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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
204/250

九十五話・悪夢

 



 勇者を待っていた。



 悪くなるだけの人生を、救ってくれるような誰かを待っていた。

 村から逃げる時も、ステラに襲われた時も、首輪をつけられた時も、その後も、俺はずっと待っていた。


 世界を救ってくれなくてもいい。

 でも俺を、俺の家族をこの地獄から助けてほしい。


 そう思って今も、ずっと、待ち続けている。



 ―――



 剣を振り下ろす。

 ウォルターの死体の右腕を切断する。

 そしてその腕を、焼けただれた腕を、自分の右腕につなげた。


「…………」


 俺は化け物だ。

 人間の助けを得られるかは分からない。

 また、自分で治療することもできない。


 だから奪った。

 これから一人でも、戦い続けるために奪った。

 左腕で、繋げた右腕を押さえる。

 そうしていると何故か吐き気がこみ上げてきた。


「うっ……うぅっ……うっ……」


 こらえきれず吐く。

 でも吐いても血しか出てこなかった。

 そのまま何度か吐いていると、ウォルターから奪った腕がぎこちないながらも動くようになる。


 化け物だと、改めて深く思った。


「…………」


 やがて俺は、死体を背負って歩き始めることにする。

 広場から出た。

 燃え跡の道を、崩れた道を、断続的な目眩にふらつきながらも進み続ける。

 しかし時折、焼け死んだ死体を見つけては進めなくなった。

 焼死体を見る度に吐き気がこみ上げる。

 炭化した遺体を見ると狂ったように心臓が暴れ始めた。

 俺を責める幻聴が聞こえる。


 頬を冷たい涙が伝う。

 一体何人死んだのだろう。

 分からない。

 知るのが恐ろしい。怖い、怖い。

 俺は何も救えてなどいないのではないだろうかと思う。

 勝手に体が震え始めた。

 頭がどうにかなりそうだった。

 死体を見るのが怖くて顔も上げられず、棒のような足で残り火の道を歩き続ける。



 ―――



 そのまましばらく進んでいると、焼け跡に立ち尽くす少女を見つけた。


 背を向けた姿。

 実験体の服。

 小柄な体。

 肩の長さの銀髪。

 見覚えがある。

 忘れようがない。


 まさかと思う。

 思わず息が止まった。

 呼吸を整え、それでも震えてしまう喉で呼びかける。


「ニーナ……? 生きてるのか? 良かった……俺……俺は……」


 言うべきことはたくさんあるのに言葉に詰まってどうしようもなかった。

 今すぐ駆け寄りたいのに足が動かなかった。

 動かそうとしてもただ膝が震えるだけだった。


「…………」


 そのままずっと何も言えずにいると、少女が……ニーナがゆっくりと振り返った。

 しかしその顔は見慣れたものとは全く違った。

 数え切れないほど穴を穿たれ、腫れ上がり原型を留めない潰れた柘榴ざくろのようになったグロテスクな顔面だった。


「ニーナ……」


 あまりの惨状に声を失った。

 だが思考を拒否して凍りついた意識をなんとか呼び覚ます。

 ガタガタと意味もなく震えを増す足を動かして歩み寄った。


