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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
四章・底のない呪い
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十七話・暇つぶし(2)

 



「でも、よく考えたら変だと思いませんか?」


 急にアリスがそんなことを言った。

 二人でカースブリンクの結婚式を見物しているところだった。

 婚礼は広場で行われていて、その片隅のちょっとした段差に並んで腰掛けている。

 そうして遠くに見える様子を眺めていた。


「変とは?」


 アッシュは特に振り向かずに答えた。

 結婚式はアッシュが知る作法とは違う方式で進んでいる。

 今は新婦の前で、新郎が参列者の男たちと戦っていた。

 参列者で輪を作って囲んで、一人ずつ新郎と拳を交える。

 参列者も新郎も上を脱いで半裸で殴り合っている。

 なんのためにこんなことをするのかは知らないが、不思議と目が離せなかった。

 なにか思い出せそうで思い出せない……どこかつっかえたような感覚がずっとあった。

 やがて新郎が一人を打ち倒すと、歓声とともに周囲から花びらが投げられる。

 このあたりは温暖なので冬でも花があるのだろうかとアッシュは思う。


 次の相手が出てきた。


「ほら、だってすごく野蛮な国だって聞いてましたけど……大人しいものじゃないですか」


 こう言われると違和感を覚える。

 敵を串刺しにして国境に飾った、凶暴な戦士たちの国だとは思えない。

 今はキメラのなすがまま、どれだけ屈辱的な仕打ちを受けてもじっと俯くだけだ。

 そして、これは確かにおかしな話である。

 ただの人間がキメラに抗うのは無駄な行為だが、全員が理性的な判断を下せるわけではないはずだ。

 暴走した一部がキメラに反乱を起こす、というのは決してありえない話ではない。

 なのにこの国は静かなもので。


「……人質かな」


 アッシュは小さくつぶやいた。

 聞かせたつもりはなかったが、アリスには聞こえていたようだ。

 不思議そうな声で問いを返してくる。


「人質とは?」

「まぁ、すぐに分かる」


 婚礼を見つめながら答えた。

 キメラは人質を取っている。

 それも、カースブリンクの人々にとって大切な存在をだ。

 確かにそうでなければ説明がつかないことばかりだった。


「今教えなさいよ」


 不満そうに言ってアリスが杖を脇腹に押し付けてきた。

 面倒に思いながら黙っていると、もう何も言わなくなった。

 しばらく脇腹を攻撃したあと、諦めて婚礼に目を向ける。


「…………」


 アッシュには、人質にされている人物に心当たりがあった。

 しかし言わなかったのは、情報を与えすぎないほうがいいと思ってのことだった。

 つまり、協力させた際に首輪の起動が起こりにくくなると考えていた。

 何もかも知った上で行動をするのと、知らずにやるのでは首輪の反応も違ってくるだろう。

 彼女がすんなり諦めたのもそれを分かってのことだ。


「そろそろ行こう」


 やがて新郎の殴り合いが終わったのでそう言った。

 するとアリスが笑う。


「あなた何を見に来たんですか」


 殴り合いだけ見て帰るのはもったいないということだろう。

 ちょうど来た時には戦いが始まろうとしていたので、今立ち去ると本当にあれを見に来ただけになってしまう。

 しかしアッシュはなんだかもう興味がなくなってしまったのだ。


「いや、もういい。市場の方に行く」

「勝手な人ですねぇ。……見たかったのに」


 不平を言いながらもアリスは腰を上げた。

 喪服のスカートの裏についた、土ぼこりを軽く払っている。

 彼女は結婚式というよりは葬式にふさわしい格好をしていた。


「市場って、アッシュさんはお金を持ってるんですか?」


 歩いているとアリスに聞かれた。

 短く答える。


「持ってるよ」


 恩を売りに行くということで、金銭を要求される可能性もあると思っていた。

 なので換金した分をいくらか持ってきている。

 よって遊ぶくらいの金はあるはずだった。


「…………」


 何も言わず歩いていく。

 するとやがて市場と思しき通りに出た。

 他の国に比べてかなり規模が小さく、また人通りも少ないが商業活動が行われている。

 印象としては露店のようなものは少なく、少ない代わりにどれもしっかりと店を構えているようだった。

 道の両脇に店舗が軒を連ねている。


