一話・死を告げる神託
薄く目が開いた。
かすかな光が見えた。
だが彼には何も分からないし、何も考えてはいなかった。
ひたすらに頭が重い。
気だるい感覚に意識が満たされていた。
体が動かなくて、重苦しい牢屋に詰め込まれているような気がしていた。
喉が渇いてあちこちが痛むのを感じている。
一方で、体を動かそうとすると分かるのだが……感覚がなくなっている場所も多いようだ。
何時間も正座をしたあとの足の感覚に似ていると思う。
それを酷くしたような、チクチクとした鈍麻に侵されている。
まぁ、つまり、簡単に言うのなら、彼の体はすっかり駄目になっていたということだ。
ぼんやりとした意識の、自分が誰であるかさえ分からない彼にだって、これくらいは簡単に理解できた。
しかし、それでも生きているというのは確かなことだ。
だから彼は起き上がろうとする。
「…………ぁ」
彼は体に力を込めた。
けれど上手く動かせないから、代わりにうめき声を漏らした。
半開きの目の視界はぼやけていたので、強い意志でもっと目を開こうとする。
そうしていると徐々に意識がはっきりしてきた。
彼は名前を思い出した。
名はアッシュだ。
アッシュは、自分が最後に何をしていたのかを思い出そうとする。
「うっ、うぅ……」
だがよく思い出せない。
魔王、という言葉が胸に強く残っている気がする。
しかしその意味すら分からないまま、再びアッシュは闇の中に堕ちた。
―――
「起きなさい。もう……さっき、起きてたでしょ」
アッシュは女の声を聞いた。
冷たくて、小さくて、平坦で、感情の起伏を感じられない声だった。
その、届いた声は所々が奇妙に途切れている。
けれど頭の中に直接響くかのような、不思議な力強さも感じる。
そして、この声に導かれるようにしてアッシュは目を開いた。
「…………」
今度はいくらか意識がはっきりしていた。
アッシュは天井を見た。
白い、飾り気のない天井だ。
かなり高い天井なので、きっと大きな建物にいるのだろうと考える。
また、こうして天井を見ているとどこからか日が差し込んでいるのが分かる。
今は昼間で、ここには窓があるのだろう。
見える物から得られるだけの情報を得て、アッシュは声の方に振り向こうとした。
だが上手く首が動かなくて見ることができなかった。
それを察したのか、声の主がそばで動いた気配がした。
寝たままのアッシュの上に顔が現れる。
ベッドのそばに立って、こちらの顔を覗き込んでいるようだ。
女はじっと、そうしてアッシュのことを見下ろしていた。
「アッシュ=バルディエル。いいニュースと……悪いニュースが、ある。どちらから、聞きたい?」
やはり奇妙に途切れた声で、女がそんなことを言った。
知らない女だが、ずいぶんと気安い口調で語りかけていた。
「…………」
状況が分からなかったので、アッシュは女の顔をまじまじと見つめる。
見ない顔だった。
肩までの銀の髪に白い肌、灰色の瞳の隻眼の女だ。
右目に黒い眼帯を巻いている。
印象としては、どこか幼いような気がする顔だった。
顔は小さく、口や鼻、眉などの顔のつくりもどこかこぢんまりとしている。
しかし黒目がちの目ばかりが大きく、なにか愛玩人形じみた愛嬌を漂わせていた。
そして、そんな彼女の表情は乏しい。
ただ静かで落ち着いた視線をアッシュに向けていた。
瞳を覗き込むと、見た目の幼さの裏に大人びた理性があるのが伝わる。
また、よく見れば口元がわずかに緩んでいるような気がする。
呼びかけの気安さに相応しい、親しみを持っているように感じられないこともない。
では少なくとも敵ではないのか。
気休めのような判断をして、アッシュはようやく口を開く。
「悪い……方から」
声はなんとか絞り出せた。
かすれた声だった。
あと、こうして声を出すと喉が痛むことに気がつく。
どうにかなった喉を整えるために弱々しく咳き込んでいると、女が答えた。
「悪い方から?」
聞き返してきた女に、首を動かして小さくうなずいた。
悪い方から聞くことにした。
