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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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九十四話・最終戦(4)

 



 炎がぶつかりあったあと、広場には爆発の名残りの煙が漂っていた。

 力尽きて、へたりこんでいた俺は小さく咳き込む。

 咳き込みながら煙の先に目を凝らす。

 風が吹いた。


 少しずつ煙が晴れていく。


「…………」


 そうして、ようやく視界を確保できた時。


 炎に破壊された広場の先、薄い煙の向こうに立つウォルターは……全くの無傷でこちらを見ていた。

 俺は座り込んだまま愕然がくぜんとする。


「そんな……」


 まさか無傷?

 あれだけの威力の炎を受けて?


 ぶつかって無秩序にあふれた炎の中、俺が無事だったのは……炎が効かないという特性を持った体だからだ。

 あいつも同じ性質を持っているとは考えにくい。

 ではなぜ?


 ……と、考えていると思い出す。

 あいつの炎がステラの魔術を焼き潰していたことを。


 すっかり忘れていたが、あの火には魔力をも焼き潰せたはずだ。

 俺の魔術は消すことができなかったが、それは炎を寄せ付けない俺がメダルを握っていたからだろう。

 だから妨害できなかったのだ。


 しかしひとたび俺の体を離れれば、つまり放たれた炎であれば簡単に潰してしまえるということか。


「…………」


 へたりこんだまま、じっとウォルターの出方を伺う。


 すると何も言わず佇んでいたあいつが……不意に右足を上げ、力強く地面を踏み抜いた。

 炎を纏った足が深く石畳を貫く。

 すると爆音と共に突き上げてくる衝撃によって、周辺の足場が粉砕されていく。

 だがそれだけではない。

 直後に大地が揺れ始めた。

 見れば蜘蛛の巣状に広がった亀裂から、赤い炎が噴き出している。

 火の勢いが増すにつれて揺れは激しくなっていく。

 地響きと共に、地中からくぐもった爆音が鳴り続けた。


「……!」


 地面を踏みしめたまま、ウォルターは足に力を込め続けているようだった。

 より深く地層が貫かれる度、重い衝撃に合わせて粉砕の音がとどろく。

 これは、まるで天変地異だった。

 絶えず地面が揺れる。

 亀裂が、紅い蜘蛛の巣が広がっていく。

 炎が暴れ狂い無数の地割れが火柱を噴く。

 馬鹿げた範囲を破壊が埋め尽くしていく。

 建物も道も全て崩れて瓦礫になる。


 そしてさらに、巨大な火球がおびただしく降り始めた。

 その爆撃で、崩れた瓦礫が原型を留めないほどに砕ける。

 無事な場所などどこにもない。

 地面だったものはひび割れ、大きく不揃いな破片へと変わった。

 一寸の隙間すらなく、地獄のような光景で塗り潰されていく。


「そういうことか」


 激しい揺れに縛られ、一歩も動けないまま気づく。

 つまりこれは、俺を逃がさないための地ならしなのだと。


 建物は倒壊し、周囲の道も潰れた。

 形あるものは全て残骸となった。

 見渡す限りが粉砕された。

 少なく見積もって、半径で二百メートル以上が更地さらちになった。

 だからさっきのように毒を撒いても、もう隠れる場所はない。

 完全に逃げ場を潰すつもりだ。

 こいつは絶対に、ここから俺を逃さないつもりなのだ。


「はは、は……」


 喉からひとりでに笑いが漏れた。

 足から力が抜けて立てなかった。

 きっと最初から勝ち目などなかった。

 しかし、それでも俺は拳を握る。

 この命が尽きるまで、最後まで諦める気はなかった。


「…………」


 やがて地響きが止まる。

 火柱が消えた。

 ウォルターが足を引き抜いて、一歩を踏み出す。


 それを見て、俺は。


「…………ニーナ、頼む」


 もういない彼女に祈った。

 使い物にならない足を、無理やり動かして立ち上がる。

 そして剣を捨ててメダルを握り、『構造劣化』の詠唱を始めた。


「形よ……」


 この詠唱を見逃してはくれないだろう。

