二十二話・火刑の魔人
魔物とは、他の生物を殺すものだ。
かつての同種だろうが捕食者だろうが関係なくあらゆる生物を喰らうものだ。
故に魔物は身の内に、他者殺害に特化した器官を形成する。
より魔力の大きな……つまりはより強い獲物を仕留めるために作られたそれは、人智を超えた現象を引き起こす。
そして魔物の力を畏怖する人々によってそれは殺戮器官と、そう呼ばれていた。
―――
火刑の魔人。
それがその怪物の名前だった。
剣を引き抜いたアッシュは切っ先をだらりと垂らし、左手にメダルを握り口を開く。
「『炎剣』」
より魔物に近づくほどに、アッシュの魔術には魔法の性質が混ざる。
そして、それによりさらに簡易化された発動過程をもって『炎剣』が発動した。
が、その規模は常のものの比ではなかった。
赤い炎はもはや剣が見えないほどに肥大していた。
荒れ狂う火が地を焦がし石畳を舐める。
それは、ノルトの雷と比べても圧倒的な出力だった。
「おい魔獣。お前、恐怖は感じるのか?」
挑発するようにアッシュがそう言うと、ノルトは造りものの怒りを浮べて飛びかかる。
「前のようにいくとでも!」
雷の刃を振りかざして、ノルトはよくわからないことを言う。
それにアッシュは一瞥をくれた。
「『炎杭』」
連続で三発の杭を撃ち込んで、それでノルトの足が止まる。
「ふざけ……!」
手で身体を庇うように構える相手に、アッシュはさらに炎の杭をぶつける。
するとノルトは獣のような声を上げつつ、弾幕を無理に突破して打ち込んできた。
だが、とにかく一撃を叩きつけることしか頭にないノルトの打ち込みはあまりに隙だらけだった。
「『偽証』」
アッシュがその言葉を呟いた瞬間、全力で突貫してきたノルトの顎を、突如出現した金属の柱が打ち上げる。
「がっ……!」
体勢を崩したところで胸に一撃。
ノルトの表皮は堅かったが、それでも直撃なら亀裂が入る。
「て、めぇ!」
反撃のために横薙ぎを放つ腕は、また現れた柱により半ばで止められる。
刃を止められはしないだろうが、それを振るう腕であれば簡単に止まる。
「…………!」
止まったノルトへ、アッシュはさらに上段からの一撃を浴びせる。
するとたまらず離れようとするが、なんの前触れもなく背後に出現した壁により進路を阻まれた。
そして、追撃の横薙ぎをまともに喰らう。
吹き飛び、壁を突き破ったノルトを、アッシュはゆっくりと追跡する。
そして壁の残骸をまたぐと、それは灰と散って跡形もなく消えた。
この、アッシュの殺戮器官は、この世にかりそめの実体を産み落とす力を持っている。。
生物は不可能だが、形あるものならばある程度のものは自在に作り出すことができる。
とはいえ大した量を作り出せる訳ではないので、膨大な質量の落下で殲滅するような真似はできないが。
「クソ……! なんで、お前、前より強くなって……!」
「前? どうも魔獣が話すと、戯言しか言えないらしいな」
前がなにかは知らないが、魔獣がご丁寧に人の形になって、わざわざやりやすいように合わせてくれているのだ。
勝てない道理もない。
しかしそれでもその、前という言葉にかつて倒した門衛を思い出す。
「だが、お前と似たような魔獣とは戦ったことがある」
ノルトが正体を現した時にも思ったが、この魔獣はどこかあの狼の魔獣に似ているし、それに。
「あいつも、お前と同じように傷を塞いでいた。何か関係があるのか?」
ノルトの傷は完治していた。
アッシュがつけた三つの斬撃の跡は、もはや影もなく消え去っている。
あの狼と同じだった。
「……まぁ、いい。口を利ける魔獣は珍しい。精々いたぶらせてもらう」
いたぶって聞き出す。
門のことも、あの狼との関係のことも。
そう決めて駆け出す。
するとノルトはアッシュの言葉をせせら笑った。
「いたぶるだと? 俺がどれだけ人間を殺してきたと思ってる?」
どうやら、人間を殺して妙な自信をつけていたらしい。
だが、今はそんなものに意味はない。
何故ならアッシュは人間ではないからだ。
「残念だったな。……俺は人間をやめたんだ」
ノルトの剣を受けて容易くはね返す。
