十話・征服された街
しばらく馬車に揺られていると、目的の街が見え始めた。
そしてカースブリンクの首都の光景は壮観の一言だった。
城塞都市、という言葉はきっとこの街のために存在するのだろう。
三十メートルを軽く超えるほどに高い、これまで見てきた城壁の中で最も高い壁が目の前にある。
しかもこの壁に、また尋常ではないほど様々な仕掛けが施されているのが分かる。
監視塔や攻撃用の穴は序の口で、複雑な傾斜やねずみ返しなどの工夫に満ちている。
また、壁上にはバリスタや投石機、果ては最新兵器である大砲までもがずらりと並んでいるのがわかった。
あとは壁の周囲の堀だが……流石にこれだけの巨大な都市を全て覆うのは難しいのか、水を張るのは門の周囲のみに留めてある。
とはいえその点が弱点になりうるとは思えなかった。
補って余りあるほどに立地が強い。
山脈のすぐ近くに陣取っていて、川の流れも街に引き込んである。
さらに増築に増築を重ねたのか城壁は何層にも渡って張り巡らされているらしかった。
だから中心にある最後の防壁まで落とすとなれば困難を極めるだろう。
国境近くにあえて首都を配置するだけはあり、かなりのリソースを費やして難攻不落の都市を築き上げている様子だった。
本当に、国を守る盾になりうるだけの城塞であろう。
「……すごい」
ノインが馬車の窓から身を乗り出して街を見ていた。
サティアも同じように窓から顔を出しているが、こちらは無言だった。
彼女は声を能力で作らなければ出せないため、本当に感動したりすると逆に黙り込んでしまうようだった。
「…………」
そうして馬車は進み、巨大な城壁の威容はもう目の前にも迫ってきていた。
堅牢で整然とした壁も、近づけば戦いの歴史を感じさせる。
よく見ると補強と修復を繰り返したせいか所々が色違いになっていた。
馬車はそんな壁の向こう側へと向かう。
堀にかかる巨大な跳ね橋を抜けると、入り口をくぐって街の中へとたどり着くことができた。
特に何事もなく、石畳の通りを進んでいく。
するとキメラが微笑んだ。
「この街は皆様を歓迎いたしますわ」
彼女の言葉に誘われるように、アッシュは窓の外の街に目を向ける。
この街はおおむね石造りの建物が多くなっているようだった。
塗装などもあまりない無骨な見た目だった。
そして、まるで同じような外観とサイズで住居が並んでいる。
しかもかなりの密度で配置されているから、住宅地の道はどれも狭くて入り組んでいた。
おそらくは意図してこのようにしてあるのだろう。
狭い通路と入り組んだ道、急な曲がり角などがあれば敵の大軍が進みにくい。
加えて市街戦において道を熟知した住人が優位に立てる。
そして、そんな戦争に適応した様子の街にも、もちろん土地の人々がいる。
彼らはこの馬車に向けて手を振ったりお辞儀をしたりしている。
道沿いにいる人の中にはぎこちない笑みを見せる者もいたが、家の物陰で不安そうに立っている人の方が目立つ。
一方で興味深そうにこちらを見ている子どもたちもいた。
だが共通しているのは、街の誰もが不自然に口を閉ざしていることだ。
そのせいか少し妙な緊張を感じる。
車内も沈黙に包まれていて、全員が黙って街の人々の様子を見ていた。
「…………」
アッシュも同じように観察する。
気づいた限りでは、この街ではみんな似たような格好をしている者が多い。
もちろん農村やらはどこもそんなものだ。
しかし国の首都となればかなり文化的で、個々人の服装の工夫が目立つのも常である。
けれどこの街の人々の多くは同じような服装をしていた。
女性は簡素な白い麻のドレスに、ウール地のエプロンとケープを肩にかけている。
ケープやエプロンは赤色が多く、黄色い糸で美しい刺繍が施してあった。
ちらほらと頭巾を被っているような人もいるようだ。
また、男性は白麻のシャツに同じくウール地のベストを身に着けている。
ズボンも羊毛でできているらしい。
ベストの色にはいくらかバリエーションがあるが、ズボンはほとんど紺色だった。
加えて男性の服にはあまり装飾がないが、ベストの胸に盾のような形のワッペンがついていることがある。
あとは男女ともに、帽子の有無や些細な小物を身に着けているかどうかしか違いがない。
このように総じて遊びがないものの、機能性に優れた服装をしていると思う。
同じ外観の建物が並んでいるのもそうだが、この街では他の首都のような物質的な余剰がないことが分かった。
