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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
四章・底のない呪い
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二十九話・最後の勝者(1)

 



 要塞の通路が落とされて少しした頃、要塞の周囲にはカースブリンクの軍勢がにじり寄っていた。

 地下のトンネルを通じて、要塞の裏へと回り込んでいたのだ。

 そして戦士たちは次々と地上に出てくる。

 数としては合計で千人ほどだろうか。

 たったそれだけの数で、彼らは要塞を落とすつもりでいた。

 いや、正確には敵を皆殺しにするために来たのだ。


「なんだ、もう始まってたのか」


 誰かが呟いた。

 カースブリンクの兵士たちは静まり返っていたので、小さな声でもよく通った。

 全員がすでに、アッシュが動いていたことを察しているのだろう。

 指揮下にある弓兵を集めながら、アイズがそばにいるキメラへと語りかける。


「いかがいたしましょう、キメラ様?」

「任せると言ったはずです。この城の落とし方くらい……ずっと前から研究していたのでしょう?」


 キメラは確信を持って答えた。

 なにしろ、この城はカースブリンクの仇敵たる帝国が作った物である。

 ずっと前からあった要塞なのだ。

 なら当然、いつでも落とせるように研究をしてきたはずだ。

 しかも、帝国はこの城を放棄していた時期があったのだからその間に調べ尽くしてもいるはずだった。

 そこを信頼して、キメラはあまり作戦会議にも出ていなかった。


「了解しました。では、指揮はアイズが引き継ぎますね」


 アイズが言った。

 さらに一つ深呼吸をして、自らの眼帯の結び目に手をかけた。

 それで隠されていた瞳があらわになる。

 左の眼球は全て真っ黒に染まって光を失っているが、充血しきった右の瞳は鈍い紫の輝きを宿していた。

 おそらく、左の眼はもう見えていないだろう。


「魔眼を開放しました。これより十五分、透視と干渉を行えます」


 そう口にした彼女の、右目を中心に肌が黒く染まり始めていた。

 この魔眼は元々魔獣の瞳であったので、力を使用したことで侵食が始まっているのだ。

 キメラのギフトによって影響は抑えられているものの、それでも安全を期すれば使用は十五分が限界だった。

 部下から弓を受け取りながら、アイズはじっと要塞に視線を送る。


「一階部分に敵が密集しています。集まった敵は、人間がおよそ四千人。獣は二千体。正門と南門を中心に、それぞれの通路と広場に敵が孤立している。しかし……要塞の周囲では、さらに三千体ほどの魔獣が展開して警備を維持しています」


