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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
四章・底のない呪い
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三十話・最後の勝者(2)

 


 アリスは杖を失った。

 煙幕の中で声だけを聞いて、捏造された命令の声が偽物だと気づくことができなかったからだ。

 そしてこの声の捏造は、サティアから渡された道具を使ってやったことだった。

 アッシュは改めて思い返す。


『……クソ、暴君の娘め』


 サティアがそんな声を聞かせてくれた。

 彼女が盗んだ声だった。

 それを利用して都合のいい発言を捏造し、音をガラスの瓶に封じ込めてアッシュに渡してくれたのだ。

 彼女によると音の伝わり方の性質に手を加えて、ぐるぐると瓶の中を巡るように変えたらしい。

 こうして封じ込めていると、もちろん段々と音量が減っていく。

 でも損耗を最低限にする工夫をしているのと、最初からかなりの音量にしていたからしばらくはもつと言っていた。

 そして瓶を叩き割ってみせると、解放された音が周囲へと普通に聞こえるようになるのだ。


 原理はよくわからないが、実際にそうして使えるのは確認してから持ってきた。

 あとは、動作不良時の予備で四つほどポーチに入れてある。


「……考え過ぎだったが」


 小さく呟く。

 サティアを信用していない訳ではなかったものの、重要な手順なので少し慎重になりすぎていた。

 起動しなかった場合は、正面から戦うことになってしまうので。

 もちろんこれにも備えて、作戦自体がアリスの魔力を最大限に削るような流れにしてあったが。


 けれど、それはともかく、アッシュは目の前の敵に目を向ける。


「…………」


 クロードは血まみれだった。

 鎧に仕込んだ罠が効いたのだろう、とアッシュは思う。

 そしてここは洞窟だった。

 かなり大きな地下洞窟で、さっきまでいた広場の地下に広がっていた。

 だからあらかじめ地面に大穴を開けて、穴を通じて中へと落ちることで地下洞窟に入れるようにしておいたのだ。


 都合のいい地形だし、アリスのそばに立たせておくのは避けたかったので連れて来るつもりだった。

 鎖で引きずって穴に叩き込んで、今も戦う内に奥へ奥へと入り込んでいる。


「ハハハ……逃げることもできないだと?! 逃げているのはお前だろうが!!」


 クロードが叫んだ。

 そして大剣を振る。

 大きすぎる剣なので、洞窟の壁を削りながら迫ってくる。

 彼の言葉通り、今はアッシュが逃げている。


「…………」


 無視して回避した。

 次の攻撃も避ける。

 すると攻撃を続けながら、クロードがアッシュへと罵声を飛ばす。


「どんな気分だ? わざわざ追いかけてきて、返り討ちになるのは……!」


 アッシュはそれを短く訂正した。

 追いかけたのではなく、待っていたのだ。


「いや、待っていたんだ。お前を殺そうと思って」


 先に洞窟に入れる穴を開けたり、色々と準備をして待っていたのだ。

 だってここを通るのは分かっていたから。

 そもそも、アッシュがここに誘導したのだから。


 たとえば以前ガーレンの補給部隊を襲ったのは、生き残りを脅迫して要塞に潜入するためだった。

 しかしその他にも意味はあった。

 いくつかある補給路……すなわち、ガーレンの他の拠点へ続く道の中で、一つだけあえて襲わないでいることで、その道を()()()()だとクロードに錯覚させて刷り込むためだ。


