表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
四章・底のない呪い
227/250

十二話・決断

 



 例の長机で食事を終えて、アッシュとノインだけが謁見の間に残される。

 封印と治療のためだ。

 そして封印の方から先に行うことになって、今はキメラと二人で向き合っていた。

 アッシュは長机の横で椅子に座っていて、前に立った彼女がこちらに杖を向けている。

 ノインは邪魔にならないようにと言って、少しだけ離れた場所に立っていた。


「…………」


 無言のまま杖を向けられて、ずっと封印が続く。

 かなりの勢いで体が動かなくなっていった。

 その効果は本当に桁外れだった。

 明らかに精神が落ち着いていくのを感じる。

 人格というものが、こうも大きく変わってしまうのだということに今さらながら恐怖を覚えた。

 死を恐れるつもりはないが、狂って人を襲うようになるのは何よりも恐ろしかった。


「さぁ、終わりましたよ。ご加減はいかがでしょう?」


 キメラがアッシュの顔を覗き込んでくる。

 指一本動かせなかったが、なんとか言葉を返そうとした。


「…………っ」


 だがまともにろれつが回らない。

 半開きの目でじっとキメラを見つめて、首を小さく縦に動かした。

 体が動かないだけで、本当に気分は良かった。

 食事のあとさえずっと続いていた空腹感が薄れている。

 苛立ちもずいぶん良くなった。


「そうですか、良かったですわ」


 にこにこと笑って、彼女は隣の席に腰掛けた。

 ノインも終わりを察してか近寄ってくる。

 じっと顔を見つめてきて、ほっとしたような表情を浮かべた。


「良かった、なんだか……落ち着いたみたいですね」


 その言葉で、ノインに気を遣われていたことが分かった。

 ずっと苛々していたのも分かっていたのだろうか。

 表情はいつも通り、取り繕えていると信じ込んでいたが、人に迷惑ばかりかけている自分が惨めに感じる。


「……すま、ない」


 弱々しい声になったが、謝罪の言葉を伝えた。

 すると彼女は優しく笑いかけてきた。


「いえ。まだまだ一緒に旅をしましょうね」


 そんなことを言ってくる。

 でもアッシュはよく分からなかった。

 なぜこんな、魔獣の駆除ばかりしている人間についてくるのか理解できない。

 つい、思わず問いを口にしてしまった。


「なにが、楽しい?」


 そう伝えると、ノインは首を傾げた。

 だからアッシュはもう一度言葉を重ねる。


「少しでも、なにか、楽しい……ことが、あったか?」


 息が途切れて、話すのも一苦労だった。

 絞り出すような声で呼びかけると、彼女はゆっくりとした口調で答える。


「……一緒に外で、食事をしましたよね。それが、楽しかったですよ」


 宿場町の話だろう。

 アッシュはどれだけ食べても空腹が収まらないので苛々しながら食事をしていた。

 でも思えば彼女は楽しそうにしていた。


「メニューを読んでみたり、たくさんお話をしながら食事ができて……楽しかったです」


 彼女は文字を読めなかった。

 そして、彼女は声を出してはならなかった。

 だから文字を読んで、食事をしながら会話をするという当たり前のことさえ楽しいと思う。

 でも本当は、こんなことはごくありふれた普通のことだった。


「……………」


 何も言えずにいると、彼女は少し照れたようにはにかむ。

 アッシュの目をじっと見て言葉を続けた。


「それに、おかわりのことを気にしてくれましたよね。いつも、嬉しいですよ」


 彼女はよく食べるが、自分では決しておかわりを言わない。

 だからアッシュが聞くのは半ば習慣のようになっていた。

 それが嬉しいのだと彼女は言っている。


「早く元気になって、また一緒に食事をしましょうね」


 なんとも無邪気に微笑んでいる。

 アッシュが何かを答える前に、キメラが横から口を挟んだ。


「あら、あなたにも治療があるのをお忘れではありませんか?」


 言われて、ノインはバツが悪そうな顔になる。

 不安そうな気配も少しあった。


「あの……そんなに、悪いんでしょうか?」

「ええ、まぁ。でも治せます。心配はいりませんよ」


 キメラは治ると言ってくれた。

 だからノインは安堵のため息を吐く。

 それから丁寧に、低く礼をした。


「色々、ありがとうございます」

「いいえ。気にしないでください。でも、しばらくは戦わず、私と一緒にいてもらいますからね」


 短い会話の後、キメラがこちらに目を向けてきた。

 笑みを浮かべていたが、どこか獲物を物色する蛇のような不気味さを感じた。

 アッシュの右腕をじっと見て、くすりと小さく息を漏らす。


「では、私はこの子を治療してきます。よければ賭けの件もどうか……考えておいてくださいね」


