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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
五章・獣の魔王
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三十九話・書庫の終焉

 



 本当は、こんなに広い場所ではなかった。

 きれいな飾り付けも、美しい庭園もなかった。



 そう。

 いつか、二人で過ごした書庫は、もっと慎ましい場所で。


 お屋敷を抜けて、狭い書庫の、小さな庭に二人。

 いつも二人。

 建物の影で、木の下で、花畑の中で。

 微笑んで、本を読んで、草を編んだ。


 あなたが私に、夢を打ち明けてくれたのは、いつのことだったでしょう?


『僕……ホントはね、勇者になりたいんだ。父上と母上にはナイショだよ!』


 柔らかな頬を赤く染めて。

 幼いあなたは言った。

 白い雲の下。

 日が差す庭で。


 それに、私は驚いてしまった。

 だってあの時、魔王なんていなくて。

 戦役さえ、まだまだ遠かったんですから。


 それを問うと、あなたは恥ずかしそうに微笑む。


『うん。だからね、代わりに悪い人をやっつけるよ』


 言葉を重ねる。

 とても楽しそうに、唇が夢を紡ぐ。

 吹いた風が、優しく肌を撫でた。


『それでね、困ってる人をうんと助けるね』


 夢物語への、憧れのままに。

 美しい希望を膨らませる。

 みんなを幸せにしたいと、あなたは笑ってそう語った。


 しかしそれは、汚い生まれの私には、あまりに眩しすぎたのです。


『ねぇ、✕✕✕✕✕✕。……君は? なにになりたいの?』


 だから、言えなかった。

 本当は、あなたのお嫁さんになりたかったのに。

 外に出る必要なんてなかったのに。


 卑しい願いが、あなたを陰らせてしまうような気がして。


 言えなかったんです。


 それだけは。

 どうしても、どうしても。


 …………言いたかったのに。

 言えなかったの。




 ―――



 黒ウサギの騎士が駆ける。


 空間削りをものともせず、再生しつつ駆け抜ける。

 その動きは、もはや魔王にも並び立つほどに力強い。

 間合いに立つ。

 空間を歪ませるような、禍々しい鉄剣の一撃が毛皮を抉った。


「――――――――ッッ!!!」


 魔王が悲鳴を上げた。

 反撃の魔法を放つ。

 しかし、黒ウサギが速い。

 転がるように背後へ抜け、飛び上がり、宙返りと共に荒々しい斬撃を叩きつける。

 縦一文字。

 魔王の背中に血飛沫が走った。


「行くぞ」


 アッシュは言った。

 今、畳み掛けるしかないからだ。

 騎士は強いが、その体内の寄生体は徐々に削られていく。

 ピークは決して長くはない。

 完全に弱体化する前に、全員で攻勢をかけるべきだった。


「ああ」


 ゴーストが答えた。

 彼はキメラの改造を手伝っていた。

 しかし彼も戻り、多数の上位魔獣も従えた今……魔王は打倒可能な標的に成り下がった。

 機を逃さじとアッシュたちは駆け出す。


「おっと、お待ちを」


 背後からキメラの声がする。

 アッシュとゴースト、サティア、加えて上位魔獣たちの腕に触手が巻きついた。

 つまり、魔術支援である。

 前線に向かう途中で、あらゆる支援魔術が立て続けに重ねられていった。


「……感謝する」


 アッシュは礼を伝えた。

 さらに、影の蟲からアリスの声もする。


『私にも強化が。なので、アッシュさん。今なら右腕を使えます』

「了解。使わせてもらう」


 アッシュは頷く。

 そして右腕の力を解き放った。


「……『焼尽イグゾースト』!」


 火力が上がる。

 自分でも恐ろしいほどの力を、この右腕は秘めていた。

 さらに『偽証』の制限が消えたので、アッシュは山刀を捨てた。


 鎖と剣に持ち替える。

 続いて、サティアとゴーストと連携をとった。


「戦術は包囲。常に立ち位置を変え、急所だけを狙おう。正面は魔獣どもに任せる」


 簡潔に伝えた。

 連携の訓練もしていたため、淀みなく三人が動き始める。


 未来視を駆使し、サティアは常に右の背後へ先回りする。

 その動きに合わせ、ゴーストも左の背後に張り付く。

 二人が常に急所を狙い続ける。

 アッシュは黒炎を使い、飛び回って遊撃をこなした。

 攻撃の発生を抑えること、魔法を握り潰すこと、そして隙あらば殺すことが役目だ。


「完璧……完璧、私、完璧よ……!」


 サティアが言った。

 作った声は平坦だが、ちらりと見えた表情は酔ったように高揚している。

 そして言葉通り、全員が完璧な連携をこなしていた。

 予期せぬ開戦のため合わせは不十分だったが、サティアやゴーストの練度なら補って余りある。


 魔王は背後から刻まれ、前方には魔獣たちに囲まれ、黒ウサギに抉られる……という鳥籠に封じられた。

