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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
たとえ灰になっても
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九十一話・最終戦(1)

 


 剣を構えてウォルターの前に立つ。

 どちらかが動けば、戦いが始まる。

 その前に彼が口を開いた。


「一つ、聞かせてくれ」

「…………」

「君は、この先どうするつもりだ?」


 俺は、これからウォルターと戦う。

 だが問われているのはその先だろう。

 世界を救うに足る力を持たない俺は、これからどう生きていくのか。


「…………俺は」

「…………」

「……俺は……生き延びる。生きて、正しいと思うことを……する」

「正しいこと?」

「戦って、もう誰も……犠牲にならないようにする」

「今の俺たちには無理だ」

「それでも戦う」

「…………」

「できる限り、誰か一人でも、少しでも多く、助ける」

「もっと救える道がある」

「……この街の人を、死なせるわけにはいかない」

「未来で人が死ぬ。もっと多くの人が」

「…………」

「…………」

「……それでも……俺は……俺は……………」

「…………」

「……俺は、お前を……殺す」

「わかった」


 ウォルターは静かにうなずいた。

 そして一歩、踏み出した。


「なら、殺し合おう」



 ―――



 ウォルターが踏み出した。

 俺は選ぶことができた。

 進んで斬り合うか、逃げ回って戦うか。

 俺が戦士なら、そしてこれが誇りある決闘なら、前に進むべきだ。


「…………」


 後者を選ぶ。

 間合いに入ればすぐに死ぬ。

 作戦がない内は決して近づかない。

 単純な接近戦であいつに勝てる存在などいないからだ。


 後ろへと。

 逃げるように地を蹴った俺に、ウォルターは表情ひとつ動かさなかった。


「それも戦いだ」


 彼はまるで俺を肯定するかのように言った。

 多分、こいつは慣れているのだろう。

 これまでの殺し合いでも、多くの者がウォルターから逃げたはずだ。


「……行くぞ」


 そしてウォルターが進む。

 遅い動きだった。

 しかし一歩、二歩、三歩……と続けて四歩目で姿が消える。

 目を疑った。

 何が起きた?