「なんだか洒落っ気のない街ですねぇ」
アリスだ。
ぼそりと呟く。
サティアがため息を吐いた。
「分かってないわね。この街の機能美は……洒落っ気なんて言葉で語れるものではない。ほら、あそこを、見なさい」
などと言って、街に凝らしてある軍事的な工夫についての講釈を始めてしまう。
アッシュは特に気にせず、ぼんやりと街を見つめ続けていた。
やはり城壁は幾層にも渡って張り巡らされていているようで、最初の城壁をくぐったあとも何度か城壁をくぐることになった。
街並みはやはり似たようなものだったが、より多くの城壁に隔てられた場所には重要そうな施設や工房なども見えてくる。
壁が多くある場所は安全なので、こういった施設を集めてあるのだろう。
「ああ、そういえば使者様。この度はどのようなご用件でいらっしゃったのです?」
キメラが口を開いた。
多分アッシュに対しての言葉だった。
しかしサティアが答える。
身分で言うのなら彼女に答えさせるべきなので、アッシュは特に口を挟まなかった。
「ええ。実は……協力を願いたいことがあるの」
「なにやら事情がありそうですね。分かりましたわ。でしたら、少し会談までお時間をいただけますでしょうか? 食事のご用意などもいたしますし……」
時間がほしいと、言ったキメラは自らの服装に目を落とす。
血まみれで、腹の部分が裂けている。
これで話したくはないということなのだろう。
恥ずかしそうにしていた。
ともかく、サティアは会話を続ける。
「もちろんよ。その間は街を……見て回っても?」
「ええ、構いませんわ。では、観光大使に案内を任せますね」
観光大使、なる者がいるらしい。
キメラはおっとりとした様子で微笑んでいる。
彼女なりに外の人々を迎え入れるためになにかしようとしているらしいが、カースブリンクの人々には同情を禁じ得なかった。
「…………」
そしてにわかに観光が決まって、アッシュとしては苦い気持ちだった。
無駄なことをしていると焦りばかり感じてしまう。
だがサティアはやはり嬉しそうにしている。
「……やったー」
顔は笑顔だが声は棒読みである。
いぇーい、と言ってノインにハイタッチを迫った。
二人で和やかに手を合わせている。
アリスが何故か小さく鼻を鳴らした。
「今度の観光は、私を置いてけぼりにはさせませんよ」
置いてけぼりにしたのではなく、勝手に寝込んだだけだ。
しかし口を開く気力がなかったので黙っていた。
魔物は人間に敵意を持っているので、こうして近くに密集していると苛々して精神がすり減る。
それを紛らわすためにまた窓の外を見た。
誰もが楽しそうにしているのに、一人だけ苛立っている自分を客観視するのは苦痛だった。
「…………」
やがてしばらくすると馬車が止まった。
止まったのは噴水がある大きな広場だった。
元からここに止まる手はずであったのか、幾人かの人々が並んでアッシュたちを迎えている。
あるいは『お客人用』の馬車が出たあとの、手はずとして決めてあった動きなのかもしれない。
それはともかく、まず先んじてキメラが馬車から降りる。
手ずから扉を開いてうやうやしく礼をした。
案内に従って良く晴れた広場に立つ。
「さぁ、降りてくださいまし。私は少しの間、身支度を整えますわ。使者の皆様は……どうぞ、彼女と共に外を見て回ってください」
彼女、と指されたのは一人の少女だった。
まっすぐな青い髪を背まで伸ばした少女である。
道中で見てきたのと同じ民族衣装を着ている。
骨格は細いものの鍛えているのが分かった。
彼女は異形の手足を繋げているようなこともなく、しなやかで力強い印象の人間の少女だった。
歳はおそらく十五か十六ほどで、気の強そうな顔をしている。
しかし今は半分べそをかいたような表情でこちらをじっと見ていた。
口をきつく引き結んでいて何も言わない。
「…………」
そんな彼女に例のアイズと名乗った女が後ろから抱きついた。
どこからともなく現れて、ずいぶんと親しげな様子だった。
「ほら、ユリちゃん。ごあいさつしないと」
「あ、はい……姉様……いえ、アイズ様!」
どうやら歳が離れた妹であると分かった。
姉と呼んだのを慌てて言い直して、アイズに抱きつかれたままぺこりと頭を下げた。
ハキハキとした声で自己紹介を始める。
「こんにちは、お客人たち。私は第三師団所属の……じゃなくて、じゃないんだ……」
