幕間・ヴィクターの手記(4)
捕獲した候補者を実験場に迎え入れていく。
この実験場は、放棄されていた古い地下牢を拡張し再利用した場所だ。
いろいろと都合がいい立地なので選んだ。
まぁそれはいいか。
とりあえず、刻印は意識を奪った状態で施術する。
この際に失敗した個体は、『下書き』の要員として使用する。
刻印が済んだら、順番に覚醒させて最初の調教を開始しよう。
―――
これまでの実践を通じて、首輪の効果は段階を踏んで強化することが可能だと分かっている。
具体的に言うと、反抗、服従、随順、自責……の四つの段階を経て調教は完成する。
最初の反抗のステップでは、最も強く拒否するであろうことを命令する。
対象者が最大の抵抗を感じるであろう行為を強要していくのだ。
これで無力感を叩き込む。
次に、服従では全ての逃げ道を潰す。
自殺などの首輪から逃れる手段を完全に奪い、命令に従わざるを得なくさせる。
それから、随順の段階では被験体が望むことをさせる。
つまり進んで殺したくなるような相手を、命令で殺させたりする。
今回の場合、その相手は肉袋どもがいいだろう。
捕獲の経緯から、大抵の候補者は奴らに対して憎悪を持っている。
殺せと言えば自分から従う。
このように進んで従いたくなるような命令を与えて、無意識に残った首輪への抵抗を減らしていく。
最後に自責のステップだが、ここでは対象者に罪の意識を植え付ける。
例えば、これまで喜んで殺していた肉袋どもが、哀れな奴隷でしかなかったことを教えたりする。
すると対象者は自らの行為に罪悪感を感じる。
これまで正当な報復だと思いこんで、進んでやっていたことが罪であると自覚するのだ。
そうなると自らの行為に耐えられず、命令に従っただけだから仕方がないと思い始める。
さらに、以後の命令には自発的に従うようになる。
命令されたからやっただけ、逆らえなかったから仕方がない、そう言い聞かせ始めた実験体は、もはや首輪に抗うことはない。
首輪に抗えるのだとしたら、これまでの命令にも逆らえたはずだと考えてしまうから。
逆らえたのに従ったのであれば、自分の罪になってしまうから。
そして、ここまで丁寧に刷り込めば首輪の効果は相当な強度になる。
もちろんいつか魔物の耐性により無効化されるかもしれない。
でも精神的な支配を強めることで、決壊の時は遅延できるはずだ。
基本的にはここまでで十分ではあるが、必要に応じて首輪の恐怖を植え付けるための拷問も行っている。
こちらも、かなりの効果を期待できる。
―――
『下書き』に使った個体は、もったいないので調教に利用しよう。
随順のステップのために、肉袋への憎悪を高めるのに利用する。
目の前で殺させよう。
―――
ウォルターくんも首輪の前には屈服した。
何故かあの子には効かないような気がしてたから、少しだけ安心した。
それで、彼にはエヴァンズくんを殺させた。
エヴァンズくんはウォルターくんをよく慕っていたからね。
だから命令して殺させたが、少しも瞳は曇っていない。
本当に強い心を持っているね。
―――
あちこちでストックしておいた生贄を運ばせている。
一度に二百人ずつだ。
あまり小分けにすると逆に怪しまれる。
協力者の諸侯の、都に出入りする軍勢に紛れ込ませて運ぶ。
とはいえ正直、これでは見つかるのも時間の問題だ。
でも構わない。
ここまでくればもう止められはしない。
気づかれないよう、隠れて動かねばならないネズミはむしろ聖職者たちだ。
ステラが完成した時点でとっくに立場は入れ替わっている。
わざわざ都の地下に実験場を作ったのも、こちらが聖職者側を監視するためだ。
仮に勘づいて動こうとした者がいれば、その時はステラを使って即座に鎮圧する。
敵の権力は強いし、国全体を動かされるような真似をされると厄介だ。
でも今のこの場所からなら、そんなことをする前に潰すことができる。
―――
生贄の輸送が終わった。
ひとまずの仕事は完了したため、ステラを封印室に入れた。
絶えず強い封印をかけて、力を封じ込めるための部屋だ。
魔物化の進行を停止させる意味合いもある。
