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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
一章・偽りの英雄
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二十三話・決着

 


「形勢逆転……だな?」


 ごく平凡なその家の戸口からゆっくりと歩み出て、ノルトはまとわりつくような笑みを浮かべた。

 アルスの腕を掴んで、人質を見せつけるようにしている。


 そしてアッシュの方はというと、形勢逆転という言葉に違わずその場から一歩も動けずにいた。


「さて、どうしようか。……まずはその、おっかない姿をやめてもらえるか?」

「…………」

「やらないのか?」


 にたりと笑いながら言って、躊躇なくアルスの左腕を捻り折る。


「!」


 さらに、火がついたように泣きだしたアルスの顔をノルトは叩いた。

 にやにやと笑いながらアッシュへと視線を戻す。


「やれ。早く」


 アッシュはその歪な笑みを見つめる。

 次に小さくしゃくりあげながら、泣き声を必死に留めようとするアルスの方を見た。

 数秒迷った後に魔人化を解く。


「…………」


 心臓へと収束するように、黒く焼け尽きた肌が人間の色を取り戻し始める。

 鼓動のうずきが止み、紅く輝いていた瞳が黒に変わる。


 そうして人間もどきに戻ったアッシュは胸の内に思う。

 どうかすれば見捨てなければならないだろうと。


 アッシュが死ねば、こいつはそのまま街の人々を殺すはずだ。

 その多くの人々の命はアルスの、一人の命とは同じ天秤に乗せることができない。

 こうなったのは紛れもなくアッシュの責任だったが、それでも、だからこそ、これ以上被害を広げるわけにはいかなかった。


 助ける機会を見出だせなければ、最悪見捨てる。

 そう腹を決めてアッシュはノルトに向き直る。


「腹を剣で突け。炎は消せよ。死なれちゃつまんねぇからな」


 アッシュは剣の炎を消し、革の鎧を貫いて腹に突き立てる。

 激痛に呻きそうになるが、大きく息を吐いてそれをこらえる。

 そしてノルトの方を睨みつけた。


 すると、悪いことに肉の芽が生えて右腕が再生しかけているのが分かった。

 状況は悪化する一方だった。


「おいおい、急所外してんじゃねぇか。ちゃっかりしてんな、てめぇも」


 だらりと、重い血液が刺した剣を伝って垂れ始める。

 あふれて鎧に染み出し始める。


 しかしアッシュは魔物だ。

 だから、この程度の負傷ならば全く命にも活動にも支障はない。

 血も数分で止まる。


 だから、まだアルスを諦める必要はないと思った。


「抜くなよ、ここからが本番だぜ。今から俺が石を上に投げる。それで、右か左、石が落ちた方に刃を捻れ」

「お前……」


 アッシュは思わずそんな声を漏らし、しかし突き刺さった剣の痛みに言葉を詰まらせる。

 ノルトは構わず石を拾って放り投げた。


 かすむ視界で石の行方を追う。

 放られた石はやけにゆっくりと放物線を描き、右に落ちた。


「じゃあ右だ。やれ」

「…………」

「聞こえないのか?」


 アッシュは訪れるであろう痛みを想像し、冷や汗を浮かべた。

 立っていることすら難しくなり始めている。

 しかし歯を食いしばり刃に力を入れる。

 耐えきれずに膝をつく。

 内臓が容赦なく引き裂かれ、血がとめどなく溢れ始める。

 手が震えて刃が動かない。

 しかしそれでもアッシュは力を込める。


 まだ致命傷ではない。

 そんな言葉を何度も言い聞かせる。

 まだ取り返しはつく。


「は、はは……! こいつ、ほんとにやりやがった……!」


 自らの腹部を裂きながら、剣を引き抜いた。

 するとノルトは耳障りな声を大きくして笑う。

 想定より出血が酷い。

 腹に渾身の力を込めると一時的に血が止まった。


「馬鹿だなぁ。人間ってのは。ホントに通じるとは……まったく、色々試してよかったなぁ」


 殺してきた人間たちにも、似たようなことをして弄んできたのだろう。

 おそらくは人間の心理や弱さを学習するために。


 そんな、糞以下のセリフを吐く声すらどこか遠い。

 アッシュは限界に近づいていた。

 衰弱した中無理に魔人化し、そしてここに来ての重傷だ。

 まともな人間なら立っているどころか命を保つことすら難しいに違いなかった。

 しかし対象的に、ノルトはほぼ全てのダメージを回復している。


 すでに朦朧もうろうを通り越して消え落ちそうになっている意識の中、また楽しげな声を聞く。


