二十六話・二つ目の計画
背中を撃たれたあと、アッシュはカースブリンクの兵舎に担ぎ込まれた。
そして軍の病院と思しき場所で寝かせられたが、すぐに動けるようになったので勝手に部屋を出た。
まだ負傷者が山ほどいたからだ。
今回の襲撃はあの鎧の男による単独ではなく、同時多発的なものだった。
なので怪我人も多く、アッシュなどが病床を埋めるべきではなかった。
ということで今は、病院の建物の裏で座り込んでいた。
そこは石造りの建物の日陰で、芝が植えられた庭にはまばらに木が植えてある。
別に大した怪我ではなかったので、壁に背中でもつけて体を休めていれば十分だった。
もっとも、正確には撃たれた直後はそこそこの怪我をしていたのだが……それはもうほとんど治っていた。
つまり、ロデーヌの時も同じだったが、あの閃光は火を寄せ付けないアッシュにすら熱傷を与えることができる。
とはいえこの体は火傷を早く治すようで、傷をつけたところで自然と塞がってしまうのだ。
思えばあの時も火傷の治りは腹の傷などより早かった気がする。
だが今は一段と早く、まるで化け物のような治癒速度になっていた。
そんなわけで、夕暮れになる頃にはほとんど火傷も治りきってしまっていた。
もちろん治ったというのも、あくまでアッシュの基準になるが。
「どう? アッシュ、傷は良くなった?」
サティアの声が聞こえた。
アッシュは壁に背をつけて座っていた。
どうも彼女は見舞いに来てくれた様子だった。
前に来て、鎧姿でしゃがみこんで顔を覗き込む。
するとしばらくして眉をひそめた。
「治ってるけど、まだ辛そうね。キメラに……診てもらえば?」
それにアッシュは首を横に振る。
生と死の間をさまよう者がいる状態で、多少肌が痛む程度の魔物が騒ぐのは馬鹿らしい。
けれど心配してくれていることは分かっていたので口には出さない。
代わりに今日起こったことについて話すことにする。
「まさか先手を取られるとは」
アッシュは言った。
もちろん襲撃についてのことだ。
見事に先手を取られ、カースブリンクはめちゃくちゃにされてしまった。
腹立たしくてため息を吐くと、サティアがぽつりぽつりと語り始める。
「ええ。本当に、してやられたわ」
そのように頷いて、彼女は淡々と敵の作戦について話していく。
まず、敵は上手くハーピィの群れを使って、カースブリンクの国境の監視ポイントに魔物の軍団を投下していったらしい。
例の寄生型を仕込まれた魔物の兵士である。
この投下は複数地点でほぼ同時に行われた。
そしてその対応に追われている間に、監視の目をすり抜けて本命の戦力が国境を越えた。
これは上位魔獣二体と鎧の男による少数精鋭の突入部隊だ。
移動能力に優れた上位魔獣を利用して、かなり迅速に移動していたと見られる。
とはいえ、国境にはずらりと死体の兵士たちが並んでいるはずだった。
なので気づかないということはないはずだった。
しかしこの防衛ラインも無効化されてしまっていた。
なぜなら鎧の男が、魔術の制御を奪って乗っ取るような力を持っていたようなのだ。
これにより死体の軍団による監視網は無効化され、あまつさえ奪われて敵の支配下に置かれてしまう。
そんな訳でまんまと首都に侵入を許した。
さらに上位魔獣が暴れている裏で、敵将は自由に動き回っていたのだとか。
奪われた死体の兵士に紛れ込んでいたから、途中までは敵だとすら気づかなかったのだ。
「しかも、上位魔獣も……片方はとんだハリボテよ」
サティアは続けた。
聞けば二体の内の片方……キメラが相手にした個体は『侵す者』で操られた死体であったという。
これは以前、ガルムに撃破された上位魔獣の死体を使い回したものだと推察されている。
その死体に多くの魔獣の魂を詰め込むことで、それらしく仕上げて再利用した。
しかし、もちろんこんな劣化しきった死体ではキメラを倒せない。
だが延々と逃げ回らせることでかなりの時間を稼がれてしまった。
機動力が高い個体であった上に、『侵す者』の術による不死性も相まって中々仕留められなかったのだ。
そのように敵は再利用品を使って戦力を節約した上で、カースブリンクの主力を釘付けにすることに成功してみせた。
「敵の作戦は周到で……電撃的で、鮮やかだったわ。魔王の……アルトリウスの、仕込みでしょうね」