かなりの魂を取り込ませたとはいえ、放置していては魔物に吞まれてしまうだろう。
そして彼女はすでに五百人を取り込んでいるため、殺し合いには参加しない。
能力的にも、最後の戦いまで残すのにふさわしいのはよく分かっている。
しばらくはここで魔物を抑えておこう。
ちなみに予定では、最後はニーナちゃん、ステラ、ウォルターくん、リリアナちゃんの四人が残る予定だ。
ステラとニーナちゃんを戦わせ、ウォルターくんにはリリアナちゃんを殺させて魔物化を進行させる。
そうして、ステラたちの間の勝者がウォルターくんと人造勇者の座を争う。
また、わざわざリリアナちゃんを残すのは、十分な魂を得るまでは魔物化を進めないようにするためだ。
折を見て彼女を殺させて、完璧な魔物になる引き金として利用する。
―――
肉袋に生贄を混ぜる。
黒いローブを着せて、あたかも一員であるかのように装わせる。
小さな子供や大人、不揃いな彼らを候補生たちに殺させる。
ないとは思うが、もし候補生が殺されてもいいように、『貪る者』を刻ませた肉袋を回収役として広場の外に立たせておいた。
しばらくはこのまま殺しを続けさせよう。
先に到着していた、別の孤児院の候補者たちと、取り込ませた魂の数が揃うまでは続ける。
これもまだ、準備段階の作業なので、さっさと生贄を処分してしまいたい。
ああ、でもリリアナちゃんだけは別だ。
彼女はとても弱いから、幼児や身体的欠陥を抱える生贄だけ集めて戦わせている。
しかもまともに武器も持たせてない。
これなら流石に負けないだろう。
―――
魔物化の施術を開始する。
先に集めておいた候補者たちも、まだ魔物化させていなかったから実験はこれからだ。
タイミングを合わせて魔物化させて、その後に魂を奪い合わせることが重要なのだ。
魂を肥え太らせ、魔物の力に耐えうる器を作りながら、同時に魔物化を進行させていく必要があるから。
―――
魔物化に失敗が出た。
実験中のショック死だ。
一応、被験体はあまり見込みのない候補者で、なおかつ魂は回収役に拾わせることはできた。
計画には全く支障はない。
だがこれは、今となってはほとんどない失敗例だ。
原因を探ってみたが正直よく分からない。
不安要素が生まれた。
調査を進めると、失敗した環境にて今までの実験と違う点が一つ見つかった。
とりあえずこれを原因であると仮定することにする。
それは被験者が戦闘の直後で、魔力をかなり消費していたことだった。
報告では、魔術をばらまいて肉袋を始末していたらしい。
極度に魔力を消費した状態で魔物化を行うと失敗してしまうのかもしれない。
これからは十分な休息の後、回復を待って施術を開始することにしよう。
―――
急遽、実験体を調達してテストを行った。
魔力切れに追い込んだ状態で魔物化処理を施した。
するとやはりショック死した。
これで原因がはっきりしたというわけだ。
しかし、この失敗が何を意味するのか興味が湧いた。
魔力切れの状態で魔物化処理を行う、つまり魔力を注ぎ込むと死に繋がるとは。
考えもしなかったことだ。
むしろ魔力が回復し、体調が好転してもいいくらいなのに。
気になっていくつかの検証を行った。
結果、魔力切れを起こした状態では過度に魔力が流れ込んでしまうことが分かった。
見たところ、体内の魔力は内圧のような役割を果たしていたのだろう。
だから魔力切れの状態……つまり内圧が消えた状態では、外部から流れ込む魔力の量を制御できなくなる。
大量の魔力を急激に受け入れたことで、ショック死してしまったということだ。
なんて、いかにも知ったように語ってはいるが、僕もかなり驚いている。
だって魔力の過剰摂取によってショック死が起こるなんて知らなかったから。
でも、実は一方で腑に落ちたような感じもある。
極度の魔力切れによって人間が死ぬのも、もしかしたら同じ現象なのかもしれないと思い当たったためだ。
体内の魔力が消えた……つまり内圧がゼロになったから、大気中の魔力が急激に流入してショック死を起こすのかもしれない。
ということは、魔力には何らかの毒性があり、致死量が存在するということだろうか?