 あと数秒持ちこたえなければならない。

 時間を稼ぐために壁を造ろうとする。

 だが失敗した。

 壁を造れなかった。

 集合した灰が霧散する。

 俺はすでに戦える状態ではないのだ。


 だが、だからといって諦めるわけにはいかなかった。

 よろめく足で戦いを続ける。

 もう片腕しかなく、触媒を使う必要があるので武器は握れない。

 左手の鎖で耐えるしかなかった。


「…………」


 ウォルターが無言で近づいてくる。

 やはり、憎らしいことに無傷だ。

 どうしてこんなに違うのだろうと思う。

 俺は死力を尽くして、ニーナに助けられて、あげくに魔物の力まで借りたのにこのざまだ。

 何が劣っているからこんなにも惨めなのだろう。


「……ウォルター」


 うわ言のようにつぶやきながら鎖を振る。

 こちらに近づけないためだ。

 しかし鎖は、あいつに届く前にバラバラになる。

 小さな炎で焼き切ったようだ。

 即座に新しい鎖に持ち替える。

 片足で跳んで距離を取る。

 ほんの数秒がとてつもなく長い。

 戦いに集中しているせいで工程が進まない。

 俺は一言ずつ、ゆっくりと詠唱を完成させていく。


「阻む物を崩し」


 やはり無言のまま、ウォルターが動いた。

 半ば死体のようになった俺が相手でも手加減はない。


 最速の踏み込みから、その勢いを乗せた斬り下ろしが来る。

 ギリギリ反応できた。

 頭を割られると思ったから防御する。

 しかし受ける直前に胴を抜く斬撃に変化した。

 身をよじるので精一杯だった。

 それでも大きく脇腹を斬り裂かれる。


「う、ううっ……」


 うめきながらも次の一撃に備える。

 腹を斬った勢いのままに、ウォルターは俺とすれ違っていた。

 さらに攻撃が来る。

 フェイントを交えた高速の三連撃。

 そして突くと見せかけて下がり、即座に飛ぶ刃で攻撃してきた。

 まるで動けない俺をいたぶるように、執拗しつようにだ。


 なんとか、逃げる。


「結合を、断ち切れ……」


 ちょうど詠唱が終わった。

 とめどなく血を吐きながらウォルターを睨んだ。

 あいつも俺が十分に弱ったと考えたのか、再び近接の間合いに入ってくる。


「……ごほっ」


 血を吐いてよろめく。

 あまりはっきりした意識がないまま戦い続けた。

 とはいえ、最低限の防御だけはできていたのだろう。

 首を飛ばされることはなかった。

 だが何度も何度も深い傷を受けた。

 人間ならどれも死に繋がるような傷だった。

 全身が血みどろになる。


「……けほっ、ごほっ」


 戦いながら、咳き込んだ隙を的確についてきた。

 胸に刃が突き刺さる。

 向こう側に切っ先が突き抜けていた。

 俺は、その時ようやく意識を取り戻す。

 気力を振り絞るために獣のように叫んだ。


「あ、ああ、あ…………がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」


 刃を素手で握る。

 どの指かはわからないが、指の先端が落ちた。

 構わずそのまま『構造劣化』を使う。


「……おかしい」


 ウォルターの声が聞こえた。

 剣は壊れたようだった。

 それを確認して倒れる。

 もう少しも力が残っていない。

 倒れたまま、どす黒くせばまった視界でウォルターを見上げていた。


 彼の言葉が続けられる。


「なぜまだ生きている?」


 答えを求めている様子ではなかった。

 倒れた俺を見下ろしながら、ひとりごとのようにつぶやいた。

 そして俺も、答えられるような状況ではなかった。


「はぁっ……はぁっ……はっ、はっ……はっ、はっ……」


 呼吸がおかしい。

 ガタガタと体が震える。

 寝ていると絶えず血があふれてきた。

 俺も、なぜ自分は生きているのだろうと考える。

 自分でもわからない。

 魔物にしてもしぶとすぎる。

 俺は何度も死んだはずだ。

 確かに、今思えば……死んでいたはずだ。

 間違いなく。

 胸の傷に触れて、なんとなくその手を見た。


「…………」


 べったりと血がついていた。

 大量の灰が混じった黒い血だ。

 魔物の血液はすぐに凝固して出血を止める。

