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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
四章・底のない呪い
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三話・神託の真意

 


 利害が重なったとサティアは言う。

 だが余りにも説明が足りない。


「…………」


 アッシュは差し出された右手を見た。

 握り返すことはせずに答える。


「生きる道、とは?」

「『治癒師』よ。最後の使徒がいる」


 つまり、彼女はカースブリンクに使徒がいると思っているのだ。

 しかしアッシュは半信半疑だった。

 なぜなら、治癒師に関する予言は以下の通りだからだ。


『五大商家、メルエスブルクの血縁者。花の乙女かつるぎ御子みこか』


 このメルエスブルクというのは、ある国の支配者に名を連ねる血族だ。

 五大商家と呼ばれる彼らは、凄まじい権勢を誇る商家である。

 その経済力で小さな国を成すほどに強い力を持っている。

 けれど、この国はカースブリンクとは全く関係がない国であった。


 なおかつカースブリンクは絶対に、決して……外部からの人間を受け入れることはない。

 よってメルエスブルクの血縁であるはずの治癒師が、この国にいるのはおかしな話だ。


 それでもサティアは首を横に振る。

 口を開かずに声を作る。


「いいえ、いるわ。だって……ガルムが、見つけたもの」


 聞けば、彼は死の少し前にカースブリンクの空から『治癒師』を見つけたらしい。

 正確には本人を見たわけではないが、いると推察するに値するだけの光景を見たという。

 帝国とあの国は国境を接しているので、見る機会があっておかしくない。

 こう言われると信憑性しんぴょうせいが出てくる。

 カースブリンクは閉鎖的な国であるから、あそこにいるのなら今まで見つかっていないことにも納得がいく。

 目撃情報があるとすれば、調べる価値は大いにある。


「…………」


 アッシュは考える。

 もし『治癒師』がいるのなら……おそらくは強力な封印の術を扱えるだろう。

 これが生きる道なのかと思った。

 確かに使徒の封印であれば、魔物を抑えて多少は寿命を伸ばすかもしれない。


「なるほど」


 小さく呟いた。

 さらに考える。

 アッシュが生き残る意味があるのかを。

 あとは、本当に向かう価値がある場所なのかについても。

 まさかアッシュやサティアがどうにかなるとは思わないが、カースブリンクは危険な土地だ。


「……分かった、俺も同行する」


 やがて、アッシュは長考の末に頷いていた。

 三の魔王と心中する決定は、今のところ覆ってはいない。

 けれど最後に、死ぬ前に『治癒師』の探索を済ませるというのはいい話だ。

 どうせ死ぬのだから、危険な場所の調査をするのはやぶさかでもない。

 世界のためにそれくらいはしてもいい。


 けれど、一つ気になることもあったので問いを重ねる。


「だが、そんなことをする時間はあるのか? 三の魔王の討伐には期限があるはずだ」


 なんといっても神託だ。

 神託によって告げられた事柄は、なによりも優先しなければならないというのが聖職者の流儀だ。

 この神託が真実であれ、都合のいい捏造であれ、これは変わらないだろう。


 なのでかなり性急な討伐を求められているのではないかとアッシュは思う。

 そして、これは実際にそうであるらしい。

 サティアは頷いた。


「そうね。でも、別に、無視すれば……よくない?」


 あっけらかんとした表情で言った。

 それはそうかと思う。

 神託に基づく命令を受けたのはアッシュだけだ。

 支援の交換条件に魔王の討伐を求められただけのサティアが、期限を破ろうが神の侮辱にはあたらない。

 アッシュは別に神を侮辱しようがどうでもいいし、国を出てしまえば期限を無視したところで咎める者もいない。


 とはいえサティアの場合、期限を無視したことで救援の約束を反故にされる恐れはあるだろう。

 だが『治癒師』の助力がなければそもそも討伐は絶望的なのだ。

 そんなことを考えても仕方がない。

 期限を守るために死んではお笑い草だ。


 全てを理解したから、アッシュはサティアの右手を握る。

 握手をした。


「君の言う通りだ。『治癒師』を探そう」


 魔王の討伐に関しての約束はしなかった。

 なぜなら勇者が現れたいま、勇者抜きで魔王を討伐するようなリスクを負う必要はないと思ったからだ。

 馬鹿げた聖職者の思惑で彼が出ないというのが現状なら、今はアッシュが一人で魔王と心中すべきだった。

 こんな下らないことでせっかくの治癒師が死んでは全てが台無しだ。


 しかしそんな考えをサティアが知る由もない。

 力強い握手をしながら満足げに微笑む。


「なら……いいわ。二人で、ぜひ」


 少しして握手は終わった。

 鼻歌でも歌いそうなサティアの顔をじっと見て、アッシュは最後に一つ問いかけた。


「ところでガルムは……『戦士』は、本当に死んだのか?」


 彼女はまた微笑んだ。

 今度はどこか悲しげな笑みだった。


「もちろん……死んだわ。でもね、あなたが気に病む……必要は、ない。あなたは十分、私たちを助けてくれた」


 やはり、討ち取られてしまっているようだった。

 だが気に病むことはないと言われた。

 助けてくれたとも。


 事情を理解できずにアッシュは首を傾げた。


「どういうことだ?」


 すると、彼女はアッシュの目をじっと見つめながら答える。

 机に肘をついて、少しだけ崩した姿勢になっていた。


「本来なら……三年だったの。少なくともガルムはそう言っていた。三年で……帝国は滅びると。でも、そうはならなかった。あなたのおかげで」


 ますます謎が深まっていた。

 アッシュはなにもしていないからだ。

 とりあえず次の言葉を待っていると、サティアがさらに声を作る。


「つまり、あなたは人造勇者でしょ。()()()()()()()で……量産できる。ガーレンは、あなたについてとても詳しく知っていた……そして、恐れていた」


 アッシュはため息を吐いた。

 ようやく理解できたのだ。

 なんとも救いようのない話だった。


 まだ説明が続く。


「いえ、量産どころか……あなたが一万人、五万人……大量の人間を取り込むなら、それでも十分よ。世界を救う……力を手に入れられる。だからガーレンは、聖教国を刺激したくなかった。強くなり続けるあなたを……人造勇者を、恐れていたから」