手放しに敵の作戦を褒めた。
憎い仇だろうが、彼女はそのように冷静に評価することができる。
アッシュも少し考えて答えようとしたが……いま敗因を分析する必要はないと思った。
なにか対策を考えてもこの国の軍隊に伝える方法はないし、今の状況ならもっと先にするべきことがある。
「キメラはどう出るつもりだ?」
振り返りを切り上げて、カースブリンクの出方を聞いてみた。
曲がりなりにも自分の国を、背教者であるガーレンに踏み荒らされたのだ。
きっとキメラは怒り狂っているだろう。
なので尋ねると、しゃがんでいたサティアが腰を上げた。
そしてアッシュの左に改めて座り込むと、彼女はようやく口を開く。
「攻め込むつもりよ。それに……カースの将兵も復讐を望んでいる。二日後には、もう仕掛けるみたい」
恐らく盗聴の結果なので間違いのない情報だった。
しかしその言葉にアッシュは唸る。
こんなに早く開戦するとは思っていなくて、予定が変わってしまったのだ。
ひとまずやることを考えながら、サティアの肩を叩こうとする。
例の合図だ。
でも軽く払いのけられた。
すでに音は消しているのだろう。
安心して話の続きを口にする。
「ゴーストは? どうなった?」
先代のウォーロードであるゴーストだ。
彼はキメラによってほとんど再起不能にされていたが、立ち上がる希望もあった。
時間が必要だが、ぎりぎり間に合う……というのが二人の見立てだったものの、こうも戦いが前倒しになっては難しい気がした。
だから彼を利用できそうなのか、ということをサティアに問う。
すると否定が返ってきた。
「だめよ。少なくとも……軍を掌握するには遅すぎる」
本来ならゴーストを復活させ、神託と合わせてカースブリンクを乗っ取るつもりだったのだ。
そしてキメラを裏切らせて蹴落として、ガーレンもその後で倒す予定だった。
もちろんゴーストが協力しない可能性もあったものの、それは彼が蘇りさえすればどうにでもなる。
民衆の前に引きずり出して、発言の内容は音を操って捏造すればいいだけなのだ。
しかしもうそんなことをしている猶予はない。
たとえ明日ゴーストが蘇ったとしても手遅れだ。
軍を完全に掌握できるだけの時間がない。
だから作戦には修正が求められている。
アッシュは少し考えて口を開いた。
「二つ目の作戦に切り替えよう。それなら間に合うはずだ」
そちらの作戦についてもずっと準備はしてきたので、問題なく切り替えが可能だった。
しかし彼女の反応はあまり乗り気ではない。
心配そうな目でこちらを覗き込んでくる。
「……大丈夫?」
そんなことを言う。
なぜ心配されているのかと考えて、アッシュはすぐに思い当たった。
多分、彼女が気にしているのはアリスのことだろう。
彼女はすでに、鎧の男の能力で首輪の制御を奪われていると予想される。
つまり敵の戦力が増えてしまっている。
なので考えていた作戦が通じるか不安に思っているのだろう。
当たり前だが、二つ目の計画でもアリスの離反などは想定をしていないのだ。
「…………」
アッシュは少し考える。
こんな風にサティアは大まかな事情を飲み込んでいて、もしかすると首輪のことだって最初から知っていたのかもしれないと思う。
ガ―レンの敵が知っていたのなら、帝国の皇女が知っていても不自然ではなかった。
「大丈夫だ」
しかし、首輪についてはともかく、アッシュはサティアに頷いた。
たとえどうなっても負ける気はなかったからだ。
アリスの能力や、彼女を縛る首輪については知り尽くしている。
それに今回の襲撃で、不明だった敵の能力についても多少は理解できた。
だからもう、必要な準備さえすれば負けることはない。
修正は利く範疇だった。
けれど彼女はまだ信じきれていない様子である。
「ノインを、連れて行ったら?」
その提案を魅力的だと感じる。
ノインを連れて行くことができればもっと作戦は安定するはずだった。
しかし首を横に振る。
「いや、残して行く」
「体が心配?」
「それ以前に、人を殺させるわけにはいかない」
理由を正直に伝えた。
いま言う必要はなかったが、サティアはノインの後見人になるのだ。
ならば、くれぐれも分かっておいてもらう必要がある。