 透視を駆使した報告に、横に並んで立ったファングが問いを投げかける。


「アイズ、それはどういう状況だ? なぜ孤立する?」

「……広場に集まろうとしていたようですが、途中で通路を破壊されたのかと。退路まで塞いであるので、完全に閉じ込められています」


 つまり、道の両端が潰れているということだ。

 広場に入ることもできず、戻ることもできずに完全に取り残されている。

 彼は納得したように頷いた。


「ならば、相手にする意味はないな」


 手を出さずとも、敵は通路の中に閉じ込められているのだ。

 警備の魔獣もろとも放置して、全員で大将の首を狙いに行くのが賢明だった。

 しかし、二人の会話にまた別の男が割って入る。

 長身の男で、全身を黒の鎧で隠しているために顔つきは分からない。

 しかし低い声の中には、怒りや酷薄さが確かに感じられる。


「だが殺しに行く。目的は殲滅と復讐だ」


 その男の言葉にアイズはほんの一瞬だけ思案した。

 理屈の上では敵の指揮官を狙うべきだと考えていたが、結局彼女は首を縦に振った。


「いいでしょう、テイル。ですが南門の通路に上位魔獣が一体……その通路の先の広場には上位魔獣が二体います。対処できますか?」


 一つ懸念があるとすれば、上位魔獣がいることだった。

 通路に取り残されている個体と、南門の広場に集まっている個体で合計三体である。

 これをどうするかと問われて、テイルと呼ばれた男は鼻を鳴らした。


「お前とファングがキメラにつくとして、残りを俺に貸すなら……問題なく仕留めてきてやる」


 師団の部隊長は五人いる。

 その内の三人と、配下の部隊で上位魔獣を狩ってくるつもりのようだった。

 アイズはまた少し考えたが、可能だと判断したのか承諾を返す。


「分かりました。では行ってください。防人さきもりもそちらで使って構いません」


 死体の兵士のことである。

 クロードに会わせれば奪われてしまうので、テイルに貸すことにしたようだった。

 すると彼はすぐに要塞へ向けて走り去って行く。

 残りの二人の部隊長にも声をかけて。


「よし、ネイルとホーンは俺について来い。皆殺しだ」


 特に打ち合わせもなく、三人とその指揮下の兵士たちは行動を開始した。

 全員が完全に要塞の内部の構造を暗記していて、なおかつどう攻めるか、という考えも事前に共有しているからこそだ。

 そしておよそ六百名ほどの兵士が離脱した。

 続いて、アイズはキメラの前に跪く。


「キメラ様、これより攻撃を開始いたします。どうかご同行くださいませ」

「ええ。始めましょう、アイズ」


 微笑みと共に答えて、キメラはアイズの後ろについた。

 ファングが何を思ったかため息を漏らすが、それに触れる者はいない。

 アイズが部下へと指示を出し始める。


「まず翼兵よくへいが上階から侵入する。私が先導します。地上部隊はファングについて待機を。先に上から奇襲を仕掛ける」


 彼女は透視を利用して、上の階から一方的に攻撃するつもりのようだった。

 背についたハーピィの翼を動かして飛び立つと、同じように翼をつけた兵士たちがそれに従う。

 警備の魔獣をすり抜けて要塞に近づく。

 キメラも『開封』した翼を背に移植して、同じくアイズの後ろについた。



 ―――



 広間に閉じ込められて、アリスは小さくため息を吐いた。

 このまま自分は殺されるかもしれないと思ったからだ。


 通路を落としたところでの破壊工作はぴたりと止んだ。

 しかし、普通に考えて次はカースブリンクの軍勢が来る。

 アッシュがこのタイミングで仕掛けてきたのだから間違いない。

 そして、ガーレン兵の混乱はいまだ収まっていなかった。

 このままではろくに抵抗できないまま殲滅され、クロードの命令で応戦したアリスも一緒に殺されるかもしれない。


 なにしろ、矢の一つでも放って頭を貫いてしまえばアリスは死ぬのだ。

 放置すると上位魔獣に近いくらいはやれるのもあり、当然のように真っ先に狙われるだろう。

 だから死なないために色々と考えて、最後の手段を使うことに決める。


「……まぁ、死ぬよりはマシか」


 ぼそりと呟く。

 それから泣き真似を始めた。

 クロードに懇願するためだ。


「クロード様……」


 めそめそと泣きながらクロードに声をかける。

 すると呆然としていた彼は、ハッとしたような顔でアリスに視線を向けてきた。

