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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
四章・底のない呪い
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二十七話・開戦(1)

 



 クロードにさらわれてから二日が過ぎた。

 朝、アリスは自室のベッドから身を起こす。

 正直まだ眠いが仕方がなかった。

 起きたらなるべく早く、監視のためにクロードのもとに向かうことを求められていたからだ。

 どうせすぐに迎えが来るし、従わなければさらに拘束が強まってしまう可能性があった。


「…………」


 何も言わずベッドから出て靴を履いた。

 用意された寝間着ではなく、きっちり着崩さず喪服で寝ていたので着替えは必要ない。

 気を抜いて薄着になって、妙な気でも起こされてはたまらないので。


 ……しかし、とは言ってもやはり扱いは悪くない。

 ガーレンに行けば実験動物として扱われるのかもしれないが、今のところ紳士的だった。

 与えられた部屋だって清潔な個室で、内装は華やかではないが居心地はいい。

 家具はベッドが一つに、ティーセットが収まった棚と本棚、あとは机まで置いてある。

 おまけに日当たりまで良いので、客室かなにかだったのかもしれない。


「……まぁ、首輪(コレ)を使う限りは敵なんですけど」


 首輪に触れて、ぼそりと呟きながら部屋を出る。

 石造りの廊下を歩いていく。

 この要塞は呆れるほど広いので、地理などはまだよく分かっていない。

 でもあちこち連れ回されている内に、少しくらいは移動できるようになっている。

 そして行き先は最初に来た大広間だった。

 毎朝そこで、クロードは指揮官たちと戦争の話をしている。


「…………」


 一人で歩いていると、すれ違うガーレンの兵士たちが物珍しげな視線を向けてきた。

 低く笑ったり、理解できない言語で罵倒してくることもある。

 アリスのことがどのように伝わっているのかは分からなかったが、彼らの態度を怖いと思った。

 しかもちらほらと、明らかに堅気ではないと思うくらいにはガラの悪い者もいる。

 軍隊とは決してお行儀のいいものではないと分かってはいたが、不自然にそういった者が多い気がする。

 まるで冒険者のたまり場にでも足を踏み入れたような心境だった。

 やはり一人で出てくるべきではなかったのかもしれない。

 クロードがいた時は大人しかったので油断していた。


「傭兵でも雇ってるんですか? ガーレンでは……」


 また下品な声を浴びせかけられながら、アリスはぼそりと呟いた。

 もし本当に雇っているのなら、世界中を相手にするには人手が足りていないのかもしれないと思う。

 しかしなんにせよ、明日からは素直に迎えの者を待とうと決めた。

 そしてこそこそと道のすみっこを歩いていく。

 けれどやがて、ついに荒っぽく呼び止められてしまった。

 理解できない、外国の言葉だ。


「――――」


 きっかけは、道を塞ぐようにたむろしていた兵士たちと目が合ったことだった。

 みすぼらしい装備の五、六人の集団である。

 その中の、背が高く体格のいい男とアリスは目が合った。

 彼らは粗野な口調でなにやら呼び止めようとしたらしい。

 でも無視して通ろうとすると怒鳴られてしまった。


「――――――ッ!!」


 一人が怒鳴ったから、アリスはびくりと身を縮ませる。

 するとあっという間に行く手を阻まれて囲まれてしまった。

 道の端を歩いていたことが災いし、壁際に追い詰められて逃げ場さえない。


「…………」


 許可なく魔術を使えないので追い払うこともできないだろう。

 一応、護身術のたしなみはあるが、屈強な兵士を五人も相手にして勝ち目があるとは思えない。

 一人でも厳しい。

 いや、見栄を張らずに言うのなら……無理だ。

 なのでやり過ごそうと思って、黙ったまま俯いていた。

 言葉はきっと通じないだろうから、なにか言うことに意味はなかった。


