十一話・キメラとの交渉
それからいくつかの名所を巡って、観光はようやく終わりを迎えた。
もう昼過ぎ頃になっていただろうか。
ユリは途中で別れて、アイズに従ってカースブリンクの城へと向かう。
どうやらここで、ウォーロードであるキメラとの話し合いの場が持たれるようだ。
しばらく無言で歩みを進める。
カースブリンクの城はあまり大きくはなかった。
無骨で簡素な石造の建築物である。
内部においてもこれは変わらず、壁には装飾などは全く施されていない。
正確には飾りがある広間もあったのだが、何故か色々と削ぎ落とされているようだった。
なにか宗教的な意味合いがあったため、キメラによって消し去られたのかもしれない。
それはともかく、このように殺風景な城をずっと進む。
周囲には五人の兵士たちが付き添っていた。
アイズに似た鎧を着ているが、黒塗りにされていない、素材のままの鉄と革の鎧である。
彼らの中で最も地位が高そうな一人は、右腕がワーウルフの物に付け替えられていた。
「…………」
サティアがいかにも気になるという様子でその腕を見ている。
アイズも背に翼がついているし、この国の兵士たちには奇妙な点が多い。
だが尋ねるような間もなく、目的の場所についたようだった。
アイズが頭を下げて、丁寧な口調で語りかけてくる。
「先にはキメラがおります。使者様よ、どうかお目通り願います」
目の前には大きな両開きの扉があった。
この先に行けば話せるのだろう。
「…………」
彼女の言葉にしばしアッシュは黙り込む。
そして迷った末に一つだけ尋ねることにした。
「申し訳ないが……作法のようなものがあれば、聞かせてほしい」
ウォーロードに会う際の礼儀作法だ。
何者でもない自分の立場を鑑みてのことでもあるが、この国の人々を刺激したくないと思ってのことでもあった。
実際に、観光の間も何度か不穏な敵意を感じた。
アイズとユリは奇跡的に好意的だっただけで、カースブリンクはよそ者を受け入れたわけではない。
だからアッシュはそう尋ねた。
「ああ」
アイズは頬をほころばせた。
そしていくつかの作法を教えてくれる。
礼の仕方などを実演して見せてくれた。
アリス以外の全員で真似して、一通り仕込んだところで扉を開く。
中の謁見用と思しき広間には黒い玉座があった。
しかしキメラはそこにはいない。
広間の脇の部屋で座っている。
白いクロスが引かれた長机に腰掛けて、こちらに小さく手を振っていた。
日の当たるその部屋では、黒い鎧の兵士たちが幾人も警護をしている。
「…………」
一度礼をして進み、アッシュはアイズの前に跪いた。
両膝を折って膝で座り、左手を後ろ手に回して右手を胸元につけて、可能なら衣服を握る。
こうして、無手であることを明らかにする。
それで敵意がないこと、相手に服していることを示すのがカースブリンクの儀礼だと聞いていた。
だから全員が同じ姿勢をとっている。
ノインはサティアの方を見て、少し間違いを正したりしながらも従っていた。
また、意外にもアリスも同じように跪いている。
「恐れ多くも御前に。鋼鳴の申し子、畏怖すべきウォーロードよ」
教わっていた通りの口上を述べて頭を下げる。
すると微笑むような声が聞こえて、キメラが答えを返す。
「うむ。くるしゅうない。顔を上げられよ、お客人。……ですが、その挨拶は良くありませんね。だって鋼鳴は、邪教の神ですもの」
少しふざけたような、呆れたような声だった。
アッシュは顔を上げる。
キメラは面白そうに微笑んでいた。
『鋼鳴』はカースブリンクの神を呼ぶ言葉らしいが、そこまでは知らなかった。
物憂げな表情で彼女は言葉を続ける。
「消しても消しても、しつこいわ。誰に聞いたのかしら? ちゃんと、教会式の挨拶を教えてあげたはずなのに」
その時、ふとどこからか小さく鎧が鳴る音が聞こえた気がした。
身じろぎだ。
目だけを動かして音を探ると、強い殺気があふれているのが分かる。
キメラは気づいていないようだったが、サティアとアイズ、あとは残りの兵士も全員気がついただろう。
「…………!」
一人の、黒い鎧の兵士が、ぞっとするような殺気を漏らしていた。
黒い獅子の意匠の兜で顔が隠れているので、表情までもは分からない。
だがマントの装飾や立ち位置からして、警護の責任者にあたるような重要人物なのではないかと思う。
何が彼を苛立たせたのかは分からないが、とてつもなく黒い憎悪が兜の向こうから伝わってくる。
少し慌てたように動いて、アイズがキメラの横に立つ。
そして口を開いた。
「……ファング、控えなさい」
見かねて、といった様子だった。
だがキメラは何も気づいていない。
サティアとの戦いでも技は拙かったので、彼女はきっと戦士ではないのだろう。
穏やかに微笑んでいるだけだ。
「どうしたのです?」
キメラの声には誰も答えなかった。
だがファングという兵士はその瞬間に殺気を消した。
見事なまでの気配の断ち方だった。
もはや人ではなく植物、といったレベルでファングは鎮静する。
そして低い声で答えた。