 薄笑みを残して、彼女はノインを連れてどこかに行ってしまう。

 ぞろぞろと護衛がついて行って、この場に残ったのはアイズだけだった。

 落ち着くまでここに座っていていいそうなので、体が動くようになるまでじっとすることにした。

 そして、はっきりしてきた頭でこれからのことを考える。



 ―――



 やがて体の自由を取り戻し、アイズと共に部屋の外に出た。

 廊下にはアリスとサティアが立っていた。

 まずはサティアが声をかけてくる。


「あら……遅かったじゃない。どう、気分は?」

「良い」


 言葉通りの本心だった。

 生き返ったような気分で立っていた。

 すると、共に部屋を出たアイズが声をかけてくる。


「あの、よろしければお部屋に案内いたします。きっと宿が必要でしょう」

「助かります、どうも」


 反応したのは、杖にもたれかかるように立っていたアリスだった。

 四人で城の中を歩き始める。

 基本的には無言だったが、道中でおもむろにサティアが口を開いた。


「そういえば……良い殺気を、放っている男がいたわね」


 良い殺気とは、つまりはファングという男のことだ。

 するとアイズは困ったように苦笑いを浮かべる。

 褒めているのか貶しているのかよく分からないのだろう。


「ああ、彼は……旧神への信仰が強く……その、現ウォーロードと折り合いが良くないのです」


 取り繕うように言った。

 ファングという男は、信仰を捻じ曲げられたことに激しい怒りを抱いているということだ。

 護衛どころか、これではいずれ暗殺未遂でも起こりそうだとアッシュは思う。

 同じことを感じているのか、アイズも嘆かわしそうに()()()を続けた。


「かつては、ファングも立派な護衛役だったのですが」


 それにサティアが問いを重ねる。


「かつて……といえば、ウォーロード・ゴーストの、時代ね。……そういえば、彼は?」


 前のウォーロードのことも彼女は知っているようだった。

 ふと気づいた様子で言及する。

 けれど、アイズは誤魔化すように笑って何も答えない。


「…………」


 代替わりの過程でなにかあったのかもしれない。

 サティアも大体は察したのだろう。

 それ以上聞こうとすることはなかった。


「不躾なことを、聞いたわね。……非礼を詫びるわ」


 これっきりで会話は途切れた。

 黙ったまま城の中を進み続ける。

 目的地は謁見の間と同じ階層、すなわち城の最上階に設けられている客室だった。

 ただの客室にしては高い場所にあるが、これも来訪者の安全を確保するためなのかもしれないと思う。

 窓に投石くらいはあってもおかしくないので。


「お一人につき部屋を一つ用意させていただきました。どうぞ、皆様でご自由にお使いください」


 アイズが礼をして、アッシュたちにそれぞれの部屋を割り当ててくれた。

 それが済むと足早に立ち去って行く。

 きっと他に仕事があるのだろう。

 ロスタリアとは異なり、特に監視などはつかないようだ。

 だが例の賭けがある以上、頭からそう信じ込むことはできない。

 動向は探られていると思うのが自然だ。


 などと考えながら、アッシュはサティアに声をかけた。


「サティア、良ければどこかで組み手をしよう」

「…………?」


 彼女は不思議そうな顔をした。

 訝しんでいるらしかった。

 なぜなら、アッシュは旅の間にサティアに手合わせに誘われても断り続けていたからだ。

 だから一言だけ付け加える。


「誰か巻き込むと危ないから、()()()()()()()()()()()()()だろう」


 すると彼女は意図を察したようだ。

 内密に話がしたいということだと分かったらしい。

 にやりと笑って頷いた。


「いいわよ。ちょうど、時間があったの」


 そうして部屋にも入らず、二人で連れ立って歩いて行く。

 しかし背中にアリスが声をかけてくる。


「ちょっと、私は置き去りですか?」


 振り向くと、彼女はじとりとした眼でこちらを見ていた。

 とはいえアリスは神官の側だとはっきりしたので、なにか賭けの邪魔をしてくる可能性がある。

 連れて行くわけにはいかなかった。


「お前も手合わせをしたいのか?」


 仮にしたいと言っても断るつもりで聞いた。

 すると小さく鼻を鳴らした。

 つまらなさそうな様子だった。


「いいえ、するものですか」


 いじけたように目を逸らして部屋へと入った。

 それを見届けて、サティアと共に部屋の前を去る。



 ―――



 剣を振っていると分かる。

 封印の影響が体の動きを鈍らせていることが。

 特に左半身の動きが悪く、感覚も薄くなっていた。

 それを調整しながら、サティアと軽く剣を合わせる。


「…………」


 場所は城の外庭にあった広場だった。

 噴水と石畳の庭で、二人して武器を振っている。

