しかし、残念ながら死ぬことはできなかった。

 それが、今ここに彼が立っている原因だった。



 ―――

 ――

 ―



 何年か前、帝国と戦争をすることになった。

 アルトリウスがそう命じたからだ。

 詳しく事情を教えてもらうことはできなかった。

 でもみんなには、横暴への憎しみを煽るようなことを言っていた。


 それを聞いていて、僕は、吐きそうだった。


 勝てるわけがないと思った。

 ガーレンは本当に、弱い国なんだ。


 だって僕たちは、カースブリンクじゃない。

 帝国に頭を下げて、従うことを選んだんだ。

 本当に、本当に、吹けば飛ぶような弱い国なんだ。

 もうずっと、何百年も服従してる。

 こんな戦争は無理なんだ。

 できっこないよ。


 魔王の力があっても、きっとみんな殺されてしまう。

 そう思って、僕は部屋で震えることしかできなかった。



 ―――



 みんなが殺される。

 何度もそんなことを考える。


 でも、だんだん分かってきた。


 みんななんて、もういないじゃないか。


 セイラも父上も殺された。

 プラノとクロードは痛めつけられて、もう起き上がることすらできなくなった。

 みんながずっと苦しんでいる。


 ……でも、僕たちはちゃんと従ってたはずだ。

 プライドを捨てて、地を舐めて生きてきた。

 それなのに、みんなひどく傷ついている。


 だから、帝国の連中がいる限り、僕たちは安心できないんだ。


 やっと分かった。

 弱いから苦しいんだ。

 みんなを守らないといけなかったんだ。


 なら、僕は悪魔になる。

 誰よりも強くなってみんなを守る。


 それしかない。

 それしか、もう道は残されていない。



 ―――



 アルトリウスに頼んで、眷属の力をもらった。

 ほとんど賭けに近かったけど、成功した。

 その力でたくさんの人間を殺した。


 みんなが喜んだ。

 ミケリセン様が守ってくださると泣いていた。


 僕は、よかったと思った。

 これでやっと、みんなを守ることができるんだ。



 ―――



 プラノが目を覚ました。

 燃え盛る街と、魔獣の軍隊を見て……錯乱してしまった。

 アルトリウスに斬りかかり、顔を焼かれて逃げていった。

 僕たちに化け物と叫んで。

 何度も何度も叫んで逃げていった。


 プラノの気持ちは分かるけれど、決意が揺らぐことはなかった。

 僕が、みんなを守らないといけないんだ。



 ―――



 街の住民から金品を奪い、ゲラゲラ笑っている兵士たちがいた。

 よく知っている、親切な友だちも中に混じっていた。

 僕はそいつらに罰を与えた。


 その後。

 アルトリウスの命令で、子供の一人まで住民を殺した。



 ―――



 僕たちは勝ち続けた。

 トラウマに怯えていたレイナも、眷属の力を与えると戦えるようになった。

 いまだに目をさまさないクロードに、寄生体を与えた。

 するとすぐに起き上がった。


 だけどレイナは復讐に取り憑かれてしまった。

 クロードは決闘だと言って、帝国の兵士を狩るようになった。

 まるで、かつて与えられた恐怖を拭うかのように。


 僕は、全てがいい方向に向かっていると、自分に言い聞かせ続ける。



 ―――



 帝国が恐ろしい兵器を生み出した。

 兵士に大きな被害が出た。

 やはり、一筋縄ではいかない。


 それに、ガルムの妨害が厄介だ。

 殺そうにも、あいつの力は隔絶している。

 僕たちじゃ勝てない。

 アルトリウスでなければ。


 だけど、魔王は簡単に動かせない。