良い方から先に聞いて、悪い話を聞いてがっかりしたくなかった。
だから悪い方からと伝えると、ようやく女が話し始める。
「いいでしょう。では……単刀直入に。あなたには、死刑が、言い渡された」
女の発言を受けて、あまりアッシュは動じなかった。
なぜ自分が処刑されるのかを考えていた。
なにか、重要なことを忘れているような気がする。
しかし一方ですぐに死ぬわけではないとも理解していた。
上位魔獣よりは強い魔物を人間たちが処刑するというのも本来なら無理な話だ。
こうして傷ついて寝込んでいる間に済ませておかないならば、単純な死刑を執行するつもりはないということだ。
そう思って澄ましていると、女はにやりと笑みを浮かべた。
「動じてないのね。いいわ、それでこそ……歴戦の勇士よ」
こうして声を聞いていると、やはり女の声にはどこか違和感があった。
不自然に途切れて、また不自然に声に感情がない。
口は開いているものの、どうも喉から声を出しているように感じない。
とはいえそれはどうでも良かったので、話の続きを聞くことにする。
「まぁ、察している通り……死刑、という表現は正確ではないの。正確には、あなたには、単独での……三の魔王の討伐が言い渡されたということ」
女の言葉を聞いて納得する。
なるほど、これは確かに死刑だと。
記憶が混濁しているが、もう少しずつ分かってきていた。
アッシュがこうして無様に寝ているのだって、四の魔王の討伐に失敗したせいなのだと。
なのに四より強い三の魔王を一人で倒すなんて無理な話だ。
どうするかを考えていると、また女が語りかけてきた。
「で、次はグッドなニュースよ」
そういえば良い話もあるのだと彼女は言っていた。
あまり期待せずに耳を傾けることにした。
だが、アッシュとは対象的に女はおかしそうに笑っている。
そのまま言葉を続けた。
「訳あってこの死刑に、私も、このサティア=ハンテルクもついていくことになった。頼もしい、でしょ? ……仲良くしましょうね?」
どうやらそれがいいニュースらしい。
いい話はこれだけ。
がっかりしたくなくて悪い話から聞いたのに、結局のところ落胆はした。
どうしようもないと思いながら、アッシュは深いため息を吐いた。
そして一つだけ問い返す。
「誰が死を命じた?」
すると女は、いやサティアはこともなげに答える。
「神が。神託が……あなたに死を命じた」
―――
「はい、では悪いニュースを三つ追加しますね」
いくらなんでもその神託は捏造ではないか、と……考えていたところで、急に別の女の声が聞こえた。
こちらは知らない声ではない。
聞き慣れたアリスの声だ。
「…………」
声がした方に首を動かす。
それくらいはできるようになっていた。
すると大きな窓のそばにアリスが佇んでいるのが見えた。
冬物らしい、厚手の喪服をまとった姿だ。
かたわらの窓は鉄格子つきのようだったが、今は格子が上げられて窓も開いている。
握りしめられた杖も相まって、いつでも脱出できるように……というような構えにも思える。
ともかく彼女はいつも通りの姿で、バカにするような目でアッシュを見ている。
「まず一つ、あなたは勇者ではなくなりました」
「…………」
「本物の勇者が現れたのでね。彼は、『光陰の勇者』と名が付きましたよ。ちょうどそろそろ、お披露目のパレードかなんかじゃないでしょうか」
彼女の言葉を聞いてアッシュはまた記憶を取り戻す。
自分がやったことを、そしてサティアという女についても思い出した。
記憶は完全ではないが、アッシュは魔王に敗れて暴走したあげく……彼女に襲いかかったのだということは分かる。
「サティア」
呼びかけた。
謝ろうと思ったのだ。
首を動かして、彼女の方を見る。
ベッドのそばでやたら豪華な椅子に座っていた。
この椅子はどこかから持ってきたのだろうか。
さっきは見えなかった服装も確認できる。
細身の小柄に、白いレースの美しいドレスを着ていた。
まるで令嬢が夜会で身につけるような衣装を。
「君には、申し訳ないことをした」