 そして答える。

 兜をつけているので表情は伺えないが、きっと血の気が引いているだろうとわかるような声だった。


「ど、どうした?」

「逃げましょう……! 私、怖いです……もう戦いたくありません……」


 怯えたふりをしてクロードに言う。

 死ぬよりは逃げて、ガーレンにでも連れて行かれたほうがマシなので。

 そこまでして生き延びてどうするのかと、一瞬だけとても虚しくなったが。

 でもやっぱり死ぬわけにはいかない。

 不幸なまま死んでたまるか、というような負けん気だけはまだ残っているようだった。


「に、逃げる……? そんな、私は……私は……」


 クロードは目に見えて動揺していた。

 図星を突かれた気配がある。

 きっと本人も逃げたいと思っていたのだろう。

 もしかするとなにか上手い理屈を見つけて、逃げ出そうとしていたのかもしれない。


 だがアリスが先に言ってしまったから、かえって逃げ出しにくくなったように見受けられる。

 そんな様子を見てアリスは失敗したと思った。

 内心で後悔をする。

 しかしそれでもなんとか乗せてしまおうと口を開いたところで、また天井が粉砕された。

 今度は複数箇所だ。

 フロアを貫通し、魔術の矢が大量に降り注ぐ。


「!」


 アリスはとっさに、クロードに身を寄せて盾のように使う。

 だから無事で済んだ。

 彼は魔術を消せるし、鎧もきっと普通ではないのだろう。

 『不壊』のルーンでも贅沢に刻んでいるものか、矢はかすかな傷すらつけられていない。


 しかしその彼が……なぜか目の前で苦しんでいるとアリスは気がつく。


「かはっ……」


 苦しげな息を吐いてうずくまった。

 彼は目の前で膝をつく。

 何が起こったのかと考えていると、鎧の隙間から血が溢れてきた。

 信じられないことが起こって、現実を疑うような声で、クロードが誰へともなく問いを漏らす。


「なんだ……これは……?」


 アリスは何も言えずに目を瞬かせる。

 よろめきながらもクロードが立ち上がった。

 すると、その時初めて異変に気づいた。

 クロードの鎧の前面の、あの部下の老人の血がべったりと付着した部分に……なにか薄い光が見える。

 魔術の反応である。

 きっとなにかの魔道具であろう鎧に、誰かがルーンを描き足しているのだ。


「…………」


 目を凝らして淡く光るルーンを見た。

 そして、ようやくアリスは理解する。


「……これは、ノインちゃんの」


 一緒にお風呂に入った時に見たのだ。

 あの子に刻まれていたルーンと、同じものがクロードの鎧に刻まれている。

 こうして苦しんでいることから、きっとこれは『厭わぬ者』……つまり、肉体の破壊と引き換えに身体能力を強化するルーンなのだ。


 なぜそんなものが刻まれているのかと考えて、アリスはすぐに思い当たる。

 もちろん、当たり前だが、これはアッシュが刻んでおいたのだ。

 魔力にあふれる魔物の血で、即席の魔道具を作ったのだろう。

 いや、事前に加工した血液を持ち込むくらい彼はやる。

 アリスだって散々彼の血で道具を作ってきたのだから、本人がやれないはずもない。

 老人の血で自分の血による刻印を塗りつぶして、隠しておいて、クロードをこうして罠にはめたのだ。


「クソ……鎧が、おかしい……!」


 クロードがふらふらと歩こうとする。

 しかし痛みのせいで強化された力を上手く扱えないのか、石の床に足が深く埋まる。

 そしてすぐに倒れた。

 彼の体から、鎧の隙間からまた血があふれる。

 眷属である彼には並大抵の魔術は通じないはずだが、こうして自分で『肉体を破壊して強化する魔術』を使っているのだから関係がない。

 魔道具の鎧に魔力を流し続ける限り、彼が苦痛から救われることはない。


「……うっ、あぁ……がぁぁ……!!」


 獣じみた叫びを上げて、這いつくばってクロードがまた血を吐く。

 しかしその直後、第二波の攻撃が来た。

 最初の魔術の矢がぶち抜いた穴から、雨あられと矢が降り注ぐ。

 クロードがこのざまでは魔獣も兵士も応戦はできない。

 誰も指揮をしないのだ。

 アリスは不安な気持ちで上を見上げて、天井の穴の向こうのカースブリンクの兵士たちに見えるように両手を上げる。

 降参の意を伝えているのだ。

 だからか攻撃は来なかった。

 カースブリンクの方でも、アリスをどう扱うべきかについて見解が分かれているのかもしれない。