 いまやその抑止力だけが、ガーレンの人々を守っているのだから。


 僕は考えて、旅に出ることにする。

 あらゆる魔獣の能力を模倣し、全ての魔王の力を手に入れるために。



 ―――



 旅先では、様々な国の人と出会った。

 みんな親切だった。

 戦役のまっただ中なので、旅人だと言うと、ひどく驚いて心配されることが多い。



 ―――



 キラーという男が加わった。

 魔物の製法を売り込んできたらしい。

 どうやら、人造勇者計画の資料も持っているとか。


 アルトリウスが気に入って、眷属の力とそれなりの地位を与えた。



 ―――



 僕は、ずっと殺している。

 みんなを守るために殺している。


 なのに、みんなどんどん笑わなくなる。

 昔からの友人が狂ったり、首を吊ったりするようになる。


 おかしい。

 なんで、勝ってるのに、みんなを守れないんだ?



 ―――



 廃墟になった街を進む。

 泣き叫ぶ市民を皆殺しにした。

 どんな国でも同じことをする。

 前に旅をした国もあった。

 この人たちは本当に敵なのか。

 疑問を封じ込める。

 あらゆる場所で、あらゆる人間を殺す。

 より狡猾に。

 みんなを守るために。

 みんなが殺さなくて済むように。

 したくないことばかりする。


 世界が、逆さまになった。



 ―――



 戦火。

 家。血飛沫。

 穴の底、毒まみれの村娘。

 子どもが、子どもを庇って命乞いをする。

 磔。貴族。

 学校を燃やす。

 泣いて死んだ少年兵。

 病院に隠れた親子。

 親友が自殺した。

 降伏の使者を糞溜めに投げ込む。

 全滅した兵団。落ちたお守り。

 家の奥、輪になって自殺した家族。

 焼け跡の小さな靴。

 蟲まみれ。腐敗。泣き声。

 犬が、主人のそばを離れない。

 置き去りにされた被差別民たち。

 捕虜を斬首する。

 木に吊るされた老婆。

 赤く染まった川。

 蛆虫。

 痩せた腕に匙を握り、泥まみれで死んだ幼児。

 病気。

 死体。

 改造された赤子の山。



 ―――



 銃は気に入った。

 引き金を引くだけで終わるから。

 冷たい金属に、少し力を加えるだけ。

 たったそれだけでいい。

 命を奪う感触が、あまりにも軽い。


 これならまだ殺せるはずだ。

 もっとたくさん、殺せるはずだ。



 ―――



 死ぬことにした。


 でもだめだった。


 四の魔王の能力で蘇る。


 死んで三日後、冷えた身体で起き上がった。


 鏡を見て叫ぶ。


 なんで、僕はまだ、生きているんだろう?



 ―

 ――

 ―――




「……ああ、長かった」


 やがて、ミケリセンがそう言った。

 アッシュたちの目の前で。

 深く息を吐いて。


「…………」


 誰も動けない。

 ミケリセンが頭上に手を伸ばす。

 そして『卵』に触れた瞬間、そこに主門が現れた。

 確かに壊したはずの主門が、卵の上……地面と水平に、空を覆うように出現する。


「残念だったね。君たちが見つけた門は、クロードのだ。わたくしの物じゃない」


 そうして、赤い光の門が少しずつ『卵』を飲み込む。

 魔王が倒れ、防壁が消えたそれを。

 いずこかに転送し始めた。


「……それが、目的だった?」


 サティアが声を作った。

 音の衝撃による破壊は試みていない。

 音操作もすでに模倣されているため、相殺されてしまうからだ。


 ともかく、ミケリセンはにこりと微笑む。


「そう。これが目的。なにしろ、わたくしたちは魔獣だ。他の魔王を殺せない」


 だったら、君らに仕留めてもらうのが一番だろ?