 肩に手を伸ばす。


「来ないで……」


 声で冷たく突き放された。

 手を止めた。

 行き場を失った指を虚しく彷徨わせる。


 何も言えない俺に、怨嗟に満ちた言葉をニーナが投げた。


「あなたのせいでみんな死ぬ」


 そう言った次の瞬間。

 夜闇から現れた黒い手がニーナの首を引きちぎった。

 あっと思った時には遅かった。

 さらに手がそこかしこから現れる。

 四肢をもいで内臓を引きずり出しけたたましく笑い声を響かせる。

 肉片を奪い合うようにしてあっというまにばらばらにしてしまった。

 宙吊りにされたニーナの首はおもちゃのように弄ばれている。

 引き裂かれた顎からだらりと力なくべろ・・が垂れた。


「やめろ……やめ……ろ……」


 膝から崩れ落ち、呆然としながらつぶやく。

 体に力が入らない。

 目の前の惨劇を止められない。

 ふと悪寒がして上を見上げる。


 すると血の海のように真っ赤に染まった空が目に入った。

 数え切れないほどの黒い手が人間の首をぶら下げている。


 ニーナの首もその中の一つになった。

 あらゆる方向から笑い声が近づいてくる。

 俺は何も言わずに舌を噛み切った。



 ―――



 背後から声が聞こえた。

 その声が俺を現実に引き戻す。

 魔物化の影響で精神に異常をきたしている。

 だから幻覚を見ていたのだ。


 そんなことを考えていたら、また大声で呼ばれる。


 振り向くと、白く塗りつぶされた顔の人々が手を振っていた。



 ―――



 ウォルターが正しい。

 そもそも自分が間違っているのをわかっていたはずだ。


 なんの意味があっただろう。

 この場だけ命を救うことに。

 俺のせいでみんな死ぬ。全員死ぬ。


 そうだ。


 ……俺には、世界を、救うことができない。

 最初からわかっていたじゃないか。

 真っ黒に塗り潰された未来が、俺の選択をあざ笑っている。



 ――



「奴らが街を焼いた!! 死体を奪い返せ! 徹底的に穢して晒し者にしろ!!」


 怒号が聞こえた。

 まずい。

 妄想に囚われている間に兵士に囲まれていた。

 ウォルターの死体を奪いに来たのだ。


かくまうならお前も死ね! 街を焼いた化け物が!!」


 切実さすら感じる怒鳴り声から逃れたくて、俺は必死に走り続ける。

 振り返ると憤怒に染まった表情で走る兵士たちがいた。

 彼らはみんな火傷の傷を負っていた。

 そして絶えず血涙けつるいを流していた。

 耐えられる限界を超える焦りと悲しみで、俺の頭は真っ白になる。

 どうしてこんなことになったんだろう。



 ―――



 全員殺した。

 俺はウォルターを守った。

 せめて丁寧に埋葬してやろう。

 ウォルターと一緒に埋めてやろう。



 ―――



 幸せが逃げていく。

 もう俺には何もない。

 思い描いていた人生の道が、狭く細く、ただひたすらに暗く閉ざされていく。


 心臓が痛い。

 生きている意味がない。



 ―――



 ひざまずいて。

 殺した兵士たちの死体を眺めていた。

 俺一人では運べない。


 死体はどれも怒りの表情を浮かべている。

 多分、死ぬ瞬間すら俺を憎んでいた。

 これから俺はどうなるんだろう?