 そして、こうなれば必ず彼はこの道を選んで逃げ帰る。

 さらに、アッシュはアリスがどれだけの距離を竜で飛べるか……ということも知っている。


 なので通る道と休むタイミングはあらかた割り出せていた。

 となれば、休みやすそうな広場の周辺で戦うことを想定し、地道に調査と準備を重ねていたのだ。

 だがここまで言うと無駄に警戒心を抱かせるので口にしない。


 そこで、クロードが目を見開いた。


「待っていた……?」

「気づかなかったのか? サティアが、わざわざお前を逃したのはそういうことだ」


 最初の作戦はカースブリンクの軍を乗っ取り、キメラを先に無力化して、掌握した軍勢と共にクロードを殺すというものだった。

 しかし次の作戦はキメラにクロードを追い詰めさせて、そこで彼を逃げさせるというものだった。


 つまり誰にも手出しができない場所まで逃げさせて、アッシュが一人で待ち受けて殺すということだ。

 なので破壊工作をやめた直後に、すぐに移動を始めてここへ来ていた。

 さらにサティアが神託を利用してカースブリンクで内乱を起こしているはずなので、絶対にもう邪魔が入ることはない。

 ……まぁ、とはいえもちろん、二つ目の作戦にとってもアリスの離反はイレギュラーな要素だった。

 しかし、このあたりは上手く修正できているはずだ。


「ふざけやがって……!!」


 クロードが怒りをあらわにして接近してくる。

 わざわざ逃して、アッシュが待っていた……という言葉が神経を逆撫でしたらしい。

 アッシュは棒立ちでそれを見ている。

 すると、たどり着く前にクロードは落とし穴に落ちた。


「!」


 アッシュが洞窟に仕込んでおいた仕掛けの一つだった。

 もうこのあたりから罠が大量にクロードを待っているはずだ。


 そして、この落とし穴は別にそこまで深くはない。

 腰がすっぽりと埋まる程度だ。

 でも中を強酸で満たしてある。

 カースブリンクの市民を見習って、ヒュドラを連れてきて中に吐かせた。

 あとは、一時的に身動きができなくなるので、こうして刃を振り下ろすことだってできる。

 クロードが声を漏らした。


「ぐっ……!」


 腰の剣は抜かず、鋭い刀を造って振り下ろす。

 とっさに、といった様子で左腕を出してくる。

 そのまま斬る。

 しかし骨の強度が人間のレベルではなく、アッシュでも両断はできなかった。

 それでも、こうも斬られればもう使えないだろう。

 切り裂かれた篭手の隙間から、千切れかけの腕がグロテスクな断面を覗かせている。


「クソッ!!」


 クロードが魔法を使った。

 アッシュは風の刃を回避する。

 落とし穴からはもう抜けられるだろう。

 なので岩陰に隠れて煙幕を撒き散らす。

 姿を隠したのだ。

 今は邪魔が入る心配もないので、わざわざ右腕を使うまでもなく安全に殺すつもりだった。

 最初に会ったときは使おうとしたが、これは急がないとキメラに横取りをされると思っていたからだった。

 また、敵の能力も知らなかったので早く殺したかったという事情もある。


 と、考えながらアッシュは岩陰に隠しておいた油壷を取り出した。

 さらに、これを能力で偽造した剣にかけていく。

 そのまま魔術を使う。

 『書生』という上位ルーンの魔術を、名前を呼ぶだけで発動した。


「『幼火キャンドル』」


 一言で工程を終わらせると、『幼火』の魔術が発動した。

 ほんの小さな火を灯す魔術でしかないが、その火を剣に近づける。

 先に油をつけておいたから、それで剣は激しく燃え盛った。


「……よし」


 小さく呟いて、アッシュはクロードへと近づいていく。

 鎧がうるさいので煙幕の中でも彼の位置はよく分かった。

 もうひと振り剣を造って、双剣にして背後から近づいて斬りつける。


「ぐぁっ……!」


 小さな悲鳴が聞こえた。

 鎧の隙間を剣で斬ったからだ。

 アッシュはこれを繰り返していく。

 敵は左目が見えていないので対処に手間取っていた。

 そしてさらに、もう一つの要因も大きいようだった。


「な、なんで……! 消えない……!!」


 混乱しきった声が聞こえた。

 つまり、アッシュが油でつけた火を消そうとしているのだ。