できる限り真摯に詫びたつもりだった。
襲いかかったのみならず、片目を奪ってしまったからだ。
しかしサティアは気にした様子はなかった。
椅子の上で、鷹揚な仕草で軽く手を振る。
「気にしないで。楽しい火遊びに、怪我はつきもの、よ……」
火遊び、という言葉が本気かどうかは分からない。
だがそれはともかく、心底悪いことをしたと思ったのでもう一度謝る。
「本当に……すまない」
サティアは答えなかった。
ただ楽しげな眼でこちらを見ている。
実際に話してみると最初の印象よりずっと感情豊かである気がした。
正確には、話していると感情を見せるようになったというか。
そして、入れ替わるようにアリスが口を開く。
「次の悪い話です。私はあなたの封印官から外れることになりました。いえ、正確に言うのなら……もう封印官という役割はなくなります」
これは当然の話だろう。
封印官というのは、人造勇者を保有する軍が教会より優位に立っていたから存在した役割だ。
しかし本物の勇者が現れて、もし教会がそれを取り込むことに成功したとすれば、もちろん人造勇者を恐れる意味はなくなる。
封印官などという形で神官を差し出すこともなくなるということだ。
アリスは楽しそうに笑って続ける。
「当たり前ですが、もう私に命令もできませんね。残念でした」
「そうか」
特になんとも思わなかったので頷いておく。
すると彼女が近寄ってきた。
虫を見るような目で、杖の先を突き出してアッシュの頬を押し潰してくる。
「意地張らずにおっぱい触らせろ〜……とか、えっちな命令しておけばよかったですね? えぇ?」
「興味ない」
本当になかった。
だから頬を潰されながらも答えた。
しかし何が不満だったのか、杖の先の力がさらに強くなる。
頬の肉がかなり落ちているせいか、少し痛いと感じた。
アリスは低い声で罵倒してくる。
「敬語使いなさいよ、このクソ一般人。無職。アリス=シグルム様はお偉い神官様ですよ」
そうか、と心の中で思う。
アッシュはもう勇者ではなく、ノインのように軍の役割すらない。
だから今はクソ一般人で、無職だった。
「すみません」
アリスは権力者が嫌いなくせに、自分が上に立つと驚くほど横暴だった。
それが面倒で、話の続きを聞きたかったので素直に謝る。
どうせもうあとわずかの付き合いだ。
さっさと聞ける話を聞いて別れたかった。
「まぁいいでしょう」
満足したらしく杖がどけられた。
話が続く。
「ああ、えっと、最後の悪いニュースですね。それは……アッシュさん、あなたの命は長くないということです」
言いつつこちらの反応を伺っているようだ。
冷たい目で観察しながらアリスが余命を告げた。
アッシュは答える。
「そうか」
驚きはない。
なんとなく、起きた時から分かっていた。
明確に言葉にされるとおかしな気分ではあるが。
しかし考えれば自然なことだ。
アッシュは無理に暴走して、二つ目の『殺戮器官』まで開いてしまった。
だから魔物の侵食が進みすぎたのだ。
もう人でいられる時間は短いということだろう。
「分かった、ありがとう。話はこれで終わりか?」
アッシュは特に取り乱さず答えた。
けれどアリスは何が気に食わないのか顔を歪ませる。
眉をひそめて、どこか怒ったような顔になった。
「いいんですか? あなた、死ぬんですよ?」
「なにかお前に関係が?」
無駄な質問はやめろと伝えたつもりだ。
それに彼女は小さく鼻を鳴らす。
もう冷たい顔に戻っていた。
「泣き叫ぶ姿が見たかっただけです」
「ああ」
アッシュは深く納得した。
そういうことなら、泣き叫んでやれば良かったと思う。
いつかの殺されてやるという約束を果たせなかったからだ。
ならばせめて仇が死を恐れ、泣き叫ぶ姿を見られれば彼女の胸も晴れやかだっただろう。
これまでの働きを考えればそれくらいはすべきだった。
しかし気の利かないことにアッシュは思い至ることができなかった。
残念だが、今からやってもわざとらしいだけだ。
「いいから消えろよ、クソ女」
なので憎まれ口だけを叩いた。