 最早打つ手もなく、翻弄されるまま暴れ狂う。


 そこに、シドの魔術が突き刺さった。


「二層魔術『滅却槍グリッター』!」


 極大の雷槍が飛んだ。

 音を置き去りにし。

 その暴力的な威光で、暗い書庫を漂白しながら。


「いけ!」


 シドが叫んだ。

 魔王が逃げようとする。


「させるか」


 ゴーストが槍を投げた。

 切っ先が浅く首を刺す。

 さらに、サティアが腱を斬りつけた。


 とどめに、黒ウサギが勢いよく脇腹に食らいつく。


「――――ッ!!」


 魔王が姿勢を崩す。

 そして魔術が命中した。

 轟音とともに左腕が消し飛ぶ。


 魔王が、後ろへと地を蹴った。


「! 畳み掛けるぞ!」


 アッシュは言った。

 今、腕が消えた。

 やがて再生はするだろうが、最大の脅威たる空間削りを封じたのだから。


「魔獣どもを右に集めますわ!」


 キメラが叫ぶ。

 上位魔獣たちが移動し、全て右側を攻め立てる。

 残った空間削りは、そちらに使わざるを得ない。

 さらに、正面は黒ウサギが受け持った。

 削り、食い千切るような勢いで魔王を猛追する。

 空間削りを受けても止まらない。

 壁が破壊されたことで危惧していたが、首を覆う書庫の品物は、破壊ができないままであったらしい。


「お手伝いします!」


 ノインの声も聞こえる。

 彼女は死体と血液を操り、魔王を常に攻撃し続けている。

 それらはいずれも炎の鎧で蒸発するが、どれも工夫を凝らした攻撃だった。

 きっと、敵の気を引けているはずだった。


「……『焼尽イグゾースト』!」


 右腕を励起れいきさせる。

 あふれる黒炎を解き放った。

 黒い槍が二十ほど、一瞬で形成され振り注ぐ。


「―――ッ!」


 空間削りで相殺することもできず、左半身が焼き削れる。

 さらに、他の二人が懐に入った。

 サティアは未来視で上手く炎をくぐる。

 ゴーストは霧と化して、難を逃れていたのだろう。

 息の合った動きで、鮮やかに位置を入れ替えながら、魔王の肉体を斬り刻んでいく。


「二層魔術『暁星ミョルニル』!」


 シドの魔術だ。

 巨大な雷の玉が射出される。

 主観的には、視界を埋めると言っていいほどの大きさである。

 そして、その電圧にて作られた真球が歪む。

 歪んで、表層から小さな雷の矢を迸らせ、やがて爆発を起こす。


「……『偽証イグジスト』」


 大火力に怯んだ隙で、アッシュは自らの剣を複製する。

 黒炎を纏った剣が増え、数十本……周囲に突き立った。

 そこから炎を集め、駆け出す。


「…………」


 跳躍し、首へ向けてとどめの一撃を放った。

 魔王が反応し、右腕の空間削りを放とうとする。

 しかし不意に、大きくよろめいて地に右手をついた。


「あら、魔王にも効くんですね……この、カタツムリったら……」


 アリスが送り込んだ召喚獣の仕業だ。

 この一瞬の隙を射抜くように、剣の炎を解き放つ。

 跪いた頭に、一閃だ。


「くたばれ」


 そして。

 黒い火が濁流と化し、魔王の体を余さずに呑み込んで行く。



 ―――



 黒い炎が溢れた。


 何もかもを……光さえも飲み込む火柱が、魔王の肉体を焼き尽くしていく。

 そして、一瞬。

 黒い炎が収束し、次の瞬間には元の数倍に膨らんだ。

 爆発である。

 致命的な威力を発揮し、右腕の炎が魔王を討ち果たした。


 ……はずだった。


「アッシュさん」


 アリスが、怯えたように声を漏らす。

 言われるまでもなく理解していた。

 魔王はまだ死んでいない。


 一度、全員で下がることにする。

 やがて爆煙が薄れるにつれ……炭化した獣の、魔王の姿が露わになった。


「……なっ」


 キメラが動揺を見せる。

 他は、言葉も出なかったようだ。

 魔王は一心になにかを喰らっている。

 もう少し煙が晴れれば、その正体は分かった。


 食われているのは、黒ウサギだ。

 火に巻き込まれた騎士を捕らえ、頭からぐちゃぐちゃと……息もしないで咀嚼している。


「止めよう!」


 シドが言った。

 しかし、もう手遅れだ。

 魔力が桁違いに膨れ上がっていく。


 アッシュは首を横に振った。


「…………」


 やがて、魔王がゆっくりと立つ。

 焼け焦げたまま、よろめきながら立つ。

 そして、書庫の全域を震わすような声で咆哮した。


「――――――――ッッッッ!!!!!」


 錯覚ではなく、地震が起きた。

 グラグラと揺れる足場を踏みしめ、アッシュは鋭く魔王を見据える。

 アリスに状況を確認した。


「何が起こっている?」

「分かりません。でも……」


 でも、と言って言葉を止めた。

 アッシュはその先を聞き出そうとは思わなかった。


「…………」


 やがて叫びを止めた魔王は、ゆっくりと呼吸をする。

 そしてアッシュたちへと()()()()()()