「言葉分かりませんけど、どうします?」


 アリスがにやにやと笑って聞いてきた。

 だがアッシュはそんなことはないと思う。

 首を横に振った。


「通じるはずだ。この国の市民は軍事訓練を受けている」


 聖教国の言葉は世界中のどこでも通じる便利な言語で、なおかつ魔術の詠唱に用いる。

 幼い頃から軍事訓練を受けるという、この国の住民ならば話せてもおかしくはない。

 とはいえそこまで流暢ではない気もしていた。

 だからこそキメラの演説は兵士たちによって翻訳されていたはずだ。

 もしかすると、魔術の才能がないと分かった時点で学ぶのをやめたりするのかもしれない。

 けれどそれはともかく、ごく簡単な会話くらいはできると見積もっていた。


「これ、きれいな布ですね」


 ふらふらと店に立ち寄って、アリスが店先に並んでいた布を手に取った。

 赤い色の、羊毛の肩掛けだ。

 滑らかな布地には美しい刺繍が施されている。

 肩にかぶせて彼女は微笑む。


「どうです? 似合いますか?」

「分からない」


 喪服に赤い肩掛けはあまりにも浮いて見える服装だった。

 だから分からないと言葉を濁すと、アリスは小さくため息を漏らす。


「はぁ? じゃあ似合うの選んでくださいよ」


 元のように布を戻しながら、非難するような顔でこちらを見てきた。

 アッシュはそれに答えようとするが、その前に店から出てきた誰かが話しかけてくる。


「二人で来たのか?」


 壮年の、痩せていて背が高い男だ。

 警戒心の強そうな瞳がアッシュを見据えている。

 声はどこか片言だったので、話すのが得意ではないのだろう。

 アッシュはゆっくりと発音をして答える。


「そうです」


 トラブルは避けたかったので丁寧な口調で言った。

 すると男性は黙り込んで、外を何度も見回す。

 まるで誰かの目を恐れているかのような振る舞いだった。

 旅人に邪険にしてはならないという決まりでもあるのかもしれない。

 それはともかく、彼はしばらく周囲を探った後でアッシュに視線を戻した。

 低い声で言葉を重ねる。


「お前たちには、売らない。出て行け」


 なまりのある、たどたどしい声だった。

 アッシュはこの反応も予想していたので素直に従うことにする。

 騒ぎを起こしたくはなかったし、彼らの国に無理やり立ち入っているのはこちらなのだ。


「分かりました。すみません。……でも、いい品物でした」


 アッシュにしては珍しく、かなり気を遣って言葉をかけた。

 けれど男性は黙ったまま睨みつけている。

 織物を褒めた程度で打ち解けることは難しそうだった。


「行こう、アリス」


 有無を言わせないつもりで、喪服の袖を引いて立ち去る。

 その手はすぐに振り払われたが、特段逆らうこともなく彼女はついてくる。

 顔を見ると、どこか物憂げな表情を浮かべていた。

 予想とは違う反応だったので、何を考えているのか気になってアッシュは歩きながら問いを投げる。


「よく引き下がったな」


 争いになることも覚悟していたのだ。

 アリスは危害を加えられると怒るタイプだったから。

 しかし彼女はこちらを向いて、小さく首を横に振る。


「悪いのは私たちでしょ」


 悪いのが相手ではないなら怒らないということだ。

 別にアッシュたちが彼らになにかした訳ではないが、確かに恨まれるだけの理由はあったのだ。


「…………」


 まず、過去には教会がこの国の信仰を弾圧した。

 加えてキメラが尊厳を踏みにじった。

 おまけに外から異教徒を国に呼び込み始めている……とでもカースブリンクの人々は思っているだろう。

 好ましく見てもらえるはずもなかったのだ。


 とはいえこれは話し合っても仕方がないことである。

 なので別の話題に移ることにする。


「市場はやめておくか」

「え?」


 アリスが虚をつかれたような顔でこちらを見た。

 同じように目を見つめ返しながら、アッシュは言葉を足しておく。


「ここでは恩を売れそうにない」


 恩を売るには、もっと楽しい場所に連れて行く必要があるという意味だ。

 すると彼女はくすくすと笑う。


「まぁ、恨みは買えそうですがね」

「……それは間に合っている」

「さすが、世界一嫌われている悪魔」


 アリスは冗談のように言ったものの、実際にそうだった。

 大勢の人間から嫌われて、悪い噂をひっきりなしに立てられている。

 耳に届く話といえば、人を頭から食うだとか、血を飲んで生きているとか、三本目の腕で人を殴るのが趣味だとか、いたいけな少年のパンを強奪したとか……そんなものばかりだ。

