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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
207/250

エピローグ・ありがとう

 



 ここまで手紙を読んでくださったことに感謝いたします。

 長くなってしまい申し訳ありません。

 なので、これ以上続けるのは心苦しいのですが、良ければ最後にもう一度お礼を言わせてください。


 先生には本当に感謝しています。

 長いあいだ育ててくれてありがとうございました。

 そして、助けに来てくれてありがとうございます。

 血も繋がっていない僕たちのために、先生が命を懸けてくださったことは決して忘れません。

 先生のような立派な方と一緒にいられて、僕は本当に幸せでした。


 ですが、本当に勝手だとは思うのですが、それも今日限りにさせてください。

 僕はあの時、助けに来てくれた先生を刺してしまいました。

 裏切ってしまいました。

 それに、先生の子どもを何人も殺しました。

 ですから、もう先生に会う資格がありません。

 たとえ許してくださるとしても会いたくありません。

 先生のことを考えるだけで、消えてしまいたいような気持ちになります。

 本当に苦しくて仕方がないのです。


 だから、もうどうか忘れてください。

 全て忘れて生きてほしいです。

 勝手なことばかり言ってすみません。

 でも、遠くで先生の幸せを願っています。

 先生は何も悪くないので、どうか幸せになってほしいです。


 長くなりましたが、そろそろ終わりにします。

 手紙もこれで最後にします。


 さようなら。

 ■■■■■■■■■■■■■

 もう二度と会わないでしょう。



 ―――



 別れの手紙は、最後に、ほんの一文だけ、黒く塗りつぶされていた。



 ―――



 勇者が現れた。

 ある日、大火の爪痕に苦しむ王都にそんな知らせが駆け巡った。

 これは本来なら何より喜ばしいことだった。

 だが、翌日の街は死んだように静まり返っていた。


 理由はその勇者……『骸の勇者』が旅立つからだった。


 つまり、旅立ちを誰も見送ってはならないという命令が教会を通じて布告されていたということだ。

 表向きの理由は大火の犠牲者の喪に服するため、祝い事を控えるためである。

 そしてそれは、勇者が街を出るまで外出すら許されないほどの徹底ぶりだった。

 だから、誰一人として降って湧いた勇者を見送る市民はいない。

 当然、伝統である旅立ちの祝典も行われないことになっている。

 そうしてがらんとした道を、勇者は一人で歩いていくことになった。


 ……しかしそんな中、たった一人街に出ている者がいる。

 その人物はシーナだった。

 彼女は命令を破り道に出て、彼を引き留めようとしていた。


 でも結局声をかけることはできなかった。

 なぜなら城に向かう前に声をかけて、もう彼女は別れを告げられていたからだ。

 それに、告げられる以前に受け取っていた手紙の……別れの手紙の中でも、彼は確かに拒絶していたからだ。


 だから今度はもう、姿を見つけても何も言うことができなかった。

 遠く去っていく背中を見送るので精一杯だった。


「…………」


 そしてあとからあとから雪が降る中、彼は一人で旅立とうとしていた。

 街の外の、軍の部隊と合流するために。

 うなだれて、わずかにふらつく足で進んでいた。

 広い道に、たった一人で。

 これではまるで罪人か晒し者のようだった。


「……どうかしてる」


 シーナは泣きながら呟いた。

 悔しいと思って唇を噛んだ。


 時折、家の窓から市民が様子を見る。

 だがすぐに怯えたように家の中に消えるのが分かる。

 それは勇者が生まれたという宣言と同時に、裏では様々な悪評が振り巻かれたからだ。

 大火の痛みに苦しむ市民たちにとって、その噂はていのいい不満のはけ口になった。


 もちろんその流言りゅうげんに根拠はない。

 けれど元々、あの夜の炎……消えない炎には不審な点が多く、疑念を持つ市民は少なくなかった。

 だから疑心暗鬼の王都に、悪評はあっさりと浸透した。

 そして今、勇者は嫌悪と恐怖が入り交じる目で遠巻きにされている。


 でも、これがすべて嘘だと彼女は知っている。

 彼が大火に乗じて魂を奪うはずがなかった。

 まして進んで孤児を殺し、力を手に入れようとすることなどありえない。

 シーナの知る限り、彼もまた人体実験の被害者だった。

 苦しんで、望まずに力を与えられた。

 やせ細り、片目を失って、物音にびくびくと怯えながら独房の中でベッドに隠れていた。

 怖いと言って、シーナにしがみついて震えていた。

 罪の意識に苦しんで、何度も死にたいと泣いていた。

 なにより、あの子はとても優しい子だったのだ。


 だというのにいま、そんな子どもに勇者の重責を負わせ、いつ死んでもおかしくない場所に放りこもうとしている。