 とにかく撃たれないことを祈りながら、せめて身を守るために魔術を使わせてもらえればと思っていた。

 このままでは本当に、カースブリンクの狂戦士たちに殺されてしまう。


「……あ、あの、魔術を使っても」


 そんなクロードへの要請を、途中で轟音がかき消した。

 極大の閃光が天井を貫いて、広場にいた上位魔獣の胸部を貫通したのだ。

 クロードの命令通り、従順に待機していた、首のない巨人のような魔獣だ。

 棒立ちであっさりと殺されてしまった。

 巨体がゆっくりと傾いて倒れる。

 今のはキメラの、移植した器官による攻撃だろう。

 以前よりだいぶ出力が上だが、ああいう砲撃を食らった覚えがある。

 自分にも向けられるかもしれない、なんて考えると崩れ落ちそうになる。


「…………ああ、もう、ほんと、泣きそうなんですけど」


 本当に泣き出したいような気分だった。

 なぜ、どうして、こんなひどい目にばかり遭わなければならないのか。


「ア、アリス……!」


 クロードが呼び掛けてきた。

 ようやく立ち直ったようだった。

 鎧に魔力を流すのをやめたのか、今は少しだけ落ち着いて見える。


「わ、私の任務は……君を、王のもとに……連れ帰ることだ……!」


 必死に、自分を納得させるかのようにそんなことを言った。

 逃げるのを決めたということである。

 彼は叫んで、大声で言葉を重ねる。


「外に出るぞ! そして、私の言う通りに飛べ!!」


 そう言って、返事も待たずにアリスを左手で抱き上げた。

 さらに右手だけで大剣を振るい、でたらめに壁を破壊していく。

 だが効率が悪いと気がついたのか、黒い風を操って天井や壁を無差別に破壊し始めた。

 ガーレンの兵士の血肉が細切れになり、魔獣の胴体が三枚おろしになる。

 けれどそれに構う余裕もないらしい。

 ようやく別の場所への入り口を掘り当てると、クロードは脇目も振らずに駆け込んだ。


「は? どこへ行くのです? さっさと死になさい、この背教者どもが」


 キメラの声だ。

 彼女が上から降りてきて、すぐに追跡を開始した。

 カースブリンクの兵士たちもついてきている。

 だが偶然にも、逃げ出すクロードを追いかけようとしたガーレンの兵たちが邪魔になってくれている。

 それで少し遅れているようだ。

 だから背後で虐殺が起こる気配を感じながら逃げる。

 クロードは壁をめちゃくちゃにぶち抜きながら逃げている。

 その速さと、力強さにアリスは少し戦慄した。

 彼は馬鹿だが、まぎれもなくあのヴァルキュリアと同格の生命体なのだ。

 下手に人間の姿をしているからこそ、より一層異常に感じる。


「よしっ! 外に出た!!」


 クロードはやがてアリスを連れて要塞の外に逃げおおせた。

 外は少し曇っていて、もう昼過ぎだった。

 だがそこにも追手はもちろん迫っている。


「おい、上を見ろ。異教徒ども」


 ファングと呼ばれる少年の声だった。

 言われるがままに、というより上空から迫る影を感じたから、アリスとクロードは上を見る。


「これは……」


 アリスは呟く。

 小さく発火している、大量の投擲物が降り注いでいた。

 なにか分からないが、クロードには理解できたようだ。


「消えろっ!」


 そう叫ぶと投擲物から火が消えた。

 魔道具だったのだろう。

 だが全て消えたわけではない。

 わずかに残った火がついたままの投擲物が落ちると、着弾と同時に爆発した。

 しかも魔道具に油でも混ぜてあったのか、落下と同時に周囲が火の海になる。

 辛くもクロードはその火の海の範囲からは逃げ出していて、従ってアリスも命を拾う。


 しかし同時に、あのファングがクロードの目の前に迫っている。

 細長い片刃の剣を構えて、低い姿勢で駆けてきていた。


「二十八個……消せずに残したな? なら、貴様が一度に強奪できる魔術は百二十二だ」


 そうしたテストのために、彼らはこの大量の魔道具を用意したらしい。

 さらに干渉の力を使い切ったクロードの目の前で、ファングが一瞬で魔術を使用する。

 詠唱をしたにしては明らかに発動が速すぎた。


「刻印開放」


 その言葉と同時、ファングの姿がかき消えた。

 アリスの視界からは文字通り消える。

 とはいえクロードには当然見えている。

 振り返って奇襲になんなく対処した。