 と、ミケリセンは言った。

 そして最初から、この瞬間を狙っていたのだろう。

 思えば彼の行動は、どれも魔王討伐のマイナスにはならなかった。


 アッシュたちに書庫のルールを教え、強化を促し、シドを鍛え上げた。

 その他にも様々な手がかりを残していたと、今になって思い当たる。


「恐れ入ったかい? ここまでが、ガーレンの計画さ」


 門の中へ『卵』が消える。

 最も渡してはならない相手に、最悪の兵器が渡った。

 全てを見届けて、ミケリセンは歩き始める。


「そして、ここからは……わたくしの計画だ」


 ぽつりと語り、彼は魔王のそばに跪いた。

 穿たれた身体に腕を添え、優しい手つきで身を起こす。

 そして、まるで淑女に愛を囁くように、異形の顔に口を寄せ、語りかけた。


「……ああ、かわいそうに。ずいぶん手酷くやられたねぇ?」


 命尽きたか、魔王の体は足先から消滅しつつある。

 それを確認し、ミケリセンは目を細めた。


「でも、安心して。あと一つだけ、()()を残しておいたからね」


 言いながら、歓喜の表情で遺骸の胸に左腕を突き込んだ。

 ……いや、腕ごと何かを入れたか。


「ついに……やった、やった! ふふふ……ふふっ……あはははは……………!」


 高く哄笑こうしょうする。

 ミケリセンの周囲に、黒い影が揺らめいた。

 まるで彼らを覆い隠すように。

 高い影が二人を取り巻き、アッシュたちの視線を遮り始める。


「なんのつもりだ!!」


 シドが叫んだ。

 ミケリセンはやはり笑んだままだ。

 左腕が、少しずつ魔王の体と同化し始めている。


「シドくん、祝福してくれよ。わたくしは、素晴らしい兵器になるんだ」


 穏やかな声で言った。

 そして楽しげに、軽やかに言葉を連ねていく。


「魔王を強化した兵器……そういう構想があってね。これから、彼女が第一号になる。きっと何百万人も……殺せるだろうな」


 ぐちゃり、と湿った音がした。

 ミケリセンの腕が、もはや肘まで魔王の胸に沈んでいる。

 境目が分からない。

 肉と肉が溶け合い、脈打ち、一つになろうとしていた。

 同時に、崩れかけていた魔王の肉体が安定する。


 足先から広がっていた消失が、ぴたりと止まった。


「…………」


 アッシュは奥歯を噛み締める。

 兵器になる、とミケリセンは言った。

 だがおそらく彼にとっては死と同義だ。

 溶け合って怪物になり、あとにはなにも残らない。

 なぜならミケリセンの体は、少しずつ魔王の遺骸に引きずり込まれていっている。


「なぜ、そんなことをするんですか?」


 ノインの声が静寂を破る。

 思いがけない問いだった。

 ミケリセンの肩が小さく跳ねる。


 そしてノインを見る顔には、一瞬だけ、なにか激しい感情が滲んでいた。


「殺すためだよ。言ったろ? それがわたくしの目的さ」


 声は軽い。いつもの調子だ。

 そして周囲の闇がざわめく。

 彼を取り巻く黒い影が膨らみ、もうほとんど姿が見えなくなった。


「…………」


 ノインは唇を噛んだ。

 闇の向こうを見据えながら、彼女はなおも問いを投げかけた。


「ですが、あなたは誰も……殺しませんでした。本当に、そうしたいんですか?」


 アッシュは息を呑んだ。

 そんなことには気づいていなかったから。

 けれど確かに、ミケリセンは誰も殺さなかった。


 ノインやゴーストを、殺す機会はあっただろうに。


「そうさ」


 しかしミケリセンは肯定した。

 殺したいのだと。

 へらへらと、軽薄な笑みを浮かべて。


「でも……あのさぁ、正直、わたくしは…………」


 笑い声が漏れた。

 最初はくつくつと、喉の奥で。

 それがだんだん大きくなる。

 肩が揺れ、背が丸まり、やがて腹を抱えるように身を折った。


「もう、うんざりなんだ」


 笑っている。

 笑いながら、息が荒くなっていく。

 笛のように喉が鳴る。

 浅く速い呼吸の合間に、それでも笑い声が止まらない。


「君たちが、蛆虫みたいに湧いてくるから。殺しても殺してもキリがないから……本当に、もう……うんざりなんだよ。そうだ、疲れた。疲れたんだ。わたくしはもう、殺しすぎたんだよ」