アッシュが惨めに死んだと聞いた時、少しでも彼女が気分良くなれるように。
しおらしくしているよりは、きっとふてぶてしい悪漢として振る舞ったほうがいいだろうと思った。
「…………っ」
するとアリスは何故か息を呑んで黙り込む。
こうして真っ向からアッシュが罵倒するのは珍しいせいかもしれない。
彼女は意外と心が弱いところがあるので、クソ女……程度の悪態でも身にこたえたのか。
とはいえ、正直もう相手にする気にはなれなかった。
余命が短いと聞いた以上は急いで状況を把握して、やることを整理しなければならない。
「…………」
黙ったまま、自分の体について確認することにした。
深く意識を研ぎ澄まして、力の状態を探る。
軽く動かそうとすることで、体の損傷の程度や動き方を調べていく。
少しそうしていると、大体は分かってきた。
傷は別に大したことはない。
多少残っているが、もう本当なら普通に動けるはずだ。
だが魔物の侵食がやはりよくなさそうだった。
これまでにないほど力を強く感じる。
もう封印は風前の灯とでもいったところか。
今ならもう……きっと、人間の姿でも限定的に『偽証』を使える気がする。
そして、ここまで考えて自己診断を終わりにした。
後は実際に動かしての確認だ。
「よし」
声を漏らしてベッドから身を起こす。
動かしてもあまり体に感覚がない。
アリスが何故か慌てたように声をかけてくる。
「ちょ、ちょっと。無茶ですよ、まだ……動くなんて」
「…………」
無視した。
周囲を見回す。
ベッドの横には小さなテーブルがある。
その上に置いてあった水差しから直接水を飲む。
さらに大きなパンも置いてあったので口に入れる。
病み上がりの食い物ではないが、アッシュの内臓の強さなら受け付けないということもない。
これを用意した人物は、そのあたりはすっかり理解しているのだろう。
「……なるほど」
声を漏らした。
口にしたパンがとても不味かったからだ。
まるで無味で、噛みしめるたびに不快感を覚える。
だがこれは、別にパンが悪いものであるからではないだろう。
きっとこまめに替えられていたのか、ある程度の品質は保っているように見える。
しかし不味く感じるのは、アッシュが魔物になったからだ。
それを納得して、なるほどと声を漏らした。
つまり、人間の食べ物は段々と受け付けなくなるというわけだろう。
だから耐えがたいほど不味く感じる。
けれど、かといって食わなければ変異に歯止めがかからなくなる気がした。
人間の食べ物を嫌えば、より深く魔力に依存していく。
なので文句は言わずパンを急いで食べていく。
別に、食べ物の味なんて本当はどうでもいい。
「ごちそうさま」
いただきますを言い忘れていたと、何気ないことを考えながらまた水を飲む。
それでようやくひと心地ついた。
もう出発しようと、ベッドの脇に置かれていた装備を身に着けることにする。
病衣を脱いで新品の鎧を身に着け、同じく新品の外套を纏って腰に剣を吊るすのだ。
見たところ、どれもおおむね以前と同じものだった。
しかし体が不自由なので身支度には手間を取る。
左腕は何故か動くようになっていたが、今度は左足を引きずっているのだ。
「…………」
だがもう死ぬ体に不平を言っても仕方がない。
何も言わず作業を進めた。
特にブーツを履くのには手間取った。
ベッドに座ったりしながら、少しずつ装備を身に着けていく。
そうして準備を整えて、部屋の出口を探した。
大きな鉄製のドアを見つけたので歩いて行く。
するとサティアが声をかけてきた。
「どこに?」
「魔獣を殺してくる」
「一緒に……魔王を、倒しに行きたいのだけれど」
作戦を話し合ったり、色々とやることがあると言いたいのだろう。
けれどアッシュは突き放した。
「君は来なくていい。俺だけで十分だ。魂を使って、手っ取り早く殺してくる」
つまりは自爆だ。
どうせもう時間がないというのなら、アッシュに取れる手段はそれだけだった。
下らない神託とやらに従うわけではないが、自分がすべきことについては理解している。