 反撃を恐れたか、ファングは攻撃すらせずに間合いを取る。


 しかし。


「……あら、背中がお留守ですよ? せっかくなので、えぐらせていただきますね」


 柔らかな微笑みの息を漏らして、アイズが奇襲を仕掛けていた。

 翼による飛行能力を利用した、真上からの急降下攻撃だ。

 落下の勢いを乗せて、鎧の隙間から背中へと波打って歪んだような形の剣をねじ込んでいる。

 ファングに対処するために振り向いた瞬間を狙った、鮮やかな連携攻撃だった。


「ぐぁぁぁぁっ!」


 クロードが叫び声を上げる。

 抱きかかえていたアリスを落とした。

 同時に、敵を振り払うように大剣で斬りつける。

 それを見越していたのか、アイズとファングは先に遠くへ離脱していた。

 彼らの周囲にはカースブリンクの軍団が揃いつつある。

 おまけに、少し遅れてキメラまでやってきた。


「……キメラ様、少し遅れたようですが」


 翼をはためかせて、空から降り立ったキメラにアイズが言う。

 それに、少し楽しげな声で彼女は答えた。


「新しい素材を見つけてしまって」

「それは、後でお願いします」


 上位魔獣の死体を漁っていたのかもしれない。

 追跡よりそちらを優先したということは、彼女が勝利を確信しているということだ。

 もうクロードを守る兵士も魔獣もいないし、こう囲まれてはアリスの召喚獣で飛び立つこともできない。


 完全に追い込まれてしまった。

 首狩り合戦もキメラの勝ちだ。


 しかしそこで、戦場から音が消えた。


「…………」


 誰も声を出せない。

 声を出しても消えてしまう。

 物音すら出すことができない。

 沈黙に包まれた戦場で、やがて鋼が打ち鳴らされるような音が響き始める。


 そして次の瞬間、雷が落ちた。

 キメラが右手に携える巨大な脊椎の杖に落雷が命中し、あっさりと粉砕する。

 音が消えるという超常的な現象に気を取られていたから。

 さらに落雷の前兆の音すらなかっために、反応ができなかったのだ。


「!」


 キメラが焼けただれた腕を抑えて驚愕の色を浮かべる。

 今、彼女は『治癒師』の使徒としての強さの根源たる……杖を失ってしまった。

 そこで、ダメ押しのように男の声が聞こえた。

 荘厳で、威厳に溢れている、どこか不思議な響きの声だ。


「――、―――――――――――――。…………―――、―――――」


 きっとカースブリンクの言語で、アリスには理解できなかった。

 だが言葉が分かるらしいクロードは、呆然とした口調で、まるで復唱するように声を漏らす。


「……今こそ……導き? 魔女を討て?」


 それが大まかな内容だったのだろう。

 さらにこの声と同時だった。

 カースブリンクの兵士たちの視線が、一斉にキメラへと集まる。

 不穏な空気が漂って、あとは一瞬だった。

 一瞬で幾人もの兵士がキメラへと殺到する。

 キメラが分かるように()()をしたのか、聖教国の言葉で怒鳴る者もいる。

 カースブリンクの言葉で罵声を浴びせる者ももちろんいた。


「おおおおおっ! キメラッ!! 死ねっ!!」

「――――――!!」

「殺してやる! 魔女が!!」


 けれど、そうして動いた兵士の数は決して多くなかったように思えた。

 アリスが心理的にも物理的にも一歩引いた、客観的な立ち位置で見ていたから分かることだ。

 当たり前だが、今はカースブリンクを脅かすガーレンという敵と戦っている最中なのだから。

 怪しげな声に言われたくらいで動く兵士が少ないのは当たり前のことだった。


 だから最初は本当に、ほんの一部の兵士による反乱だったのだ。

 けれど、だというのにまたたく間に混乱は広がっていく。

 声が聞こえるせいだ。


「――――――!!」

「――――!?」


 きっとカースブリンクの言葉で、反乱を扇動するような()()()を操っている者がいる。

 口調でなんとなく分かるが、キメラへの罵声や、自分の小隊は反乱する、といったような内容の声を大量に撒き散らしている誰かがいる。

 音だけがひとり歩きして、誰かがカースブリンクの軍勢の中で反乱の火種を撒き散らしている。


「…………」


 これは、間違いなくサティアによる工作だろう。

 事前にカースブリンクの兵士たちの声を盗んでおいて、こうして最後に内乱を起こした。

 兵士たちが正常な判断を下せないように邪魔をした。


 だが、なんのために?