「次は胸だ。右胸に突き立てろ。それから左に石が落ちないよう精々祈るんだな」

「…………」

「どうした? やれよ?」


 答えることもままならずアッシュは荒い息を吐く。


 そんな様子に焦れたか、ノルトはアルスに手を上げる。

 手加減はしているだろうがそれでも魔獣に何度も殴られ、ぐったりとした彼は弱々しい息を吐いている。


「やれ! やらなきゃこいつを殺すぞ?」

「その子どもには、手を出すな……」


 やっとのことでそう言うと、ノルトは無表情で声だけを荒げた。


「あ? うるせぇ、俺の勝手だろうが!」


 その言葉に、アッシュはもう潮時かもしれないとそう思った。

 もう見捨てるべきかもしれないと。

 再び殺意を向け始めたことを敏感に察知し、ノルトがさらに何かを言おうとした……その時。

 ノルトの背後、家の隙間の路地から飛び出した誰かがノルトに組み付いた。


「っ! なんだてめぇ!」


 だがノルトはたやすく反応する。

 動きからしてその、誰かはただの人間だ。

 その人間は殴り飛ばされる。

 しかし恐らく、人質に追加するために手加減をされていた。


「何かと思えば人間じゃねぇか? あ? ガキを助けに来たのか? 泣かせるねぇ……」


 ノルトは、無情にも一撃で無力化されたその男を掴み上げる。

 だが、ノルトの意識は確かにアルスから逸れた。


「『魔人化ディストーション』」


 二度目の魔人化をすると同時に、『偽証』によりノルトとアルスの間に壁を作る。

 そして即座に出来るだけ距離を詰めた。

 さらに小さな段差を作ってアルスの足を浮かせ、浮いた足に鎖を投げて引き寄せた。

 多少の傷は負わせたかもしれないが、これが一番手っ取り早かった。


「お前……!!」


 壁を打ち壊したノルトは、アッシュの方を憤怒の表情で睨みつける。

 それから怒りのままに自らを邪魔した男に……ダンに、再生していた右腕の剣を突き刺した。


「ぐあぁぁぁっ!!」


 ダンは悲痛な声を上げて身体を折る。

 ノルトはその髪を掴み上げ、盾のようにアッシュの方に突き出す。


「状況は変わらねぇ! 今度はこいつが人質だ!!」


 ……いや、それは違う。

 ダンは親で、アルスは子だ。

 この魔獣には親子の情は学習できなかったらしい。


 最初から剣すら抜かず、ノルトに組み付いたダンは、()()()()()()が分かっていたのだ。


「おい、あんた。……俺ごとやってくれ」


 震える声で、鼻水も涙も血も何もかもを垂れ流しながらダンが言う。


「お前、何を……!」


 驚愕したような声を上げるノルト。

 アッシュはそれを無視して、声を絞り出してダンに問いかける。


「……いいんだな」

「いいからやれっ!」


 涙をぼろぼろと流しながら叫ぶ。

 そして、その目をぐったりとして動かないアルスに向けた。


「ここに来る途中で、その子の母親の……妻の、死体を見た……」


 歯をガタガタと鳴らして、声は震えを増していた。

 目は涙でぐちゃぐちゃで、口元は苦痛に耐えるように曲がったままだ。


「頼むよ、あんた。……その子を、どうか……危険に晒さないでほしい……。分かるだろう……?」


 泣きながら懇願してダンは俯く。

 そして顔を上げ、強い瞳でもう一度言った。


「頼む……。そしてこいつを、妻の仇を、殺してくれ……!」


 こんな時、いつも綺麗事は役に立たない。

 正義の勇者も現れない。

 ここにいるのは役立たずの魔物だけだ。


 だから今、アッシュがやる必要があった。

 でなければダンの行為は無駄になる。


「……『炎剣フレイムアーツ』」


 剣に炎を纏わせた。


「おい、嘘だろ? 俺ごとやるのか、こいつを?」 


 そんな声を無視して、アッシュはノルトを殺すための言葉を重ねる。


「『偽証イグジスト』」


『偽証』により、アッシュの周囲には炎を纏った剣が十数本現れ地に突き立つ。

 本来ならエネルギーのような無形のものは作れない。

 しかしすでに存在する『炎を纏った剣』を模写するというやり方でなら、限られた時間だけ現界させることはできる。


「てめぇもてめぇだ! いいのか? 死ぬんだぞ?」


 焦りをあらわにするノルトに、歯を食いしばったダンは何も答えない。

 恐らくは下手に挑発して、なにかの拍子に逃げられたりしないようにと思っているのだろう。


「……かさなれ」


 『器』のメダルを手に取ってそんな詠唱を口にすると、周囲の剣から炎が浮いて、アッシュが掲げた一本に集まる。

 そして生まれた塔のように巨大な炎の剣が、絶大な熱量を吹き荒らす。


「――――『暴走剣オーバーフローアーツ』」


 これは、勇者の聖剣ではない。

 固有聖剣術式……勇者が持つそれには遠く及ばない、形ばかりの真似事の魔術だ。