「――――?」

「――――――――」


 兵士たちはへらへら笑いながら言葉を交わしている。

 そしてアリスの肩を掴んだり、髪の三つ編みを引っ張ったりした。

 心底うんざりしたし、怖かったので顔も上げられない。

 けれどそこで声が聞こえた。

 内容は分からなかったから、兵士たちと同じ言語だとアリスは思った。


「――――」


 そして振り向くとクロードが立っている。

 鎧ではない、仕立てのいい服を着ていた。

 彼が厳しい口調で呼びかけると、アリスの周りの兵士たちがさっと離れた。

 制止の言葉であったのだろう。

 だがそれでは終わらず、クロードは兵士たちの一人を殴りつけた。

 さっきまでアリスの肩を掴んでいた男だ。

 地面に倒れて動かなくなる。


「……大丈夫かい?」


 クロードは優しく微笑んで、アリスに手を差し伸べた。

 兵士たちを押しのけて近寄ってくる。


「…………」


 アリスは何も答えられなかった。

 正直、思わずお礼でも言いそうになったのだが、その前に倒れた兵士を見て考えが変わった。

 手を取らずに、クロードをじっと見つめて言葉を投げる。


「この人、死にますよ」


 今殴った兵士のことだ。


 街を襲った際の姿を見て、分かっていたことではあるが……クロードは間違いなく人外の力を持っている。

 その彼が少し力を込めて殴れば、人間の体など簡単に壊れる。

 倒れた兵士も例に漏れず、血まみれの顔の左半分が無残に潰れて痙攣していた。

 これは人が死ぬ損傷だ。

 周囲で兵士たちが助け起こそうとしている。

 にやついていた彼らも、今は泣き叫んで死にゆく仲間にすがりついていた。

 天を仰いだり、口元を覆って嗚咽を漏らしている。


「――――!! ――――っ!!!」


 そんな光景を横目に、アリスは媚びる演技も忘れて言葉を投げた。


「ここまでやる意味があったんですか?」


 今殺された男は、確かに軍規を乱すようなことをしたと言えるかもしれない。

 それにアリスだって少しくらい痛い目に遭ってくれたら嬉しかっただろう。

 もっと言うなら、別にあの兵士が死のうが生きようがどうでもいい。

 でも率直に言って引いていた。

 女の肩に手を置いたくらいで、味方を殴り殺せるクロードに。


 確かに怖い思いはしたが、命を奪われるほどのことは……少なくともまだしていないはずだった。

 そもそもタチの悪いイタズラ、くらいのつもりだった可能性もあったはずだ。

 なのに、殺すのは明らかにやりすぎだ。


「え? あ、ああ……」


 対してクロードは困惑した様子で首を傾げた。

 アリスが感激して、助けてくれてありがとう、なんて言うとでも思い込んでいたのかもしれない。

 だから面食らったような顔をしたが、責められていることに気づくとまた表情が変わる。

 苛立たしげに、かすかに眉間にシワが寄った。


「…………」


 彼の反応を見て、アリスは内心でため息を吐いた。

 兵士について話すのはやめて、自分の立ち位置を守る演技に専念することに決めた。

 まず申し訳なさそうに目を伏せて、次にクロードへと深く頭を下げる。


「……ごめんなさい。でも、私のせいで……死んでしまったから、ついあなたを責めてしまいました。悪いのは……私なのに」


 つまりアリスが気まぐれに一人で出歩いたから、そのせいでトラブルが起こって目の前の兵士が死んだのだと伝えた。

 また、兵士の死を申し訳なく思うあまり、なんの過失もないクロードに詰め寄ってしまったのだと。


 そんなことを馬鹿でも分かるように丁寧に説明してやる。


「……いや、そうか」


 クロードはあわれむような微笑みを浮かべた。

 さらに、ふっと息を漏らしてアリスを抱き寄せる。


「大丈夫。君のせいじゃないよ」


 なんて言って、クロードが頭を撫でる。

 その間もアリスを抱いたままだ。

 まるで自分に酔ったような声で言葉を続ける。


「あの兵士たちは君を傷つけた。君は被害者なんだ。そして私は、私の仲間を傷つける者を許さない。ほら、言っただろう、君を仲間として扱うと……」