……いや、それは流石に飛躍し過ぎか。
もう少しずれた場所に、何か別に導くべき結論があるような気がする。
―――
計画と関係のない考察に費やす暇はない。
思考を切り替えて仕事に戻る。
魔物化は順調に進んでいる。
お父様の理論だ、成功して当然ではあるが。
―――
今日は子どもたちとお喋りをしに行った
とても楽しい気分だったのだが、誰も話を聞いてくれなかった。
何を話しても、ずっと怯えた目をして涙を流していた。
まぁ、それもそうか。
―――
ウォルターくんも無事に魔物化した。
魔力が少ないから安定しないのではと思ったが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
最もスムーズで、なおかつ全く拒絶反応がない。
最後の問題をクリアできた。
―――
候補者同士の殺し合いを始めた。
ウォルターくんは問題なく勝ち上がっている。
しかし、気になるのはニーナちゃんのことだ。
何故か二度目からずっと大剣を使っている。
ウォルターくんの真似をしているような、そんな気配を感じる。
どういうつもりなんだろう?
短剣の方が強くなれると思うんだけど。
この分じゃ、最後はきっとステラに負けちゃうだろうな。
――――
見込みのある実験体には計画の内容を聞かせるようにしている。
もちろんこれは管理のためだ。
多くの人の魂を取り込まなければやがて魔物に堕ちると教え込む。
もし自由になったとしても、その先に希望がないと理解させるのだ。
そうすれば反抗する動機を最大限減らせるだろう。
自由になったところで今度は自分の意思で人を殺すしかないのだから。
だったら人形のまま、強いられて殺すことを選ぶかもしれない。
反抗する意思さえなければ、首輪の欠陥に気づくのも遅れるはずだ。
あるいは僕たちを殺せばいいと思うかもしれないが、それだけで魂が足りる保証はないからね。
我ながら苦し紛れの施策だと思うけど、やらないよりマシだろう。
きっと。
――――
シーナが逃げた。
忙しくて、実は別の拠点に放置していたんだけど。
ここに連れて行く途中で脱走した。
どうやら親指を噛みちぎって手枷を外したらしい。
本当にとんでもないな、見くびってた。
あいつ自身は大した脅威じゃないけど、実験について公表なんてされたらかなり面倒なことになる。
来るのなら余計なことをする前に来てもらいたい。
だから、情報を与えて網を張っておくかな。
良心が咎めて実験体の救出作戦を企てている人物がいる……というような話をそれとなく流してみるか。
善は急げとも言う、早速始めよう。
―――
廃棄が出た。
クリフくんが壊れちゃった。
魔力が多いから安定していたんだけど、何故か急に魔物化が進行してしまった。
殺させる相手もちゃんと管理して、まだそんなに進まないようにしていたはずなのに。
ニーナちゃんに処分させるか迷ったけど、彼女の魔物化は慎重に進めたい。
だから次の相手に決まっていた、リュートくんに殺させることにした。
―――
例の暴走は、なんとかごまかせた。
あの、何故か味方を殺して回っていた兵士……アレを裏切り者だったということにした。
彼が首輪を外したから、クリフくんが暴走したというように偽装したのだ。
しかし、いつかはこうなると思ってたけど、思ったより全然早かったな。
僕もいつか殺されるのかな。
なんだかもう開き直っちゃった。
考えるのが面倒だ。
―――
ニーナちゃんに、リュートくんがおにいさんを殺したよって教えてあげた。
しくしくと泣いていた。
本当の家族だもんね。
悲しいよね。
お母さんだお兄ちゃんだと、いつも僕に見せびらかしてたよな。
いい気味だね。
―――
一応、リュートくんを拷問させた。