 声が途切れた。

 闇の向こうで、大きく息を吸い込む音がする。

 震えている。

 それが笑いなのか、嗚咽なのか、もう分からなかった。


「だから、決めたんだ。わたくしは……この世で一番、クソッタレの兵器になるって」


 声が乱れていく。

 涙に詰まったかと思えば怒号になり、裏返った悲鳴に聞こえることもあった。


「見てろよ……! これから、わたくしは、わたくしではない、なにか、ひどい、ひどい、怪物になる……! そして、世界中で……お前たちを、殺し尽くしてやる……!!」


 早口で、血を吐くように怒鳴り散らした。

 もうノインたちの方を見てもいない。

 闇に包まれたまま、ミケリセンは泣き声で独白を続けている。


「そうだ。やってやる。……も、もう……みんなが……わたくしの、妹が…………かわいそうな、かわいそうな、妹たちが、国の民が、お前たちを、殺さなくても、済むように…………」


 嗚咽が混じる。

 言葉が詰まり、途切れ、それでも絞り出すように続く。

 泣きじゃくる子供のように。


「わたくしが、代わりに全て、殺してやるんだ……!」


 闇が膨れ上がった。

 黒い霧が渦を巻き、天まで届くような壁になる。

 その向こうから、獣の唸りのような低い音が響いてきた。


 もう何も見えない。

 だが声だけが、鮮明に聞こえる。


「……できるさ。…………ああ、できるとも」


 か細く呟く声。

 必死に言い聞かせるような、祈りのような声だ。

 だが次の瞬間には、断末魔のような絶叫に変わっている。


「これまでだってそうしてきた! 男も女も老人も子供も王も乞食も戦士も赤子も。みんなみんなみんな、踏み潰してきたんだっ!! わたくしはっ!!!」


 痛々しいまでの叫びが空間を震わせた。

 アッシュは歯を食いしばる。

 ガーレンのクズに同情する気などない。

 だが、ノインは違った。

 凍りついたような目で、生まれ出ようとしているなにかを見つめていた。


 その瞳に、悼むような色が滲んでいる。


「…………」


 やがて、闇の向こうから静かな声が聞こえた。


「さぁ魔王よ、わたくしを喰らえ」


 ずるり、と。

 黒い帳の隙間から、汚泥に濡れた獣の腕が突き出てきた。


「一緒に、これからもっと世界を呪おう。生まれ変わろう」


 穏やかな声だった。

 我が子を抱いて語りかけるような、優しくさえある響きだ。


「お前がもっと、悪くなれるように。……わたくしが、立派な兵器になれるように!!」


 それきり、声は途絶えた。

 ミケリセンは死んだのだろう。

 体を縛りつけていた力が消える。


「っ………」


 アッシュは膝をついた。

 荒い息をつきながら顔を上げる。


 そして獣が産声を上げた。


「――――――――ッッ!!!」


 咆哮が空気を叩き、闇を吹き散らす。

 そこに立っていたのは、泥にまみれた獣だった。

 姿は三の魔王に近いが、もう人形の部分が残されていない。

 純然たる獣性の具現である。

 獣は背に炎の翼を広げ、赤い眼を爛々と光らせる。


 それはきっと、ミケリセンが望んだ通り。

 世界で最悪の兵器なのだろう。


 歪んだ願いの産物が、今この瞬間……アッシュたちの前に産まれ落ちてしまった。



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― 新着の感想 ―
>「恐れ入ったかい? ここまでが、ガーレンの計画さ」 ここまでガバガバな計画は確かに恐れ入った だっていくらでも破綻する可能性があるのに アッシュたちの全能力をわかってないのにこれをやるのは計画とは呼…
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