 世界で一番嫌われている自信があった。


「実は悪魔ではなく、人類に奉仕する奴隷なんですけどね」


 いたずらっぽい口調で言った。

 まだこの話を続けるつもりらしい。

 人に奉仕する奴隷とは、昼も夜もなく魔獣を殺していることを指しているのかもしれない。

 とはいえなんでもよかったので適当に返事をした。


「そうだな」

「悔しくないんですか?」

「別に」


 気にしていないし、そもそも自分が悪くないとも思っていなかった。

 人を救えなかったこともあれば、他人に配慮できずに傷つけてしまったようなことも多い。

 あとは、面倒を嫌って上手く立ち回ろうとしてこなかったという自覚もある。

 なら嫌われるのは当然のことだと受け入れていた。


「あの、例の犬のかぶりものすれば人気出ると思うんですけど」

「……まだ持ってたのか」


 そんな風にぽつりぽつりと話しながら歩いていく。

 すると行き先が気になったらしく、少ししてアリスが問いを投げかけてくる。


「ところでアッシュさん、どこに行ってるんですか?」

「あそこに」


 答えながら右手の人さし指で指し示す。

 アリスがそちらを見た。

 大きい建物があるのが見えたはずだ。


「あれはなんですか?」

「知らない」

「じゃあなぜ?」


 別に大した理由はなかった。

 アッシュは短く言葉を返す。


「大きな建物があるから、見てみようと思った」

「あなたって、実は田舎者ですか? 発想がおのぼりさんですよ」


 そんなことを言う彼女は呆れたような顔をしていた。

 しかし以前、田舎の村の出身だと話したことがあるはずだった。

 もしかすると覚えていなかったのかもしれない。

 と、考えているとアリスが声を漏らす。


「ああ、田舎の村で生まれたんでしたっけ」

「よく覚えていたな」

「別にそんなに前の話じゃないでしょ」


 そうだったかと思う。

 いつ話した、というようなことまでは覚えていないので実感は薄い。

 さらにからかうようにして彼女が話を続けた。


「大きい建物が好きなんですか?」

「いや、そんなことはないよ」


 周囲を見回した時、目についたから選んだだけだ。

 完全にあてもなく歩き回っているが、この国が誰も来たことがない場所であると考えればそこまで退屈ではなかった。

 そしてアリスも別に文句はないらしく、横に並んでついてくる。



 ―――



 結局、かなりの時間を歩き回ることになった。

 そろそろ帰ろうかと思い始めた頃には、もう太陽が夕日になりかけていた。


「ちょっと、早く動いてくださいよ」


 アリスがそんなことを言う。

 今は二人で子供の公園の謎の遊具で遊んでいるところだった。

 何故か名前を知っているアリスによると、この遊具はシーソーと言うらしい。

 長い木材の両端に二人で向かい合って座って、交互に跳んでガタガタと上下するだけの遊びだ。

 しかし彼女も初めて体験するらしく、まぁまぁ楽しげに遊んでいる。


「すまない」


 そう言ってアッシュは軽く跳んだ。

 するとアリスが落ちてこちらが浮かぶ。

 装備もあってアッシュのほうが重いので釣り合わないだろうと思っていたが、座る位置を前に出すと上手く釣り合って遊ぶことができた。

 誰が考えたのかは分からないが上手い仕組みだと思う。


「まだやるのか?」


 何度か動いたあとアッシュはそう聞く。

 他の遊具でも遊んだが、彼女はこれが一番気に入っていた。


「中々楽しいですよ」

「そうか」

「バカみたいに思いつめた顔をした人が、幼稚な遊具で跳ねている姿はクセになりますね」


 言われて、アッシュは自分の顔に触れる。

 どんな顔をしているのかは分からなかった。

 しかし彼女の言う通りの顔をしているというのなら、そんな人間が遊具にまたがっている姿はシュールで楽しめるのかもしれないとも思う。


「…………」


 しばらくそうしてシーソーを続けていた。

 だが、段々アリスの顔がつまらなさそうになっていく。

 最初は薄笑いを浮かべていたが、最後には完全に飽きてしまっていた。


「もういいです、やめます。一生分やりました」


 言い終わるかどうかというタイミングでさっさとシーソーから降りてしまう。

 アッシュも続いて地面に降りた。

 そしてなんとなく彼女を見ていた。


「…………」


 目が合って、数秒間そのまま黙っている。

 先に口を開いたのはアリスだった。

 どうやらもう、うろつき回るのもおしまいにするらしい。


「今日はまぁまぁ悪くありませんでしたよ。なので私も、恩を返してあげましょう」

「……ありがとう」