 なので固まった血液の上に新しい傷の血が重なる。

 だから手についた血も、固形なのか液体なのかよく分からないどろどろした状態だった。


「……俺は、生きる」


 拳を握って、自分に言い聞かせる。

 折れそうになる心を必死で奮い立たせた。


 もうこの命は俺だけのものではない。

 ニーナのものであり、そして今日死のうとしている人々のものでもあった。

 それを思い、意志が強まるたび、体中の傷口から灰がぼろぼろとこぼれ落ちる。


「…………」


 身を起こそうとする。

 膝をついて、這いつくばるように左手をつく。

 だが立てずにもがいていると、ウォルターの声が聞こえた。


「終わりにしよう」


 短く言って、あいつは落ちていた剣を拾った。

 言葉通りここで決めるつもりなのだろう。

 もう逃げ場も消された。

 決着の時だ。


 そして俺は彼を見上げて……ある事実に気がつく。


「…………」


 きっと気づいていないだろう。

 でも死神がいま、あいつの足を掴んだ。

 どうやらまだ、あと一度だけ、俺にはチャンスが残されているようだった。


「……うっ」


 全ての力を振り絞って立ち上がる。

 そして造った剣を左手に握るが、もはやそれを握る力すらない……というフリをして取り落とす。

 代わりに手には触媒を忍ばせた。

 何故か紛れ込んでいたあの『光』のメダルだった。

 小声で、魔物にも聞こえないくらい小声で、俯いたまま慎重に詠唱を始める。


「暗き夜に、我ら、主の影を…………」


 まさか俺が、絶望的に適性が低い俺が、光の魔術を使うとは思わないだろう。


 俺は何度も立っていることができず倒れる、というような演技で時間を稼ぐ。

 ほんのささいな魔術でも、適性のない身には時間が必要だ。


「…………」


 ウォルターは俺が立つのを待っていた。

 魔術を仕込んでいることもバレてはいるだろうが……それでも待っていた。

 最後と、自分自身で口にしたからだ。

 言った以上は悔いのない決着をつけるために待つ。

 あいつはそういうやつだった。

 今も、俺の小細工ごと粉砕するつもりなのだ。

 半ば賭けではあったが、俺にはこうなると分かっていた。

 たとえそうすれば勝てるとしても、彼は楽な道を選んだことがない。


「……行くぞ」


 やがて、立ち上がった俺を見て低い声であいつが告げた。

 俺は足をもつれさせながらもなんとか走る。


「…………」


 ウォルターはまっすぐに俺を見つめていた。

 強い殺意を秘めながらも静かな瞳だった。

 間近に来たところで、剣が動く。

 避けられはしないだろう。

 次の瞬間には首が飛んでいるはずだ。


 しかしその前に、俺は……あいつの手から()()()()()


 なぜならあの剣は、俺が造った剣だったから。

 序盤に兵士の遺品と入れ替えた罠の刃だ。

 俺はさっきの天変地異で破壊されたとばかり思っていたが。

 でも運良く残っていて、そのたった一つをあいつは引き当ててしまっていたのだ。


「!」


 ウォルターが目を見開く。

 しかし彼は即座に短剣に持ち替えた。

 魔力の気配でさっきの俺の詠唱を察知して、『構造劣化』を使うと考えて予備も揃えておいたのだろう。

 抜け目がない。

 少し遅れるが攻撃が来る。


 だから、次の手を打った。


「『灯光トーチ』……!」


 光の魔術を使う。

 白い輝きがあいつの目をくらませた。

 俺はメダルを捨てる。

 さらに造ったナイフに持ち替える。


 そのままウォルターの喉を狙うが、俺の力がもう足りていない。

 目を潰されたはずのあいつの刃が先に届くと分かった。


「…………」


 妙に間延びした時間の中、俺の首元へとナイフが吸い寄せられていく。

 もう策はなかった。

 だが刃が表皮を割った、その瞬間……青い光があふれてウォルターの武器が砕け散った。

 まるでいつか、ニーナの異能に武器を砕かれた時のように。


「…………」


 あの時だ、と俺はすぐに思い当たる。

 最後の最後、ニーナは俺の首に触れた。

 それで、一度きりの防護を仕込んでいたのだ。

 こうして首をはねられることすら……彼女は予想していたのだろうか?