 それで、ガーレンは侵攻を調整していたようだ。

 あまりに早く侵攻を進め、聖教国を刺激するのを避けていた。

 こうなれば大量の人造勇者が生まれると考えていたからだ。

 あるいは追い詰められたアッシュが大量の命を取り込み、魔王領に対峙する戦力になる可能性があると。


 つまり、知らない間に抑止力になっていたらしい。


「……なるほど、普通の考えだな」


 なにせたったの二千人で量産できるのだ。

 または、十万人でも……取り込んでしまえば世界を救えるだけの力を手に入れるかもしれない。

 そんな凶悪な存在がいては、対抗策を得るまでは侵攻を思い留まるのも頷ける。

 もし戦いになってガーレンに攻め込んできた場合、民間人を根こそぎに殺して取り込んだりする恐れだってある。

 間違っても刺激すべき相手ではない。

 あいにくアッシュは馬鹿で、魔王領の脅威になり得るような存在ではなかったが。


 けれど、それにしても。


 ふと思い至って、アッシュは目をまたたかせる。


「ではガーレンはもう、人造勇者を歯牙しがにもかけない力を手にしているということか?」


 馬鹿で腑抜けのアッシュのことではない。

 人造勇者という概念がもたらす、あらゆる状況に対応できる備えができたのかということだ。


「…………」


 サティアが薄く笑った。

 よく気づいたわね、とでも言いたげな、意味ありげな笑みだった。

 数秒の沈黙を経て、彼女はようやく言葉を返す。


「きっとね。しかも、それだけじゃない。あいつらはガルムから……空を奪った。だから急がないと」


 空を奪った。

 つまり竜であるガルムがいたから、魔王領は空を自由に使えなかったと理解する。

 もしかすると、これを理由に魔王領は帝国を……ガルムを優先して落としたのかもしれない。

 だがもう彼はいない。

 アッシュには想像もできないが、戦争の歴史を塗り替えるような手法の虐殺を予感した。


「ああ、急ごう」


 ただ一言だけ返す。

 急いで『治癒師』を見つけなければならない。

 全てが手遅れになる前に力を集めなければならない。

 しかし一方で思う。

 これから、想像を絶する虐殺が始まるという。

 それはやはりアッシュのせいではないかと。


「……十万人、か」


 ひとりごとを漏らした。


 この先で死ぬ人間は、十万など軽く凌ぐ数になるだろう。

 だからやはり、大火の日に犠牲をべれば良かった。

 そうすれば魔王領が恐れた通りの力が、全ての災いを退けていたはずだ。

 なのに道を誤ったから、未来で恐ろしいほどの人間が死ぬ。

 あの日の選択で、世界に際限なく死が満ちていく。


 何度も何度も突きつけられてきた間違いを前に、どうしようもない気分になって目を伏せた。



 ―――



 話を終えたあと、気づけばアリスはもういなくなっていた。

 しかしそれはどうでも良かったので座ったままで体を休める。

 ベッドはサティアに譲った。

 明日には出発だというので、ゆっくりと英気を養ってほしかったからだ。


 アッシュは椅子に座って考えごとをしていた。

 これからのことや、ノインをどうしようかという問題についてだ。

 まさか連れて行く気にもなれない。


 悩み続けていると、あっという間に夜は明けていった。



 ―――



 朝が来た。

 椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと窓の外を見ていた。

 すると背後から声がかかった。


「あ、その……おはようございます」


 振り向く。

 声の主はノインだった。

 こうして向かい合うのは少し久しぶりな気がする。

 彼女はいつもと変わらない様子でそこに立っていた。


 アッシュは返事をする。


「おはよう。寒くはないか?」


 ロスタリアほど寒くはないといってもまだ冬だ。

 だから問いかけると彼女は首を横に振った。

 そしてなにかを言おうとしているが、アッシュは先んじて口を開く。


「なら良かった。君は、どこか行きたい場所はあるか?」


 彼女は不思議そうな顔をする。


「え、それは……どういう……?」

「君には従騎士として、どこかで仕事をしてもらおうと思うんだ。海でも、山でも、どこでもいい。具体的な希望があるならそれも聞く。希望には沿えるようにする」