 アリスはそれに何も答えない。

 本当は感極まったような演技をすべきだったが、いい加減この男の醜さに吐き気がし始めていた。

 なにしろ、この兵士たちだってクロードの仲間であるはずなのだ。

 だというのにこれほどまでに扱いに差があるのは、アリスが女で、たまたま彼に気に入られているからだろう。

 もちろん、気に入られているとはいえアクセサリーかなにか程度の捉え方だろうが。


「…………」


 何も言わずに考える。

 ここからどうやって脱出するか、ということについて本気で頭を悩ませていた。

 機会があるとすれば、やはりカースブリンクとの戦争が始まってからだろう。

 クロードは『支配の腕輪』を持っていないので、複雑な命令を出せば確実にボロが出る。

 戦争が始まりさえすれば、きっと混乱の中につけ入る隙があるはずだった。


「さぁ、アリス。行こうか」


 しばらくして、アリスを離してクロードが言った。

 笑顔で手を差し伸べている。

 うんざりしながらその手を取ると、繋いだまま歩き始める。


「こうすれば誰も、君に手を出さない」


 左手を握られたまま歩く。

 なぜこんなになれなれしいのだろうと考えたが、理由はすぐに理解できた。

 多分、アリスが惚れていると思っているのだ。


 少なくとも彼の中では、奴隷の身分から救い、優しくして、今はきわどい場面で助けに入った救世主様が自分なのだから。

 惚れていなければおかしいと思っているはずだ。

 でも首輪で一方的に意思を縛っているくせに、本気で仲良くなれると信じているのならお笑いだった。


「アリス、あの兵士たちはね。ろくでなしなんだよ」


 そこでクロードが不意に語りかけてきた。

 思考を打ち切って目を向ける。


「…………?」


 視線で先を促すと、彼は微笑んで語りを続けた。


「ああいうのは大抵、素行が悪い兵士や傭兵、あとは降伏した捕虜を集めた小隊なんだ。王が私に、彼らを任せたんだけど……中々更生は難しい」


 クロードは自分にそんな兵士たちが割り当てられた理由を、更生を期待してのことだと捉えているようだ。

 嘆かわしそうにため息を吐く。


「私の家臣たちがどうにかまとめてくれているが、本当にどうしようもない奴らでね。君が胸を痛める必要はないんだ」


 それを聞いて、彼が望むような答えを返しながら考える。


「少し、気が楽になりました。ありがとうございます」


 今の話を総合すると、この軍にいる兵は二つに分けられるはずだ。

 クロードの家に従う者たちと、統率の取れない不良債権のような兵士たち。

 しょせん他人事ではあるが、アルトリウスとやらがアリスを連れてすぐに帰れと言った理由が分かった気がした。

 いや、もっと言うならだ。

 彼らはもしかすると、そもそもは何らかの理由で……カースブリンクにて死ぬことを望まれていたのかもしれない。



 ―――



 しばらく歩いたあと、アリスはクロードと共に例の大広間にやってきた。

 いつものように軍議が行われるのだ。

 広間の中央にある長机に腰掛けて、クロードが声をかけてきた。


「さぁ、アリスも座ってくれ。なにか思ったことがあったら言っていいからね」


 そんなことを口にして彼は笑う。

 隣の席はアリスのために空けてあった。


「ありがとうございます」

「構わないさ」


 特に逆らわずに座ると、クロードは自慢げに頷いてみせた。

 さらに、部下たちへと声をかける。


「みんなも、アリスを仲間だと思って受け入れてくれ」


 特に逆らわずに座ると、滞りなく会議が始まる。

 アリスは口を挟むようなことはなく、ただ交わされる会話を聞くともなく聞いていた。

 ガーレンでは聖教国の言葉を使うらしく、会話の内容も問題なく理解できる。

 殴り殺された兵士たちはガーレンとも違う国の出身だったのかもしれない。

 しかしそれはともかく、会議に出席した立派な軍服を着た将校たちは、アリスの存在を全く無視していた。

 本来はこんな席に座れるような身分ではないので当然ではあるが。


「クロード様、また……補給路で襲撃を受けたようです」