なにも出てこないのは分かってるけど、形式上ね。
偉い方々も首輪に欠陥はないと信じてくれたよ。
―――
何か思うところがあったのかもしれない。
ニーナちゃんの魔物化が進行した。
でも許容範囲内だ。
日程を早めて、彼女にはすぐにたくさんの魂を取り込ませてあげよう。
魔物の力に呑まれないように。
―――
ウォルターくんの魔物化が進まない。
思いつく限りの手を試しているつもりなんだけど、一切進まない。
困ったな。
―――
ついにシーナがやってくるらしい。
例の、救出作戦だなんだと言って接触させた部下から聞いた。
おびき寄せることになるが……下手に実験体と接触させるのは危険だな。
クリフくんみたいにもう反抗できるようになっていてもおかしくない。
魔物化が進んだ個体なら、何かあればそれに気づきかねない。
だから、あえてリュートくんの元に誘導することにした。
彼は魔物化が進んでいない。
それに、少し前に拷問したから、もう首輪に逆らうことはないだろう。
上手く利用してシーナを排除させれば、魔物化にもいい影響がありそうだ。
もちろん、わざわざこんなことせずに囲んで兵士に殺させてもいいんだけどね。
けどシーナにはこんなに手を焼かされたんだ。
ただ殺して済ませる気はない。
―――
ずっと暗い場所でひとりだった。
―――
シーナを捕獲した。
治療してやると、またふざけたことを僕に言った。
拷問しようかと思ったが、今いたぶると本当に死んでもおかしくない。
まだ死なせてやるわけにはいかない。
最後まで見せてやる。
―――
何を勘違いしたのか。愚かな女だ。
血も繋がってないのに家族になんてなれるわけがないのに。
血も繋がってないのに家族になんてなれるはずがない。
血の繋がった本当の家族と一緒に暮らすのが一番幸せなんだ。
なのに下らんままごとを見せやがって。
心が通じ合った本当に大切な本物の愛しい家族のために僕は生きてる!
血縁がなければ本当の家族とは言えない!!
どれだけ繕っても偽物でしかない。
僕はお父様にそっくりだ。
こんなに幸せで。
死んだら月へ行ってお父様に会える。
見てろよ。
僕は本当の家族を手に入れる。
―――
近頃小説の内容が頭に入ってこない。
読んでもすぐに忘れる。
―――
検診のついでにアンケートをとってみた。
魔物になった実験体たちが、共通の夢を見ていたことに気がついたからだ。
内容は白い世界と、黒い影と、黒い水の夢。
大体は似通っているが、証言には違いもある。
たとえば体が剥がれ落ちて壊れていく速さや、黒い水の大きさに関しては個人差がある。
黒い水について、ある実験体は湖と言って、またある実験体は海と言った。
認識の違いかと思ったが、詳細に聞き出した結果、実際にサイズが異なるようだと分かった。
魔力が多い者ほど、黒い水の体積が上であるような気がする。
そういった被験体からは、最初は世界が灰色であったというような証言が出ることもあった。
また、一例だけ黒い水を見なかった子もいる。
ウォルターくんだ。
体が剥がれ落ちることもなかったらしい。
やっぱり、彼はなにか特別な子なんだろうな。
―――
研究していると、よく禁書に目を通す機会があった。
禁術について学んだり、魔物化について学んだりするからね。
そういった書物に触れる機会が増えるのは仕方ないことだ。
で、禁書には大抵ろくでもないことばかり書いてある。
いわく、神は糞尿で固めた泥人形に意識が宿ったものである。
いわく、人を殺すことは素晴らしいことである。
いわく、グレゴリウス=アトスは人類の裏切り者である。
いわく、人間に魂など存在していない。
いわく、胎内から引きずり出した胎児を生きてるうちにすりつぶして飲み干せば高みへと至れる。
いわく、他人の妻を犯すと魔力が増える。