「……ありがとう」


 短く感謝を伝えた。

 青い光の残滓ざんしが漂って俺の腕にまとわりつく。

 斬撃がほんの少し速くなる。

 死してなおニーナは俺を守り、助けようとしていた。


 しかし、それでも……それでもまだウォルターには届かない。


 彼はすでに状況を理解して退しりぞこうとしている。

 このままでは逃げられるだろう。

 当たっても浅いか、あるいはこれまでのように刃がすり抜けて避けられるだけだ。

 それどころか次の瞬間には炎でナイフを破壊されてもおかしくない。

 どうにでもできてしまう。


 そしてあいつが体勢を立て直した直後に、首をへし折られて俺は死ぬ。


 見事だった。

 ここまでの不運が続いても冷静さを失わなかった。

 だからもう、本当にウォルターの勝ちだ。


「…………」


 負けたと思った。

 これ以上奇跡は起こらない。

 俺は、戦いに敗れたのだ。


 敗北を受け入れようとした、その時。


 ふと、一つだけ考えが浮かぶ。

 でもそれは…………まるで悪魔の考えだった。


 生唾を飲み下す。

 迷ったのは一瞬だった。

 意識するよりも先に、俺はその言葉を口にしていた。


「……ウォルター」


 呼びかけた。

 目が合う。

 じっと瞳を見つめながら、呪いをかけるように続けた。


「リリアナは生きてる」


 するとその瞬間、ほんの一瞬だけ……ウォルターの動きが完全に硬直した。



 ―――



 ウォルターの喉を斬り裂いた。

 赤く鮮やかな血があふれる。

 力任せにあいつを押し倒して、馬乗りになって刃を押し付ける。


「――――――――――ッッ!!!」


 叫んだ。

 必死だった。

 ここを逃せばもう勝ち目はないとわかっていた。


「っ……!」


 しかしあいつも同じくらい必死だった。

 俺を押しのけようともがいてくる。

 激しい揉み合いが始まった。

 何度も殴られ、指をへし折られる。


「がぁぁぁぁぁっっっ!!!! 死ね! 死ね!! 死ねっっ!!!」


 俺は、狂ったように叫びながらナイフを押し込もうとする。

 片腕ではあるが力は負けていない。

 こうして単純な力の勝負になれば、俺が魔物化によって得たアドバンテージが際立つ。

 やはり俺のほうが圧倒的に、絶対的に、身体能力は高かったのだ。

 魔物の力の、生物としての格差は、強化魔術で埋まるものではない。

 ただ技量が、かけ離れた技量だけが、あいつを俺に対して優位に立たせていた。


 ……とはいえ、やはり片腕しかないというのは大きい。

 どうしても最後の最後で押しきれない。

 だから俺は刃をめちゃくちゃに動かす。

 あいつの肉を削いで、血管を壊し、少しでも死に近づけようとした。

 本当に苦しそうにウォルターがもがく。


 その顔を見ていると、不意に脳裏に声が蘇った。



『姉さん。俺……友だちができたんだ』



 どうして、今なのだろう。


 俺は涙を流す。

 ぼろぼろと涙をこぼす。

 自分が今、なんのために戦っているのかわからなくなってきた。

 なんのために目の前のウォルターが血を流しているのかわからなくなった。

 どうして俺がこいつの首にナイフを押し当てているのかもうわからない。


 だって勝つことに意味はないのだ。

 俺の選択の先に待ち受けているのは絶望だけだ。

 ウォルターを殺せば世界を救う機会は失われる。

 なのに生きると決めて、俺はその道へと踏み出そうとしている。

 止めてほしいと、俺の心の弱さが叫んだ気がした。


 ウォルターを殺して今そこにある命を選ぶか。

 それともここで殺されて世界を繋ぐか。

 ……結局のところ、天秤がどちらに傾いたとしても痛みが伴う。

 本当は勝ちも負けも望んではいない。

 どちらの道も心が拒絶している。

 ただひたすらに決断を下したくない。

 どちらの道にも進みたくない。

 だから、選んで進もうとするウォルターを止めた。

 それが俺の真実だった。


 自覚して、めまいがするほどの絶望を感じる。


「…………」


 やがて、ウォルターの手から少しずつ力が抜けていく。

 あんなに強いのにたった一度のミスで彼は死ぬ。

 それは人間だからだ。

 もう少しだけ魔物の力を使っていればまだ動けただろう。

 でも彼は人間だった。

 赤い血を流してしまうくらいに人間のままだった。


 もう俺はウォルターを殺すことができた。


「…………っ」


 しかし俺は、最後のひと押しを実行できずにいた。

 今になって迷っている。

 本当に彼を殺していいのか、俺はまだ決断できない。

 荒い息を吐いた。


「はぁっ…………」


 思い返す。


 ウォルターには卓越した、超人的な技量がある。

 紛れもなく戦いの天才だった。

 そして魔物としても特別だった。

 ほんのわずかしか魔物の力を使っていないのに、街を焼き尽くすほどの炎を操ることができる。


 その異質さに、俺は思い当たる。

 こいつはなにか、世界にとって重要な存在なのではないかと。

 勇者と同じくらい……いや、あるいはそれ以上に。


 その彼を、俺がここで、本当に殺してもいいのだろうか?