 得物は真剣と真槍ではあるが、お互いに心得ているので間違っても事故は起きない。


「……で、話はなに?」


 適当に打ち合っているとサティアが問いかけてきた。

 多分、互いの声は他の者には届かないようにしてあるだろう。

 これでなにも気にせず密談ができる。


「まずは、一つ決めよう。これから俺が君の左肩を二回叩いたら……声が他には聞こえないようにしてほしい」

「いいわ。それで、話は?」


 わくわくしたような顔でアッシュの言葉を待っている。

 武器を交えながら答えた。


「賭けに乗ることにした」

「……どういう風の吹き回し?」


 サティアがいかにも面白そうに口角を上げる。

 アッシュはその瞳をじっと見つめた。

 見たところ、完全に目は治っているようだった。


「俺は、君とキメラが同盟を結べるように手を尽くす」

「へぇ?」

「代わりに、君にノインのことを頼みたい。……もし、俺が死んだら」


 つまりはそういうことだ。

 アッシュはもうすぐ死ぬ。

 そうなればノインは聖職者たちに何をされるか分からない。

 いくら強くとも、ただの人間が一国を握る権力者たちの悪意に抗えるはずもない。

 特に、あのような善良な子供ではどうにもならない。


 だからサティアを頼ることにしたのだ。

 帝国の皇女である彼女ならきっと守れる。

 そして、この見返りとして今回は賭けに勝つ。

 賭けに勝って帝国の皇女に恩を売る。

 修道院から連れ出したことへの、できる限りの責任を取るために。

 さっき話した後にそれを決めた。


「……みんな、同じようなことを頼むのね」


 サティアはよく分からないことを言って、小さく笑みを浮かべる。

 怪訝に思ってつい手を止めてしまった。

 すると彼女は槍の石突でアッシュの腹を軽く叩いた。

 さらにささやく。


「続けて」


 戦い続けろということだ。

 剣をまた動かすと、サティアも合わせて組手を再開した。


「作戦はあるの? 正直、かなり……分が悪いわよね?」

「ああ」


 そこは素直に認めた。

 彼女の言う通り、とても分が悪い勝負だ。


 なぜなら敵も競争相手も、どちらも軍隊だ。

 軍と軍の戦いに、ノインとアリスを除いた二人だけで割って入る。

 その上で首をかすめ取らなければならない。


 これがただの人間の軍隊ならまだどうにでもなっただろう。

 だが敵は強力な魔獣を編成した、魔王が組織した軍隊である。

 しかも競争相手も超常の存在だ。

 使徒が率いる、死体と異形が入り交じる悪魔の軍隊だった。


 本来ならこの争いに割って入る隙間はない。

 だからこそキメラはこんな賭けを提案してきたのだ。

 けれど、アッシュにはカースブリンクの弱みが見えている。

 今のこの国が相手なら勝機はあった。


「まぁ、やる前から負ける話をするなんて……私のガラじゃないわね」


 分が悪いと言ったサティアは、思い直した様子で笑った。

 短く答えておく。


「そうだな」


 会話をしつつも戦いはまだ続いている。

 槍をいなしながら、アッシュは反撃の突きを繰り出す。

 ふと思い立って口を開いた。


「ところで、シド=テンペストはどうなった? 従者のミスティアも」


 そんなことを聞く。

 サティアは目を細めて答える。


「生きて……いるらしいわ。無事よ」

「そうか、よかった」


 封印を受けたあと、急に視界が広くなったような気分になった。

 だからシドのことを思い出して聞いてみた。

 生きているのならよかったと思う。


「…………」


 サティアがふと、柔らかい笑みを漏らした。

 不意に槍を引いて背を向けた。

 かと思えば、背中越しに左手で手招きをしてくる。


「じゃあ……そろそろ、行きましょうか。キメラに、挑戦状を叩きつけないと」


 冗談めかして言う。

 けれどアッシュは眉をひそめた。

 賭けに乗ると伝えに行くなら、なぜこうして密談をしたと思っているのかと。


「……わざわざ、乗ると言ってから動く必要があるのか?」


 キメラは返事に時間的な期限をつけなかった。

 また、参加すると明言してから動かなければならないとも言わなかった。

 そして参加すると言ったところで、あの食わせ者がご丁寧に敵の情報を共有してくれるとは思わない。

 競争相手にそんなことを期待するのは無駄なことだ。


 なら参加しないフリをして、こそこそと準備したほうがいいに決まっている。

 だから首を傾げると、サティアはあっけにとられた顔でこちらへと向き直った。


「…………」


 それから少しして、とても楽しい物を見たかのように大きく口を開けて笑う。

 彼女は声が出ないので、大笑いをするとかすれたような息の音が鳴るようだった。


 アッシュはそれを初めて知った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