そこで、がっくりと肩を落とす。
露骨に声のトーンを落として続けた。
「えっと、観光大使の…………ユリであります……よろしくお願いします……」
今の様子から、きっと望んだ役職ではないのだと気がつく。
流石に不憫に思っていると、ユリは背筋を伸ばしてぎこちない笑みと共に語りを続ける。
「本日は、カースブリンクの魅力を皆様にお伝えしたいと思うのであります」
「アイズもご一緒いたしますね」
すると意外にもユリが難色を示した。
「いえ、アイズ様……それは……」
こちらにぺこりと頭を下げて、姉の手を引いて遠くで話を始める。
少しすると二人で戻ってきた。
ユリが審議の結果を伝えてくる。
「その……この街にはお客人を受け入れていない民も多いのです。なので今回は……安全のために、こちらのアイズ様がご同行いたします」
聞けば、彼女は名高い『剣戟師団』の部隊長であるらしい。
そういった身分のアイズが共にいたほうが面倒も少ないということだ。
どうでもよかったのでアッシュは特に何も言わなかった。
すると、他の面々との間で勝手に話は決まったようだった。
「では参りましょう。どうか楽しい旅になりますように」
先に決めていたようなセリフを読み上げて、ユリが街へと歩き始める。
根が真面目なのか、きちんと笑顔を浮かべて案内をしてくれた。
―――
基本的にカースブリンクの街には無駄なものがあまりなかった。
体を動かすのが好きな国民性なのか、スポーツをするような場所があったりする。
しかし他に娯楽施設と言えるものがほとんどない。
ただ素朴に人々が生きているというような印象だ。
従って、巡る名所のようなものは史跡が中心になっていた。
「左手に見えるのは……えっと、初代ウォーロードの石像になります」
ユリがそう言った。
するとサティアが目を輝かせる。
「初代……ウォーロード? ねぇ、聞いても、いいかしら。サルバトール大帝の実力について、彼は……」
やたらと大帝とのライバル関係や、好敵手として認めていたのかということばかりを聞きたがっていた。
質問責めが始まって、ユリはかなり驚いた様子だった。
「あっ、はい……」
そうして話しているから、しばらくこの場所で立ち止まることになった。
アッシュはなんとなく街を見る。
中心地に近づいても建物の造形などは何も変わらない。
しかし一つ言うなら、小さな子供が増えたように思う。
子供たちはあちこちに遊び場を見つけて遊び回っていた。
だが大人に対して子供が多すぎる気もするので、このあたりに学校かなにかがあるのだろう。
それで集まってきたから多く見えるのか。
「…………」
遠くの空き地で子供が遊んでいる姿を見る。
ボールを使って遊んでいた。
アッシュはサッカーをしないのだろうかと思って見ていたが、なにやら足でボールを蹴って遊び始めた。
みんな楽しそうにしている。
アッシュには分からない、恐らくは現地の言葉ではしゃいだ声で話している。
周囲に何人か大人の女性たちがいて、優しい表情でそれを見守っていた。
「ほら、行きますよ。アッシュさん」
アリスに軽く肩を叩かれた。
言いつつも彼女はもう進んでいる。
ユリとサティアの話は終わった様子で、もう全員歩き出していた。
あとに続くことにする。
「ああ」
また進んで、今度は工業区と思しき場所に出た。
そこにはかなり物珍しい光景が広がっていた。
どうも魔獣の死体が、骨の一片に至るまで利用されているようなのだ。
聖教国でもおこなう油の精製などに留まらない。
オークやデュラハンの武具を集めたり、ハーピィの羽をむしったりしていた。
さらに驚いたのが、魔獣を生け捕りにして家畜のように扱っていることだった。
たとえばアラクネを捕らえて、体から無限に引き抜くことができる矢を利用する。
あるいはヒュドラに酸を吐かせて、オークの武具などの錆びついた金属の錆を落とすのに利用したりする。
極めつけにはリザードマンの再生するしっぽを切り落とし続けたり、メロウが吐き出す杭を採取したりしているらしい。
もはや呆れるほどにこの土地の人々は逞しかった。
「へぇ、面白いことしてるもんですね」
そう言ったアリスもどこか楽しげだった。
視界の先には工房がある。
そこでは、足を全て取られて逆さ吊りにされたアラクネが何体かいた。
ハーピィからむしった羽と合わせて矢を作っている様子だった。
ユリが口を開く。