 剣が炎を纏っているし、アッシュが熱そうにしていないので、魔術により制御された炎だと思いこんでいるのだろう。

 なのでこれを能力で消そうとして、こだわってしまっているから、もう一本の左手の剣、炎を纏っていない剣への対処が遅れている。


「消えない! 消えない……!」


 アッシュは黙ってクロードの体に切れ目を入れていく。

 鎧の隙間から突いたり斬ったりして、浅い攻撃の一撃離脱で血を流させる。

 姿を消して、また現れては傷をつける。

 油断はせずにじっくりと攻めるつもりだった。

 優勢だからといって勘違いをしてはならないのが、この男がヴァルキュリアと同じだけのスペックを持つ生物であるということである。

 理不尽なことに、一撃でもまともにもらえば簡単に殺されてしまう。

 少なくとも火刑の魔人の姿であれば、彼の剣をガードするだけでも危険だった。


「クソがぁぁっっ!!!」


 クロードが叫んで、剣の炎を消そうとするのをやめた。

 さらにまた魔法を使う。

 荒れ狂う、全方位を切り刻む竜巻が放たれた。

 煙幕も晴れる。

 アッシュは後方に高く跳躍して避けた。

 左手の剣を捨てると同時にメダルに持ち替え、魔術を使う。


「……『炎杭ファイアステーク』」


 使うのは杭の魔術だ。

 炎を能力で消せない、と思い込ませたところで魔術を使った。

 竜巻の、台風の目とも言える角度を狙って叩き込む。

 クロードは反応が遅れて、ちょうど胸あたりに直撃を許した。

 炎の衝撃が貫通したことで鎧が派手に吹き飛んで、体の前面が焼けただれる。

 即座に損傷を観察した。


「脆いな、人間は」


 ぼそりと呟く。

 着地して、アッシュは目を細めた。


 普通は頑丈で、殺戮に特化したデザインの魔獣へと眷属の力が与えられる。

 だからこそ恐ろしい力を発揮できる。

 かつてのヴァルキュリアはまさにそうだった。

 しかし、だというのに人間に眷属の力を与えるような行為は……あるいは愚かなのではないかとアッシュは思う。

 たった一発の杭で焦げるようでは話にならない。


「私が……こ、こんな……!」


 クロードはぶつぶつと声を漏らしながら、完全に据わった目でアッシュへと肉薄してくる。

 そろそろ闇の風から逃げるのに気づいたのか、やたらと風の刃を乱発してくるようになった。

 実際これは正解で、アッシュは少し困りながらも逃げる。

 するとやがて、クロードがまた罠にかかる。

 低い位置に張っておいた、細い鋼線につまずいたのだ。

 転んだクロードの前に立ち、全力で頭をハンマーで殴る。

 砕けるような音と共に頭部が陥没した。

 頭蓋骨が固すぎて刃が通らないだろうと思い、鈍器を選んでいた。


「ぐぁぁぁっ!!」


 叫んで、クロードが吹き飛ばされた。

 しかしすぐに立ち上がって大剣を振りかざす。

 そこでアッシュは『偽証』で柱を造った。

 大剣ではなく、それを振る腕を止めるのだ。

 首尾よく剣が止まったところで、アッシュは左手で刃に触れる。


「『構造劣化チープ』」


 多分この武器にも『不壊』がかけられているのだろうが、しょせんは魔道具だ。

 ならアッシュが、正規の魔術師がしっかりと魔力を込めて発動した『構造劣化』であれば、一時的になら効果を打ち消して余りある。

 上位の術であるとはいえ、ルーンに込められる魔力が違いすぎるからだ。

 とはいえ『構造劣化』の効き目も落ちていて、これだけ大きな鉄塊を壊せるほどには脆くできていないだろう。


 なので、アッシュは大剣の柄に狙いを定めた。

 魔術の効果をクロードが打ち消す前に、分厚い大鉈を造って叩きつける。


「なっ!」


 クロードが声を漏らす。

 殴られた頭がまだはっきりとしていないせいか、致命的に反応が遅れた。

 魔術を奪うのが間に合わなかった。

 また、魔道具を過信しきっていたのかもしれない。

 しかし結果として彼は武器を失った。

 大剣ではなく、その柄を叩き折られてしまったからだ。

 いくら刃が健在でも、握る部分がなければなんの意味もない。

 さらにその後も罠にかけ続けて、アッシュは着実にクロードを追い詰めていく。

 踏むと足がノコギリに挟まれる罠や、岩や丸太を落とす罠、網をかぶせる罠、ワイヤーがいくつも鞭のように迫ってきて、肉が切断される罠、あとはまきびしなど……とにかく色々だ。