 化け物として人間に追われ続けるのだろうか。

 そう思うと息が詰まって気が遠くなった。


「見つけたぞ! 今度こそあの化け物を殺せ!」


 怒声に顔を上げる。

 死体の兵士たちと同じ顔をした人の群れが俺を取り囲んでいた。

 何度殺しても終わらない。

 でも俺もウォルターも、ただ守りたかっただけだ。

 力が抜けて立てない。

 誰も殺したくない。



 ―――



 もうなにもわからなくなった。

 現実と夢の境界すら見えない。

 でも、俺の人生が壊れてしまったのだということだけは理解できる。



 ―――



「……ねぇ、なんでウォルターを殺したの?」


「だって銀貨に世界を救える? 無理だよね? わかってたじゃない」


「なら、なんで考えなしに殺しちゃったの? どうして少しも思いとどまることができなかったの? ……ウォルターは、最後の希望だったんだよ」


「これからどうなるか知らないでしょ? もうおしまいだから、早く死んだほうがいい」


「教えてあげられなくてごめんね。でも、勝つなんて思ってなかった。……わたしが一番悪いから、だからもう死んでいいよ」



 ―――



「生き残ってくれてよかった。ありがとう」


 そう言って、俺の剣に心臓を貫かれたまま、ニーナが笑った。



 ―――



 死体の中にシーナ先生の姿があった。

 あまりのことに俺は我に返る。

 先生の死体は半分にちぎれて上半身だけで放り出されていた。

 顔もほとんど焼けて、瓦礫に挟まったままの下半身は黒く燃え落ちていた。

 優しい笑顔の面影もなく、熱に濁った瞳は苦悶の表情で虚空を睨んでいる。



 ―――



「なんで? どうしてそんなやつ埋めに行くの?!」


 背後から少女の声が聞こえた。

 知らない声。俺を責める声だ。

 背筋が凍りついた。

 冷や汗が頬を伝う。

 俺は思わず足を止めるが、聞かないフリをしてまた歩き始める。


「そんな暇があるなら瓦礫をどかしてよ! 母さんが下敷きになってるの!! 今ならまだ助かるの!! ねぇ! ねぇって!! お願いっ!!!」


 絶叫が響く。


 何も聞こえない。

 また幻聴だ。

 早く逃げないとウォルターの死体が奪われる。

 彼は街を焼いたから、きっと恨まれて死体を穢される。

 だから早く、どこかに眠らせてやらなければ。


 そう思って歯を食いしばっていると、俺の額に硬いものが飛んできた。

 石だ。


「卑怯者が! 自己満足のために他人を見殺しにするのか!! なにが弔いだ!! 結局自分が救われたいだけのくせにッ!!」


 聞こえたのは男の罵声だった。

 俯いて呼吸を整える。

 投げつけられる石は、痛罵の声と共に数を増していく。

 背負っている死体にも当たった。

 ……死体に。死体に。


「うぅ……あァ……ああ、あ……」


 叫びだしそうな自分を、今にも剣を抜きそうな自分を、必死に押さえつける。

 怒りと悲しみと絶望と、なにもかもないまぜになった激情で頭が破裂しそうだった。


「死ね! 死ね!! この悪魔!!」

「私の夫の死体はまだ見つかってない!! 子供を探すために火に飛び込んで……焼けてもう顔もわからないのに!! なんでその人殺しを弔うの!?!!」

「お前たちさえいなければ! アタシらはこんな目に遭わなくてすんだんだ!!」

「そいつは俺たちの街を燃やした!! 今すぐその殺人鬼の死体を置いていけ!!!」


 ああ、ああ。

 …………ああ。



 ―――



「逃げるな、卑怯者が」


 背負う死体が口を開いた。


「なにが『ああ』、だ。何も答えずうめくだけとは……。大したおとぼけじゃないか。ええ?」


「……で、実のところお前の行動に意味はあるのか?」


「俺は未来のために殺そうとした。でもお前は殺戮を見ていられないから守ろうとした」


「救うべき人々が目の前にいる。でもお前は、俺の死体を放っておけないからこうして今背負っている」


「だけどそれって……結局その場の感情に振り回されているだけじゃないか? 目的や信念もなく、ただひたすらに状況をかき乱しているだけじゃないか? なぁ、行動に一貫性が見えないんだよ。お前は、俺の死体を捨てて、救助に行くべきじゃないのか?」