「…………」


 背後だ。

 根拠もなくそう思った。

 振り返っても間に合わない。

 ガードもできないだろう。

 ならどうする。


「『偽証イグジスト』……!」


 壁を造った。

 背後に、厚く堅い鋼鉄の壁をイメージする。

 すると次の瞬間ざくりと音がした。


 ぞっとする。

 背筋が冷たくなる。


 また振り向いて、今度は逆側に逃げる。

 鉄の壁は半ばまで切り裂かれていた。

 壁はもっと厚くすべきだった。


 ぽつりと、ウォルターがつぶやく声が聞こえる。


「……なるほど、天敵だな」


 彼は理解したのだろう。

 俺には炎が効かず、さらにこうして障害物を造り出せる能力を持っている。

 魔物の火にも、そして剣術に対しても有効な答えを持ち合わせていた。

 彼の能力のほとんどを封じていると言っても過言ではない。


 俺は障害物を、壁を作りながら逃げる。

 いくら速いとは言え、引き出した魔物の力の差で単純な身体能力はまだ俺が上だ。

 直線で近づけなければ追いつくのは難しい。

 さらに弓を放つことで圧力もかけていく。

 そして考える。

 どうやってあいつに勝つのか。


 まず厄介なのは治癒魔術だ。

 あれがある限り、即死でなければ一瞬で全回復してくる。

 対策は三つ。

 即死させる、触媒を壊す、喉を傷つけて詠唱を封じる。

 一つ目は狙う価値がある。

 二つ目はなしだ。

 そもそも一度まともに攻撃を通すことすら難しいのに、その一度で触媒を狙えば永遠にチャンスが訪れなくなるかもしれない。

 メダルを複数持っているということもある。

 また、三番目に関しても試す価値はある。

 喉は致命傷にもなりうるし、予備があるものでもない。


 だがそれは即死を狙うのに近いほど難しいことだった。


「でも、やるしか……ない」


 俺はつぶやく。

 頭の中で作戦を組み立てていく。

 ベースはニーナが言った通り、とにかく意表をつくような動きをすることだ。

 しかしそれだけではいつか対応されるだけなので、計画をもって戦うことにする。


「……よし」


 少し考えて、作戦はできた。

 あとは実行するだけだ。


「…………」


 ウォルターは矢を弾き、造った壁を避けながら俺を追い続けていた。

 つかず離れずといった様子だ。

 こいつはこいつで俺の能力をじっくりと分析しているのだろう。

 恐ろしいほどに慎重だった。

 彼は、本当に強い戦士なのだ。


 一つ息を吐いて俺は覚悟を決める。

 これから俺は、あいつに近づく。


「……死ぬかもな」


 死んでもいいとはもう思えなかった。

 俺は生きなければならない。

 そして、十万人の人間の命を背負っていた。


 壁を造って逃げるフリをしながら、その壁を利用し、ウォルターの死角を通って俺は近づく。


「そこか」


 声が聞こえた。

 壁の向こうから大剣の刃が出てきた。

 ぎりぎり当たらなかったものの声を上げそうになる。

 剣が、鉄を紙のように貫通していた。

 さっきの壁より強度を上げたはずなのに?


