三十二話・解けない呪い
ガーレンとクロードが敗れ去り、ひとまずは戦争が終わった。
しかし、新たな災いが訪れたのはわずかその二日後だった。
始まりは牢獄からだ。
皆殺しを掲げていたカースブリンクも、わずかながらに捕虜はとっている。
情報を引き出したりするためである。
キメラは国から追放される見通しだったので、彼女の術による死後の尋問は行えない。
それはともかく、こうして収容していた捕虜が、ある時奇妙な咳をし始めた。
同様の症状は、ガーレンへの攻撃に参加した兵士たちにもあっという間に広がった。
……つまり、災いとは病であった。
ガーレンの軍勢は、カースブリンクへと死病を持ち込んだのだ。
―――
「それで? ウォーロード・ゴースト。例の話については……考えてくれたかしら?」
カースブリンクの謁見の間で、サティアがそう言った。
とある昼下がりに、彼女は一人でその場を訪れていた。
跪いてもおらず、対等な、国の代表としての立場でウォーロードへと向き合っていた。
「…………」
しかし肝心の玉座には誰もいない。
代わりに、玉座の前には二人の人物が立っている。
それはゴーストとキメラだ。
キメラはサティアたちに敗れ去ったあと、国民から罵声を浴びて追放されるはずだった。
でもその前に病が蔓延した。
キメラの治癒魔術はその病を治せなかったが、命をつなぐことはできた。
そんな訳で、彼女は国に留まることを許されていた。
もちろん別に出て行っても良かったのだが、キメラはそうしなかった。
神に狂っているだけで、本当は悪い人間ではないのだろうとサティアは見立てている。
まぁ、そのあたりはともかく、今は政治の話をしなければならなかった。
サティアはカースブリンクにある取引を迫っていた。
つまり帝国の医者に病を治させる代わりに、国交を樹立して、ついでに同盟を結んでもらえないかというような取引だ。
元々はゴーストを解放してやったのだから……ということで持ちかけるつもりだったが、ここに来て病という要素が加わった。
よって彼女は、かなり押し気味にゴーストへと迫っている。
しかし彼は、取引については答えなかった。
「帝国の皇女よ、少し……話を聞いてくれるか?」
ゴーストはそんなことを言う。
静かで理知的な男性の声だった。
しかし鎧の下は、キメラの改造により見るも無惨な異形と化しているらしい。
よって、彼は国民に心配をさせないために、決して鎧を脱がなくなっていた。
「いいわよ」
サティアはそう答えた。
すると、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
自分たちと、キメラについての話を。
―――
いわく。
まず、殺そうとしたのはゴーストだった。
キメラも、いや……イサベルも、最初はただの無垢な女でしかなかった。
すでにどこか狂ってはいたが、争いとは無縁な自称聖職者だった。
けれどやはり狂っていたので、彼女はカースブリンクに布教をしに行こうと考えた。
そしてゴーストたちは一度、彼女を国境で射殺した。
イサベルは全身に矢を突き刺されて、泣きながら逃げて行った。
逃げ切れたのは、使徒としての身体能力のおかげだった。
あとは、カースブリンクの兵士も彼女が死ぬと思ったので追いかけなかった。
だがしばらくして。
次に来た時、彼女は少しだけ変わっていた。
剣と盾を持って、それを構えて国境に入ってきた。
腰が引けた構えだった。
怯えながら歩いていた。
それを見つけて、カースブリンクの兵士たちはまた射殺した。
いや、射殺したつもりだったと言うべきか。
そこに疑問を持たなかったのは、もう誰も、泣いて逃げたイサベルのことを覚えていなかったからだ。
そうして月日を重ね、回数を重ねるたびに、彼女の狂気はずっと深くなっていく。
ある時、体を改造し始めた。
ある時、兵士を殺した。
最後には死体を操るようになった。
そして、ついにカースブリンクは敗北した。
キメラによって支配されることになった。
だが同時に、このキメラを育ててしまったのもまたゴーストだったのだ。
―――
「だから、俺はもうやめる。お前たちを、敵だと思うことをやめる」
話を終えて、ゴーストはそんなことを言った。
仮面の向こうの表情は伺えない。