 昨日の夜、考えに考えて出した結論だ。

 戦うことをやめられては困るが、三の魔王との戦いに連れていくわけにはいかない。

 かといって王都に置いていくのもあまりにも無責任だ。

 アッシュの勘だが、これからこの街はかなりまずい場所になる。

 彼女は、教会の支配から強引な手段で脱してしまった人間だからだ。

 これから盛り返すであろう神官たちに何をされるか分からない。

 だから遠くで、軍の一員として魔獣を殺す仕事をしてほしいと考えていた。

 やはり無責任な処置に思えるが、これから死ぬアッシュにできる精一杯だった。


 しかし、ノインはよく分からないというような顔をしている。


「えっ、あの……」


 その反応にアッシュは頷く。

 突然こんなことを言われてもどうしていいのか分からないだろう。

 当たり前の話だ。


「急な話ですまない。だが、行きたい場所があれば考えておいてくれ。また後で、希望を聞きに来る」


 特に希望がなければ、アッシュがいい場所を選ぼうと思っていた。

 彼女にとっていい場所かは分からないが、ノインの力が最も効果的に機能するような戦地を選ぶつもりだ。

 これは、できれば街がいいだろうかと思う。

 どこかの街を守るような仕事なら、きっと彼女はやりがいを見出せるだろう。

 街の人々にも好かれるだろうし。


 そう考えながら、もう出発をすることにする。

 サティアが起きた気配がしたからだ。

 これから二人で聖堂におもむかなければならない。


「……山とか、海は……あの、よく分からないんですが」


 ノインがそんな言葉を漏らした。

 言いにくそうにしている。

 勇気を振り絞って、という雰囲気でなにかを伝えようとしていた。


「その……一緒に、行ってほしい……場所が……」


 声を詰まらせながら彼女はそう言った。

 これは軍人としての赴任先ではなく、近場でどこかについてきてほしいのだという意味だろう。

 だが今はそんな余裕がない。


 アッシュは短く断っておく。


「悪いが、アリスあたりに頼んでほしい。俺にはやるべきことがある」


 奥の部屋からサティアが出てきたのを確認しながら答えた。

 するとノインは息を呑んで俯いてしまう。

 魔物化の影響の苛立ちを感じながら、アッシュは立ち去る前に謝罪をした。


「……すまない。君には、迷惑ばかりかけた」


 しかし、その言葉に返事が返ってくることはなかった。



 ―――



 鎧を身に着けたサティアと二人で城を出る。

 聖堂はすぐ隣にあるが、城も聖堂も尋常ではないほどに大きい。

 だから呼びつけられた場所はまぁまぁ遠かった。


 二人で、特に言葉も交わさずに歩いていく。


「……ついたわね」


 しばらく歩いた先でサティアが言った。

 言葉通り目の前には聖堂がある。

 聖堂の、指定された入り口がある。

 ここを通った先で、神官たちから正式に神託について知らされるのだ。

 これは出発に先立って必要な手続きなのだという。


「失礼ですが、ご身分は?」


 やがて、聖堂の入り口で憲兵に呼び止められた。

 アッシュはこういったやり取りが得意ではない。

 なのでサティアに任せる。

 すると少し話して、通行の許可を得られたようだった。


「行きましょう」


 彼女の言葉に頷いて聖堂の扉をくぐる。

 巨大な正門とは違い、少し大きいくらいで普通の範疇にあるドアだった。

 そうして細い廊下を歩き続ける。

 こんな裏口のような場所でさえ、壁や床には隙間なく装飾が見える。

 聖堂は本当に、呆れるほどに贅を尽くしてあった。


 さらに進むと案内と思しき神官に出会う。

 無愛想な彼に導かれるまま進んだ。

 すると、いつしか広い会食場のような場所に出ていた。


 案内役の男が深く腰を折り、アッシュたちに頭を下げる。


「……こちらでお待ちください」


 黙って頷いてアッシュは周囲を見る。

 赤い絨毯が敷かれた、日当たりがいい大広間のように見えた。

 かなり広くて、クロスが引かれた円卓がいくつも並んでいる。

 そこで多くの聖職者たちが食事をしていて、バカにしたような目でこちらを見ていた。

 なにかひそひそと話してほくそ笑んでいる。