「!」


 目を疑うが、すぐに理解する。

 ウォルターは事前に、来ると思った場所の壁に()()()を入れておいたのだろう。

 ある程度壁を削っておいて、いつでも貫けるようにしたのだ。


「…………」


 危うく死にかけたが、これはチャンスだとも考える。

 刃が鉄の壁を貫通している。

 すぐには抜けない。

 今なら俺が一方的に攻撃できる。


 そう考えて壁の裏から出た。

 即座に剣を振りかぶる。

 だが、大剣を離したウォルターは長剣を持っていた。

 周囲の兵士の死体から取ったのだ。

 不意打ちはできない。

 あいつはあいつで準備を重ねて俺を待っていたのだ。


「……っ!」


 反射的に壁を造る。

 しかしウォルターはそれをすり抜けるように、信じられない速さで俺の前に立っていた。

 剣が動く。

 この距離だと厚い壁は造れない。

 なら柱だ。

 剣ではなくウォルターの腕の方を止めて振れないようにする障害物を造る。

 俺は、こうして剣を封じながら戦うつもりだった。


「なるほど」


 そう言って彼は、腕がぶつかる前にぴたりと剣を止めた。

 続けてまた別の軌道で剣を振る。

 上手く剣を使えないように、俺は何度も障害物を造った。

 さらに武器を変えながら反撃する。

 命中こそしないがウォルターは防戦一方だった。


 だが、六秒ほど経つと対応し始める。


「どうなってんだ……こいつ」


 腹の底が冷えるような、そんな感覚を抱きながらつぶやく。


 俺は剣が来ると思って障害物を造る。

 すると全く違う方向から刃が飛んでくるのだ。

 まるで途中の絵が抜けた紙芝居のようだった。

 一瞬前の斬撃とは全く違う斬撃に変わる。

 刃がしなって、鞭のように軌道が変わるようなものとは次元が違った。

 幻でも見せられているような気分だった。

 なんとかしのぐが、ニーナとの戦いがなければまず対応できなかっただろう。


 加えて、彼は障害物では止めにくい突きも織り交ぜ始めていた。

 ……いや、こっちが本命か。

 方向を変える斬撃で俺を翻弄して、狙い澄ました突きで仕留めるつもりだ。


 死の足音が聞こえ始めている。

 やはり接近戦は……だめだ。

 相手の領域だと痛感する。

 殺せる算段をつけるか、なにか目的がないのなら近づくべきではない。


「『偽証イグジスト』!」


 ウォルターを閉じ込めるように壁を造る。

 四方を囲んで蓋までつけておいた。

 内部には動けないように刃の罠も仕込んである。

 脱出不可能の牢獄だ。


 しかしあいつならすぐに抜けてくるだろう。

 同じ手はもう使えないという確信もあった。

 一度きりの準備の機会だ。

 少しでも遠くへと俺は逃げた。

 そして隠れる。


「…………」


 広場の隅、倒壊した家の陰であいつを殺す方法を考えていた。

 行き当たりばったりでは絶対に敵わない。

 必死に考える。

 そして答えを見つけた。


 俺はひと振りの剣を造る。

 それを、少し離れた場所の兵士の死体の横に置く。

 不自然でないように死体からとった血もつけた。

 だが遺体をけがしているような気になって、俺は小さく謝った。


「……すみません」


 代わりに兵士の剣を拾った。

 物陰に戻り、家の瓦礫の下に押し込んでおく。

 これで、まず一つ準備は終わりだ。


「これが、どうなるか」


 今のは作戦ではない。

 単なる運頼りの博打ばくちだ。

 作戦は別にある。

 しかしもしかしたら……この行為が俺の命を救うかもしれない。


 次の準備を続けることにする。


「形よ、阻む物を崩し、結合を断ち切れ」


 使うのは『構造劣化』だ。

 あいつの武器を壊す。

 そちらが本命のプランだった。

 無手になったところで仕掛けなければ、まず勝ち目はなかった。


「…………」


 詠唱を済ませて弓を構える。

 鉄の牢になにか動きがあれば放つつもりだった。

 いつまでも拘束の外に出る様子はない。

 しかし不意にぞっとしてその場を飛びのく。

 すると背後でウォルターが剣を振りかぶっていた。

 どうしてこいつは、音も気配もなく動けるのだろう。


「っ……」


 危なかった。

 いや、まだ終わりじゃない。

 斬撃が即座に突きへと変わる。

 身をよじるがかわしきれない。


 腹に突き刺さる。


「ぐっ……!」


 俺の表皮は、どうやら鉄と同等かそれ以上の硬度を持っているようだ。

 浅く済んだのは、防御したことを考慮してもそのおかげだった。


 俺は刃を掴む。

 そして、これ以上ねじ込まれる前に『構造劣化』を使う判断を下す。


「『キャンセル』だ」


 そんな声と共に炎が走った。

 魔力を焼き潰す火だ。

 しかし俺に触れた瞬間、消えたのは炎の方だった。


「『構造劣化チープ』……!」


 刃が肉を抉る前に、間一髪で魔術が発動する。

 すると表皮に負けて剣が折れる。

 ウォルターが目を細めた。

 これも効かないのか、と思っていそうな表情だった。

 俺はあいつから武器を奪うことに成功した。


「…………」


 攻撃を開始する。

 巨大な鉄球がついたフレイルを造る。

 鎖を鳴らしながら、凶器である鉄球を振り回した。

 これを素手でしのぐのは難しいはずだった。

 ウォルターへと襲いかかる。

 だが一向に当たらない。

 あいつはふらりふらりと下がって紙一重で鉄球を避ける。


 ならばとウォルターの背に壁を造った。

 行き止まりだ。

 受け止めてみろと、挑むように目を見つめる。


「…………」


 ウォルターは、背に触れた壁に一瞥いちべつをくれた。

 その後、静かな目で俺に向き直る。

 鉄球を放つ。

 あいつはそれを……とげのついた鉄球を、足の裏で音もなく受け止めて、蹴り返した。


「くっ……!」


 鉄球が戻ってきたところで武器を消す。

 もう少し遅れていたら危なかった。

