九十二話・最終戦(2)
……間違っているのは俺だ。
完膚なきまでに、道を違えたのは俺だ。
「忠告だ。このあたりで消えておけ」
そう言われて、俺は仰向けに倒れたまま焼けた夜空を見つめる。
体中の傷が痛んでいた。
「…………」
やはり俺は間違っている。
ここで死んだ方がきっと世界は良くなる。
この世界は厳しい。
本当に厳しい。
だから、今日見送った犠牲は、やがてもっと大きな痛みとなって世界に返る。
「…………」
でも俺は、それでも進むと決めた。
もう悩んで躊躇う時間は終わっていた。
悩んでいる間にも人は死ぬ。
「……足りない」
俺はつぶやいた。
力が足りないと。
だから俺は、自分の中の魔物の力を探す。
そして見つけて、掴んで限界以上に引き出す。
初めて意識的にそれを行おうとしていた。
「…………」
心臓が跳ねた。
どくん、と大きな音を立てて鼓動した気がした。
息が乱れて視界の色が変わる。
目に見える世界の色が薄くなっていく。
血の気が引いていくような感覚があった。
呼吸が乱れる。
指が震え始めた。
「うっ……」
小さく呻く。
頭の中では殺意が渦巻いている。
魔物の本能が血を求めた。
「が、あ、ああ……あああああああああああ!!!!」
叫んで、勢いよく立ち上がる。
理性が飛ぶのが分かった。
今すぐこの場を飛び出して、人間たちを殺しに行きたいと思う。
それ以外の意思が消えていく。
ウォルターが……別の魔物がそんな俺を見つめていた。
しかしこいつを殺したいとはあまり思わない。
殺意の標的は、魔物以外の全てだ。
魔物を殺してもなんの意味もない。
すぐにこの場を離れよう……とする足を必死に止める。
「……ちが、う。殺すのは……あいつ、だ」
視界が揺れる。
自分の体を思うように動かせない。
俺は自分の傷口に指を突っ込んで抉る。
その痛みで少しだけ正気に戻れた。
だが指先の血を見て、また意識が飛びかける。
色が希薄化した世界で、赤だけが怖いほどに鮮烈だった。
あの、散々殺し合いを続けてきた広場を思い出す。
赤い光にはなにか意味があったのかもしれない。
そんな風に、関係のないことをあえて考えて俺は必死に意識を保つ。
ウォルターは冷めた目をして俺を見ていた。
「まだその力には耐えられない。魂が足りていない。ステラでさえ狂った。やめておけ」
そうだ。
ステラが、あの悪魔が負けた力だ。
俺と違って自分で強力な封印でもなんでも使えただろうに。
その彼女ですら勝てなかった。
でも、一つ違うのは俺が最後の二人の実験体の片割れで、当時の彼女よりは多くの魂を確保できているということだ。
「壊れる前に……お前を、殺す」
絶え絶えの息で答えた。
ウォルターが俺をじっと見つめる。
「……殺せなかったら?」
「お前に、殺されるだけだ」
正気を失って勝てるような甘い相手ではない。
魔物に堕ちた時点で俺は駆除されるだろう。
おかしな話だがその意味では安心だった。
「…………」
俺は何も言わず地を蹴った。
言葉を口にする余裕がない。
短期戦で決めるために近づく。
今なら身体能力で押し切られることはないはずだ。
なぜならウォルターは人間の姿のまま戦っている。
リスクを恐れてのことかもしれないが、魔物の力をほとんど使っていない。
相手に強化魔術があるとはいえ、今の俺なら身体能力で上回れる。
身をもって体験してきた事実として、魔物はそうでない人間とは生物としての格が違う。
魔術で覆る程度の差なら、そもそもこんな……わざわざ人を魔物にするような計画は必要なかったはずだ。
「『偽証』……!!」
槍を作る。
右手に持ってウォルターに仕掛ける。
最初と同じ障害物を造りながら攻撃する作戦だ。
しかし違いもある。
それは目的を敵の武器破壊に絞るということ、前回の反省があること、おまけに先ほどより身体能力が上がっているということだ。
「…………」
だがウォルターがじっと俺を見つめてくる。
その作戦でいいのか? とでも言わんばかりの表情だった。
俺は、何も言わず槍で仕掛ける。
同時に、斬りつけてきた敵の斬撃を邪魔するように柱を造る。
さらに口の中に造った針を飛ばして攻撃をした。
狙いは目だ。
含み針を練習したことはなかったが、今の俺の肺活量なら見様見真似で形になった。