キメラは俯いている。
「我々は変わらない。だが変わらないために、お前たちと話すことにした。……殺すよりも先に、話せれば、こんなことにはならなかった」
キメラは大量の兵士を殺した。
そのせいで、カースブリンクでは忌み嫌われている。
これからも好かれることはないだろう。
でもゴーストたちだって泣き叫ぶキメラに矢を突き立てた。
国境を超えたという理由だけで。
これも、わざわざ危険な国に踏み込んだキメラの自業自得だとも言えるかもしれない。
でもそんな風に、危険な国で在り続ける必要が果たしてあったのかとゴーストは思っていた。
会話して、争いを避けて、どうしようもない時だけ牙を剥くことにすれば……流れる血は減るのではないかと気づいたのだ。
「そして、サティア=ハンテルク。取引の件だが……」
彼は言葉を止めた。
まず姿勢を正し、深く頭を下げて、続きを口にする。
「どうか、頼む。この国の民を、助けてほしい」
その日、カースブリンクの鎖国は終わった。
キメラの追放も取り消された。
ゴーストは彼女にも頭を下げて、自分の国民を治癒魔術で助けてくれるように願った。
代わりに彼女に自由な布教を許し、信教の自由を国の法に加え、キメラのウォーロードとしての立場を維持することを約束した。
だからいま、ウォーロードは二人だ。
これからは二人のウォーロードのもとで、もっといい国を作れるように。
そんな願いと共に、カースブリンクは国の名前をも変えた。
……いや、正確には本当の名を名乗るようになっただけだ。
呪いをもたらす忌み名ではなく、ヤクラナという、本当の名前を人々に語らせることにしたのだ。
―――
「で、そこであなたの血が……必要になっちゃったのね」
目の前に立って腕を組んだ、サティアがそんなことを言う。
アッシュはカースブリンク……いや、ヤクラナの病院の一室で椅子に座って、右腕から血を搾り取られながら話を聞いていた。
周囲を帝国の医者たちが囲んでいて、抜かれた血はガラスの容器に大量に溜まっている。
まだ朝だが、彼らはてきぱきと動いていた。
「…………?」
「つまり、血清よ。あなたの血から作るの」
なんて言われるが、アッシュは無学なので分からない。
帝国の技術が進みすぎているのもあるだろう。
やはりよく分からないでいると、彼女は存外丁寧に説明をしてくれた。
手順としては以下の通りだ。
まず、わざとアッシュに流行り病を感染させる(???)。
次にその病気が治る。
アッシュは異常に体が強い魔物なので、すぐに病気を治してしまう。
そして頃合いを見計らって、この血の中にある病気を治した……抗体というものを取り出すらしい。
このために血を抜いて、血清とやらを作るのだとか。
「……よく分からないが。それで、病気は治るのか?」
アッシュは聞いた。
いつの間に感染させられていたのだろうかと考えながら。
そういえば、サティアがアッシュにやたらと食べ物を持ってきたことがあったが。
お手製の帝国料理だと自慢げにしていたが。
確か、栄養剤とやらの注射もされたが。
その後、何故か彼女はマスクをしていたが。
アッシュもガーレンと交戦したので、感染の恐れがあるとかで、数日ほどこの病室に閉じ込められてしまっているが。
「治るんじゃない? 少なくとも、マシにはなる」
サティアが言った。
楽しそうにして、アッシュの隣に置かれた椅子に座る。
ため息を吐きながらも、そういうことなら協力してもいいと思った。
「君が、俺を引き留めた理由が分かったよ」
首輪を外したあと、アッシュはめそめそと泣くアリスに引きずられてヤクラナに帰った。
とはいえ、適当にいなしてすぐに去るつもりだった。
復讐をしないなら彼女の前に留まる理由はないので。
しかし、次にサティアがしつこく留まるように言ってきた。
アッシュも感染している恐れがあるとか、もし感染しているのに旅をすると病気を広げてしまうとか、そんな理屈をしきりに説いて。
もちろんあれも嘘ではなかったのだろう。
アッシュとしても納得するところがあったから留まって様子を見ていたのだ。
でも本当はこうしてスムーズに治療を行うために、抗体……とやらを即座に生成する魔物を確保していたのではないかとも思う。
「まぁね」
サティアは特に悪びれずに言った。