 そして彼らが囲む円卓は隙間なく配置されている訳ではなく、広間には何も置かれていない開けた場所もあった。


「…………」


 まるで舞踏会だとアッシュは思う。

 大広間の中は食事のスペースと、アッシュたちが立つ開けた空間に分かれていた。

 もし夜会かなにかならここで招待客がステップを踏むのだろう。

 しかし今においては用途がよく分からない。

 どうしてこんな奇妙な場所に呼ばれたのだろうと思っていると、唐突に痛みを感じた。


「っ……」


 声を漏らす。

 見えないほど速い、何かが襲いかかってきた。

 体のどこかに打撃を受けて吹き飛ばされる。

 猛烈な勢いで柱に叩きつけられた。

 だがまだ攻撃は終わらない。

 殴られ、蹴られ、鎧を掴まれて地面に叩きつけられる。

 柔らかな絨毯の下の石の床が割れるのが分かった。


「……そうか」


 相手が誰か分かったので小さく呟いた。

 そのまましばらく暴行を受け続ける。

 攻撃が終わるのをじっと待つ。

 相手の動きが速すぎて、抵抗をする意味を感じなかった。

 それと死なない程度に、重い怪我をしない程度に手加減をしてくれていることが分かったのもある。

 だから適当に、頭の中で数を数えている。

 こうして待っているとすぐに終わった。

 数はちょうど二十二だった。


「…………」


 咳き込んだあと、這いつくばったまま顔を拭う。

 すると外套の袖にべったりと血がついた。

 息を整えてアッシュは声を絞り出す。

 目の前に立つ男に語りかける。


「先日は悪かった。足りないとは思うが、これで……許してもらえるだろうか?」


 目の前には勇者が、プラノが立っていた。

 大きな火傷の跡がある顔の無表情な男だ。

 目にかかる黒に近い灰色の髪の奥で、青い瞳が冷たくアッシュを見据えている。

 無機質な表情だが、どこか血筋の良さを感じさせる顔立ちだと思う。


 以前見た……おぼろげな記憶の中の姿と変わりはない。

 しかし今はボロ切れではなく、白く華やかな衣装を身に着けている。


 そして首に、あの首輪を……『隷属の首輪』をつけていた。


「…………」


 どういうことなのかは分からない。

 だがアッシュは特に言及しなかった。

 彼が自らの意思でこれをつけたということが分かるからだ。

 もし外そうと思えば、勇者ならどうにでもなるだろう。


 なのでただ、先日の暴走の件について謝罪した。


「本当に、迷惑をかけてしまって……すまない」


 勇者はやはり沈黙を守っている。

 その長身で、這ったままのアッシュを見下ろしているだけだ。


 けれど聖職者たちは違った。

 地に伏せて謝る姿が面白かったのだろう。

 一斉に手を叩いて笑い始める。

 ホールに反響するような勢いで笑い声が弾ける。

 どうやらこの開けた場所は、アッシュという見世物のために用意されていたものらしい。


「…………」


 心底どうでも良かったので反応はしない。

 立つために膝をつく。

 しかし左足が動かずに少しだけ手間取った。

 すると、どこからか酒瓶が飛んできた。

 額に当たって割れる。

 痛みと酒臭さを感じながら、アッシュは小さく鼻を鳴らす。


 そして、神官たちはきっと楽しみにしていたのだろうと思った。

 忌々しい人造勇者の、無様な姿を見ながら食事でもするような日を。

 そこで、ようやく代表と思しき神官が呼びかけてくる。


「申し訳ありません、アッシュ=バルディエル殿。貴方もまた勇者であったそうですので、実力をぜひ、拝見しようと思ったのですが……」


 かけられた言葉に顔を上げる。

 身分の高そうな神官の男が立っていた。

 初老の痩せた男だった。

 プラノの後ろに立って、蔑むようにアッシュを見ている。


「…………」


 今の襲撃の建前は『骸の勇者』の実力を見るため……ということらしい。

 しかし相手にもならず、アッシュはみっともなく血を流して這いつくばった。

 聖職者たちにとっては満足の行く結果だろう。


 楽しげな様子で男は続ける。


「貴方が勇者になられたのは、何かの間違いだったのでしょうか? それともまだ病み上がりで、具合がよろしくないとか? まぁどちらでも構いません。神によって、証明の機会が与えられましたので」