 一人の将校が言いにくそうに報告した。

 クロードがため息を吐く。


「ここ数日でもう何度目だ? 護衛は何をしていた?」

「それが、生き残りによると……あまりに強く、勝負にもならなかったと……中位魔獣も配備していたのですが」


 どうやら物資を運ぶ部隊が何者かに襲撃を受けた様子だった。

 その話を聞いて、アリスは思う。

 襲撃者はアッシュかもしれないと。

 やはり生きていたのだろうか……なんて、考える内にも話は続く。

 苛立たしげにクロードが質問を重ねた。


「物資に余裕はあるのか?」

「今のところは問題ありません。例の道を通った部隊は襲撃を受けなかったので、補給はできています。敵はあの道をまだ知らないのかもしれません」


 いくつかある補給部隊の通り道の一つを襲撃者は知らないらしい。

 よって、その道を通る部隊だけは安全に通過できた様子だ。

 部下からの報告を受けて、クロードが少し考えて言葉を返す。


「なら、その道を通る部隊に多く物資を運ばせろ。他の部隊については護衛を増やすことにする」

「はっ、了解いたしました」


 次に敵情についての話になった。

 やれどこで動きがあっただとか、敵の工作の痕跡が見つからないだとか、そんな話がずっと続く。

 戦に乗じてここを脱出するつもりだったので、アリスは熱心に情報を集めることにした。


 しかしやがて、なぜだか妙な話が始まってしまう。

 長机に並んでいた部下の中で、クロードの正面に座っている老人が口を開いた。


「ところでクロード様、例の薬水くすりみずの効果については聞きましたか? なんでも研究者どもが作ったとかいう物ですが……」


 よく分からなくてアリスは首を傾げる。

 もしかすると兵士を強化する薬物だろうか、なんて考えながら話の続きを聞いてみる。

 するとクロードがそれに答えた。


「私は飲んでいない。だが、最下級兵士には飲ませたはずだ。……どうだ、あの連中はマシになったか?」


 なんだか下に見るような言い方だったから、最下級兵士とやらは道すがらに殴り殺されたような者たちを指すのだろうとアリスは思う。

 そして、その彼らはよく分からないものを飲まされてしまっていたようだ。

 心から同情していると、別の部下が口を開いた。


「私の知る限り、違いは特に出ていません。飲ませるだけで百人も千人も殺せるようになる……などと聞いていたのですが…………」


 変わらないと言った男は苦笑いを浮かべている。

 また他の将校も呆れたように鼻を鳴らした。


「当たり前だ。薬ごときで百人も殺せる戦士になるか。……というより、本当にそこまで強くなったら、反乱でも起こって面倒なことになる」


 それから、研究者とやらへの愚痴ともつかぬ会話が続いた。

 どうやらこの薬水とやらは最近配給されたものらしい。

 さっぱり効き目がないので文句は尽きない様子だった。


 しかし、少しするとクロードがにこやかにとりなして場を収める。


「まぁ、いいじゃないか。アルトリウスも悪気があってやったことではない。我々のためにと思ったのだろう」


 以前から疑問に思っていたが、クロードは時々王を名前で呼び捨てすることがあった。

 アリスとしてはいまいち距離感が分からないと思う。

 しかし他の部下たちは特に疑問もなく、クロードの言葉に口々に同調する。


「失礼、若のおっしゃる通りです」

「王のお心遣いに感謝すべきでした」


 そしてあの、最初に話題を出した老人もへらへらと笑いながら頷いた。


「しかし、このように手を尽くしてくださるのです。口では帰れとおっしゃるが、アルトリウス様も本心ではクロード様にご期待なさっているのでしょうな」


 きっとご機嫌を取るための言葉だったのだろう。

 でも対するクロードは苦い顔だった。


「いや……それはない。私は以前から、征服した国を支配すべきだと進言してきた。だから、疎んでいるところもきっとあるはずだ」


 ガーレンは征服した国家で徹底した虐殺を行ってきた。

 その、虐殺の方針にクロードは反対の立場をとってきたのだという。

 このせいで王から軽んじられているのだとも、言外げんがいに彼は言っている。