「聞こえてるのか? なんとか言え。悪い結果を招き続けてるんだよ、お前。これから先もそうやって生きるつもりか? 本当に考え直してくれ」


「……まぁ、もう手遅れだけどな」


「断言しておく。お前のせいで、一人残らず殺される」



 ―――



 優しい人間になりたかった。

 ただ人が喜んでいると幸せだった。

 ……もちろん、きれいな理由じゃない。

 俺はずっと逃げ続けていただけだ。


 村のみんなが一人残らず死んでいく道で、小さい頃に見た死体や泣き顔がどうしても忘れられなかった。

 ふとした時に思い出すと、いつも不安で怖くて仕方がなくなった。

 でも人が笑うと、記憶の底にこびりついた悲しい出来事が遠くへ行ってくれる気がした。

 だから人に優しくするのが好きだった。


 ……俺は、最初からそんな卑怯者だったのだ。


 リリアナは勘違いをしていたが、本当の優しさなんて持ってはいなかった。

 オークを刺さなかったのも、多分手を汚すのが辛かったからだ。

 ずっと自分が楽になりたいだけだった。

 自分が、今一番楽になれる選択肢に逃げ続けてきただけだった。

 ウォルターの言うとおりだ。

 なにも、選べないんだ、俺は。


 この日、俺がしたことは問題の先送りにすぎない。

 手を汚すのが嫌だから決断を下すことから逃げた。

 正しい道を選べなかった。

 だから今日見送った犠牲は、いずれもっと大きな災いとなって降りかかる。


 その時、俺にはきっとなにも救うことはできない。

 心しておくべきだろう。

 これから先世界に満ちるであろう怨嗟えんさ、その全てが俺の罪になるということを。



 ―――



 街を抜けて門をくぐり王都の外に向かう。

 行き先は都の門の外にある高台だ。

 なだらかな傾斜を経て、太い道の脇に木々が生い茂っているのが見える。

 遠くに見える、その林のどこかに隠して葬るつもりだった。

 この街から少しでも離れた場所、追手が来ない場所に埋めてやりたかった。

 あとは、なんだか一緒に城を見た崖に似ている気がしたから……俺はその場所を選んだのかもしれない。


「…………」


 もう周囲は暗いが、今の俺は夜目が利く。

 だから、昼と同じように歩いて行けた。

 進んでいると、焼けた死体たちが助けを乞う幻聴が聞こえた。

 しかし俺は足を止めず歩き続ける。

 少しすると心臓がうずくように痛んで息が荒くなってくる。


「っ…………」


 ……魔物の侵食がひどくなっている。

 体がちっとも人間に戻らない。

 無理をして力を使いすぎたのだ。

 焦げた肌がひび割れて、体のあちこちが熱を帯びている。

 魔物に侵されている。


 ずっとおかしなものが見えるのはこのせいだろうか。

 幻が見える。聞こえる。頭がおかしくなる。

 このざまで、俺はどれくらい生きられるのだろう。

 人間として……少なくとも人間の味方としては見てもらえるのだろうか。

 自分が気づいていないだけで、すでに身も心も怪物に堕ちているのではないだろうか。

 魔獣を殺すことすらできず、ただ狂って人の敵として終わるのではないだろうか。


「……………」


 乱れる息の中、体を震わせながらとめどない不安を押し殺す。

 幻にも現実にも嫌気が差して、何も考えたくないから天を仰ぐ。

 すると視線の先にはぐにゃぐにゃに歪んだ赤色の月が渦巻いていた。

 大きくなるとやがて空いっぱいを覆ってしまう。

 歩きながらぼんやりとねじれた月面を見つめていた。

 そして気がつけば月に生えた巨大な目が俺をじっと見つめている。

 目が合った。

 悪意に満ちた含み笑いが聞こえた気がした。



 ―――



 唐突に色が消え世界が灰色になった。

 兵士たちの死体は穏やかな表情で手をつないでいる。

 一番端にいた兵士の手を握った。

 そしてそのまま、ウォルターを背負いながら兵士の手を引いて引きずっていく。

 死体はみな、手を繋いで安らかに眠っている。



 ―――



 ウォルターは世界を救おうとしていた。

 そのために王都を焼き払おうとした。


 だがこの行為を擁護するのなら、俺はハインツへの憎しみも捨てなければならないのだろうか。