いわく、人の血は汚らわしいものなので、そこらの下水と総替えでもすべきである。
いわく、魔物に殺されることは光栄であり、魔物を大量に生み出す必要がある。
まぁ、全部挙げてちゃきりがないな。
露悪的な愚論の羅列でしかない。
有用なルーンや研究を含んでいることがあるのが不思議なくらいだ。
どれも悪意に満ちた内容が綴られていることが多い。
―――
僕の顔はお父様にそっくりだ。
鏡に向かって笑顔を作るとお父様が笑ってくれているように見える。
嬉しいな。
―――
ウォルターくんは強い。
魔物化が進んでいないのに、魔人化しつつある個体も問題なく退ける。
彼が完璧な魔物になったら、一体どれほどの力を手に入れるのだろう。
―――
この施設を潰そうと、聖職者どもが動いていた。
だからステラを使って黙らせた。
この国のトップに近い立場の者も参加していた。
というか、もう裏には教皇もついているだろうな。
だから連中、流石に鮮やかな手際だった。
かなりの精鋭を揃えて、実験場に突入するつもりだったらしいが……。
でもほとんどステラが散らかしてしまった。
それから聖堂に行かせて、高位聖職者を何人か始末させた。
やりたい放題だが、あいつらにはどうしようもない。
力の差は理解できただろうか。
今頃もう震え上がっているだろうな。
ついでにお手紙を何通か送っておいた。
これで後々の、勇者関連の取引もやりやすくなるだろう。
―――
人間は魔法を使えない。
魔力の放出に制限がかかっているからだ。
放出の力が弱く、触媒を通さなければまともに現象に昇華することができない。
しかしこれは、生存本能による制限なのではないだろうか。
魔力を好きに放出できるようになれば、魔力切れに陥りやすくなる。
すると体内の魔力が枯渇……つまり内圧が低下し、例の魔力過剰摂取によるショック死を迎えてしまうはずだ。
それを防ぐために、通常の生物には魔力の放出を制限する機能があるのかもしれない。
―――
ニーナちゃんの魔物化がまた進んでいる。
肉の下から骨が突き出ていたり、それが捻じくれて皮膚に食い込んだりしている。
見たところもう魔人化の段階に入りつつある。
どうやらかなり痛むらしく、独房を見るといつも苦しそうにしていた。
また、これに伴い精神もかなり不安定になっている様子だ。
悲鳴のような声が聞こえる時もある。
この分だとリュートくんはもういらないかもな。
十分に魔物化が進んでいる。
彼はまだ魔物の魔力すら引き出せていない愚図だから、もう処分してもいいかもしれない。
同じ落ちこぼれと五人でまとめて殺し合わせてみるか。
残れば良し、残らなければそれでも良し。
―――
現在は一つの封印で魔物の力を制御しているが、将来的には封印を二つに増やしたほうがいいだろう。
従来通りの、魔物の魔力を抑える封印に、魔人化を……肉体の変異を抑える封印を掛け合わせていく。
そして、殺戮器官の抑制も肉体の封印の方に組み込んだ方がいいだろうな。
この肉体の封印には魔石を使い、普段は絶対に解かないようにしよう。
通常の戦闘時は魔力の封印だけを解く。
肉体の封印を解放するのは、強敵との戦闘時のみだ。
この二重封印の仕組みで、体を蝕むであろう魔物の侵食を最大限に抑制できるはずだ。
―――
かつて世界に魔力が氾濫していた頃は、人も動物も魔物になっていたらしい。
あまりに大気中に魔力が多すぎたということだ。
しかし月の瞳がこれを収め、魔力を整え、人に正しい扱い方を教えて導いたとか。
が、今でも大気中の魔力が多い場所はわずかに残っていて、そこでは魔物が多く生まれていると聞く。
―――
私物から小説を捨てた。
もう読む意味がない。
授業はないし。
―――