 だが予想を超える対応に俺は動揺していた。

 その隙をつかれた。


 ウォルターが俺に、肉薄してくる。


「どうした、もう終わりか?」


 その声と同時、俺の頬に右の拳が突き刺さっていた。

 応戦しようとするが、立て続けに三発殴られる。

 衝撃が表皮を貫いて、直接肉を潰すような攻撃だった。

 文字通り手も足も出ない。

 腹を、顔を、何度も殴られた。


「舐めるな……!」


 とはいえ相手は素手だ。

 圧倒的に有利な状況は変わらない。

 即座に剣を造って反撃する。


 しかし、それがやはり当たらない。

 実体のない煙でも相手にしているようだった。

 目の前にいるのにほんの少し、あと少しだけ刃が届かない。

 あるいは狙いを外して空振ってしまう。

 間合いや立ち位置を完璧に掌握しょうあくされているせいだ。

 彼はゆらりと、緩やかな動作で俺の攻撃をすべて回避していく。

 加えて、もちろん避けるだけではない。

 避けた後には鋭く踏み込んで反撃してきた。

 ゆらりと避けて、猛火のように攻めに転じる。

 その、静と動の切り替えの巧みさに目を奪われた。

 掌底、蹴り、肘打ち、体当たり……多彩な体術の一撃離脱が俺を襲う。


「…………」


 このままでは勝てない。

 俺は優位に立ったのだという認識を捨てた。

 そして何度も武器を変えて挑んだ。

 やはり当たらない。

 壁や柱で移動や行動を制限しても無駄だった。

 あいつは俺が攻撃した後の、確実に狙える一瞬の隙にだけ攻撃を差し込んでくる。

 一撃を当てたらすぐに受けに回り、深入りしてくることは決してなかった。


 そのおかげもあって俺にはほとんどダメージがない。

 だが楽観視することはできないだろう。

 今は俺を誘って、油断させようとしているだけだ。

 安全第一の、腰の引けた動きをしていた俺が……致命的に前のめりになる瞬間を待っている。

 そしてその時、首をへし折るなりの決着をつける。

 こいつは、たとえ素手でも猛獣より危険だ。


「流石に冷静だな」


 ウォルターが言った。

 狙いを読んでいることがバレたのだろう。

 不意に深く踏み込んでくる。


「!」


 続けて、目にも止まらぬ連続打撃が放たれた。

 とっさに頭部にガードを上げる。

 すると今度は渾身こんしんの掌底が腹に叩き込まれる。

 見事に吹き飛ばされた。

 内臓が潰されたような感覚が強くあって、数秒のあいだ息ができなくなる。


「はぁ……はぁっ……」


 溺れた後のように荒い息を吐く。

 追い打ちとばかりに走ってくるのが分かった。

 立ち上がって槍を造る。

 構わずウォルターは突っ込んでくる。

 その右手には瓦礫がれきの破片が鈍器のように握られていた。


「!」


 作戦を変えたらしい。

 あれで殴られたら無事では済まない。

 もう敵は素手とは言えない。

 その事実に怖気づいて、思わず俺は壁を造った。

 そしてこれが命取りだった。


「後ろだ」


 まただ、また背後を取られた。

 ウォルターの声が聞こえた。

 壁を造るということは、敵を見失うということでもある。

 壁で俺の視界が遮られた瞬間、トップスピードで背後を取りに来たのだ。


「!」


 防御は間に合わない。

 後頭部を、瓦礫が砕けるほどの勢いで殴られた。

 頭が燃えるように痛む。

 すぐに砕ける瓦礫ではなかったら、あるいは俺に焼けた表皮がなかったら危なかっただろう。


 しかし、それでもすぐに動けるようなダメージではない。

 ぐらぐらと世界が揺れるような錯覚と共に俺は倒れる。


「ううっ……」


 ウォルターが剣を拾った。

 突きつけてくる。

 命乞いをしようと思った。

 演技でもいい、ここを乗り切らなければならない。


「ま、待ってくれ! 提案が……ある!」


 俺は叫んだ。

 ウォルターが止まる。

 聞いてくれるらしい。

 気まぐれか、あるいは世界を救うより良い方法があるなら聞きたいと……純粋にそう思っているのか。


 とにかく、気が変わらない内に俺は続ける。


「俺を……仲間にしてくれ。頼む。俺も、千人殺す。そして……千人より多く……助ける」


 話しながら、歪む視界でウォルターの目を見る。

 彼の殺気は少しも衰えてはいなかった。

 何かあれば一瞬で俺を殺すだろう。

 ゆっくりとあとずさりをしようとするが……見られている。

 身じろぎすらできない。

 せめて命乞いを続ける。


「それに、俺がいたら……スペアになる。お前が失敗しても……魂を、取り込んで……戦いを続けられる」


 初めてウォルターの表情が動いた。

 リリアナの商売の話に感心するような、そういう時の顔に似た気配がある表情になった。


「悪くない提案だ。……ステラがまともで、同じことを言ったら受け入れていた。特に、スペアというのが……いい」


 俺ではなくてステラ?

 なぜ?


 考えて、すぐに思い当たる。

 あいつと俺では力が違いすぎる。

 俺はただの役立たずだ。


 言葉を失っていると、ウォルターはどこか悲しげに微笑んだ。


「力じゃない。頼もうにも君は……そんなこと言わないだろ」


 ウォルターが動いた。

 俺はまだ回復しきっていなかった。


「『偽証イグジスト』!!」


 壁を造る。

 そして全力で逃げる。

 だがすぐに追いつかれた。

 刃が来る。


「なぁ、俺は思うんだ。世界を救おうとする限り、何度でもこんな日がやって来るんじゃないかって」


 剣を振りながらウォルターが言った。

 腹のあたり、表皮をざっくりと割られる。

 最後まで聞かせる気はなさそうだった。

 本気で俺を殺しに来ている。


 ウォルターはなおも言葉を続ける。


「世界の全てを救える英雄なんていない。限られた道の中で、誰もが最善にすがっているだけだ。……そう、俺は選んだ。どれだけ生かすか、誰を殺すか。それが救うってことだろ?」