 奴らも見ようによっては世界のために俺たちを犠牲にしたと言える。



 ―――



 街の外に出た。

 歩きながら考える。


 ニーナの死体はどうなったんだろう。

 リリアナの死体はどうなるんだろう。

 エルマの死体は拾い集めてもらえたのか。

 ケニーはどこかで弔ってもらえただろうか。

 クリフの死体は人間らしく扱われたのか。


 ……疑問に思うだけ無駄だ。

 奴らにとって俺たちは物だ。

 俺を含む実験体の死体は、単なる不都合な行為の物証、あるいは研究資料でしかない。



 ―――



 リリアナの死体がバラバラにされて海に沈められている。

 飢えたふかが喰い漁ってすぐに跡形もなくなってしまった。

 クリフの死体が瓶詰めにされている。

 ニーナの死体が皮を剥がれて標本にされている。

 エルマとケニーの死体に蝿がたかって蛆虫が湧いている。


 道の先で、ハインツがにたにたと笑って俺を見ていた。

 俺は何も言わず、ただウォルターの死体をしっかりと背負い直す。



 ―――



 疲れた。



 ―――



 よく晴れた春の日。

 涼しい風が吹く過ごしやすい昼間に。

 俺たちは孤児院の片隅にある俺とリリアナの親の墓に集まっていた。


 木陰に三人で座り込んで会議をしていたのだ。


「ねぇ、わたしいいこと考えちゃった!」


 真ん中に陣取っていたリリアナが唐突に声を上げる。

 またなにか素晴らしいことを考えついたようだ。


 しかし俺たちは直前までコーヒーのミルクをもっと安く仕入れる方法について話していた。

 別のことを話すと話題がとっ散らかってしまうのだが、こうなれば聞かないと仕方がない。

 俺は苦笑してウォルターと顔を見合わせる。


「どうしたの?」


 俺が言うと彼女は嬉しそうに笑った。

 そして笑顔のまま語り始める。


「あのね、今度ね、サッカーのための道具を作ろうと思うの。これなら街には売ってないでしょ?」


 なるほど。

 確かに大人気の遊びであるサッカーの道具だ。

 需要は見込めるし、そんなものは街にだって売ってない。

 やはりリリアナは頭がいい。


「君はすごいな。頭が良くて羨ましいよ」


 ウォルターが真面目な顔でそう言った。

 俺も賛辞を重ねることにする。

 からかったりネタにすることはあるが俺だって彼女には一目置いているのだ。


「リリアナは天才だね」


 全会一致のべた褒めを受けたリリアナ先生は、照れたように目を細めて口元を緩ませる。

 なんだかとても幸せそうだった。


「でしょっ? 二人ならそう言うと思ってた! えへへ。どんなの作ろうかな、楽しみだな……」


 その流れで話し合っていると色々案が出た。

 みんなが怪我しなくて済むような防具とか、かっこいいゴールとか、審判が使う道具とか。

 後は負けたチームへの制裁用のパーティーグッズとかも悪くない。


 そうやって話しているととても楽しかった。

 みんなが喜んだり笑ったりしてくれるようなものを一生懸命考えていた。


「でも売れなかったらどうしよう?」


 久々の工芸品路線だったので少し不安だった。

 だから思わず懸念を漏らしてしまうが、リリアナはどこ吹く風ではねのけた。


「失敗してもいいじゃない。わたしがついてるんだからヘーキよ!」

「……また、シーナ先生が全部買ってくれるかもしれないしな」


 ウォルターがぼそりと付け加えた。

 それに俺とリリアナが吹き出す。

 発想自体があまりに浅ましい上に、買った手前で無理してすべて使う姿を想像してしまったので笑った。

 そんなことになると流石に先生がかわいそうだった。


「ちゃんと売れるように頑張んないとだねぇ」


 ひとしきりシーナ先生が色々買い取ってくれた思い出について話したあと、リリアナがそう言った。

 ウォルターが彼女に答える。


「そうだな」


 それからまた企画の出し合いに戻った。

 するとウォルターがディフェンス側がパンチの威力を上げるための、握れる金具を作るなんて言い始めた。

 それが面白かったのでまた笑う。


「それは凶器だよ」