 そう。

 魔王はその眼窩に、あるべき瞳を取り戻していたのだ。

 赤く揺らめく眼を見ながら、緊迫した声でゴーストが告げる。


「あれは、『束縛』の魔眼だな」


 すでに、検証によりこの魔眼の能力は割れている。

 彼が口にした通り、あの魔眼は獲物の動きを縛るものだ。

 具体的には、最も近くで見られている者は、魔王の視界の外へ出ることができなくなる。

 空間削りとの相性がよい、最悪の魔眼と言えた。


「…………」


 息を呑んで魔王と対峙する。

 どう動けばいいのかも分からないまま。

 しかしそれでも、なんとか作戦を伝えようとしたところで。


 緩やかに、書庫が崩壊し始めた。


「……これは」


 ノインが不安げに周囲を見る。

 そばで本棚が崩れ、どこかの扉が外れた。

 柱が横転するのも見える。


 やがて、書庫の天井が剥がれ、本物の日光が差し込んだ。


「なるほど」


 アッシュは呟く。

 これも想定外ではあった。

 しかし、ここに来て運が回ってきたか。

 これは紛れもなく都合のいい現象だ。


 書庫の崩壊のおかげで、ようやくアッシュは動きを決められた。


「――――ッッ!!」


 もう一度魔王が叫ぶ。

 周囲が白い光に包まれた。

 地揺れが一層激しくなる。

 数秒間、何も見えなくなったあと。


 気が付くと、アッシュたちは真昼の、無人の街に立ち尽くしていた。



 ―――



「狙撃だ。上空の、射程外から撃ち殺す」


 開口一番。

 アッシュはそんな言葉を口にした。

 心得たように、アリスが召喚獣の竜を出した。

 それを見て全員が察する。

 キメラが鳥の上位魔獣を呼び戻し、アリス以外の全員がそこに集まる。


「まぁ、味気ないけど……最適解よね?」


 そう言って、サティアが竜の召喚獣の背中にまたがった。

 アッシュとアリスもそれに続く。

 そして、もう一方……上位魔獣には、キメラやシド、ゴーストが乗り込んだ。


「あたしも、こっちに乗ります」


 ノインが言う。

 おそらく、いつでも死体の操作を引き継げるように。

 それにアッシュは深く頷いた。


「ああ。任せる」


 そうして、全員が飛び立つ。

 残りの魔獣は高空に逃れるまでの囮だ。

 一斉に襲いかかったところで、立ち尽くしていた獣が動き始める。


「――――ッッ!!」


 叫び、地を蹴った。

 踏み込みで地面が割れる。

 あっさりと一匹を削る。

 魔眼で動きを止め、もう一匹も食い千切る。

 さらに咆哮をあげた瞬間、赤い波動が周囲を駆け抜けた。


 同心円状に空間が削られ、跡形もなく魔獣の群れが消え去ってしまう。


「……恐ろしいですね、これは」


 アリスが言った。

 竜を駆る肩が震えているのが分かる。

 アッシュは竜の背に立ち、『偽証』で大弓を作った。


 そこで、サティアがシドに語りかける。

 音を操作することで。


「分かっているわね、シド。敵の魔眼は、見えなければ……何の意味もないわ」