 俺は、何も上回っていないのに、ただ悪意だけで……殺してもいいのか?


「はぁっ……はぁっ……」


 刃を握りしめたまま、ずっと乱れた息を吐く。

 まだナイフを引けば間に合うと思った。

 ウォルターを殺すのかどうか、今がそれを決める最後の機会だ。

 引き返せる唯一のチャンスだ。


「…………」


 少しだけ躊躇って、俺はウォルターを殺すと決めた。

 そして目を閉じながら、ひりついて痛む心に思う。

 一体、いつからこんなことになってしまったんだろうと。


 こんなはずじゃなかった。

 こんな人生を望んだことはなかった。

 俺はただ平穏な暮らしを望んでいただけだった。

 みんなと争いなく過ごしていたいだけだった。


 心臓が痛い。

 未来に希望が見えない。

 閉じたまぶたの裏で、リリアナが喉を切って自殺した。

 クリフが死んだ。エルマが泣いている。

 心が引き裂かれてどうしようもなく泣きたいような気持ちになった。


 だがそれでも分かっていて決断したのだ。

 俺は生きる。

 ウォルターを殺す。


 深く息を吐いて、閉じていた目を開いた。


「もう…………死ねっ……! 死ねっ!!!!」


 叫んだ勢いに任せ、刃を奥の奥まで押し込む。

 そうして最後の一歩を踏み出した。

 終わりに、破滅に、底なしの絶望に。

 駆り立てられるように俺は突き進む。

 もう引き返すことはできない。


 生きるために。

 そして選んだ地獄を勝ち得るために、俺はこいつの息の根を止める。


「…………っ」


 致命的な何かを切ったような感触のあと、ウォルターは一度だけ大きく痙攣する。

 おびただしい血を流し始める。


「……リュート」


 か細い声で語りかけてきた。

 喉を潰したつもりだったのに。

 俺はまた、刃を振り上げた。


 しかし止めた。


「…………」


 虚ろな目で俺を見ている。

 もう彼は死ぬ。

 最後の言葉なのだ。


 どうののしられても仕方がないと思っていた。

 だから俺は、まっすぐに目を見て身構える。

 同時に、魔術の詠唱を始めないかを油断なく監視する。


「そういえば、最後に、リリアナが……言っていた」


 息も絶え絶えに、彼は少しだけ口元を歪めた。

 笑おうとして、上手くいかなかったような顔だった。

 破れた喉で、かすれる息を必死に声に変える。


「……君と……俺の、ことが……大好きだった、と。いつも…………楽し、かった、と…………たくさん、褒めてくれて、ありがとう……と」


 いつの話かは分からない。

 最後と言ったからきっと、リリアナと別れる前にそんな話をしたのだろう。

 でも、なんでこんなことを伝えるのかが分からない。

 いま、なぜそれを言う。

 理由が分からない。

 勝手に涙があふれて止まらなくなる。


 俺は、力が抜けてナイフを取り落とした。


「…………」


 深く、ウォルターがため息を吐く。

 そして苦しそうに顔をしかめたあと、俺の目をじっと見て言葉を続けた。


「……すま、ない。……俺が…………間違って、いた」


 それで最後だった。

 あいつは何も言わなくなる。

 瞳が光を失った。


 死んでしまったのだと、俺は少しして気がついた。





 ―――

 ――

 ―





『ほら、決まったんだから仲直りしないとダメだよ』




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― 新着の感想 ―
[一言] 過去編は地獄だろうなと登場人物達に感情移入しないように必死に心を殺して読み進めてきたけとやっぱり地獄なんだよなぁ。 現在編を読んでからの過去だと見えない地雷を自ら踏みに行く恐怖が凄くて序盤が…
[一言] これ...やっちゃいけない手をやるまで生き残ろうとするけど もうそこまでして生き残る理由がないやつ... ステラじゃないけど もうこの先は本当に地獄しか...
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