「いいじゃない! お葬式も始めれば儲かりそうね!」


 俺の指摘にリリアナが冗談をかぶせた。

 すると彼は気まずそうに咳払いをする。

 多分本気で言っただろうから申し訳ないが、これを売ると死人が出てしまう。

 ツテもないのに鉄なんか加工したら採算取れなさそうだし。


 そして、そんなこんなで会議が一段落ついたところで、リリアナが突拍子もないことを言ってくる。


「あ、そういえばあれ、ホントはサッカーじゃないって知ってた?」

「嘘だ。俺、騙されないよ」


 俺はそれを鼻で笑う。

 するとあいつはムキになってさらに主張してきた。


「嘘じゃないもん! ね、ウォルターもそう思うでしょ?」


 彼女の問いかけに、忠実なウォルターはもちろんうなずいてしまう。


「ああ。まぁ……なんとなくサッカーじゃない気はしてたんだよね」

「ねぇ。お前ちょっと、飼い慣らされすぎじゃないの?」


 ウォルターのやつ、先生が教えてくれたサッカーがサッカーでなければなんだと思っているのだ。

 先生が俺たちに嘘をつくはずがない。

 だから責めると彼は困ったように笑った。

 すかさず、勝敗は決したとばかりにリリアナが勝ち誇る。


「ほらね。わたしなーんでも知ってるもーん!」


 続けてウォルターがどうでも良さそうにお世辞を添えた。


「ああ。君は世界一だな」


 俺は言い返そうと思ったが、なんだかせっかくリリアナがご機嫌なのでやめた。

 別に言い争うようなことでもないので、ここは俺が退くことにする。



 ―――



「そう、ですね。リリアナさんは、世界で……一番、ものしり…………です、よ」


 俺は足を止めた。

 そしてスコップを持ち、深い深い穴を掘り始める。



 ―――



 将来の夢の話をしたことがある。


 俺はなにをしたいとかそういうのがなくて、みんなが話すのを笑って見ていることしかできなかった。

 でもあまりにしつこく聞いてくるから、今まで通り過ごせたらそれでいいと言った。

 すると嘘つきだなんて言ってたくさんからかわれた。

 だけど俺は本当に、いまの日々が続けばそれでよかった。


 いつまでもいつまでも普通の暮らしがしたい。

 楽しく話せる家族がいて、凍える思いをせずにすんで。

 ……生活は、今よりずっと質素でもいい。

 毎日感謝できる食事があって、それをみんなで食べて、笑って、眠る前に思い描く慎ましい明日に手が届くような。

 そんな普通の日々がいい。


 みんなは欲がないと言って呆れていた。

 でも俺はそうは思わなかった。


 普通の生活だって、決して当たり前のことじゃない。

 俺はちゃんとわかっていたから、いつだって心の底では怯えていた。

 人生の影に潜む不幸が、いつかあっという間に幸せを奪ってしまうような気がしていた。

 それがずっと怖かった。


 ……少なくとも、俺にとっては夢のような毎日だったから。

 夢から覚めてしまわないように、頑張って生きてきたつもりだった。

 本当に必死に生きてきたつもりだ。

 だって、俺は本当にわかってたんだ。

 当たり前じゃないって。

 魔獣に滅ぼされた故郷の村が、世の中の現実の姿だって。

 わかってたから、感謝してたから……いつまでも続くわけがないって知っていたから。

 だから本当に、一生懸命守ろうとしていたはずだった。


 なのに、どうしてこうなるんだよ。

 違うだろ。

 きっとこれは悪夢だ。

 目が覚めたらいつも通り家族に会えるはずだ。

 何気ない日々に戻れるはずだ。


 訓練をして、楽しい話をして、商品を出したら売れたりからかわれたり。

 きっと戻れる。

 そうに決まってる。

 そうでなければおかしい。

 いつこの悪夢は覚めるんだ。

 お願いだからもう早く覚めてくれ。

 覚めろよ。

 お願いだから。もういいだろ。

 俺は、新しい商売を始めようと思っていたんだ。

 また遊びに行く約束をしていたんだ。

 楽しみにしてたんだよ。

 本当に楽しみにしてたんだよ。

 返してくれよ。

 俺は十分苦しんだだろ。

 卑怯者だからってこんな目に遭わないといけないのか?

 俺はそんなに悪いことをしたのか?