「サティア、あの子に人殺しはさせないでほしい」
ノインはアッシュのような悪人ではないし、サティアのように戦いを愛してもいない。
ただの優しい子供だった。
嘘の罪でもあんなに思いつめてしまうのに、もし本当に人を殺させたら取り返しのつかないことになる。
だから、ガーレンとの戦いには連れて行ってはならない。
そのように念を押すと、彼女は小さく頷いた。
表情は特に変わっていない。
「いいわ、約束してあげる」
また話を続けた。
作戦の変更点について話したあと、今度は例の鎧の男について語る。
それで、彼はクロードという男だと分かった。
能力こそ不明だったが、ガーレンの将として以前から話を聞かされていた男だった。
けれど最後の確認として、もう少し掘り下げた話も聞きたかった。
するとサティアは、まずクロードを一言で表現する。
「小物よ。血筋だけの臆病者」
彼はガーレンの王家に仕える古い血筋の当主だという。
だからこうして軍隊を任されているが、とてもその器はないのだと評している。
淡々と言葉を重ねた。
「虚栄心が強くて……戦士との決闘に執着していた。でも、ガルムからは逃げ回る」
「決闘?」
アッシュは首を傾げた。
使徒であるガルムから逃げるのは当たり前だが、決闘が好きというのが分からない。
ガーレンの将は、多くが眷属の加護を魔王から与えられている。
人でありながら眷属獣と同じような存在になっている。
よってクロードのような異能を持っているし、人間とは隔絶した力を振るう。
そんな存在が決闘などと言ったところで、戦いが成立するはずもなかった。
「?」
よく分からなくて目を瞬かせていると、サティアは馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。
クロードという男を嫌っているのだとアッシュは察した。
「そう……意味なんてない。でも分からないみたい。……名のある相手が好きよ。優れた人間の兵士を殺して、自分が強くなった気でいる」
思わず眉をひそめた。
アッシュも他人にどうこう言えるような生き方はしてこなかったので、わざわざ非難を口にすることはない。
それでも不快感を隠すことはできなかった。
「…………」
なにしろ、あまりに不公平なのだ。
クロードは眷属獣で、その上強力な装備を身に着けている。
サティアによると、ほぼ全部位に『不壊』を付与した魔道具の鎧に、同じく『不壊』と強化魔術を刻印した魔道具の大剣だったか。
あんなものがあっては、人間では傷一つさえつけられない。
もちろん『不壊』とはいえしょせんは魔道具だ。
同じルーンを刻んでいたはずのアッシュの剣も壊れてしまった。
でも人間が気軽に壊せるものではないし、そもそもクロードの前では破壊するための魔術を使うことさえできない。
彼の言う決闘は、万に一つも勝ち目がない処刑なのだ。
「ふさわしい死を、与えてきなさい」
しばらくクロードについて話したあと、サティアは最後にそう告げた。
今の計画では、彼を討つ役目はアッシュに任せることになる。
だからこんなことを口にしたのだろう。
きっと彼女の部下も、下らない決闘によって何人も殺されてきたはずだったので。
「…………」
しかしアッシュは別に、復讐を頼まれるつもりはなかった。
特別いたぶるつもりもない。
「いや、ただ殺すだけだ」
短く答えて立ち上がった。
これからは別れて、二人でそれぞれの仕事をすることになる。
「もう行くの?」
サティアが背中に問いかけてくる。
去る前に一度だけ振り返って、アッシュは彼女に答えた。
「ああ」
火傷はもう、活動に支障がない程度には治っている。
とはいえ不安がないわけではない。
傷とは違うが、アリスの攻撃を避け損ねた理由……魔物の力の精神汚染など、自分の体についての懸念はいくつかある。
しかしそれも、覚悟さえ決めればどうにかする自信はあった。
なのでもう休憩は終わりにして、最後にサティアに頼み事をする。
「そういえば。一つ、用意してほしいものがある。頼めるか?」
これは用意できるか分からないものだった。
けれど話を聞くと問題なく可能であるようだった。
だからアッシュは改めて依頼し、自分の準備のために街をあとにする。
戦いはもう目前で、時間はほとんど残されていなかった。