施設の外に出た時、見覚えのある貧民街を見つけた。
僕の生まれた場所だ。
まだあったのか、汚らわしいあの糞溜めは。
神聖なる王都の恥だ。
久しぶりに見ても一切進歩がない。
獣の巣穴のような、みすぼらしい家が立ち並ぶだけの無価値な場所だ。
区画に隣り合った豪奢な娼館街が忌わしくて異質で目を引く。
全員死ねばいいのに。
気がつくと、日に日にあそこに住む魔獣以下のゴミどもが許せなくなっていった。
だから遊びで物乞いを何人か殺してやった。
ざまぁみろ。
底辺の乞食に存在価値などない。
それに、僕にはこいつらを踏みにじる権利がある。
だって、だって僕はこいつらにとても苦しめられたんだよ。
僕にしたことを忘れたとは言わせない。
高貴な末裔に仇なした罪は、命をもって償われるべきだ。
もしお父様が生きておられたら、僕のために同じことをしてくださったはずだ。
賤民の分際で僕をいじめたことを後悔させてやろう。
これからもずっと許さない。
いい気味だな。
あしたも僕に魔力の加護がありますように。
―――
ウォルターくんには全く魔物化の進行が見られない。
研究者の中には彼を出来損ないだと言う者も現れ始めた。
でも分かっていない。
彼は本当にすごい戦士なんだ。
ずっと見てきたから、僕はよく知っている。
―――
ニーナちゃんとステラの内、勝ったほうをウォルターくんに当てるつもりだった。
でもニーナちゃんがリュートくんにわざと負けてしまった。
彼を殺せって、ちゃんと念入りに命令しておいたのに。
もしかしたら首輪が壊れていたのかな。
でも、首輪の苦痛に苦しんでいる様子はあった。
なら無効化してたってことか。
やっぱり魔物には効果がないみたいだね。
僕も、きっともうすぐ殺されるな。
―――
薬を使って暇を潰している。
―――
何度見ても見事なものだ。
衛生兵としての知識を総動員して、殺さないように傷つけ尽くしてある。
しばらくリュートくんは使い物にならない。
あと、そういえばニーナちゃんが使っていた『光』のメダルが見つからないらしい。
本来なら管理問題だ。
他の実験体がこっそり触媒を拾ったら、なにか悪さをするかもしれないから。
けれど、もう実験体もたったの四人だ。
気にすることはない。
広場が地割れを起こしていたから、多分、その隙間に落ちたんだろうな。
―――
ずるいよお前ばっかり。
ずるいよずるいよずるいよずるいよ。
でも、いい気味だ。
―――
聖職者たちとの戦いに出して以降、ステラの状態が悪化し続けている。
特に近頃は、急激な悪化を繰り返している。
魔力が高い個体は安定するのではなかったのか?
分からない。
まだこの程度の進行なら、封印さえあれば耐えられるはずなのに。
五百人も取り込ませたんだぞ?
なのにむしろ脆い。
魔物の力に耐えられていない。
対策としては、とりあえずステラにリュートくんを喰わせたい。
でもニーナちゃんにつけられた傷が治っていないから、彼はまだ戦えない。
このまま殺させるという手もあるが、一応は彼も僕が孤児院で育てた生徒だ。
ちゃんと戦わせたい。
最低限、戦わせもせずに殺すなら育ててきた意味はなかった。
自分の仕事を否定する気はない。
廃棄するのは欠陥品だけだ。
だから僕は、きちんと戦いの場を用意する。
回復を待つ。
それまでできる限りの手を尽くす。
勝手に殺されないように、僕以外は誰も彼に近づけないようにしておく。
―――
かあさんとは生まれたその日から仲違いをしていたから。
仲直りがしたくて花かんむりを作ったら、客の前でこんなものつけられるかと酒瓶で殴られた。
せっかくの花は踏まれて潰れた。
ごめんね。
かあさんごめんね。
産まれてきてしまってごめんね……。
―――
カイゼル。
何を今さら懺悔している?