 もういい加減にしてくれよ。

 逃げ出したいんだよ。

 せめて殺してくれよ。

 全て悪い夢だ。

 現実ではない。

 絶対にそうだ。


 だってその証拠に、喉を刺しても痛くない。



 ―――



「……銀貨。現実を見て。楽しい時間はもう終わり」



 ―――



 遠く、風の音がする。


 いつの間にか俺は、目的の林の中で膝をついて座っていた。

 歩いていた間のことはよく覚えていない。

 そして喉に走る鋭い痛みを知覚する。


「…………」


 ……俺は、両手で握りしめた短剣で自分の喉を貫こうとしていた。

 刃物の切っ先がわずかに喉笛に埋まっている。

 座り込んだ膝にはウォルターの死体がぐったりと横たわっていた。

 丈の低い草の地面だ。

 周囲に光源はなにもなく、曇り空の月だけが朧に闇を照らしている。


「…………」


 俺は突きつけたナイフをぼんやりと見つめた。

 ……これを押し込めば苦しみから逃れられる。

 どうしようもなく抗いがたい誘惑だった。


「うっ……うう……うっ……ぁ……」


 自分の嗚咽おえつ混じりの荒い息が聞こえる。

 どんどん呼吸が早くなる。

 ゆっくりと力を込め刃を喉に押し当てる。

 硬質化した表皮が邪魔をするが少しずつ刃が食い込んでいく。

 刺した場所から血が溢れるのがわかった。

 痛みすらもう救いだとしか思えない。


 あと少し、ほんの少し力を込めれば俺は死ねる。

 刃を刺したら喉をかき切って、根こそぎに血管を断ってしまえばいい。

 もう生きている意味がない。

 早く死にたい。

 みんなのところに行きたいだなんて贅沢は言わない。

 一秒たりとも存在していたくないから命を絶つのだ。

 これ以上生きていたくないのだ。


 ……だが、それができなくて手が止まる。


「……駄目だ」


 つぶやいて、ゆっくりと喉からナイフを引いた。

 震える手で投げ捨てると刃は灰になって消えた。

 浅い傷なので血はすぐに止まる。

 薄汚い化け物の体だからだ。


「…………逃げるな、逃げるな…………し、死ね………戦って…………死ね……」


 言い聞かせる言葉が震える。

 震えを抑えるために歯を食いしばる。


 今ここで死ぬのは、全てを放棄するということだ。

 この力のために犠牲になった命を裏切るということだ。

 世界を救う邪魔をした、責任から逃げるということだ。


 それは許されない。

 俺は向き合わなければならない。

 そう思うと、また心臓が締め付けられるように痛む。

 嗚咽を漏らしながら胸に爪を立てた。


「うっ……うう、あっ…………」


 苦しい。

 本当に苦しい。

 どうしても、どうしても耐えられないほどにつらい。

 これから生きていく道に光が一筋ひとすじも見えないのだ。


 ウォルターを殺した時、俺は本当の絶望の道を歩み始めたのだと気がつく。

 おそらく俺には何も救えない。

 だがそれでも戦い抜かねばならない。


『たとえ勝てなくても立ち向かわなければならない』


 その呪いを選んだのは俺自身だ。


「…………」


 言葉が出てこなかった。

 俺に自ら死ぬ権利などない。

 自覚すると体から力が抜けた。

 どうしようもなくやるせなくて、しばらくウォルターの死に顔を眺めていた。


「ウォルター……」


 苦しみに歪んだ顔だ。

 俺が苦しませて殺した。

 卑怯な言葉で、騙して殺した。

 誇りある心も、鍛え抜いた強さも、苦渋の決意すらも愚弄ぐろうして殺したのだ。


「…………」


 じっと見つめていると、煤けた頬に涙の跡があることにようやく気づく。

 きっと死んだあとに落ちた涙なのだろう。

 今まで気づかなかったし、泣いていたなんて思わなかったから動揺した。


 でも思えば当然だ。

 苦しくなかったはずがない。

 あいつは決して冷たい人間ではなかった。

 不器用ではあったが優しい心を持っていた。


 だから何も感じなかったわけがない。

 ……ずっと隠していたのだ。

 泣いている心を焼き潰していたのだ。


 きっと必死に耐えていたのだろう。

 虐殺の重みに。

 俺を、家族を殺す苦しみに。


 ただ世界を救うために。


「……ウォルター…………お前、だめだよ……やっぱり……優しすぎたんだよ…………」


 ……結局、ウォルターは犠牲を割り切るには優しすぎたのだ。

 情を殺し切ることはできなかったのだ。


 一体どんな気持ちで戦っていたんだろう。

 あいつは最期まで泣き言の一つも言わずに心を隠しきった。

 犠牲を背負い戦い抜くと決めた、彼の覚悟を思うと涙をこらえることができなかった。

 ウォルターは無理をして、俺なんかよりずっと苦しい心境で戦っていた。

 目をそらさず現実を直視していたのだ。


 なのに、その彼に俺は何をした?