 アッシュは一言だけ言葉を返した。

 きっとあまり楽しませられなかったから、かなりおまけをしてくれたはずだっだ。

 申し訳ない気分になって俯く。

 思えば彼女は、首輪の苦痛を受けるかもしれないリスクを負うのだ。

 なのにアッシュは、恩を売ると言いながら釣り合うだけのことをなにもできなかった。

 それに自己嫌悪を感じる。


「ねぇ、どうして賭けを受けたんですか?」


 アリスがそんなことを聞いてきた。

 だから顔を上げて答えようとしたが、何を言おうか迷ってくちごもってしまう。


「…………」


 本当のことを言うつもりはなかった。

 なのでちょうどいい嘘を考えて口にする。


「ロスタリアで暴走したあと……サティアの目を潰してしまったんだ。その詫びで手伝うことにした」

「嘘でしょ?」


 バレているようだった。

 じろりと睨みつけてくる。

 何故バレたのかは全く分からなかった。


「…………」


 本当のことを言いたくないと思う。

 けれど最悪アリスには言ってもいい気がする。

 アッシュが魔王と心中するつもりであること、サティアにノインを任せようとしていること……それらを知られても問題はない。

 なにしろ彼女は、アッシュが死のうがどうでもいいと思っているはずだから。

 しかしやはり、嫌がらせでノインにバラされたら困るという問題もある。

 よってここは黙秘を貫くことにした。


「お前は秘密を守れないから言わない」

「いいえ。絶対に守るから言いなさい。じゃないと恩は踏み倒します」


 アッシュは小さく鼻を鳴らした。

 信用できないと思うが、こうも強く出られては仕方がなかった。

 それに言うことにはメリットもある。


 つまり、賭けに勝つことでノインの身柄はサティアに保護してもらえる。

 これはアリスもきっと望んでいることだ。

 なので、伝えることでもっと協力的になってくれる可能性がある。

 だから素直に言ってみることにした。


「……賭けに乗る代わりに、サティアにノインのことを頼みたかった。俺はもう、魔王を殺して死ぬからな」


 するとアリスは深いため息を吐いた。

 本当に呆れ果てたような深い息だった。

 そして、アッシュをじっと見つめて問いかけてくる。

 よく分からない表情だった。


「本気ですか?」

「なにが?」


 何をいまさら聞いているのか理解できなかった。

 だから首を傾げると、彼女は苛立たしげに言葉を重ねる。


「本気で、そうやって死ぬつもりですか?」


 アッシュは混乱していた。

 なぜこんな風に怒って問い詰めてくるのかが分からなかった。

 王都で余命がないと告げた時はなんとも思っていなさそうだったのに。

 ……と、考えて思い直す。

 そういえばあの時も少しだけ怒っていたかもしれない。

 そして怒ったのは、アッシュがすんなりと死を受け入れたからだ。

 泣き叫ぶ姿を見たかったからだ。

 では今そうするべきなのかと悩む。


「…………」


 しばらく考えていたが、自分がどうすべきなのかがいまいち分からなかった。

 また、演技をするのが難しかったというのもある。

 なので結局、アッシュは普通に答えることにした。


「そうだ。役立たずの無能だからな。他にできることがないんだ」


 せめて惨めな死を迎えるのだと思ってほしかった。

 首輪を使っていたクズは、哀れで無様で人に笑われるような死に方をするのだ。

 そんな風に、少しでも気が晴れるような言い方を選んだつもりだった。


「……!」


 だがアリスの反応は想像とは違った。

 小さく息を呑んで、理解できないとでも言うように首を横に振った。

 そして答えたのは少し疲れたような声だった。


「あなた、おかしいですよ。……やっぱり」


 これになんと返すべきか分からなくて頭をかいた。

 アッシュがおかしいことなど分かりきっていたことだ。

 今さらそんなことを言われても困る。

 だから適当に受け流して、最後に一つだけ確認をすることにした。


「まぁな。……それで、恩は返してもらえるか?」

「返しますよ。返せばいいんでしょ」


 何故かまだ怒っている。

 アッシュはうんざりして、別れを告げて立ち去ることにした。


「ならいい。また明日会いに来る」


 手伝いは明日だ。

 なので今日はもう背を向けた。

 アリスは返事をしなかったが、特に呼び止めたりすることもなかった。

 一人で公園を出て、次に何をするかについて考え始める。



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