 彼女が語ったのは、この作戦の唯一の懸念だった。

 魔王の魔眼に動きを止められ、空中で撃ち抜かれるという可能性への対処だ。

 聞いていると、彼女はさらに言葉を重ねる。


「姿消しの魔術を、使いなさい。使い方を、教える時間はないけど、ギフトで再現すればいい」


 シドの能力である『詠唱破棄』は、魔術であればどんなものでも使うことができる。

 詠唱が失われた遺失魔術でさえ。

 故に、まだ教わっていないサティアの姿消しも再現できる。


「ああ、分かった」


 サティアが中継したのか、シドの声が聞こえる。

 そして二人はほぼ同時に魔術を使い、透明化して魔王の視線から逃れる。


「……助かる、二人とも」


 感謝し、アッシュは弓を引いた。

 同時にシドの魔術が放たれる。

 文字通り矢継ぎ早にだ。

 さらに高度を上げ、アッシュたちは高空から狙撃を続けた。


「…………」


 反撃で、魔王の炎の魔法が空を埋め尽くす。

 しかし悪あがきにすぎなかった。

 見えもしない、高空の相手に当たるはずはない。

 流れ弾を避けながら、アッシュたちは攻撃を通し続ける。


「『滅却槍グリッター』!!」


 シドが魔術を使う。

 アッシュも黒炎の大矢を撃つ。

 着実に命中していた。

 もはや魔王はなすすべもなく、明らかに形勢が傾きつつあった。


 魔眼さえ封じてしまえば、上空の敵に抗うことはできないのだ。


「……『暴走剣オーバーフローアーツ』」


 黒炎を複製し、矢に集めて解き放った。

 ついに、渾身の一射が命中する。

 敵の胸が……心臓が消し飛んだ。

 つんざくような悲鳴と共に、獣の魔王が倒れ込む。


「やりましたっ……! ついに……!」


 アリスが喜色を浮かべる。

 確かに、今度こそ勝利したと分かったのだろう。


「…………」


 アッシュもほっと息をついて、弓を下ろした。

 もうじきにあの魔王は死ぬ。


「……とどめを刺そう」


 気を抜かずに言った。

 地上を見ると、魔王は倒れて動かなくなっている。

 息の根を止めるため、竜の高度を落とし、廃墟の街へと降り立った。


「二人とも、助かった」


 戻って最初に告げたのはそんな言葉だ。

 言うまでもなく、シドとサティアへの言葉である。

 同じく鳥の魔獣から降りたノインたちも口々に礼をした。


 サティアは、黙ったまま右腕を空に突き上げる。

 シドはほっとしたようにため息を吐いた。


「――――『愚者たる真影(アルトリウス)』」


 唐突に、そんな声が聞こえた。

 体が動かなくなる。

 身じろぎすらできないほど、強力な縛りに捕らわれてしまった。


「まさ、か……!」


 声を絞り出す。

 魔力の気配を感じ、焦燥のままに目を向けた。

 すると領域が消え、裸になった『卵』の下。


 殺され、魂まで喰われたはずの男……ミケリセンが、一人で立って微笑んでいる。



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