二十五話・新しいご主人さま
言われるがままに召喚獣を飛ばしていると、やがてアリスはよく分からない建物に連れてこられた。
とはいえ知らない場所ではなく、カースブリンクに侵入する際に見た大きな要塞である。
そして石造りの城塞のとある一室に連れ込まれていた。
長机が置かれた、軍議場のような雰囲気がある大広間である。
その室内にはわずかに兵士たちがいた。
扉を守る者が数人と、目の前で大剣の男が鎧を脱ぐのを手伝っている二人だ。
鎧の下の簡素な布服姿になりつつある男は、なすがままに脱がされながらアリスに語りかけてくる。
「さっきは慌ただしくてすまない。私の名前はクロード。我が王、アルトリウスの命で君を連れ出しに来た」
我が王、アルトリウスと男は言った。
つまりこの男はガーレンの所属であると理解する。
流石に驚いて、アリスは目の前の男をまじまじと見つめた。
「…………」
兜を外した男は、青年と言えるくらいの見た目をしている。
オールバックにした青い髪と高い鼻に、血色のいい頬とよく開いた緑色の瞳。
背が高く、痩せても太ってもいない。
彼は整った顔立ちで、温和そうな表情を浮かべていた。
しかしどこかはしゃいでいるというか、楽しげというか、幼さのようなものを感じる。
目の前の男は決して醜くはないのだろうが、アリスはすでに嫌いだった。
理由はもちろん首輪を使ったからだ。
「…………」
何も答えず、鎧を脱いでいる男……クロードの前に立っている。
すると彼は言葉を重ねた。
低くて、どこか気取ったような声に聞こえる。
「ああ……すまない。さっきは首輪を使ってしまったから、警戒しているのかな?」
などと言ってくる。
気がかりなことがあって、アリスは眉をひそめた。
首輪の存在を知っていることや、なぜかそれを彼が操ったことはひとまずいい。
一番重要なのは、目の前の男が首輪をどう使用するかということだ。
彼は腕輪を持っていないので、その点を埋めて支配するにはかなり慎重に命令を重ねる必要がある。
複雑な命令はほとんど効力が落ちる。
だから、場合によっては常にそばに置かれて命令され続けるようなことになるかもしれないと思う。
けれどクロードはそこまで考えが至っているわけではなさそうだった。
無邪気に微笑みを向けてきた。
「あの時は説明をする暇がなかったから、命令をするのが一番早かったんだ。でももうしないよ。首輪は……どうも、かなり痛むらしいし」
自分で使ったくせに、彼はまるで他人事のように言う。
しかし、ひとまず使う気はないと知って安心した。
アリスはようやく一つ言葉を返す。
「ありがとうございます、クロード様」
言いながら冷えた眼差しを送る。
彼はその視線には気づかず、どこか照れたように笑みを浮かべた。
「やめてくれ、クロードでいい。私は君と対等な友人になりたいんだ」
「友人? 首輪を外してくれるなら、いつでもお友だちになりますよ」
アリスはそう答えた。
するとクロードは首を横に振る。
「悪いがそれはできない。王の命令でね。アルトリウスが君の力に興味を持っている。だから、君にどこかに行かれると困るんだ」
魔王がアリスを欲しているから、ここから出られないようにするということだ。
だから逃げないように首輪はそのまま。
うんざりしてため息を吐いた。
誰も彼も、どうして他人を好き勝手したがるのだろうかと思う。
「…………」
そんな態度に何かを感じたのか、鎧を脱いだクロードが近づいてくる。
さらに、なれなれしい仕草で肩に手を置いた。
微笑んだ目でアリスを見ている。
「これまで虐げられてきたんだろうが……もう大丈夫だ。私は、これまで君を使ってきた者たちとは違う。約束するよ。きっと君に優しくする。我が軍の仲間として受け入れよう」
二度、軽く肩を叩いて手が離れた。
アリスは何も答えず、ただクロードの瞳を覗き込む。
どこまで本気で言っているのかと呆れていたが、適当な言葉でその気にさせてやることにする。
こういう手合いは、褒めてやって良い人の仮面を脱ぎづらくしてやった方がいいと知っているからだ。
「嬉しいです」
その言葉に彼は満足げに頷く。
続いて布服のまま歩き始めて、ついてくるように言った。