 けれど、ふと違和感を覚えた。


「…………?」


 死ぬのが遅いのだ。

 そろそろ死んでもいいとアッシュは思う。

 数え切れないほど殺してきたから、このあたりの勘には自信があった。

 なのにクロードはまだ生きていて、ぐちゃぐちゃになった体で追いかけてきている。


「……お前、魔王に何かされたか?」


 魔法を避けながら、答えを期待せずに問う。

 嫌な予感がする。

 もう終わらせると決めて、アッシュは最後の仕掛けを使うことにした。


「骸の……勇者ぁぁっ……!!!」


 頭に血が上っているらしく、クロードは恐ろしい執念で迫ってくる。

 アッシュは『光』のメダルを手に、長い詠唱を済ませてから接近した。


「『灯光トーチ』」


 目くらましだ。

 一瞬のことなので、能力で魔術を消そうが奪おうが意味はない。

 目を閉じたクロードの腕を掴み、関節を固めて投げ飛ばす。

 洞窟の中で、ちょうど崖のようになった場所から突き落とした。

 そして、崖の下の地面には油が大量に敷き詰めてある。

 この油はガーレンの輸送部隊に運ばせたものだ。

 仲間を惨殺して、たった一人の生き残りにしてやって、拷問をしたらあっさりと寝返ってくれた。

 おかげで部隊の一員であるかのように偽装できたし、そばに付き纏って見張っていたから仕事もした。

 つまり任務中に少し寄り道をして、この場所に大量の油を持ち込んでくれた。


 こうやって作った油溜まりに落とした上で、アッシュは魔術を放って点火する。


「『火矢ファイアアロー』」


 そして崖下へと視線を向けた。

 またたく間に炎で埋め尽くされている。

 眷属でも人間なら痛むものか、クロードは熱に絶叫して悶え苦しんでいた。

 しかし命に別状はないらしい。

 どれだけ焼かれても、先ほどの『炎杭』を当てた時のように肌が焼け焦げることはなかった。


 皮膚も……もちろん人間の肉体という制限の範疇においてではあるが、眷属の力で特別頑丈に強化されていると分かる。

 それを確認して、アッシュは火の海へと飛び降りる。


「…………」


 炎は、アッシュにかすり傷すらつけることができない。

 普通に動けるし、目を開けていてもなんともないし、多少呼吸が苦しい気がする程度だった。

 対してクロードは目を開くことすらままならず、炎にのたうち回っているばかりだ。


「『炎杭ファイアステーク』」


 アッシュは炎の杭を放った。

 彼はなんとか目を開いていたが、火の中にいるので炎の魔術が見えにくいようだった。

 直撃して、その衝撃に吹き飛ばされる。

 何度か撃つと、彼は倒れて壁際にまで転がった。


「……『炎杭ファイアステーク』。『炎杭ファイアステーク』」


 ぐったりと倒れた敵へと、立て続けに魔術を使用する。

 十発ほど叩き込んだ。

 このまま焼却して殺すつもりだった。

 だが中々死なないので、アッシュは『暴走剣』を使おうと考えた。

 首を切り落としてもいいが、下手に近づく意味はない。

 それに跡形もなく消してしまった方が安心できる。


「……『炎剣フレイムアーツ』」


 そうして剣に炎を纏わせたところで、クロードが唐突に立ち上がった。


「は……はぁっ……はぁっ、はぁっ……はぁっ……!!」


 まるで操り人形のようにぎこちない動きで立って、走って逃げ始める。

 崖に手をかけて、必死によじ登って逃げていく。

 だから鎖を投げて、左足に巻きつけて引きずり下ろそうとした。

 しかし怪力で鎖を引きちぎり、右腕だけで登っていく。


「…………」


 鎖を引かれて、姿勢を崩したアッシュは少し反省した。

 彼の足一本に対して、完全に力負けしていたからだ。

 どこかで眷属獣という存在を甘く見始めていた。

 そんな気はなかったものの、これは油断だ。

 自分を戒めながら、剣から魔術の炎を消す。


「……『偽証イグジスト』」


 アッシュは鎖を造って、崖の上の岩場に引っかけて跳躍する。

 そうしてクロードを追いかけた。

 すると彼は、洞窟の出口を探してさまよっているようだった。

 ゆっくりと歩み寄って背に声をかける。


「俺は逃さないぞ、将軍」


 皮肉を込めて、将軍と呼んだ。