だからサティアは……どういうわけか死の旅に付き合わされるはずだった彼女は、もうその心配をしなくてもいい。
目を奪ってしまった詫びくらいにはなればいいのだが。
「……また夜、訪ねてきなさい」
しかしサティアはそんなことを静かに言った。
アッシュは何も答えず扉を開こうとする。
けれど鍵がかかっていて、なおかつ内側からは開かないようになっているようだった。
暴走の恐れがある魔物を閉じ込めるなら、当然の備えだろう。
「誰かいるか? 開けてくれ」
扉の向こうに呼びかけた。
開く気配がない。
早く魔獣を殺しに行かなければならないのに。
それで、不意に苛立ちを感じてドアを強く引く。
何度か引くと壁に小さな亀裂が入って、金属が軋むような音がした。
音を聞いて冷や水を浴びたように我に返る。
「……ああ、この、クズが」
強く歯を食いしばり、自分を罵倒した。
壊してしまうと分かって急に冷静になった。
自己嫌悪が押し寄せる。
こんな下らないことで物に当たるとは、どう考えても魔物に精神が汚染されていた。
アッシュは深く、腹の中の憎悪を吐き出すように息を漏らす。
ちょうどよく窓が開いていたのでそちらから出ればいいと気がついた。
「王都のそばには魔獣なんていませんよ」
アリスの声だった。
言葉から察するに、この部屋はどうやら王都にあるらしい。
そして、もしここが都なら……彼女の主張はおおむね正しい。
周辺の駆除が徹底されているし、都の四方に配置されている要塞が魔獣の流入を極限まで減らしている。
だから本当に、王都のあたりはのどかなものだ。
アッシュが行ったところで狩る魔獣など見つからない可能性が高い。
が、それでも何もしないことには耐えられなかった。
彼女は続ける。
「それに本物の勇者が現れたんです。あなたが……我々が、何をしようが、しまいが、もう意味なんてありませんって。肩の力抜いたらどうです?」
呆れたような、どうしようもない馬鹿を諭すような声だった。
無視しても良かったが、アッシュは答えることにする。
しかし冷静さを欠いた、汚い言葉ばかりが浮かんできたので、ひと呼吸落ち着いてから返事をした。
もう自分の精神状態がまともでないということは把握している。
「…………それは、違う。意味はある。どんなに小さい、下らない仕事でも……俺は死ぬまで続ける」
魔獣を殺せば、少なくともその魔獣は人を殺せなくなる。
これは意味のある行為だ。
確かに勇者が現れた今、大きな視点で見れば意味はないのかもしれない。
だが、そんなことでいじけて投げ出すような覚悟で旅立った訳ではない。
最低限できることがあるなら続けるつもりだ。
それさえできないのなら、アッシュは本当に無価値なクズだ。
「…………」
アリスは何も答えなかった。
なので背を向けて窓に手をかけた。
もう二度と、彼女と話すことはないだろう。
「……病気ですよ、あなた」
最後にそんな声が背にかけられた。
無視して窓から飛び出す。
この部屋は、城の中の一室であったのだと分かった。
また、本当に都であることもすぐに理解できた。
状況を把握できたところで、城の建物の起伏を利用して降り始める。
なんとなく街を見下ろした。
晴れた街は活気にあふれていた。
パレードをしている、というような言葉は本当のようだった。
通りには沢山の人が出て、勇者を晴れがましく迎えているのが分かる。
当たり前だが、自分の時とはまるで違うと感想を抱く。
すると不意に声が聞こえた。
「夜、あなたの部屋で待っている。ちゃんと……来なさい。あなたには、生きる道がある」
サティアのようだった。
そういえば彼女は音を操ることができたはずだった。
なら答えれば届いたのかもしれないが、何も答えず魔獣を狩りに行くことにする。
そんな道があるとは思えなかったし、提案自体に魅力も感じなかった。
今のアッシュは壊れた兵器だ。
もう生きる意味があるとは思えない。
狂って人を殺し始める前に、魔王と心中でもするのが選ぶべき正しい道だ。