 不意にクロードは物憂げな顔になって、アリスへと語りかけてきた。


「でも、きっと私が正しい。世界を統治し、秩序を与えることこそ力ある者の義務であるはずだ。虐殺など間違っている。そうだろう?」


 これに関して異論はない。

 むしろなぜ虐殺を行うのかが理解できないので、アリスは頷いて問いを返す。


「はい。しかしなぜ、王様は殺し続けるのでしょうか?」


 するとクロードは何かを言いかけたが、すぐに我に返ったように黙り込む。

 ひと呼吸おいて、決まりが悪そうに咳払いをした。


「……それは、軍事機密だな。ほんの一握りしか知らないんだ。君に言うわけにはいかない」


 アリスは教えてもらえなかった。

 もちろんその気になれば頭から情報を引きずり出すことはできる。

 けれど、大して興味もなかったので話を流すことにした。


「分かりました。立ち入ったお話を聞いてしまい申し訳ありません、クロード様」


 それでこの話は終わりだ。

 また他の話で軍議が続く。

 だがやがて話題も尽きてきた頃、大広間の扉が乱暴に開かれた。


「クロード様!! 襲撃です!! 骸の勇者が単独で襲撃を仕掛けてきましたっ!!」


 扉を開いたのは、二人の血まみれの兵士だった。

 一人がもう一人の体を支えて立っていた。

 叫んだのは支えて立っている方だ。

 もう片方の、支えられて立っている兵士は喋ることすらできないのだろう。

 全身に金属鎧を身に着けているが、その鎧もぼろぼろに壊れてしまっている。

 かろうじて兜は原形を留めていたが、それでもとても無事には見えなかった。

 よく見れば左足まで斬られてしまっているのだ。

 壊れた鎧の膝当てがぶら下がっていて分かりにくいものの、膝から下には足がなく、痛々しい断面が覗いていた。


 クロードが椅子を蹴って立ち上がる。


「どこだ!」

「東門です! 応戦していますが、とても歯が立ちません……!! あいつは化け物だ、いくつも部隊が壊滅しました……補給部隊を襲ったのもきっとあいつです!!」


 怯えきった様子で兵士が答えた。

 何度かやり取りをして情報を得たあと、クロードはそばに立てかけてあった大剣を手に取った。

 時間が惜しいのか、鎧は身に着けずに行くつもりのようだった。

 仮にアッシュが来ていたのなら、斥候を出して現状の確認をするような暇はない。

 彼は、少し目を離せば百人は殺せるような怪物なのだ。

 今すぐに行く必要があった。


「私が出る。アリス、君も来てくれ。ついてこれるか?」


 クロードの足に追いつけるか、という意味だろう。

 召喚獣を使っていいのなら可能だった。


「はい。魔術を使っていいのなら」


 そしてすぐに二人で出た。

 広い廊下を馬の召喚獣に乗って駆け抜けていく。

 クロードの横について行って、東門とやらを目指して走っていった。

 しかしその途中で、アリスはふと違和感を覚える。


 あの鎧の兵士のことだ。

 なぜあんな、今にも死にそうな兵士の肩を支えながら報告をしに来たのか。

 足が遅くなってアッシュに追いつかれる可能性が上がるだろうし、そもそも助けたいなら行き先は医務室にすべきだ。

 肩を支えて司令官の元に向かうのでは、報告も救助もどちらも手遅れになってしまう可能性があった。


「……考えすぎかな?」


 小さく呟いた。

 単に心情的に見捨てられないから肩を支えていたとか、あの場の将校たちの中に治癒魔術を使える者がいたとか、いくらでも理由は思い浮かぶ。


 なので違和感を忘れようとした瞬間。


「!」


 アリスは思わず馬を止めた。

 背後で爆発の音がしたからだ。

 それもかなり離れた位置から聞こえた。

 音はきっと、さっきまでいた会議室のあたりで発されたものだろう。

 それなりに遠くに来たので爆音も小さく聞こえる。

 しかしとにかく、その音がなにを意味するのか……ということには、アリスもクロードもすぐに思い至る。


「……指揮官が殺された」


 アリスは呟く。

 ガーレンの遠征軍の指揮官が、初手で大半が殺されてしまった。