 虚栄心が強いと聞いていたから、あえて偉いような呼び方をした。

 彼は振り向いて、焼け焦げた顔でアッシュを睨む。


「だ、黙れ……! こ、こんな、こんな……卑劣な、こんな……こんな終わり方で……納得できるか……!!」


 彼が納得して死ぬことなど決してないと思った。

 しかしアッシュはどうしたいのかを聞いてみた。

 そうして一番安全に、あっさりと、一瞬で息の根を止められる方法を考えている。


「なら、どうすればいい?」

「け、決闘をしろ……! 正々堂々と戦え!!」


 思わず目を見開いた。

 だがすぐに無表情に戻り、冷たく問いを返す。


「お前がこれまでしてきた決闘は、公平なものだったか?」

「当たり前だ! 私は一度も逃げたことはない! 武器を与え、魔法も使わず、何恥じることのない、正当な舞台で……名誉ある戦士と戦って打ち破ってきた!!」


 でも人間には壊せない魔道具の鎧を使った。

 そして人間では絶対に、どんな達人でも受けられない、あまりに巨大過ぎる剣で叩き潰した。


「…………」


 アッシュは何も言わず目を細める。

 別にいくらでも罵倒することはできるが、そんなことにはなんの意味もない。

 殺す方法を考えて、ひとまず『偽証』で剣を造った。

 彼が持っていた大剣とほとんど同じものだ。

 それを左手で持って、投げる。

 大きな音を立ててクロードの足元に落ちた。


「使え。正々堂々、やり合ってやる」


 しかしクロードは何度も首を横に振った。

 取り乱した口調で怒鳴り散らしてくる。


「ふざけるな! 貴様が造った剣など使えるか!! どうせまた、騙す気だろうが……!!」


 ここで疑うことができたのを意外に思う。

 しかし散々ハメてきたのだから、それくらいの警戒はするかとも腑に落ちた。

 仕方ないので腰に吊るしていた剣を鞘ごとベルトから外す。

 その上でクロードへと投げ渡す。


「そんな気はないが……こっちは俺の剣だ。使えよ」


 クロードは躊躇っていたが、やがて抜くことにしたようだった。

 また卑劣な手を使われるよりは、決闘に応じる方が勝利の余地があると判断したのだろう。


「……名乗れ、骸の勇者」


 クロードに言われて、アッシュは頭をかく。

 決闘の作法は知らないが、そうするべきなのだろうと思って従う。


「アッシュだ。もう勇者ではないが……」


 アリスによれば無職で、クソ一般人だった。

 クロードも名乗りを返す。


「クロード=ヨハン=フリードハイムだ。私は名誉あるガーレンの騎士にして、王の剣だ」

「よし、分かった。来い」


 アッシュは両手で剣を構えて走り出した。

 クロードもよろめきながら近づいてくる。

 そして刃を交えようとした瞬間……アッシュは彼の剣を消して灰に戻した。


「っ……!!」


 クロードが声にならない叫びを上げる。

 だがもう逃げられない。

 魔法も手遅れだ。


「…………」


 なぜ、と疑問に満ちた表情でこちらを見ていた。

 その答えは簡単だった。

 アッシュは最初から、自分で造った剣を腰に吊るして彼の前に現れたのだから。

 決闘が好きだというのなら、武器さえ壊せれば……どこかのタイミングで騙すことができるのではないかと思っていた。

 なので一応、そういう準備をしてきたのだ。

 生き死にを懸ける戦いなのだから、できると思ったらどんな準備でもしてくるのが普通だ。


「いやだ! 死にたくない!!」


 右肩から腰にかけて、ばっさりと斬られてクロードが叫ぶ。

 命乞いだ。

 アッシュは一切躊躇わずに、もう一度剣を振っていた。

 完全に首に刃が入る。

 切り離した後に、ようやく答えた。


「だめだ、死ね」


 首が飛んだ。

 少しだけ跳ねて、ごつん……という重い音を立てて落ちる。

 遅れて、血を噴き出しながら体も倒れた。

 しかし。


「!」


 まだ終わりではなかった。

 クロードの落ちた首に、体の中から出てきた触手が絡みつく。

 頭を元のようにつないで再生させようとしている。


 いや、それどころか肉体が別のものに変わろうとしていた。

 とてつもない力を感じる。


「寄生体?」


 アッシュは呟く。