まともな打ち合いでも負けるつもりはなかったが、小細工を駆使して戦った。
『偽証』により足元に些細な段差を作り、あるいは障害物を設けることで一方的に相手を打ちのめす。
障害物に阻まれ、腕を振れなければ……刃は決してこちらに届くことはない。
「なんでっ! 当たんねぇんだ! どいつもこいつも……俺の剣で……! 死んでたのに!」
そう吠える敵の右腕が爆ぜる。
腕にまとわりつくように雷光が膨れ上がり、渾身の突きが放たれる。
アッシュはそれを半身になってかわす。
と、同時に自らの背後……刃が突きが刺さるであろう地点に頑丈な鉄の壁を作る。
「このっ!」
骨の剣は、その威力により分厚い壁を貫いて突き刺さる。
だが、それはノルトの動きが拘束されることを意味していた。
体に一体化した剣が壁に埋まってしまえば、すぐには動けず停止してしまう。
だから壁に刺さって伸びたままの腕に、即席で作った戦槌を振り下ろす。
「ぐあぁぁぁぁぁぁ!!!」
巨大な槌を全力で叩きつけられた。
腕は壊れはしなかったものの完全に折れた。
骨格の一部が粉砕され、変形してもなお、いまだ突き刺さっている腕を見る。
痛みにかノルトは崩れ落ちていた。
だから、アッシュはその足にも槌を叩きつける。
関節部に何度も何度も叩きつけて破壊する。
逃がさないためだ。
「…………」
十分に破壊したあと壁を消し、槌を捨て、燃える剣を拾った。
痙攣するノルトの醜悪な顔を蹴飛ばす。
さらに踏みつけて転がした。
「おい。立てよ、クソ袋」
「……っ! いい加減にしろ……! てめぇっ!!」
最優先で足を回復させたのか、ノルトはすでに立ち上がろうとしていた。
しかし哀れなほどにふらついている。
だから、顔に渾身の斬撃を叩き込んで吹き飛ばす。
「どうした。オブジェとやらになりたいのか? 芸術熱心も極まると考えものだな」
「お前、絶対に殺して、やる……!」
しかし、それにしてもノルトは堅かった。
前戦った狼はノルトの何倍も速くて力強かったが、それでも脆くて燃える剣を叩き込めば布のように切り裂かれていたものだ。
もっとも、ヒトの出来損ないのようなノルトよりはあちらが強かった。
なのでやはり別個体なのだろうが。
「クソ……! つぎ、こそは……!」
重心を崩しながらも立って、ノルトは無様に背中を向ける。
逃げ出したその右腕に鎖を投げ、巻きつける。
「次はない。お前はここで死ぬ」
ノルトは、鎖を引き寄せようとするアッシュに抗う。
しかし弱り切っていたためそれも大した障害でもなかった。
力で勝るアッシュの方に、ノルトは着実に引きずられていく。
「…………」
しかし、ここで死ぬとは言ったが、言葉とは裏腹にまだ殺す気はなかった。
これから拘束し、拷問にかけて門のことなど聞き出す必要がある。
そのためにどう捕まえるかを考え始めた、その時。
唐突に、ノルトの右腕が肩口から切り落とされた。
いや、むしろ切り離されたと言うべきだろうか。
肩の肉から触手のようなものが蠢き、右肩を切り離したのだ。
「ははっ!」
ノルトはしてやったりと笑みを浮かべ走る。
アッシュは即座にその前方に壁を作り出し、一瞬の後には右側にも壁を作る。
そうして次は左に壁を作り囲もうとするが、ノルトは囲いが出来上がる前にまろびでて、アッシュの視界の外、つまりは民家の中へと扉を蹴破って入り込む。
「…………」
悪あがきだ。
何も言わず、鎖に絡め取られていた腕を放り捨てた。
それから後を追う。
そしてドアをくぐると、案の定待ち伏せていたノルトの蹴りが放たれた。
それは本来ならたやすくかわせる程度のものだった。
しかし、それでもアッシュは避けることができなかった。
何故なら、避けるのを忘れるほどに悪い光景を見たから。
「はっ、はは……! 俺は運がいい」
耳障りな声で笑うノルト。
迂闊だった。
ノルトは人質を取っていた。
恐らくは家の中に隠れていたであろう子供。
アッシュにも見覚えがある……アルスという名の子供を、ノルトは人質に取っていた。
「形勢逆転……だな?」
がたがたと震えて涙をこぼす少年を押さえつけ、ノルトは醜悪な笑みを浮かべた。