 と、考えていると、やがてファングの声が聞こえた。


「――――――――ッッ!!」


 言語が違うのでどんな意味の言葉なのかは分からないが、本人は少し困惑した様子だった。

 今仲間割れを起こすのは、彼も本意ではないのだろう。

 けれど彼はカースブリンクでも高い地位を持っていて、普段からキメラへの反抗的な態度を貫いてきたのだ。

 その声が、完全なる決定打となった。

 全てではないが、半分近くがあっという間に反旗を翻す。

 アイズなどがどうにか押し留めて、騒ぎを収めようとしているが……キメラに殺到する兵士たちは止まらない。


 やがて、意を決したようにファングもキメラへと剣を向けた。

 それに彼女は、煮えたぎるような怒りを浮かべる。

 殺意に塗り潰された瞳でカースブリンクの兵士たちを見据える。


「……今のが、噂の神の声か? 笑わせる。しかし……なるほど。この……麻薬どくびたりの土着カルトが…………根治こんちはまだ、遠いということですね」


 そうしてキメラが羽ばたいて、上空から兵士たちに砲身を向ける。

 たとえ魔術がなくとも彼女にはこれがあるのだ。

 喉の奥から殺意が吹きこぼれるような声で、激情のままに殺害を予告する。


「殺してから使()()()やる。この、役立たずの糞虫どもがっ……!」


 しかし砲撃が放たれることはなかった。

 すんでのところで彼女の砲身の左腕が根本から切断される。

 切り落としたのは、誰かが投げた曲刀だった。

 人ならざる速度で刃を投擲し、鮮やかに腕を切り落としたのだ。


「……駄目よ、キメラ。部下に背かれるのは……お前に、器量がないからでしょう?」


 くすくすと笑う声がした。

 切り落としたのはサティアだ。

 いつの間にか姿を現していて、彼女が攻撃を妨害した。

 それにキメラが激高する。

 邪魔を入れたこともそうだが、キメラにすればサティアは諸悪の根源である。


「黙れっっ!!」


 怒声とともに腹に右腕を突き込んで、肉の中からなんらかの触媒を取り出したようである。

 それはメダルか、あるいは他の何かか。

 ともかく短い詠唱のあとに魔術を使うと、周囲で魔獣の屍が次々と立ち上がり始める。

 死んでからあまり時間が経っていなくて、まだ体に魂を留めていた死体なのだろう。


 それらを操って彼女は兵士たちを襲わせる。

 さらに要塞の壁をぶち破って、数体の上位魔獣まで現れた。

 相変わらず呆れるような強さの力である。

 シドといい、神の加護とはこれほどまでに強大なものなのだ。


 だが同時に、カースブリンクにも援軍がやってくる。

 たった一人の男が戦場に現れたのを見て、兵士たちは息を呑んだ。


「……ウォーロード」


 誰かが言った。

 曇天の下で、全身に鎧を身に着けた男が現れた。

 その鎧には、アイズやファングといった部隊長たちに似たマントや装飾がついている。


「…………」


 しかし兜だけは明確に違う。

 彼の兜は、苦悶に満ちた死に顔のデスマスクに象られていた。

 銀色の死相の仮面をつけて、右手に槍、左手に剣を持って男は歩く。

 彼は特に優れた体格でもない、中背の男だが……異質な存在感を放っていた。


「ゴースト、なぜ」


 キメラが言った。

 ゴーストという言葉通り、まるで亡霊でも見たように目を見開いている。

 けれどすぐに気を取り直して、配下の魔獣たちに男を襲わせた。


「死に損ないが! いいわ。今度は、最後まで、とどめを刺してあげましょう……!」


 襲いかかった獣は十体以上いる。

 しかも、その内二体は中位魔獣だった。

 対して、男はゆらりと体を動かしただけだ。

 それだけで魔獣たちの攻撃をかわし、次の瞬間、先頭にいたオークの頭に穴が空いている。

 槍の一突きだ。

 さらに続くデュラハンの胴体が真っ二つになった。

 剣の一閃である。


 そのように、男はあまりにも巧みに剣と槍を操ってみせた。

 もちろんアリスには見えない速度での剣戟だ。

 それでも敵の血しぶきから伝わる動きだけで、尋常ならざる技量を理解できる。

 全く無駄がなく、それでいて変幻自在だ。

 下がっては貫き、進んでは斬る。

 その上、時に剣と槍を左右の手で入れ替えながら戦うことで、誰にも予測できない動きで敵を圧倒する。


 そして男は、あっという間に周囲の魔獣をすべて始末した。

 さらにキメラを見上げて言葉をかける。

 彼の声には若いような張りがあるが、壮年のような成熟をも感じる。

 ただ静かで理性的な、冷静な男性の声であるのは確かだ。


「もうやめろ、キメラ。いや…………イサベル=ラインハルト」


 サティアとこの男がいるのだから、キメラの勝ちの目は薄いかもしれない。