アッシュは小さく鼻を鳴らして、ガーレンについての話をすることにした。
「そういえば。今回の病気は、ガーレンが持ち込んだものなのか?」
「ええ、そうみたい。捕虜によると……妙な水を、飲まされたらしいわよ。『百人も千人も殺せるようになる』……なんて、触れ込みで」
でも実際は強化薬ではなく、ただの病気の塊だった。
百人も千人も殺せるような、危険な病をヤクラナに撒き散らすための。
「…………」
思えばクロードたちは、この時点で見捨てられていたのかもしれない。
きっと彼らはガーレンの不穏分子かなにかで、アリスを連れ帰る……という任務を拒否した時に、粛清の対象として確定したのだ。
それもただの粛清ではなく、ヤクラナに病を広げる粛清だ。
あとは、クロードに寄生体が仕込んであったことも、いざとなったら脳を奪って命令を聞かせる備えだった可能性が高い。
「……どこまでも、徹底しているな。ガーレンは」
しみじみと思い知って、俯きながら呟いた。
彼らの虐殺は、本当に、怖いほどに効率を徹底していた。
アッシュは果たして、同じくらい狡猾になれるだろうかと思うことがある。
多分、そうなれないとガーレンとは戦いにすらならないはずだった。
でも彼らはもう、やっていることが人間ではない。
悪魔か、それ以上だ。
「そうね。でも、私たちにだって……すごい武器があるじゃない」
サティアがお気楽な顔でそう言う。
声はやはり棒読みだが。
アッシュは聞き返した。
「武器? なんのことだ?」
「もちろん、友情の力よ。これからも、よろしくね……相棒?」
彼女は冗談めかして笑う。
アッシュは真顔で、深い深いため息を吐く。
「君、正気か?」
すると、近くにいた医者に枕で頭を殴られた。
部屋にあるベッドから持ってきたものだった。
サティア様にふざけた口を利くな、ということを言ってしきりに怒っている。
当の本人……サティアは、楽しそうに笑ってそれを見ていた。
―――
それから二週間、アッシュは血を搾り取られ続ける日々を過ごした。
時折キメラが治癒魔術をかけにきて、定期的に血を増やして帰っていく。
また食事も大量に食べた。
とにかくたくさんの血清を作るために努力をした。
そうした工夫をしたこと。
そもそも魔物であるから血を作る能力も突出していたこと。
あとは、アッシュの血の中に強力な抗体が大量に含まれていた(らしい)ことも手伝って、ヤクラナの人々はもうかなりの数が救われたようだ。
もちろん、キメラが治癒魔術で患者を死なせないようにしてくれたおかげでもあるが、犠牲者は今のところは出ていない。
なので、かなり理想的な結末に落ち着いたと言える。
……という話を聞かせてから、帝国の医者がアッシュに頭を下げた。
いつも通り、血を搾り取ったあとのことだ。
もう去っていいと言われたので、病院を出ようとした時に感謝を伝えられた。
よく晴れた、過ごしやすい夕暮れの出来事である。
「ご協力、ありがとうございました」
石造りの建物の前で見送りながら、全員が横に並んで頭を下げた。
それで、彼らがたった十二人だったということにアッシュは初めて気がつく。
帝国も苦しい情勢なので、それだけしか送れなかったのだろうか。
もちろんヤクラナの医師たちも手は貸しただろうが、彼らは十二人で治療の現場を回していたはずだ。
よく見れば寝不足に見えるし、着衣も乱れているし、疲れ切ったような雰囲気もあった。
すごいことだと思ったので、アッシュも軽く頭を下げる。
「いや、君たちの力だ」
それから、少しだけ彼らと話をした。
今は十分に血清を作れていて、感染者も減ったので急場は凌げたとのことだった。
他の治療法を試し始めているのもあり、もうアッシュがいなくても対応は間に合う。
また、これからは予防にも力を入れるとのことで、患者もそうは増えそうにない。
ガーレン兵が先に発症したおかげで、感染者を早期に隔離できたことも良かった。
加えてヤクラナの医師も必死で、寝る間も惜しんで、死にものぐるいで勉強をしているらしく、この病に怯えずに済むような環境は整いつつあるようだ。
元々ここは戦争の国だったので、医者の技術や能力自体はとても高いのだろう。
「ありがとう」
アッシュが最後にそう言うと、彼らは不思議そうな顔をしていた。