 しかし、それにしては魔力の気配が強すぎる。

 魔物の兵士に与えられているような寄生型も見たが、それとは隔絶した力を感じている。


「ああ、そうか」


 そして、少しだけ考えて腑に落ちた。


 まず結論として、クロードは眷属ではなかったのだ。

 ガーレンの将の全員がそうであるのかは分からないが……少なくとも、彼に関しては彼自身が眷属ではなかった。

 体に入れられた寄生型の魔獣が本体で、眷属獣の力を与えられていたのだ。

 なので寄生体がこれほどに強い力を持っている。

 彼が中々死ななかったのもそういう理由だ。


「……しつこいぞ、クロード」


 アッシュは舌打ちをする。

 彼は肉体を改造され、より強い存在になろうとしていた。

 この様子を見ると、ガーレンの寄生型のベースは中位寄生体ではなく、ロデーヌの門衛のデータなのかもしれない。

 あれも同じように肉体を改造していた。


「がっ! がぁぁぁ!! がっ、が、があああああっ!!!」


 クロードは、苦しげに叫びながら肉体を作り変えられていた。

 黒い外骨格を纏った、巨人のような姿に変わろうとしている。

 肩幅も身長も、めきめきと骨が軋むような音と共に拡大し続けていた。


 アッシュはなんとかこの変態を阻止できないかと考える。

 魔力の気配に対して、魔物の感覚を研ぎ澄ました。

 今はかなり魔物に近いため、魔力感知能力を最大限に使えば寄生体の大まかな位置を特定できる。

 それは魔物の寄生兵士でも確認してある。

 なのですぐに場所は掴めた。

 胸の真ん中あたりに本体がいる。

 しかし肝心の止める手段がない。

 胸部はすでに黒く硬質な外骨格に覆われているし、『暴走剣』を使おうにも間に合わない。

 それに、もし間に合っても発動前に能力で消される可能性がある。


 ならばどうすると考えて、アッシュは右腕の存在を思い出した。


「…………」


 黒炎を使えば、きっと撃ち抜けるだろうと思う。

 たとえどれだけ劣化したとしても、これは最強の魔物から奪った器官だ。

 とはいえ、大きな力を使えば狂う確信もあった。


「いや、工夫しろ」


 冷静に、自分に言い聞かせる。

 暴走していた時の記憶を、その断片をかき集める。

 本能に任せて力を振るっていた過去の中に、いま利用できる経験を求める。


 やがて答えを出して、アッシュは右腕の手袋を外す。

 焼けただれた右手の、人さし指をクロードの胸に向けた。


「…………『焼尽イグゾースト』」


 そして人さし指の、指一本にだけほんの小さな火を灯す。

 こういった制御はできた。

 右腕は別に、言うことを聞かないわけではないらしい。

 ただ強すぎる魔物の力が、存在するだけでアッシュの人間としての精神を破壊してしまう。

 結果として暴走してしまうだけなのだ。


「『偽証イグジスト』」


 さらに心臓の力を重ねた。

 小さな炎に質量を与えていく。

 そうして炎に灰が集まって、際限なく()()なっていく。

 黒炎も魔物の力であるため、なにか相性がいいのかもしれない。

 『偽証』の灰がよくなじんで、普段はとても扱えないような莫大な質量を付与することができた。

 しかしもう片手では重さに耐えきれないので、左手で右腕を掴んで支えながら狙いをつける。

 するとあまりの重みに、洞窟の石の地面がひび割れていく。

 踏みしめた足が沈んでいく。

 数秒間、そうして可能な限りの質量を与え続ける。


「っ……」


 やがて限界を感じ、歯を食いしばって苦しい息を漏らした。

 重さよりむしろ精神への負荷が辛かった。

 ほんの少し使っただけで、右腕はアッシュの自我を崩壊させようとしている。

 なんとかこれを抑え込んで、変態を終えようとしていたクロードへと炎の弾丸を放つ。


「いいから死ね」


 冷たく吐き捨てた。

 途方もない質量を黒炎に込めて、指の先から解き放つ。

 射出の瞬間、反動でさらに足元の地面が陥没した。

 しかし、重量に反して炎は目にも止まらぬ速度で飛んでいく。

 黒い炎が駆け抜けて、装甲に衝突し、灼熱の重質量弾が胸の中心を完全に消し飛ばした。

 体に大穴を穿たれて、クロードの体は力を失う。


「…………はぁ」