 おそらくあの血まみれの鎧の兵士がアッシュだったのだろう。

 話す気力もない、というくらい重傷のフリをしてついてきていた。

 左足は……ご丁寧にも、自分で切断したのか。

 もうここまでくると狂っているとしか思えない。

 しかし一方で悪くない作戦だ。

 あんな重傷者の身元を確認しようなんて者はいない。

 報告を疑うような真似もしにくくなるし、途中で誰かが不審に思ったとしても呼び止められない。

 なにせ血まみれで、足を失った仲間を連れた兵士が火急の用だと言っているのだ。

 誰がこれを呼び止められようか。


 とはいえもちろん、実際は偽装のために最低限の傷を入れただけだ。

 見た目よりずっとひどくないだろう。

 あの時も肩を支えられるフリをしながら、報告をする兵士にナイフでも突きつけていたはずだ。

 唯一重傷だと言える足の切断ですら、今ごろ断面を合わせてくっつけているに違いない。


 大胆なことをするものだと思って、アリスは感心する。

 彼は本当に、徹底して狡猾に戦う。

 頭がいいというよりは、普通しないようなことを躊躇なく実行するのが怖いところだ。

 一度その気になるともう歯止めが利かない。


「なぜ」


 放心したような表情で、横で立ち止まったクロードが呟く。

 こうなると、そもそも襲撃があったのだろうかとアリスは疑問に思った。

 だって冷静に周囲を見回せば、のんきに巡回している兵士が目に入る。

 さっきは血まみれの二人を見て、一刻を争う事態だと信じ込んでしまっていたが。


「してやられたか」


 クロードもそれに気づいたのか、悔しげに声を漏らした。

 さらに歩いている兵士に声をかける。

 切羽詰まったような声で問いを投げた。


「おい、東門の襲撃について知っているか?」

「えっ、なんのことです……?」


 兵士の反応を見てアリスは確信した。

 きっとアッシュが襲ったのは一人だけだ。

 司令室に通してもらえるくらいの信用と身分がある兵士を捕まえて、嘘の報告をさせるために脅したのだ。


 ……と、考えて気がつく。

 そもそも、もっと前に手を打っていた可能性もありそうだと。

 思い出すのは、物資の補給部隊が襲撃された事件についてだ。

 もしアッシュなら、生き残りを残すようなヌルい真似はしない。

 残したのは何か意図があるからだ。

 その生き残りを利用して、彼はもう、ずっと前に浸透していたのではないだろうか。


「クソッ! もういい! アリス、戻るぞ」


 クロードが、まるで急かすようにアリスの肩を揺すった。

 それで我に返って召喚獣を動かすことにする。

 アッシュについて気になっていたので、なるべく急いで帰ることにした。


 だが会うことはできなかった。

 焼け焦げた会議室には、大量の焼死体が転がっているだけだった。

 ほんのわずかな時間、司令室から引き離されたらこの始末だ。

 クロードは火がくすぶる部屋の前に立った。

 そして歯を食いしばる。


「……骸の勇者!」


 ぎり、と音が聞こえてきそうなくらい強く噛み締めていた。

 アリスも馬から降りて、口元を覆って、あまりに悲惨な光景なので呆然とする……というような演技をしている。

 クロードは大股で部屋の中に立ち入って、一人一人の生死を確認していった。

 だがどうも全員死んでしまったのだと分かったところで、ある一人の遺体の前に立つ。

 その遺体は、服装から察するにクロードの向かいに座っていた老人だった。

 彼は焼死体ではなくて、部屋の隅に置かれた、クロードの鎧のそばで斬り殺されていた。

 主人の鎧を守ろうとしたのかもしれない。

 同じ解釈をしたのか、あるいは親密な関係だったのか、クロードは俯いて死体の頬に手を添える。

 とても悲しそうな顔をしていた。

 多分、これはクロードの本心だ。


「すまない……だが、やつは私が殺す」


 それから老人の血がべっとりとついた鎧に手をかけて、静かにアリスへと語りかけてきた。


「まず、鎧を着る。悪いがアリス……手伝ってくれ」




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