どこかに案内されるようだった。
大広間の扉を出て、石造りの廊下を並んで歩いて行く。
そして、やがてアリスが口を開いた。
「私はこれからどうなるんですか?」
なぜ自分が連れてこられたのかすらよく分かっていない。
精神感応能力が理由だということはなんとなく分かるが、ほかは全く知らなかった。
なので聞いてみるとクロードは答えた。
「王は、君を保護したらすぐに帰還しろと言っている」
聞いて、アリスは眉を動かす。
細かい言葉選びはいいとしても、不可解な点が一つあった。
カースブリンクを滅ぼすために遠征してきたはずの彼らが、アリスを捕まえて帰還するのだという。
それはつまり現在、彼らの最優先目標はアリスに変更されたということになる。
怪訝に思いつつも問いを重ねた。
「……では、これからガーレンに?」
「いや、私は帰らない。予定通り、カースブリンクと戦うつもりだ。良ければ君の力も借りたい」
アリスはまた考える。
つまりクロードは命令に背いて、独断専行を行おうとしているのだと理解した。
そして口ぶりから、この軍勢を率いるような立場にあることも分かった。
「なぜすぐに帰還しないのですか?」
その問いには答えは返らなかった。
ただお気楽だった顔がかすかに、不愉快そうに歪むのを見た。
読み取れる感情は不満や劣等感といったところだろうか。
彼の反応を見て全てを察した。
「…………」
つまりこいつは、せっかくの任務がアリスを連れ帰るという程度のお使いに変えられたから、それに反発してカースブリンクと戦おうとしているのだろう。
しかしこんなことを口にして、刺激するべきではなかった。
アリスは取り繕って話を逸らす。
「すみません。戦のことなど知らない女が、余計なことを言いました。無礼をお許しください」
悪いとは思っていないが謝った。
彼はプライドが高いと分かったのでへりくだった言い方を選んだ。
するとクロードは目に見えて機嫌が良くなって笑う。
「構わないさ。私は気にしてない」
それから、クロードは自分のこれまでの戦功について話し始めた。
アリスがカースブリンクと戦うことを恐れていると思っている様子だった。
自分はこんなに強いのだから、心配いらないとでも言うように戦歴をぺらぺらと喋り始める。
「へぇ、すごいんですね。クロード様は」
アリスはにこにこと笑いながら話を聞く。
適当に相槌を挟んでやると、クロードは気持ち良く話を続ける。
きっとこうして、従順な存在に話すことが好きなのだろう。
やれ帝国では何人を倒した、誰と決闘した、というようなことを誇らしげに語る。
「このメダルを見てごらん。これは帝国でも最強と言われる兵士と決闘をして、勝利した証に持ち帰ったものだ」
そして銀の勲章……のような物を見せてきた。
どうやら決闘の相手から奪ったらしいが、アリスからしたら鼻で笑うような話だった。
なにせ、明らかに魔王から人ならざる力を得ているこの男が、人間と決闘などすることに意味などないのだ。
獅子が蟻を踏み潰すようなものである。
相手がガルムならともかく、ただの人間を仕留めたことをなぜ聞かせてくるのか。
人間とそうでない者の間に、決して対等な戦いなど成立することはない。
だというのに彼は、心から誇らしく思っているように見えた。
「彼は強かった。だが一撃で決まった。本当に強い戦士の戦いとはそういうものなんだよ」
クロードは驚くほど饒舌に話を続ける。
誰を殺した、どうやって勝った、というような話を聞いていても退屈なだけだった。
しかしそうして話を聞いていると、何故アリスがこの男に捕まったのかは分かってきた。
「私はそこで、帝国の魔術師部隊の……魔術の制御を奪ったんだ。そして逆に敵軍に撃ち込ませた。特別な力を使ってね」
どうもこいつは敵の魔術を強制的に操作するような力を持っているらしかった。
消すも奪うも自由自在、まさに対人間特化兵器といった力だ。
そして死体の兵士たちが従っていたのも、この力を用いて『侵す者』のルーンの制御を乗っ取ったからだろうか。
だとしたらキメラにバレずにあそこまで来られたことも納得がいく。