 身振りを交えた芝居がかった口調だった。

 次に何を言うのかアッシュにも分かった。

 つまりは三の魔王の討伐だ。

 思い違わず、彼はその言葉を口にする。


「三の魔王を倒しなさい。これは神託です。神は貴方に証明を求めている。果たして本当に勇者たる存在であったのか……魔王の討伐の試練をもって見極めろと」


 この神託が本当にあったのか、なかったのか。

 それはどうでも良かった。

 だが理屈は分かる。


 勇者になったことを、上手く利用されたものだと他人事のように思う。


「貴方が、真の勇者であったのなら可能なはずです。もしできなければ……それは貴方が勇者の名を騙っていたということ。神への冒涜です。この罪は死に値しましょう」


 いささか興奮したような口調だった。

 自らの発言に酔いしれるような、情熱的な語り口で言い切った。

 楽しくて仕方がないという顔だ。

 続けて彼は割れた酒瓶を拾う。

 残った中身をアッシュの頭に垂れ流してくる。


「…………」


 酒が目に入らないように俯く。

 男はまた笑い声を漏らす。

 低い声で罵倒してきた。


「まぁ、どうせお前には無理だろうがな。最弱の四の魔王にすら敗れたクズに……倒せるはずもない。せいぜい無様に死んでこいよ、下賤げせんが」


 神官たちが息を詰まらせるような勢いで笑っている。

 酒をかぶりながら、アッシュはあざ笑う言葉を聞き流していた。

 目の前の男が最後に唾を吐きかけてくる。

 ため息を漏らして、俯いたまま一言だけ返す。


「分かりました」


 多分、これが正しい言葉遣いなのだろうと考えながら。



 ―――



「ね、なんで怒らなかったの?」


 聖堂から出て、まず口を開いたサティアが言った。

 きちんと口を開けて、喋っているような形で声を作っていた。


 二人で歩きながら、アッシュは短く答える。


「意味がないから」


 勇者と戦う気はなかったし、三の魔王の討伐という方針に異論はない。

 別に怒ったり争ったりする理由がなかった。

 酒を垂れ流されようが殴られて血を流そうがどうでもいい。

 生きていると酷いことばかり起こるので、大抵のことは気にならなくなった。

 争う時間がもったいないと思う。


 だからそう伝えたのだが、サティアは不満げに鼻を鳴らす。


「馬鹿ね。戦士なら、自分の誇りくらい……自分で守りなさい……」


 アッシュはふと思い当たった。

 彼女は確か、誇りを守ったのだったと。

 聖職者に服従を求められ、断った上で死地におもむこうとしている。

 国を守るために助けを求めながらも、それでも誇り高い王を続けようとしていた。

 でもアッシュにはもう、誇りに対する執着が残っていなかった。


「俺は、どうでもいい」

「…………なにか……好きなこととか、大事なものはないの?」


 アッシュの姿は、サティアにとってあまりに浮世離れして見えたのかもしれない。

 だからか心配するような顔で聞かれた。

 少し考えて答える。


「魔獣を殺すのが好きだ」

「他には? やりたいこととか……」

「特に」


 本当に何もない。

 間違いなく、本心だったと分かったのだろう。

 サティアは呆れたような顔になる。

 そしてため息を吐いた。


「欲がないのね」


 ないように見えただろうか。

 そう見えたかもしれないという自覚はあったので、簡潔に否定しておく。


「いや、欲はある。価値観が違うだけだ」


 するとサティアは小さく首を傾げた。

 だがもうこれ以上は言葉を重ねなかった。

 会話は終わりということだろう。

 黙って、二人でアッシュの部屋に戻る道を進んだ。


「…………」


 まだ朝だがゆっくりはしていられない。

 もう少しノインと話して、カイゼルに準備をさせて、今日中にこの街を出る。



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[気になる点] >あいにくアッシュは馬鹿で、魔王領の脅威になり得るような存在ではなかったが。 一応今までたくさんの戦場を参戦したし 死んだ兵士の数じゃ足りない?
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