 いつになく口数が多かった。

 剣が、俺を殺そうとする。

 頭はまだふらついたままだ。

 胸を引き裂かれる。


 柱や壁、障害物を造って逃げ惑いながら、俺は『構造劣化』の詠唱を始める。

 魔術に意識を割く余裕はなかったが、武器を奪わなければいつまでも相手の攻撃は終わらない。


「俺は今日十万を殺す。だが次切り捨てるのは百万か、千万か。いや……もしかしたら……」


 ウォルターはそこで言葉を止めた。

 そしてため息を吐く。


「もちろん、殺人を正当化したいわけじゃない。俺は許されないことをしている」


 その意識を持って、世界を救おうとしていることが分かった。

 怖いくらいにあいつの覚悟は本物だった。


 それからまた語り始めた。

 なにか俺をさとすような気配のある声だった。


「だが今日見送った犠牲は、いつかより大きな災いになって返ってきてしまう。そしてこれから先、君には何度も何度も選択の日が訪れる」


 ようやく、なぜこんな話をしているのか分かった。

 ウォルターは俺を気にかけているのだ。

 仮に俺が勝ったとして、どんな地獄に直面するのかを突きつけようとしていた。

 聞き分けがなく、現実を見ない子どもの俺に。


「その時、君は何も選ぶことができないはずだ。……人の痛みに共感しすぎてしまうから。他者を切り捨てられず、選ぶことを拒んで、目を閉じたまま暗闇に手を差し伸べる。そうして、運良く手を掴めた者だけを君は救う」


 ――――でも。


 と、ウォルターは言った。

 言い聞かせるような調子だった声が、唐突に低く沈んだ。

 恐ろしく鋭い目で俺の瞳を覗き込んでいる。


「でも、そんなことを続ければ状況はどんどん悪化する。君は馬鹿じゃないから自分のせいだと気づく。だから自分を責め続けて、自責じせきが心を壊死えしさせた頃……ようやくそれを受け入れるだろう。手遅れになっているとも知らずに」


 俺は歯を食いしばる。

 彼が言おうとしていることが容易に想像できた。

 それは、ある意味で一番残酷な結果だった。


「犠牲を受け入れずに被害を広げる。その上、受け入れた頃には手遅れになっている。手遅れなのに世界に犠牲を払わせる。つまり君は……最も苦しみに満ちた形で世界に引導を渡すことになる」


 耳を傾けてはいけない。

 ウォルターが正しいからだ。

 言葉を受け入れれば、きっと心が折れて戦えなくなるだろう。


 炎の中で泣いていた少女のことを思い出す。

 俺は今日十万人を救う。

 それだけを考える。


「…………」


 固く心を閉ざして攻撃をしのいだ。

 少しして俺の詠唱が終わった。


 ちょうどウォルターが剣を振る。

 詠唱のせいで集中が乱れて攻撃は見切れなかった。

 しかし、どこから来てもいいように大盾を造って受けようと構える。


 一瞬でも盾で止まればそのまま『構造劣化』で破壊できるからだ。


 しかし、ウォルターは刃を俺に当てなかった。


「あっ……」


 思わず声が漏れる。

 そうだ、これは……。


「飛ぶ、斬撃……か」


 つぶやいた。

 まさかこの、至近距離で撃ってくるとは。

 でも武器破壊を狙っていて、なおかつ受けに回った俺に対し使わない理由はなかった。


「…………」


 少しでも衝撃を逃がそうとあえて吹き飛ぶ。

 しかしそれでも、右肩から腰にかけてが深々と斬り裂かれた。

 盾で受けて、なおかつ堅い表皮があったから両断とはいかなかったらしい。

 とはいえ骨も内臓もずたずたにされたのが分かった。


「うっ……う、う……」


 痛みにうめく。

 それでも魔物の体は呆れるほどしぶとく、なんとか動けるようだった。


「君は、世界を背負うには優しすぎる」


 苦しむ俺の前でウォルターがそう言った。


「忠告だ。このあたりで消えておけ」


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