 ひどいことを言ってしまった。

 リリアナが生きているだなんて嘘をついた。

 姑息こそくな手段で命を奪うために。

 いざ思い返すとそれは、吐き気がするような行為だった。


「馬鹿だ……お、俺は…………なんで……分からなかった……」


 ……少しでも、考えればわかったはずだ。

 俺の心に少しでも思いやりがあれば、気づくことができたはずだ。


 あいつも心が折れかけていたのだ。

 あんな幼稚な嘘で翻弄できたのは、彼自身の心が限界を迎えていたからに他ならない。

 俺はそんなことも分からず、必死に絶望に向き合おうとしている相手を侮辱した。

 もし償いになるのなら、今ここで自分を殺したかった。

 俺はこの世で最も汚らわしい、最低のクズだ。


「……ごめんなさい」


 涙を流しながら低く低くうなだれる。

 胸が裂けるような罪悪感に苛まれた。

 謝罪の言葉がこぼれ落ちた。

 体から力が抜けて、俺は膝の上の冷たい死体にすがりつくように倒れる。

 呼吸がうまくできない。

 吐き気と嗚咽がぐちゃぐちゃになって喉が引きつって息苦しい。

 どうしようもなく後悔が押し寄せてくる。

 生きていることが苦痛で仕方がなかった。

 自分という存在を心の底から憎んだ。


「ご、ごめんね……俺は……でも…………。違うんだよ……あんなこと……うっ……ううっ……」


 いくら謝っても意味がない。

 もうあいつは死んだ。

 なにをしても自己満足でしかない。

 何度謝り、どう償ったところで許されることはできない。

 俺には苦しみながら生きる義務がある。

 それはもう決まってしまったことだ。


 ……だがそれでも。

 もし自己満足でも、最後にしてやれることがあるとするならば、それは……。


「…………」


 涙を拭い、俺はウォルターの体を抱き上げる。

 力なくされるがままの死体は、疲れ切った手にはずっしりと重く感じた。

 ふらつきながらも歩いて自分で掘った穴に向かった。

 道の外れの遠く、林の奥深くに掘ったのだ。

 そしてそこに、傷ついた体を折り曲げるようにして安置する。


 ……魔物の死体だからきっと、獣も恐れて掘り起こされることはないはずだ。

 ひっそりとした片隅だから、誰にも眠りを暴かれるようなことはないはずだ。


 半ば願うように言い聞かせながら、苦痛に見開かれた目を閉ざしてやる。

 足の方から土をかけて埋めていく。

 そうしている間もずっと嗚咽と絶叫をこらえ続けていた。

 胸をかきむしりたくなるような後悔を押し殺していた。


 そして最後に顔を隠す土をかける前。

 俺はウォルターがどうか安らかに眠れることを祈った。

 うなだれ、こらえきれない涙を流しながら、支離滅裂な謝罪の言葉を漏らしながらも祈っていた。


「…………」


 友人としての時間も。

 家族としての別れも。

 戦士としての死も。


 俺には何も与えてはやれなかったから。


 あいつが燃やしてしまった人たちにとって。

 俺が助けられなかった人たちにとって。

 不公平で卑怯な我儘わがままなのはわかっているけれど。


「ごめんね、ごめんね…………本当に、ごめん……」


 それでもどうか。

 どうか死の眠りだけは……安らかに。


 安らかに。



「…………おやすみ、ウォルター」



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― 新着の感想 ―
[一言] 先程は丁寧な返信ありがとうございます。 二千の魂が全員孤児の実験体だと勝手に思い込んでました。 それだと2000÷25で80ヶ所の孤児院が存在する事になってあり得ないですね。 表向きは忠実な…
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