「…………いえ、なんでもありません。ウォーロードよ」
声は思っていたよりずっと若かった。
まだ十代、ともすればアッシュかアリスと同い年かもしれない。
この歳でウォーロードの警護を任されるのなら、彼はきっと優秀な戦士なのだろう。
感情が先走っているような印象は受けるが、技術は相当なものだ。
ともかく、返事を受けたキメラが笑う。
「なんでもない? そうですか。でもファング、何かあったら自分で言いなさい。私に遠慮をする必要はありませんからね」
無邪気な言葉を投げると、また一瞬、ファングから強い殺気が漏れる。
だがすぐに完璧に抑え込んだ。
短い答えを返す。
「……はっ」
やがてアッシュたちも席につくように言われた。
各々で席を選んでいく。
サティアがキメラの向かいに腰掛けて、他はサティアの横に並ぶように座った。
するとアイズがキメラの横に腰掛ける。
丁寧な断りを入れてからであったが。
「では、始めましょう。なにを求めてこの国にいらしたのですか? 神国の使者よ」
キメラが手を組んでそう伝えた。
アッシュは少し迷ったあと、とりあえずこの場を任されることにした。
―――
「なるほど、いいでしょう。封印をおかけしますよ」
まずアッシュの封印について話した時、返ってきたのはこの上なく快い返事だった。
にこにこと微笑んで、手を組んでこちらを見ている。
ノインが嬉しそうに笑った。
「よかったですね、アッシュ様」
「……ああ」
なぜか少しバツの悪い感情を覚えながら、アッシュは小さく答えた。
するとキメラがさらに言葉を続ける。
「人助けは聖職者の義務ですわ。まして、はるばる助けを求めて訪れた方が相手ですもの」
ひたすらに善意に満ちた様子で言ったあと、ふと彼女は表情を消す。
続けて今度はノインに目を向けた。
体中を舐めるように見られているので、ノインはとても困ったような顔をしている。
「…………? えっ、なにか?」
だがキメラはそれには答えない。
またアッシュに視線を戻して、真顔のまま言葉を続けた。
「……あの、お節介ですが。一つよろしいでしょうか?」
「お願い、します」
つかえながらも敬語を使ってアッシュは答える。
すると彼女は一つ頷いて、ゆっくりと口を開いた。
「その、ノインさんという子供は……治療をしたほうがいいです。放っておいたら死にます」
投げられた言葉に広間が凍りつく。
アッシュも思わず言葉を失っていた。
キメラがさらに説明を続ける。
「この子は禁術を使っていますね? 反動に強く体を蝕まれています。……馬車で回復魔術をかけた時の、手応えで気づいてはいたのですが。やはり私が面倒を見ることにしましょう」
治癒魔術の手応え、という言葉に疑問を覚える。
アッシュの知る限りそんなものはないが、『治癒師』であれば話は別なのだろうか?
だが、それはそれとして心当たりはある話だった。
ノインは禁術の反動を、絶えず回復することで抑え込んで無効化している。
しかしこれには限界があったのだ。
本気を出した後に高熱を出すのもこの表れだったのかもしれない。
「…………」
何も言えずにいると、アリスが明らかに動揺した声で聞き返した。
「あの……治るんですか?」
「普通に生きていけるくらいには、すぐにできますよ。戦うなら話は別ですが……自分で決めるしかないでしょう、これは」
聖戦のために命をなげうつのも、立派な奉仕の形ですから……と、キメラは付け足した。
アリスは安堵したようにため息を吐いて、隣に座っているノインの肩を揺さぶる。
「ノインちゃん、もう戦うの禁止ですよ。あと、自分で気が付かなかったんですか?」
「えっと、痛みがないので……あ、でも体調は少し、良くなかったのですが……」
ノインは困った顔で、俯きがちになって答えた。
痛みを感じないから発見が遅れたという意味だ。
そんなことを考えつつ、アッシュはキメラに頭を下げる。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「お気になさらず。私は与えられた力で、できることをするだけです」
これでひとまずアッシュの願いは叶った。
思いがけずノインの問題も見つかったので期待以上だった。
あとはサティアに任せて、魔獣殲滅のための協力を取り付けてもらえればいい。
話が済んだら封印を受けて、一人で魔王の領域へと旅立つだけだ。
「次は私から。……いいかしら? ウォーロード」
サティアが口を開く。
いつもと変わらない口調で語りかけた。
そして三の魔王の討伐に手を貸してほしい、というような話を続けていく。
神託を受けたという事実を上手く利用して、彼女は巧妙に説得を重ねた。
この内容なら、信仰心の強いキメラはすぐに頷くだろう。
しかし、返ってきたのは意外にも拒絶であった。
「ああ、申し訳ありませんが……それは難しいです」
「なぜ?」
サティアが眉をひそめた。
断られるとは思ってなかったのだろう。
だがキメラは当然のことのように答える。
「『勇者』がいないからです。……なぜ連れてこなかったのですか? わざわざ危ない橋を渡る意味が分からないのですが」