「!」
ウォルターは当たる寸前に首を動かして避けた。
もちろん槍も防ぐ。
だが針は頬をかすった。
その小さな傷を見て確信を深める。
もっと行動の幅を広げる必要があると。
続けて俺は次々と武器を変える。
槍から鞭へ。
鞭から斧槍へ。
距離をとって即座にクロスボウを放つ。
魔物の腕力で引いた弓矢ほど威力はないが、ボルトを装填した状態で造ればすぐに撃てる。
使い捨てるようにいくつものクロスボウを連射し、圧力をかけながら『構造劣化』の詠唱を始める。
「形よ、阻む物を崩し、結合を断ち切れ」
詠唱が終わったから接近する。
剣を振り上げて、攻撃すると見せかけた直後に壁を造った。
視線を遮った状態で大剣に変える。
その一瞬後には自分で壁を消す。
唐突に消した壁の向こうから、渾身の斬撃で奇襲を仕掛けた。
だが、避けられる。
追いかけてまた壁を造る。
今度は小さな穴の開いた壁だ。
その穴を貫くように、槍の突きを放つ。
同時に、ウォルターの頭上に鉄塊を造った。
大した質量ではないが、直撃すればまず頭蓋を砕ける。
しかし……どちらも当たらない。
俺は立て続けに鎖を投げる。
武器で受けさせて鎖ごと『構造劣化』をかけるつもりだった。
だが瞬き一つした頃にはバラバラに切断されている。
「くっ……」
なにをしても通用しない。
せめて受けてくれれば武器を破壊できるのに。
焦りを感じつつ新しい鎖を造っていると、ウォルターが消えた。
「少し……真面目に付き合いすぎたかな」
冷たい声が聞こえた。
頭上だった。
高く跳躍して剣を振りかぶっていた。
「!」
真上から、飛ぶ斬撃が来る。
直感して回避した。
だがさらにウォルターが消える。
そして今度は距離を取っていた。
離れた間合いから斬撃が飛んでくる。
何度も何度も、地を切り裂く切断が迫ってきた。
「……まずい」
俺はつぶやいた。
これが正解だった。
俺が障害を造り出して邪魔をするのなら、それに付き合わず離れた間合いから斬撃を連発するのがいい。
切断の嵐を前に俺はたまらず防壁を造る。
すると再びウォルターは移動した。
駆け抜けて側面に回り斬撃を放つ。
かと思えば背後。
さらに建物の壁を垂直に走って駆け上がり、上空から斬撃を放ってまた消える。
縦横無尽に動き回り、全方位から俺に攻撃を浴びせていた。
まるで何十人もの魔術師に集中攻撃を受けているような気分だった。
「どんな動きだよ……!」
強化魔術を考慮しても、俺のほうが身体能力は上のはずだった。
より魔物に染まった者は、そうでない者に対して次元の違う力を見せつけるはずだった。
これまではずっとそうだった。
なのに、今はあいつの方が速い。
耐え続けるものの、やがて俺は追い込まれる。
防壁の製造が追いつかない。
かといって全方位を囲むような壁は逃げ場を潰すだけだ。
どうすべきか必死に考えていると、いつの間にか目の前にウォルターがいる。
斬撃が来る。
「クソッ……!」
なんとか受け止める。
そして維持していた『構造劣化』を発動した。
だが、ウォルターの剣は最初から折れていた。
彼の左手に白い刃の光が閃く。
「!」
左の刃が肩に刺さった。
そのまま深く抉られる。
もう一つ剣を拾うような素振りはなかったはずだった。
仮にそうであればもっと警戒していた。
そして気がつく。
ウォルターは先に剣をへし折っていたのだ。
そしてへし折った半分で二刀流のように構え、俺を斬りつけてきたということだ。
「ぐぅっ……!」
凄まじい速さで走り、俺の肩を突き刺したまま押し込んでくる。
なんとか押しのけて脱出する。
だが地獄は終わっていない。
打撃が来る。
連撃を受け、あまりの衝撃に槍を落とした。
とどめの蹴り上げで上空に飛ばされる。
「……っ」
痛い。
でもこれで仕切り直しだ……と、思っていると跳躍で追いついてきた。
逃げ場のない空で首根っこを掴まれる。
そのまま勢いよく地面に叩きつけられた。
さらに瓦礫の上を散々に引きずり回されたあと、乱雑に投げられて焼けた家に突っ込む。
「はぁっ……はぁっ……」
荒い息を吐いた。
震える膝で立とうとする。
そして見ればウォルターは槍を構えていた。
あんなものがどこにあった?