当然首輪に干渉することも可能だったはずだし、アリスを捕獲する仕事には最適だ。
もし本当に彼が仕事に忠実だったのなら、すでに今頃ガーレンに連行されていただろう。
「クロード様はなぜ、私に良くしてくださるのですか?」
やがて話が途切れた頃、アリスはそんな言葉を差し込んだ。
別に良くしてもらっているとは思っていないが、この男はやけになれなれしい。
大方の疑問は解消できていたが、それだけが分からなかったから聞いてみた。
すると彼はにっこりと微笑んで口を開く。
「君は聖教国の者たちの奴隷だと聞いた」
「ええ、そうですね」
今はあなたの奴隷ですけど、という言葉は飲み込む。
そして言葉の続きを待つ。
「だから、かわいそうだと思ったから救ってあげたかったんだ」
理由を語った声には、少しの後ろめたさもなかった。
そして口にしたクロードが立ち止まる。
アリスも止まって彼の顔を見た。
表情には自己満足や、なにか……アリスへの期待のようなものが滲んでいる。
その顔をじっと見つめる。
「…………」
彼は多分、本当に救ったと思っているだろうと理解できた。
奴隷のように扱う聖教国から救い、こうしてうわべだけでも優しく扱うことで、アリスが喜ぶと思っている。
また、同時に醜い期待をも抱いている気がした。
こんなに良くしてやったのだから、アリスが彼に好意を持つのが当然だと考えているのだ。
不遇な少女がそれを救った英雄に恋をする……なんて話は、古くからよく聞くものではあるが。
「なるほど、ありがとうございます」
アリスは素直に礼を伝えた。
そしてすっかり自分に酔ったようなクロードを見ながら状況を整理する。
多分こいつはアルトリウスとやらに上手く乗せられてしまっていて、本心から不幸な少女を救いに来たつもりなのだろう。
そして今のアリスは、英雄クロードの輝かしい伝説のページの一つに収まっているというわけだ。
今の自分の立場を理解して、アリスは役を演じるつもりで口を開く。
「ですが、その……今は一人になりたいんです。私、えっと……骸の勇者にひどいことをされて、男性が怖くて……」
俯いて、弱々しい声で言った。
脅かされて傷ついた奴隷の少女の演技をした。
別に男なんて怖くともなんともないが、そういう演技をして一人になりたがった。
「…………」
クロードは少し驚いた顔をする。
その表情の片隅に興を削がれたような色がちらつく。
自分への興味が目減りしたことをアリスは悟った。
ここで嫌われてはガーレンに送られてしまうかもしれないのでまずかった。
無垢な少女の演技でもした方が良かったかと後悔しかけたが、彼は取り繕うように微笑む。
「ああ、すまない。一人部屋を用意させる」
今の言葉で、どうやら同じ部屋に置いて近くで監視するつもりだったのだと察する。
ほっと一息つきたいような気分になったが、次の言葉でそれも吹き飛ぶ。
「しかし、当然……拘束は重くする。私も仕事だからね」
続けてクロードは命令をした。
勝手に要塞の外に出てはいけない、許可なく魔術を使ってはならない……そんな調子でいくつかの制限をつけた。
「…………」
アリスは黙って命令を受けている。
そして目の前の男を見ながら考える。
こいつは救ったと言いながら命令をする。
……いや、それはまだ分かる。
実際、首輪を使うのがアッシュのような変人でもない限りこいつの扱いはまだマシな方だった。
今のところは。
まぁ、だから救ったという認識はいい。
しかしそれはいいとしても、どうして世界中で虐殺を続けながら英雄のようなツラをできるのか分からなかった。
そんなクズが何故人を救いに来たなどと言って、臆面もなく偽善者の振る舞いができるのか。
自分を客観視したことがないのかもしれないと思う。
なんにせよ嫌いなタイプだ。
「よし、じゃあ……ここで待っていてくれ。人をよこすから、案内された部屋に行って休むといい」
そう言ってクロードはどこかに歩いて行く。
やはり、元々は二人で寝泊まりをして監視するつもりだったようだ。
でも予定が変わったから、この場を去ってどこかに行ったのか。
アリスは小さく鼻を鳴らす。
「お気遣い、ありがとうございます。新しいご主人さま」
アリスはクロードの背中にそんな言葉をかけた。