 ため息を漏らす。

 これで、今度こそ終わりだ。

 アッシュは構えを解いて炎を消した。

 自分の姿も人間に戻す。

 そして、かすかに痙攣するばかりになったクロードのもとへと歩み寄る。

 寄生体は死んだが、本体がまだ寄生の名残で生きているのだろう。

 ロデーヌの時とは違い、寄生体が脳まではいじっていないので、一緒に死ぬということはなさそうだ。

 とはいえもちろん放っておけば死ぬだろうが、首を持って帰るのがいいと思った。

 なのでしゃがみこんで、クロードの喉に刃を当てた。

 けれど首を落とす前に、女の声がアッシュを止めた。


「……ま、待って!」


 目を向けると、そこにはキメラがいた。

 涙を浮かべて、翼もぼろぼろになって、左腕を失った状態だ。

 修道服のベールもどこかに行ってしまったらしく、髪を振り乱しながら駆け寄ってくる。


「止まれ、キメラ。賭けは君の負けだ」


 なぜ場所が分かったのだろう、と思いながらアッシュは彼女を止める。

 するとキメラは立ち止まるが、不意に引きつった笑みを浮かべて語りかけてきた。

 声が震えている。


「そ、そうです。あなたの勝ちです。しかし……その男を殺してはなりません。ほら、情報を聞き出したり、しないと……」


 嘘だと思った。

 キメラの目はずっとアッシュの右腕を見ている。

 横取りして勝ちを主張するつもりだ。

 こうして土壇場の本性を見ると、本当は嘘が下手な人なのだろうと思った。

 しかし、一方で情報を引き出さなければならないという言い分には一理ある。


「……いや」


 アッシュは思い直した。

 そういえば彼女は死体を操れるのだ。

 また、『侵す者』で操る死体は使用する魂が人間である限り自我を失ったりもしない。

 特に、肉体と魂が一致している状態においてはその傾向が強い気がする。

 蘇らせて聞き出せばいいだけの話だ。


 なのでアッシュは、小さく鼻を鳴らしてクロードの首を切り落とした。


「尋問は……殺してからやれよ、キメラ」


 すると彼女は小さく悲鳴を上げて、目の前で崩れ落ちた。

 そして泣きながら、這い寄るようにしてアッシュの右腕に触れる。

 想像もしなかった反応に、少し戸惑いつつ語りかける。


「……そんなに、欲しかったのか?」


 キメラが落ち着いて答えるまで待つ。

 彼女が改造を好んでいることは承知しているつもりだったが、声を上げて泣くほどのことなのか。

 そうして問いかけると、彼女は泣きながら答える。


「わ、分かりません。最初は……強い力を持っているから、欲しかった。でも、なんだか、どうしてか……いつからか私は、その腕が、恋しいのです」


 激しく嗚咽を漏らして、キメラは泣き続けていた。


「理由が、分からないんです。でも……ただ欲しくて、欲しくて……欲しくてたまらなくなって……ねぇ、お願いします。なんでもしますから、なんでもあげますから……私に、その腕を……ください……」


 ここまで来るとなにか、彼女自身も言葉にはできない重要な理由があるのかもしれないと思った。

 しかしそれでも渡すことはできなかった。

 アッシュは彼女の肩に左手を添えて、ゆっくりと言い聞かせるように答える。


「キメラ。この腕は、俺のものだ」

「でも、欲しいんです。お願いします。それだけあれば、私は……私は…………」


 なぜこんなに泣いているのか分からない。

 でも彼女はこの腕に何かの執着を感じたのだろう。

 アッシュはため息を吐いて、もう一度ゆっくりとキメラに伝える。


「……いや、俺のものだ。これは、俺のものなんだ。君に渡すことはできない」


 最後に強く言い切ると、彼女は右腕にすがりついてさらに泣く。

 いい大人が声を上げて泣き叫んでいた。


 そして今回の賭けは、アッシュとサティアの勝ちで終わった。




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― 新着の感想 ―
[一言] >少なくとも火刑の魔人の姿であれば、剣を受けることすら避けるべきだった。 逆?
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