いや、あれは俺が造ったものだ。
すぐに消すものの間一髪で間に合わなかった。
穂先を一閃、飛ぶ斬撃が来る。
しかし狙いは俺ではない。
狙われたと思って伏せた俺の頭上から、なにか大きなものが崩れるような音がする。
「まさか……」
おそるおそる見上げる。
建物だ。
俺が叩きつけられた建物は見事に切断され、元々炎に晒されていたのもあり今にも倒壊しようとしていた。
「ウォルターッ……!」
そう、叫ぶことしかできなかった。
倒壊する家の瓦礫に呑み込まれる。
力づくで抜け出したが背中を痛めた。
加えて、右手の指がおかしくなったのが分かる。
無理やり引っ張ってまっすぐに戻す。
痛みはあるが動くようになった。
肩を揺らして息をする俺の前で、ウォルターは訝しむように眉をひそめる。
「どうした、なぜ休む?」
休む間もなく立て続けに仕掛けてくる。
今度こそ剣を拾ってきたのだろう。
飛ぶ斬撃が迫る。
頭に血が上って俺は叫んだ。
「いい加減に……しろ!!」
怒りや殺意、そういった感情が膨れ上がるのを感じる。
そして呼応するように心臓の鼓動が力強くなっていく。
「『偽証』ッ!!!」
俺は、周囲の地形を変える勢いで柱や壁を大量に作る。
少しでも空間を塞ぐため、傾いた角度に伸ばしたものも混ぜていた。
だからもう好き勝手に走り抜けることはできない。
仮に飛ぶ斬撃を放ったとしても大半は障害物に遮られる。
向こうが力技で来るなら対抗するだけだ。
「やってやるよ、ウォルター」
俺は迷路のようになった障害物の中を駆け抜ける。
邪魔なものは消して、また造ってウォルターを追う。
この中で自由に動けるのは俺だけだ。
「……いた」
すると見つかった。
斧槍を造って突撃する。
防がれた。
武器を変えて連撃を繰り出す。
対して彼は、ゆらりと動いて攻撃を避けた。
それは、あまりに凄まじい立ち回りだった。
『構造劣化』を警戒してか、彼は剣で防御することすらしない。
ほんの少し歩くだけだ。
なのに、どれほど武器を振っても紙一重で間合いの外にいる。
攻撃が当たらない場所に立っている。
だからまた壁を造り、逃げ場を潰した。
すると姿が消える。
例の、背後に回り込む歩法で後ろを取られたのだ。
反撃を直感して、俺はすぐに迷路の中に逃げる。
するとあいつも、壁を飛び越えて追いかけてきたようだが……これは罠だった。
俺が逃げ込んだこの場所では、周囲を囲む壁は全て鏡面にしてある。
鏡に映った光景に目を取られ、ウォルターが一瞬俺の姿を見失ったのがわかった。
短剣に持ち替えて駆け寄る。
そして喉を狙って突き刺した……はずだった。
「……っ!」
確かに命中したはずの刃が、まるで幻を斬ったかのようにすり抜けていた。
これもなにかの技だろうか?
そんなことが可能なのかと思うが、現実に目の前で起きていることだった。
ほんのわずかな傷すらつけられず、隙を晒したところでカウンターをもらう。
「クソッ……!」
ウォルターの蹴りで吹き飛び、鏡にめり込んだ。
割れた破片が背中の表皮に当たって砕けるのを感じた。
すぐに鏡を消して逃げ出す。
でも追いかけては来なかった。
唇を噛んで、逃げながら俺は考える。
「どうすれば……倒せる……?」
できる限り距離を取ろうと考えていた。
しかしふと俺は違和感を感じる。
思わず足を止めた。
「?」
なにかが、大きく変わった。
言葉にはできない。
それでも本能が警鐘を鳴らしていた。
戦闘中であることすら忘れて必死に違和感を探る。
すると、やがて俺は原因を理解する。
「暗く……なってる」
まるでその言葉に答えるようにウォルターの声がした。
「戻れ、『焼尽』」
はっとして俺は自分の周りの壁を消す。
視界を確保して周囲を見た。
燃えていた炎が全て消えているのが分かった。
焼けていた空の色すら変わるレベルで。
「…………まさか」
背筋が凍る。
あの炎は、街を覆っていた炎は、まさか全てウォルターの能力によるものであったのだろうか。
いや、魔物の力をほとんど引き出していない状態で……ここまで大規模な事象を起こせるものか?
そして、なにより戻れという言葉の意味はなんだ?
不安が渦巻く。
でも何があったとしても俺に炎は効かない。
だから、街から火が消えたことに安堵すべきなのかと一瞬だけ考えた。
しかし、やはりとても……とてもまずいことが起こるような気がした。
「……?」
そこで俺は、なにか小さくて赤いものがふわふわと舞っていることに気がつく。
火の粉?
「君に炎が効かなくても、君が造ったものはどうだろうな?」
迷路の中のどこかでウォルターが言った。
そしてその直後、全ての火の粉が一斉に爆ぜた。