しかし言ってから後悔をした。
流石にバカにしていることがバレると思ったのだ。
白けきってしまって、つい悪いところが出た。
アッシュが甘すぎたせいで自分を抑えるのが下手になっている。
「……………」
やってしまったと思いながら、おそるおそるクロードに目を向ける。
気分を害してしまったかもしれない。
すると振り向いた彼は笑っていた。
「やめてくれ。私はご主人さまではない。どうしてもそう呼びたいなら、構わないが……」
楽しそうな顔をしていた。
だから安心して、アリスはにこりと微笑みを返す。
「いえ。クロード様とお呼びしますね」
「そうか。まぁ、なんでもいいさ」
なんて言って、わずかにがっかりしたような顔をする。
下心を隠しきれていない。
気を抜くと皮肉を口にしそうになるので、黙ってにこやかにしてクロードを見送った。
「…………」
そして少しだけ昔のことを思い出す。
アッシュに初めて出会った時も、似たようなことを言ったはずだから。
確か、雨が降る日だっただろうか。
そしてあの日、アリスは自暴自棄になっていた。
奴隷の実験体としてクソのような日々を過ごした挙げ句、骸の勇者などという化け物と危険な旅をしなければならないと言われたからだ。
それに、そもそも彼のことが気に食わなかったのもある。
どうせ首輪を使うくせに、最初に罪悪感を覚えたような様子を見せたのが許せなかった。
まともなフリが好きなクズの本性を見てやろうと思った。
あとは、うっとうしい雨のせいで苛立っていたのも理由かもしれない。
まぁ、ともかくアリスは制裁を気にせず、もうどうなってもいいと思って酷い態度を取ったのだ。
噂の通り魂でも喰うのならやってみればいいだろうと。
『ご主人様』
そう呼んでつっかかると彼は立ち止まった。
傘もなく雨に打たれながら、ひどく驚いたような顔をしていた。
すぐに無表情に戻ったものの、あのときの目はよく覚えている。
ただでさえ疲れきった瞳が、もっと疲れたように光を失っていた。
虚ろで暗い、墓穴のような目でこちらを見ていた。
そして制裁は与えられなかった。
これまで一度も与えられなかった。
あの日からずっと、彼のことがアリスには分からない。
「生きてるかな?」
小さくつぶやく。
背中を撃ってしまったことも思い出したからだ。
しかも前回、ロデーヌの時とは違って人間の肉体の時に撃ってしまった。
もし魔物の姿だったなら疑いようもなく生きていただろう。
でも、流石の彼でも人の姿で直撃して無事で済んだかは分からない。
「…………」
それから、アリスはもう何も言わなかった。
何か引っかかる気持ちはあったのだが、どうしても言葉にならなかった。
その感情は多分、ごめんなさい……というのとは違う。
だってそもそも彼が、こんな首輪を放置しているのも悪いのだ。
ノインを手放そうとしたのと同じように、もっと早く壊してくれればよかったのだ。
そうすればアリスも撃たずに済んだし、誘拐されることもなかった。
では助けに来て……というのも違うだろう。
彼に対してそんな甘えた感情を持ったことはない。
しかし、ならこの気持ちはなんだろうと考えて、アリスはようやく思い至る。
「……ああ、そっか」
やっと分かった。
アリスはただ、少しだけ残念だっただけだ。
彼ともう一度くらい遊びに行ってみてもいいと思っていたから。
花火はなくても我慢する。
別に念入りにプランを組んでくれなくてもいい。
けれどもう一度どこかに遊びに行ってもよかった。
だって素直に楽しかったから。
思ってもみなかったくらい楽しかったから。
あとは、一度くらい愛想よく笑ってみせてくれたらハナマルをあげてもいいくらいに。
なのにそれが叶わないかもしれないのを、アリスは少しだけ残念に感じていた。
「しまったな、恩を返してくればよかった」
今回は仇で返してしまったが、ちゃんと恩を返してくるべきだった。
そうすればまた、恩を売りに訪ねて来てくれたかもしれない。
などと考えて、アリスは小さな息を漏らして笑った。
人生に娯楽がなさすぎて、バカみたいな魔物と遊ぶのが楽しみになっているなんて最低だと思ったから。