 確かに戦うのをやめるのが賢明だった。

 あとはイサベル、とは彼女の本名だろうか。

 しかしそんなことより、アリスは唐突に一つ思い出した。


「あ、この人……」


 確か以前、この男と会ったことがある。

 借りを返すという名目の協力で、アッシュに連れられて会いに行ったのだ。


 彼はキメラに大量の魔獣の器官を埋め込まれてしまっていていた。

 そして生かさず殺さず、魔獣の侵食に心を壊されて地下牢に幽閉されていた。

 だが他ならぬアリスが彼の心に干渉し、狂気に沈んだ自我を揺り起こしてやった。


 まさか、あれからここまで回復していたとは。


「おい、アリス。今の内だ……ガーレンに帰還する……!」


 クロードの声で現実に引き戻される。

 今キメラが操っている上位魔獣を奪えば戦えるだろうに、彼はもう戦意をなくしているようだった。

 だがこれも臆病だけではなく、鎧の罠で体がボロボロになっているせいかもしれない。


「早く……早く飛べ! 命令だぞ!!」


 サティアはどうやらアリスを助けてはくれないらしい。

 キメラと戦うのに夢中になっている。

 ため息を吐いて、アリスは命令に従うことにした。


「分かりましたよ、ご主人さま」



 ―――



 クロードはアリスに竜を使わせてまんまと逃げおおせた。

 もう誰にも追いかけることはできないだろう。

 これからガーレンでどんな生活を送ることになるのか……などと考えて憂鬱になっていたものの、人生が悲惨なのは今さらなのだ。

 なので考えるのをやめた。

 時折挟まれるクロードの命令に従って飛んでいたが、夕暮れになる頃には限界が来た。

 クロードへとそれを伝える。


「クロード様、もう飛べません」

「いや、まだ……」


 クロードが難色を示す。

 アリスはため息を吐いた。

 もうここまで来たら、誰も彼を捕まえには来られないというのに。

 なんとも臆病なことだ。


「私はただの人間ですよ。魔力が持ちません。このままだと落ちます」

「わ、分かった。落ちるのは……困る」


 そんな会話のあと、アリスはようやく休憩を許された。

 休めそうな場所を探そうと下に目を向けると、ある程度整備された地面が見える。

 どうやらなにかの道だったらしい。

 少し遠くに、手頃な広場が整備されているのも分かった。

 あそこで休もうと決めて、アリスはゆっくりと高度を落としていく。


「三時間は眠ります」


 やがて地面に降り立って、媚を売る気力もなく、また意味もないのでぶっきらぼうにそう伝えた。

 近くにあった木に背をつけて座り込む。

 空間魔術で安楽椅子でも出したいところだったが、許可を得ていないしわざわざ聞くのも面倒だ。

 だからこうして休むつもりだった。


「…………」


 けれど目を閉じていると、やけになれなれしくクロードが話しかけてくる。

 目を閉じているので分からないが、右に座り込んだらしかった。


「しかしひどい目に遭った。怪我はないかい、アリス?」


 そっと手を握られた。

 うんざりして目を開けると、隣の彼は兜を外していた。

 禁術の反動で血まみれになった顔で、優しい笑みを向けながら言葉を続ける。


「君を守るために撤退したんだ、私は。アルトリウスにもそう伝えてくれよ」


 アリスは小さく鼻を鳴らした。

 もう媚びる意味はなかったから。

 前は気に入られればさっさとガーレンに送られるようなこともないかと思っていた。

 だが今は、何をどうしてもガーレンに直送だ。


 もう相手をする気になれなくて、無視を決めこもうとした……その時。


「……撤退とは。一人でするものなのか、将軍?」


 すぐ前で声が聞こえた。

 驚いて目を向けると、至近距離で剣を振り上げるアッシュがいる。

 焼死体の魔人の姿だった。

 けれどなぜ、ここに……というような疑問を思い浮かべる暇はない。

 なぜなら彼の剣には、巨大な炎の刃がまとわりついていたからだ。


「!」


 クロードが弾かれたように立ち上がる。

 同時に、後ろに跳躍しながら逃げようとする。

 もちろん回避は手遅れだ。

 だがアッシュが追跡して深く踏み込んだところで、クロードは能力を使って炎の剣を消した。


「馬鹿が。私に魔術など……!」


 勝ち誇ったような顔で何かを言おうとする。

 でも次の瞬間には悲鳴に変わった。

 左目を押さえて絶叫している。


「ぐぁぁっ……! ああ、目が……!」


 小さな動作だが、アッシュが外套の袖で口を拭った。

 この仕草でなんとなく分かった。

 今のは口から飛ばした含み針で、それを目に突き刺したのだろう。