なぜお前が泣く?
なぜだ?
ならいっそ死ねよ。
―――
これは予言だ。
三日後にステラは暴走するだろう。
―――
よく禁書を売りに来ていた、馴染みの商人が会いに来た。
これまで買った禁書の中で、もういらないものがあれば買い戻させてほしいらしい。
もちろん快く売ってやったが、今度は研究資料が買いたいとも言われた。
これは、本当なら断るところなんだけどな。
というか絶対にやっちゃだめなことなんだけどね。
でも彼には入手困難な禁書を手に入れてもらったり、色々と無理をしてもらっていた。
あげてもいいと思ったから無償で与えることにした。
なんかもう、どうでもいいし。
すると、ここを出て一緒に商売をしないかって誘われた。
けどそっちは断った。
悪いけど、もうすぐだからね。
―――
目障りだったからシーナを施設の外に出した。
都の片隅の救護院に放り込んで、セオドアに連絡しておいた。
まさか殺しはしないだろう。
―――
ウォルターくんの魔物化を進めようとか、ステラを殺そうとか、他の研究者たちは必死で動いている。
僕は面倒だから成り行きを見守っている。
すると、こうなるのを分かっていたのか、なんて言われたけど。
―――
お父様が僕のことを初めて息子だと呼んでくれた日。
あの日僕の人生は始まりました。
母親が死んだから、僕があなたの屋敷まで会いに行った時でした。
門の前で、お父様は憲兵どもに連行されている真っ最中でした。
僕は驚いて声も出せませんでした。
ですがお父様はこいつは息子だ、協力者だ、共に連れて行けと言いました。
僕はお父様がなぜ捕まっているかも知らなかったのに。
でも息子と言ってもらえて嬉しかったな。
これからは一緒に暮らしてもいいのかと思うと楽しみだった。
一人じゃないなら、息子として認めてくださるなら、ずっと牢屋でもよかったんだ。
お父様は捕らわれた先の牢で、僕に資料の隠し場所を託してくれた。
同志に伝えろと言ってくれた。
お前にもそれくらいはできるだろうと。
それも嬉しかった。
初めて認めてもらえた気がして。
それきり口を利いてはくれなかったけれど、ぼくはどんなくるしいごうもんにもああいるあああくっしませんでした
お父様が処刑された後、送られた修道院はずっと暗くて怖くて口を開くと叩かれる。
毎日が真っ白で暗くて死ぬための呪文をいつまでもいつまでも唱え続ける。
祈り声がこわいよ
僕は生まれつきの悪で悪くて死んだほうが良くてそんなことばかりいつも教えられてくらいよ苦しかった死にたうううあかつた
でも僕は負けなかった!
僕は無価値なんかじゃない!
なにも悪いことなんてしてない……。
悪い人間なんかじゃない!!!
ちゃんとお父様の託してくれたことを同志へと伝えました
そしてお父様の代わりに僕があなたの志を継いだのです
誰でもない僕が、僕こそが!!!
成し遂げたんです!!!!
ねぇ
本当に頑張ったんですよ
―――
やっぱりもう駄目だろうな。
ステラは制御できない。
というより、いつかこんな日が来ることは分かっていたんだ。
殺されるのは分かっていた。
分かっていたけど進んだ。
幸せになるにはこれしかないって知ってたから。
だったら受け入れるしかないだろ。
―――
もうすぐ全部終わります
終わったら僕も、肉体を捨てて月に行きます
お父様は聖人だから、きっと月にいますよね
僕も行けますよね
やっと親子二人で、神様の場所で、普通の家族の暮らしができますね
もう誰も邪魔しませんよね
褒めてくださいね
迎えに来てくださいね
僕は今、とても幸せですよ
―――
この手記ももう残りページが少ない。
筆を置く時がきたのだろう。
もうこんなものに書かなくてもお父様に直接聞いてもらえる。
その時は、お父さんと呼んでもいいですか?