 だが、今この場においてそれは、確かにノルトを一撃で屠るだけの威力を秘めている。

 その事実があれば十分だった。


 間近に迫る死を理解し、ノルトが絶叫する。


「クソがぁぁぁぁァァァァ!!!!」


 アッシュが剣を振り下ろすと、膨大な炎が解き放たれる。

 ノルトはダンを突き飛ばして背中を向けた。

 だが次の瞬間には視界すべてを炎が埋め尽くしていて、恐らくは逃げ切れずに焼かれた。


 轟音が響き、焦げ付いた瓦礫の山と化したあたりを静寂が覆う。

 アッシュは魔人化を解いて膝をつき剣を捨てる。

 もう一歩も動くことはできなかった。


「……お父さん?」


 手をついて身体を支えていたアッシュは、そんな声を聞いた。

 気絶していたアルスが音で目を覚ましたのか。


「お父さん、どこ?」


 足は鎖のせいで怪我をした。

 だから探しに行くこともできず、アルスはアッシュのもとに這ってくる。

 それから、無事な右手で背を揺すってきた。


「あの、お父さんを見てませんか? 僕のこと助けてくれたんだ。ねぇ、ねぇ……」


 なんと言えばいいのか分からなかった。

 かける言葉が何もなかった。


「怪物はもういないの? お父さんがやっつけてくれたの? ねぇ……」

「…………」

「ねぇ…………」

「殺した」


 その言葉に、アルスは表情を凍らせる。


「え……?」

「お前の父さんは魔獣の動きを止めた。そして、俺はお前の父親ごと魔獣を殺した」

「嘘だ……!」


 アルスは尻もちをついて、いやいやをするように首を振る。


「嘘だ……! 嘘だ嘘だ嘘だ! お前は嘘つきだ! 勇者なんかじゃない!!」


 泣き出したアルスを横目に身体を横たえる。

 そして考える。


「…………」


 先ほどの魔獣はなんだったのだろうと。

 あんな魔獣は見たことがない。


 あの知能は、剣術は、人の姿は、何だったというのだ。


 と、そんなことを考えた時。


 糸の煙が二つ、アッシュの身体に纏わりつく。

 そして取り込んだ際の感覚に目を見開く。


 これはどちらも人の魂だ。


 片方はダンのものだとして、もう一つの魂についてもきっとそうだった。

 少なくとも魔獣ではなくて、ほぼ間違いなく人の魂だ。


 その意味を考え、アッシュは悟る。


 ノルトの意味深な言動、狼の魔獣、地図の書き込み、見つからない支門、全ての手がかりが繋がった。


 あの魔獣の、正体は……。


 伝えなければ、とアッシュは思う。

 そしてその時、ちょうど沢山の人間が駆け寄ってくる音が聞こえた。


「なんだこれは……!!」


 グレンデルの声だった。

 どうやら作戦を終えて帰還し、この騒ぎを聞いたらしい。


「なんなんだ……! なんでこんなことに……!! クソッ! クソッ!! クソッ!!!」


 惨劇の街を見回し、絶望に満ちた声で叫んでいた。

 そして、今にも倒れ伏そうとするアッシュを見つけて、義足のせいかつんのめりながらも駆け寄ってくる。


「これはなんだ! なにがあったんだ! どうして、どうして……どうして、こんなことに……!!」


 グレンデルはアッシュの胸ぐらを掴み上げる。


「お前はなにをしていた! やったやつはどこだ! 答えろっ……!!」

「グレンデル……聞け……!」


 アッシュはなんとか声を絞り出して、グレンデルに魔獣の正体を告げようとする。

 が、とても耳を傾けてはくれなかった。


「なぁ、もしかして、俺が、お前を信じなかったからか……? だから、こんなことに……? いやだ、こんな……!!」

「グレンデル、門衛は……!」


 しかしグレンデルは話を聞こうとはせず、ぼろぼろと涙を流して崩れ落ちた。


「アッシュ、すまない。謝るよ、だから何とかしてくれ……! 俺はこんなのは嫌だ。どうして……!」

「いい加減にしろこの馬鹿がっ……!」


 この期に及んで現実逃避をするグレンデルを殴り、倒れた体にもつれるようにして馬乗りになる。

 そしてもう一発殴り、彼の耳に口を寄せて囁く。


 そうする以外には言葉を伝えられないほどアッシュは弱っていた。


「街を襲った魔獣は、門衛は……生物に寄生する。そして身体を作り変える。中位寄生体と似たようなものだ。だから、誰も死体には近づける、な……」


 そこまで言いながら、やけにはっきりとグレンデルが息を呑む音を聞いた。


 全てを告げたアッシュはグレンデルの横に倒れ込む。

 そして消えゆく意識の中、呆然と立ち上がる彼と目が合った。


 とても、どうしようもなく、悲しい目をしていた。



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