「こうして目を潰して逆さ吊りにすると、アラクネはお尻から糸を吐かなくなります。無力化できたら、後はたくさん矢を引き抜くのであります」
生活の知恵を披露する時、彼女は純粋に誇らしげだった。
続けてアイズも口を開く。
「ハーピィの羽も、大きくて毛が固いから矢羽にはぴったりなんですよ」
彼女たちの話は、どれも知らないことばかりだった。
魔獣について知ることができるのは貴重な機会なので、アッシュは熱心に耳を傾ける。
すると気をよくしたのかユリも舌が滑らかになった。
あれこれと細かく説明し始めた。
「…………」
アイズは黙ってそれを見ている。
心なしか嬉しそうな顔をしていた。
やがて工業区を抜けると、今度は大きな建物が立ち並ぶ場所に出る。
このあたりには公的な機関や貯蔵庫が集まっているらしい。
聞けばカースブリンクは食料や資源が乏しいので、一部の物品に関しては国の保管庫でまとめて管理され、分配されているようだった。
ユリがそのあたりについて教えてくれる。
「カースブリンクではいくつかの家族をまとめて、それをひと単位にして平等に配給を……えっと、他の国では違うのですよね?」
不安そうな顔で問いかけてきた。
よその国のことがよく分からないので、カースブリンクの特色として何を語ればいいのかあやふやなのだろう。
観光大使と言われたからにはキメラあたりとすり合わせや練習は行ったのだろうが。
「違うわね。我が帝国では……」
答えたのはサティアだった。
答えて、また長い話を始めようとする。
しかしそれをアリスが止めてしまう。
「言わなくていいですからね」
「……はいはい」
すっかり打ち解けている様子だった。
しかし反対に、ノインがあまり話さないことに気がつく。
ふと気になって様子を見てみると、彼女はなにかに気を取られているようだった。
「…………」
視線の先をたどる。
すると、そこには神殿があった。
正確にはほとんど取り壊されている神殿だろうか。
彼女はそれをじっと見つめていた。
きっとユリはあえて触れなかったのだとアッシュは思う。
「あの、ユリ様。あれはなぜ……壊されているのですか?」
しかしノインは聞いてしまった。
ユリが足を止める。
アイズもだ。
だから全員その場に立ち止まって神殿を見る。
「…………」
少しだけ沈黙が流れた。
やがて、迷ったような素振りのあと、ユリが語り始める。
「……あれは、旧神の神殿であります」
「旧神?」
聞き返したノインに対し、ユリは後ろめたそうに、あるいは悲しそうに目を逸らす。
「はい。古い、我らの神々の神殿であります。ですが今は、我々も……月の瞳を信仰しておりますので」
だから壊したという意味だ。
この国で何が起こったのかは知らない。
しかしキメラによって信仰を捻じ曲げられた結果、こうした神殿は壊されているということなのだろう。
けれどサティアは納得がいかないのか、困惑した様子で口を開く。
「本当に、信仰を……捨てたの?」
その言葉には答えが返って来なかった。
ユリはなにも言わず、悔しそうな顔で俯いてしまった。
代わりにアイズが声を漏らす。
「これまでの戦役で、我々の国に使徒が現れたことはありませんでした」
静かな声だった。
目隠しで表情までは伺えないが、神殿の方を向いて話をしていた。
「故に、いつも甚大な被害を受けてきました。亡国の手前まで至ったこともあります。ですからこの国には、災いを受け入れて、耐えるような文化があります」
もちろん、できうる限りの抵抗はするのだという。
しかしそれが及ばなければ、じっと耐えて生き延びようとする生き方が根付いているらしかった。
淡々と話が続く。
「我々は今回も耐えるだけです。それに、信仰を捨てればキメラ様が……使徒が、この国を守ってくださる。だから私はいいと思っています。神殿はいつか建て直せますから」
つまり一時でも信仰を捨てることで、彼らは戦役の時代を生き抜こうとしているという話だ。
アイズはどこか諦めたような様子で聞かせてくれた。
ユリはやり切れない顔で俯いていたが、やがて笑顔で顔を上げた。
「申し訳ありません。では、次の場所に案内いたします」
空元気でそう言って、ユリは大股で歩き始めた。
サティアは何も言わずにそれに続く。
ノインは未練の残る様子で神殿を見つめていたが、アリスが軽く頭を撫でてやった。
すると小さく頭を下げて歩き始める。