 口を拭ったのは、針につけていた毒液かなにかを拭き取ったのか。


「…………」


 力こそ眷属とはいえ、肉体は人間でしかないクロードが相手なのだ。

 殺すのに巨大な炎の刃などいらない。

 『暴走剣』は囮で、この圧力に注意を引きつけておいて、意識の外から含み針で眼球を壊した。

 彼らしい、薄汚いが合理的なフェイントだ。


 そして、さらに攻撃が続く。

 クロードが左手で目を押さえているから、左脇ががら空きになっているのだ。

 加えて左目の視界が潰れていることもあり、クロードはあっさりと奇襲を許した。

 すれ違いざまの一閃で、鎧の隙間の脇腹から血があふれる。


「クソッ! 来るなっ!!」


 しかしそこで、彼は黒い暴風の魔法を使った。

 アッシュは軽い足取りで下がって回避し、敵の様子を伺うようにじっと見つめている。


「き、貴様……! 卑怯だぞ……!」


 やがて、短い沈黙のあと。

 クロードが震える声で言った。

 アッシュは剣を腰の鞘に収める。

 そして黙って敵を見ていた。


「…………」


 静かな目だった。

 対して息を乱しながら大剣を構えて、クロードが言葉を続ける。


「卑怯者が……! お、お前は、逃げ回って……部下ばかりを狙った……!」

「…………」

「この、臆病者! 今さら現れやがって……! だがいい、殺してやる、殺してやるぞ……ここで……!」


 アッシュへと憎悪に満ちた視線を向ける。

 そして、次はアリスに命令をした。


「アリス、命令だ! 召喚獣で、今度こそ焼き殺せ! 君は骸の勇者に散々ひどいことをされたんだろう!!」


 飛んだせいで魔力は限界が近かったが……命令なのでもちろん従う。

 あとはアッシュが無策で来るとも思っていなかったし、アリスを殺すとも思わない。

 そのあたりは信頼していた。

 あっさり素直に竜を出すと、アッシュが小さく呟いた。


「……ひどいこと」


 首輪で縛ることを『ひどいこと』に数えるなら心当たりはあるだろう。

 でもまるで日常的に虐待をしていたような言われ方に、アッシュは少し疑問を抱いているようだった。

 アリスはへらへら笑いながら、これみよがしに彼の前でクロードへと答える。


「ええ、そうなんですよ。ちょっと前に、七並べでボコボコにされちゃって。もう死ねって感じですよねぇ」

「はっ?!」


 クロードが目を見開いてこちらに振り向く。

 アリスは構わず笑って、アッシュを撃とうとした。

 が、その前に彼は動いた。


「……『偽証イグジスト』」


 そして周囲が煙幕に包まれる。

 灰色の煙に染まって、もう少し先すら見えないくらいだ。

 アリスはマフラーで口を覆って冷静に周囲を観察する。

 視界を封じられて撃てずにいるが、近寄れば躊躇なく撃つつもりでいた。

 するとどこかで何か……ガラスのような質感のものが砕ける音がして、声が聞こえた。


「アリス、命令だ。竜に踏ませて、杖を破壊しろ」


 クロードの発言だ。

 少なくともそう捉えるしかない声だった。

 なので素直に従うことにする。


「はい」


 アリスは竜の足元に杖を転がして破壊させた。

 だが踏み折る寸前に、なぜかクロードが必死な声で制止しようとする。


「待て! 私は、そんな……!」


 煙の中から現れてアリスを止めようとする。

 けれどもう間に合わない。

 竜に踏まれて、杖は無惨にへし折られてしまった。

 当然だが同時に竜も消え去る。

 すでにアリスはただの人間で、戦闘に参加することは不可能だった。


「っ……!」


 愕然とするクロードの首に、煙の向こうから飛んできた鎖が巻き付く。

 そのまま無慈悲に引きずり寄せられていった。


「は、ははは……! いいだろう!! 私が! ひとりで!! 殺してやる!!! そういえばお前、レイナからも逃げ回ったらしいなぁ?! 逃げるしか能がないクズが! 私に挑むとは、思い上がりやがって! ハハハ……!! ハハハハハ!!」


 ほぼ狂ったような勢いで、煙の向こうでクロードが叫んでいる。

 レイナとは誰なのだろうとアリスが考えていると、アッシュが短く答えを返した。


「……まぁ、俺()逃げてばかりだな」


 そしてただ一言だけ言葉を続ける。


「でもお前は、俺から逃げることすらできない」


 しばらく争うような音が聞こえ続けていた。

 けれど煙が晴れた頃、アッシュもクロードもすでに広場からいなくなっていた。

 アリスは久しぶりに、実に清々しい気持ちで笑う。

 どうやら今日のガーレン行きは勘弁してもらえそうなので。



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