自分でもよく分からなかったので、頭をかいて出ていくことにする。
でも、少なくとも彼らは、誰かに褒められるべき人間だと思った。
「…………」
ヤクラナの街を、左足を引きずって歩いていく。
これからどうするかということを考えていた。
もう血はいらないようなので、三の魔王を殺しに行くと決める。
だがそんなに歩かない内に、アイズとユリが前から声をかけてきた。
もしかすると待っていたのかもしれない。
二人とも民族衣装を着て、小走りで近寄ってくる。
「お客人。お城で感謝のパーティーをするので、ぜひご出席ください」
ユリが笑って言った。
彼女はとてもはしゃいでいて、嬉しそうだった。
なんの感謝かと思ったが、病気が治ったことへの感謝かもしれないと納得する。
国が本当に好きで、皆の病気が治ったのも嬉しいのだろう。
アイズもにこやかに言葉を重ねた。
「我々は、あなたがたに感謝をお伝えしたいのですよ」
二人に引っ張られて、アッシュは歩きながら話を聞く。
どうも病気のことだけではなく、色々といい方向に進んでいるようだった。
たとえば信教の自由が宣言されたことにより、ヤクラナの神殿では再建が始まったのだとか。
あとはゴーストが帰ってきたとか、ユリが観光大使をやめて兵士に戻れることになったのだとか。
さらにこれらのことを引き起こしたのは、アッシュやサティアであると彼女たちは信じている様子だった。
「偶然、そうなっただけだ」
アッシュはそう答えた。
ゴーストを再起させたのも、しょせんは競争に利用するためだ。
信教の自由などというものについては、そもそもアッシュは関わってすらいない。
ゴーストの判断でそうなっただけだ。
「でもあなたは、我々が死なないような作戦を立てましたよね?」
アイズが微笑んで言った。
ユリはよく分かっていない様子で首を傾げている。
思わず立ち止まると、アイズが言葉を続ける。
「キメラ様との、競争のことは知っています。けれどあなたは、この国の兵が傷つかないように配慮をしていた」
それは事実だった。
先に潜入してヤクラナの軍が攻めやすいようにしたし、クロードを逃げさせることで交戦を避けるように仕向けて、無駄に兵士が死なないようにはしていた。
サティアにも、キメラから兵士を守ることを最優先するように伝えてあった。
でも本当は、ヤクラナとガーレンが共倒れになるような作戦の方が勝率は高かったのだ。
しかしそうはしなかった。
理由は単純で、痛みを残せば戦後にサティアが同盟を結べなくなると思ったからだ。
「深い意味はない」
アッシュが答えると、何故かアイズたちは微笑んだ。
そして背を押して城へと連れて行こうとする。
ため息を吐いて、一つ質問をした。
「パーティーとやらはいつだ?」
「三日後であります」
ユリが答えた。
もし出るとしたらさっさと済ませたかったので問いを重ねる。
「なぜそんなに遠い?」
すると彼女は苦笑した。
「帝国のお医者様たちが、三日は寝たいとおっしゃっていたので」
確かに、あの医者たちの席は用意すべきだろうと思う。
待つのは当たり前のことだ。
だが三日後であるのなら、今こうして城に連行されている理由が分からなかった。
アッシュはそれも聞いてみる。
「なら、俺はなぜ、いま君たちに連れて行かれている?」
「勝手に出て行っちゃうって聞いたので」
「ああ、そうか」
それは間違いなく正しかった。
というより、今この瞬間にでも手を振り払って魔王を殺しに行くのがアッシュの責任であるはずだった。
実際、いつもはこうして留まることなどなかった。
何が違うのかと考えて、やがてふと気がついた。
理由はきっと、今回の疫病で誰も死ななかったからだ。
いつもは屍を背に、逃げるように旅立っていた。
今回はそれがない。
だから少しだけ、もう少しだけこの国にいてもいいと思っているのかもしれない。
そんな甘えに気づいて、自分の愚かさにアッシュは呆れた。
許してはならないと思った。
クソ以下の醜さに吐き気さえ覚える。
「…………」
今もあちこちで人間が死んでいるのだ。
なのに、ほんの一瞬だけその事実を忘れていた。
世界を救う邪魔をしたアッシュは、絶対にそのことを忘れてはならないのに。
だからユリたちに連れて行かれながらも、パーティーとやらには出ないと決めた。