 飽き足らず、ありもしない噂を立てて追い詰めようとまでしていた。

 感謝をするどころか、十二歳の子どもに、まだ幼い少年に……醜い大人が寄ってたかって悪意をぶつけ続けていた。

 喪に服するなんて嘘をつき、幼稚なあてつけのように一人で歩かせて。


 もうなんと言っていいのかすら分からなかった。

 地獄だと思った。

 もちろん自分にも罪があることは分かっている。

 ただこの世界には、本当に、誰も彼も許されないような人間ばかりだった。


「……ごめんね」


 去って行く背を見つめる。

 呼び止めなければと、何度もそう思った。

 こんなおぞましい世界のために戦う必要はない。

 自由になっていいと伝えたかった。


 でも声をかけるのが怖かった。

 子どもたちをむざむざ死なせた自分に、いまさら語りかける資格があるとは思えなかった。

 だからどうしても踏み出せなかった。


 しかし、すでにリュートは半分まで道を進んでいる。

 このままでは本当に行ってしまうだろう。

 どうにか決意を固め、最後にもう一度呼び止めようと口を開いた……その時。


「……!」


 シーナは息を呑んだ。

 リュートが振り向いたのだ。

 道の先、遠ざかって小さくなった背中がゆっくりと振り向く。

 そして背後に、あるいは街に……いや、街にいる誰かへ向けて深々と頭を下げた。


「…………」


 どれほどの間こうしていただろう。

 まっすぐに、腰よりも低く頭を下げ続けていた。

 謝罪ではなく、感謝を告げているように見えた。

 理屈ではなくシーナはそう感じていた。


 けれどやがて顔を上げ、彼はまた前を向いて歩き始める。

 その、去っていく背は、もううなだれてはいなかった。

 しっかりと背を伸ばし歩いていく。


「……ああ」


 声を漏らした。

 自分がいることを知っていたのだろうかと考える。

 多分、気づいていなかっただろうと思った。

 気づいていたら決して頭を下げたりしない。

 そんな姿は見せない。

 彼はそういう子だと分かっていた。


「…………っ」


 言葉にできない感情がこみ上げてきて、シーナは思わず泣き崩れる。

 杖を取り落として座り込んだ。

 するとこれまでのことが思い浮かぶ。

 子どもたちと過ごした時間が、かけがえのない思い出が、いくつも脳裏に浮かんでは消えていく。

 血のつながりもないのに、彼らはシーナの本当の家族よりも彼女を愛してくれた。

 本当の親のように慕ってくれた。


「……ありがとう」


 数え切れないほど子どもたちに謝ってきた。

 でも初めて、あの礼に答えるように、シーナは感謝の言葉を口にしていた。


「一緒にいてくれて、ありがとう」


 泣きながらそう言った。

 でも声は殺した。

 大きな声で泣けば、彼の耳には気づかれてしまうかもしれなかった。

 あの、まっすぐに伸びた背中を見て分かった。

 彼はいま自分で決めた道を歩もうとしている。

 だからもう止めてはいけないのだ。

 歩いていく理由を見つけてしまったのだ。

 きっとあの子らしい、なにか優しい理由を見つけたのだ。


「家族にしてくれて……ありがとう」


 また感謝を伝えた。

 座り込んで地面に手をつく。

 言うことを聞かない、嗚咽を漏らしてしまう口を強く押さえる。


「うっ……ううっ…………」


 思い出が、せきを切ったかのようにあふれていた。


 授業のあと、いつも子どもたちが集まってきたこと。

 幼い子どもへの訓練の仕方に悩んで、サッカーという嘘の遊びの形式を試すと想像以上に流行って困ったこと。

 一生懸命、楽しそうに商売をしている子どもがいたこと。

 病気をした子どもの看病をしたこと。

 図書室でうたた寝をしていると、子どもたちがみんなで寝顔の似顔絵を描いていたのに怒ったこと。

 でも、本当は少しだけ似顔絵が嬉しかったこと。


 人殺しの、どうしようもない嘘つきの、自分にも家族がいた。

 かわいい子どもたちがいた。

 そのことに、心からの感謝を伝える。


「ありがとう。今まで…………ありがとう、ありがとう」


 守れなくてごめんね、と心の中でだけ付け加えた。

 すると子どもたちが笑った気がした。

 肩を寄せ合って、みんなで仲良くどこかに去って行きながら、振り向いて笑ってくれたような気がした。


 多分、本当にそうするだろうと思った。

 自分に都合のいい妄想ではないかとも疑う。

 でも、やっぱりどう考えてもそうするとしか思えなかった。

 みんなシーナにはもったいないくらい、優しい子どもたちだったのだ。


「…………」


 それから、彼女は去っていくリュートを見送る。

 声を押し殺しながら、最後の姿を目に焼き付けていた。

 彼は前を見て歩いて行く。

 長い道を。雪が降る街を。

 まっすぐに、しっかりとした足取りで進んでいた。

 外の世界へと一歩ずつ踏み出していった。



 雪に足跡がひとつ、点々と残されていく。




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