正論すぎるほどに正論だった。
彼女はすでに、勇者が現れたことを把握している様子だった。
ならばこれは当然の指摘だった。
その上で、さらにキメラは理由を連ねていく。
「命が惜しいわけではありません。しかし、私が死ねばこの国の教化はどうなりましょう? 無謀な戦いに身を投じるわけにはいきませんわ」
この国の教化……つまりアトスの教えに染め上げていく作業の是非はともかく。
アッシュたちは手詰まりだった。
常識的に考えて勇者がいるのに連れて行かないような、そんな愚かな討伐部隊に与する理由がない。
こうなってしまった以上、説得は無理だろうと考えていると、アリスがおもむろに声を上げた。
「では、手をお貸しいただけるのは……勇者の参戦が約束される場合のみ、ということでよろしいですね?」
キメラをじっと見つめてそんなことを言う。
多分、最初からアリスはこの展開を読んでいたのだろう。
あるいは自分でそういう流れにするつもりだった。
そして、ここで誘いをかけるのが彼女の仕事だったのだ。
協力の条件を勇者との共闘、という形にしてしまえば、勇者を抑えている聖職者たちが好きに動かせる。
「…………」
少しだけ白けた気持ちになりながらも、これはこれで悪くないと考えた。
勇者とセットで動く形にしたほうが、魔王討伐ではいい結果を得られるだろう。
サティアには悪いが異論はない。
とりあえず三の魔王とは心中しておくつもりなので、サティアが改めて身の振り方を考えるくらいの余裕はできるはずだ。
「いえ、そうとまでは言っていません。結論を急がないで下さいね」
だがキメラは、アリスにも否定を返した。
優しげに微笑んだままアッシュを見つめてくる。
「せめて証明がほしいのです。あなたがたに魔王を倒せる力があるという、証明が」
「……どういうことでしょう?」
キメラの言葉に疑問を返す。
証明といっても、魔王に並ぶような戦力はこの世にない。
なにをもって証明とすればいいのかアッシュには分からなかった。
おまけについ先日、四の魔王に負けたばかりだ。
だというのに彼女はさらに笑みを深くする。
「賭けをしましょう。我が軍と、あなたがたで」
「賭けとは?」
面倒に思いながらも聞いた。
成り行きから話に付き合っているが、本当はもう交渉の結果に満足しているのだ。
そんな内心を知ってか知らずか、キメラは説明を始めてしまう。
「近い内に、ガーレンの軍勢がこの国に攻めてきます。その、指揮官の首を先に獲ったほうが勝ち……という賭けです」
アッシュは、最初にガーレンの所属と誤解されたことを思い出す。
あの勘違いにも根拠となる情報はあったのだと分かった。
近々攻めてくるという話を掴んでいたのなら腑に落ちる。
そしてその首を先に獲ったほうが勝ち、というルールにも一定の理解は示せる。
ガーレンの将がただの人間でないことをアッシュは知っているからだ。
このように強力な敵を狩ると言うのなら、確かに……証明にはなる。
むしろ、正面から力比べをするよりはよほど建設的で悪くない。
けれどまだ、一つだけ疑問が残っていたのでそれを問う。
「では、何を賭けて競いますか?」
キメラが賭けるのはサティアとの同盟の成立でいいだろう。
しかしこちらが何を賭けるのかまだ聞いていない。
あまりに無理な条件なら断ろうと思っていたが、彼女が口にしたのは思いもよらない言葉だった。
「あなたの腕を」
その言葉に目を見開く。
無意識に左手で右腕に触れる。
すると彼女は頷いて、うっとりと目を細めた。
「……私は、その腕がほしい」
なぜ右腕が普通でないことがバレているのかと考える。
恐らく、やはりあの治癒魔術をかけた時だろうか。
範囲回復に見せかけて、なにか体を調べるような魔術も使ったのかもしれない。
ノインの様子に気づいたのも、これまで黙っていたのも……勝手に調べていたのが理由なら納得はしやすい。
治癒魔術の手応え、という言葉にはあまり共感できていなかったのだ。
しかし、だとすればとんだ食わせ者だった。
「…………」
キメラの改造癖は知っている。
だから最初からこの腕が欲しくて、賭けをするために話を誘導していた可能性すらある。
もしやノインの治療の話を先に出したのも、賭けに勝つために戦力を削ろうとする意図があったのかもしれない。
別に後に出されたとしても、治療を蹴ってノインを戦わせるほど賭けにこだわっているつもりはなかったが。
「考えさせてくれ」
敬語すら忘れて、アッシュはようやく答えを絞り出した。
様々なことを考えなければならない。
最後にガーレンと戦うのは歓迎だが、この賭けに乗っていいのかは分からなかった。
なによりこの腕を人に与えていいのかが分からない。
強力な魔物の腕だ。
移植すればなにかの間違いで死んでもおかしくない。
ひとまず、様々なことを考えるために時間をもらうことにした。
「もちろん、いいでしょう。ではお食事でもいたしましょうか」
キメラは組んでいた手をほどいて、にっこりと笑みを見せた。
それにため息を吐いて、アッシュは自らの右腕に視線を向ける。




